https://somethingorange.jp/entry/wakararanai
これを読んで、頭の中に出てきたこと
人物設定をどうすれば、とかではないと思うんだよ
ヤンとラインハルトは、無能な旧体制に対して対象的に置かれた駒であることは、誰も否定しないでしょ?
旧体制を破壊して自身が新しい体制を作り出していくことが許されているラインハルトと
民主制に対して強制力を発揮することが、すなわち民主制の否定という、わかりやすい舞台装置
どちらも根底には理想があり、その理想に沿って忠実に動く駒なんだ
そして、それが実現される世界
普通ならアスターテ会戦はアレだけの負けの中でヤンの指示なんて通らずに潰走してる
ヤンに心酔してるわけでもないのに、部隊の末端までもが指示に完璧に従う
それが違うように見えてるとしたらば、単に世界のリアリティラインに引っ張られてるだけ
理想に燃える能動的な人物だとしても、自身の思想が足枷になって十全に能力を発揮できないキャラクターとなる
そういうキャラって多いだろ?
あのキャラもなかなかの人気だ
ヤンを「厭世的で皮肉屋で怠惰に見えるが実はすごい才能をもっており、不本意ながら大活躍してしまい周囲にチヤホヤされる」と評価するから間違うんだよ
設定した理想の通りに動くブレのないキャラとして考えると、その辺のキャラと大して変わらないキャラとして認識できるはず
ここまできたら仕組みとしては単純で
「設定のとおりにコマを動かす」ことに納得感がどれくらいあるのかって話になる
銀英伝の世界は、なんだかんだ揶揄されながらも、人々の琴線に触れる物語なわけ
もう片方は、正当に評価されないやつが実はすごかったという話
わかりやすい
半沢直樹とかと一緒だ