はてなキーワード: 保養地とは
まずLas Cuevas de Cañart っていうのがなにかっていうと、これはスペインの地名なんですよ
日本だと街と街の間って山だけど、スペインだとそれが荒野なんだよな
そういう、荒野の中にある、全然大きくない村 それがラス・クエバス・デ・カニャルト
多分だが、有名な場所ではない
少なくとも世界的に有名な観光スポットってことはない クエバス・デ・カニャルトに言及している日本語のページはちょっと見つからない
でも、ホテルが結構あり、それなりにGoogleレビューなんかもついているのを見るに、観光スポットじゃないってこともない
むしろ、Wikipediaとかみると人口100人もいないみたいなことが書いてあるんで、農村とかではなく、観光のみで成り立ってるような、保養地的な側面のある場所なのか?という感じもする
で、なぜこのLas Cuevas de Cañartを俺が知ったかっていうと、まあ、歌ですよね
Guitarricadelafuente さんのGuantanameraって歌の、サビのいちばんオイシイところが、
“En las Cuevas de Cañart la vida es tan bonita que parece de verdad” (ラス・クエバス・デ・カニャルトでは、人生はあまりに美しいから、まるで本物みたいに見える)ってフレーズなんだよ
ああ〜いいっすねえ
それまであんまそんな話はしてないのに、急にクエバスデカニャルトがでてくる
しかもどうやら、ギタリカデラフエンテさんの故郷らしい クエバスデカニャルト
https://m.youtube.com/watch?v=dvgbSQ1Au70
これがそのGuantanameraをバックにギタリカさんがクエバスデカニャルトをうろついたりしてるよくばりセットなんだけど、もうなんか、いいっすよねえ
あんま人いない、乾燥した、白い、石ベースの、スペインっぽい町だ
行ったら途方に暮れそうな場所だ
La vida es tan bonitaだそうですよ奥さん、この場所において、人生はあまりに美しいってさ
そうかもしれねえなあと思うわけ
https://m.youtube.com/watch?v=LlSQ6KQZfjo
これとか、どうですか?
ここ実際歩いたら、たぶん俺は泣くと思いますよ
日陰の壁にもたれて、石の冷たさを感じながらさ、空を見上げてみたりしたいじゃん
そういうことじゃないですかね 違うか?
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB098BF0Z01C22A2000000/
君の人生を困難にしているのは、
学習障害があって文章の意図が読みにくいか、言語化能力が弱すぎるから調べ物が出来ないこと
知的な困難があるならゆっくりペースで成長してるんだな、自分の独自の世界の話をしているんだなって思うけど、どうなん?
戦時中において、一部の個人が特殊な手段を使って兵役を回避しようとしたという報道や記録が存在します。その中には醤油を飲んで「貧血状態」を装い、兵役を回避しようとしたという報告もあるようです。
当時の日本では、戦争による兵力不足から徴兵が厳しく実施されていました。兵役を回避するためには、健康上の問題を装ったり、裕福な家庭であればお金を使って兵役を免除されることもあったとされています。これらの行為は違法であり、社会的にも非難される行為であることは言及しておきます。
戦時中の日本において、一部の支配階級や裕福な人々が軽井沢などのリゾート地でパーティーをしていたという記録や報道があります。当時、日本は太平洋戦争を戦っており、国内は厳しい経済状況や食料不足、空襲などの戦争の影響を受けていましたが、一部の富裕層はそれらの影響を比較的受けにくい状況にあったため、リゾート地での贅沢な生活を楽しむことがあったとされています。
軽井沢は、夏涼しく過ごしやすい気候と美しい自然があり、戦前から日本の上流階級や外交官、外国人などが避暑地や保養地として訪れることが多かった場所です。戦争が進行していた時期でも、一部の特権階級の人々は軽井沢での生活を続けていたという記録があります。
これらの情報は歴史的な資料や回想録、報道などによって裏付けられていますが、一部の特権階級の行動が全体の状況を反映しているわけではありません。当時の社会は戦争の厳しい状況により多くの人々が苦しんでいたため、特権階級がリゾート地での贅沢な生活を楽しんでいたことは一般の市民にとっては不平等や不公平な状況として捉えられることもあるでしょう。
白洲次郎(しらす じろう)は、日本の外交官であり、戦後には評論家としても知られる人物です。彼は戦時中、外務省の要職にあったが、病気を装って徴兵逃れをしたとされる代表的な例の一つです。
白洲次郎は、日本が太平洋戦争に突入した時点で、外務省の官僚として国内の情勢や国際的な状況をよく理解していました。しかし、自らが体験した第一次世界大戦の戦場での経験や戦争の悲惨さを胸に抱え、戦争への反対や人道的な理由から徴兵逃れを試みたとされています。
白洲次郎は、病気を装って入院したり、療養の名目で兵役を免除されるように働きかけたりしたと言われています。彼はその後、戦後の日本の外交政策に大きな影響を与える存在となりました。
徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類と選考結果。現在の長野県塩尻市の方です。
信州戦争資料センター
太平洋戦争ですが、私の知ってる金持ちは、誰も戦争に行ってませんが、何か方法があったのですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158993500
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うちの父も、自らの口で語ってますが「軍部にお金を積んだ」そうです。
最初は、暗号解読とか、通訳の口を狙っていましたが、御殿場の練兵場で終戦です。
食べ物も、ウラから手に入れ、飢えた思いをしたことはないそうです。
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それだけで本が書けるほど。
結果として単純に徴兵に応じたのは
①何も知らない人
②親にカネがなかった
④みんな仲間だからと、抜け駆けはできない人
など。
詳細は省きますが、ウチの親の場合、満洲の炭鉱の課長なので「徴用」扱いで最後まで赤紙は来ませんでした。
叔父は馬の専門家で「軍医」として戦地には赴きましたが、ずっと後方です。
親戚には陸大を卒業し、陸軍中枢の参謀本部勤務のまま終戦を迎えた人もいます。
知人は臨床検査技師で、衛生兵を希望し、最後はシベリア経由で帰ってきました。
著名な作家の多くは、結核の既往歴で徴兵免除になったか、さもなければ報道班の「徴用」で南方に行っただけ。
勉強し過ぎの学徒上がりは、視力不足では鉄砲が打てないと大幅に順位を下げられ、
診断書に手心を加えてもらった金持ちの子弟、自傷して障碍者になった者、わざわざ犯罪を犯して自首したもの(懲役以上の受刑者は徴兵の対象外)、良心的兵役拒否で最後まで出頭に応じなかった、等やり方は無数にあります。
私は高校生の時から、今徴兵が来たらどうするか、そればかり考えて行動していたのでやたら詳しくなりましたが、今後のお勧めは、コンピューターの腕を磨いて、資格をとって、徴兵されても後方勤務になるよう工作するのが一番簡単でしょうね。
今までコロナのせいで全社的に集まれなかったからって、冬になってから社員集めて泊りがけで保養地行って飲み会とか何考えてんだ?
流石に幹部クラスは出るのが義務みたいなもんだから仕方なくという感じ。
てか東京の人間はコロナが怖くないのか?と思ったけど、あんな過密の場所でリスクに晒され続けてきたら、我々地方住まいの人間とは、見えているものや感じるものが違うんだろうな。
それはそういうもんだとして、どうしても飲みたいなら東京の人間だけでやれよマジで。
でも思い返せば、コロナ以前から東京と地方の温度差は感じていたんだよな。
例えば通勤経費の精算。
二言目には
「その通勤ルートには電車もバスもあるじゃん、なんでそっち使わないの?」
じゃあ自転車にしていいっすか?と訊けば「危ないからダメ」と言う。
とにかく通勤は電車バス以外認めたくないらしいというか、電車バスが常識だろ?というのが思いっきり透けて見える。
あのさあ、電車使うとしても1時間に2本がせいぜいで、お前らんとこみたく3分待ったら次が来るみたいな場所とは何もかも事情が違うんだよ。
出張経費だって、片道100km以上の移動じゃない限り特急や新幹線は使えないし、高速道路も使えない。
駅前で徳三郎が五平餅を売る姿は、戦前の果名村の風景そのものであった。もともとは村の者ではなかった彼が屋台を営む姿は年月とともに周囲へ溶け込み、その存在に疑問を抱く者はもはやなかった。
木造駅舎の改札を出ると、小さな広場の向こうに商人宿がある。その軒先に徳三郎は質素な屋台を据え、七輪に火を起こし、金網に五平餅を載せて客を待つ。
森深い谷間に取り残されたような果名の駅にあえて降り立つ人々は当時それほど多くはなかった。早朝から町で用を足して帰ってきた村人を除けば、大きな荷物を担いで山間の村々を歩いてきた行商人や、近隣の温泉場から渓谷へ遊びに来る湯治客くらいであった。
そのような駅の前で生業を営む必要が何処にあったか、餅を買いに訪れる村人が冗談めかして尋ねたことは一度や二度ではなかった。その度に徳三郎は含羞めいた笑みを穏やかに浮かべるばかりであったという。
柔和で笑みを絶やさなかった徳三郎には村内で客がついたものらしく、屋台は続いた。だが五平餅だけで生計を立てることは難しかったのか、同じ屋台で支那そばも売り始めている。当時はまだ新しい食べ物であった支那そばを作ることのできた徳三郎は、都会育ちであっただろう。村に唯一残されている屋台の写真には「羅宇麺」と書かれた立札が見える。徳三郎の作る支那そばは温泉客のあいだでも評判を呼んだものらしく、当時の温泉街の冊子には「果名ノ羅宇麺」として紹介されている。
だが屋台の繁盛は徳三郎の逮捕により終焉を迎える。ある晴れた日、駅から出てきた男女二人連れの姿を認めた徳三郎は、広場で女に襲いかかった。馬乗りになって首筋に千枚通しを突き刺そうとしたところで村人に取り押さえられている。警察の調べに対し徳三郎は「許せなかった」とだけ語り黙秘を貫いたとされる。徳三郎が村にやってくる前の恋愛事件に起因する私的怨恨説が村内でまことしやかに取り沙汰されたが、真相は不明なまま村は戦時体制へ突入していった。
戦後まもなく、徳三郎の駅前屋台は一時的に復活している。神社の軒下で寝泊まりしている人物が徳三郎であることに気づいた自作農家の幣原元彌氏が徳三郎の身柄を引き取り、再び屋台を持たせた。徳三郎の人となりを知っており、彼が作る支那そばの味を懐かしんだ幣原氏が「おめが羅宇麺をまた食わせてくれや」と懇請し、元の場所へ屋台を設置する資金援助を申し出たものであった。
近隣の温泉地は進駐軍の保養地として接収され、果名村にも米兵のジープが度々姿を現すようになった。米兵から手に入れたコカ・コーラを支那そばのスープに隠し味として入れる手法を徳三郎が考案したのはこの頃であるとされる。彼が生み出した味は、再起を助けた幣原氏への感謝を込めて「おめが羅宇麺」と名付けられ、中部地方を中心に戦後の日本に広まった。
北朝鮮情勢を見てると、世界史の教科書に残るような歴史の舞台が作れるのではないかと妄想して、ワクワクが止まらない。朝鮮半島北部は、米国、中国、ロシアの利害が錯綜して、あたかも火薬庫の如く状況となっているが、逆にいえば、この3大陣営の利害さえ一致できれば、朝鮮半島処分の問題として、一挙解決は可能だ。しかも役者がすごい。米国はトランプ、中国は習近平、そしてロシアはプーチンだ。以下、妄想。
・場所は、黒海沿岸の保養地とか、ベルリン郊外の森の中とか、オーストリアのシェーンブルク宮殿とか、それなりに歴史に残ってもカッコいい場所。
・3大陣営の首脳が、もっともらしい理屈をつけて、近辺諸国に外交日程を組む。その合間を縫って極秘会談。
・米国は、北緯38度線を超えての北朝鮮地域の大幅な占領にはあまり興味をもたない。むしろ韓国との関係を含め、徹底した軍事リスクの除去を求める。そのため必要な徹底した武装解除とイムジン河以北数十キロの緩衝地帯化を行う。
・中国は、人民解放軍を中朝国境を超えて平壌にまで進軍。占領統治の中心をなす。核攻撃等で、汚染、荒廃した国土だが、中国にとっての緩衝国として傀儡政権を樹立、枢要部を実質支配下に置く。
・ロシアは、立ち位置が難しい部分はあるが、北朝鮮北部東岸のロシア入植地域のロシア民保護を名目に、朝ロ国境を超えて突如南下、不凍港を租借確保する。必要があれば、数万人規模で北朝鮮民をシベリアに連行、抑留し、極東開発のため数年間の労働資源としても良い。
・合意成立後、直ちに3大国は北朝鮮一斉攻撃だ。米国は、戦術核の使用と国境付近の砲兵やミサイル基地への無力化攻撃、空爆。中国は、北京に北のミサイル照準が合わせられたことを名目に、平壌ほか主要都市への核攻撃。そして、もっとも精神的打撃が大きいのが、友好国と考えていたロシアの参戦だろう。これで北朝鮮は、トップの金正恩以下、末端まで総崩れになる。
・日本も、総理に歴史的発言を用意しておかなくてはならない。インテリジェンス面で信用されていない我が国は、上記を米国から知らされるのは直前であるが、官邸でのぶら下がり取材ではこう言い放って内閣総辞職だ。「嗚呼、極東の天地は複雑怪奇」と
ナイトプール…夜間に開かれる水泳場のことで、日焼けをせず写真も映えるとパリピに大人気。基本的に泳ぐことはなく水着でムーディに過ごすことが目的。
デッドプール…マーベル・コミックに登場する不老不死の狂人で、メタフィクション的な能力を持ち、トリックスターとして活躍する。1991年に初登場と、アメコミヒーローの中では新顔の部類に入る。
ダークプール…証券取引をするにあたって取引所を通さず証券会社の社内だけで成立させるサービス。匿名性の高い取引が可能となる。
ブラックプール…イギリス・ランカシャー州にある都市。保養地として人気がある。また世界最高峰の社交ダンス競技会が開かれることでも有名で、映画『Shall we ダンス?』にも登場した。
モータープール…英語では企業や政府機関などが所有する配車場のことを指すが、関西ではそれが転じて駐車場全般を指すようになったという。
ストレートプール…ビリヤードのルールの一つ。15個の的球を番号に関係なく落としていき、最後の一つになったら落とした14個を組んでブレイクしてまたゲームを継続する。
インフィニティプール…周縁から水を落とすことで仕切りがないように見せかけた水泳場のこと。屋外・屋上に設置され、まるで海や空と繋がっているように見える。
モンシプール…フランスのプロボクサー。元WBAスーパーバンタム級王者。王座陥落後に引退、2年8ヵ月後に復帰するも当時のWBAバンタム級王者アンセルモ・モレノに敗北して再び引退した。
シャープール…サーサーン朝ペルシアの第二代皇帝。ローマ帝国との戦争を優位に進め、インドのクシャーナ朝を滅ぼし、ゾロアスター教を国教とした。後にシャープール2世と3世がいる。
クアラルンプール…マレーシアの首都。クアラ(合流地点)ルンプール(泥)という意味がある。過密化が進んだために2000年ごろから行政機能はプトラジャヤに移転している。
ダックワーズ(Dacquoise)とはアーモンド風味のメレンゲを使った焼き菓子。語源はフランスの温泉保養地ダクスに由来する。
19世紀末に存在した「アンリ4世」というお菓子が祖形と言われ、このお菓子のスポンジ状の生地を改良したものが
「ダコワーズ(ダックワーズ)」であるとされる。もともと、アントルメ(ホールケーキ)の底生地として、クレーム・オ・ブール
(バタークリーム)を塗って複数枚を積み重ねる形で使われており、生菓子としても使われていた。
小判型の物は日本生まれであり、外側がパリッと、中はしっとりしているのが特徴。福岡市浄水通の菓子店『16区』の
オーナーシェフ・三嶋隆夫がパリ16区の菓子店「ARTHUR」のシェフを務めていた1979年に考案した。
「これを和菓子の最中に相当するものにできたら、新感覚の焼き菓子ができるのではないか」と考えた彼は試行錯誤を繰り返し、
1981年、福岡に店をオープンする時、この菓子の名前を本来のフランス語の発音である「ダコワーズ」から響きがいいようにあえて
「ダックワーズ」と変えて売り出した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA
Amazonプライムに加入していると、Amazonプライムビデオというサービスが使える。
Amazonプライムで配信している映画、ドラマなどは見放題という、暇つぶしには最適なサービスだ。
そこに「バチェラージャパン」という独占配信番組があるのだが、先週末に放送が終了したので、感想を書いてみようと思う(盛大なネタバレあり)
「バチェラージャパン」はもともと海外で放送している同名の企画番組を日本に輸入したものらしい。
企画内容を端的に説明すると、バチェラーと呼ばれる超絶ハイスペックの独身男性一名が、
数十名の年齢も経歴もバラバラな女性たちと各地のリゾートやら保養地でイチャコラしながら、
毎週「ローズセレモニー」という儀式で脱落者を選び、最終的に残った一名と運命の婚約を果たすというものだ。
一応やらせなしのそのままの男女のドラマが繰り広げられるということで、いわゆるリアリティー番組と言われるジャンルとして喧伝していたらしい。
番組の内容的に、上品と言えるものではないので敬遠する人も多いと思うが、個人的には毎週楽しく見ていた。
番組の前半は恋愛番組というよりむしろ、女性同士の心理戦、サスペンス要素が強く、
場を仕切る女性や、泣き出す女性など、女性の内面に迫るのではなく、キャラの関係性を際立たせた構成で、
いや、こいつ番組の都合上残してるだろ、みたいなツッコミを入れながら見るのが楽しかった。
後半になるにつれ、当然と言えば当然だが残った女性一人一人の人格がフィーチャーされ、よりドラマ的な演出が増えていった。
しかしながら本人が本気で言っているのかわからないような、自分から落とされるような発言をしたりして、
駆け引きと言える場面もなく、正直言ってだんだん飽きてきてしまった。
最終的には、ゆるふわ系で22歳の高学歴女性が最後の一人となり、運命の女性としてバチェラーに選ばれる。
大方の予想も覆されることもなく、平和にシーズン1(シーズン2もあるらしい)は終わりを迎えた。
さて、そんなバチェラージャパンだったわけだが、非常に示唆に富む番組であったように思う。
超絶スペックの男性を多くの女性が奪い合う形式は、現代の婚活市場を正しくそのまま可視化しているし、
最終的に選ばれる女性が、若くて美しく、そして何より高学歴であったことは非常に現実的な結末であるように見えた。
(35歳のバチェラーはロリコンだ何だと非難を浴びているが、彼にとって極めて合理的な選択だったのだろう)
そして何よりバチェラージャパンが象徴的なのは、参加者の多くの女性が、一時的とはいえバチェラーに選ばれる経験をし、
その夢のような世界に身を置くことができる点だ。
(低スペックの男性が可視化されない=その場に存在しないことも極めて現実的である)
退場していく多くの女性たちが、その事に自覚的で、バチェラーに感謝を示し去っていくシーンが多くみられ、印象的であった。
そして現実でもそんな逆シンデレラのような状況に多くの女性が陥っている。
そこから現実に向き合い、現実的な結婚をすることに大きなハードルがあることは、容易に想像がつくだろう。
もちろん、同窓生や身近な関係者の中から相手を見つけ、社会人数年目には結婚するという、極めて牧歌的な結婚を果たしている者も当然多い。
しかし、多くの男女はそのタイミングを逃し、いわゆる婚活市場と呼ばれる泥沼に足を突っ込まざるを得ない状況になっている。
(男性は多くの女性にとって自分が可視化されない現実に、女性は向上することのない生活水準にそれぞれ向き合わなければならない)
婚姻関係と出産が大きく結びついている日本では、この問題は避けては通れない。
低所得者の増加や育児環境の未整備など、社会的な要因も当然重要だが、根本的な男女間の価値観はやはり考える必要があるだろう。
そう、バチェラージャパンは、「逃げ恥」のような現代的な理想の恋愛を見せるのではなく、現代的な現実の恋愛を見せるという意味で、
繰り返されているテーマであるがゆえに、2017年の生きたサンプルとして、バチェラージャパンを是非様々な方に見ていただきたいのである。(おわり)
タイの王室保養地で、日本人20人が全裸狂乱事件…国際問題に発展、タイ国内が騒然
http://biz-journal.jp/2016/03/post_14245.html
http://webweb.jp/blog/seo/dym-reputation/
ときな臭い話題に事欠かないDYMの口コミをVokerで調べて見たら、
機械か、馬鹿な信者かと思うような口コミ見つけたから転記してみる。
ちなみにこの方以外はだいたい否定的なレビューが多かったです。
株式会社DYM
在籍3年未満 現職
Answer: この会社は基本的に①年目から活躍できる会社であります。具体的には活躍すれば1年前から上司よりも昇格しますし給料も高くなります。役職が他の会社よりも上がりやすいぶん、マネジメントの機会も増えますので、他の会社に比べて成長の機会は多いと思います。
給料水準も他の会社に比べてきわめて高いのでお勧めではあります。
この企業の参考となる年収事例を教えてください。 また、給与制度(賞与・昇給など)にはどのような特徴がありますか?
給与制度の特徴:昇格すると基本給があがります。元から基本給が高いので結構高くなります。また1年目だからというのも関係ないのでほんとに給料に関しては文句がないと思います。
入社を決めた理由は? 今振り返って、その理由は妥当だったと思いますか。 当時に認識しておくべきだったと感じる事はありますか?
Answer: 入社を決めた理由:完全に成果主義であるため。
「入社理由の妥当性」と「認識しておくべき事」:完全成果主義であるためもちろん成果が出なければ減給もあるし役職も上がらない。また仕事だけではなく社内イベントなども重視されているためそこへの参加などといった形でロイヤリティーも見られます。
どのような点に仕事のやりがい、就業意欲の高まりを感じましたか? また、人事評価の特徴についても教えてください。
Answer: とにかく成果主義という点はとても自分にあっていました。毎日が勝負でしたのでやりがいを感じていました。また社員が全員意識が高いのでそこもモチベーションになったと思っています。ロイヤリティーっていうのも見られるので楽しかったです。
Answer: 女性社員も多く在籍しています。女性社員の方は優秀な人が多いのでほとんどが役職者となっております。また働きやすい環境となっていますので女性社員も満足していると考えております。
プライベートとのバランスを調整しやすい会社だと感じましたか?
Answer: 人の2倍働いて3倍遊ぶというのをモットーにしております。
この企業での就業経験によってあなたはどのように成長しましたか。 また、その後のキャリア開発にどのように役立ちましたか?
Answer: 私は主に新規事業開発をやっていました。他の企業ではこのような経験はほとんどできないと思います。この経験はどこに言っても通用するのかなと思っています。
Answer: たくさんいろんなことを経験したので私は満足しております。この経験を次のステップに生かしたいと思っています。
どのような点がこの企業の「強み」・「弱み」だと思いますか? また、「事業展望」についてどのような予測をお持ちですか?
弱み:全員がかかわれるわけではない。
457 名無しさん@13周年 2014/03/04(火) 01:11:16.25 ID:mzRG3Mif0 BE:281994473-BRZ(11112) 東京「大関東連邦つくろうぜ。東京区・神奈川区・埼玉区・千葉区・群馬区・栃木区・茨城区な」 ↓ 東京「町田は神奈川区に近いから。神奈川区に編入な」 神奈川「おk」 町田「いやいや、俺もともと東京なんだけど」 東京「同じ大関東連邦なんだから、細かいことはいいだろ」 ↓ 東京「やっぱ連邦ダメだわ、解散」 神奈川「町田もこっち来いよな」 町田「いや俺東京」 ↓ 東京「町田返せよ」 神奈川「は?こっちにいるのが自然だろ」 町田「だから俺東京だって」 ↓ 東京「軍隊送るわ」 町田「さすが東京様!頼りになる」 神奈川「町田は誰にも渡さない」 東京:ロシア 神奈川:ウクライナ 町田:クリミア 574 名無しさん@13周年[sage] 2014/03/04(火) 01:15:26.18 ID:lm0AHMIl0 >>457 ああわかりやすいw 606 名無しさん@13周年[sage] 2014/03/04(火) 01:17:03.34 ID:p/acHK3s0 >>457 お前天才だな 754 名無しさん@13周年[sage] 2014/03/04(火) 01:22:47.42 ID:4gmisUGG0 >>457 いかん町田かわいい http://mousouteki.blog53.fc2.com/blog-entry-21146.html ウクライナ情勢を簡単に説明するとこうなる 続・妄想的日常
ウクライナの話をする前に、まず、まとめブログ以降の2ちゃんねるについてお話します。ご覧のとおりクソです。このレベルの意味不明な喩え話(?)が持ち上げられる程度には知的程度が下がっています。いま2ちゃんねるを見ているのは、多分こういった判断能力やリテラシーを著しく欠いているもののその自覚が皆無の人間ばかりです。まあ、いちいち突っ込みだすとキリがないので割愛しますが、敢えていうなら、上で述べられるような地理的な要因だけでは現状みたいなことにはなっていないということです。地政学的であったり、民族的であったり、あと経済的であったり、様々な要因が複雑に絡み合っていますが、どれも捨象していいものではありません。まあ、Wikipediaでクリミア半島の歴史とか読めば、上の喩え話が何も喩えられていないのはすぐにわかる話です((更なる余談ですが、喩え話は、うまくハマるとかなり効果的です。でも実際には上で引用したみたいなクソ喩え話は世の中には山ほどあり、それでわかった気になっている不自由な人々が沢山いるので憂うべき状況でもあります。僕が知っている2ちゃんねるっていうのは、もうちょい頭のマシな人々がある意味真摯に物事を考えている場でした。いまそういう人がどこにいったかというと、多分Twitterで異常な感じのアカウントを運営しています。))。
まずクリミア半島ですが、昔から色んな人たちがここを奪ったり奪われたり殺したり殺されたりしているホットスポットです。バルカン半島もそうですし、朝鮮半島もおそらくそうでしょう。半島というのは何かと地政学的に荒れるポイントです。で、そのクリミア半島がロシアのものになったのは、1774年に集結する露土戦争においてです。これでオスマントルコからロシアにクリミア・ハン国が渡りました。で、後にクリミアがウクライナに譲られるまでの間に、クリミアへのロシア人の流入が進んだと思われます。
で、じゃあそのクリミア半島がウクライナの物になったのはいつかっていうと、1955年、ソ連がウクライナにあげるっつってあげてからです。これが世界史の謎とやらなんですが、ソ連の黒海艦隊の基地を擁するクリミア半島をなんで簡単にウクライナにあげちゃったのか、ちょっと調べたのですけどよくわかりません。一応、第二次世界大戦勝利10周年を記念してとか、西側世界と接するウクライナの機嫌をおもねるためとか、フルシチョフがウクライナ出身でウクライナ大好きだったからとか、色々ありますけど、たったそれだけの理由で手放すにはあまりに重要なポイントです。一説によると、フルシチョフが馬鹿だったそうです。
それから、1991年、ソ連が崩壊したときに、クリミア半島は「クリミア自治共和国」を名乗り独立宣言をしますが、その際にクリミア半島を取り戻したいソ連/ロシアとしてはこの独立を一旦は支持することにしたところからも、やっぱり簡単にウクライナにクリミア半島を譲ったことを後悔しているようです(まあ、それは現状を見ても明らかなんですが)((というのも、クリミアには近代ロシアの栄光の歴史みたいなのが詰まっているのです。露土戦争で勝ち取ったクリミアには、ロシア随一の保養地とされるヤルタがあり(ヤルタ会談のヤルタです)、クリミア戦争ではイギリス・フランス・オスマン帝国を、第二次世界大戦ではドイツ・イタリアをやっつけたセバストポリもあります。))。ただ、ロシアは一方でクリミア自治共和国の独立を支持しておきながら、他方で同時に独立の機運が高まっていたチェチェン共和国については徹底的に弾圧したので、そのダブスタっぷりを非難されます。結局、ロシアはチェチェンの独立を抑えこむほうを取りました。で、梯子を外されたクリミア自治共和国は、じゃあしゃあねえかっつってウクライナに合流することになったわけです。
ウクライナの近代史とはほぼロシアとの戦いです。親露派を除いて、ウクライナ人はかなりロシアを嫌っているようです。ウクライナは、二月革命の頃には独立戦争を仕掛けていますが失敗、ソ連の崩壊と共にようやく独立を果たしました。なお、ソ連時代にはホロドモール((食べるものがあんまり無いので人間の死体を食べていたとかいう話もあります))と呼ばれる農業政策失敗による人工的大飢饉やチェルノブイリ原発事故なんかも起こっています。そうやってアンチ・ロシア・イデオロギーとでも言うべきものが温められていく間に、反露=親欧のウクライナ人の中に極右としか形容できない人々が大量に発生してきていたのでした。彼らはネオナチなんかともつるんでるぐらい容赦無い感じの人々で、ウクライナにいるロシア人は全員殺すぞみたいな勢いまであるわけです。で、今回の親露派ヤヌコーヴィチ追放なんかもこの右翼たちの働きが大きい((このヤヌコーヴィチ関連もまたややこしい。彼は元から親露派だったわけではなく、最初はEUに寄って行きました。ただ、国内の汚職や不正をまずどうにかしろとEUに突き放されて、親露派になったという経緯もあります))。そうなってくると、クリミアを含むウクライナ全土にいるロシア系ウクライナ人やロシア人としてはたいへん怖いんですね。こういった人々を保護する名目でロシアはいま軍を送りこんでいるわけですが、その出兵というのはあながち荒唐無稽な話でもないわけです。
というとそういうわけでもありません。特に、クリミア・ハン国の時代から住んでいるクリミア・タタール人という人々は嫌がっています。彼らはクリミア自治共和国と呼ばれる域内に25万人いるとされています。露土戦争でのクリミア併合以来、相対的に少数民族に押しやられたクリミア・タタール人は、そのあとスターリンによって赤軍に駆り出されたり、他方では二次大戦中の対独協力の嫌疑で中央アジアに追放されたり、またそれから逃れるために山の中に移り住んだりと、とにかくハチャメチャな感じの扱いを受けてきたので、ロシアに良い感情を持ちづらいのも当然だと思います。
なんか欧米がウクライナを一旦見捨てたからこうなったんだみたいな話もちらほら聞きますけど、普通に考えてネオナチが閣僚にいる国となんかとはつるみたくない((一応いっとくと、欧米、特にヨーロッパとしては、二次大戦までの反ユダヤ主義っていうのはドイツだけの問題じゃなくて、ヨーロッパ全体の問題として共有されています。))。しかもヨーロッパにはロシアにエネルギー依存してる国も多いこともありますし、敢えてウクライナを助けてやる理由をこうなってしまう以前には見つけられなかったのは、割と致し方ないと思います。アメリカではオバマがロシアを非難してるけど、ユダヤ系の多いアメリカ本国ではネオナチの国を支持するつもりなのか、みたいなバッシングがあるという話も聞きます。
「民族主義者 VS ロシア人」というとにかく黒海が真紅に染まるほど血が流れまくりそうな対立軸があそこにはあるわけです。間違っても東京・町田・神奈川とかいう喩えで捉えられるレベルの話じゃありません。みなさんは喩え話なんかなくても状況を自ら整理できるようになりましょう。