ユザワヤの近くにある東急をJRに向けて通り抜けるのは自分も結構嫌だったけれど、ユザワヤに入るのをそういう目で見られるとは初めて知った。
そして掘られて犯罪防止できない俺
25歳で結婚し順風満帆と思いきや、29歳でセックスレスになってしまった。
夫の転職活動はコロナ禍の中、年齢的にも厳しく苦戦。あまりにも受からず嫌になってしまったのか最近はボーッとしてる事が増えた。
私の仕事は上手くいかず、体調も悪い。私も転職がなかなか決まらない。本当は、仕事を辞めて少し休みたいけど、夫も無職のなのに私まで無職で仕事が決まらなかったらまずいので、それもできない。
八方塞がりで辛い日々だった。
ある日、趣味の集まりで同い年の男性に会った。正直に言う。顔が好みだった。
色々話していたら考え方や育った環境も似ていて、同い年ということもありその場で打ち解けた。連絡先も交換した。
どうしようかな、また会いたいな、と思って自分から2人での飲みに誘ってしまった。
結婚指輪をしてなかったから、彼女いるの?と聞いてみたらなんと結婚しているという。奥さんすみませんと思った。だけど飲むだけですから、と心の中で呟いた。
次は彼からごはんに誘われて、その後も何回か会った。私は寂しかったし、こんなに毎日辛いのだから、好みの男性と飲むくらい許されていい、と思った。
だけどこの前、人気のない道で抱きしめられ、キスされてしまった。
「こんなのダメだよ」
そう言ったけど、本当はもっと先に進みたい自分がいた。仕事も転職もセックスも上手くいかなくて、求められて嬉しい自分がいる。
最低なんだけど、抱かれたくて仕方がない。今だって興奮がやまない。
どうすればいい?抱かれる代わりにディルド買えば良い?
ローターは持ってます!
表現の自由戦士なら説明せずとも知っていると思うが、刑法175条は「わいせつ物頒布等罪(わいせつ電磁的記録媒体陳列罪)」のことで、簡単に言うと無修正の性器を不特定または多数の者に公開することを禁じる法律だ。
表現の自由戦士はこの法律を「憲法に反している!」「表現の自由の侵害だ!」ともっともらしく批判している。実際はただ無修正のエロ同人やAVを楽しみたいだけだと思うが。
私はこの法律&売春防止法は必要だと思っている。以下、その理由を書いていく。
多分この法律に反対している人たちは、「性器を公開する」ということ他人事のように思っていて単にエロ同人の黒塗りや白抜き、AVのモザイクがなくなるのは良いことだ程度に考えているはずだ。しかしこの法律がなくなると自分も性器を公開しなければならなくなるかもしれない。売春防止法がなくなったら売春しなければならなくなるかもしれない。
具体的にはハローワークに行ったら「あなたは何の学歴もスキルもないのでゲイにちんこの写真を売るか、ゲイに体を売るくらいしかできる仕事ないですよ」と言われることになるかもしれない。なぜなら禁止する法律がないからだ。
誰しもが性器を隠す権利がある、売春は人権侵害であるという前提があるから無能な人も無理やり性器の写真を売らされたり売春させられることはない。しかしそれがなくなれば待っているのは当たり前のようにエロい仕事を勧められる未来だ。
多分男は自分の体を売るなんてこと考えたこともないだろう。なぜなら性的にまなざされる経験もほとんどなく自らの体が商品になる可能性なんて想像せずに済む社会だからだ。しかし女性は職場でもプライベートでも当たり前のように顔や胸のサイズを品評され、美人ならば「お前可愛いなぁ、ヤらせろよ」ブスならば「死ねブス」と傷つけられ、精神的苦痛を受けることになる。性犯罪に遭うリスクも高く、自分の体は男にとってモノでしかないのだと嫌でも思い知ることになる。刑法175条の件に関しても男にとっては「俺のズリネタにモザイクを掛けるな!気持ちよく抜かせろ!」程度の認識でしかないのだと思う。いい加減、表現の自由を履き違えて秩序の乱れた社会を作り出そうとするのはやめてくれ。
なるほどね 納得した
増田の文章読んでたら悲しくなってしまった、気の毒がられるのがいやだったら申し訳ない、
正直なことばが綴られていて邪ではないと思ったので、そう思った人間がいると伝えたくなった。
あなたが嫌な気持ちのまま過ごす時間が短くなることを祈ってるよ。
あたたかい白湯を飲むと心が落ち着くことがあるから、もしよかったらためしてください。 私もこれからマグカップで水レンチンして飲むわ。
https://anond.hatelabo.jp/20221121085518
あっというまに、2週間が経ってしまった。
忌引で仕事を休んだりしたのでまあ周りも知っていることなんだけど、あんまり気を遣われたくなくて、でも誰かに聞いてほしいのでつらつらと書く。おじいちゃんは本当に最後までマイペースだったし、面白い人だった話を、どうか暇な人は読んでいってほしい。
突然つれあいをなくしたおばあちゃんは、久々に孫であるわたしの顔を見て笑ってくれだけど、足取りがおぼつかなくて、ただでさえちっちゃい(身長、145センチしかない)身体がますます小さくみえた。「おじいちゃん、座敷にいるから会ってあげて」と言われたので向かう。布団に、顔にかけられた白い布。それを見たらぐっと目が熱くなった。布を取ると、眠ってるみたいなおじいちゃんの顔。この家で夕ご飯を食べると、おじいちゃんはお酒を飲んで、その後一緒にテレビを見てるといびきをかきながらうたた寝をしてしまう。そんな時の顔だった。声をかけたら起きてくれそうなのに冷たかった。
その日の夜、おじいちゃんの家でお通夜をした。数人だけど親戚も来るということで、玄関を掃いておこうと、箒を探しに納屋に入ると、使いかけの肥料や、明らかに「まあどうせ明日も使うしここら辺に置いておくか」って感じで適当に置いたらしい鍬、何日に白菜を収穫するとか来年の作付をメモしていたホワイトボードがあって、ああ、おじいちゃんにとってもこれは急なことだったんだなとぼんやりと思った。
枕経に来た菩提寺の住職さんは、わたしとそう歳の変わらない、若いひとだった。お経をあげてもらい、納棺をする。旅支度をさせて、花をいれて、孫全員(私含め6人いる)の手紙をいれ、お気に入りだったシャツをいれ……その過程で、ずっとぼんやりしていた祖母が棺に取り縋って泣き出した。まだ祖父が死んだ実感が薄かったわたしも、さすがにその姿を直視できなくて目を逸らしたとき、視界の端で住職さんがしきりに鼻をすすったり、マスクを直すふりをして目元を拭ってるのが見えた。なんでも、婿養子として今の寺に来た時に、ちょうど祖父が檀家の総代をしていて、祖父はそれこそ孫と歳の変わらない若い彼のことを気にかけて可愛がっていたらしい(親戚談)。きっと仏門に入った人にとって、通夜も葬儀も日常茶飯事だろうに、その人がそんな感情に呑まれるくらい、祖父は面倒見のいい人だったらしい。妹や従妹もその住職さんが泣いているのを見たらしく、後々孫の間で「もしかしたら他所にも孫みたいな人が他にもいるのかもね」なんて話した。
その翌日は友引で、葬儀は次の日に延ばし、火葬だけを行った。この日もおじいちゃんはなかなかやらかしてくれた。おじいちゃんを乗せた霊柩車が家を出る時は、集落中の人(ガチの限界集落である)が見送りにぞろぞろと集まって、見送ってくれた。ちょっと壮観だった。
本来こういう時は霊柩車の後ろに、参列者を乗せたマイクロバスがついてみんなで火葬場に行くものだと思う(というかわたしが経験した葬式ってそういうのしかない)んだけど、コロナ禍だし、あとあんまりにも急すぎて来れる人も少なかった(田舎だし、みんなお年寄りなので、足が確保できないと来れないのだ)ので、うちや叔母の家の車3台に分乗して、火葬場に向かった。
しかし、せいぜいどんなに安全運転しても20分くらいで着くはずの火葬場になかなかつかない。道中の信号がうまいこと全部赤で引っかかるのだ。わたしの母は三姉妹の長女で、まだ心ここに在らずな状態の祖母と連名で喪主をしていたため霊柩車に乗っていたが、わたしが「おじいちゃん、よっぽど行きたくないんだな……」と言うと父は「だろうな……」と深く頷いていた。
30分以上かけて火葬場に着いた。そこからはさすがの祖父にももうどうにもできず(?)あっという間で、その後2時間もしないうちに、祖父は骨になった。若い頃(といってもわたしが見た記憶があるのでめっちゃ若いわけではない)に建築業についていて、屋根から落ちて骨折した時に手術していれたボルトがしっかり焼け残っててびっくりした。手先、足先の細かい骨は、年齢もあってさすがに……だったが、大腿骨や肩の骨はがっちりしていた。祖父はこの年齢では背の高い人だった(たぶん170センチ越えてた。祖母と並ぶと身長差がすごかった)のに、結局のところ、最後には母が抱えられるサイズの骨壷におさまった。「こんなに小さくなっちゃうんだね」と母がつぶやいた時は、なんで言っていいのかわからなかった。
帰りはそんな祖父を抱えた母もうちの車に乗って、また3台の車で祖父の家に帰った。霊柩車で来る時に通った道を避けて帰る、ってのは全国共通の風習なのかな……?だから、来る時よりは少し遠回りになる……はずだった。でも20分で帰れた。なんせ信号、全部青。骨壷を渡された時の母の顔はさすがに見ていられなかったけど、祖父の家の屋根が見えてきた時に母は、「帰りはあっという間だったね……」と困ったような笑みを浮かべていた。おじいちゃん、どんだけおうち好きだったんだよ……。
家族葬だったけど、焼香をしにたくさんの人が来てくれていた。みんな、新聞のお悔やみ欄で見てとるものもとりあえず大慌てで……って感じで来てくれていた。「入院してたのか?!聞いてないぞ!」と言う人もいた。病院には1泊しかしてない、本当に急だったということを何遍も説明する母は、最後のほうはさすがに疲弊していた。ちなみにこの日は大雨だった。無口な従弟がぼそりと「未練あり過ぎだろうが」と言っていた。それな、と返した。
式自体は身内だけで行って、このご時世だから会食は無しで折り詰めを持って帰ってもらい、また骨と、遺影と、白木の位牌と一緒に祖父の家に帰った。
とりあえず自分達も折り詰めを食べながら、母は葬儀屋と四十九日の日程をつめ、その後も墓石屋や位牌の手配、この後家に直接弔問に来てくれる人への対応の打ち合わせを叔母たち(と、まだどこか虚ろな顔をした祖母)がやっている時、まだ細々とやることは残ってはいるがひとまずは一通り終わったね、お疲れ様だったね、という空気が流れつつあった。
でも、ここで終わらないのがおじいちゃんだった。突然この家の固定電話が鳴った。
母が電話を取ると、相手は伯父(父の兄。他県で父方祖母と一緒に住んでいる)だった。葬儀に花を出してくれたり香典も出してくれたから、今日が葬儀だったことはわかっていたはずだし、なんだか様子がおかしい。泣いてるのか笑ってるのかわからない声で喋っていた(母談)らしく、何かあったのか母が(たぶん疲れもあって)少し強い口調で問うた。その返事は、
だそうだ。
祖父は交友関係は広いがそれぞれ相手にマメな人だった。うちの父方の親戚に対しても、季節の果物や特産品なんかを折々に送っていた(向こうからもよくお返しも来ていた)。この時期は林檎(ほぼ出身地がバレるな……)を、他県の親戚や知り合いに毎年毎年手配して贈っていて、それが、葬儀をやって当の本人を極楽浄土に送ろうとしていたっていうのに、それがちょうど終わったタイミングで相手に届いた、ということらしい。……それは普段無口な伯父さんも、反応に困っただろう。「○○さんからの最後の贈り物だから美味しくいただく。冬にはこっちから蜜柑を送るからよろしく」ということで電話が終わり、私たちは大きく溜息をついた。「たぶん、この調子だともう何軒か送ってそうだなぁ……」とみんなで笑い合った。
さすがにちょっとしんどかった。
あまりにも急すぎた。呆然とした祖母を見るのが辛かったし、その祖母の代わりに喪主の仕事を引き受けるためにずっと張り詰めた顔をしていた母を見ているのも胸が痛かった。出来ることしか手伝えなかったけど、母から葬儀が終わった後に「あんたら(私や弟妹)がすぐ飛んできてくれて本当に助かった」と言われた時の弱々しさが心配で、結局今いる自分の家に戻って来れたのは11/25だった。
だけど、そうして過ごす中にも、ふと思い出す祖父の話(孫相手に遊びにムキになったり、高校生の叔母が夜遊びしてぶっ飛ばされた話だったり)や、こうして亡くなった後にもなんだか面白いことをしてくれるおじいちゃんのことを話せる相手は、なかなかいない。
でも、顔を知らなくて、こんな長文をここまで読んでくれる人に、ちょっとでも聞いてもらえたらなんだか心持ちが楽になる気がして、あと、悲しいだけではないって気持ちになれると思ったので、こうして文章にしてみた。
読んでくれて、おじいちゃんのことを知ってくれて、ありがとう。
余談。
わたしが今の家に戻る前日、仏具屋に母と行って、位牌のカタログをもらって祖母の家に行った。その後数日、祖母はカタログを見て、あと母が撮っていった店頭にあった位牌の写真も見て、散々悩んだけど、そのお店で一番よく出回る、スタンダードなものを選んだらしい。「それでいいの?」と母が訊いたら、「わたしが死んだ時は、お父さん(祖父のこと)とお揃いの位牌にしてほしいから。これならすぐお揃い作ってもらえるでしょ」と言ったそうな。お揃いの位牌。ちょっとパワーワードだな、なんて思った。でもさぁおばあちゃん、そんな早くいったらおじいちゃんたぶん額に青筋立ててめっちゃ怒るから、もう少し一緒にいてほしいな。お正月には会いに行くからさ。
知らんけど不幸な人が増えたら良いというねらー精神保持者のワイとしては暇空って人は名誉毀損で罰金払ってcolaboは補助金切られてハイパーグッドエンドに向かってるってこと?
俺は正直に感想を書いているだけなんだけどね
どういうこと?3億積み立ててるの?黒幕って誰?