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はてなキーワード: 赤紙とは

2021-06-18

anond:20210618172058

いいなぁ…

まだ赤紙来ないんだよなぁ…

2021-05-23

五輪医者集められるなら地方派遣すべきって言うけど

スポーツドクターコロナ病棟に持っていって使えるの? 足手まといでは?

というか赤紙招集とか地方転勤とか、きみたちあんだけ反対してたやん・・・

2021-05-18

国民の都合とか考えるなよ

選挙は日時指定してんだからワクチン接種もはがき送りつけて「この日に来い!」で良いんだよ。

ジジババ暇なんだよ。大半はその日に来るよ。ごく一部が「国に強制された!軍国主義赤紙!」とか言うだろうけど、大半の国民は「何、あのバカ」でスルーだよ。

ワクチン接種より重要仕事用事は無い。

2021-04-24

今の法律でも医師には応召義務あるんだし

開業医は全部病院招集したらいいんじゃない

ベッドのないクリニックはぜーーーーんぶ止めて、赤紙出そうぜ

2021-03-13

[]3月13日

ご飯

朝:なし。昼:キャベツたまご炒め。ポロイチ味噌。夜:キャベツスープたまご納豆

調子

むきゅーはややー。お仕事おやすみん。

おやすみだし雨だしでぼーっとしてたら、急にキャベツを山に様に食べたくなり、ハンたま買ってきて炒めたり煮たりしてた。

今日だけで1/4たま食べたので、流石に満足。これ逆にもう1/4たまをちゃんと消費できるか不安だ。

○ワーフリ

おはガチャホワイトデースイゼンきゅんが来てくれたのでモチベが一気に回復して風廃竜周回して武器三種を完凸。

グラブル

ガチャピンは20連で特になし。スクラッチ赤紙

5本目の炎の柱がドロップしてくれた。これで後は栄誉ポイントログインポイントさえ貯めれば、4凸2本できて光両面マグナの確定クリ編成が組める。オールアルテミスボウと組み合わせて渾身背水ハイブリットも楽しそうだし、光マグナが久々に編成更新できそうで嬉しい。

2021-02-25

ぼくかんがかえたさいきょうに男女平等兵役

男に赤紙が来る→女と子作り→男は戦争へ→女は女手一つで子育て→男が死んでも人口は保たれる

2021-02-14

プリキュア自己犠牲をはねのける描写があったけど

国「ほいよ、赤紙ね。」

男「私の体と心はどうなるn...(ボコッ」→機関銃を背負って戦場

これまで、女は産む権利を独占して性欲を植え付けた「男」を生み出し、平均寿命自殺率幸福度などから分かるように男へ自己犠牲を散々強いてきた癖に、今になって「女の子自己犠牲から逃げても良いんだよ」なんてムシが良すぎる

男と女、ビョーゲンズはどっちなんだか分からいね

2021-02-07

昭和8年の資料

納屋掃除してたら、昭和8年発行の種痘証明書が出てきた。

真っ赤な紙だから赤紙!?と思ってドキッとしちゃった。まぁ赤紙も探せば出てくるんだろうけど

うちのじいさんが受けた時のものらしく、シミだかカビだかで少し汚くなってるが、保存状態は良好だと思う。

ただ、個人情報だしこれに何の価値があるかって言われると正直特にないよなー。

調べたら昭和8年は88年前で、国際連盟脱退の年らしい。

今のうちにスキャンなりコピーして、資料として寄付するとかも考えたけど、個人情報だし迷惑なだけだよなー

このまま朽ちさせるのももったいないけども

2020-12-20

anond:20201220192446

あのね、徳川400年かけて血の気の多いハグレ者は隣組村八分淘汰圧がかかってだいぶ減ってるし、

赤紙だって行ったらどうせ帰ってきやしないんだから消したい面倒な連中から選んで戦地に送ってたの。

3世代くらいあれば平均身長とか伸びまくるのに、出る杭打って500年ちかくだぜ?犬だって500年あればパグチワワも作れるわ。

我々は牙を抜かれて島の中で近親交配して純粋培養され続けて生み出された、人類に誇るべき危機感ゼロ従順なヘッドレス思考力を持ったサラブレッドなのだよ。ワハハ

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-07-26

時代錯誤ネトウヨ戦時中日本がお望みなのだろうか

この手で毛唐殺戮できると大喜びし、赤紙を自ら貰いに行って兵士になるのだろうか

非国民合法的に痛めつけられると喜び勇んで暴力圧力市民に振るうのだろうか

きっとそうだろう、お前らはそれを望んでいるのだから

銃で『敵兵』を撃ち抜いたら射精するんじゃないか?お前らは護国愛国忠国に快感を感じちゃってるんだから

2020-07-19

anond:20200718221539

ブコメ住基カードまで引っ張り出して言い訳してるカスが星を集めてて頭がクラクラするけど、そもそもそんなもん捨てちまえって話しだし

いざ作ろうとしたら国民背番号だと妨害してたくせ、いざ作ったら今さら止められないとか税金がドブに勿体無いとか言いながらクソに糞を理由言い訳に塗り固めて腐りきっても捨てられもせず騙し騙し改修しながら使ってく王道パターンだよな。何でもそうだけど。捨てろ捨てろ。ほんと。クビ。

政治国民ひとりひとりのマインドの凝集体なんだから

”いまさらとめられない”、”せっかくつくったのに”、”それには(偉い人たちの)深い訳がある”

とかそんな感じのアホカスジャップマインドを塗り替えないと国が沈み切るまでこのままだろうな

あと作り直すとすでに保有している人の不利益にとか子供みたいな言い訳がどっかに書いてあったけど、仕様とかセキュリティにカネがかかるにしても

カードの発行自体は1億枚強なんて訳ないだろ。

10万円・マスクときも思ったけどロジスティクス問題ありまくりだろ政府

戦争始まって赤紙が2日後にすぐ届いたら嫌だなとかそういうのはあるけど、たかだか郵送すんのに何日かかってんだよほんと。

2020-07-15

anond:20200715092849

歯並び悪いと毎年歯科検診で赤紙もらわない?自分それが嫌で嫌で、歯列矯正したよ。あれもらうと歯並びの悪さで将来病気になるんじゃないかって不安になるんだよね。

2020-05-17

現代で昔みたいな戦争って起こりうるの?

赤紙が届いたら戦争に行かないといけない!逃げたら一族郎党爪弾きにされる!みたいなさ

国への忠誠も共同体意識ももあんまないじゃん

家族人質に取るってのもなんとなく効き目が落ちてそう

もはや大量の国民戦争に動員するのって無理な気がする 少なくとも今生きてる人たちはかなり反戦自由規範みたいなのを持ってるからクソでかい反戦運動が起こりそう

軍靴の足音…みたいなのを聞くたびにどんな戦争を想定してるんだろうなと思う

2020-04-30

anond:20200430194505

まぁそんな感じはするが、今年はおかしいからな。なんかよ

わかるよ

今年は、ちょっとな。

なんていうか、お国のために死んでくれみたいな時代もあったわけだし。

赤紙が来て、きみ、国のために死んで。っていう国だったこともある。むずかしいよな。

2020-04-29

anond:20200429234423

男さんは国から赤紙が届いたら文句も言わず兵隊として南方に送り込まれ戦死病死餓死してきた性別からさすが言葉に重みがあるね

炭鉱労働者も、アスベスト使用した建物解体して吸い込んで塵肺で短命になるのも男さんばかり

男さんは労働妥協プロだもんね さすが!

2020-04-21

悲報ネトウヨ医師、散々パヨクにイキリ散らかした挙げ句お国から赤紙コロナ最前線に送られてしまう ★2

最前線じゃないでしょ

高学歴だし医者だし最前線ではないはず

2020-04-12

赤紙が来たとかツイートしてる医師、いやならやめればいいと本気で思う。

選択権はあんたにある。

医師不足なのは待遇維持のため医学部増設を絞ってるせい定期

金がないわけでも、

時間がないわけでも、ない。

医師自身が、待遇を維持するために、医学部の定員を絞ってるせい。

自業自得

赤紙危険手当?

文句があるなら医師会に言えば。

お前らは運輸や介護職に比べて恵まれている。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/MMZhGAs0lHxncdm/status/1248796183545278465

https://anond.hatelabo.jp/20200412092755

2019-10-15

今日初めて赤紙貼られた

瓶は回収しておきながら

瓶の蓋を回収しないのはリサイクル精神に反するのでは

2019-10-04

まだ戦後にいる

父親が殴るひとなのはなんでなのかな、とずっと考えてきた。

うちの父はひとでなしではない。

ごく一般的良心正義感くらいは備えている。

やさしくされたことくらい、いくらでもある。

ただ、怒りで我を忘れたとき、自制がきかなくなるだけだ。

その不安定さと、不安定である自分を黙認できてしまう狡さはどこから来るのか。

わたしはずっと疑問だった。

父は保守的田舎で育った。

そして体罰普通に罷り通っていた時代学校生活を送った。

自身自分父親や周囲の大人に殴られて育った。

実際、なんでもない思い出話として、虐待しか言いようのないエピソードを聞いたこともある。

殴ることへの罪悪感の薄さは、きっとごく普通に殴られながら育てられたことによって生まれた。

当然のこととしてきた常識を、父は疑っていないだけなんだろう。

当然と思わなければ、きっと生きていかれなかったから。

なるほど、理屈としては理解できる。

でも感情は納得しない。

わたしは再び、なぜと繰り返した。

なんでうちの父は殴られて育ったの。

誰のことなら責めてもいいの、とその問いの意味は同じだった。

わたし知識を蓄え、考え続けた。

そして、ある推察を得るに到った。

父を殴って育てた、祖父の推察だ。

祖父は早くに父親を亡くした。

若者というだけで召集令状が来るような頃、祖父は同年代より早く正真正銘家長となっていた。

から赤紙は、祖父には遅れて届いたらしい。

家父長制的な配慮祖父には行われた。

遅れて兵隊にとられた祖父は、内地出世した。

階級的にはたかが知れているだろうけど、ともかく内地で新兵の訓練に当たった。

祖父はどんなふうに訓練をつけたのだろう。

当時の軍隊では体罰が横行していたと聞くけれど、祖父も殴っていたのか。

殴れる立場になる前に、祖父も殴られただろうか。

そうして、お国のために玉砕しろと言って、新兵を戦地へ送り出したのか。

そもそも、友人たちが次々に出征していくのを、祖父はどんな思いで送り出していたんだろう。

赤紙が来たとき果たして祖父はどんな感情に襲われたのか。

今となっては分からない。

祖父戦争のことを語らないまま死んだ。

祖父内地終戦を迎えて家に帰ったけれど、祖父と同年代の友人たちはほとんど誰も帰らなかったそうだ。

その状態で、待たせていた妻と幸せ家族を築けと求められことは、どんな気持ちになるのか。

祖父はひとでなしではない。

孫にはやさしい祖父だったし、昔のひとには珍しく体調不良祖母に代わって父の弁当を作ることもあったそうだ。

自分だけ生き残って、未来を生きていくことを、祖父はどう感じたのだろう。

耐えがたく、許されないことに感じられたとしてもおかしくはない。

祖父戦争の話をしなかったのは、できなかったから。

罪悪感が祖父の口をつぐませたからだと考えれば、筋が通る。

祖父戦地に行かなかった。

凄惨戦場経験していない。

から戦闘撤退戦過酷さが祖父沈黙を強いた訳ではない。

そのくせ、出世話で自尊心を満たし、死を免れた我が身の幸運をひけらかす道を祖父は選ばなかった。

復興していく日本、生まれる我が子。

祖父の目にはどう映ったのか。

幸せ自分からぶち壊そうとするしかできない夜。

殴って、殴った自分を許容させて、ほら俺は悪いことなんかしていないと自己正当化したくてたまらなくなった夜。

そういう夜があったとしても、理解はできる。

酒に溺れ、妻子に手を上げた理由を察することができる。

サバイバーズ・ギルトPTSD

今ならば祖父に何が起こっていたのか説明してくれる言葉がある。

当時はなかった。

PTSD最初に診断されたのはベトナム戦争帰りの兵士だ。

第二次大戦が終わったばかりの日本で、戦争精神的な後遺症は見逃された。

少なくとも、祖父は見逃された。

誰も祖父を、父を、救わなかった。

父を殴った教師なかにも、きっと救われなかったひとはいる。

かつてカミナリ親父と呼ばれた年配男性日本中にいただろう。

その情緒不安定さのどれだけが戦争の招いたものだったのか。

誰もそんなことは追求せず、もはや戦後ではないと言われ、時が流れた。

わたしは殴られて育った。

もはや戦後ではないんだろうか。

本当に、戦後ではないんだろうか。

それなら、なんでわたしは殴られたの。

この身を苛む恐怖はなんなの。

ねえ、わたし、誰のことなら責めてもいいの。

誰のことも責められないで、わたしが悪かったのかと疑いながら生きていくの。

責任を負う立場に誰もいない。

わたしはせめて戦争暴力を憎む。

戦後まれの、戦争を知らない平和ボケした日本若者であるらしいわたしは、せめて戦争暴力を憎む。

2019-07-02

裁判員って本当に存在するのかな? 皆で俺を騙してるんじゃないか

制度が始まって隨分たつが俺も俺の周りも赤紙を受け取ったやつが一人もいない

フェイスブックのフレンドでも一人もいない

ツイッターのフレンドでも一人もいない

ミキシーはフレンドがログインしない

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本当に裁判員なんているのかな?

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