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はてなキーワード: ブルマーとは

2021-01-12

はてな匿名ダイアリー2020 【エンタメ編 TOP31】

順位ブクマタイトル日付備考
11208社畜も唸るアマプラ邦画05/13
21183anond:2020071418401707/15わりと新しめでネット発の怖い話を紹介
31137ABEMAトナメで将棋界がお祭りになってる件04/29
41110木村一基の不撓の闘い08/21
5848 100分de名著シリーズのバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった、...01/02
6752 Netflixとブコメに救われた11/24
7701 映画泥棒CMの不快さを理解できない人が怖い01/26
8689 いま囲碁界で起こっていること08/24
9688 続・デリヘル嬢してた時にこんなお客さんいたなっていう思い出。03/09
10675 なるべく少ない単語で映画作品を特定する05/19
11639 バンドのベースって何する人なんだろうね02/10
12618 映画館で働いてる人が鬼滅公開に怯えて書いたの10/15
13612ガツンと来た音楽ありませんか03/23
14605 自分が不倫したくなるたった一つの理由01/31
15579 韓国アイドルをのんきに称賛すべきではない09/16
16574 音楽大好き人間だが音楽業界はこれで壊れろと思ってる05/03
17519 ぺこぱが面白いと思うと同時に、これはお笑いの末期だなとも思った01/24
18518 完全に将棋を理解した06/05
19513 街中の音楽がしんどい11/06
20511三大好きな映画のシーン08/19
21502 なんで日本ではラップが流行ってないの01/10
22492 歩く時音楽聴かない人って何を考えてるんだろう02/19
23486 映画館って淘汰されそう05/05
24484 フィギュアスケートの見せパン、新体操のレオタード、陸上のブルマー09/07
25472 旅に出たくなる創作物08/18
26472 前回の反省を生かしてエロ小説を書いたら8倍弱読まれるようになった02/14
27460 三大実はカバー曲11/22
28444 日本が歌下手アイドルの国になった戦犯は誰なの?09/24
29437 タイムトラベルものの小説でおすすめ教えて06/06
30435 甲子園なんて高校生が遊んでるだけのものをほめるのはおかしい06/13
31435 日本でハマってんのおれだけだろ02/01

anond:20210112171230

パンツゴムスカートはさんで巨大ブルマーつくるやで

中央だけパンツになるけどサイドは見えんくなるやで

レッツトライやで

2021-01-04

ブルマー増田のまとめその2、noteでやらない理由

あいさつ

新年おめでとうございます

直近の記事まとめ

タイトル執筆時点のブクマ投稿投稿曜日投稿時刻
手塚治虫「ブッダ」とおっぱい、20世紀のおっぱい税2762020/11/0208:05
フレンチ・カンカンの穴あき見せパン、トップレスのショー842020/11/1008:24
ラインダンスとレオタード少女、ブルマーの追記482020/11/1608:10
カーニバルのギリギリなビキニ、その歴史112020/11/24火(前日が祝日08:04
ベリーダンスとマーニャのふんどし342020/11/3008:10
ボディペインティングとドラえもんことわざ辞典のCFNMとPETA152020/12/0707:57
根本的な疑問。ブルマーとスク水とセーラー服はなぜ紺色?142020/12/1407:49
赤ブルマーの起源、障害者スポーツとブルマー292020/12/2108:07
イギリス人の緑ブルマーと赤ブルマー、スパンキング、お尻ペンペン42020/12/2808:01

ブルマー記事考察

noteでやらない理由

ブクマで、どうしてブルマー調査個人ブログnoteでやらないことをいぶかしがるコメントをいただくこともあった。理由はいくつかあるが、一番の理由はこの匿名環境が心地よいためだ。もしもコテハンで延々とブルマーについて語っていると、自分アイデンティティの深いところにブルマフェチであることが刻まれしまうだろう。現に、さっきブルマーを脱がしてお尻を見る夢を見た。いつしか毎週のようにブルマーについての考察を書くことが求められ、承認欲求からそこに依存し、それが完全に習慣になってしまう。怖いことではないだろうか。

さらに、ある程度ライターブロガーとして名前が売れたら世間話題になったり、現在進行形炎上していたりすることについてコメントすることが期待されるかもしれない。それは、気晴らしとはほど遠い。自分がやりたいのは個人的に気になったことの調査であり、それ以上ではない。だいたい、世間議論不毛なことが多く、建設的でない議論に巻き込まれても面白くない。要するに、期待されると疲れるのだ。

また、この記事ほとんどが海外情報斜め読みとその翻訳からなっており、それで閲覧数を稼いだり、有料の記事を作ったりするのは少しばかりおこがましく思う。最近はあまりかましく言わなくなったのかもしれないが、リンクフリーかどうかもわからないサイトから引用している個所も多い。コンプライアンス的にはグレーだろう。こうして書いた記事がバズったら確かにうれしいが、あまりブクマ数は気にせずに遊びとしてやる距離感が一番楽しいバズることが自己目的化しては意味がない。

匿名性の良さにはほかにもある。増田という環境情報書き手受け手関係フラットで、記事の誤りを気軽に指摘してもらえるのだ。もともと自分勉強のためにブルマーについて調べていたのだから批判も含めてあらゆるコメントはいつもありがたい。

更に、増田でこうして書いたことで学べたこともある。ライター業というのは思いのほか大変なのだ。まとまった長さの文章を毎週書くことをしばらく続けてみたが、テーマを選ぶことも調査することもそれなりに気力を使う。小説で長い文章を書くのが元々苦ではなかったので、こういう記事簡単だろうと油断していたのだが、自分で考えた締め切りを守るのも負担だとわかった。ましてや自分の興味がないことも書かないといけないうえに、ウケるテーマを探さないといけないプロはなおさらだろう。一時期、文筆業に憧れていたことがあったのだが、こうして実際にその真似事をやってみると、その苦労がどれほどのものか、かなり実感がわくようになった。

かに自分妄想必死でひねり出して数万字書いてスルーされがちな小説と比べ、調べたことをまとめたものはほんの数千字でブクマがもらえるので、かけた手間と承認欲求コストパフォーマンスはこうした記事のほうがいいのだが、そういう問題ばかりでもない。

とはいえ面白経験ではあったので、例えば僕のフェティシズムとは関係のない記事を書いて、どの程度伸びるかどうかを実験しても面白いかもしれない。たとえば、筆者はよく美術館に行くのだけれど、刀剣には詳しくないため、どこをどう見ればいいのかがわかっていない。それについて調べた記事なんかを書くのもいいかもしれない。さっさと書籍を入手しろという話かもしれないが。

また、何かまとめたくなったら書く。それがいつになるかはわからない。

2020-12-28

イギリス人の緑ブルマーと赤ブルマースパンキング、お尻ペンペン

イギリス人の緑ブルマー

以下は、学生時代の緑ブルマー屈辱だったことを詩の形で吐露した女性証言である

「み」は緑ブルマーの「み」

体育の授業でひどい緑ブルマーをはかされた思い出

「緑ブルマー

ガラス瓶色の緑ブルマー

赤色だってこともあるけれど。

やせぎすの足はむき出しで、

冬だろうと、夏だろうと、

はけと言われたものをはかされて、

体育館までその恰好で走らされる。

体育教師思春期の十代が

どう感じるかなんて考えず

どなりながら走らせる。

水曜の午後は最悪で、

一番に校庭に行かなきゃならないと、

マジで屈辱だったんだぞ。

下着同然の私たちを見るために、

ケント州の男子たちが目をひんむいてた。

なのに、体育教師は気にかけてくれない。

当時は陸上ウエアなんてなかったので、

ホッケーソフトボール障害競争では

慎みを見せる時間なんてなく、

考えると今でも血が凍る。

極めつけがが白のエアテックスのシャツ

運のいい子は巻きスカート付き。

当時は、今の子が信じられないような屈辱から

逃げる手段なんて全然なかった。

授業が終わったら校庭の端を、

お尻を隠そうと必死で走る。

もしも昔に戻ったなら、絶対に、

ブルマーはいてるところなんて見られたくない!

記事Green Knickers | Trish Nugent Writer.

貴重な証言である。緑ブルマー実在したこと、そして、それに対する明確な嫌悪吐露されている。

以下の記事でも、ブルマー男性から見られるのが恥ずかしく、苦痛だったことが証言されている。

ReviewSpot - Navy Blue Knickers, Gym Slips and School Dinners - A Review Of My Grammar School

ブルマーは?

赤ブルマーを実際に身に着けている画像は見つかった。また、おふざけでスカートをめくってブルマー(アンスコ?)を見せている写真もあった(はてな管理者の方へ。まずかったら削除します)。いろいろな証言総合すると、ネットボールをする生徒は、ブルマーの上からスカートはいていたようだ。パンツ同然、という認識があったのだろうか?

ホッケーのときもスカートを許されたという証言もある。

なお、女子体操着男子のものとは別のものにすることによる、ジェンダー意識の固定についての問題ここ掲載されている。

話を戻そう。残念ながら、当時の緑ブルマー姿を直接撮影した画像は見つからなかった。発見できたのは、コスプレ用の通販サイトばかりである。興味深いのは、紺ブルマーnavy blue、緑ブルマーはdark greenもしくはbottle green、赤ブルマーはmaroonと形容されていることである。中にはdove grey、灰色もあったようだ。

もう一つ興味深いのは、多くのモデルスカートをめくってブルマーを見せていることで、それがちょうどお尻ぺんぺんされる格好なのだ規律が厳しい国ではスパンキング趣味に目覚める人が多いのだろうか?

パンツで走らされたという証言

恐ろしいことに体操着を忘れたらそのままの格好で走らせるという罰則存在していたようである。日英どちらも、常軌を逸した罰則存在していたことがうかがえる。

結論

今後の展望

今回の記事は短いが、確かにブルマーや緑ブルマー英国には存在していたことがわかった。今後は、紺ブルマーがいつから赤や緑に変わっていったか調査したい。しかしながら、調査は難航しそうな気配がしている。というのも、当時の写真ほとんどインターネットアップロードされておらず、今回の記事も主に画像ではなく証言に頼らざるを得なかった。また、時代をさかのぼると白黒の画像しかないので色の確認のしようがない。上記の赤ブルマー画像も、正確な年代場所がはっきりしない。

加えて、日英以外のカラーブルマー事情についても調査したいが、以前に世界的なブルマー分布調査したときには、ほぼすべてが紺ブルマーだった。つまり、赤や緑のブルマーは日英の特異的な現象だったか調査する必要がある。

また、女性からの反対意見がどのように世論に影響を与え、日英のブルマー廃止に至ったか、その正確ないきさつも気になっている。

加えて、英国文化スパンキング関係についても調査したい。

今回はここまで。

よいお年を

2020-12-21

ブルマー起源障害者スポーツブルマー

ブルマーは紺色とは限らない!

先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色小豆色・赤色ブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。

調査方法

主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイト掲載された、映画ドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品確認するのかといえば、ブルマー日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人サイトツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。

なお、バレー部ブルマーとそのほかの学生ブルマーについては、分けて考えたい。

加えて、プロバレー選手映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。

ブルマー情報

「美しきチャレンジャー1971年

ビートたけし学問ノススメ」1984年

台風クラブ1985年

スケバン刑事1985年

「もしも、学校・・・!?」1985年

「オシャレ泥棒1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE

ブルマー情報部活編)

「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA

青春の構図1976年女子大生乳房露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)

燃えろアタック1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q

時をかける少女1983年

スクールウォーズ1984年

「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37

赤い衝撃1976年陸上選手という設定)

和っこの金メダル1989年

そのほかの色

「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色ブルマー

「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者社会参加を訴えたドキュメンタリー

「蘇れ魔女1980年バレー選手)。Youtube動画はあるが緑ブルマー確認できず。

オレンジ

「われら青春!」1974年バレー部

あさひが丘大統領1979年

生徒諸君!1980年バレー部

ビートたけし学問ノススメ」1984年バレー部

白(!)

時をかける少女1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364

まとめると

ブルマーは、90年代よりもずっと前から存在している。

障害者スポーツブルマー

ところで、先ほど両腕のない女性映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いす少女陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足選手被写体として用いられていた。義足陸上選手を扱ったポスターイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手セミヌード披露している。

僕は素直に美しいと思ったし、義足機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの障害隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手自分身体努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えしま自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしま身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツ称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。

今の職場身体障害聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。

本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマー義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えことなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者パラリンピックをどう感じているのだろう?

結論、今後の発展

前回の記事では、スク水ハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマー存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手ブルマー学生ブルマーに影響を与えたのか、さらブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水ハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマー存在確認した。

今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人アップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマー確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマー一定範囲分布していた可能性が検討できる。また、企業公式情報新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマー誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。

さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったか調査せねばなるまい。

加えて、身体障害憐れみ対象スティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻であるかどうかにもかかわらず、自分身体を見せる権利を改めて問い直したい。

また、上記サイト管理人及び編集者各位に感謝を。

メリークリスマス

2020-12-14

根本的な疑問。ブルマースク水セーラー服はなぜ紺色?

ブルマーは紺色だと皆は言うけれど

御多分に漏れず、同級生女子ブルマーは紺色だったし、小学生の頃には紺色ブルマー以外は存在しないと思っていた。ブルマー廃止されてクオーターパンツになったが、それも紺色だったのでそれが当たり前だと思っていた。ところが、長ずるに及んで臙脂色緑色ブルマー存在していることを知った。さらに、ブルマー存在などとっくに忘れられたこ時代になってもブルマーのことが気になっていろいろと検索していたら、同じ紺色といっても濃紺とピース紺の二種類があったことを知ったのである参考画像

それはさておき、改めて考えてみると不思議だ。そもそもどうしてブルマーは紺色なのか? そして、スクール水着セーラー服が紺色なのは関係があるのか?

歴史上のブルマーは紺色ではない?

はじめのうち、自分19世紀ブルマーも紺色だったから、それが受け継がれたのだろうと単純に考えていた。現に、当時のブルマーを描いた図版は白黒で、それを否定する根拠にはならなかった。ところが、自分が「Victorian bloomers」と検索したところ、驚きの事実に行きあたった。ブルマーは必ずしも紺色とは限らないのだ

そうなると、ブルマーはどこかの時点で紺色に固定されることになったはずだ。

ブルマーが紺色なのは和装理由がある?

こういう情報を知るためには、基本的には企業公式ページが適している。

ファッション豆知識:#7 ブルマーと現状と来歴

すると、以下のような証言を見つけることができた。

そのような経緯を経てブルマーは、普及していきましたが、それらは、織物で作られ、比較的長く大きいシルエット、腰ベルト部は紐で結ぶ仕様で、ほとんどが濃色でした。これは、日本の古来からある袴の後継と見られていたところから来ています

そういうことで、仮説その一。ブルマーが紺色なのは日本の袴に由来する。

改めて、イギリス人ブルマー

しかし、僕の今まで書いてきた記事を読んでくださった方はご存じだろう。20世紀イギリスブルマーも同じく紺色なのだ

ttps://www.youtube.com/watch?v=lDvl5fJHsow&t=200s

となると、ブルマーが紺色なのは日本の袴に由来する、という仮説はかなり疑わしいものとなってしまう。

そうなると、

のどちらかになりそうだ。日本ブルマーが紺色になり、英国に輸出された可能性は理論存在するが、当時の文化的な力関係考慮すると非常に考えにくい。先ほどのトンボ社のページに書かれている、井口阿くりがブルマー1903年ボストンから導入した時点で、ブルマーが紺色に進化を遂げていたと考えるのが自然だろう。これが仮説その二である

とはいえこの記事では白いブルマー存在確認できる。

それにしても、記事をよく読めば当時の女子体操着は、セーラー服上着の下にブルマーを着用だったとのこと。提灯ブルマーから考えられることだ。

ショーツブルマーになってからも、かつては掃除時間女子普通にそういう格好だったと聞いたことはあるけれども、男子校出身者の僕には刺激が強すぎる。しゃがんだクオーターパンツお尻の曲線だって刺激が強いのに。

では、スクール水着が紺色なのはなぜか?

スクール水着の変遷についてはここでは繰り返さない。多くの方が調べてくださっており、資料比較豊富からだ。だが、水泳の授業が義務教育として求められたのが、痛ましい事故にその理由があるとは知らなかった

しかし、どうして紺色なのか? このサイトでは以下の四つの説を併記し、それらが複合していると述べている。

それらの説も一理あるのだが、自分としては、ブルマーよりも素直にヴィクトリア朝の色遣いが受け継がれたものだと思いたい。

もっとも、ならばどうしてイギリスで紺色になったかを考える必要があるのだが……。

じゃあセーラー服が紺色なのは

セーラー服起源海軍にあることはよく知られている。この記事によれば18世紀英国海軍がこの紺色を用い始めたそうだ。軍服歴史についても興味深い記述ウィキペディアにある。たとえば安価染色技術がなければ兵士全員に同じような色の制服採用できない。

ここで思い出していただきたいのは、ブルマースク水の紺色はヴィクトリア朝19世紀から20世紀初頭に由来していることだ。言い換えるならば、セーラー服の紺色は、ブルマースク水の紺色とは起源を異にしているである。この三つは紺色のノスタルジー対象としてしばしば言及されるが、全く別の由来がある、ということだ。ブルマースク水女性に求められた慎み深さと禁欲に由来する紺色、セーラー服の紺色は男性に求められた強さと海の色である。また、起源もそれぞれ米国英国である。ただし、海軍のネイビー色と女子学生のセーラー服の紺色には微妙な違いがあり、セーラー服の色がスク水ブルマーに引きずられて濃青から紺に近づいた可能性も一応考えられる。ところで、海老茶色の袴の女学生がなぜ紺色をまとうようになったかのだろう。和装から様相に移り変わったことに関係がありそうだが……。

ところで、臙脂色ブルマーはいから

さて、冒頭に戻ろう。僕は紺ブルマーだけではなく、臙脂ブルマーや緑ブルマーについても言及している。これらのカラーブルマーが広まりだしたのはいつごろからだろうか?

これらについては、実はまだ調査ができていない。先ほども述べたが、戦前女学生海老茶色を身に着けていたので、そこから派生したことも考えられなくもない。こちらのページによれば1985年から多様なデザイン体操服が登場したそうだが、この頃ではないかと推測している。現に、90年代に近づくとスク水さえもややハイレグ気味になっており、肩紐も細くなって背中露出も増えているので、新しいデザインが受け入れられていた可能性がある。しかし、自分の周囲にはカラーブルマー存在せず、臙脂ブルマーフェチ大人になってから発症してしまったものである

企業公式サイトから情報が得られないとなると、新聞の縮刷版や当時の雑誌を一つ一つ調べねばならないことだろう。研究とは元来こうした地味なものであり、ちょっとネット検索してまとめてみたこ記事などは、本職の研究からすればほんの気晴らしでしかない。

まとめ

今後の展望

ブルマースク水セーラー服が紺色の理由はおおよそわかった。しかし、臙脂ブルマーや緑ブルマーなどがいつから使われているのかについては、まだ資料を見つけられていない。今後はこうしたカラーブルマー存在について探求したい。おそらくは学年色という概念の発展からたどれば見つかるのではないかという気もしているが、確証はない。また、男子が青の短パン女子が赤ブルマーという写真も見たことがある。男女の差異を強調するためであったという説も成り立つ。

また、昔の深夜番組女子高のスク水ファッションショーのように比較する今ではとても考えられないコーナーがあったそうだが、その動画確認すると紺色にもかなりの幅があった。スク水の紺が実際どの程度の違いがあったのかも調査する必要がある。また、カラースク水ブルマー同様に存在たかもチェックする。

そして、こうした色鮮やかなブルマー存在が、どの程度が押し付けであり、どの程度が女子生徒から希望だったかについても知りたい。

2020-12-07

ボディペインティングドラえもんことわざ辞典CFNMPETA

くどいけれども、ドラえもんCFNM

幼いころ、何かのイベントフェイスペインティングをやる機会があったのだけれども、当時の僕は顔に何かが付着するのが不快に思われて、断った記憶がある。

それ以来、身体に何かを塗ったことはない。皮膚科の薬くらいか女性場合ファウンデーションを使うので、フェイスペインティング男性よりも抵抗が少ないと思われるのだがどうだろう?

それはともかく、同様の理屈でボディペインティングはやったことがない。とはいえドラえもん学習漫画で、水着を忘れたのび太が絵の具を塗ってごまかそうとするが、前だけを塗って尻を塗り忘れて恥をかく場面があり、それが自分の野外露出CFNM願望とマッチしていたのを思い出す。気づいたしずちゃんが顔を覆って赤面しているのも高ポイント

実際に水着ショートパンツを描いて野外を全裸徘徊する女性動画は、各種動画サイトで閲覧可能だ。

身体に色彩をまとう歴史

人々が顔や身体を様々な色彩で飾ってきた歴史は長く、世界中で見られる。ブラックベリーサフラン粘土木炭などで様々な色合いが用いられてきた。つまり、赤、黄色、青、黒、茶色などが利用できたわけである

用いられてきた場は様々だが、代表的ものは次の通り。

現代欧米における大まかな歴史

欧米では、顔や腕を塗ることが多かったし、今でも大道芸人ピエロなどもそうだ。全身をカンバスとして用いるのがメインストリーム芸術ファッションに導入されたのは、1933年シカゴ万国博覧会でだった。Max Factorバーレスクの大女優Sally Rand映画のためのモデルにしたが、裸を公衆面前に出すのは同時としては当然挑発的に過ぎたし、社会的通念からは外れていた。そして、全裸アートは人気にならなかった。

これが60年代から70年代ヒッピー文化時代になってくるともう少し人気が出てくる。花やピースサイン、その他サイケデリックな模様を、大義を信奉していることを表現するために描いた。今でも海外ヌーディストたちがワークショップか何かで全身にそうした絵を塗っているのを確認できる。くすぐったそうである。この時代もまだ、カウンターカルチャー的なもので、主流ではない。

革新的であったのが1992年、Vanity Fair誌をDemi Mooreが飾った時だ。彼女は全くの裸であり、芸術的でかつタイトスーツを着ているようにみえペイントをしていたのである。今までこうしたものメインストリームの前面に現れたことはなかった。

一応、乳首が見えているので、直接のリンクは張らない。Demi’s Birthday Suitで検索してほしい。

現在欧米における用途実践

芸術

身体に名画を直接描いたり、人体の形を活かして生き物の姿を描いたりする。全裸も多いのでリンクが晴れなくて申し訳ない。中には会田誠作品のように、セクシーさというよりはシュールさで有名なものがある。漫画のすごい顔の絵を描いていて、おっぱいに目がある。たぶん現代美術好きな人だったら見たことあると思うのだけれど、ものによっては普通に割れ目までも見ているのでリンクしない。女性器は猥褻だとは思わないが、残念ながら規約違反になってしまうおそれがあり、ブルマー記事まで削除されてはたまらない。

商業

例えば「アバター」なんかの映画で用いられるメイクアップで用いられる。他にも、Playboy誌が時折ボディペイントを使うことがある。2005 年のカレンダーでは皆がビキニを着る中で、Karen McDougalやHiromi Oshimaはボディペイントだった。そのほか様々な広告でも用いられる。

祝祭

フットボール試合レイヴパーティー、その他の祭りなのでボディペインティングが行われる。また、国際的なボディペインティングフェスティバルもあるようだ。World Bodypainting Festival(1997年より開催、50か国以上より3万人が参加)など。

Fantasy Festなるフロリダストリートパーティでも用いられるようだ。おそらく、全裸・半裸になりたいけれどもファッションは楽しみたい、という需要にボディペインティングは応えている。

抗議活動

PETA動物倫理的扱いを求める人々の会)が動物の模様を身にまとって抗議することがある。また、全身を様々な色で塗っている写真英語版ウィキペディア確認できた。

いい機会なのでPETAについての記事斜め読みしたのだが、増田ではよく叩かれているとはいえ、捨てられたペット保護や、ヒツジの臀部から皮を剥ぎ取るミュールシングの代替手段模索に向けての活動については知らなかった。もっとも、セクシーな抗議がフェミニストの怒りを買っていたり、殺人虐殺犠牲者と屠畜された動物を同列に並べて猛反発を受けていたりしてもいるようだ。

軍事

迷彩用。ご想像の通りの用途である

用いられる画材

水性

一番安全。すぐに落ちてしまう恐れがあるが毒性がなく、アレルギーほとんど引き起こさない。加えて、石鹸と水ですぐに落とすことができる。手入れが必要で長続きしないが、皮膚の敏感なひとや妊娠中の女性に適している。

アルコール

汗や水に強いのが特徴なので、夏の音楽フェスパフォーマンスに適している。落とすときには専用のリムーバーを使うか、アルコールで拭く必要がある。ただし、少し時間がかかる。

ラテックス

ラテックス油性画材は全身を塗るのに適しており、目を引く視覚効果を上げられるし、芸術的な目的にも使われる。取扱説明書を事前にしっかり読む必要があり、塗る前に全身の毛をとり除くひつようがある。毛が残っていると脱毛ワックス的になって痛いためだ。

クリーム

多くの化粧品に含まれているのと同じもので、前衛的な外観を作りやすく、長続きするが、割れたり摩耗したりしやすい。利点としてはアルコール系と同じように汗や水に強いことが挙げられる。しかし、完全に乾燥することがないので、仕上げのスプレーパウダーで駄目になるのを防がないといけない。

ヘンナ系

アジアアフリカの熱帯地域植物から採れる色素で染める。髪を染めたり、ボディペインティング材料にしたりするだけでなく、繊維を染めるのにも用いられる。落とせるタトゥーとしても使われる。

Brown henna基本的には天然素材で毒性はないが、black henna金属が含まれており、長期にわたって使われると皮膚を害する恐れがある。

実際、素っ裸になる必要ある?

多くの人がボディペインティングときに実際に何を着ていくか迷うらしい。特に野外で行うときには最低限、皮膚の色に近い紐パンや、ペイスティース(乳首の前貼り)だけを身にまとうことがある。トイレに行くときにはローブ必要であり、加えてペインティングスタジオ寒いことがあるとのこと。

WNBR(ワールドネイキッドバイクライド)なんかだと普通に全裸に人もいるし、そういうイベントでだったら全裸普通にOKだろう。

まとめ

今後の展望

今回は、野外露出目的ではないボディペインティングについて調査した。今後は、ヘナタトゥーなどについてももう少し情報を得たい。

また、ヌーディズムのもの歴史ストリーキングムーニング(尻を見せる行為)などについて調査予定である。すなわち、身体自然と触れ合う喜び、抗議・無防備さの象徴としての全裸宗教的全裸それから、祝祭としての全裸についても調査したい。

参考資料

Significance and Origin of Body Painting - Lynn Schockmel Body Art

History of Body Painting - Facts and Types of Body Painting

History of Body Painting - Ancient Body Paint Art

How Body Painting Works | HowStuffWorks

Body painting - Wikipedia

2020-11-16

ラインダンスレオタード少女ブルマー追記

宝塚レオタード

鉄腕アトム「透明巨人の巻」という話がある。若き天才である花房博士物質伝送機のせいで、ウサギ、魚、ロボットの融合した怪物になってしまエピソードで、「ハエ男の恐怖」が元になっている。その最終部で、博士悪党を罰するために物質伝送機であちこち飛ばしてヒーヒー言わせるドタバタがあるが、その中でラインダンスの真っただ中に飛ばす。悪党どもが冷や汗をかきながら一緒に踊ってごまかす横で、レオタード姿の女性が並んでいる。

また、これはどこで読んだのか忘れたのだが、手塚治虫宝塚劇場を訪れ、レオタードというか舞台衣装女性に囲まれて興奮のあまり卒倒しているコマのある漫画があったと記憶している。

つまるところ、こういうスカートレオタードラインダンス宝塚起源なのだろうか?

ラインダンスとは、というか、そもそもあれはラインダンスなのか?

まずは基礎的な情報を手に入れるために、ウィキペディアで「ラインダンス」を検索した。すると、意外な事実に行きあたった。

ラインダンスLine Dance)とは、ダンスフロアに整列し、全員が一斉に同じステップを踏むダンス。主にカントリー・ミュージックポップスなどの曲で踊られることが多いが、音楽ジャンル特に限定は無い。

また日本ではポンキッキーズという番組知名度を上げている。本番組場合では、主に小中学生女子椅子を一列に並べた状態で、ポンキッキーズれていた[ママ]曲や洋楽を流しながら座ったり立ったりしてラインダンスを行う形だった。それに加えて普通ダンスを混ぜて行う為に非常に難易度が高かったが、成功すると非常に見た目がよく、放送当時はこのダンス学芸会体育祭で取りあげる学校も多かった。

ひらけ! ポンキッキから視聴していた自分のような人間からすると非常に懐かしい。しかし、あの女子たちの踊りは確かに脚を上げるものではなかった。

それならば、あの踊りの名前は何か? 散々探し回った結果、次のことが分かった。横に並んで脚を上げる踊りはロケットダンスと呼ぶそうだ。なるほど、このキーワードで探すとたくさん見つかる。リンクが多いと投稿できないので、冒頭のhを抜く。

ttps://www.youtube.com/watch?v=4i7y6XE7sz8

ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm31659056

宝塚だけでなく、松竹歌劇団映像も見つけることができた。

ttps://www.youtube.com/watch?v=fVewBno93RA&list=RDfVewBno93RA&start_radio=1&t=137

名称は、米国ダンスカンパニーロケッツからだろうか?(後ろの男性諸君笑顔がいい)

ロケッツは、1925年セントルイスで、「ミズーリロケッツ (Missouri Rockets)」として結成された。創設者ラッセル・マーカートは、1922年ブロードウェイの「ジーグフェルド・フォリーズ」で見た「the John Tiller Girls」(英国ダンスグループ)にヒントを得て、「もし、もっと背が高くてもっと脚が長いアメリカ人女の子たちに、複雑なタップダンスと目の高さのハイキックをさせることができたら...イチコロだ!」と確信した。

だが、ここから名前が来ているとすれば、ラインダンスフレンチ・カンカンではなくアメリカ起源ということになる。

宝塚レオタードはいからか?

第二次世界大戦終結後の1946年に、宝塚音楽舞踊学校宝塚音楽学校と改称し、4月22日から宝塚劇場で公演を再開した。再開第1作は『カルメン』『春のおどり』の二本立てで、大戦中に入団した計3期69名がラインダンス披露した。

とある。ここまでは想像がついた。宝塚ではなく松竹であるが、おおよそ同時代写真がある。

しかしながら、こんな記述もある。

1927年、岸田辰彌が欧米遊学から帰国。岸田はこの経験を活かして、日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』を日本人の世界旅行記テーマにして制作する。同年9月1日から上演され、画期的な内容で大ヒットを記録した。主題歌レコードがヒット、当時としては露出の高い豪華な衣装話題となった。ラインダンスを初めて演目に取り入れ、16段ながら(現在は26段)大階段も登場した。以後、少女歌劇レビューに欠かせないものとして定着する。

まりラインダンス1927年にまでさかのぼるのだ! 実際問題、当時としては露出の高いと書かれているが、それがどの程度かはよくわからない。ウィキペディア写真はあるが不鮮明だからだ。歯がゆい

しかし、1930年の「パリゼット」の写真はあった。確実なことは言えないが、ほぼレオタードだ。日本国内で初めてバレエが演じられたのは1911年帝国劇場であり、レオタード的なものに対する抵抗は、わずかながらも減っていた可能性がある。

もちろん、戦時中はこんな派手な衣装ではない。

宝塚松竹カラーの違い

今まで、同じ少女歌劇団としてこの二者を併記したが、それぞれカラーは大きく異なる。長くなるが、「松竹歌劇団」の項から引用する。

宝塚歌劇との比較では、松竹歌劇の方がよりスピード感大人男性の嗜好(色香)を優先した演出を行っていた。これは片や下町浅草、片や山の手日比谷東京宝塚劇場)という、両者が拠点とした土地柄の違いによるものともされるが、前述のように、東京松竹が発足する以前から松竹レビューの基本要素には「エロティシズム」が含まれていた。青地晨は次のように述べている。「昔はズカファンにとっては松竹下品でみられなかったし、SKDファンには宝塚は気取って鼻もちならなかった。だが、二派に分れてシノギを削るほど、本質的な違いはなかったにせよ、宝塚松竹と、それぞれのカラアと伝統があったこはいうまでもない」。戦後占領期には松竹宝塚両方を取り上げる雑誌複数刊行されており、ある程度観客層の重複もあったとみられるが、戦前からファンには、両方を愛好するファンを「節操がない」と批判する向きもあったという。

こうした説を補強する、次のような画像がある。

1932年松竹の「らぶ・ぱれいど」公演の様子。 明確にレオタードを確認できる

また、個人ブログだが、こういう画像がある。

ここでは年代不明だが、ビキニ姿も確認できる。

報道姿勢問題

スポーツ新聞ではラインダンス撮影するとき、たいてい脚を上げているところを映しており、これってどうなのか、と思わなくもない。最近女子スポーツ写真をことさら性的撮影することを阻むため、JOC対策に乗り出すことにしたそうだ。いいことだと思う。女性スポーツを思い切り楽しむとともに、写真を撮る楽しみも守られるよう明確なガイドラインを望む。それと同時に、スポーツ新聞のこういうチアアンスコばっかり撮っちゃう傾向にも一定の歯止めがあってしかるべきだろう。ついでにノーバン始球式という表現ギャグが滑っている気がする。

しかし、自分も同罪かもしれない。ある程度読んでもらうためにはタイトルを工夫せねばならず、レオタードで読者を釣ってしまっている。

関係ないけど意外な事実

上記松竹歌劇団動画が含まれているリストをたどっていると、驚くべきものを見つけた。

https://www.youtube.com/watch?v=BVKkNAf1ruI&list=RDfVewBno93RA/

なんと、1940年代にはすでにチアの見せパンのようなもの存在していた! こうなると、見せパン歴史サーカス衣装などにまでその調査を広げないといけない。もっとも、これは見せパンなのかスカート付きレオタードなのか判然としない。一瞬お腹は見えてるけど……。

関係ないけど意外な事実その2

英語版ウィキペディアのshortの項には、bun huggers(ショーツみたいなブルマー)について次の記載があった。

In 2008 it was noted that the International Volleyball Federation used to require that female volleyball players wear such garments while playing.

2008年、国際バレー連盟女性バレー選手はそうした衣装ショーツブルマー)を協議中に使うように要求されていた。

なんと、ブルマータイプ衣装強制21世紀になっても行われていたのであるにわかには信じがたい。以前にはビーチバレー衣装強制について調べたが、問題はここにもあったのである

さいわい、こうしたことは昨今になって改善され、好きなものを着ていいことになった。動きやすいようにショートパンツが多いが、ブルマー強制されなくて本当に良かった。

僕はブルマーが好きだ。だが、強制は大嫌いだ。ブルマーが好きなら嫌がる女性にはかせて喜ぶなどもってのほかだ。

それとは別に「Short shorts」と呼ばれる短パンがあることも知った。自分が以前の記事1930年 The Women’s League of Health And Beauty=The Woman’s League of Health and Beautyブルマーのものナチス時代ブルマーカウントしていたのはこれだったかもしれない。やはり写真だけではわからないことが多いが、念のため訂正しておく。ブルマー世界的な分布についても、再考を要する。

結論

今後の展望

今回は、フレンチ・カンカンへの興味から派生して、ラインダンスについて調べた。1930年代にまでさかのぼることが分かったが、それがフレンチ・カンカンからの影響を受けているとはっきり示すには至っていない。彼がパリにいたのは名高いMistinguettが活躍した時期のことで年代矛盾はないが、証拠は不十分である

また、追加調査により、ブルマーや見せパンの広がりの年代がかなりずれる可能性が見つかった。今後も調査に役立ちそうなキーワードが見つかり次第、記録していきたい。

2020-11-04

anond:20201104001020

こういう理屈だけで本質見てない性欲バカブルマセーラー服スク水看護師ミニスカついでにスチュワーデス制服あたりに

クソダサな意味づけをしてしまって

まともな女性向け服飾市場から撤退させたのだが

種族的記憶にないのかね

落ち着いてほしい。ブルマーは体操着として発明されたもので普及期にもう不評の声があった。セーラー服は元が軍服だったかセーラー襟のバリエーションカジュアルブランドにもいろいろある。スクール水着は実は競泳水着規格化したもの実質的差異が色くらいしかない。性的意味づけは確かにあったけれど、女性向け服飾市場から撤退させた」という説には根拠がないと思う。もし仮に性的意味けが大人の女性の服でさえ受け付けないほど強力なものだったとしたら、少女制服に使い続けることはできないはずだ。スチュワーデス制服についてはこれはスーツ一種なので服飾市場にないなんて言うのは脳死バカ。そんなことはなく本質を解っているというのならそれを説明してほしいよ。理屈他人思考を共有するためには必要な道具だと思うんです。

2020-10-07

日本からブルマーを撲滅した人です」のまとめを読んで思い出した。

https://togetter.com/li/1604472

日本からブルマーを撲滅した人です」のまとめを読んで思い出した。

妹が小学生の頃バレー部(いわゆるスポーツ少年団)に入っていたんだけれど、成長の早かった妹は心底ブルマーが嫌で、ブルマー履きたくないかバレー部辞めたいとまで言い出した。

それを聞いて母が、練習着とユニフォームハーフパンツに変えないか、と方々に提案したところ

ユニフォームを新調する予算はない

そもそも小学生ブルマー姿がかわいい

バレーユニフォームは、日本代表だってブルマー

と謎理論も含めて却下されたそうな。

それが気に食わない&手先が器用な母は、部員全員分の練習用と、ユニフォーム用のハーフパンツを作り始めた。

一時期は、我が家の一室がブルージャージ生地で埋め尽くされていて、仕事から帰った母が一心不乱にミシンをかけていた。

ジャージ生地は、生地工場に勤めていた父の知人に掛け合って、格安で分けてもらったそう。

ユニフォームに合うように選んだ生地はとても鮮やかなブルーで、部屋の中が海のようだった。

中学生だった私も、生地裁断やしつけ糸取りなんかを手伝った。

我が母親ながら行動力と愛に溢れた人だなぁ、って誇らしかったのも思い出した。

ハーフパンツが配られた子どもたちは、かっこいい!スライディングしても痛くない!と喜んだそう。

ユニフォーム用のハーフパンツも好評で、周囲のチームもハーフパンツショートパンツに変更したところが多かったそうだ。

から聞いた話だけれど、母の行動を批判した人も多かったらしく、それでもしれっと過ごしていた母はやっぱり強いなぁと今更ながら思う。

単なる田舎のおばちゃんだった母も、娘のためにものすごく戦ってくれたんだなぁ。

2020-09-28

バズる増田の書き方と、ブルマー増田のまとめ

導入

記事では、自分が今までまとめてきた服飾史についての記事リンクをまとめる。また、それぞれの記事ブックマーク数を、各々の記事の内容や傾向、投稿時刻などと比較し、どのような記事増田ではよりバズりやすいかについて考察する。

方法

導入で述べたように、ブルマーに関する記事についての傾向を調べる。また、項目の一つとして、どの程度IMRAD形式に従っていたかについても調査する。

IMRADとは論文を書くとき基本的文章構成方法だ。Introduction, Methods, Results And Discussionの略称で、おおよそ次なような構成に従っている。

もちろん、これはまったくの趣味で書いた文章であるので、ところどころ自分語りが挿入されるなど、厳密にIMRADの形式には従っていないし、結果と考察も一つにまとめられている。そこで、どの程度厳密にIMRAD形式の通りに文章を書いたか三ツ星ランク付けする。例えば、導入部が省略されているときには、星を一つ減らす。自分語りが長いと感じた場合も、星を一つ減らす。

また、ブルマーとは関係なく書いた随筆についても後ほどその結果を掲載する。

ブルマー記事のまとめ

タイトル執筆時点のブクマ投稿投稿曜日投稿時刻IMRAD度
日本人のブルマーとイギリス人のブルマー3822020/06/2807:56★★
ドイツ人のブルマーとソ連人のブルマー、となりのトトロのパンツ(1)372020/07/2707:44★★★
イタリアと南米と中国のブルマー(修正版)、その122020/08/2507:45★★★
チアリーダーのブルマー、テニスのアンダースコート512020/09/0108:02★★
フィギュアスケートの見せパン、新体操のレオタード、陸上のブルマー4882020/09/0707:52
競泳水着と全裸水泳、海女さんのふんどし272020/09/0807:55
ビーチバレーのユニフォーム、極小ビキニ強制の歴史2722020/09/1407:38★★
バレエのチュチュ、スカートの中のフリルとパンツ402020/09/1707:50★★

ブルマーについてのまとめの結果・考察

今後の発展、展望

気が済んだので、またブルマーについて書くとはあまり思わないが、書くとしたらほどほどに私事ユーモアを入れてくつろげる文章にしたい。ブルマーについてだけではなく、日常で感じる素朴な疑問についても調査し、読んだら疑問が解消されてすっきりするものを目指したい。

また、具体的にどんな文章バズるかは、どんな文章が読みやすいことと表裏一体だと考えられるので、こうした知見も仕事ブログ記事に役に立てていきたい。また、自分語りをするときであっても、読者にどう配慮すれば読みやすくなるかも、考え続けたく思う。

  • おまけ

友人にブルマーについての記事増田にてバズった話をしたら、「あれお前だったのかよwww」とバカ受けされた。楽しい

続き:anond:20200928080535

2020-09-25

オタク精神的にゾンビ

オタクリアルタイムで考えてはいない。

どこかで見聞きしたシーンを考えなしにコピペ適用するだけ。

オタク精神的にゾンビーと同じである

生前の思い出に突き動かされているだけの生ける屍

オタクとは過去に囚われた亡者である

オタクの描く学園モノは生前より価値観アップデートされない。

高齢オタクの描く女学生はいまだにブルマーを履いている。

2020-09-17

バレエチュチュスカートの中のフリルパンツ

今回もブルマーとは関係ないが

イギリス人ブルマー調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。

これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望暴走コントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性から自由になる手段であり、政治広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。

前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。

実際、チュチュスカートの中ってどうなってるの?

まずは以下の画像をご覧いただきたい。

https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu

これは、クラシック・バレエチュチュ基本的構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである

しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代チュチュとして、次の4つが挙げられている。

他にも、日本語版記事には、

短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキチュチュより長い。ドガ作品で多く見られる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Degas#/media/File:Edgar_Degas_-_The_Ballet_Class_-_Google_Art_Project.jpg

これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログ写真では普通スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。

https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/

http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg

チュチュの縫い方で調べたらもっと出るかもしれない。

結局、その下はどうなってるの? バレエパンツ問題

世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201

さて、ウィキペディアチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナ下着としてステージショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。

また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュである」との記載がある。

要するに、レオタードみたいになっている場合普通下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツはいているわけである。当たり前ではあるが。

ロマンティック・チュチュ1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパン起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。

また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリル横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリル趣味時代的変遷だろうか?

で、何でこんなにスカートは短くなったの?

Wikipedia英語版のballetの記事バレエ歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。

まず、バレエ起源ルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。

17世紀の頃は、女性衣装は重たい生地と膝丈のスカート構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャー制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面からインチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀絵画だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg

19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体ラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg

そして20世紀バレリーナスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年写真を貼る。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg

それから現代バレエではこうなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg

画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。

さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである

ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装存在しているらしい。確かにbunkamura食事に行ったときバレエ衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッション衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。

搾取問題ちょっと真面目に考えてみる

ブックマークコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケート話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。

僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガ作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。

エドガー・ドガバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサー現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサー薄給生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサー娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスバレエから男性ダンサーはいなくなり、フランスバレエ低俗化することになる。

もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在表現しようとしたドガ作品価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサー意志だったのか、と。そして、女性身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか

もちろん、過去のことだからからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的判断たか判断は難しい。とはいえ過去人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。

しかしながら、現代に生きる僕らは、自分主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代文化支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分フェチ起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。

スポーツでも……?

身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係パワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。

スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易善悪を論じることが困難だ。バレエ例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情欲望混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。

今までこうした社会的な側面から女性ファッション歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装のもの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である

何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術スポーツに励む女性性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。

結論、まとめ、考察

今後の発展、展望

今回の調査では、見せパン起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。

そこからメイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマー回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。

とはいえ、しばらくは休みたい。自分欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化妖怪名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的ものとして把握できるようになった。

まり増田欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的意見、ねちっこく不快だという否定的意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝言葉を述べたい。

おまけ

ドガの絵を見ていたら、レオタードらしいものを見つけた。

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg

2020-09-14

anond:20200914111055

そうだよ。

ブルマーは、始めはいやらしくない体操着として考案されたとか言われるけど、あんなのは全くのデマ

ブルマー氏のブルマーこそ、動きやすさ重視の実用的なブルマーだったが、

ショーツブルマーは、最初からKKOによって女児に履かせたら、絶対ヌけると確信して作られた。

anond:20200914110230

フェミの主張は一貫していて、

KKOにいやらしい目で見られたくない

だけだと思うよ。

KKOが巨乳にグヘへって、やらしい目で見るようになったら、巨乳ポスター絶対ダメ

だし、

KKOがブルマーフェチになれば、ブルマー絶対ダメ

ってなるだけ。

ミニスカート女性解放象徴だったのに」というアンチフェミ無意味さについて

いや俺自身アンチフェミではあるのだが、あんな主張をしたって無意味だということを、この際アンチフェミ勝手代表してはっきりさせておきたい

なぜなら昔のフェミも今のフェミも、やっていることは結局一緒で、同じ原理で動いているに過ぎないからだ

どちらも既存の男の好みや社会要請トレースし、それに対して丁寧に逆張りしているだけである

「昔のフェミミニスカートを持ち上げたから良いフェミ」というわけでは決してない

これだけは本当にはっきりさせなければならない

お前が貧乳好きならやはりそれにもケチをつけ、それに逆張りしてボディコンを持ち上げるのがフェミニストというものである

ここだけ割と真面目に言えば「男が女に服を着せる社会では脱ぐことが女性解放になり、逆に男が女を脱がせる社会では脱いだ女を燃やすことが女性解放に繋がる」というわけだが

しか本音にしてみればぶっちゃけ「嫌いな男の嫌がることをしたい」もう本当にこれだけである

なので自分らが持ち上げたものに男の支持が集まれば即燃やしたくなるし、実際ブルマーはその道を辿り消滅した

から着たり脱いだり巨乳を燃やしたりといったフェミ言動に対して、いちいち意味一貫性なんか求めたって仕方がない

あんなのは最初から単なる逆張りアンチしかないのだから

ビーチバレーユニフォーム、極小ビキニ強制歴史

ブルマーの話じゃないけれど

筆者はもともとブルマーのほうが好きで、ビキニ露出しすぎがと思うけれども、お尻に関係しているから書く。

ところで前回の競泳水着記事はあまり伸びなかった。ふんどしまで扱ったのがマニアック過ぎたのか?

それはさておき、ビーチバレーの簡潔な歴史

1895年ウィリアム・G・モーガンが始めたバレーボール派生競技である、とされているが、他にも説がある。1920年代カリフォルニア起源説1915年ハワイ説がある。

プレイする人数も変遷があったようだ。草創期には6人制でであったが、1930年には現在と同じ、ダブルス競技した記録が残っている。もちろん、当時の女性水着は、まだおとなしいものだ。

その後、この競技にはセクシーイメージがまとわりついてしまう。たとえば、1927年にはフランスヌーディストビーチにおけるレクリエーションとして親しまれた。ヌーディズムは元来、性の解放というよりは身体解放に近いのだが、部外者からするとそういうイメージを持ってしまう。また、1950年代米国では美人コンテストテレビ番組タイアップしたショーの一部として、ビーチバレーマスメディアの注目を集めたそうだが、このあたり、少々露骨である

その後の紆余曲折を経て、ビーチバレーオリンピック正式競技になったのは、1996年アトランタ以来である。意外と遅い。

ビキニ強制だった!

さて、英語版ウィキペディアによれば、国際バレーボール連盟1999年ユニフォーム標準化したとき女性衣装は2ピースビキニであることが求められた。一方の男性水着は膝までのショーツで、これは一部の選手の間で強い憤りを生んだ、と書かれている。もう一度書こう。女性選手は、ビキニを着ることを強制されたのである

しかも、次の記事によれば、2012年以前は7cm以内のビキニを着ろ、とされていたそうであるいくらなんでも小さすぎる。ブクマにより修正2012時点では幅7cm以内のビキニか、ワンピース型の水着。ただし、ワンピース型でもハイレグ露出度は高い。僕はセクシーものは大好きだが、こういうのを強制するのはおかしい。

https://www.stuff.co.nz/sport/olympics/82926043/evolution-of-womens-beach-volleyball-uniforms

https://ftw.usatoday.com/2016/08/women-beach-volleyball-bikinis-men-uniform-guidelines-kerri-walsh-jennings

上の記事にあるように、幸いなことに、この規定2012年改訂された。これには、文化的宗教的理由から、肌の露出を好まない選手も参加できるようにするため、という理由もあったし、天候に合わせるため、というのもある。図版で示されているのは、再度の改定である2016年のものであるが、女性男性も、肌を見せたくなければそうしない自由を得た。当たり前のことのはずだが、普及が遅れた理由はよくわからない。どこかでビーチバレーセクシーイメージがついてしまったのか、日本ショーツブルマーのように、とりあえず前の世代から受けついだしこれでいいか、みたいな幾分怠惰姿勢があったのか、そこはわからない。

エッチカメラマン

https://www.insider.com/why-do-women-beach-volleyball-players-wear-bikinis-olympics-2016-8

この記事の冒頭では「女子ビーチバレーはとても注目されているが、不幸なことにそれは選手が何を着ているかであり、彼女たちの腕前についてではない」と記載されている。その通りである。こんな記事を書いている僕がいるくらいだ。

しかし、責められるべきは僕だけではなく、カメラもそうであるウィキペディア英語版によれば「2004年夏季オリンピックにおいて、カメラアングルに関しての調査がなされた。20%は胸部に、17%は臀部に争点を合わせていた。研究は、これは選手の見た目が実際の身体能力よりも注目されていることを暗に示している、と結論付けている」そうだ。

かに性的な面も含めて、運動している人間は美しいと思う。けれども、そういう姿を期待されるのはおかしいし、ましてや強制されているのは筋違いだ。何を着ようが基本的選手勝手だし、それをきれいだと思うのはこちらの自由だ。

美を競う競技に関してはまた別の論点が出てくるし、美と性愛に関しても一言でまとめるのは難しい。ただ、外野の過度な期待に対して、選手がノーと言える環境、そしてそれが炎上したとき選手を守り、サポートする人物や団体が必要ではなかろうか。

選手の声として

https://www.huffpost.com/entry/kerri-walsh-jennings-shuts-down-beach-volleyball-bikini-critics_n_5727bf4ae4b016f378933897

Kerri Walsh Jennings選手の声を、一部試訳する(インタビュー当時37歳)。

ビーチバレーでは、華氏100度(摂氏37.8度)で運動しないといけません。私たちは本気でやっていて、セクシーさをアピールしているのではないのだと、公衆に知ってもらわないといけません」

「御覧の通り、私は女性です。私は鏡を見るときに、自分を厳しく評価してしまます。けれども、私はスポーツをするとき身体を動かしているときだけは、私たち精神に対して肯定的になれるのです」

(訳がこなれていなくて失礼)

結論

今後の展開

スポーツのみならず、舞踏広告などの表現における見せパンブルマーについて、引き続き調査したい。

追記テニスのアンダースコート定義

https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-26667220070629

赤いショートパンツアンスコ?)をはきたかった選手お話

2020-09-08

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

[]2020年9月7日月曜日増田

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2020-09-07

anond:20200907075225

ブルマーショーツ化」って形容矛盾かな?

shortsは半ズボン、膝丈もしくは膝上のpants(ズボン)だから

フィギュアスケートの見せパン新体操レオタード陸上ブルマー

フィギュアスケートは見せパンじゃないけれどさ

初めてスケートリンクに遊びに行ったとき普通にスケート教室リンク中央で開催していた。そこで自分と同世代女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。

性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精とき呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。

ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術のものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。

で、そのスケート競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパン発見された。以下はその資料である

https://qz.com/quartzy/1191926/spandex-sparkle-and-pure-athleticism-a-photo-history-of-figure-skating-fashion/

1928年ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。

https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059

1948年、Barbara Ann Scottのクラシックスケートスカートミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートスカートが極端に短くなったのだという。

また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったか写真掲載されている。

https://www.insider.com/olympic-figure-skating-dress-evolution-2018-2#later-a-fabric-shortage-in-the-1940s-forced-many-competitors-to-opt-for-figure-skating-dresses-with-higher-hems-5

こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。

同じくBarbara Ann Scott、1948年オリンピックである

https://www.cosmopolitan.com/style-beauty/fashion/g15064708/how-olympic-figure-skating-costumes-have-changed-through-the-years/

同じく1948年アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代ワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないものパンツ)を見ている気がする。

ちなみに、プロ選手練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえジーンズワイシャツかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。

体操新体操レオタード

スポーツジムで、体操選手レオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチ気持ちになるのが申し訳いくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣のものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。

言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。

とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。

http://www.olympicleotards.com/leotard-history/

上記資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレスのものである。初期の女性水着ドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。

1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。

今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年ナディア・コマネチビートたけしギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。

おそらく女子バレーブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツブルマー導入の遠因になっている気がする。

https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/

それ以降、基本的レオタードハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国デザインキラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。

女子陸上女子マラソンブルマー

なんとなくブルマーの本場というか総本山イメージ女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。

で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。

https://slate.com/culture/2012/08/olympic-uniforms-from-loose-and-heavy-to-tight-and-dimpled-a-visual-history-of-olympic-sprinting-attire.html

https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896

こういう写真資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。

ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/

また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。

ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤からショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語から陸上ブルマー歴史について再検討したい。

まとめ、結論

しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピック選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記記事はいちおう公的メディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。

今後の展望

競泳水着や、ビーチバレー衣装の変遷について調べる予定。

過去ブルマーに関する記事との比較については、後程。

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