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2020-09-08

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-07-02

純度の高いスポーツランキング

上に行くほど純度が高い

短距離走

文句なしの一位

中距離走中途半端から駄目

走り幅跳び

走り高跳びより上なのはなんとなく

三段跳びは3回も跳ぶのは駄目

走り高跳び

棒高跳びは棒使ってるから駄目

重量挙げ

バーベルという不自然な道具を使う点がマイナス

砲丸投げ

やり、円盤ハンマーは投げる物が不自然から駄目

競泳(短距離自由形

人間は陸なので短距離走よりは格落ち

自由形以外は遅いから駄目

マラソン

競技の軸が持久力と速さの2つある点がマイナス

競歩歩いてるから駄目

ボクシングヘビー級

グローブという不自然な道具を使う点、

ラウンド制や禁止攻撃といったルールが多い点がマイナス

球技

何を競っているのか説明しにくいから全部駄目

他は?

2019-06-03

きっと5年以内に非正規雇用ゼロになる

氷河期世代」を「人生設計世代」と言い直したように、

非正規雇用」も聞こえが悪いか名前が変わるんじゃないかと予想。パソナとかの力で。

結果、「非正規雇用」という分類の人はいなくなる。

さて、「柔軟型雇用」とか「自由形雇用」だと

『柔軟、自由雇用調整ができるっていう経営側の都合か!』とか世間に反発されそうだし、

どんな名前になるかな。

追記

ほぼ2週間でスピード達成の見込みが立った。

速やかな実現のためにもブクマカアイデア大臣に届くといいな。

"またも隠蔽根本大臣非正規と言うな」と厚労省に指示"

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/256521

2019-05-03

陸上=CAS、セメンヤの訴え退ける 男性ホルモン制限巡り”をめぐって

スポーツ仲裁裁判所(CAS)は1日、五輪陸上女子800メートル金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ(28、南アフリカ)の、男性ホルモンの値の高い女子選手出場資格制限する新規撤回を求める訴えを退けた。

https://jp.reuters.com/article/semenya-lose-idJPKCN1S804K

いくつかの命題理解してから考えていく必要があります

第1に、(おそらく)スポーツ世界で男女を分けることは差別ではないということ。

男女平等重要価値とされている現代で、なぜスポーツだけは男女が競わないのか。いうまでもなく男女の間に無視できない生まれながらの体力の差があるからです。上半身の強さに関して女性男性の差は標準偏差が3です。つまり街で1000人の男性無作為抽出した場合、998人は平均的な女性よりも強い上半身を持っています。平均的な男性上半身の筋力は女性よりも80%多く、足の筋肉量の差は50%です。男性女性よりも脂肪が少なく、骨密度が高く、持久力や痛みに耐えるために重要赤血球も多い。女性男性よりも骨盤の幅が広いため、脚の付け根から膝までの角度が男性よりも大きくなります。そのため走ったりジャンプしたりする場合に使われるエネルギーが地面に垂直に伝わらず、前進、上昇のためのエネルギー効率が悪くなります。男女差は上半身を使った競技、瞬発力を要する競技で大きく、それ以外ではより小さい傾向があります。具体的にいうと格闘技、投擲系で極めて大きく、跳躍系で大きく、走る競技でより小さく(なお走る競技20メートル以上なら瞬発力のみではダメです)、もっとも小さな競技は長距離競泳です(ある程度の脂肪浮力の点で、丸みのある身体抵抗の点で、広い骨盤が接水面積の点で、多少のアドバンテージになっているのでしょう。)。ハンマー投げ世界記録の男女差はハンマーの重量を考慮すると51%差がありますが、走り幅跳びでは19%、ほとんどのランニング種目で11%、水泳800メートル自由形では6%です。世界トップ女性アスリートでも、記録はおおむね日本中学男子トップクラスと同レベルです。吉田沙保里男子高校生と対戦したらあっという間にフォール負けでしょう。「そもそもスポーツで男女をわけること自体差別である」という意見もあるのかも知れませんが、もしも男女でわけなければ、およそ半分の人は、女性として生まれた瞬間にアスリートになる道を事実上絶たれることになります

第2に、テストステロンには明確な男女差があり、かつテストステロンの値がスポーツパフォーマンスに影響を与えるということ。

95%が睾丸で作られるテストステロンレベル連続スペクトルにならず、女性が分泌するテストステロン血液1デシベルリットルあたり75ナノグラム以下で、男性は240から1200ナノグラム(つまり男性の下限値は女性の上限値よりも200%以上も高い)、例外的に副腎等からレベルテストステロンを分泌している女性トップアスリートでもそのレベル一般男性の下限に達しない程度であるとされています。また、スポーツパフォーマンスの複雑さゆえにテストステロンアスリートに与える影響を正確に説明できる科学者はいないものの、テストステロン値が影響を与えること自体はおそらく確実です。テストステロンレベルを下げて身体女性に変えるホルモン療法を始めたアスリートパフォーマンス短期間で急激に落ちることが確認されていますテストステロン人為的な投与は、典型的ドーピング一種です。

第3に、第1、第2とやや矛盾するが、男女の差は実は相対的ものであるということ。

受精の際に性染色体がXYとなるかXXとなるか。XYなら男性、XXなら女性だが、これは遺伝的な性であって、性別はそれだけでは決まりません。胎齢4~5週で性腺が卵巣になるか精巣になるか。Y染色体があってもSRY遺伝子がなければ、あっても働かなければ卵巣が作られるし、Y染色体がなくても遺伝情報の特殊性で精巣が作られる場合がある。胎齢6~7週でミュラー管が卵管や子宮、膣になるか、ウォルフ管が精管、精嚢、前立腺になるか。精巣が作られてもミュラー抑制因子がなければ子宮や膣が作られるし、テストステロンの分泌がなければウォルフ管が精管や精嚢に発展しない。外性器が陰核や陰唇、陰茎や陰嚢のどちらになるか。胎齢8週間まではどちらにも分化できるが、テストステロンが働かなければ陰茎や陰嚢は作られない。脳の性中枢がどちらになるか。胎生90日頃までテストステロンが少ないと視床下部女性認識する。それ以前の過程女性でもテストステロンが過剰であれば男性認識する。すべての過程で「男並みに」テストステロンが分泌されていてもアンドロゲン不応症ならそれが性分化のために働かない。さらに生まれから男の子として育てられるのか、女の子として育てられるのか。親の教育方針環境問題ですね。男性女性は確かに違うけど、偶然に左右されつつ、これだけ複雑な過程を経て分化していく。「女子男子は違う」「テストステロン値は連続にならない」のは事実だけど、それだけで男女の差が説明できるものではないし、そもそも男女の差はそれ自体相対的ものに過ぎないとも言える。だからトランスジェンダー」と呼ばれる人がいるわけです。

第4に、これまた第1、第2の点を混ぜっ返すことになるが、生まれもった素質によりある種の公平さが失われるというのであれば、スポーツは多かれ少なかれそういうものであるということ。

女子であっても身長が180㎝以上に伸びなければリベロになる場合を除き世界的なバレーボール選手としての未来はほぼなくなります陸上トラック競技五輪世陸の決勝のスタートラインをみれば、ほとんどの種目で人種的特質が程度の差こそあれ影響しているのは否定できません。モンゴロイドトラック種目で金メダルを取るのは不可能とまでは言えないけれども相当に難しいでしょう。将来にわたってピグミー出身NBA選手は生まれそうにない。さらに障がいがあればほとんどの競技で障がいのない人とは競えません。

以上すべてを踏まえて、今度のCASの決定をどうとらえるか。そもそもIAAFは正面切って「セメンヤ選手を標的にした」とは公言しないが、「400メートルからマイルまでの距離」というターゲットからは、800メートルで「絶対女王」に君臨し、最近は1500メートルにも進出してきた彼女を想定していることは誰の目にも明らかなので、彼女を例に考えてみます

一部の報道が正しければ、セメンヤ選手は、遺伝子はXXで、膣があるが、卵巣と子宮を持たずに精巣を持ち、通常の女性の3倍-平均的な男性の下限レベル-のテストステロンを分泌し、パートナー女性です。彼女の持って生まれ一般女性と異なる「男性に近い」特質が、競技者としてのアドバンテージになっていることはほぼ確実で、勝利をめざして彼女と競う他の競技者が不公平感を覚えるのは、理解できます。かつて彼女と競うことに不満を漏らした選手世間から強い批判を受けましたが、例えばセメンヤ選手が、陸上800mの選手ではなく、ボクシングMMA選手だったらどうでしょう。同じ体重であっても圧倒的な体格を持つ女性が、典型的女性選手を滅多打ちにしてノックアウトする凄惨なシーンが展開されればどうでしょう。強い選手だと喝采するどころか、感情的にはなかなか受け入れられない部分があると思います

しかしながら、上記のとおり、生まれもった素質によりある種の公平さが失われるというのであれば、スポーツは多かれ少なかれそういうものです。とすると、いずれの性に分類するかの前に-セメンヤ選手はもしも男子競技に参加すれば五輪の参加標準に遠く及びません。日本高校生に混じってインターハイの決勝に残れるかどうか微妙、というレベルです-セメンヤ選手のみが生来の体質ゆえに希望する競技に参加できないというのは避けなければなりません。

スポーツ勝負事です。勝利を、記録の向上をめざさなスポーツは、スポーツ重要部分を欠いています。だがスポーツには公平さという価値があります。勝ちさえすればよい、記録がよければよいといわんばかりに、競争における公平な条件を無視する人も、優れたアスリートではありません。そしてスポーツ社会的存在です。勝負と記録にこだわり、競技における公平さを追及するあまりプライバシー尊重人種差別禁止個人尊厳といった社会で認められた価値を軽視し、限られた人にのみ開かれ、あるいは一部の人人権を傷つけるのも、正しいスポーツのあり方ではない。

ジャッキー・ロビンソン人種の壁を打ち破る前のMLBのように、かつてスポーツには有色人種を閉め出した時代がありました。特定の種目について女子ゆえに参加を禁止された時代がありました。でも現在はこういう扱いはありえません。「黒人と競わされるなんて不公平だ」「女はこの競技をするな」などという発言は許されない。セメンヤ選手のような事例をどう受け入れていくのか、競技団体のみの判断ではなく、社会彼女のような人をどう受け入れていくのかという問題として考えなければならない。

いろいろ考えるべきことは尽きないし、悩ましい問題で、今後考えが変わらないとも断言できないのですが、私はやはりセメンヤ選手は「女」として競技に参加すべきと思います。それは人は持って生まれ資質規定されつつ自認する「性」で自己実現を図るべき権利があり、その権利尊重することは、個人尊厳としてこの社会においてもっと重要原理からです。IAAFの決定、CASの裁定には賛成できません。

追記

codingalone 良いまとめをありがとうございます。過渡期って感じあるよね

ありがとうございます陸上距離大好き、女子陸上も大好きのヘテロ男性です。自分10年前なら鼻で笑っていたかも知れません。今でも悩んでいます

追記

「これは世界喚起を促すための闘いで、競技スポーツの枠を超えたもの人間尊厳と誇りの問題で、世界喚起を促すためにやるべきこと」

https://www.afpbb.com/articles/-/3223542

この文章を書いた後で、セメンヤ選手自身がこう発言しました。こういうことなのだと思います

2019-02-25

やはり中世ジャップランドには報道中立性が必要なのではないか

最近ネットメディアを見るとポジショントークばかり優先されて、物事の多面性まで想像しない雑な記事大手メディアからマイクロメディアまで浸透してしまった。

言論報道表現の自由尊重したいけど自由を求めたら大体のもの効率重視(自由形というクロール)になるので規制に因らない形で多様性をどう担保するかに

2018-11-08

anond:20181108170810

人間機械に扱えるように形状を箱に収めたり重心を箱の中心に合わせたり手配すれば確かにロボットでできるけど、流木みたいな自由形状とか密度が不均一な物が来ると終わる。

で、その理由をオジサンは「単純労働自動化は安いか技術者がやりたがらない」とするんだけど、「人間が『安い』とするものほど誰も仕組みが理解できず実装できないから」と言ったほうが近いのよ。

安い肉体労働ほど実装困難って訳じゃなければ、安い仕事も高い仕事ランダム自動化されそうなものでしょ?

2018-02-26

平昌五輪の裏で忘れられてたスポーツニュース5選

1.水泳池江璃花子日本新を連発 女子200m自由形で1分55秒04という記録はロンドン五輪なら銀メダル

 

2.Jリーグ開幕 

 

3.卓球ワールドカップ女子団体決勝進出

 

4.東京マラソン日本

 

5.パラリンピック3月9日に開幕

 

 

全部覚えていた人は何人いるかな?

2018-01-03

鼻くそ野郎

人間の体は不思議もので、いろんなもの意識せずに勝手に作られている。

おしっこうんこのほか、汗や耳くそヒゲ、髪の毛など…

その中に「鼻くそ」という奴がいる。こいつはやっかいだ。他の奴らよりも。

おしっこうんこトイレで処理すればいいし、汗をかいたらタオルでふくなりシャワーを浴びるなり。決まった対処法というやつがある。

しかし、鼻くそ自由形種目だ。ほじってもいい。鼻をかむときに勢いで処理してもいい。ほじるにしても、小指とティッシュの2方法がある。

この厄介さを意識たことはあるか?

なのは「ほじる」という選択だ。しかし、人前では憚られる行為

「鼻をかむ」のが簡単だと思ったか?俺は鼻をかむのが苦手だ。顔が真っ赤になるだけで、なんにも出てこない。

というわけで、隠れて鼻をほじるのが俺の王道パターンなのだが、一人暮らしをしていると、家にいる間はどんなタイミングでも鼻をほじっていいことになる。

このせいで、ふとした瞬間に人前で鼻をほじりそうになってしまう瞬間がある。カフェコーヒー一口飲んだ後なんか特にやばい

鼻なんてほじりたくない。でも、鼻くそはかってに溜まってしまう。鼻呼吸が苦しい時こそ鼻くそ処理のベストタイミングのはずだ。でも、タイミングよく鼻をほじれることはほとんどない。

鼻くそ野郎へ。頼むから勝手にできないでくれ。俺は鼻毛さえあれば十分だ。

2017-04-24

自分より若くて仕事はできるのにじょうよわの頑固者を説得できる気がしない

これまでメールによる定期報告はメールテキスト自由形式だったのに、

中間管理職の彼は何を思いついたのか

Excel方眼紙暗号化zipしかも固定のパスワードで固めて送るようにしてほしい」

とか言いだしたのでムカついたんだけど、

こちらからするとしょっぱい認識しか持っていないにもかかわらず本人としては

「これで完璧!(キリッ」

と思っているらしくどうにも取り付く島もない。

SIer管理職がこんなんで本当にいいのか、と小一時間問い詰めたい

追記:

似たようなネタ

エクセルレゴブロックじゃねーんだよ!  http://anond.hatelabo.jp/20170425121301

というエントリがそれなりにブクマを集めているのに嫉妬を感じつつ便乗のためトラックバックしてみる。

どうも自分には煽りの才能が足りないようだ。

2014-08-16

俺はフリーしか泳がない

俺はフリーしか泳がない」とはフリー以外で泳ぐことをしないことを宣言するセリフである

フリー水泳競技において、特定の泳法の縛りがない自由形を指す。

元ネタアニメFree!」の主人公七瀬遙のセリフ

この言葉のみだと、競争が好きで意固地な性格に思えるが、

松岡から一方的ライバル視をされ、七瀬遙自信は競い合うことに対して興味はない。

また、水泳部に入っていて自宅にいる時のシーンの多くが風呂に入っているところであることから水に戯れることが極端に好きということで水キチと呼ばれることもある。

2011-03-09

なぜメイドインジャパン政治は粗悪品なのか

呆れてきたので原因を考えてみようと思った。

まず第一に政治家市場は正統な競争がなされていないかである

日本における、一票の格差は恒常的に最大5倍に達したままである。先の参院選高知広田一氏は13万7千票で当選したが、神奈川千葉景子法相民主)は69万7千票を集めて落選している。全体にとって不利益な政策がとれられたとしてもフェアな競争がなされていないのであればいたしかたないというものだ。

第二には政治家市場には強烈な参入障壁がある。

政治への新規参入ほとんど成功しない。政治家家業の大抵は世継ぎかのれん分けだ。

有権者投票すべき政治家いかな人物であるのかという品定めを行う機会というものをほぼ得ることができない。政見放送は粗さえ出さなければ話題にもならないし、見られもしない。文書図画は決められた枚数しか配ってはならないし選挙カー名前の連呼しか許されてない。選挙期間中はWEB更新ダメだとか本当に意味がわからないが、そうした現状を是とするのは既存政治家だ。新規参入を防ぐための策はきちんと機能しているといっていい。

選挙前に配られる官報?には学歴と略歴とがんばりますぐらいのことしか書いていない。しかもみんな自由形式で書きたいことしか書かないか比較もできない。地獄の業火に焼かれろ的な「とんでも」は発見できても、普通候補者だと違いがわからない。ネットショップ価格スペック比較できず写真だけで選べという店であたり商品が引けるわけがない。この場合消費者がとりうる選択肢は限られる。どこかの既知のブランドから無難な商品を買うか、さもなくば買わないかだ

結果、約半数が投票に行かないし地方首長選挙は現職が9割の勝率となる。保守的なのではなく、新規が得体が知れなすぎるのだ。誰に投票していいかもわかっていない有権者など、確率的な数でしかない。だから当選するために確実に投票してくれる組織を囲い込むことに政治家は腐心する。そのために地盤お金が必要となり、結果、特定の組織利益誘導的にならざるを得ない。たとえその組織利益が大多数の利益を損ねるものだとしてもだ。バラバラに動く有権者は特定の利益のために組織だって行動する人たちのまえに為す術などあろうはずがない。

第三にはそもそも議会制民主主義なのかという問題がある。

もっといえば罪刑法定主義なのかも怪しいところだ。判例主義といったところで検察裁判判検交流に代表されるように三権分立など建前になってしまっている。厳密にしてしまえば、物事なににつけても対立がうまれ滞ってしまうので、そのような体制のほうがいいこともあるだろう。だがバランス重要だ。現状は人治が法や道理を押しのけるまでになっているのではないかと思う。

例えば先日可決された東京都青少年保護育成条例の改正に代表されるように、法は立てるが、運用するのは、お目こぼしをするのは我々だという暗黙の権力行使を許していてはそもそも政治家は必要ではない。議会も必要ではない。

政治家自身、何を議論して、何を決めて、それがどんな結果を及ぼしているのかにまで想像力が働いていないのだろう。やはり局所利益誘導的なのだ。決定には関与しても、立ち上げにも、運用にも、またそれが為されているのかの確認にも公正に関与できていない。政治家がただの多数決要員なら無差別に選出された陪審員でやったほうがよほどいい。

以上の原因と仮定からスキャンダル醜聞にまみれ、日本の政治の質が低かったとしても致し方ない。

自浄効果も期待できず新規参入も無理なら当然の帰結だ。絶望した!

ほにゃららふがふが社会絶望した!と、いうところで思考を停止して右派左派同様ギャーギャー騒ぎたてるのも無理からぬこと。実際、じゃあ他に何か手立てあんの?と聞かれてもお手上げだ。誰か政治家の代わりをやれよといわれても、多分同じことをやらざるを得ないだろう。日本の政治はもはやこれで完成品なのだ。アラブでは、民主化民主化と騒いでいるが、日本には閉塞感はあっても打ち倒すべきシンボルテーマもない。やはり行き止まりだ。

基本に立ち返る。

最大数の幸福を追求したいと考えるならば、人ではなく仕組みに裁量を持たせたほうがよい。そのためには公正な競争がなされなければならない。公正な競争がなされるためには、新規参入や撤退に自由度をもたせればいい。

既存の仕組みでも運用する人さえ違えば充分なのかもしれない。既存政治市場と、並行稼動で仮想市場をつくっておいて、実際の議員投票はこうだったけど、その地域有権者の実際の意見はこうでした!的な仕組みがあるだけで、何がおかしいのか評価はできるようになる。というわけでYouつくって。

 
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