はてなキーワード: スティグマとは
「糖尿病」という病名から来るネガティブイメージすなわち「怠惰なデブ」というスティグマ故に多くの人達が診断を怖れて発覚が遅れるせいというのが大きいだろうに
政府や医療関係者は個人への生活習慣改善や通院を促すばかりで絶対にそれは改めようとしないのが凄い
糖尿病の「怠惰なデブ」イメージとは真逆で、白血病や結核は寧ろ「美人がかかる病気」「美人薄命」という美しいイメージがあるよな
夏目雅子は白血病でなく糖尿病で死んだら悲劇のヒロインとして記憶される事はなかったろうし、沖田総司も肺結核だったから悲劇の美少年のイメージがついたんだろう
如何に致死率が高くとも、白血病や結核にはネガティブイメージは皆無でそれどころか「美人薄命」の美しいイメージがつくので
最近やたらと「うつは心の病気ではなくて脳の病気」という言い回しを聞く。
まず第一に、現状では身体の臓器の病気こそ、「甘えや怠け」という自己責任論は適用されているからだ。
「うつは心の風邪」という喩えに対して甘えや怠けだと言ってくる人達は多分、身体の風邪に対しても同じように言ってるでしょ。自己管理不足だとか何とか。変えるべきは身体の風邪に対する扱いの方であって、うつを風邪にたとえる事の方ではないと思う。
現に胃や腸や心臓の病気に対し、世間は食生活の乱れや運動不足やアルコールといった原因を見出だし、生活習慣病として自己責任論で個人を責めているじゃないか。
婦人科疾患はもっと酷くて、適切に婦人科を訪れてピルを飲みさえすれば全ての不調は解決するのでそうしないのは自己責任と言わんばかりの風雪が流布されている。
「心の病気」とされているうつは、現状まだマシなんだよ。長時間労働やら職場の人間関係やら将来への不安といった外部的事情も、一応は考慮してもらえているから。
これがもし、完全にただ「脳という臓器の病気」としてだけ扱われるようになったなら、おそらく外部的な事情は完全に無視されるようになると思う。
今の生活習慣病のように食事や睡眠、運動といった物理的事情のみが原因とされて、
うつ病になったのは脳に悪いものばかり食べていたからだとかゲームばかりやってて十分な睡眠を取らなかったからだとか、当人の自己責任のみで見られるようになると思う。
治療についても「脳の病気」という言葉でもって物理的な面のみが強調される結果、薬を飲む事だけが解決法とされて職場環境改善へのモチベーションは失われるだろ。
まあ、上記だけならまだ大したマイナスじゃない。もっと問題なのは下記の点。
第二に、脳という臓器に対する偏見やスティグマの強さを理解していない。
さて、「脳に異常がある人」と聞いた時、あなたはどんな印象を受けるだろうか?
おそらく、「何をしでかすか分からない人。暴行や殺人などの犯罪者予備軍」という印象を受けるのではないだろうか?
勿論、脳以外の、消化器や循環器といった臓器の不調にだってネガティブなイメージは付き物だ。だけど脳に特有なのはそれが意志決定機関だという事。
「腸に異常がある人」だったら、「すぐ下痢になって仕事に穴を開けるかもしれない」。「心臓に異常がある人」だったら「仕事中倒れて死んでしまうかもしれない」。という、あくまで消極的なネガティブイメージにすぎない。「脳に異常がある人」のような、犯罪に直結する積極的なネガティブイメージはない。
そして、「心」といった場合には脳の機能のうち、内面的な部分が主に想起される。
「うつ病」と言われて人々が想像するのってあくまで、無気力な引きこもりや自殺といった自傷的なイメージであって、突然暴れだすとか人を殺すというイメージを持っている人って多分ゼロじゃない?
それはうつ病が「心の病気」と思われているからであって、「脳の病気」となったら多分変わると思うよ。
現状、うつ病が精神疾患の中でも比較的好意的に見られているのは、「心の病」というイメージから来る内向的・自傷的な印象によるものだろう。自殺や引きこもりはしても他害はしないというイメージ。
「うつは甘えや怠け」と思われるのと、「うつは犯罪者予備軍」と思われるのと、どっちがマシかといったら前者では?
それに、「心の病気」という言葉には、「あくまで一時的なものであり、適切な治療をすれば完治する」というイメージがある。「脳の病気」と言い切ってしまう事で、「一生治らない」というイメージに繋がりそれが社会的な排除に繋がると思うよ。今の『発達障害』がそうであるように。
https://diamond.jp/articles/-/220441?page=4
坂本准教授の外来では、「糖尿病になったらもうお先真っ暗」と落ち込む人が多く、なかには、「糖尿病と宣告されるのが怖くて受診できなかった」という患者もいるという。
「早いうちに生活習慣を改善し、体重コントロールができたら、病気も治る、ということが分かれば、希望を持って治療に励む患者さんが増えるでしょう。
世界では7秒に1人が糖尿病関連で死亡しており、日本でも年間40万人、おおよそ1分に1人が糖尿病と新たに診断されています。糖尿病にならないことも重要ですが、なってからでも早期であれば、治せる方向へ行けるので、前向きに治療に取り組んでいただきたいと思います」
これって本当にそうだと思うんだけど、
なんで糖尿病って「糖尿病になると一生治らない。たとえ生活習慣の改善によって薬なしで血糖値を保てるようになったとしてもそれは治ったとは言わない」と言われるんだろう…
薬なしでも症状が出ない間が一定期間続いたなら、それはもう「治った」でいい気がするんだけどな。「治ってない」ではなくて、「一旦は治ったけれど再発した」じゃあ駄目なの?
たとえば癌とかだって手術して患部を取って数年後に再発するなんて事もある訳だけど
その場合はあくまで「再発」であって「治ってない」とは言わないよね?
いや手術とかを伴う疾病じゃなくとも、自分なんかは喘息で一度治療を受けて以後症状は出てないんだけど
この場合今後また症状が出たとしてもそれは「治ってない」ではなくて、「一旦治ったけれど再発した」でいいと思うんだよね
あと、仮に現時点の医療技術では絶対に治らないとしても今後の再生医療の発展などにより根治が望める可能性だってゼロじゃないと思うんだけど。何故絶対に治らないと言い切るんだろうか
糖尿病は治らない治らないってこうも言われると、運動や食事療法による糖尿病の血糖値コントロールが上手くいかない人が多いのって、「糖尿病は治らない」と言い切られる事によって
どんなに頑張っても無駄というスティグマを植え付けられるせいなのでは?
こんな記事もあるみたいだし、「糖尿病は治る」というイメージを伝えてモチベーションを上げさせた方が、患者にとっては有意義だと思うんだけどなあ
https://diamond.jp/articles/-/220441?page=2
「最初に報告されたのは、2017年9月にリスボンで開催された欧州糖尿病学会(EASD)でした。英国のニューカッスル大学のロイ・テイラー教授が、約40年間におよぶ糖尿病研究の集大成として、『肥満のある2型糖尿病の人でも、カロリーを適切に調整した食事と運動を続ければ、糖尿病が“治った”状態を維持できる』と発表したのです。この内容は、医学誌『ブリティッシュ メディカル ジャーナル』にも掲載されています」
https://diamond.jp/articles/-/220441?page=3
それから約2年後の今年9月、「大幅な減量をしなくとも、5年間で体重の10%を減らすだけで、2型糖尿病が寛解し得る」という論文が、同じく英国の研究チームよって発表され、本サイト(10月20日公開記事『過度なダイエットは不要、2型糖尿病は体重を10%減らすだけで改善!?』)でも関連記事が掲載されている。
「婚活」という言葉が使われ始めてからもう二十年近く経ってると思うんだけど
婚活なんてするのは男女ともに売れ残りだの「普通の人」は婚活なんてしないだの何だの…
でも実際、学生時代以外だと「自然な出会い」でパートナーを見付けるのって難しくない?
「社会人」になると職場は同性ばかりだったり既婚者ばかりだったりして職場恋愛なんて到底望めない事も多いし
趣味の場での出会いや友人からの紹介なんてのが必ずしも機能するとは限らない
仮に学生時代に恋人がいても結婚まで行かずに別れる事だってある訳だし
婚活しないと恋人や結婚相手が見付けられないってのがそこまで異常な事だとは到底思えないんだけど…
性格も容姿も収入も問題なくとも日常生活で出会いがない人なんて、男女問わずいるでしょう普通に。なんでそこまで異常扱い?
一方これが同性愛者だと何故かそうでもなくて、マッチングアプリを始めハッテン場だのレズビアンバーだのと
交際相手との出会いそのものを目的とした場所での出会いは当たり前になっていて
『メタボ健診、必要か? 費用対効果が立て続けに否定された政策にもの申す』
https://news.yahoo.co.jp/articles/5015da26607a03ab2fd804f94bd39019607c12f9
ーー米国の約1万2000人 の患者を対象にした調査で、1型糖尿病の患者の70%が、2型糖尿病患者の52%がスティグマ(負のレッテル)を感じているという研究を紹介されています。責任や自制力が欠けていると見られ、医療保険制度の負担になっていると非難され、排除や差別を恐れる余り受診を控える問題があることも指摘されています。
これって重要な指摘だと思う
特定健康診断をやっても、健診で悪い数値が出て指摘されるとそれにストレスを感じ
却ってセルフネグレクト的に悪い生活習慣に走ってしまうというか。それが人間の自然な心理状態ってものだよ
そんな事よりも、何もしなくとも自然と健康に良い生活が出来るように労働環境を変えた方がいいと思う
具体的には仕事の負荷を減らしてストレスを軽減し、給与を上げる事
なんでそういう当たり前の事が理解できないのか
健診のシステムを考えた人達は人間の心理を理解できずに、まるで常に決められたパターン通りに動くロボットであるかのように思っているんだろうな
ゲイはセックス時のポジションでタチ(挿れる方)、ウケ(挿れられる方)の2種類に分かれる。
どちらのポジションもできることをリバ、挿入行為をしないことをバニラと呼んだりもする。
ほぼウケしかしてこなかった自分が、ここ1年くらいでタチができるようになって世界が広がったのでその感想を残しておこうと思う。
初めてセックスしたのは19か20の時で、それ以来、人並みにセックスをしてきた。
20代半ばになってウケの気持ちよさを覚えて、それ以来もっぱらウケだった。
たまにタチをしてもイマイチうまくいかない(中折してしまう)ことが多かった。
ちなみに自分の中でのタチが成功することの定義は「手を使うことなく挿入したまま射精までできるようになる」ということである。(もちろんゴム着けた状態でね!)
前者についてはそのままで、自分がウケとして相手をしているタチの姿や、エッチなビデオの中で見るタチの姿を見るにつけ、「そんなに気持ちよさそうなら自分もタチができるようになりたい」という気持ちが日に日に強まっていた。
後者については「性自認」に関係した問題である。自分の性自認は「男性」である。
男性として男性が好きな、シスジェンダーのゲイ男性ということになる。
「挿れられる」という男女間においては女性側が担う行為を行うことは、なんとなく自分の性自認およびそれに基づく性表現にそぐわない感覚があった。
そんな自分だったが、ここ1年くらいでタチができるようになった。
タチができるようになる過程を振り返ってみて、習得のコツ的なものが2つあった。
逆説的なんだけど、タチができるようになるためには、とりあえず1回タチを成功させることが重要だと思う。
自転車に乗るのと一緒で、1回成功するとタチとしての身体的感覚をつかむことができる。
そして何より「自分はタチが全くできないわけじゃないんだ」という安心感を得ることができる。
自分自身1回成功するまでは「今回も中折しちゃうんじゃないか」というプレッシャーがあり、プレッシャーでますますスムーズにことが進まなくなるという悪循環だった。
1回成功して以来は「少なくとも自分はタチのポテンシャルはあるんだ」という自信につながり、仮に一度中折してしまったとしても余裕を持って挽回できるようになった。
これは1回成功した後に始めた習慣なのだけれど、マスタベーションのときに手ではなくTENGA*を使うようになった。
男女のセックスにおいて男性が女性の膣内で射精まで至らない、いわゆる「膣内射精障害」の原因の1つに「強グリップ」マスタベーションがある**。
ゲイなので膣内ではないのだが、多分同じことは言えるだろうと思い、手からTENGAに切り替えた。
そうすることで、これまでグリップ力で快感を得ていたのが、TENGAのヌルヌルした摩擦によって快感を感じられるようになった。
手でやるときよりもタチをしている最中に感じる刺激と近いものを疑似体験でき、本番に備えられている感覚がある。
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*自分が使っているのは洗って繰り返し使えるTENGA SPINNER(https://store.tenga.co.jp/product/EC-SPN-001)という商品。タチ云々より、単純に手より遥かに気持ちいいからおすすめ
**膣内射精障害の原因となるマスタベーションは他にも「足ピン」「床・壁」があるらしい。タチができるようになりたいならそれらも避けた方がいいはず
当たり前なのだけど、ウケしかできなかったときはタチを探すほかなかったのが、ウケも相手ができるようになり、乱暴に言えば楽しめる相手が2倍に増えた。
また、長らくウケをやってきたからこそ感じるタチにやってほしいこと・やってほしくないことをタチ側として実践できるようになった。
具体的には、一度挿入したらいきなり腰を振らずにウケが慣れるまでじっとしている*とか、ウケが射精した後は相手が望まない限りは挿入はしない**とか。
ゲイ向けのデートアプリではプロフィール内にタチ・リバ・ウケを記載している場合が多い。
しかしながら自分がタチをやるようになってから会ったプロフィール上でリバの人の半数以上が実際はウケであった。
「タチもやったことはあるけどほぼウケしかやらない」みたいな。
理由をくわしく聞いたことはないんだけど、なんとなくウケって後ろめたさがあるのかなと思った。
先述の男性性の話にも通じるんだけど、ウケってやっちゃいけないことをやってる感というか、ちょっとヘンタイっぽい印象がある気がする。
実際のところはわかんないし、そんなスティグマがあるならばなくなってしまえばいいと思うけど、自分自身、ウケしかやらない時期も「タチ願望」から来るささやかな抵抗としてプロフィールではリバにしていて、各人フクザツな心理が働いているのかなと推測している。
自分はウケからリバになり、最近のセックスのポジションを振り返るとなんならタチが多いくらいだけれど、タチ・ウケどちらが好きかと聞かれると答えに窮する。気持ちよさの質が異なる。
例えば「醤油ラーメンととんこつラーメンどっちが好き?」と聞かれたら「醤油ラーメン」と答えられるけれど、「ラーメンとスパゲッティどっちが好き?」と聞かれると「その日の気分による」としか答えられない感じ。
自分の中でタチ・ウケは完全なアップルトゥアップルな比較になっていない。
ただ確実に言えるのは、タチの方が楽である。
ウケをするときは事前の準備もさることながら、やはり挿れられることによる身体的負担が大きい。
タチも腰を振るという運動量はあるが、そのエネルギーを受け止めるウケの方がどっと体力を使う感覚がある。
自分の場合「タチをやりたい」ではなく「ウケをやるのがめんどうだから」というモチベーションでその日はタチをやったりすることもある。
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https://trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/01/122007
https://trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/03/141521
↑それはもはや自主規制ではない
「燃やされたくなければ自ら燃やせ」
「自分で考えて私と同じ考えになりなさい」
要は規制派のスティグマからは逃れたいから「自分で考えて私と同じ考えになり、私に都合よく自己責任で自主規制しろ」って言ってるのね
筆者は「法的規制は求めないが自主規制を求める」という考えなので「表現の規制派」ではないと考えてるようだが違う。はっきり言うが、あなたは「表現の規制派」だ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/01/122007
相変わらず自分はカマトトぶって、論的は悪魔化してるなあ。「見ない自由」持ち出しといて表現の自由否定するってどういうセンスなんだろう
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/trajectory.hateblo.jp/entry/2022/05/03/141521
公的な規制でなければ良いとした場合、フェミニストを不快と感じる人達の抗議により講演や出版がキャンセルされたり、限られた人しかアクセスできないようゾーニングされても問題ないという事になりますね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4712727467113621954/comment/nowa_s
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/168014
確かに生活習慣病という言葉には自己責任論的な要素があって良くないとは思うけれどそれはあくまで言葉を通じて間接的に感じ取る事であって
言葉そのもののやばさで言えばそのものズバリ「尿」が入っている、「糖尿病」という病名の方がよぽど酷いと思うんだ
「糖尿病患者のための健康食レシピ」みたいなのも、いやそもそも食事に関する事なのに「尿」なんて文字を入れるなよ!食欲なくすわ!って思う
生活習慣病じゃなくて「糖尿病」って言葉を先に死語にしてくれよ…と思う
糖尿病患者にスティグマを与えているのは「生活習慣病」という名前よりもまず何より先に「糖尿病」という病名だよ!と思うんだが
何故そこを問題視する人がこうも少ないのか…
「糖尿病」という病名が変わり、例えば高血糖病なり何なりになったらスティグマ感が減ってもっと積極的に診療しようとする人も増えるし国民の健康改善ひいては医療費の削減にも役立つと思う
https://note.com/eajoydm/n/n1e81a63795d0
この記事って糖尿病へのスティグマへの批判という意味では割と良い事言っていると思うんだけど
まず何よりも一番スティグマ感を与えているのって「糖尿病」というネーミングそれ自体じゃない?
その病名をそのままに放置した上で自己責任じゃないとか誰でもなるとか言われたっていまいち説得力を感じない。
この人のTwitterアカウントの方を見たら「糖尿病」という病名そのものを変える事には否定的なようだったし
スティグマを問題視しているにしては随分と手ぬるいなと思ってしまう
名前を変えても偏見がゼロにはならないだろうけれど現に「精神分裂病」が「統合失調症」に、「痴呆症」が「認知症」になった事により
「某○○の名前の人の絵をRTしたり名前出したりしてる人は全員ミュートしてる」
ふーん。
さっぱり言ってることがわからない。
「RTする人をミュートする」より「RTされてる気に食わない人間(○○の名前)をブロックする」方が
こちとら新規w(n年いるみたいですけどww)なんでwwwww
n年より前に「なにか」はあったみたいだけど
こういう陰口しかのこってないしw○○の名前さんも垢消し逃げもしてないみたいだし(ジャンル移動はしたみたいね)w
後ろ足で砂を、今もまだそのジャンルでまっとうに頑張ってる人や、新規の自分にまで懸けていくんだね。
ジャンルにいるだけでクソ人間でミュート対象呼ばわりwwwww
ま、このジャンルで一度でも絵をかいたことがあれば腹も立ちますわなwww迷惑なのあんたらのほうやでwとしかおもわないなw
あとジャンルに悪いことをしたやつの最大はコロナだろそれ以上のことが個人にできるわけがない。
公式トレスパクリかアンソロ詐ギか殺ジンでもあったんすかね?だったらさすがに警察に一言垂れこめば垢凍結タイーホだよね?
あるいはR18公式送付とかっすか?そんな炎上ならググれば出るよね?電子とか著作権誤解してません?
あんたら自堕落な生活してても書いた作品には罪はないから愛してくれってつねづねいってませんでしたっけ?
いやまともに個人だけを憎んでくれねえか、巻き添えで十把一絡げで憎むのなら憎まれる側に説明くらいしたらどうなんだマジで
○○の名前さんの絵は初期にながれてきてたぶんRTくらいはしたことがある。自分はそういうわけでミュート対象だしw
そんでいくら自分がジャンル絵なげても「最近絵が少なくて寂しい」いわれるしwwww
早速ジャンルコミュニティ開いたらしいけどやっぱ呼ばれないって言い訳で上記+見ると胸が痛むwwwwらしいのでさようならwwwwww一人で寂れてろw
身長差別(英: Height Discrimination)、あるいはハイティズム[1](英: Heightism)は、身長に基づいて個人を差別することをいう。原則として、身長がある集団内における通常の許容域に属さない個人に対して行われる差別的取り扱いに関する言葉である。
身長差別は、平均身長より大幅に背の低い男性に対して行われるのがもっとも一般的である。また、こういった差別は一般的に受け入れられ、無視されている[2][3]。高身長の女性の中には、身長を小さくするため、多量のエストロゲンを使う人もいる[4]。
研究によれば、人間の脳は身長を社会的ステータスや健康状態を見極める指標として用いている傾向が確認できる[5]。脳は自動的に身体のサイズを、リーダーとしてのポテンシャル、権力、強さ、知性と結びつけている。この効果は生後10ヶ月ほどの幼児にも見受けられた[5]。身長は、ある個人の栄養状態が良いことや、高い社会的ステータスを持っており、したがってリソースを幼児に供給してくれることを示す指標となっているからだと、進化心理学者[誰?]は理論づけている[5]。また、身長は他にも一般的な健康や身体的な強さをも示すが、後者は支配力を行使する上で有用になりうる[6]。前述の特徴と身長の自動的な連想は、女性を評価するときよりも、男性を評価するときに、より強くなると見られている[5][6][7]。
ある研究によれば、環境要因を排除した場合の身長の遺伝率は55.4%(標準誤差は4.4%)であるという[8]。
"ハイティズム"という用語は、社会学者であるSaul Feldmanが、「The presentation of shortness in everyday life—height and heightism in American society: Toward a sociology of stature」と題した論文で用いたのがはじまりである。この論文は1971年に開かれたアメリカ社会学会(英語版)で発表された[9][10]。ハイティズムという用語は『Second Barnhart Dictionary of New English』(1971年)にも掲載されており[11]、1971年発行のタイム誌に掲載されたFeldmanの論文によって広まったとされる[12]。この単語は、「接辞の変わった用法」を通じて新しい単語を提供するタイム誌の慣習の一つの例であるといえる[13]。ただし、タイム誌自身は、この単語が1991年版の『Random Webster's College Dictionary』に収録されるのに反対していた。彼らは、『ランダム・ウェブスター』を「読者の気分を害さないように必死で、良い用法だけをのせる」、「疑問符が浮かぶような数多くの用法に権威を与えるが、そのうちの多数はポリティカル・コレクトネスの考え方に染まっている」辞書の例としてあげている[14]。 ハイティズムという語句は、セクシズムという語の用法を模倣するような使い方、特に偏見や差別に関係した使い方が増加していることの一つの例として見ることができる[15]。
ハイティズムはデートでの選好においても一つの要素となる。身長が、性的魅力においてもっとも大事な要素だという人もいる。
高身長の男性の方がかなりの程度生殖に成功しやすいという事実は、高身長男性がより結婚しやすく、より子供を持つ可能性も高いことを示唆する研究により証明されていた。例外は、戦争などで著しく男性が少ない社会だけだ[29]。しかしながら、最近の研究では、この理論に疑問符をつけるものも多くなっており、身長と子供の数の間にはなんの関係もないことがわかっている[30]。さらに、脚の長さや脚と体の比率に関する研究では、高身長の配偶者に対して著しい選好がみられるという考え方と対立する結果が出ているという。2008年の研究では、高身長にしろ低身長にしろ、極端な場合は魅力が減るとの結果が出ており、2006年の研究では、脚と体の比率が低い男性と比率が高い女性は美的アピール度が増してみえることがわかっている[31][32]。進化生物学的観点からいうと、これらの発見は身長と健康に関するデータと一貫性があるといえる。したがって、生物学的論拠、もっと具体的に言えば、背の高い配偶者への選好に関する進化論的論拠は疑わしく、具体的なエヴィデンスを欠いている。また、Journal of Family Issuesに発表されたある研究では、高身長への選好は進化論的なバイアスというより、社会的期待によるものだと示唆する証拠も見つかっている[33]。
行動経済学者のダン・アリエリーの研究によれば、アメリカ人女性は高身長男性とデートすることに対して並々ならぬ選好をみせ、低身長の男性が魅力的と判断されるには、高身長男性よりもかなりの額を稼がなければならないという[34]。また、オンライン・デーティングを研究する社会科学者によれば、男性も身長の低い女性を好むとされ、実際に低身長の女性と高身長の男性はより多くメッセージを受け取る傾向にあった[33]。ただし、女性は高身長の男性を理想とするが、実際のヘテロカップル間の身長差は、理想の身長差ほどは開いていないこともわかっている[33]。
2012年に行われたある研究では、男性も女性もトレードオフの手法を用いて身長差について妥協しようとしていることがわかった。男性は妻よりも1%高い賃金を稼ぐことで、1.3BMI分を埋め合わせている可能性があり、女性は高等教育を1年多く受けることで、2BMI分を埋め合わせている可能性がある[35]。さらに、2015年の研究では、男性も女性も高身長の配偶者を持つことで、利益を得ていることがわかった。夫の側では、妻の身長と相互関係にある優れた点、たとえば教育知識などに起因する長所を得ることができる。妻の側でも身長の高い配偶者を求めているが、これは高身長者は高賃金を得やすいからである[35]。また、全米経済研究所の調査によれば身長の低い男性は、若いが著しく教育水準の低い女性と結婚する傾向にあったという[33]。
それでもなお、ポスト工業化社会における文化的レベルでは、身長と魅力の間の社会学的関係は存在するといえる。この文化的特徴は、一方で近代化した世界には適応することができるが、他方では超自然的な人間の本質というわけではない[36]。ヘテロ女性の出会い系サイトでの行動に関する定量的研究では、高身長男性に対する著しい選好が示され、女性の大部分は平均よりもかなり身長が低い男性を受け入れないことが示された[37]。フローニンゲン大学とバレンシア大学での研究では、魅力があり、肉体的に優位で、社会的に力を持つライヴァルに対してもっとも不安を感じていた男性は、自分たちの身長が高ければ高いほど、嫉妬を感じにくかった[38]。この研究では、ほとんどの女性は他の女性の身体的魅力に嫉妬を感じていたが、中ぐらいの身長の持ち主はほとんど嫉妬を感じにくかった[39]。オランダとスペインの研究者によって作成された報告では、平均的な身長の女性はもっとも繁殖力が強く健康的な傾向にあるから、似た特徴を持つ女性に対して脅威を感じにくい傾向にあったと述べられている[40]。
アメリカ精神医学会の公式月刊誌である『American Journal of Psychiatry』に発表された調査結果によれば、スウェーデン人男性では身長の高さと自殺率の高さに強い負の相関関係があることがわかった[48]。これは、成人男性の精神障害の原因に子供時代から晒されていることの重大さの表れかもしれないし、低身長の男性が成人になってから生活の中で直面するスティグマや差別を反映しているのかもしれない[48]。1,299,177人のスウェーデン人男性を18歳から、最大で49歳まで追跡し、出生、徴兵、死亡率、家族、戸籍などのデータのレコード・リンケージ(英語版)による研究を実施した[48]。すると、身長が2インチ(5cm)増加すると、自殺のリスクが9%低下することがわかった[48]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E9%95%B7%E5%B7%AE%E5%88%A5
それはわかるが、批判を受けた後で、さらに再批判していけば良くないか。
それを続けていけばいつかは致命性が薄まり、「まーた表現の性差別疑いかよ」ってなるのでは?
なぜそれで不十分なんだろう。
いや待てよ、今まさにそれをやってるのか?
性差別批判は慎重に、は性差別批判批判でもある。増田はそれを新しい被害者が出る前に早めにやっているだけかしらん。
だとするとこれはいつものフェミ v.s. 表現の自由戦士(オタク) 案件であり、差別されない権利&幸福追求権 v.s. 表現の自由 の公共の福祉的争いであるとも言える。元増田の追記では、「表現の自由侵害」の言葉の強さを咎めてる。これはちょうど「性差別」スティグマの決定性と対をなす。表現の自由が侵害されているという十分なエビデンスを基に慎重に判断してくれよ、と言い返されてしまう——…
慎重に判断されてない性差別指摘は止めろ… これは表現の自由の侵害ではないのか。
世に出す前に性差別になるかもしれない表現を避けて同じ効果を持つ別表現がないかを検討して… これは表現の自由の侵害になるか。
新キャラは本当にそれほど巨乳である必要があるか。巨乳じゃなくなると彼女のキャラクター的魅力は減衰するか。威圧感や躍動感、女性らしさを出したいならそれを可能にする別表現はないか。
それを問うこともダメか? 表現の自由に潜む差別の指摘が生む表現の自由の抑圧への指摘が差別を逃し…
なんだかトラがトラの尻尾を追いかけて木の周りをグルグル回ってるみたいだ。
進歩してるって実感がないぜ。
「不快だ」という表明は自由にしたらいい。我慢する必要はない。どしどしやればいい。
私企業はマーケティングの問題を無視できないだろうし、公共機関が不快感の蓄積を見て配慮が必要だとする判断もありうるだろう。
問題となるのはそれを不快感の表明にとどまらず、広告が「性差別」のバリエーションだとする批判に踏み込んだ場合だ。
性的搾取とか性的モノ化とか性犯罪を誘発とか性犯罪と地続きとか。
これらは見逃すことができない。
ただし、ある表現が「性差別である」と認定された場合、いくらゾーニングされればOKと言われようが、表現としては決定的なスティグマを刻印されることになる。
そのことを踏まえて、もしその広告が性差別のバリエーションだという主張をするならば、
「性差別である=誰かの人権が侵害されているという十分なエビデンスをもとに、慎重に判断してくれよ」
という慎ましい要求をしているだけなんだ。
本当に誰かが搾取されているのか、モノ化は誰かの人権を損ねるものなのか、本当に性犯罪は助長されるのか。
【追記】
というコメントを見かけて。
「公共の福祉」は、「◯◯の自由」といった人権が制限を受けるのは、唯一その自由権の行使が別の人権を侵害している時に限る、というものなので、ちょっとイメージされてるものは違うんじゃないかな。
で、表現規制の問題こそ、この「公共の福祉」が適用されるべきだと思うのだけど。
「石に泳ぐ魚」事件は表現の自由とプライバシー権の相剋だけど、発想としては萌え絵も同じだと思うんだよね。
【追記2】
歴史的に見れば、「萌え」の起源はポルノグラフィである、と見るべき。この前提を否定しないまま議論を進めても、いずれ「性差別」の論点は避けられなくなる。
私の主張は、「本当に性差別であるかどうか慎重に問え」なんだから、最初から「性差別」は論点ではあるけど…。
よく分からないけど、萌え絵の起源がポルノグラフィだから、個別の絵柄はどうあれ性差別に相当するって意味?そんな雑な議論ある?
萌え絵っつったって千差万別(何でこんな当たり前のことを言わねばならんのだ)なんだから、萌え絵の起源がどうとか、全く関係ないでしょう。
性的搾取とか性的モノ化とか性犯罪を誘発とか性犯罪と地続きとかは、全て批判側が言ってるんですよ?
そう主張するなら言いっぱなしでなく、それをきちんと証明しなさいよ、という当たり前の話じゃないですか。
【追記3】
で、不快感の表明は好きにすればいいって言ってるの。
何でこんなことも読み取れないかなあ。
繰り返すと、不快感の表明に留まらず、ある表現を「性差別」であると踏み込んで批判するなら、そう主張する側が相応の論拠を示せと言ってるの。
精神科、心療内科、臨床心理士のカウンセリング、民間カウンセラー、産業保健師と渡り歩いて悟ったことがある。
当方は双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。
だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。
そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。
どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、
という話を聞かない。
向精神薬にしろ麻薬にしろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。
ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、
しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。
を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。
つまるところ、精神科、心療内科は「ヤバいブツを販売する場所」なのだ。
仕事を辞める際、多重労働や人間関係の辛さが原因だったとして、
こうした場合、精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、
この場合、会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由を会社と争う必要はない。
形のない労災やパワハラを会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。
辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。
精神科や心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。
「ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、
賢く利用するのがよい。
クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、
そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。
残念だけど。
精神科、心療内科、臨床心理士のカウンセリング、民間カウンセラー、産業保健師と渡り歩いて悟ったことがある。
当方は双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。
だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。
そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。
どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、
という話を聞かない。
向精神薬にしろ麻薬にしろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。
ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、
しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。
を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。
つまるところ、精神科、心療内科は「ヤバいブツを販売する場所」なのだ。
仕事を辞める際、多重労働や人間関係の辛さが原因だったとして、
こうした場合、精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、
この場合、会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由を会社と争う必要はない。
形のない労災やパワハラを会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。
辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。
精神科や心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。
「ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、
賢く利用するのがよい。
クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、
そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。
残念だけど。