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2017-11-28

王子が姫を救う話よりも、平民が姫を処刑する話が欲しい

ボジョレー・ヌーボーを飲んでフランス気分でいる。

父親ビジネス書を読めといわれたので、ひねくれて遠藤周作作の王妃マリー・アントワネットを読んでいる。

ビジネス書は苦手だ。

王子騎士が姫を救う話ではなくて、虐げられていた者が姫を処刑するフィクション必要だと感じる。

日本アニメ漫画といったフィクションを見ると権威主義ものばかりである

主人公上級国民だったり、特殊能力がある奴ばかりだ。

古典時間光源氏が出てくる源氏物語在原業平活躍する伊勢物語に苦闘していたが、昔から日本人権威が大好きなのかもしれない

政治経済においてもそんな傾向である気がしてならない。

まぁ、イギリス魔法の話もそんな感じだったりするからヨーロッパも似たところがあるのかもしれない。

しかし、そんなもの血筋能力もない自分には合わない。

顔が悪い自分からしたら、イケメン王子が姫を救うなど嫌味でしかない。

容姿が醜くて、いつだって底辺だった自分には血統能力というものは虚しく響く。

そうではなくて、普通人間や、それ以下とされている人々の嫉妬や執念、感情、何かを得たいと思う心が滲み出ている物語のほうがよっぽども素晴らしい。

王子英雄が姫を救うよりも、プロレタリアートが姫を処刑する話のほうがいい。

しかし、自分の通う頭の悪い大学のウェイを見る限り上の階級人間平民もクソなのかもしれない。

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

朝鮮朝鮮王朝(李朝)の高宗31(1894)年に起こった反侵略,反封建の農民戦争東学党の乱ともいう。高宗1年,東学1世教主崔済愚が,邪教を広めたとして処刑された。第2世教主崔時亨は東学公認を求め,同 29年以降「教祖伸寃」の請願教徒大衆行動でしばしば行なった。しかし「教祖伸寃」という宗教的訴えは,かえって狡猾な地方官に農民収奪の口実を与えることになった。そこで農民たちの運動は貪官汚吏の処分など政治的要求へと変わっていった。反乱は同 312月全羅道古阜郡の民乱を契機にして始まり,一応の成果を得て解散した。その後政府派遣の按覈使(あんかくし)の不法弾圧激怒した全琫準は,全羅各地に呼びかけ,5月古阜,泰仁で本格的な闘争に立ち上がった。全羅各地で蜂起した農民軍は白山に集結,大多数が農民東学徒は少なく,指導者東学接主であった。全琫準ら指導者は,農民軍を軍隊式に編成,四大綱領を発表し,反封建,反侵略を訴えて広範な農民層の支持を得た。農民軍は黄土峴,長城で政府軍撃破し全州を占領した。閔氏政権はこれに驚き清国出兵要請する一方,農民軍の弊政改革案を受け入れた。全州和約後,農民軍の大半は解散したが,全羅道 53郡に農民軍の自治機関である執綱所が設置され,実質上の政権機関として機能した。日清戦争が起こるとまもなく,全琫準ら農民軍は再起したが,日本軍政府軍の圧倒的な軍事力の前に敗北した。

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デジタル大辞泉解説

うご‐のうみんせんそう〔カフゴノウミンセンサウ〕【甲午農民戦争

1894年朝鮮李朝末に起こった東学信徒を中心とした農民の反乱。鎮圧のため李朝政府清国派兵要請日本出兵して乱は鎮圧されたが、日清戦争を誘発する結果を招いた。東学党(とうがくとう)の乱。

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百科事典マイペディア解説

甲午農民戦争【こうごのうみんせんそう】

李朝末期の1894年(甲午の年)に朝鮮南部で起こった農民反乱。圧政に苦しむ農民の間に広まった民衆宗教東学〉は1890年代には活動公然化させるが,全羅道古阜で全【ほう】準(ぜんほうじゅん)に率いられた農民たちが同年2月郡庁を襲撃し,5月以降全羅道一帯に及ぶ蜂起に発展,閔(びん)氏政権の打倒と日本人駆逐をかかげて各地を転戦した。

→関連項目大院君|李朝朝鮮

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世界大百科事典 第2版の解説

うごのうみんせんそう【甲午農民戦争

1894年(甲午の年)に朝鮮南部でおこった農民反乱。李朝末期の朝鮮では封建的収奪に反対する民乱が続発し,とりわけ南部地方開港後の外来資本主義との接触によって矛盾が激化していた。圧政に苦しむ農民の間に広まった東学は,1890年代に入ると活動公然化するようになった。こうした情勢のもとで,94年2月全羅道古阜の農民は,規定外の税をとるなど暴政を行った郡守趙秉甲(ちようへいこう)に抗議し,全琫準を指導者として郡庁を襲撃した。

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大辞林 第三版の解説

うごのうみんせんそう【甲午農民戦争

朝鮮1894年(甲午の年)東学信徒が主導した農民戦争地方官の悪政に反対した全羅道農民が蜂起したのに始まる。朝鮮王政府鎮圧のため清しんに出兵を求め、清に対抗して日本出兵日清戦争の契機となった。東学党の乱。 → 東学

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

甲午農民戦争

うごのうみんせんそう

1894年(甲午の年)に起こった朝鮮の歴史もっとも大規模な農民蜂起(ほうき)。この戦争きっかけとして、中国、清(しん)の勢力排除朝鮮支配することをねらっていた日本政府は、公使館警護と在留邦人保護名目大軍を繰り出し、日清戦争引き起こした。

 当時、朝鮮民衆は、朝鮮政府財政危機を取り繕うための重税政策官僚たちの間での賄賂(わいろ)と不正収奪の横行、日本人の米の買占めによる米価騰貴などに苦しんでいた。それにまた、1890年代の初めには干魃(かんばつ)が続いて未曽有(みぞう)の飢饉(ききん)に悩まされていた。これに耐えかねた農民たちが、日本への米の流出の防止、腐敗した官吏罷免租税減免要求して立ち上がったのがこの戦争の始まりである指導者には、急速に教勢を拡大していた民衆宗教である東学教団の幹部であった全準(ぜんほうじゅん)や金開南らが選ばれた。そのため東学党の乱とよばれたこともあった。5月初め、全羅道古阜(こふ)郡で結成された農民軍は、全羅道配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り、5月末には道都全州を占領した。農民軍の入京を恐れた朝鮮政府清国に援軍を出してほしいと要請した。ところが、ここで予期しないことが起きた。清軍の到着と同時に日本軍が大挙して朝鮮侵入してきたのである朝鮮政府は急遽(きゅうきょ)方針を変更して農民軍と講和交渉を行い、農民たちの要求をほぼ全面的に受け入れることで停戦した(全州和約、6月10日)。

 全羅道の各郡には執綱(しっこう)所という機関が設けられ、農民たちの手による改革が始まった。農民戦争はこれで終わったかみえた。ところが、朝鮮上陸した日清両軍は、朝鮮政府のたび重なる要請にもかかわらず撤退しようとしなかった。それどころか、日本政府朝鮮の内政改革を求め、朝鮮政府にこれが拒否されるや、1894年7月23日王宮占領し、親日政府組織させた。

 清国がこうした日本の行動を批判したのを好機として始められたのが日清戦争である日本政府日清戦争と併行して朝鮮植民地化する政策を推し進めた。この日本勢力を追い出すため、朝鮮農民たちは10月かばになって再決起した。全準たちは東学組織を使って各地の蜂起を統一したものにしようとした。このとき立ち上がった農民20万人を超えたといわれる。日本軍朝鮮政府軍相手にして農民軍はよく闘った。しかし、日本軍の圧倒的な火力の前になすすべはなかった。翌年1月農民軍は壊滅し、全準は3月末、ソウル処刑された。[馬渕貞利]

[参照項目] | 日清戦争

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世界大百科事典内の甲午農民戦争言及

【崔時亨】より

92から翌年にかけて東学合法化をめざす教祖伸冤運動を展開。94年の甲午農民戦争では,東学本来非暴力的な教化主義立場から武力蜂起に消極的で,全琫準らの主戦論対立したが,のちに農民軍への合流を教徒に指示した。農民軍の敗北後,98年に江原道原州で逮捕され,ソウル処刑された。…

朝鮮】より

しかし,金玉均ら開化派が政権奪取をめざした甲申政変(1884)は内外の困難を克服しえずに挫折を強いられた。一方,民衆の反封建・反侵略変革運動は,壬午の軍人反乱(壬午軍乱,1882)を先駆として,甲午農民戦争(1894)に大きく花開いていく。甲午農民戦争こそ朝鮮社会近代への移行の決定的転換点となる可能性をはらんでいたのだが,日本侵略意図に立つ軍事力行使がこの可能性を破壊してしまったのである。…

日清戦争】より

… 朝鮮では王妃一族閔(びん)氏を中心とする親清派と国王の生父大院君派および金玉均独立派(開化派)が抗争しており,政治は乱れ,官吏不正日本商人の買占めで民衆の不満は高まっていた。1894年春,民間宗教東学を奉ずる農民分散した民衆の不満を結びつけ,朝鮮南部を中心に汚職官吏の掃滅と外国人排除を求める大規模な反乱を起こし,5月には各地で官軍が敗北するという重大な事態となった(甲午農民戦争)。朝鮮政府日本亡命中の金玉均らが農民反乱に呼応することをおそれ,上海に誘い出して暗殺した。…

※「甲午農民戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています

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2017-03-31

暗君東西対抗

単純な失政や暴政よりはエピソード重視。

だいたい次代の奴が自己正当化のために悪く書いただけで、実際はそこまで馬鹿じゃないという話もあるので、話半分に読みましょう。

?-前771姫宮西周の第12代の王・幽王。無口無表情系の美女・褒姒の機嫌をとるために、用もないのに何度も緊急の烽火をあげ、集まってくる諸侯の軍を見ては、褒姒と一緒に笑っていた。ついに反乱が起きた時、幽王はあわてて烽火をあげたが、もはや集まる軍はなかった。これにより西周は滅んで東周が興り、そして春秋時代へと突入していく。
259-307司馬衷西晋の第2代皇帝・恵帝。先帝の御前で家臣が「あいつには玉座がもったいない」と言い放ったほどの暗愚だった。飢饉ときに「米が無いなら肉粥を食べればよいではないか」と言い放ち、かの有名な台詞を1500年くらい先取りした。その無能さ故に、代わって政治の主導権を握ろうとする皇族たちが争い「八王の乱」が起きたが、その無能さ故に殺されることはなく、48歳のときに食あたりで死んだ。
335-357苻生前秦の第2代皇帝・厲王。生まれつき隻眼だったために祖父から忌み嫌われ、たびたび鞭打たれるなど、虐待まがいに育てられた。武勇に優れていたが、残虐で酒を好んだ。宴のときには酒を飲まない者を殺したため、諸官は懸命に泥酔せねばならなかった。また隻眼のコンプレックスから「少」「無」「残」「偏」などの文字を使うだけで誅殺した。従弟たちが起こしたクーデターにより23歳で殺害された。死ぬ間際にも泥酔していたという。
463-477劉昱劉宋の第7代皇帝後廃帝。「天性好殺」と評されたシリアルキラー。従者に凶器を持たせて街を練り歩き、気に入らない者を自ら殺して回った。贈り物が好みでなかったというだけで皇太后を毒殺しようとしたが「喪に服しているあいだは街へ出られませんよ」と諌められて諦めた。一日に誰も殺さないと不機嫌になったという。有力な将軍クーデターにより14歳若さ殺害された。
502-549蕭衍南梁の初代皇帝武帝。当初は名君の誉れ高かったが、次第に仏教に傾倒していき、莫大な寄付金国庫を傾けた。なまじ優秀だったために諫言を聞かず、勝手出家してはそのたびに寺院から連れ戻された。周囲の反対を押し切って、隣国を追われた武将を受け入れたところ、即座に反逆され、凄惨な籠城戦の末に捕縛幽閉された。息子たちの誰も救援に来ない中で、惨めなうちに病死した。
1122-1161完顔亮金の皇帝。「天下の美女を妻に得たい」と嘯き、親族、家臣の妻、母娘、幼女、あらゆる美人後宮に入れ、宮殿のいたるところで乱交した。幼い姪を強姦して殺し、従弟の妻を奪おうとして死に追いやった。南宋に対して大規模な遠征を行ったところ本国で別の皇帝擁立され、それでも遠征を続けようとして部下に殺された。死後、皇帝どころか王とすら見做されず、「海陵庶人」と記録された。
1563-1620朱翊鈞明の第14代皇帝万暦帝。幼い頃から聡明で知られ「朕は5歳で字が読めた」とよく自慢していた。宰相張居正の手腕により、統治の初期は成功を収めたが、その後は外征・内乱が相次ぎ、自身酒色に溺れて堕落した。明で最も在位期間の長い皇帝だが、30年にわたって後宮引きこもり上奏があっても何の返答もしなかったため、国政は機能不全に陥った。ただし徴税だけは熱心だったという。

西

161-192コンモドゥス17ローマ皇帝暗殺未遂や側近の裏切りなどから政治への興味を失い、剣闘にのめりこんでいった。「ヘラクレス化身」を自称して狼の毛皮をまとい、実際に剣闘士としてコロッセウムで戦った。その武勇は素晴らしいものだったが、「皇帝奴隷の真似事を」とローマ市民を嘆かせた。あるとき重臣たちの粛清を図ったが、逆に毒薬を飲まされ、朦朧としたところを襲われて殺された。31歳だった。
203-222ヘリオガバルス23ローマ皇帝ローマ最高神故郷シリアの土着神に挿げ替えてその神官となり、処女を守るべきローマ巫女結婚して神の子を産もうとした。その後は離婚結婚を繰り返し、最後には女装をして男性奴隷の「妻」として振る舞った。さら宮殿の中に売春宿を作り、自ら男妾となって通りがかる男性を誘い込んだ。マゾヒストの気もあったという。近衛兵の反乱により18歳の若さで殺され、死体は切り刻まれて川に捨てられた。
937-964ヨハネ12ローマ教皇カール大帝の子孫という家柄であり、わずか18歳で教皇となった。無謀にも教皇領の拡大に乗り出して大敗を喫し、それを助けた東フランク王国オットー1世ローマ皇帝の冠を与えた。これにより神聖ローマ帝国誕生したが、教皇権威は低下することとなった。不道徳人間で、ラテラノ宮殿売春宿のようにしており、最期人妻と寝ていたところをその夫に見つかって殺されたという。27歳だった。
1012-1056ベネディクトゥス9世ローマ教皇父親の後押しにより20歳にもならないうちに教皇となる。賄賂などはもちろん、殺人もいとわず姦淫にふけり、同性愛も行っていた。従妹と結婚するために教皇位を金で売りとばしたが、すぐに後悔して復位を主張し、混乱を招いた。結果として三度も教皇に就位することになり、最後には新たな教皇により破門されてしまった。四度目の復位を画策していたときに43歳で亡くなったと言われる。
1199–1216ジョンイングランド王。幼い頃から父・ヘンリー2世に可愛がられていたが、父と争っていた兄・リチャードが優勢になると寝返りヘンリー2世失望のあまりに亡くなった。さらにリチャードが亡くなって王に即位すると、フランスフィリップ2世敵対して惨敗フランスにあった広大なイングランド領を全て喪失し、その体たらくイングランド諸侯の不満が爆発したため、やむなくマグナカルタを認めて王権制限を受け入れた。
1835-1909レオポルド2世ベルギー国王アフリカコンゴ私領とし、私財のほとんどを投じて近代化を推進したが、やがて「天然ゴム採取ノルマに達しなければ手首を切り落とす」といった残虐な労働を強いるようになった。さすがの欧州諸国もドン引きして強烈なバッシングを浴びせ、最終的にコンゴ統治ベルギー政府移管された。国民からの信頼は地に堕ち、晩年王妃や娘にまで白い目で見られたという。
1845-1886ルートヴィヒ2世バイエルン王。「狂王」とも「白鳥王」とも呼ばれる。政治への興味は薄く、戦争に負けたばかりで多額の賠償金を抱えていたにもかかわらず、借金までして自身メルヘン趣味に耽溺し、中世風の美麗な城を各地に残した。夜中にソリ遊びを始めるなど、奇行に走る王を家臣たちは危ぶみ、精神病だという理由で退位させた。その翌日、40歳で謎めいた死を遂げた。

2016-04-11

マレフィセントフェミ映画っていうけどさー

それにしては実母の扱いが酷過ぎない?

魔女呪いのせいで生まれた娘を取り上げられて娘が慕うのも魔女の方って…

マレフィセントageのために王妃sageてるのが不快から

フェミ映画と括られるのには疑問がある

アナ雪の方は実母は過保護ではあるが善良だったし

アナやエルサと比較してsageられてる女性がいる訳じゃないから不快感はなかったけど

2016-03-26

降伏勧告を受け入れる作品

ガルパンプラウダ戦にしろアイシールド21の白秋ダイナソーズ戦のような

主人公チームが相手チームから降伏勧告に対して突っぱねるシーンはよくあるけど、

そこで勧告を受け入れる作品ってあるのかな?

そこで物語が止まってしまうからなさそうだけど

追記1

ブコメであげられた作品(順不同)

追記2

たくさんのブコメどうもです。

そもそも思いついた発端がガルパンプラウダ戦で、トーナメントという1敗もできない状況での降伏勧告を想定してしまたから他が思い浮かばなかったけど(それでも話が止まることはないな)。

戦争物とかは負けてもそこで終りじゃないか。

2015-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20150904014431

マッドマックスシナリオが狂っていないように見えるのは視聴者狂気に当てられたから。

主人公サイドが災厄をまき散らしまくっているのに

「見終わった後味は実にスッキリ爽やか。やっぱヒーローはこうでなくっちゃな!って文科省推薦になってもおかしくない勧善懲悪ぶりだった。」

と言わせるんだからヤバい狂気の伝染力ですよ。

主人公サイドがどんな災厄をもたらしたのか、視点を変えて中世ファンタジーものとして考えると凄いよ。

とある王国で、王国将軍が裏切って王妃を奪い、部下を皆殺しにして逃亡を開始、

行き当たりばったりの逃亡の末、逃亡先の当てが外れ、しょうがないから王国を乗っ取ろうという話になって、

戦に出れる王族貴族は皆殺しに殺して王国を乗っ取っちゃう

それでお話は終わり。その後の王国がどうなったかはシラネ。という話なんだから

 

以下、中世風(?)ネタバレ。長いので忙しい人は引き返して。

 

 

大地が汚染され、木々は枯れどこまでも植物が全く見当たらない荒野の広がり、人は奇形ばかり生まれ寿命が半分になった世界がありました。

あるところにジョーという男が清浄な水源を見つけ、それを管理することで建国した『砦』と呼ばれる王国がありました。

王国は、水源を管理するジョー王家石油武器管理する貴族、幼少の頃から育てた忠実で強力な兵隊、水の配給を受けることで支配される人民から構成されていました。

王国兵隊は死を恐れない死生観教育されていたため大変勇敢で、王国は周囲に並ぶもののない強力な勢力でした。

水の配給は厳しく限定されていましたが、人の命を何とも思わない盗賊がはびこる世界の中で唯一、障碍者でも暮らせる平穏場所であり、王国の周りにはたくさんの人が住んでいました。

 

そんな王国も世継ぎが居なければ存続できません。ところが今までに生まれたジョーの子奇形でした。

頭脳は聡明でも歩行も難しいほど体が不自由な兄王子と、体は伝説の英雄のように屈強でも知恵遅れの弟王子がいました。

そこでジョーは、王宮の奥深く清浄区画ハーレムを閉じ込め、清浄な水による水耕栽培で作った作物を与え、奇形のない世継ぎを授かることを待っていました。

 

そんなある日、王国将軍であるヒュリオサの裏切りによって王家は滅びることになってしまったのです。

(続きは描かれていないので王国のものが滅びた可能性もある。)

閉じ込められたハーレムの女たちを気の毒に思ったヒュリオサは、石油輸送任務の際に、石油輸送に使う車に女たちを隠し、将軍を信頼していた護衛の部下たちを皆殺しにし、確かな見込みもなく逃亡を開始したのでした。

このとき偶然の成り行きで追われる身となってしまった死を恐れない王国少年兵のニュークスと、流れ者のマックス(主人公)が、ヒュリオサたちと一緒に行動することになりました。

 

当初の計画では、逃走経路の峡谷に住まう一族石油差し出す代わりに峡谷を爆破してもらって追手を振り切る手はずでした。

しかし逃亡は開始直後に王国にあっさりばれてしまい、すぐ近くまで王国軍の大群が迫った状態で峡谷に来てしまいました。

谷の一族はヒュリオサに数人の追手を振り切るだけだと聞かされていたので話が違うと激怒しました。

峡谷は何とか爆破してもらったものの、追手がすぐそこまで迫るため、ヒュリオサ達は石油差し出さずに逃走を始めてしまいました。

当然、谷の一族は車の足を止めようとしますが、逃走を止めるはずもなく戦闘に発展。

谷の一族は多数の死者を出し、もらうはずだった石油タンク戦闘で爆破し、損害だけ被ってしまいました。

 

ヒュリオサたちが谷を抜けて平地に出たころ王国軍隊が追いついて戦闘になりました。

この戦闘ハーレムの女の一人が死亡。しか妊婦でした。

ヒュリオサ一味は死体を捨てて逃亡したため、王国軍遺体を回収し、念のため胎児を取り出してみましたが、既に息絶えていました。

の子奇形のない正常な胎児でした。念願のお世継ぎになるはずだった子供でした。王や摘出に立ち会った者たちは無念さを隠せませんでした。

特に屈強な肉体の弟王子は知恵遅れでしたが仲間想いで、生まれるはずだった弟の死にショックを受け、ヒュリオサ一味に仇討ちをすることを決意しました。

 

ヒュリオサたちが湿地帯に差し掛かり歩みが遅くなったため、水陸両用車をで追いかけてきた王国軍とそこでまた戦闘になりました。このとき偶然なりゆきで行動を共にしていたマックスの、単身で水陸両用軍団に仕掛に行って壊滅させるという大活躍しました(映画では全ほとんど写されない)。これ以上の追跡は割に合わないと王国軍に思わせることに成功し、ついにヒュリオサたちは追手を振り切ることに成功しました。

 

ヒュリオサが逃亡先として当てにしていたのは自身故郷でした。幼いころの記憶ではそこは緑豊かな土地でした。

砂漠差し掛かったころ、盗賊をしているヒュリオサの一族の老婆たちに出会いました。

一族の者たちとの再会を喜んだヒュリオサでしたが、話を聞いてみると、故郷の森は汚染によってすでに消えヒュリオサたちが通過した植物の全くない湿地になってしまい、こうして今は盗賊をして生活していると聞かされました。

ヒュリオサの目論みは完全に外れてしまったのです。

 

仕方ないので、汚染のない緑豊かな土地が見つかるまで旅続けることになりましたが、マックス提案で別の方針をとることになりました。「自分たちを追跡しに軍隊を出したため守りが手薄になっている王国に攻め入って乗っ取ろう。王国には汚染されていない水と水耕栽培システムがあるから、そこが汚染されていない緑豊かな土地だ。」という方針です。

 

ヒュリオサたちは来た道を来たときと同じくらい爆走して王国に向かいました。休憩中の王国軍のすぐ横を通ったため見つかり、すぐに狙いを看破されまたもや追われることになりました。

 

そして最初に取引で足止めをしてもらった峡谷に差し掛かりまたもや戦闘。この戦闘でヒュリオサ一味にも多くの死傷者を出すもの胎児の弟の仇討ちに来た弟王子殺害、王であるジョーも殺害しました。そして少年兵のニュークスが特攻により玉突き事故を起こして王国軍を壊滅させ追手を振り切ったのでした。

 

王宮の正門に付いたヒュリオサらはジョーの遺体を車から降ろしてクーデター成功を宣言します。体が不自由戦闘に参加できなかった兄王子貴族らが目を見合わせるなか、有力な勢力がすでにいない王宮は門を開放しヒュリオサ将軍を新たな指導者として受け入れます。ついに行き当たりばったりで、自分の部下や生まれる前のお世継ぎ、主な王族貴族を皆殺しにして、ヒュリオサは王になってしまったのです。ジョーは神聖視されていたため、遺体の周りには遺品や遺体の一部を授かろうとする人だかりができていました。ここまでヒュリオサを支えてきたマックスはなぜか、遺体に群がる民衆の波に紛れてどこかで消えてしまいました。王国の将来がどうなったのかは誰も知りません(ここで映画が終わるため)。

 

 

いやあ、酷い話でしょ、コレ。

王族に対しても国家やそこで暮らす人々に対しても、忠義から最も遠い道をゆくヒュリオサ将軍はまさにマッドマックスでしょ。あれを意図しないでやっちゃうんだから秩序を破壊し戦乱をもたらす悪魔死神にでも取憑かれてるのかもねw

 

この後の王国どうするんだろうね?ヒュリオサは行き当たりばったりでしか行動してないから政治能力は全く期待できない。兄王子は生きてるし、帰ってきたハーレムの女はジョーの子妊娠していて内乱の火種だ。軍隊は壊滅状態で外の脅威にも弱くなってる。戦乱の時代が来るんじゃないかな?城下に暮らす人たちの安全はどうなる?内戦で水源や水耕栽培システムとか破壊されたらこ世界では人類の存続にかかわる損失じゃね?こんなところで話を切るな!

アルスラーン戦記だったら銀仮面復讐を決意する当たりの話だよ。本編始まってすらいないよ。せいぜいエピソード1だよ。破局フラグがいっぱい立っているのにその決定的瞬間が見れない。悲しい。

 

とまあ、狂ったシナリオなわけですよ。そしてこのシナリオ勧善懲悪だとか、格好いい女性のヒュリオサ将軍が抑圧的な王国裏切り監禁されていたハーレムの女を助ける話だからフェミニズム的にスッゲーイイとか言う人がいるわけです。狂気狂気として視聴者に気づかせないで視聴者狂気拡散するという面白くもなかなか恐ろしいことが起きているので、この文を書いて突っ込みを入れてみた次第です。普通作品だったら、民衆思いで平和国家の維持のために暴君に尽くす臣下が出てきたり、暴君自身主人公たちとラストバトルで聖杯問答を繰り広げるから主人公たちがけっこうヤバいことしてるって教えてくれるんだけど、どうやらそれはこの作品の売りじゃないからカットされたようだね。

 

マッドマックスについては以上です。

2015-06-27

エロゲ界隈が15年前からほぼ変わっていない件

久しぶりに『批評空間http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/ )』を覗いてみたのですよ。

いやぁ~ 昔と変わりませんなぁ。

ノベルゲーだからテクノロジー上の大きなブレイクスルーがないのを割り引いても、ゲーム内容・ファンの意識には往年を偲ばせるものがあります

まず物語パターン古典落語歌舞伎並にテンプレ化されてるじゃないですか。

学園モノ、ファンタジー、ご令嬢、王妃、幼馴染、妹、メイド

パーツの組み合わせが変わってるだけなんですよね。GoogleDQNIBMワトソンでもシナリオ書けそうです。

次、ユーザー層。

ユーザーレビュー玄人はだしなんですよ。

ゼロ年代くらいのファン層がまんま繰り上がってオッサンになっている印象を受けます

発売日の延期、修正パッチネタにして騒げる人たちなんかは、ワシントン条約保護すべきでしょう。

エロゲ界隈は真性オタの牙城と言いますか、原理主義者の聖域のままであってほしいですね。

電車男以降、オタクライト化するのに抗して生まれた"キモオタ"概念が近年ベタになりつつあるのは懸案事項であります

オタキングダイエット成功したサブカル博士家族シェアするイロモノ』というキャリアを"詰んで"しまった岡田斗司夫には失望しました。

エロゲけが希望です。

経産省の旗振りのもと、AKB深夜アニメと一緒に『クール・ジャパン by 秋元康』なんていうプロモーションされたら海外のファンコミュ亡命します。

2014-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20141123181836

netcraft 確かに乙女ゲーキモいアンジェリークとか男性の考える「女性はこういうのが受けるだろう」という押しつけを感じる。

アンジェリークは「女性だけの開発チーム」ってのが売り(当時は画期的)だったわけだが。

当時のコーエー副社長女性女性向けのゲームを作りたいと言い出した、って経緯じゃなかったっけ。

主人公本来目指すもの女王王妃とか姫とかじゃない)」「女ライバルとの友情も描かれてる(ただいがみ合うだけじゃない)」

「男同士の関係性も描かれてる(腐需要)」って辺りはいかにも女性が企画したっぽさが出てると思う。

今となっては男性開発の乙女ゲーでもそれくらいのマーケティングはされてそうだけど、

全くのゼロから作ったのにこの辺をちゃんと踏まえられたのは、やっぱり女性開発だったからだと思うんだよね。

2014-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20141010085041

王妃より公式愛人の方が強い権力を持つこともあった」程度の話だろう。

http://anond.hatelabo.jp/20141010083501

更に横だが、ベルサイユ、つまり中世フランスだと

王の正妻である王妃より公式愛人の方が実際には強い権力持ってたんじゃなかったっけ。

ポンパドゥール夫人とか有名だよね。

子供王位継承権は認められなかったけど。

日本だと側室の子供にも継承権あるね。

2014-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20140422141823

当たり前だ。金正日とかあのへんみろよ。権力者とは醜いものだ。陛下に実権があるならそれでよい。

しかし、象徴としての役割を果たすならば、美しくなくてはならない。

みろよ、ヨルダン王妃 http://matome.naver.jp/odai/2127847008132476901

2014-04-07

ナウシカあらすじ04

帰還したナウシカ捕虜の釈放を見届けた後、ただ一人「義理は果たした」といわんばかりにメーヴェで旅立ち、クシャナクロトワ、兵たちはそれを複雑な思いで見送る。

土鬼包囲軍で攻城包囲戦の指揮をとっていた僧会軍司令官チャルカは、皇弟より「青き衣の者」復活を知らされた後、戦場ナウシカと相まみえ、土着の民の救世主であるはずの「青き衣の者」がトルメキア軍にいることに戦慄する。しかし、その後その後釈放された捕虜から彼らを解放したのがナウシカであることを知る。

一方、皇弟は頑強に抵抗する敵に業を煮やし、「蟲か森を使おう」と決断する。この戦術による国土の崩壊を恐れるチャルカ必死で抵抗するが、止めることはできなかった。

クシャナ軍団の大部分をサパタに残し、コルベット一隻の小部隊で、大移動する蟲の群に紛れて友軍の基地に停泊する艦船ハイジャックし、自軍の兵員の救出に使おうとするが、すんでのところで兄皇子のひとりに阻止され、コルベット撃破される。彼女にとって父や兄たちは政敵である以上に母王妃発狂させた仇敵であった、幼い彼女誕生祝いに王が送った杯の毒酒を、母は身代わりに飲んだのである

母を侮辱され彼女は激昂するが、クロトワは機転で「蟲の群が来ると」脅し、兄皇子を撤退させる。撤退した兄皇子コルベットは実際に飛来した蟲の群に襲われて墜落炎上し、あまりにあっけない仇の死にクシャナは虚脱する。彼女達にも襲い掛かる蟲の群の前にも彼女はなお虚脱したまま、母親のごとく部下達をかばいながら静かに子守唄を歌うのみだった。そしてまもなく、蟲達は反撃の意思がない彼女達の元から去ってしまう。

一方、ナウシカ砂漠の中のとあるオアシスの古びたお堂で、弾圧された土鬼の土着信仰上人と、謎の少年チクク(後に、神聖皇帝に滅ぼされた土鬼の土王の末裔らしいとわかる)に出会う。ここで上人ナウシカに、土鬼の聖都シュワに、旧世界技術封印した墓所があり、神聖皇帝はその封印を解いて旧世界技術戦争に利用していること、また土鬼の古い教えによれば、現在進行中の破局世界浄化の過程に他ならないと言うことを告げる。

「滅びは必然です 神聖皇帝愚考すら その一部なのですよ すべての苦しみは世界が生まれ変わるための試練なのです」と語る上人に、ナウシカは「わたしたちの風の神様は生きろといっているもの!! わたし生きるの好きよ 光も風も人も蟲も私大好きだもの!! わたしはあきらめない!!」と抗う

上人ナウシカ言葉を肯定も否定もせず「永く待ったかいがありましたね ええ・・・・ 風が来ました やさしく猛々しい風が・・・」と今は亡き自分の盟友達と語り合いつつ、入寂する。最後に「お行き 心のおもむくままに いとしい風よ・・・・」と彼女を励まして

瘴気に襲われたオアシスをチククとともに脱出したナウシカは、この瘴気が「腐海」の瘴気はるかに超える毒性を持ち、「腐海」の蟲達にとっても致命的であることを発見する。その瘴気の発生源を追跡してナウシカは、土鬼の浮き砲台に遭遇する。それはチャルカと皇弟の乗り込む艦だった。

この艦は瘴気を産む生物兵器の正体、墓所技術で作られた腐海粘菌突然変異体を輸送していたのだが、この粘菌が爆発的に増殖し、

艦ごと食われようとしていた。チャルカは皇弟を逃がし、自分は一人艦に残って粘菌ごと自爆しようとする。ナウシカは皇弟の追撃をチククの超能力の援護でかわし、チャルカを手伝って、艦を爆破、チャルカ、チククとともに脱出する。

脱出後、チャルカは新たな艦を呼び、疲労のあまり昏倒したナウシカとチククを救出して、暴走する粘菌を救出する粘菌を追跡する。

目覚めたナウシカチャルカに、粘菌暴走が蟲たちを呼び大海嘯を誘発と警告する。初めチャルカは信じないが、折から各地で粘菌暴走が同時的に多発し、戦線は大混乱に陥るのを見てナウシカ言葉を信じざるを得なくなり、残存艦隊を動員して人々の救出作業に当たることを決断する。(ここまでで単行本第四巻)。

 
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