「花冠」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 花冠とは

2022-10-24

君の跡 残る海辺に 影一つ

幼稚園年長の頃、母親公園で遊んでた時に同じく母親と二人で来てためちゃくちゃ可愛い女の子がいて仲良くなった。向こうは別の幼稚園の年中。一緒に遊ぼうって声かけるだけで仲良くなれるなんて子供って幸せだね。うちの母親と向こうの母親も仲良くなって、幼稚園小学校も別だったけどそれ以来一緒に遊ぶようになった。

小学校卒業タイミングでうちの両親が離婚して、東海から母の実家がある関東の海沿いの田舎引っ越したためその後しばらく会うことは無くなった。中学2年の時にその子家族ディズニーに来るためこっちに来て、余分に時間をとってうちの町にも遊びに来てくれた。母親と向こうの両親が話してる間に母に言われて海沿い散歩してたんだけど、正直嫌だったんだよね。その子は相変わらず可愛かったけど、その日は中学友達と遊ぶ予定だったし誰かに見られて冷やかされたら嫌だなぁって。その子一生懸命いろんな話したり質問してくれたけど、俺は面倒臭さと恥ずかしさで適当に返していた。帰る時、その子は手をいっぱい振ってくれたけど俺は早く友達の家に行って新作の遊戯王デッキを試したくて心ここにあらずだった。

最近新卒で入った会社退職した。転職先に入社するまでちょっと間が空くので妻を連れて帰省したんだけど、夕方に一人で海沿いを歩いてたらその子が寄りかかってた白いモニュメントを見て、中学生の時のことを思い出し何故か悲しい気分になった。さら小学生の時にシロツメクサ花冠を作って頭に載せてあげたらすごく喜んでいたことも思い出して余計悲しくなった。

今あの子は元気にしてるだろうか。

2022-08-20

小学生時代の思い出

両親が事故で亡くなった8歳の頃から5年間くらいを神戸で過ごしてた。灘区祖父生前所有していた家があって、そこに一時的後見人と家政婦さんと暮らしていた。後見人は父の生前弁護士税理士さん。当時はやけにおじさんに見えたけど、あの頃で30代後半。家政婦さんは夫を早くに亡くした後はその家の住み込み管理人さんをやってた60代の人。当時はやけにおばあちゃんに見えた。

後見人さんは勉強を教えてくれたし、家政婦さんは美味しいご飯作ってくれたし、近所の画家のおじさんは同い年の娘さんを連れて遊びに来てくれたし、当時音大生だったピアノ教室先生の娘さんもよく遊びに来てピアノを教えてくれた。たまに来る庭師のおじいさんは冷たくて怖かったけど仕事をじっと見てる私に無言で花冠を作ってくれた。近所の洋食屋ビーフシチュー洋菓子屋のアップルパイも大好きだった。あの頃は両親と妹を一度に亡くしてショックを受けてたけど、周りの人達のおかげで楽しい思い出が多かった。楽しかったな。

引取先の叔母夫婦帰国して、東京に来てから地獄だった。幼稚園から大学である私立女子校なのにいじめられるし、従兄から性的虐待受けて何度も強姦されるし、叔母夫婦は冷たいし、家事は全て私。学校いじめはすぐになくなったし、私の扱いが1番ひどかった従兄が海外大学留学してからはかなりマシになったけど。大学生になってから一人暮らししようとしたら、後見人さんが運用して増やしてくれていた分も含めて遺産殆ど夫婦に使い込まれてた。あと7ヶ月ちょっとでようやく大学卒業。早く社会人になって家を出たい。

2021-07-02

ユーロコスプレ勢が好きだ

その国の特色があるやつがいい。

イタリアサポーターローマ戦士

フランスサポーターのアステリクスとオベリクス。(めちゃ多い)

ベルギーの、ベルギーポテトフライおじさん。

デンマークバイキング

スウェーデン花冠に白いドレスはミッドサマー思い出したけどあれは夏至祭の扮装なのかね??

2021-01-16

anond:20210116200248

それはそうと、カローラって花冠って意味の可愛らしい名前なんだよ。

でも今のあいつはなんだよ。凶悪な目つきしちゃってさ。その顔で?って思うよな。

2020-09-17

バレエチュチュスカートの中のフリルパンツ

今回もブルマーとは関係ないが

イギリス人ブルマー調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。

これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望暴走コントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性から自由になる手段であり、政治広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。

前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。

実際、チュチュスカートの中ってどうなってるの?

まずは以下の画像をご覧いただきたい。

https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu

これは、クラシック・バレエチュチュ基本的構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである

しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代チュチュとして、次の4つが挙げられている。

他にも、日本語版記事には、

短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキチュチュより長い。ドガ作品で多く見られる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Degas#/media/File:Edgar_Degas_-_The_Ballet_Class_-_Google_Art_Project.jpg

これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログ写真では普通スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。

https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/

http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg

チュチュの縫い方で調べたらもっと出るかもしれない。

結局、その下はどうなってるの? バレエパンツ問題

世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201

さて、ウィキペディアチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナ下着としてステージショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。

また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュである」との記載がある。

要するに、レオタードみたいになっている場合普通下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツはいているわけである。当たり前ではあるが。

ロマンティック・チュチュ1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパン起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。

また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリル横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリル趣味時代的変遷だろうか?

で、何でこんなにスカートは短くなったの?

Wikipedia英語版のballetの記事バレエ歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。

まず、バレエ起源ルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。

17世紀の頃は、女性衣装は重たい生地と膝丈のスカート構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャー制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面からインチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀絵画だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg

19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体ラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg

そして20世紀バレリーナスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年写真を貼る。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg

それから現代バレエではこうなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg

画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。

さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである

ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装存在しているらしい。確かにbunkamura食事に行ったときバレエ衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッション衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。

搾取問題ちょっと真面目に考えてみる

ブックマークコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケート話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。

僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガ作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。

エドガー・ドガバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサー現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサー薄給生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサー娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスバレエから男性ダンサーはいなくなり、フランスバレエ低俗化することになる。

もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在表現しようとしたドガ作品価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサー意志だったのか、と。そして、女性身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか

もちろん、過去のことだからからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的判断たか判断は難しい。とはいえ過去人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。

しかしながら、現代に生きる僕らは、自分主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代文化支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分フェチ起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。

スポーツでも……?

身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係パワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。

スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易善悪を論じることが困難だ。バレエ例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情欲望混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。

今までこうした社会的な側面から女性ファッション歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装のもの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である

何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術スポーツに励む女性性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。

結論、まとめ、考察

今後の発展、展望

今回の調査では、見せパン起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。

そこからメイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマー回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。

とはいえ、しばらくは休みたい。自分欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化妖怪名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的ものとして把握できるようになった。

まり増田欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的意見、ねちっこく不快だという否定的意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝言葉を述べたい。

おまけ

ドガの絵を見ていたら、レオタードらしいものを見つけた。

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg

2019-03-01

anond:20190301231639

占いを丘の上で。

占いをする前に花冠を編んでくださいネ。

2018-07-06

アイドリッシュセブンライブ行くけどオタクがきもすぎて憂鬱な前日

ナライ両日行きます

ファンの8割が馬鹿と厄介、おまけに引くほど粘着質で中身のないアンチにもみくちゃにされること3年弱、二次元アイドル戦国時代の「人気作」の枠におさまるまでのし上がったアイドリッシュセブン

めちゃくちゃ大好きなので両日行きます。イキったこと言うと事前登録組だから古参です。同行者も古参です。ずっと好きです。

でもとにかくファン気持ち悪すぎて気持ち悪すぎて辟易としてるんだよな。

同じ穴の狢やないか~~~~~~~~~~いという話なんですけど違うねん~~~~もう本当に気持ちいから「ナナライ 参戦服」「ナナライ 持ち物」「ナナライ ネイル」「ナナライ うちわ」等でTwitter検索してみてくれ もう本当にきもくないですか??????

別に服がダサいとかうちわきもいとかそういうことを言いたいんじゃないんだよまあダサいきもいんですけど、そこはいいんです個人自由なので

なんかも~~~~~~この不慣れ感?浮かれ感?がもうとにかく無理無理の無理………

「野外ライブで用意すべき持ち物!」とか「参戦時の心構え!」とか「ペンライトカラー一覧!」とかもうウルトラ無理 それが何千RTとかされてんのも忠実な馬鹿カウンターって感じ 

まれて初めてのライブ参戦な人が多いんですかね?持ち物とかって自分判断できないものですっけ?そもそもチケット1万円するんだからそれなりの経済力がある年齢じゃないんか?ていうか原作スマホゲームなんだからウェブ検索機能つき端末持ってるやろ 調べて 運営に聞くな 7月に半野外でライブやります!って言ったら何を対策しなきゃいけないかくらいわかるやろ 地球に生まれて何年目だ 遠足体育祭海水浴も夏のディズニーランドフェスもどれひとつとして経験せずに生きてきたのか?………そっか………ごめんね……

ドヤ顔で「持ち物リスト!」とか書いていっぱい拡散されて喜んでる人たち、あれもこれも書きすぎてそんな大荷物持ってたら列で周りの人の邪魔だわ自分も重くて体力取られるわ座席の下置けないわで馬鹿を見るからね。財布、携帯チケットタオル合羽、水、塩気のある軽食、必需品ってこの程度じゃない?小学校遠足のナップサックの中身思い出して~~~迷惑の種を拡散しないで~~~~~

他に追加で自分が何を持っていきたいかなんてそんなことは人に聞くことではない…自己判断してくれ……充電器もペンライト電池も好きにしてくれなくても死なない…

服もさあ~~~~「参戦服」…参戦服ね…「7月上旬に屋外で丸一日過ごす」ことを想定した上で好きなもの着れば良いじゃん 別にあなたが法被着ようがツナギ着ようがドレス着ようが浴衣着ようが興味ないで~~す ヒールも厚底も公演中に脱ぐなら履けばいいし帽子も同様

公式がいろいろ規定や注意を出してるんだからちょっと自分で読んで考えてルール内で好きにしてくださいよ 花冠著作権侵害自作衣装上下左右にデカとんちコスチュームがアウトなことくらい分かるよね 自分の近くにいたら嫌でしょ 私は邪魔なので嫌です本人にもスタッフにも言います

ちなみに著作権侵害無断使用イラストロゴ歌詞等をプリントした自作お召し物を着ていくとどんな分かりやすリスクが生じるかを丁寧にお伝えすると、公演のDVD化が消えます。【円盤はよ】【円盤化切実希望!】ってどうせ騒ぐんでしょうけど異常に遅れたり中止になったりしたり場合十中八九利権が絡んでるんですね~~~~~~~客席で自作衣装着せたダッフィー抱いても同じことが起きるのわかりますね~~~~~~~~映ったらアウトですよ~~~~~~~~~

書きながら自分の中での整理がつきました、この数週間感じてたナナラ参加者ツイート気持ち悪さの要因は主に2つ

1.人生初のライブに浮かれすぎててうざい ライブに行くのは世の中的に大して騒ぐことでもない

2.分からない事象に対して思考停止する無知馬鹿が多すぎる 自分で考えてくれ

ようは私の心が狭すぎるというだけですね。

いや~~それにしてもこんな幼稚で無知な脳足りんばっかりだから自分問題本質を調べたり考えたりしようともせずに脊髄反射アンチに噛み付くんですよね 名前の後に「☆ナナライ両日☆」とかつけちゃうんですよね 検索邪魔です

やだな~~~馬鹿ばっかの現場

ここまで書いておいて嘘だろ?という感じだけどナナライすっごい楽しみにしてます サイコパスか?

頭のてっぺんから爪先まで完璧にして行きますよ、推してきたアイドルたちの初ライブですもん。騒ぐようなことじゃないですけど。現場に行くような界隈で生きたことのあるオタク、同じイライラ感じてないかな~~~~推し自担に会いに行くときの心構えとか服装とか人に言われるのも言われたこと守るのもクソ食らえじゃないですか?人に流されて推し事してる奴が3万人以上いるところに行くの超きつくないすか?

こんなに心狭いの私だけか~~~~~~~そっか………私は森で暮らすからそなたらはタタラバで楽しくやってて………その代わり当日キッズ丸出しの馬鹿騒動炎上が起きて森にまで火が移ったら覚えとけよ 

2018-02-03

うっちーの恋路を応援し隊的喪129の2Pと3P感想「なぜ田村ゆりは耳を外したのか、うっちーが耳を変える日は来るのか」

かなりぐちゃぐちゃになってしまった。

もっと短文でズバッと言える人言語感覚文章を読み解く力がすごい人の意見も聞きたいです。

うっちー「…いいの?」

ゆり「……私は仲良くないから」

喪129 2P 4コマ

http://www.ganganonline.com/viewer/player/viewer.html?tw=2&cid=SQEX_WATASHIGXXXC1290_72



うっちーを含む雌猫の間グループ全員がお揃いの花冠つけて旅行を楽しんでいる絵

9巻収録の喪79の扉絵電子書籍版のページ数でいうと17P)



いやもう、これで言いたい事は伝わる気がするんだけど、自分のなかでうまく言語化できていないので、ちょっと言葉を尽くしてみようと思う。

まず、うっちー修学旅行編では雌猫の間グループの面々とお揃いの花冠を付けていて、

今回の遠足編でもこっちとお揃いの耳をつけている。

これは、うっちーがいつもの六人から、もこっちを優先していることを示している。

いや、示しているも何も、事実スマホがないと嘘をついてまでもこっちと一緒にいたがってるんだから、そんなことは耳による隠喩がなかったとしても、明確だ。

ただ、遠足編喪128までの、もこっちたち六人組はそもそも別にお揃いの耳をつけているわけではない。

あくまで、もこっちとうっちーけがお揃いなのだ。(吉田さんの耳が同じように見えるコマもあるけど、ところどころで吉田さんの耳だけ三つの白い模様が入っているので別物だと解釈した)

もちろん、これはうっちーともこっちだけが、雌猫の間グループと同等の親しさ(厳密に言えばうっちーがもこっちとそれぐらいの親しさを持ちたいと一方的に思っていること)を示しているわけではない。

もこっちたちのグループ構成員たちは、それなりに互いのことを思っている(もちろんそれぞれの好感度は、一方的な「好きな人いる」もいれば、そんな仲良くなったと他人から称される間柄もあれば、あいつらといるのが楽しかたから忘れてたが…とごちる関係もあるから、一様ではない)が、そのうえで互いが別々の耳をつけている。

という、まずうっちーの耳の移り変わりと、雌猫の間グループの耳、それともこっちたちの耳について押さえたうえで、今回の本題である田村さんの耳だ。

そもそも田村さんは耳に対して否定的だった。

(ここら辺過去ログを保存してないから、ページ数などをちゃんとかけないのもどかしいな)

喪125でネモ提案に対して

私いい

と断っている。

もちろん、これは提案者が親しくないネモだったこともあるだろうが、

そもそもまこが提案しようと、もこっちが提案しようと、吉田さんが提案しようと断りそうなキャラクタではある。

そして、その次の喪126でも、田村さんは頑なにネモとノリを合わせようとはしない。

この話題を簡潔にまとめているのが、ネモ独白だ。

普通女の子グループって空気読んでみんなに合わせるものから

説明の都合上、作品時間軸が反転してしまったが、もう明白だろう。

過去修学旅行における「うっちーを含む雌猫の間グループ八人」や

遠足回における「うっちーとナツを除く四人」は、みんなに合わせてお揃いのものをつけている「普通なのだ

ということを踏まえると、遠足回でネモはもう一つ深い独白を残している。

何この面白そうなグループ!?

やっぱり黒木さんは

普通じゃないな……

また時間軸を反転させてしまったが、喪125でもネモはもこっちたちを普通じゃないと思っているんですね。

と、少し話が脱線しました。

このネモ普通に関しても、今回の喪129では深堀されているのですが、

この増田においては田村さんとうっちーに焦点を絞りたいので、ここらへんで。

さて、そんな田村さんですが、あっさり耳をつけることになります

それは吉田さんの

おーいいじゃねーか

それにしろ

という言葉によるものでした。

結局田村さんにとって、耳をつける行為には思い入れはなく、思い入れがある吉田さんに勧められたからつけているだけなんですね。

ようやく本題です。

喪129の3Pで、田村さんは

田村さんもくる?」

と誘われた時、三つ編みの子の耳に目がいきます

その後、耳を外したうえで、

私は待たせている人がいるか

と言って断ります


これは何を意味しているのか?

そう「待たせている人(=もこっちと吉田さん)がいない今この状態に、耳をつける意義がない」ことなんです。

田村さんが耳をつけているのは、吉田さんに勧められたから以上の深い意味はなくて、言って見れば彼女を楽しませるためのサービスなんです。

もちろんそこには、まこっちや、もこっちも含まれているでしょう。

からこそ、雌猫の間グループの子と会話をする際に、まこっちがいなくなったその時、その耳はもう用をなしていないのです。



という、解釈で終わってしまっては「田村さん視点」の気持ち解釈にすぎません。

そこから谷川ニコという作者の気持ちに想いを馳せてみます

雌猫の間グループ(=普通)と同じ耳をつけず、もこっちと同じ耳をつける、うっちー

雌猫の間グループ(=普通)と同じでないのは当然として、そもそも耳をつけることを嫌がる、田村さん

この対比を見ると、どうもワタモテにおける「耳」や「花冠」などの頭の装飾物は、

他人とどのように関わりたいのか? という他者への欲求象徴のように思えます

「全員一緒でいたい」雌猫の間グループ普通グループ

「全員違うけどそれでいい」もこっちグループは変わり者のグループで、

「耳をつけていない」キバコ、茜、加藤さんのグループは、グループとして成り立っていないから、こうして解散してしまった。

そう思うと、全員が違う中でもこっちと同じでいたいうっちー

吉田さんたちがいればつけるがそうでないならつけない田村さん。

この2人は同じようで、反対な面もあります

まず同じ面としては、うっちーにとっても、田村さんにとっても、

普通はいらないものです。

それは、うっちーが雌猫の間グループと行動せずもこっちといたがることや、

田村さんが雌猫の間グループの前で耳を外す(=要求がない)ことからも明白です。

そんな2人の気持ちのやじるの先にいる、蠱惑さをもった我らがヒロインが、普通じゃない代表もこっちなんですね。

次に、反対な面として「普通」は否定しながらも、うっちーは結局「もこっちとお揃いにする」という普通をしてします。

これは、うっちー花冠時代他者と仲良くするには同じものを身につけるということを学んでいるから。

けど、もこっちグループ普通じゃないので、ここが違う耳をつけた状態でも楽しいし、仲がいい。

から、まだそこに踏み込めていない、うっちーは「もこっちから見るとまだ、その他大勢普通の人にすぎない」のだと思います

なので、先の展開を予想するなら、もこっちがうっちー個性を認めた時、お揃いの耳ではなく、うっちー独自の何かを得るのでしょう。

田村さんは、他者と仲良くする方法そもそも不器用から、耳も親しい吉田さんに勧められなければ付けないし、1人でいるときは外したい。

同じ、普通否定するもの同士だけど、やっぱり正反対なんですよね。

かなり長くなったけど、こういう個々人の気持ちを踏まえたうえで、冒頭に引用した2人の会話を読み返すと。

いいなあ。

田村さんは、うっちー言葉を「(まこっちと一緒にキバ子のところへ行かなくて)いいの?」と解釈して

「……私は(キバ子と)仲良くないから」と返しているけど、

うっちーとしては「(まこっちを行かせて)いいの?」と言っているようにも思えるんだよね。

だってうっちーはどこかのグループを抜けて別のグループへ行くことを今まさに自分実践しているんだから

言ってしまえば、雌猫の間グループと、もこっちを天秤にかけて、もこっちをとった自分を、

相手がああいう状況だったとはいえ、キバ子の方をとったまこっちにオーバーラップさせていてもおかしくないわけでさ。


うーん。

なんかすごくとっちらかった文章になってしまったな。

うっちーの恋路を応援し隊としての物語ハッピーエンドは「もこっちがうっちーの恋心に自覚的になる」あたりだと思うんですよね。

(そりゃ、恋が成就する、まで行けば言うことないけど、さすがに漫画としてこれやっちゃうと軸がブレすぎるから、まず一旦の目標はここだと思う)

それのためには、ネモやまこっちや田村さんたち、もこっちと仲がいい他の子たちにも知ってもらったうえで、応援してもらうとかが、漫画としては広く展開できると思うんですよね。

そういう意味でも、うっちーともこっちの関係だけじゃなく、うっちー田村さんたちの関係も要チェックですね。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん