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はてなキーワード: 武装解除とは

2019-06-02

アジア安全保障会議中国国防相が米に反発

中国が脅威じゃないならなんでヒロシマナガサキ謝罪して核兵器放棄しないんですか

なんで被爆者平和団体中国武装解除要求しないんですか

2018-10-07

anond:20181007104309

逆に九条を強化して自衛隊武装解除させたり解散することだって原理的には可能なのに

なんで左翼の人たちはそっちの方向を目指さないの?現実見てるの?

2018-09-11

anond:20180911150045

虐待はともかくブラック労働は「法律違反」という明確な壁があるんですがそれは..

というか、「個別検証したり議論」もせずに「あいまい評価が分かれる」モノを一方的攻撃してんのフェミ側だろ。

まずは武装解除して出てこいや

2018-08-02

anond:20180801234555

アメリカに期待するのは間違い。

彼らは、江戸時代から日本人差別してるし、いまさら変わると考える方が変だ。

嫌だったらアメリカを出て他の国に行けば良い。

事情があって、アメリカにいるしかないなら、アメリカ感謝して生活した方が良い。

アメリカにも探せば良い所や学ぶべき点はある。

アジア人連帯するのは間違い。

モンゴル人、香港人台湾人日本人連帯するのはアリだけど、残念ながら多数派中国人朝鮮人

香港中国だけど、貨幣が違う事と、クール気質中国と別だと感じる。

中国朝鮮国家ぐるみ反日教育し、反日プロパガンダロビー活動スパイ活動犯罪行為をしている奴らだ。

連帯しようとしたら、数で負け、暴力で負け、彼らに支配されるのがオチ

中国一党独裁でないと国がなり立たないのは、武力しか中国人がまとまらないという現実を表している。

連帯という言葉には、日本人中国人と対等という意味を感じるが、それは夢でしかない。

中国人中国人が一番だと思っているし、日本を利用するもの、国、国土技術、金を搾り取る対象しか考えていない。

連帯が実現するとしたら日本人だけ武器を持って中国人武装解除させた時だけ実現する。

もしアメリカ刑務所にいて腕に自信が無いのなら、チカーノメキシコ)と連帯するのは、選択肢の一つだと思う。

アメリカ中国を敵と認識した今、日本人中国人連帯する事は、犯罪者に加担する黄色しかない。

日本人中国人と同じく迫害対象になるだろう。

その憎悪は、あなたが考えているよりも深くて、恐ろしい事態を招くだろう。

中国人悪事を働き過ぎた。

これからますます黄色迫害されていくだろう。

現実を見て、賢く立ち回る事が最善だと思う。

2017-09-24

武装難民についての発言麻生さんが叩かれてるが

武装した難民が押し寄せてくる事態への危機感って東京日本海東シナ海に面した沿岸部離島と内陸部や太平洋側で温度差あると思うんだよな

例えば対馬なんかはほんとに朝鮮半島と目と鼻の先

そして離島の例に漏れ過疎化が進んでる地域でもある

そこに万単位難民が押し寄せてきたら地元だけで対応するなんて無理

物も人も全く足りないからおそらく海岸に押しとどめておく事すら不可能だと思う

武装難民っていったらAKRPG持った元軍人みたいなのを想像する人もいるかもしれないけど、万単位素人が棒きれや石ころ持ってるだけでも過疎地離島じゃ十分な脅威だよ

武器を持っていても大人しくしてくれてるのであればなんとかなるかもしれないけど、腹ペコで気が立ってる状態なら何があってもおかしくない

言葉だって通じないし、食料も医薬品も毛布とかその他必要物資絶対足りない、きっとトイレも足りなくなる

ただでさえ追いつめられてる難民が余計に追いつめられてそれでも理性的に行動できる可能性の方が低いんじゃないかなぁ

射殺って言葉にひっかかってる人もいるだろうけど、数で負けてる側が数で勝ってる相手制圧しようとしたら究極的には殺しまくって数を減らすしかない

そして地元警察にせよ対馬駐留自衛隊にせよ数では絶対に負ける

そういう事態を防ぐには具体的な難民保護計画必要になる

単位武装難民武装解除して平和的に保護するには万単位自衛隊なり、警察機動隊なりが必要になる

その人員をどこから持ってくるのか? 人員必要物資をどう運ぶのか? 保護した難民をどこに収容するのか? その為の費用はどこから出るのか?

具体的な計画を立てておかないといざという時に対処できないまま、現場難民漂流先の住民殺害したり略奪したり、逆に住民自衛目的難民殺害したりという事が起こるかもしれない

計画があっても初動は防げないかもしれないけれど、それが拡大するのは防げるかもしれない

麻生さんの発言の仕方に関しては批判はあるだろうけど対処真剣検討する必要はあると思うよ

2017-09-10

もうヤルタやれよ、ここは勝者の世界分割やる場面だろ

北朝鮮情勢を見てると、世界史教科書に残るような歴史舞台が作れるのではないか妄想して、ワクワクが止まらない。朝鮮半島北部は、米国中国ロシアの利害が錯綜して、あたか火薬庫の如く状況となっているが、逆にいえば、この3大陣営の利害さえ一致できれば、朝鮮半島処分問題として、一挙解決可能だ。しか役者がすごい。米国トランプ中国習近平、そしてロシアプーチンだ。以下、妄想。 

場所は、黒海沿岸保養地とか、ベルリン郊外の森の中とか、オーストリアシェーンブルク宮殿とか、それなりに歴史に残ってもカッコいい場所

・3大陣営の首脳が、もっともらしい理屈をつけて、近辺諸国外交日程を組む。その合間を縫って極秘会談

テーマはもちろん北朝鮮処分戦後朝鮮半島北部の分割だ。

米国は、北緯38度線を超えての北朝鮮地域の大幅な占領にはあまり興味をもたない。むしろ韓国との関係を含め、徹底した軍事リスクの除去を求める。そのため必要な徹底した武装解除イムジン河以北数十キロ緩衝地帯化を行う。

中国は、人民解放軍中朝国境を超えて平壌にまで進軍。占領統治の中心をなす。核攻撃等で、汚染、荒廃した国土だが、中国にとっての緩衝国として傀儡政権樹立、枢要部を実質支配下に置く。

ロシアは、立ち位置が難しい部分はあるが、北朝鮮北部東岸ロシア入植地域のロシア保護名目に、朝ロ国境を超えて突如南下、不凍港を租借確保する。必要があれば、数万人規模で北朝鮮民をシベリア連行抑留し、極東開発のため数年間の労働資源としても良い。

合意成立後、直ちに3大国北朝鮮一斉攻撃だ。米国は、戦術核使用国境付近砲兵ミサイル基地への無力化攻撃空爆中国は、北京に北のミサイル照準が合わせられたことを名目に、平壌ほか主要都市への核攻撃。そして、もっと精神的打撃が大きいのが、友好国と考えていたロシアの参戦だろう。これで北朝鮮は、トップ金正恩以下、末端まで総崩れになる。

日本も、総理歴史的発言を用意しておかなくてはならない。インテリジェンス面で信用されていない我が国は、上記を米国から知らされるのは直前であるが、官邸でのぶら下がり取材ではこう言い放って内閣総辞職だ。「嗚呼極東の天地は複雑怪奇」と

2017-08-31

そんなに難しいか

どれも迷うほどの問題とは思えない。

(1)老夫婦

殺してはならない。このケースならば公的支援を受けられる可能性があるので、まだ最善の努力を尽くした状態とは言えない。「公的支援は受けたくない」というのは個人的趣味に過ぎない。

(2)新生児

殺してはならない。夫婦事情夫婦解決すべき問題であり、他者忖度することは許されない。もちろん、当該の子を生きながらえさせるために莫大な費用が発生する、その費用を捻出できる見込みがない、という将来はもちろん見えているかもしれないが、「それでも(夫の忘れ形見を)殺したくない」と母親が主張する可能性はゼロではない。いずれにせよ助産婦に「殺す権利」はない。

(3)凶悪

殺してはならない。速やかに、当該の自動車隔離できる施設を準備し(たとえば使われていない埠頭倉庫など)そこに自動車誘導、その後、催眠ガスを投入するなどして無力化し拘束するなどの方法が考えられる。そうでなくても、周囲から十分隔離した状況で、拡声器等により抵抗は無力であることを宣言し、武装解除投降を呼びかける。ただし、抵抗した場合は最悪射殺も視野に入れて配置を行う。凶悪犯を殺す場合でも「殺すしか選択肢がない状況」に至っていなければならない。

(4)凶悪犯2

殺すことはありうる。犯罪既遂未遂にかかわらず、人質の命が現に急迫の状況であることが明白ならば、状況を見て(人質安全を最優先に)犯人の射殺も視野に入れるべきである。これは「刑」ではなく緊急避難行為であるので死刑廃止している法にもその趣旨にも抵触しない。

なお「その司令官も彼に妻や子供をすでに殺されているし、対応している警察官の多くの関係者被害者である」→可能な限り事件関係者事件対応から外すなどの措置が求められる。行政行為執行に当たって利害関係者が関与する状況はただでさえ(人道的に)避けるべきであるが、まして行為が「敵討ち」にしか見えない状況であれば、その正当性への疑いを呼びかねないことから対応する管理者には十分な配慮が求められる。

(5)未知の奇病感染

原則、殺してはならない。もちろん、法的にこのような危険感染病の罹患者の権利制限されうる(数年前のエボラ出血熱の事例など参照)。また、病気理解した上で「感染を広げてやる」と主張し行動する行為は、普通に群衆対象とした無差別殺人と変わりがない(たとえば、AIDS感染を知りながらそれを告げずに感染危険のある行為に及んだ人間傷害致死の罪に問われることがあるのと同じ)ので、治安維持権限ある人には速やかな対処が求められる。この場合普通に爆弾を所持しテロを予告した犯人」と扱いは同じである。防護服を着用した警察官等により速やかに制圧しての逮捕妥当である

もしそれが「いかなる防護服も通用しない強力な未知の病気(?)」を想定しているのだとしたら、その場合可能な限り、遠隔から麻酔銃等により制圧して逮捕。その後は、法による対応起訴等)を進めつつ、他の感染者同様、残された時間範囲内で人道的な対応治療等)を施すことになるだろう。射殺は、それも不可能場合の本当に最終の手段である。「死ぬ可能性が高い」から「殺しても良い」という理屈は成り立たない。

「どんなことがあっても殺してはならない」という命題は、「どんな手を尽くしてもどちらかを殺さざるを得ない状況」にあっては実現不可能になるので、「場合によっては殺しても良い」という別の命題によってかえざるを得ない。これが緊急避難という考え方である。たとえば「正当防衛」など。人を殺しうる凶器をもち殺意をもって襲ってきた相手を殺してはいけないとなると、「自分」という人間を「殺してもよい」と判断したのと同じ事になり、明らかな矛盾が生じるためである。この場合相手を殺してしまっても殺人罪とは見なされない。(「カルネアデスの舟板」論)

ただし、正当防衛などの「緊急避難」が成立するためには、「どんな手を尽くしても~である状況」であることを証明できなくてはならない。もし安易にその拡大解釈を許せば、社会弱者を切り捨てることを安易に認めることにつながりかねず、危険である(例:大量の医療費を使うのは、別に貧困にあえいでいる人の生活を脅かすので、見殺しにすべき、など。昨今は政治家にもこの程度のレベル人間が多い)。

以上のようなことは、法理の基本を説く本にはたいてい分かりやすく書いてある。元増田(や一部の政治家)は、ネットに張り付いて小理屈をひねり回し得意がるより、少しは読書をした方がよい。

https://anond.hatelabo.jp/20170830204145

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2017-04-26

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/katarenakaltutatoukyoudaikuusyuunosinjitu.html

戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカ日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。

 C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。

 「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。

 隅田川にかかる橋の欄干や、総武線ガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。

  東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。

 「戦争を忘れさせよ」 慰霊碑許可せぬGHQ

 D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。

 E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。

 地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。

 終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。

 D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書コピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。

 「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。

 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

 A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

 C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷陸軍省参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑浜離宮上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行三菱商事日本興業銀行横浜正金銀行東京銀行第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町霞ヶ関でも、内閣府国会議事堂警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界アメリカの盟友関係を裏付けている。

 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。

 E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。

 B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。

 米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構

 A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。

 F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。

 A 終戦末期になると特高警察マークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。

 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。

 B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。

 D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞正力松太郎朝日新聞緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。

 イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。

 E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。

 C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。

 都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。

 E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。

 B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。

 A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。

 F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。

 90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。

 A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省経産省防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。

 米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。

 財閥やメディアも米軍占領下で地位守る

 C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。

 F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一重光葵吉田茂近衛文麿などを「自由主義者穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。

 グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。

 のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。

 これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。

 A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。

 F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルン鮎川義介浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカ自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。

 A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。

 C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。

 もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカ共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。

 B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。

 F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。

 徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。

 A アメリカプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。

 C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。

 A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。

 しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。

 この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。

 分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義インチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。

 A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地自衛隊施設へ変わった。横田基地在日米軍司令部であり、すべての在日米軍自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。

 とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイグアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋東アジアを管轄する兵站補給基地だ。

 東京都港区六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。

 そのほかにも府中、由木、大和田硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。

 地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。

 B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県埼玉県神奈川県新潟県山梨県長野県静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。

 羽田空港成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。

 A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。

 B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。

 F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。

 司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる

2017-04-13

ファイアーエムブレム トラキア776攻略のためのヒント

ファイアーエムブレム トラキア776攻略のためのヒントを羅列します。

ファイアーエムブレムトラキア776任天堂公式ガイドブックでは、正攻法で攻めるような戦術を推奨していたと思います

ファミ通攻略本方が、良い戦い方を載せていた記憶があります

例えば、12章までにサフィの杖レベルをAにしてワープの杖を使うと楽になるのですが、

その戦術任天堂公式の方には書いていなかったような気がします。

うろ覚えですが。

FEトラキアは4章からしばらくがきついと思います。鉄の剣と傷薬の残りを気にする持久戦となります

・体格の低い人を丸腰にして、捕らえさせて敵のステータスを下げる。

・4章の地下牢獄には、書と勇者の斧を持ち込む(勇者の斧はダルシンが使えるはず)

・前の章でリフィスの経験値を90以上にして、次の章始めにレベルアップ。体格が上がらなければリセット(俗にリセットトレーニングと言われる)。

・売る・捨てるができないアイテムは盗むで敵に押しつけることができる。

ネールの書でリフィスを育てるとき盗むで、アイテムを盗む、押しつける(盗むコマンドでできる)を繰り返す。ただし、この運任せの体格上昇では体格19まで行かない可能性が高いので、計画的リセットトレーニングは行いたい。

ネールの書が手に入ったらその章でレベルアップしてクラスチェンジまでする。ただし、この時点でシーフファイターレベル20までにすると、

体格が上がりきらないので、レベルはほどほどに。ボディリング使う前提で良いので、18章までに体格19異常になることが望ましい。

※18章はアーマーを無力化すると楽になるので、ハンマーを盗むため。

・4章外伝でアスベルレベルをいくつか上げる。5章のマージ部隊はアスベルグラフカリバー対応すると楽らしい。

5章開始直後に自軍左の壁にアスベルを隣接させて戦わせる。

※私はこの戦術を実際に試していない。

・杖レベルを急いで上げて、11章外伝と12章と13章で敵将のところまでワープを使う。

・シーフでレイピアを盗み、活用する(レイピア特攻なら、銀の剣より少し低いくらいの威力があり、そして使いやすい)

レベルアップはなるべく書を持たせて行う。(書の具体的な効果攻略サイトに載っているので、キャラクターの成長率と見比べながら書を選択する)

・12章でウィンドを何冊も買って、アスベルの風レベルを上げてブリザードを使えるようにする。

・リペアは主にスリープに使う

・途中分岐は森を通るルートの方が簡単だったと思う。

・扉のカギが必要になる場面があるので、盗賊の鍵は優先的に使って構わない。

武器はあまり温存しなくて良い。見切りのあるマリータは最終章用に残したい。ドラゴンランスは優先的に使ってよい。専用武器で、野外で無いと使えないため、意識的に使わないと残る。

・敵から武器を盗んで、Sドリンクは余分に買いたい。

・指揮レベル活用をする(指揮レベルのあるキャラクター戦闘に参加させる)。

カリスマ武器スキルのあるおうじゃの剣や、カリスマ持ちのユニット戦闘に参加させる。

最終章エルフスキルが驚異なので、見切りの武器スキルを持つマリータの剣は10回くらい?温存する。それとトルードもいれば心強い。

トラキアでは、配置を自由に設定できないため、エルフの前に誰が配置されるか分からない。その為、トルードも育成しておく。

・リワープは沢山奪えるのでどんどん奪って、杖系ユニットレベル武器レベル上げに活用する。

特にサフィは最初ライブなど無駄遣いして武器レベルをAにしたい。

特攻系は優先的に使って良い。前述の通り、レイピアはがんがん奪って、アーマー系ナイト系にはガンガン使う。

・第8章外伝で手に入るネールの書(体格が少し上がりやすくなる)をリフィスに持たせ、レベルを上げて、シーフファイターにしてレベルをある程度上げたら、

その後はリフィスに敵の武器ガンガン奪わせる作戦にする。

敵を武装解除したらその敵は撤退するしか無くなるし、奪った武器を売ればお金になる。

・移動力を上げるレッグリングを使用するのは、輸送要員のカリンが良いと思う。

マジックリングも非売品なので、最後の方まで取っておいて、誰に使うかよく考えた方が良い。

ラーラは、シーフ→シーフファイターダンサークラスチェンジさせる。

武器屋が近くにあるところでは、無限お金を稼げることがある。

から武器を盗むと、敵は武器屋武器を買いに行き、また盗みの繰り返し。

17章B 5月の雨(東か西かで言えば東だっけ?)でやりやすかったと思う。

ただし、リフィスのリセットトレーニング計画が崩れないように注意。

強調するが、18章でレンスター兵を説得するとき、楽にするためにハンマーを奪いたいので、リフィスの体格を19にしなければならない。

・ほのおの剣は魔力+5なので、敵の杖攻撃避けに残しておく。

エリートの剣を装備すると、盗むも杖も経験値が2倍となる。

・「いかり」と「まちぶせ」を同一ユニットが持つと、いかりの方が出なくなるので注意

・誰か毒を受けたキャラがいると、ライブなど杖を使った経験値稼ぎがしやすい。

うろ覚えだが、馬、ペガサスドラゴンから降りている時は、経験値が多く貰えたような気がする。

2017-03-18

歴史に学ぶということ

教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。

経営者管理職自己組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。

桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人時代に再び戻された。

今でも、兵士民間人区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しか現実には、民間人普通に兵士として使われる。

大東亜戦争」では、通称赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵軍事工場普通に空爆しても、そこで非戦闘員労働している。学徒動員かいうのは、職業学生軍事産業就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである

国民一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)一般人犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代戦争までさ。

前近代戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道知行するという補填が行われている。そうして大名移住して開拓したり、下級士族屯田兵転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。

絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人ビビったんだが、ビビたからなおさら無差別殺戮してきたさ。そいで、広島長崎原爆実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。

歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公時代から変わっていないしな。丁稚奉公時代から未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑

景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。

2016-06-19

memo

2016/06/18日経より

2016参院選 各党の公約

民進党

2016-03-25

ブコメでもいくつか出てきてるけど日本で左右だの階級対立だのの政策論争が出来ないのは

基本的に未だに冷戦が続いていて本来思想信条政策で済むはずの話が突然安全保障の層に突っ込んでいってしまって身動きが取れなくなるから

あくま世俗的な政策を出すはずの「野党」が実際に言ってることは即時武装解除と下手したら天皇の処刑とかだったんだから話にならない。

日本戦後ずっと事実上領導政党体制民主主義だったことはない、っていうのは皆知っている。韓国だって結局朴王朝になってしまった。

欧米の上半分あたりが一見まだ民主主義が動いているように見えるのはそりゃ素直に羨ましいが、

しかしあちらでもイスラムという形で政策や金ではなく正当性を直接批判する運動が結局出てきてしまったのがやはり心配にはなる。

文字通りの「護憲」を叫んだだけで急進的なアウトサイダーになってしまうという実状は実はアメリカもそうだったりする。

2015-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20151201224723

この世界から武力を無くすために必要なのは他者を圧倒する武力

他者にいかなる武力闘争無意味であると畏怖させるほどの強大な武力

その武力でもって、他者武装解除させたうえで、自らも武装解除する。

その結果、無武装世界が実現するのだ。

繰り返すが、

この世界から武力を無くすために必要なのは他者を圧倒する武力

これ以外にありえない。

2015-10-25

田房永子氏の記事について

一般的に、男性の方が女性よりも体力面で勝っている。

痴漢レイプなどの性犯罪は、男性加害者女性被害者になる割合が圧倒的に高い。

風俗店アダルトグッズショップ男性向けのほうが圧倒的に多い。

田房永子氏の問題については、男性女性が明らかに非対称な存在である現実を、当然踏まえないといけない。

 

http://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2015/10/1024-875b.html

アニメライターの廣田氏(男性)は、女性性的虐待児童ポルノ等の問題について、

署名活動政治家への嘆願、勉強会や講演等、リアルで様々な行動を起こしている人だが、

それゆえか、今回の田房氏の主張に対しては、わりと冷静な反応を見せている。

 

今回、田房氏の過去ログを漁って、田房氏が男性を物扱いしている記述を見つけ、

それで氏から一本取ったような気になっている人々を目にして、とても残念に思う。

こうした人々は、ネットで完結する正論ごっこに興じて、誰かにマウントしてひと時の満足を得るだけで、

他には何の行動も起こさない。リアルで行動を起こさない人が真剣さを気取っても見苦しいだけだ。

 

ネットで物を言うだけなら、せめて身の程を弁え、最低限の礼節を心がけてはどうか。

田房氏は理を尽くして、氏の目から見た問題を丁寧に解説している。

氏は敵ではない。きちんと武装解除した上で、冷静な対話をすべき相手だろう。

2015-09-17

安倍軍事帝国

古の時代極東日本という国があった。

海の底に沈んでしまっているが、元は緑豊かな国であった。

2015年日本国は揺れていた。

安保法案の成立を巡って与野党乱闘をしていた。

勝った安倍氏軍事帝国を作った。

手始めに北朝鮮侵略。そのままの勢いでロシア中国侵略

韓国台湾インドネシアラオスタイベトナムアメリカ

フランスドイツイギリスアフリカブラジルなどを侵略した。

しかし急激な侵略国連の怒りを買い、イタリアスペイン

アルゼンチンアフガニスタンポーランドミャンマーエジプト連合軍によって

市街焼け野原になった。

日本決死の反撃でオーストラリアニュージーランド占領するも、ハワイで兵の半数が餓死

同時に日本では反戦運動がおこり武装解除

その後は戦車の代わりにブルドーザーショベルカーによって占領された。

山という山は削られて日本海溝に埋められた。

都市なども埋められたので日本という国家はなくなった。

2015-09-12

「普段から自衛隊に反対している左翼災害時の救助を断れ」とか言ってるの気持ち悪いなぁ。

災害救助するのは悪いことだとか言ってる左翼はいるのか?

しろ自衛隊武装解除して災害救助に専念しろ」と言っている方が多くないか?

災害時に助けてもらうんだから戦争するのにも反対するな」というのは、それとこれとは話が別だろとしか

えー、以上の文章には、私自身の自衛隊に対する感想は含まれておりませんので悪しからず。

2013-12-25

南スーダン弾薬提供について調べてみた

http://togetter.com/li/606929

これを読んで、なんでアメリカは5000発しか予備がないのか不思議に思ったので調べてみた。喫緊に危機が迫っている韓国軍の予備弾が少ないのはもともと戦闘を想定していなかったというのは納得なんだが、しかし2000発程度しか予備がないとの情報もあり、なぜ各国で予備弾数がこんなにも違うのかというのはやはりわからなかった。

で、いろいろ調べてみたんだが、まずPKOでは兵站は一元管理しているようだ。

http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison13.html

 私は、2011(平成23)年9月よりハイチ首都ポルトープランスデルタキャンプにある国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)軍事部門司令部兵站部において「兵站幕僚」として勤務しています。編成は7名、国籍チリブラジルアメリカヨルダンフィリピンハイチそして日本とバラエティに富んでいますが、これだけ異なる国が揃うと仕事のやり方もそれぞれ異なることは言うまでもありません。兵站部では、具体的にはCOE(派遣国保有装備品)及びUNOE(国連保有装備品)の定期的な現況調査、使用弾薬の管理、国連車両の管理、派遣部隊に対する任務支援(主に輸送任務)、補給品調達及び生活環境の構築・改善等を行っています。2010年10月よりコレラの流行が問題となり、特に生活環境(汚水処理施設やゴミ処理方法)については適時確認、改善させる等、万全の態勢で臨んでいます。私のこの他の任務としては、MINUSTAHと日本隊との連絡幹部的役割を担ったり、本邦とMINUSTAH関連情報のやり取りを実施しています。

これはハイチの例だけれども、多分スーダンでも同じ?

Wikipediaには

その兵站支援の方式としては平和維持軍に参加する一国が担当する一国支援担当方式、相互依存原則に基づき複数の参加国が他国分担方式、地域ごとに担当区域を定めて行う分権方式がある。[13]

とのこと(出典付き)だが、管理方法まではわからない。

と思って調べてたらばっちし兵站部のひとの話があった。

http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison22.html

 兵站幕僚は、UNMISS軍事部門司令部(Force Headquarters(FHQ))兵站部(J4)に配置されています。FHQは司令官(Force Commander(FC))以下約90名(23カ国)から成るUNMISSの中で唯一軍人だけで構成される組織で、兵站所掌するJ4はチーフオーストラリア陸軍中佐)、副チーフオーストラリア海軍少佐)、部員2名(スウェーデン海軍少佐と私)の計4名で構成されています。

 派遣部隊との業務上の関係については、UNMISS派遣された部隊は全てFCの指揮下にありますが、FCが運用権限を有するのは歩兵大隊インド軍、ケニア軍、ルワンダ軍、モンゴル軍、ネパール軍)に対してのみで、支援部隊に区分される派遣施設隊の運用権者はFCではなくミッション支援部長文民)になるため、直接的なつながりはありません。しかしながら同じUNMISSという枠内で活動する自衛官として、日本の現地支援調整所や施設隊とは定期的に情報共有を図っていますし、新規部隊の派遣・展開といった他国部隊の動向に関する情報はFHQに集約されますので、情報収集観点から自衛官をFHQに配置している意義はあると考えます。

というわけで、日本・韓国兵站は独自にやっているもよう。ちなみに兵站はかなり困難な状況のようだ。

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html

さて、それで実際どの程度の武力を持つことができるのかというはなしだが、Wikipediaには

無撃的武力は車両による道路封鎖など、加撃的武力は小火器の使用などが挙げられる。最終的手段としての加撃的武力の行使は自衛戦闘おいてのみ認められている。自衛戦闘とは兵士個人または部隊の一部が危険に陥った場合、対立勢力の一方が平和維持軍を撤退させようとして平和維持部隊の安全危険となる場合、武力で平和維持軍武装解除を行おうとする場合平和維持要員を逮捕・誘拐しようとする場合平和維持軍資産を武力で侵犯した場合がある[12]。

という記述がありかつ、FCの指揮下にいるので、各部隊には予備弾などのルールもあると思われる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20131224-00030921/

これでみると日本は330人位(二個中隊?)、韓国は273名(一個中隊)、アメリカはよくわからん。予備弾1万発を330人で分けると一人あたり30発(弾倉1個分)。どれくらい予備弾を保持するのが可能なのかと推測すると一人あたり弾倉2個くらい?予備でないの含めると弾倉3個が一人あたりの分配なのかなという感じ(自衛隊首都にいてUNMISSも近くにあるので全部渡しちゃったのか?だとすると弾倉2個が持ち分の可能性もある)。とりあえずアメさんが出してきた量からアメさんの人数を想定するとおそらく150人程度(一個中隊)かな。韓国も同じ割合で保持しているとすると、約2万5千発(うち予備約1万6千発)を保持、今回足りないかもで足した分が1万5千発。だいたい予備が二倍になったくらい、かな。

重武装反乱軍部隊1000名(しか戦車もいる)のに、小火器で弾倉五個(下手したら四個)というのはかなりつらそう。まぁ三個しかないよりはマシだが。

~~~追記~~~

色々見てたら自衛隊の予備弾薬8万発、韓国戦闘員は40~50人という情報も出てきた。

しか工兵中隊文民扱い文民指揮下だから戦闘員40人x弾倉2個(60) = 2400発。だいたい整合性が取れる感じ(追記2万発の間違いくさい。たびたびすみません)。これを非常時ということで工兵にも分配したらそりゃ足りないわ。1.5万発は本当にありがたいだろうね、現場の人的には。そしてそれくらい切羽詰まってるってことでもあるような気も…。しか自衛隊の予備弾薬多いな。一人あたり弾倉8個分か。兵站が困難なことが予想されてたから予め多めにおいといたのか。

アメリカ戦闘員しかいないので、自衛隊と比べてはいけなかったな。多分一個師団くらいできてるよなぁ…

http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf

一次ソースを読み直してみたら、武器数はちゃんとかいてあった(自衛隊の)。今回の弾薬提供に関係する武器89式小銃と5.56mm機関銃MINIMIなので、計302丁。所持弾薬数8万発の話がほんとだとすると、一丁辺り260発。でもたぶん機関銃が100発ずつ確保するとなると、200発弱ぐらいというところか。弾倉7個程度なので平和維持活動をすると考えるとまぁそんなものなのかなぁ…普通どの程度かがわからない。

なお、10月から自衛隊組織改編して増員(5次要因)している途中で12月末をめどに400人になる予定だったようだ。入れ替えで陸路を通らないといけないということでちょっと多めに予備を持っていたのかもしれませんね。

~~~追記ここまで~~~

しかしこれで反乱軍部隊におそわれて弾薬等を奪われてしまったら危険だなぁ。大丈夫なんだろうか。中立ルールにのっとって大量虐殺を阻止できなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナルワンダのようになってほしくはないが、かといってヒャッハーせんそうだぜぇ!を国連が許すとは思えないし、とっととPKFで介入しろというのが結論の気がする。

なお弾が足りないとか公言したらむしろ危ないだろなどというコメント散見されるが、地理的に近い+UNMISSが関与しているので、閣議決定された時点で弾薬の受け渡しが開始され、それが済んでから発表されたのでは?というか閣議決定される前から動きはじめていたのでは?という感じだなぁ。現場のことはわからないけど。海外ニュースではちょろっと日本が初めて他の国に武器をあげたよっていう話題は出ているが、それほど大きく取り上げられてはいないので、あちらさんには弾が足りないとかい情報殆ど伝わってないだろうし。そもそもガラパゴス日本語韓国語の応酬だからなw

余談だが、弾薬提供は逆に戦闘力があると見做されて攻撃を受ける可能性を作る事になりかねない、ってのを見かけてちょっと笑った。いやいやいや…たしかにPKOで武器をできるだけ持たないのは現地民からの反感をかわないためだが、避難民が狙われている状況ではむしろきちんとした装備を持っていることをアピールしないとまずいですよね。

南スーダン関係のまとめ

なんか申し訳ない感じなので一応まとめておきます。間違ってたら指摘してください。

南スーダン共和国概要外務省ホームページ

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html

もとは1956年独立したスーダン共和国の一部。二回の内戦と一回の紛争の後、2011年南スーダン共和国として独立した。

4世紀頃からキリスト教徒が多い国だったが、その後エジプトの支配が強まり、北のほうからイスラム化、途中エジプト英国領になった影響でそのまま英国領になった。で、19世紀の後半にイスラム教徒が蜂起して乱を起こし、国家を設立。この時に噛んだのが多分フランスで、その後はフランスイギリス代理戦争の場となる。

一応その騒ぎは収まって結局イギリス保護下になったんだが、北側は独立意思が強く、南北で分断して統治をすることになった。これが今も南北で仲が悪い遠因らしい。北は独立するために自治政府をつくり、第一次内戦をへて56年に独立、以後イスラム系が強い国になる。

が、石油南部発見されてしまったため、北部の人たちが無理やり地域区分を変えて利権獲得に奔走したり、イスラム原理主義に走ったので、これに南側の非イスラム系が反発してまたもや内戦勃発。この後はウガンダとかエチオピアとかマリあたりもごたごたしてぐっちゃぐちゃしてるのでようわからんが、とりあえず最終的には2003年イスラム系と非イスラム系の間で紛争がおこり、暫定政府を作ってようやく集結……かとおもいきやナンバー2が事故死してカオスになったりしつつも、2011年にようやく南スーダン独立することに住民投票で決定した。

ほとんどはイスラム系と非イスラム系の戦いではあるが、一部部族間抗争だったり、二回目の紛争の遠因になった油田をどっちの国にいれるかでもめてたりなどするので、単純な宗教対立ではない。南側は地下資源豊富だというのもキーポイントのようだ。どこの国でも同じですね。

で、このスーダン南スーダンは近年落ち着いてるかって言うと、全然そんなことはなくて、未だに国境ラインでもめている。

南スーダンへの自衛隊派遣

スーダン内戦と紛争で荒廃しきっているので、とりあえずインフラ敷設とかやろうというわけでPKO派遣が決まった。決まったと言っても未だごたついている地域なのでそれでいいのか、なんだがまぁやっちまったもんはしょうがない。日本がスーダンへの派遣をきめたのは2008年福田首相の時、実際に派遣が始まったのは2011年7月からなので菅首相とき現場はあんまり乗り気でないムード要出典)だったみたい。

http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html

 南スーダンPKOへの自衛隊派遣における最大の障害は、兵站上の困難さである自衛隊の要員や物資は、ケニアのモンバサ港から陸揚げされるが、自衛隊が活動拠点とすることを予定しているジュバは、そこから1900キロの、いわば陸の孤島である陸上輸送ではジュバまで1カ月以上かかり、空輸であれば、大型輸送機ジュバの空港に着陸できないため、隣のウガンダで中型機に積み替える必要があるという。そして、自衛隊南スーダンにおける活動は少なくとも5年は継続される。このような長距離輸送は、今までに経験したことがないと、自衛隊幹部は指摘している。政府は、ジュバ周辺の安全性ばかり議論しているが、真の困難は兵站にある。(図参照) ジュバ周辺の治安不安があるという理由で武器使用基準を見直すなどというのは、後付けかつ極めて的外れである

 政治が、自衛隊派遣政治的目的を明示し、それにかかる軍事的コスト自衛隊ときちんと擦り合わせるというプロセスが、全く十分であったように見えない点が大問題である。本来、それこそがシビリアン・コントロール重要機能である

このように兵站が大変ということは最初から自衛隊幹部は指摘していた。実際現地からの声にあるとおり、雨季は道がつかえずかなり苦労している模様。竣工式などは和やかにおこなわれているみたいなので、ここ数日で急激に情勢が変化したんだろうなぁ。

今回の件の経緯

韓国軍がいたのはボルという街で、ネパール軍とインド軍がその警護にあたっていた。インド軍は医療部隊も持っていたけど、韓国軍工兵中隊なのでPKOでは文民

日本がいるのは首都ジュバで、ルワンダの部隊に警護をしてもらっている。ボルからは真南に15km150km(桁間違えましたすみません高速道路でいけるらしいです)だそうだ。日本がやってるのは道路の整備とかコンテナ住居の設置とか。

で、今月15日に反政府軍クーデター企図、一応未遂にはなってるみたいだが、火花が散れば燃える国なので戦闘が継続している。なんでか特定民族殺戮も行われていると言う話だが、これはどこまでほんとかは微妙

http://www.afpbb.com/articles/-/3005548/12849717

戦闘は、サルバ・キール(Salva Kiir)大統領を支持する政府軍の部隊と、7月に解任されたリヤク・マシャール(Riek Machar)前副大統領を支持する部隊との間で行われている。

キール大統領は、マシャール前副大統領クーデター企図したと発表したが、一方の同前副大統領は、同国部隊同士の対立を利用してキール大統領が粛清を行ったと主張している。

大量殺人から逃げ出したとする証言者2人は、自分たちがマシャール前副大統領と同じヌエル民族であるために狙われたと話している。一方の殺害行為を行っている兵士らはキール大統領と同じ多数派民族のディンカ人だという。

ボルのそばでもこの戦闘が行われており、インド兵が死亡するほどだった。しかも睨み合っていた政府軍がとつぜん反政府軍寝返りヌエル族の殲滅にうごいているようだ。それでインドネパールはやや退却したんだけど、施設に避難民がきている韓国軍は撤退するにできずとどまっている。難民の数は1万~8万との情報があり、ここに反政府軍雪崩れ込むと大変に危険。今朝の時点ではまだ接触はない、みたいな感じだったが、夕方には迫撃砲基地のそばに着弾したとのことでなんとなく時間の問題な感じがする。

ちなみに反政府軍が狙っているのは避難民なので、韓国軍はがんばればたぶん撤退できないことはない。撤退したらスレブレニツァコースだが。

で、工兵隊の韓国軍は弾数足りない!誰か送って!となったわけですね。

本来ならインドネパールが蹴散らしてくれるはずだったので、装備にそれほど気合入れてなかったのかな。どの程度の武器を所持しているのか調べきれていないのだが、相当の備えをしていても厳しい局面であるとは思う。というかよく避難民残して退却するという選択肢をえらばなかったなというくらいの状況だ。武力行使が起こる前に補給が間に合うか、PKFで介入するほかないのではないかと思われる。

現地の状況(英語多し):http://matome.naver.jp/odai/2138774124472690501

なんかー…

TBとかTBのTBとか一部ブコメとか、なんで韓国と日本のことばっかり言ってるのかわからない。今現在起ころうとしてる民族浄化がどうにかできないかって思わないのかなぁ。なぞだ…

何ごともなく自体が収束すれば、それでよいじゃないですか。なにごとかがもし起こってしまったとしても、それは当事者国の問題でしょう。犠牲者が出たことを悼みはするけど、こちらはせっせと働いて人道的支援のための金を捻出するくらいしかできることはないし、それだけでいいんだと思う。現場の人には無事でいて欲しいし、全部終わったあとに第三国人間がなにをいおうとどうでもいいよ。

2013-10-21

尾崎豊事件から考える戦後在日カルト社会構造

以下、全部コピペ

【2012 NHK紅白歌合戦コラージュ

『創価は世界中人体実験をしている』

by 岐阜県 ゆかりん

尾崎豊ブラック・アイ



【2012 NHK紅白歌合戦

『創価は世界中人体実験をしている』

by 岐阜県 ゆかりん

● NHKの公式発表乙ww

さて、本当に創価が人体実験をしているかどうか、その真偽を確かめたい方は、創価の犯罪手口(保険金殺人)を10年も研究している、日本で唯一の創価研究ブログ『richardkoshimizu's blog』で、調べてみてください。

きっと面白いことがわかると思います

『richardkoshimizu's blog』

まあ、コラ画像だとわかったうえで補足すると、この画像がコラかどうかは、実はあまり重要ではありません。

人体実験並みの、保険金目的殺人犯罪を組織的に取り組み、莫大な利益を上げて母体を肥やしてきたのが、創価という裏社会の実態だからです。

尾崎豊を殺害したのは、創価に依頼された薬物マフィア

尾崎豊が亡くなってから約2年後に、10万人近くのファンの署名で「再捜査嘆願書」を警察に提出したが、受理されなかった。

事件は尾崎ファンがオウムに取り込まれていくなど、風化していった。

しかし、7年後の1999年、突如として写真週刊誌フライデー』に蘇生装置が施された写真が掲載された。(7年間もこの写真が隠されてきたわけだ)

また、当時の捜査員の証言などもあって、その死因の不可解さがますます深まっていった。

そして、尾崎豊の怪死から実に15年もの月日が経過したとき、突如としてスクープが雑誌に掲載される。

ついに「尾崎覚醒剤を盛り、複数人でリンチした」と決定的な証言をする、実行犯の暴力団組員が現れたのだ。

月刊 keitaiバンディッツ 2007年5月号(4月7日発売)より

「若きカリスマ 15年目の死の真実」

時効直前スクープ

実行犯の衝撃告白・・・「俺が尾崎豊を殺した!」

取材・文◎ ○田○雄(ルポライター

写真提供共同通信社

この「俺が尾崎豊を殺した!」スクープについては、次のブログで読めます

<ぜひ、このメロンパンさんの記事をご一読ください>

夕焼け朝焼けメロンパン尾崎豊さんの死と創価○会」2008.10.08

さて、メロンパンさんの記事では、暴力団組員は尾崎を暴行したと告白してはいるが、全ての真相は明かしませんでした。

でも、ここまでわかると全部わかったようなものですね。

はたして、黒幕は一体何者なのでしょうか?

週刊誌のリーク画像のとおり、尾崎豊が全裸で病院にかつぎ込まれたときリンチを受けていたアザが無数にありました。

はい、知らなかった人は驚くかもしれませんが、尾崎豊の死因は、自殺でも肺水腫でも薬物依存でもありません。

尾崎死体検案書に、外傷性くも膜化出血とあるのは、どう考えても顔面を強く、何度も殴られたからです。

くも膜化出血になるまで転んで頭を打ち続けたんだ、とか言い訳にもならないわけです。

自殺と決めつけるために都合の良い解釈であり、不自然です。

写真を見ればわかりますが、AEDのような装置が尾崎の体に取りつけられています

そんな状態なのに入院もせずに、「すぐさま」家に帰ったとか、あまりも不自然ですね。

そもそも、芸能界は昔から裏社会とズブズブなので、いつ誰が死んでも別におかしくはないのです。

海老蔵が殺されかけた事件が記憶に新しいのですが、海老蔵はあのとき死んでいてもおかしくなかった。もしも、あのときに死んでいたら死人に口なしの法則で、真実は闇に葬り去られたことでしょう。

芸能界とは、そういうところです。

もちろん、下っ端の人間にはそこまでの危険性はないはずですが。

関東連合芸能人が深い関係である限り、海老蔵くらいのリンチ殺人未遂事件なんて、表面上の事件にすぎません。

尾崎事件の謎解き

まず、尾崎豊は薬物依存ではありませんでした。

不可抗力覚せい剤を酒にもられて、その後に裏社会の人間からリンチを受けたのです。

もちろん、ハルシオンなど酒で割ることができる薬物を使用したため、普通に飲むことができます

尾崎ボロボロに殴られたあと、這って歩いたために服が脱げ落ち、全裸になってしまいました。

虫の息だった尾崎は、近くの民家まで這っていき、通報された後に病院に搬入されました。

病院で検査して、尾崎が意識朦朧としながら「家に帰りたい」とうわごとで言ったため、妻が無理やりマンションに連れて帰ったのです。

本当は薬物関係に詳しい病院でキチンとした対処がなされれば、尾崎は死ななくても良かったはずです。

尾崎は適正な治療が施されることもなく、キチンとした検査も受けないまま帰宅し、自宅マンションの一室で寝かされただけでした。

尾崎の妻は、学会員でした。

そして、部屋で数時間後に尾崎は帰らぬ人となりました。

その後、尾崎との関係が冷えきっていた妻が著作権などの遺産を受け取り、逃げるように海外へと移住しました。

創価を快く思ってなかった尾崎は、創価に都合が良いようにタイミング良くいなくなりました。

妻はその後、尾崎事務所アイソトープ自分のものにして尾崎作品で商売を始め、最近では息子を尾崎の代わりに売り出して、尾崎の名声を利用した商売で、利益をあげ続けています

妻がまるで被害者かのように偽装された、尾崎真相追求サイトが、ネット上で氾濫しています

それらの大量に存在する「ネット火消し工作サイト」は、一体どのような人たちが書いたのでしょうか?

尾崎の他殺説で浮かび上がってくる犯人像といえば、○○学会以外に見つからないことは明らかです。

○○学会がネットで火消し工作をするなんて、信じられないかもしれませんが、創価の母体が朝鮮カルトであることさえ理解できれば、全てが理解できるようになります

ネットで調べていけば、ある程度はわかると思いますが、創価に詳しくない人がいくら調べても、世の中の真実には絶対にたどり着くことはできません。

逆に、創価に詳しい人ならば、ある程度の推論が可能です。

ただし、尾崎事件に関しては全国民を納得させるような絶対的な物証は、もうでてこないでしょう。

それでも、ブラックアイになるまで殴られた写真が、尾崎の無念を物語っていると思います

本当は他殺の証拠が重要というわけではないのです。

世の中の仕組みさえ理解できれば、証拠なんてこのたかだか2,3枚の写真で十分です。

決定的な証拠がなければ信じないという考え方では、常識という偏ったものの見方から抜け出すことはできません。

まり、本当に重要なのは、世の中の仕組み、つまりカルト裏社会構造を考察できる「タブーであっても受け入れる柔軟な考え方」なんです。

「一度でもいいから、あえて常識を疑って考えてみる」こと、それさえできるようになれば、世の中がどのようなからくりで動いているか、はっきりと理解できるようになると思います

マスコミが伝える情報は、裏社会存在をまるっきり排除した、とても裏社会に都合が良い表面上の報道でしかないのです。

このような報道規制が誰のために存在して、誰のためにテレビが放送されているかということを、一度考えてみてください。

尾崎事件とオウム事件が裏でつながっているように、そこに存在する「在日特権カルト利権」のつながりを想像してみてください。

● 大量に存在する尾崎の「他殺説否定」サイト

http://www.est.hi-ho.ne.jp/snowman-yukio/ozaki3.htm

はい、これが典型的な「妻を擁護する」創価学会の火消しサイトです。

全部創価に都合よいことしかかいてないし、創価カルト論を避けていますね。

その時点であちら側の工作員だと気づきます

創価カルト論を論破できないのが、創価なのですから。

真実を見抜くなんて、思ったより単純で簡単なことだったんですね。

どちらが都合の悪い真実を避けているか、それだけでわかります

創価の御用達司法である裁判所で、訴訟を提起した妻の繁美が裁判に半分負けたような判決を受けた時点で、どれだけ疑惑だらけなんだよとわかっちゃうわけです。

マスコミヤクザリンチして殺したことがバレたら創価はマズイわけです。

有名人の殺人事件発生で大騒ぎになっちゃますからね。

そうしたら、当然ながら犯人探しになるわけです。

犯人探しが始まると、どう考えても一番怪しいのが創価となります

裏社会はそれが嫌だから半殺しにして、救急で病院に搬送させてから、かの有名な「創価注射器」で薬物を注入するわけです。

もしくは、家でコッソリと創価注射器で薬物を注入する。

尾崎覚醒剤に溺れて自己責任で死んだんだ」

それが、創価の最高の筋書きなんです。

絶対に、「ボコボコに殴られた挙句、最後に薬物を注射されて殺された」という筋書きではマズイのです。

誰のために都合がよいかを考えれば、わかるでしょ?

死体監察医は創価のお抱え監察医です。

おいおい、そうか、そうかって、何でもかんでも創価のせいにするのは、いくらなんでもこじつけでしょう!」

はい、そうですね。

このような理屈は「単純すぎるため、虫の良いはなしだからおかしい」と思われるかもしれません。

しかし、世の中の利権構造に創価などの在日カルトの特権が、ここまで深く組み込まれていることが全ての問題の原点であるため、この話を避けて通るわけには行きません。

普通に考えれば「真実がそんな単純なわけがない」と思うのは当たり前ですが、常識の範囲内で裏社会のことを調べていては、現実に存在するカルトなどの「腐敗した世界」の構造を理解することはできません。

カルトの原点は「大東亜戦争」の敗戦から

話が飛躍していると思うかもしれませんが、創価の母体とは朝鮮宗教であり、この在日宗教カルトこそが様々な在日特権をうみだしてきたのです。

もっというと、統一協会や創価などのカルトに特権を与えてきたのが、GHQ占領軍であり米国でした。

まり、全ての元凶は日本の「敗戦」から始まっていたのです。

戦勝国の米国が日本の独立を助けたという「お話」は、おとぎ話であり、そんなものはまやかしにすぎません。

そもそも、米国が参戦した動機が、欧米の植民地を次々と奪っていった憎い日本を、完膚なきまでに叩き潰し、二度と欧米列強に歯向かえないようにするためだったわけです。

そして米国は、戦争で勝ったからには、日本のあらゆる権利を没収し、恒久的に国家から資産を搾取していこうと考えたのです。

「そんな難しいこと簡単にできるわけがない」「米国が日本民主化してくれたんだ」と思うかもしれませんが、米国はどこまでも狡猾に巧妙に、その支配体制を構築していきました。

米国は、日本に勝ち、すぐさま日本武装解除させ、米国占領軍という強大な「武力圧力」で恫喝し、米国に逆らうものは公職追放令で次々と追い出し(10万人以上)、あらゆる権力構造被差別部落朝鮮人を組み込んでいきました。

まり、米国は戦後すみやかに占領体制を構築し、無理やり大日本帝国という国家を解体したあとに、日本を米国に都合の良い米国式国家へと、国を一から作りなおしたのです。

まず、GHQ占領軍指導のもとで、朝鮮人により在日朝鮮人連盟(現在の韓国民団と朝鮮総連の母体組織)が結成されました。

そして、米国が「朝鮮人差別されていた」「朝鮮人こそが戦勝民族なんです」とプロパガンダを行って、朝鮮人被差別感情を植え込んでいきました。

そのようにして、朝鮮人を優遇していった一番の理由は、朝鮮人日本人は明確な見分けがつかないからです。

アメリカ人政治の分野などに直接でてくれば、白人だと一目でわかるし、政治家が外人だらけになれば、それはもはや日本人には主権が存在しないことがあきらかです。

そして、現在政治家朝鮮人脈が、いかに組み込まれているのかを知れば、今の日本人におかれている状況に危機感を感じざるをえません。

だって現在安倍総理が、カルト統一協会自民党清和会所属している、朝鮮人派閥だったなんて、そんなことを日本人は信じたくもないからです。

このように、米国GHQ在日朝鮮人に特権を与えた理由は、在日という外国勢力日本を乗っ取らせ、朝鮮人日本間接統治させることにより、米国の都合の良いように国家を運転していくことでした。

これが開戦当初から米国のもくろんでいた、欧米列強の植民地主義に変わる、対日本マイノリティ支配戦略だったのです。

それらの国家を少数支配で乗っ取る方法や、外国勢力により国家間接統治する支配体制を、まとめて「ユダヤマイノリティ支配」と言います

なぜユダヤ式なのかというと、ユダヤ国際金融資本という金権特権組織が一番奥に潜んでいるからです。

● 創価の「保険金殺人システム

そのようなわけで、戦後の日本おいては、カルトにもヤクザにも在日特権が与えられ、その背後には常に米国やユダヤ金権勢力が暗躍してきました。

日本にはそのような歴史があるため、カルトヤクザは戦後から勢力を拡大する一方で、在日組織が犯罪の温床でタブーとされたことは、当然至極のお話なのです。

そして、その在日カルト宗教の筆頭である創価がタブー隠れ蓑にして「保険金殺人システム」を構築し、私腹を肥やしていても、さもありなんということです。

尾崎に関して言えば、死因とされた肺水腫は当然ながら監察医ねつ造であるわけです。

当初、肺水腫でとりあえず死亡結果を発表したけれど、タイミング悪くブラックアイのリンチ写真がリークされてしまい、一気にマスコミ国民からの疑惑が噴出してしまいました。

そこで、その辻褄をあわせるために司法解剖の結果である覚醒剤反応を後出しジャンケンで発表することにより、「尾崎は薬物依存だったことが判明しました」という自殺の線を補強して、裏社会に組するゴロツキたちが「尾崎他殺説のもみ消し」を計ったという顛末だったのです。

これも、保険金殺人システムと同じような仕組みです。

尾崎を亡き者にする動機

尾崎ほどの有名人が創価嫌いだから、狙われたのでしょう。

しかも、カリスマ性をもった影響力のある人が、日蓮に改宗するとか、鞍替えるなんて、創価にとっては危険存在になるわけです。

そして、何よりも尾崎を殺害しても、簡単にもみ消すことのできる「保険金殺人システム」が構築されているのです。

これを使えばそう簡単にはバレないわけです。

実際に、尾崎自殺覚せい剤におぼれて死んだだけなんだと、国民に裏側にある事実はまったくバレていないのです。

まず、日蓮を敵視するショッカーが、妻と田崎とヤクザ遺産著作権利権で利用してこの作戦に巻き込んでいきました。

当然、尾崎の死後、CDなどの著作権は創価の懐に入ることになります

ちなみに、オウムもなぜか日蓮を批判しています

尾崎リンチしたヤクザはガンで余命半年となり、罪悪感からかその胸中を告白しました。もちろん、創価のことは伏せています

しかし、創価の実態さえわかれば全てがスラスラとつながってしまいます

覚せい剤を致死量の3~5倍、酒にもってからの暴力でした。

覚醒剤は2時間もあれば、胃の中で消化されるようですが、消化しきれないほど飲ませたから、胃から覚醒剤が検出されてしまったわけですね。

通報で駆けつけたのは、これまた創価専属の警察官でした。

全裸でのた打ち回る、尾崎の奇妙な様子を確認しただけで、保護しないで何もせずに帰るとか、どんな判断だったのでしょうか?

司法解剖はもちろん、創価のお抱え解剖医となります

週刊誌リークの写真と、まったくかみ合わない説明を繰り返す「火消しサイト」のみなさん。

自分で頭をうちつけて、自分で転げ回って細かい傷だらけになっただけだ」とか、「ブラックアイも石かなんかに、偶然倒れたときに打ちつけてできただけだ」とか、ちょっと都合が良すぎる解釈だと思うのですが。

一見して、どう考えても普通に思いつく答えが、暴行のような気がするのですが、リンチ行為があったことすらも他殺説につながるからマズイ、ということなんですか?

尾崎は家に帰って息を引き取ったことになっています

しかし、実際に自宅で数時間後には死んでしまうような「虫の息の人間」を、寝かせて安静にさせていただけという状況は、はっきりいって異常な光景だと思います

死ぬ間際まで衰弱していた人間を、どうして病院から連れ戻す必要があるというのでしょうか?

ちょっと常識では思いつかない行動だと思います

これは推測に過ぎませんが、病院で死なれたら何かマズイことでもあったのではないでしょうか。

実際に、リチャード・コシミズ氏が提唱する創価の「保険金殺人システム」を応用すれば、病院で注射をうたれてその場で死んでしまうことはよくあることのようです。

まり、この事件は病院では元気そうに見えた尾崎が、なぜか自宅で息を引き取ることに、全ての謎をとく鍵があるように思ってしまうわけです。

これ以上書くとヤバイかもしれないので、全ては書かないでおこうと思います

病院で尾崎が死んだら、ヤクザではなく医者にも疑いがかかってしまいませんか?

本当は、ヤクザが自白したのも、自分が「半殺しにしたんだ」「薬漬けにしたんだ」と告白させることで、注意を自分に向けて、誰かをかばうことになっているのではないでしょうか。

ヤクザが薬を使ったのならば、その後に薬を使ってもわかりくくなります

そうだとすれば、ヤクザが余命わずかと言ったことも、ウソということになります

とまあ、勢いで全部言ってしまったような気もするのですが、さすがに考えすぎのような気もするのも事実です。

もしそうだとしたら、全てが用意周到に計画されたことになりますので、裏社会にしたらうまくやった、本当にお手本のような事件だったのではないでしょうか。

尾崎豊の怪死とオウム地下鉄サリン事件の「黒幕」

「創価・統一」カルト合戦池田・安倍)コラージュ

さて、全ての結論を申し上げる前に、裁判所おいて、次の歴史的大事件がおきたことを、皆さんはご存知でしょうか?

(ちなみに尾崎豊の兄、康さんは裁判官として2004年から5年間、裁判所で働き、2012年からは弁護士として活躍されています

ということで、尾崎事件の途中ですが、以下のことを理解しなければ、尾崎真相も理解できないと思いますので、少し話題はそれますがもう少しなので、我慢して聞いてください。

それでは今から、とても重要なお話をします

はい皆さん、心の準備はよろしいでしょうか?

これは、あまりにも荒唐無稽な話なので、ヘソで茶を吹くかもしれませんが、動揺しないで聞いてくださいね。

なんと、「現在国会議員は全員「不正選挙」により当選した」ことが明らかになってしまったのです!!!

それでは、次の国家転覆に値する「不正選挙」の実態について、以下の記事をご参照ください。

★ 【日本初】裁判所から裁判官が脱走wwww「不正選挙」の黒幕を裁判所が暴露!【今、裁判官が逃げてったんだけどw】

『目の前で裁判をしている真っ最中に、いきなり裁判所が裁判を放り出して、裁判官が3名とも裁判所から逃走した!?』

(∂εδ)ちるみぃ「えっ?」

裁判所が裁判をやらないでござるの巻

☆ iNHKニュース番組(犬HKの解説つき)

不正選挙

インチキ裁判の実録音声(生録音データ

裁判所は腐ってる 東京高裁第102号裁判】

『この動画の公開は犯罪行為です!』

★【大炎上】「不正選挙」裁判の録音をネット公開してる前代未聞のバカ発見www【通報しました】

裁判中に録音した音声データネットで公開するなんて、前代未聞の行為をやってやがる!!

うわあああああああああああああああああああああああーーーーっっ!!

何なんだよこいつら、マジでやべえんじゃねえのかwww

(∂v6)ちるみぃ「ふてぇヤローだな。どこのドイツだ!?」

(∂εδ)ちるみぃ「コソコソしないで、顔見せやがれっ!」

(∂v6)ちるみぃ「はひっ、すみません、犯人はあたしです!」

(∂εδ)ちるみぃ「えっ?」

(∂v6)ちるみぃ「えっ?」

地下鉄サリン事件を結ぶ点と線

さて、若干お話がそれてしまいましたが、ここまでお話を聞いていただけたのであれば、あとは何となく想像がつくかと思います

実は、サリンを作っていたのはオウムなどではありません。

オウムが第7サティアンで作っていたのは、なんと覚せい剤LSD)だったのです。

簡単に言うと、オウムがやっていたことは、北朝鮮麻薬の商売でした。

オウム麻薬を作って利益があるのは、ヤクザカルト裏社会です。

税務署捜査できない宗教法人、つまりカルト地下銀行として利用すれば、麻薬で潤ったブラックマネー安心して運用することができるわけです。

ここまでの解説で察しがつくと思いますが、オウムの背後には巨大な黒幕がいました。

まり、麻原をダシにして、国民の目を欺き、オウムを裏から運転していた黒幕が、統一教会や創価だったわけです。

それらの Permalink | 記事への反応(0) | 10:37

2011-01-07

[][]通化事件

通化事件について雑記

はてなキーワード

昭和21(1946)年2月3日に、かつての、満州国通化省通化市で、日本人に対して一週間にわたって拷問銃殺が行われ、あるいは凍死させられ、軍とは何のかかわりもない民間人2000人(一説には、数千人)が殺害された事件。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%CC%B2%BD%BB%F6%B7%EF

問題映像が「凛として愛」。公式サイトhttp://www.hanadokei2010.com/rintositeai/index.php)が「愛国女性のつどい 花時計http://www.hanadokei2010.com/

wikipedia

通化事件(つうかじけん)とは1946年2月3日中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府要請呼応した日本人の蜂起とその鎮圧後に行われた中国共産党軍と朝鮮人義勇軍南満支隊(李紅光支隊)による日本人及び中国人に対する虐殺事件。日本人3000人が虐殺されたとされている

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%8C%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6

脚注が「PHP研究所」と「新しい教科書づくり委員会」。

はてなダイアリー

戦後、無抵抗の日本人に対してこのような掠奪と暴行殺戮が、中国人朝鮮人によって行われたことは事実である

中国人朝鮮人が一方的な被害者で、日本人加害者だとそんなに簡単に決められるのか?

http://d.hatena.ne.jp/nay/20050707

中国人朝鮮人が一方的な被害者で、日本人加害者だ」って誰が言ってるのだろう?歴史に携わる者たちの多くは、「日本人」と「日本軍」を切り分けているように思われる。こういうのを被害妄想というのではないのかい

Yahoo知恵袋

ベストアンサーに選ばれた回答

片や「通化事件」もポツダム宣言日本武装解除約束していたにも関わらず、外地

占領軍の預かりしらぬ軍行動に出たのは、明らかに約束違反

日本の恥をばら撒いて、ホント「新しい教科書系の人」は反日ですぅw

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113616176

日本が一方的に虐殺された類の事件ではないらしい。ただ、「日本の恥をばら撒」く人たちがいる以上、ウェブ上で事実をはっきり提示する必要性があると思われる。

2011-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20110105171416

元の発言がどのレベルの「丸腰」なのかの問題だけど、おそらくは戦力としての自衛隊の放棄レベルの話だろう。

丸腰戦略ファンタジー性を強調したいがあまり警視庁武装解除まで言及するのは極論だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20110105165128

アメリカ日本軍事占領することにいったいどんなメリットが?

えーと、メリットよりは、アジア不安定化した際のデメリットが多すぎるから占領するって事だな。

まずは、日本がどういったプロセスで丸腰になるかについてだが

おそらく、アメリカ軍を撤退させて、自衛隊解体して、海上保安庁警視庁武装解除という段階を踏む事になると仮定する。

だがアメリカ軍の撤退を現状では自衛隊は良しとしないだろう。

となると、一時的にでもアメリカ軍が居なくとも自衛隊のみで単独防衛が可能である戦力まで自衛隊を増強する事とバーターにするしかない。

また、アメリカとも新たな軍事同盟を締結する必要があるだろう。

そのどれかが抜けてもアジア不安定化は起こるので、アメリカはその阻止に動かざるをえない。

その後、自衛隊解体になるが、自衛隊はこれも良しとはしないだろう。

今度は何をバーターにするかだが…、警察海保の増強では自衛隊は首を縦には振らんだろう。空軍の代わりになる組織が無いしな。

特に取引材料が思いつかないし国内軍だし、無理やり解散しても良いか?となると当然クーデターが起きるわな。

であれば、それを鎮圧する武装が必要。

警察庁海上保安庁重武装させて対抗するか?

そもそも、どんな理由で重武装させるのか。

…と、順序良く解体するにはそもそも無理があるんだよね。

なんで、いきなり、

米軍出て行け、自衛隊解散。海保警察重武装禁止と強行採決するなると、当然自衛隊海保警察野党は反発してクーデター起すだろうし、

米軍政変が起きたと見て鎮圧に乗り出す。

それすら凌駕するマジックがあったとして、突如日本から自衛隊海保警察の装備が消滅なんて事になったら、アメリカは一時占領して新しく政権を立て直すでしょ。

何が起きたのか確かめなきゃいけないし日本の国土と国民保護しなきゃならん。

米豪EUでの多国籍軍になるかもしれんがまずは米軍が動く事になるだろうね。

どうやっても、武装解除できないようになっとるんよ。

今みたいに、自衛隊干上がらせていくのだって限界点まで行ったら各所から圧力あるだろうし。

PKO要請とか、多国籍軍要請とか。

2011-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20110103135025

そりゃ「組織的で暴力的で金も持っているヤクザが武装しているのは何故?」というのと同じで、

武装しているほうが都合がいいからに決まっている。

元の意見(一つ前の増田ね)は「武装解除ファンタジーじゃない」であって、

日本武装解除すべき」でも、「武装解除にはメリットしかない」でも、「武装すれば損ばかり」でもないんだが

馬鹿ネトウヨはすぐ極論へ持っていきたがるんだよね。

2009-12-12

オバマ言葉のパワーが薄れてきた

オバマ大統領ノーベル平和賞でスピーチ

平和賞授与でオバマ氏、アフガン「正しい戦争

 授与式での演説でオバマ大統領は、「平和を維持するためには戦争という手段が演じる役割もあるのだ」と述べ、アフガニスタン戦争を「正しい戦争」と位置づけた。その上で、今月1日に発表したアフガンへの米軍追加増派に関し、「米国民が直面している脅威を座視は出来ない。交渉でアル・カーイダ武装解除することは出来ないのだ」と語って戦争遂行の必要性を強調した。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091210-OYT1T01484.htm

ノーベル平和賞授賞式の場で「平和のための戦争」という古来、手垢のついたレトリック空疎だ。

いくらノーベル平和賞うさんくさいからと言っても、これはないんじゃないか?

議会でのアフガン増派演説に続いて、オバマ言葉が持つパワーがだいぶ薄れているように感じる。

2007年暮れの米大統領選挙運動から始まった熱狂的なオバマブームももう終わりか

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