はてなキーワード: ぼんやりとは
幼い頃にテレビ放送で全話逃さず見ていても、記憶は段々と薄れていくものだ。特に妃英理と毛利小五郎の関係性は、最近の赤井家フィーバーの最中では朧気になってしまう。
こうしてサブスプリクションによって、見たいと思ったタイミングで、ノータイムでアニメを振り返ることができる。良い時代になったと思う。
(一応、自分は熱心なコナンファンというよりは、結末が気になる一心で連載を追うライトファンである。
ガッツリと読み込みファンにとっては、妃英理と毛利小五郎の関係性は、新一と蘭の関係性と同等に重要であろうことは言うまでもない。)
改めて最初から原作を(そしてアニメを)追っていると、少しばかりからかいの目で以て彼らのストーリーを読んで(見て)しまうことがある。
これはライトファン故に、ディープファンにとってはやや失礼というか、無粋と一笑に付されてしまうかもしれない話題だ。
ずばり毛利小五郎の頑丈さについてだ。
毛利小五郎は何度か死んでもいても可笑しくないほどの打撃を、妃英理から受けていると思しき場面がある。
最近だと、映画「ゼロの執行人」のED映像の中の一場面。疑惑が晴れ、釈放された毛利小五郎を、妃英理が手料理によって祝う場面だ。
あの場面で小五郎は英理の料理の味に青ざめ、料理を吹き出してしまうのだが、それに怒った英理が、言い争いの末に煮物のたっぷり盛られた土鍋で小五郎の頭を殴るのだ。
小五郎の頭にはたんこぶが出来、白目を剥いて伸びてしまった。それだけといえばそれだけのシーンで、ギャグチックに処理されているためか、深刻さは見受けられない。
こうした少年漫画における女性の男性に対する暴力描写は、最近では眉を顰められることも多々あるそうだが、自分くらいの世代だと、ギャグとしてスルーされることが多いという認識だ。
クレヨンしんちゃんで言うところの『げんこつ』的な描写と言えよう──かの描写がコンプライアンスの関係で喪われて久しいが、表現の自由という意味では、中々に悩ましい事例だ。
もちろん、5才児を拳骨で強く殴ったり、頭をぐりぐりと圧迫してはいけないのだけれど。現実とコミックリリーフは、切り分けて考えたいものだ。
そうした様式美として片付けていた描写は、『コナン』という作品の中ではやや趣を異にする。何故なら『名探偵コナン』はタイトルの通りミステリーの側面があり、結構な頻度で殺人事件が発生する漫画だからだ。サスペンスドラマでももう少し加減するんじゃないかという頻度で人が殺されている。
その殺人事件の、殺人手段の中には様々なバリエーションが存在するが、その中でも最も手近な方法といえば『撲殺』であろう。
撲殺とは、ほぐして言えば叩き殺すことである。何らかの鈍器を、或いは自らの拳を凶器とし、叩いて殴って、息の根を止めることである。
殴って殺すといえば『殴殺』という言葉もあるが、ここは撲殺で統一させて頂く。
『コナン』の作中では、撲殺事件は、ブロンズ像だとかお高い壷だとか、そういった身近な重たいオブジェや家具によって引き起こされてしまう事が多い気がする。
計画性も低く、犯人の動機もカッと頭に血がのぼって、思わず──というシチュエーションが多い。
(何だかんだ動機の薄さが槍玉に挙げられるコナンだが、現実的だと感じるのは筆者だけだろうか。現実の事件も、ドラマチックな犯人の動機などあまり聞かないものだ。むしろドラマチックだからといって納得できたとしたら、そちらの方が問題である)
さて、ここまで読んでくださった皆様の中には、筆者の言いたいことがぼんやりと分かってきた方もいらっしゃるのではないだろうか。
つまり、『自分の料理を貶されて』『夫婦喧嘩に発展して怒りのあまり』『煮物のたっぷりと入った鍋で殴りつける』──という、動機と手段とシチュエーションが三拍子揃った場面なのだ。
鍋を振り上げてから変な溜めがあったからか、ちょっといつもより洒落にならない絵面だったように思う。
前述の通り、深刻さはないのだが(尺稼ぎだったのだろうか)
もしも彼らが、一週限りのゲストキャラクターだとすると、確実に小五郎は亡くなっている筈だ。
コメディと一言に言ってしまうのは簡単だが、その裏でコメディ的な行為がしっかりと殺人に発展している作品の中では、かなりギリギリな描写なのではないかと思う。
そんな『鈍器で殴られる』という場面なのに、何故小五郎は生きていられたのだろうか。
ゾウでも一瞬で眠る程の麻酔薬を毎週近く射たれているのだから当然だ、という冗談は受け流すとして、それは恐らく、妃英理の愛故にだろう。
端的な話、英理は実際には鍋を振り上げてはいないし、振り上げていたとしても、毛利小五郎の頭に振り下ろしてはいない。
びしゃっと机の上にぶちまけて、ビンタでも食らわせたのではないだろうか。
『名探偵コナン』はミステリーだが、同時にラブコメディーでもある。コメディ描写は通用しないかもしれないが、ラブコメディな描写は通用してしまうのである。
あの鍋を振り上げるシーンなのだが、発端は妃英理が久しぶりに毛利家に上がり込んでいるという事実に、小五郎がちょっぴり照れている所から始まっている。頬を赤らめている小五郎に、英理が何事か話しかけた時に、小五郎が照れ隠しに煮物を一口頬張ってしまうのだ。
つまり小五郎のツンデレが発動したシーンなのだ。(まるで毒でも食んだかのようなリアクションである)
まあそのツンデレが高じて彼らは別居状態なのだが、関係性とは常に変わり行くものである。
ややフィーリングな結論なのだが、妃英理は手加減をしていたのだ。
それを受ける毛利小五郎も、甘んじて受けていた。
深刻なように見せかけて、冗談だった。
愛がある見方をすれば、そんなふうに見える。
仮にも警察に拘束されていた所を開放された、という、それこそ深刻な雰囲気を、夫婦喧嘩というロールで和らげた、という見方もできる。意識にしては怒りが強いので(いくら下手とはいえ、自分の作った料理をぶちまける心情は、察するに余りある。英理がかわいそうだ)、無意識だろう。
ともすれば作中の『犯人と被害者』の関係に至ってしまいそうな所を留まれるのは、ひとえに、そんな言葉のいらない信頼関係が成立しているからであろう。
『コナン』の世界では、ラブが全てを凌駕するのである。蘭が絡んだ事件では新一(コナン)が空回ってしまうように、和葉が絡むと服部がばかになってしまうように。
ラブがきっかけで阿呆なやらかしをしてしまった小五郎が受ける暴力は、同じくラブによって阿呆になっている英理からのものだからこそ、威力が軽減されるのである。
恐らくあの世界で『犯人と被害者』になってしまうカップルは、ラブなパワーバランスが崩れてしまったカップルなのだ。
そしてその「ラブによってだめになっている」部分は、読者、ひいては視聴者は、愛すべきポイントなのかもしれない。
なんだかふわふわとした結論に至ってしまったけれど、夫婦喧嘩は犬も食わないと言う。筆者もここまで考えて、なんだかどうでも良くなってきてしまった。
あの夫婦はかわいらしい。
ただそう思うだけで良かったのだ。
さて。
(終わり)
今のところ馬券を買ったのは2回、ソダシに一目惚れしてドキドキしながらウインズで前日におうえん馬券を1枚と、偶然その日やるレースにサトノって名前ついてる馬がいたからその子のを1枚
生まれて初めてウインズなんて行ったし、周りは男の人だらけだしすごい緊張したけど売り場?のお姉さんもめちゃくちゃ私みたいな小娘にも買い方親切に教えてくれて嬉しかったな
最近は私がずっと地上波3時くらいからの競馬番組に張り付いてるから私だけじゃなく親も馬の名前と騎手の名前を覚えつつある
ゲームから始まりこう…なんか繋がって?くのって凄いな〜とおもいました
あのテレビでやってる以外の時間のやつを見るにはお金払わないといけない?のか?ようわからんけどいつかwin5も買ってみたいんだよな〜
口座をなんかアレするのは怖いからumacaを作りたい、女の財布に刺さってても不自然じゃない可愛いデザインがあるの嬉しい
欲を言えばコラボしねえかなって感じ、これはもう、本当にただの欲、しかも女オタクなのでコラボするとしても顔面どーーん!メインビジュアルばーーん!なド直球とかじゃなくてわかる人にはわかるけどわかんない人にはオシャレだなあと思われる程度のちょっと凝ってるやつを欲しがってしまうので最悪、厄介オタクでごめん
なんかアニメのTカードとか恥ずかしくて持てない派なんだよな、いるでしょそういう人一定層
ウマ娘もそっちのオタクにそっと手を差し伸べられるようなコンテンツになって欲しいな、モデルとしては女性向けジャンルだけどツイステ、刀剣あたりのプレミアムバンダイだとかアニプレとかで出すような控えめなの
30代後半、男性、ITエンジニア。交際相手なし。たすけてくれ。
コロナのせいでずっと家にいたら寂しくなった。家の中が好きなほうだと思ってたけど、ある程度は人と話さないとダメだと実感した。誰かと雑談をしたり休みの日に遊びにいったりしたい。
収入は1000万円を越えてるので適当に生活してると余る。一応、株とか投資信託で増やしてるけど、不毛。それよりも、子ども(だれ?)にいい教育でも与えたほうが、将来の役に立つ気がしてる。もしかしたら世紀の発明をするかもしれない。ガチャは回さないと当たらない。
こういう状況なので感染したときのことを考えることがおおかったが、やっぱり一人は心細い。家に誰かいたら安心できる。
あと、配偶者控除が使いたい、ファミリーサイズの割安の食品を買いたい、とかもある。
結婚に関する知識の情報源がTwitterしかないので、間違ってるかもしれない。そうであってほしい。
どういう相手がいいのかも分かってない。ぼんやりと優しくてかわいくて、俺が苦手な確定申告とかをやってくれる人がいいなと思ってる。でもそれは秘書を雇うときの条件な気がする。
運動を終えて呼吸を整えた直後はかなり気分もスッキリしている。
だが、その後かなり攻撃的な気分になる。意識していないと、家族や友人に対してもかなり言葉が厳しくなる。
頭はぼんやりまったりしているのだが、血流が良くなるせいか頭の中がカッカするような感じだ。
あと下半身の血流も良くなるので変にムラムラすることも増加する。
筋肉のほてりが取れにくいタイプなのか、朝筋トレしたりマラソンしても夜まで体が興奮していて、寝付きも悪くなることが多い。
結局身体が健やかであればメンタルも整うとか、ストレッチ効果で体が緩むとか、普段運動が趣味の人は好きなことが出来るのでストレスが解消できる、という程度で、
2年ほど前、留学先の友人に誘われてマレーシアの首都クアラルンプールを観光したときのこと。
とりあえず主要な観光地を回ろうと、観光バスに乗った。私は割と短絡的なので、観光地にやってきたおのぼりさんらしくKLタワーという塔に登ることにした。高さは東京タワーを超える421mで地上276mに展望台がある。壁一面ガラス張りになっていて、クアラルンプールの街並みが360度一望できた。早速望遠鏡を覗き込んだ。その日はよく晴れていて遠くまで見渡すことができたが、関心は眼下に広がるビル街に移る。発展途上といえども近代化著しいマレーシア。首都はさすがに都会なんだなあ、などと考えたのも束の間、強烈な違和感を覚えた。その正体にはすぐに気が付いた。
街並みがおかしいのである。「ビル街」と聞いて想像するのは、ビル同士がところ狭しと立ち並ぶ日本の都市だろう。大抵は、超高層ビルの間は高層ビルで埋められている。無駄のない没個性的な建築物が寄せ集まり、地平線まで白い四角の集合が続いていく。徹底的な「均質」。これが都市なのだと認識してきた。対して、クアラルンプールの都心部は「雑多」だった。開発が遅れている地区と現代的なビル群が立ち並ぶ地区が分けられていないのだ。ガラス張りの近代建築の隣に並ぶ民家らしき平屋。40階はありそうな超高層ビルの傍を流れる小川はドブのような色をしており、対岸には廃屋が寄せ集まっている。計画性が微塵も感じられない。望遠鏡から顔を上げて、街を見下ろした。砂地の白と草木の緑、家屋の古ぼけた淡色の間に、超高層ビルの強烈な白が浮いている。マレーシアの人種のように、共生しつつも混ざり合わない歪なパッチワークのようだ。
街中を実際に歩いてみるとクアラルンプールの特異さがよく分かる。バラック小屋と露店が立ち並ぶエリアには、小説で読んだ終戦直後の東京の雰囲気があった。露店の軒先は煤けたように汚れ、乞食があちこちで座り込んでいる。感じたことのない異質さに緊張が走った。太陽が容赦なく照りつける晴れの日だったが、その一帯はどんよりと薄暗かった気がした。何だかばつが悪いような気分で、街中へそそくさと歩いて行った。街中といっても、一昔前のトレンディドラマのような古ぼけた建物がずらっと並び、頭上にけばけばしい看板がせり出たようなストリートだ。この道の先に、高架が見えてくる。見上げた先を電車が走り去っていく。高架の柱に近づいてよく見てみると、かなり年季が入っているようだった。所々コンクリートが欠けている。ぼんやりと大学の講義で聞いたことを思い出した。日本では、高度経済成長期に一斉に建設されたインフラがそろそろ限界を迎え、改修の時期になっているという。なんとなく、高架はその年代くらいに建てられたものだと推測がついた。都市の周縁部を散策し終えたので、私たちはタクシーに乗り、中心街へと向かった。車窓からペトロナスツインタワーが見える。―なんだあの巨大な建物は。対になった2棟の超高層ビルが堂々と屹立し、スカイブリッジが2つの塔を繋いでいる。天頂部は、伝統的なモスクさながらの意匠が凝らされている。タワーのすぐ近くでタクシーから降り、仰ぎ見た。黒光りする鉄塊は天にも届きそうだ。夕暮れの陽光を力強く照り返す双塔は、最新技術の粋をこれでもかと主張してくる。究極の現代建築を前に、今日一日で見てきたクアラルンプールの街並みを思い返していた。
私はプロデュース101ジャパンという番組で、とある練習生を応援していた
分からない人にぼんやり説明すると、101人の中から視聴者の人気投票して11人がアイドルデビュー出来るって番組
でもずっと101人面倒見る訳には行かないから中間順位っつって下のやつを切ってくのね
推しは落ちた
この番組の出演条件は事務所などに所属しない人なので推しが完全な一般人に戻ったってことになる
あ、呆気ないな、と思った
意外と傷つかなかった
まあずっと下位だったから今回で落ちるだろうなとは思ってたけど
今やってんのは実はシーズン2で、去年?一昨年?くらいにシーズン1があった
引くほど引きずった
シーズン1の推しはその後よくわかんない事務所からよくわかんない団体としてデビューしたから一般人ではなくなった
じゃあ、今の推しは?
顔も特段かっこいいってわけじゃない(ディスとかじゃなくて、私は内面とダンススキルに惚れた)
こんなんじゃきっとどこにも拾われないんじゃないかなと思う
101のオタク界隈で推しが落ちた人間の事を「一般人のオタク」と言うことがある
私はまさにそれになってしまったわけだ
手元にあるのは「一般人」の名前が刻まれたネームプレートと、「一般人」の写真たち
あとほんの少しの後悔
もう少し頑張って布教なりなんなりしていれば生き残れたんじゃないかな、と思ってしまう
一般人になった君に思いを馳せてもいいだろうか
普通に電車に乗って街中を歩いて、コンビニでペットボトルとカップラーメンを買うような、そんな君に思いを馳せても許されるのだろうか
お前みたいな低能中小企業経営者なんてみーんな言うこと同じなので
そういう寝言は百回聞いたわ。
もっと言うと歴史的にも経営者ってのはそういうことを言い続けてきたわけ。
「安い児童労働力が禁止になったら誰が企業経営なんかしますか」
「労働時間の制限なんてされたら経営者はみんな首を括るしかありません!」
この程度のことも知らず、想像力もなく、
ありふれ切った寝言を「という経営側の意見を聞いたことがあるか」とかいって鼻息フンスフンスしてる時点で
お前が滅茶苦茶頭悪くて、世間が狭くて、もの知らずで、ゴミのような低能であることが分かっちゃうんだわ。
なんだろう、バカのくせしていっちょ前の口利くのやめてもらっていいですか?
ほんと目障りだし社会の害なんだよね。
あのさあ。
お前みたいなバカは客観的な思考や視点なんか持ち合わせないんだから
お前のパースペクティブからの超近視眼・超主観のポジショントーク以外しようがねえんだわ。
「ポジショントークをするつもりはありません」なんてのは主観と客観の切り替えが出来るそれなりに高い知能の持ち主が言うセリフなの。
別にここでの姿勢に限らず、お前の人生全部ポジション思考なんだわ。一生変わらずそうなの。頭わりーから。
どっちやねんw
■最低賃金が上がった場合、経営側の行動変化は以下になるでしょう。
まず「時給1500円以下の仕事」って言葉遣いで「あ、低能だな」ってわかるんですよね。
お前は絶対に、一人の労働者を雇ったときの経常利益を分析したことなんかないよな。
「時給1500円の仕事」ってなんやねんw お前の感覚、ドンブリ勘定だろ?
ゴミみて―な中小企業が未だにそういう経営してるのを俺はよく知ってる。
いやいやいやw
なんでそいつらに被せるねんw
な?どこまでも自分に甘くて筋の通らない変な思考を自明としてるのがバレバレだろ?
別にいいけどさ、生産性の高い人にその意味不明な理由で賃下げ勧告してもさ。
最低賃金が大幅に上昇してればより交渉力高い高技能労働者の市場も変化してるわけで
ただまあ、それ以前の問題として、そもそも最低賃金でピーピー言ってるような生産性底辺のチンカス商事に「生産性高い人」なんかいねえだろw
仮にそいつのポテンシャルが高くても糞みたいな立て付けの事業に従事してれば生産性はあがらねんだわ。
見栄張るなよチンカス。
それを目的とした政策なのも理解できないのでこんな意味不明なドヤ顔をする。
な?頭悪いチンカスだろ?
中小企業ってマジでこういう、その辺のF欄のガキより思考力劣るような生ゴミ経営者が結構いるんだわ。
※結果として以下のような社会情勢になることが想定されます
いーえー?
そもそもその状況で一番困るのってお前の会社みたいな生産性底辺のチンカス商事じゃん。
チンカス君の知能でもなんとかやれるような何の工夫も経営手腕もない事業なわけじゃん。
それで?w
いい大学出てたり高度な技能持ってたりする高賃金人材使いこなしてそれ以上の利益出すような事業がチンカス商事にあんのか?
ねえだろお~~~?
「ふん!なら高卒なんか雇わないもん!」なんて言ったところで、それ以上の人材なんか猶更使いこなせないし利益が出せない。
だからお前のようなチンカスは結局、最低賃金1,500円で高卒を使うしかない。
今まで頭も使わずに確保してた利益って実はただの搾取なので、そこが大幅に減っちゃう。
お前の実入りが大幅に減るし頭使わなきゃ潰れちゃう環境になるけど、まあ頑張ろうねって話。
お前よりはるかにもの知っててたくさん勉強して頭のスペックも高い経営者でも「想像」なんかしねえんだわ。
データ集めて、考えて考えて分析して、分析の手法がおかしくないかも何度もチェックして、それでようやく計画立てるのよ。
それに比べて
お前みたいに頭悪くてもの知らなくて思考法すら知らないチンカスちゃんが横着に「想像」して、的確な予想なんかできるわけねえじゃん。
「ボックンの気に入る未来」がせまーくぼやーって見えてるだけ。
お前みたいなのにポジショントーク以外できないってのはそう言うこと。
お前は客観的思考とか、客観的未来予測とか、無理じゃん。頭わりーから。だろ?
最低賃金で雇い続けないとなりたたないチンカス商事の「職業訓練」ってなによw
残念ながら、お前んところのゴミみたいな生産性の仕事に携わること自体が労働者の不幸にしかならねーんだわ。
もしお前のところでスキルが付くなら、スキル付き次第お前のとこなんかどんどん辞めていかないとおかしいじゃねーかw
いいかー?何のスキルにもキャリアにもならねえ仕事は職業訓練って言わねえの。
まして若者がお前んとこみたいなチンカス系中小企業に就職してしまうのは、
その若者がそれなりに出来悪いぼんくら高卒であっても社会の損失なんだわ。
実は、最低賃金上昇で失業率が上昇するってデータはないんだよね。
あるなら持って来てみな?
バカがデータもなんにもなく「想像」で言ってるだけだからそんなこと言われても困っちゃうだろうけどなw
さて、誰が得して誰が損するのでしょうか。
特にお前のような、最低賃金労働者に頼らないと困っちゃうような
何の能力もない生産性最悪な企業を経営して社会に害を撒き散らしてるチンカス系経営者。
何が言いたいんだ?w
チンカスは妄想も面白いな。そんな政治力のあるワープアってどこにいんのよ。
低能は陰謀論すらまともにやれない。トランプ信者の方がまだ辻褄合うという恐怖。
じゃあ得する人は誰か?
最低賃金ずーっと止めてる間に日本社会は一人負けして生産性では韓国にも負ける国になったんです。
日本の活力(笑)とかいう各種の優遇と最低賃金の安さのおかげで頭蓋に味噌のかわりにチンカスつまった低能が経営者でございしてきた。
そんなことのためにそれ以外の全ての人が迷惑する社会ができてんだわ。
[補足]
私は生産性が高くちゃんと働いてるのに収入が最低時給以下なのである!
という方もいらっしゃるでしょう。
まず「この政策を支持してるのは最低賃金のワープアである」っていうのが
でも実際はワープアじゃない人間にも支持するインセンティブがあるし、実際支持してるから大きな声になってるわけでな。
そういった方は、ご転職なさるとよいと思います。仮に転職しても給与が上がらなかった、あるいは転職活動をしても内定がでない。
という方はつまり「生産性が低く自身の生産性よりも収入の方が高い」という状態にありますからそのままでいるほうがおトクかと思われます。
これはもう使い古された詭弁だよね。
摩擦のない完全競争なら、1円でも時給が高い職場が現れたら次の日には労働者がみんなサーっとそこへ流れることになる。
けど実際にはそうなってないだろ?
労働者側の転職は容易ではないので、新古典派みたいな労働力の需要供給モデルは実際には存在しない。
市場競争を離れたところで賃金には下降圧力がかかってるから、最低賃金を設定する必要があるしそれを適切なペースで上げていく必要があるの。
(ごめんこの説明はチンカス君にはたぶんよくわかんねーよな。「バカは新古典派」はウソだわw)
実際に最低賃金を設定して上昇させ続けてる国はうまく行ってて、
最低賃金はあるけど全然上がらない日本は一人負けしてきたのが現実なわけでな。
まして最低賃金を撤廃するなんて言うチンカス政策はチンカス島にチンカス国立ててチンカス君の家族だけでやっててくれよ、な。
最低賃金を1500円にすればその人達も1500円の仕事には付けるのよね。
それだとチンカス系経営者さんが死んじゃうーー!? 死んだら?
別に生物的に死ねとは言わないんだけど経営者はやめたらいいじゃん。
一番ランクの低い労働者が時給1000円しかもらえないのは、そいつらが1000円の価値だからじゃなくて最低賃金がそこだからというだけ。
最低賃金が上がることで困るのって
生産性の低い事業しか思いつかないのに経営者をやりたいって言う身の程知らずで迷惑な低能だけ。
そんなチンカス経営者は会社潰して1労働者なりナマポなりになってほしいっていう、それだけなんだよ。
むしろ今までが甘やかされてただけだったんだし。
「俺の会社がつぶれたら失業者ガー」が最後のお決まりの抵抗だけど、
はっきり言って企業の倒産と失業率もそこまで相関関係ないのよね。
ダメな会社がつぶれたら、より生産性の高い企業が労働者を吸収していくよ。
ブコメにも「賃金が上がっても同じだけ物価が上がるから気分が上向くだけ」とか幼稚なブコメに星がついてて
バカはデカい顔をせずそれなりに弁えてしかし幸せに暮らせる社会
これを目指したいよね。
自覚無いバカがしゃしゃると社会の害だから自覚だけ持とうって言うそんな感じ。
チンカス系経営者くんも迷惑な企業経営辞めて1ナマポ・1労働者として生きてくれれば全然OKだよ。
おわり。
「人件費の上昇は使用者のお前がかぶるんだよ」←いや、最低賃金の上昇分は、経営者、株主、他の労働者、消費者等によって負担される。経済学で言う税の帰着と同じ話。
別にそれに異論はないけど、どこに転嫁出来るかってのがまさに経営者が考えることでしょ。
消費者に転嫁できるなら立派な経営者だわ。人件費向上で発奮して、付加価値の高い商品開発したんやろなー。
でも今そんなレベルの話してないだろ。
チンカス君の「生産性高い人の給与を下げる!」にそういう経営者の責任感とか合理的な判断とか感じる?
強い被害者意識と自己中心的で支離滅裂な思考しか読み取れねーよ。
単に「最低賃金を上げるなんて我々への不当ないじめ!ならば自分より立場弱い誰かに押し付ける!」って鼻息荒い被害者面で吠えてるだけ。
そうじゃなくておまえが頭使って転嫁先を考えたり稼ぎ増やしたりするんでちゅよー、それが経営者の仕事なんでちゅよー(出来ないならおまえがかぶって死ねや)、って説諭してんのよ。
ついでにいえばこいつ
「最低賃金が下がったら生産性高い人の賃金が上がる」とか大ウソぶっこいてるじゃん。
搾取強めて浮いた利益から割り増し給与なんて払うと思う?こういうやつが。
「僕の経営手腕で稼得した利益だぞ!」って本気で思い込んで終わりよ。
そういうレベルの話をしてるのを読み取ってほしいな。わかるように書いてあるはずだよ。
ちょっと聞いてほしい
去年の暮れにTwitterが凍結した。
学生の頃から10年以上使っていた、オリジナルのイラスト用アカウントだ。
その顛末を聞いてほしい。
最初はノートにシャーペンで描いた絵をケータイで撮ってアップしていた。今となってはとてもじゃないが見れたもんじゃない。けど、描いたノートをただ閉じて机にしまう日々から一歩踏み出せたようで、嬉しかった。
交流はしてみたかったが、ハッシュタグはなんだか恐くて使えないままだった。
アップした画像が50枚を越えたあたりで、「あ、コレはこのまま孤独死できるな」と思い知った。
いい絵を描く人は少しずつフォローし、タイムラインは賑やかになっていった。が、かたや僕はハッシュタグも日常ツイートも飯画像もなく、二次創作でわいわいすることもない。
ひたすらオリジナルの下手な絵をアップしていくだけのアカウントである。フォロワーが増えるはずもない。
当時の僕は、ド底辺絵師なんて生易しいものじゃなくて「この世にほぼ存在していない」アカウントだった。
ごくたまーーに見かける、絵をアップさえしていられればそれだけで自己肯定し続けられる〝最強の人〟でもなかったのだ。自分にもド下手なりに承認欲求があり、限界を迎えつつあったそれをマネジメントする必要があった。
ワンドロを知ったのはその頃である。
one drow、1時間以内で特定のお題の絵を仕上げて見せ合おうというユルい交流の一つだ。定期的な開催日時が決まっており、リアルタイムでお題の発表や作品のツイートを行う。
画力が乏しくても許してくれそうな場所を探し、おそるおそる参加してみた。
ここがとても優しく丁寧な運営であったことで、僕の世界は少しずつ広がっていった。
ワンドロのハッシュタグを辿って、同じ時間内で作品を仕上げた同志とそっと実力を見せ合う。
1時間ってすげー短いんだぜ?
最初は全然終わらなくて恥ずかしかったけど、徐々に時間配分に慣れてまともな絵を上げられるようになっていった。相変わらず下手なままだったが、中学の頃から憧れてたコピックなんかも使っちゃって毎週参加していた。
楽しかった。
ワンドロ仲間を中心に、月に1人くらいフォロワーが増えるようになっていった。
そして、ひょんなことからiPadを買った僕は、思いのほか身軽にフルアナログからフルデジタルに移行した。
フォロワーの伸びが変わったのはここからだ。数年がかりで、デジタル絵であることがある程度の共通言語として成り立っていたのだと知った。
泣いて喜んだ。
ワンドロには欠かさず参加し、10イイネ以上をもらえた絵はそっとスクショしていた。
どんな形であれ性癖を晒すのが重要なんだなぁと学び、iPad用のクリスタを導入して漫画も描いてみた。
コミティアに出したら3冊売れて、飛び上がるくらい嬉しかった。
一度だけバズったことがある。
気合を入れて描いたとある絵が、どれかのタグを辿ってフォローしている人の目に留まったらしい。
いつもは閑古鳥の通知欄に「20+」の数字を見た時、こんな世界があるのか…と呆然としてしまったことを覚えている。
この時のツイートの、右下の♡の数は、一生忘れられない3ケタになった。
もっと絵がうまくなりたい、どんどん描きたいと夢中だった。
そんなある時、ふとヘッダーを変えようと思い立った。
現時点で最高の出来になった絵を使って、その目元をトリミングした画像を設定した。
翌日。
仕事の休憩中、メールボックスに見慣れない2通の通知が来ていた。
明らかに昨日のヘッダーが原因だ。
凍結の理由は「センシティブな内容の抵触」。トリミングした画像のキャラの、ほっぺがピンク色だったからだろうか。
運営はエロ絵には敏感だと聞いていたので、細心の注意を払ったつもりだった。
甘かった。
そして僕のアカウントは凍結された。
通常であればまずは理由を通達した上でのアカウントロック、そこで改善が見られなければ永久凍結である。
だが僕の場合、ロックの通達からわずか1分後に凍結の通知が届いていた。
実質的な一発退場だった。
ロックにさえ気付けていれば、事の重大さを思い知って即画像の差し替えができただろう。
が、平日の仕事中、60秒間で全て対処するのは到底不可能だった。
迂闊な画像を使ったのは他でもない自分だ。が、やはり経緯にどうしても納得がいかない。
たくさん調べ、似たような体験談を探し(ぶっちゃけロック→即凍結のケースは見当たらなかったが)、なんとかTwitterの運営に異議申し立てを送った。
じりじりと待ち続けて3日、1週間、2週間、1ヶ月、3ヶ月、半年。
申し立ては定期的に行っていたが、結局、定型文以外の返事が返ってくることはなかった。
「あなたのアカウントはTwitterのルールに違反したため、復旧はできません。」
死刑宣告だった。
突然の凍結から、ずいぶんと時間が経っていた。待ちに待った返信は、その一言で終わった。
今僕の手元に残っているのは、フォロー・フォロワーが0になったアカウントだけ。10年間、この数字が一つ増えたり減ったりするたびに一喜一憂していたのだ。
長年使っていた馴染みのプロフィール画像だけがぼんやり残っている。
これがもしインフルエンサーとかだったら、Twitter本社に突撃して解除しました!みたいな体験談になるのだろう。
ただ、僕にはそんな実力も気力も体力もない。
あまりの理不尽さにふつふつと怒りが込み上げるが、近頃は悲しさの方が上回るようになった。
でも、友達もろくにいない僕が、めいっぱい好きに動ける場所だった。
「凍結されちゃいました☆」とのたまって新しいアカウントを作ることは出来るかもしれない。
けれど、いま僕の目の前にあるのは、一つの大切な拠り所を失ったという事実のみ。
もう…ちょっと立ち直れそうにないや。
俗に言う所の「所属ジャンル」というべきものがかなり老若男女入り混じってるタイプで、5,60代のオッサンからピチピチのJKまで揃ったタイムラインで過ごしている。
天ぷらで胃もたれして苦しい思いをしているオッサンのすぐ真下に、試験前なので浮上減ります><が流れてくる愉快なタイムラインだ。
さて「ウマ娘」はかなり大衆にウケており、「ウマ娘クラスタ」と括るべき熱烈なコミュニティの外でも、サブの趣味としてこれを置く人間も多い。
我々のジャンルでもかなり大勢の人間がウマ娘をダウンロード、そしてプレイしているように見られた。
ゲームやそのファンアートを楽しむだけでは飽きたらず、馬券に手を出す人間も確実に増えた。
なので、馬券を買うようになったオタクの周辺について色々観測したメモを書いてみることにした。
一部のオッサンたちはウマ娘が始まる前からいつも特定の日時になるとアイマスの「全然違うじゃん!もう私競馬辞める!」のコピペツイートをRTしてきた。
ウマ娘色々にかかわらず、まったく元から競馬をしていた人たちである。
やはり仲間が増えた事が嬉しいのか、ギャンブルの後ろめたさが軽減されたからなのか、知識をひけらかすのが優越感があり楽しいのか、
そんな要因でいつもより競馬に関するツイート数は増えたように感じる。
とはいえ彼らはもともと競馬をやっていたので、ウマ娘の影響を受けた変化率はかなり少ない。
当たり前のことだが、オタクが皆競馬をやっているわけではない。
この話題と直接は関係ないが、このまま続けるとあたかもオタクが全員競馬をやっているかのようなバイアスが入るので、彼らについても一応触れておきたい。
そもそもウマ娘をやっていないオタクは(元から競馬趣味だった場合を除き)競馬をやっていない。馬のうの字も喋らない。まあ当然の事である。
たまーに「最近ウマ娘流行ってんね」ぐらいの事を口にすることがあるかないかぐらいのものである。
またウマ娘はやっているが競馬をやっていないオタクも当然存在する。
この勢力を自分の観測範囲からいくつかに分類しみるとこうである。
・無課金派:ギャンブルにもソシャゲにも金は払わない価値観で、ゲームも無課金の範囲で適当にプレイしている。エンジョイ勢。
・貧困派:無課金派に近いが、その理由が価値基準というよりは金銭的な問題である場合。生活が困窮しているかもしくは学生である。
・美少女派:美少女には興味があるが、現実の馬そのものには全く興味がない層。
・創作派:主にクリエイティブなタイプの人で、競馬なんか覚えてる暇とリソースがあったら絵描きたいよみたいなタイプ。
・自虐派:自分の頭脳・要領・運に全く自信がなく、まず自分の予想が当たるかもしれないという希望を一切持っていないタイプ。
これも大きく分けるとこんな人が観測された。
・利用派:自らを爆死芸人にしたてる事で、エンターテインメントを意図的に提供していそうな人。元からフォロワーが多かったりプチ有名人であることが多く、あざといけど流行りのコンテンツを上手く利用してるなと言う印象である。競馬を金儲けの手段としたいというよりは、フォロワー稼ぎやコンテンツ提供に対する投資のような側面が大きいように見える。
・パズル派:とにかく予想すること自体がクソ楽しい勢力。昔からソシャゲの次のイベント予測とかナンプレ懸賞とか大好き。新しいパズルを買ったぐらいに思ってる。
・推しにお布施派:予想を立てるのではなく、推し及びある程度関係する馬に対するお布施だと思っている。金が余ってる。
・本気で金稼ぎできそうだと思ってる派:単純にアホ。ギャンブルは必ず主催者側が得をするように出来てるのを知らない。
・文化知りたい派:なんとなくどういうものなのか見識を広めたくて1回やってみる人。見識を広めたいだけなので払うのは少額だしだいたい1回で辞める。
『インフルエンサーではないし』、
『ましてや本気で金稼ぎできそうだとも思っていない』、
『けど何回もやる』
派。
こいつらが一番、増田は怖いと思っている。
上記に述べた利用派・パズル派・推しにお布施派は、あくまで大損こいても目的は果たせるので、それに同意して金を払っている。
ただそうでもなくて、なんかぼんやりと競馬をはじめた勢力がいる。なんか満たされてなくて、なんか満たされそうで、宝くじを買う心理に近いのかもしれない。
で、こういう奴がどんな奴かって言うと、大体伸びてない絵師とかメンヘラ童貞喪女とかそういう人。
個人的にはこういう人がどうなっていくかを少し懸念しているんだけど、ウマ娘で競馬を始める事自体は悪い事ではないと思うんだよね。
増田自身の価値基準は「文化知りたい派」に近いんだけど、オタクやりながら艦隊の名前覚えたり博物館に刀剣を見に行ったり地方に聖地巡礼したり世界史にやたら詳しくなったりするのは結構楽しいからね。
性欲が衰えた気がする。十代や二十代の頃のように教室や職場で信じられないほど勃起して困っていたし、ひどいときには学校のトイレで抜かないとイライラするほどで真剣に困っていた。
それが三十代になってから落ち着いた。自慰の頻度も三日に一度くらいになった。突然身体がほてって何も手がつかなくなることがなくなったのはありがたいのだが、幾分寂しいのも事実だ。あれだけのエネルギーはどこに行ってしまったのだろう。かつてはどんなに集中していても、とつぜん頭に裸の女性が浮かんできて中断させられることがしばしばだったのに。
そうはいいながら、全く性欲がなくなったわけではない。ただ、何となくバニーガールやブルマーというワードで検索したくなる。大体これが三日に一度、性欲が満タンになるペースだ。言い換えると、自分の性欲がフルに溜まったというサインが、強烈なムラムラからぼんやりとした検索ワードの変化になったらしい。
だからといっていつもバニーガールやブルマーで抜いているわけではない。ただ、自分が幼いころに初めてエッチだと認識したのがそれだったということなのだろう。幼児帰りするには早い気がするが、何かに対するフェチの起源は、そんなものに違いない。
ワクチン摂取が始まったし、効く事もわかってきて、日本では遅くても年末までにはだいぶ雰囲気が変わってると思う。
予測として「甘い」って言われるかもしれないが、仮にオリンピック開催となって、国内で感性が再拡大しても、ワクチン摂取が同時進行なら、その後の緊急事態宣言1回で10月くらいには落ち着いて、一般摂取の2回目に雪崩れ込んでいくかな、ってぼんやり考えてる。
こんなチキンレースみたいなスケジュールで命がかかってる事をやる事自体は「そこまでしてする事か?」って思うけど。
で、落ち着いてきたら、ポジティブなものもネガティブなものもいろんな感情が世の中に溢れ出ると思う。
我慢から解放されて、祝祭的な幸福感、楽しみを我慢しなくていいんだってムード。
でも同時に「恨み」や「まだ苦しんでるのに取り残されたような寂しさ」も我慢の軛を解かれて溢れ出すんだろうなって思う。
真面目に我慢してる人がこれだけいるから、言っても緊急事態位宣言も機能したわけで、問題は「地味な我慢」「諦めた機会」に何の保証や報いもない事で、「ズルした人やギブアップした人から得をする」状況になってしまって一年。
でもワクチンによって平穏が戻った後は大変そうで、「我慢した人」は「我慢しなかった人」の「あの時はまあ言っても飲んでたよね。それが合理的ってもんじゃん。」的イキり発言を聞かされ、「自粛警察みたいのいてキモかったよね」「人として醜さに引きました」的、「いや勝手にやっててグチグチいうお前らの方が悪いよ?」みたいな開き直りも出るだろう。
「我慢しなかった人」は「我慢した人」から「お前らがノウノウと飲めたのはたくさんの人の我慢で感染が溢れ返らなかったからズルできる隙がうまれたんだ」「それを使ったことを自慢したお前らは感染拡大やその間の死者に責任を負ってるぞ人殺しめ」的な攻撃を受けるだろう、こっちは多分ネットかな、そんな気がする。
二年に及ぼうとする長い我慢は確実に人の心を壊した。
本気で身内が死んだ人や自らが死線を彷徨った人は流石に無理だと思うし、そう望むべきでもないと思うけど、「我慢した人」は「我慢しなかった人」のちょっとのイキり発言を赦し、「我慢しなかった人」は「我慢した人」の恨み言を許して少し耳を傾ける必要があると思う。
【追記】
「もしコロナ後があったとして、それってみんながハッピーなのか」って思って想像してみた事を書いたら意外と伸びた。
いや「つながり」じゃないか
有りそう。まさに断絶の後の事について考えてたから。
言ったら絆アゲインみたいな。
ただ「言葉が広がるケース」なら目新しいモノが強いんじゃ無いかって下世話な想像はある。
スゴい表現だなって思った。
老人が若者に赦しを求める
「求める」の仕方は問題になりそうだなって思った。
「みんなの貴重な2年を私たちの命の為に使ってくれた事に感謝の言葉もない」という場合でも誰かが「はい、これで終わり!次々!」と言い出すと「多数派による少数派への赦しの強要」って構図になるかもなって。
こうなるとこじれる。
一理あると実感するところはある。
自分は一時的だけどリモワできて、収入に大きな影響も無かった。
こんな立場でなくコロナを迎えたら耐えられなかっただろうと思う。
そう考えると「感謝と幸運」について考えるけど、その事で「孤独と色々諦めざるを得なかったことに関する感情」を一生懸命整理している。
それ飲食店経営者に言えんの?
飲食店経営者にとっては「過度な自粛せず来店してくれた人」「自粛って点ではどうかと思うが店を利用してくれた人」こそ自分の苦境を救ってくれた人で、「地味に外食を控えた人」は「見えない人」だろう。
そこでネガティブな感情に火がついてしまうと「本気で苦しんだ人」と「見えなかった、相対的だとそれほどはないが苦しんだ人」の対立を「周りが煽る」という展開になりかねず、ちょっと地獄味あるかもって思う。
忘れる
ここら辺はトランプ現象にも通じる「忘れられる事への怒り」なのかなと思った。
トランプの話でたから思い出したけど、バイデンも「癒し」をテーマの演説してて、いざ想像してみると「癒し」から感じる匂いは甘くなくてほろ苦い
クリアカットにしていく事が全能ではないんじゃないかという思いはあり、ここら辺の「モヤモヤした明るくはない感情の中で犬かきする」様な妥協の価値は個人的には見直していきたい。
お寿司がいい
2021年3月、とあるVtuberが引退した。でもって、Vtuberの「中の人」のTwitter(真偽不明)(たぶん)が引退2カ月後に判明した。
半信半疑で、その人がTwitterに上げてたガチャ動画を見た。声を聞いた。
一瞬で過呼吸になった。
好きな声だ、この約2年間ずっと聞いてきた声だ、引退してからずっと生きてるか心配してた、二度と聞けないと思って、それでも寂しい、また聞けたらなんて叶いもしないだろうけどぼんやり思ってた………………その人の声だった
元気そうでよかった
とりあえず非公開リストに入れた。フォローはしてない、リプも送ってない。たぶんこれからも送らない。
間違えてはいけないのは、そのTwitter垢は「Vtuber」の垢ではなく、「一般オタ」の垢だということだ。
私はただの一般オタの垢を見つけただけ。
Vtuber界隈には「転生」というワードがある。Vを引退した中の人が、違うガワで活動することだ。
あの人はたぶん、転生ではないと思う。私は転生判定しなかった。
某声優さんと相互フォローなのは、Vとか声優とか関係なく、ガチで仲良くなったからだろう……と勝手に都合よく思っておく。
他のファンがこの件をどう思ってるだとか、自分がどう思われるだとかは考えないようにしている。頭いたくなるしな。
今までさんざん書き連ねて来たのは、自分の指針を忘れないようにするため。ついでに、こんなオタクもいるよって発信するためだ。
あの人は一般人だ。
私は、「好きなVによく似た声の一般オタを、勝手に見つけた」だけ。
私が初めてドはまりして、ボイス買って、メンバーに入って、ライブを見て、タペストリーを買ったVtuberとは別の人。
それでも、見守りたい。
「うっせぇわ」という曲が流行った。社会に反抗するその音楽は老若男女にウケ、偉い人も偉くない人も、社会の理不尽さに怒りを感じる事を表していた(勿論皮肉である)
その内容も、まとめれば「社会の理不尽に対し、陰で口臭いとかうっせえわと言って溜飲を下げる」という内容である。
現代の若者には大麻が流行ってるらしい。主にヒップホップに憧れる高大生が吸ったり売ったりしてるそうだ。
大麻を吸う事の一種の側面に、「意味の無いルール」に対する反抗も含まれているらしい。
正直、終わったな、と思った。大麻がまん延する高大生を憂いているわけでは無い。
「意味の無いルール」に対して「無意味に反抗する」現代の若者に対しての言葉だ。
大麻は酒やタバコより害が少ない。吸ってもぼんやりとするだけで、暴力事件が起こるわけでもない。
故にアメリカの大学生はパーティーとかでスパスパ吸ってる。それと同じことをして何故反抗になってると思うのか。
今の若者は知らないと思うが、今の50代~60代は、高校生のうちからタバコを吸ったり酒を飲んだりして暴れていた。
普通の真面目な高校生が、ちょっとした部活の打ち上げで酒を飲んで、先生が「だめじゃないか~」なんて言ってる時代なのだ。
現代の若者は老人に制御されている。一億総権力者の現代、平均年齢は50代。
平均年齢が20代30代だった時代の「反抗」は「反抗」として機能したが、現代の反抗はただの子供のお遊びだ。
皆に受け入れられる反抗何て反抗じゃない。マイノリティは潰されるだけ。
全く恋愛に縁のなかった大学3年生の女の子が初めてのセックスを何となく記録しているだけのお話。多分そこまで珍しいことは書いていない、ありふれた初体験。
相手の男性とは何度かデートを重ねて何となく良い雰囲気になっていたのですが、ちょうど一週間前相手の家でのんびりしていた時にとうとうセックスしてみる?みたいな空気になったわけです。
私はオナニーは結構するのですがそれも主にクリトリスを触るだけで、セックスは言わずもがな初めてだったので、完全に相手に身を任せていました。相手もそれを承知していたので(もともと気の置けない友人と言った感じで下方向の話もお互い積極的にしていた)、その日は手マンで中をほぐすだけということになりました。
最初に濡らすためにクリトリス辺りを弄られたのですが、自分では敏感に感じすぎるのが怖くてあえて避けていた部分を触られまくって死ぬかと思いました。でも不思議なことに何故かイけないんですよね。どうしようもなく気持ちいいのに。
結局その日はずっと気持ち良くて、なのに最後までイけなくて、でもいわゆる愛液の量がすごくて、なんなら帰ってからも次の日もずっと濡れていました。
お陰で中に指を入れられた時もローションも必要なくすんなり入っていきました。なんとなく気持ちいいような感じはするのですが、どこか遠くの他人事のような気持ちよさで、どちらかというと尿意を感じました。(初めてクリトリスでオナニーした時もまず尿意を感じたので多分慣れたら気持ちよく感じられるようになるのだと思います。)
ここに書いたような感覚を色気もクソもなく実況しながらずっとわからん……気持ちいいけど何かようわからん……と言っていたのですが相手は何やそれって笑いながら開発に付き合ってくれてあとあとちんこをぶち込むためとはいえ優しいなと思いました(小並感)。
それらが終わったあと、ついでと言っては何ですが相手の性器も見せてもらいました。初めて見るおちんちんに面白くなっちゃって、金玉や亀頭をふにふに触ってみたり竿のところを軽く握って上下に手を動かしてみたりしましたが、気持ちよくしてあげる術を知らないので、その日はそれでおしまいでした。
次の週、私はまた相手の家でデートしに行きました。相手がどう考えていたかは知りませんが私の方はもちろん相手の家にコンドームやローションがあるのは以前に見せてもらって把握していたので次のステップに進む気満々でした。
で、しばらく過ごすうちにやっぱりそういう雰囲気になってきました。私はどうも濡れやすい体質らしく相手がそこに手を伸ばした時にはもうべしょべしょで、クリトリスなんかを触るのもそこそこに指を中に入れてもらいました。流石に2本目を入れると痛いなと感じましたがしばらく動かしてもらううちに慣れてきて、気持ちよさは相変わらずどこか他人事のようでしたが前よりはその感覚が自分に近づいたような気がしました。相手にも前より感じてるんちゃう?と言われたので多分そう。
相手がコンドームを付けるのを興味津々に見守り、いよいよ挿入。キスをしてもらったりしながらゆっくり入れてもらっていたのですが最初に考えたのはちんこって長いんだな〜ということでした。
感じたことの無い異物感にもう半分くらい入ったかなと思い、今どのくらい?と聞いたらまだ先っぽしか入ってないよと言われ軽く絶望しましたが、痛くはなかったのでそのまま続けてもらうことにしました。処女膜については自分で調べてそれが膜らしい膜ではないこと、必ずしも血が出る訳では無いことを知っていましたが、この時点で私多分出血しなさそうだなぁと思いました。
そこから更に入ってくるとさすがに痛みがあり、ゆっくり慣らしながら入ってきてもらいましたが、ある点を通過するとほとんど痛みもなくすんなり全部入りました。
正直入ってる感覚自体がもうぼんやり気持ちよくて幸せで、これ以上動かす必要ある?と思いましたが、相手にも気持ちよくなってほしかったのでしばらく慣らした後に動いていいよと伝えました。私が初めてということもあり多分加減して緩めに動かしてくれていたのですが、なんだか気持ちいいのと同時にしんどくて、それで一旦ステイしてもらってまた動いて、というのを繰り返し、結局お互いイけずじまいでした。奥まで入ってきたまま軽く動かされるのはちょうど良い気持ちよさでしたが、出し入れされるのはいまいちだなという印象でした。
その後、初めてならそんなものだとは知っていましたがそれでも相手に申し訳ないような気がして、それに私自身興味があったので、相手に触り方や気持ちいいところを教えて貰いながら手コキをしてみました。自分で触ってたらもうイってそうな気持ちよさなのになぜかイけない!と言われ、先週の私と同じこと言ってるなと思うと何だか可笑しくなりました。
本当は射精をこの目で見てみたかったのですがそれは諦め、シャワーを浴びて服を着、私が帰らないといけない時間になったので駅まで送ってもらい解散しました。
残念な点も多々ありましたがまあ私は初めてでしたし、次はもっと上手くいくと思います……多分。
セックスをする以前から既にお互い性癖をそれなりにぶちまけ合ってる仲なので、慣れてきたら色々なプレイ出来るといいなぁ。玩具とかも色々使ってみたい。
小野寺系とかいう映画評論家の件もそうだけれど。批評する上で引き合いに出した作品もちゃんと読んでいないし、批評した作品じたいも割りとぼんやり見て評論を書いていたりするけど、「でも俺はポリコレに準拠しているから、他の評論家より一段上なんだ!」みたいなよりどころになっているような気がする。
「愛国心はならず者の最後のよりどころ」みたいな言葉をこういう人たちは愛用するけど、愛国心がポリコレに変わっているだけなのが、小野寺であり町山なんだと思う。
元増田です。
なんとなく考えていたことや、ぼんやりと思っていた自分の気持ちが言語化してもらったような気持ちです。
悲しいのは、奥さんが、私のこの真剣な悩みを「セックスできなくて不機嫌な状態」としか見てくれていないと思うことです。
この話をしたときに、
「セックスがないのもつらいけど、日常のスキンシップも減って寂しい」
と伝えたら、
「そういうことをすると、セックスにつながっちゃいそうだから、そうならないようにしている」
と言われたのはショックでした。
あげく、
「子犬でも飼おうか」
と、愛情の矛先をそらそうとされたり。
まるで、性欲モンスターにでも思われてるのかと思って、さすがに傷ついたなぁ…。
みんな選択したり、受け入れたりしてるのか…。
うまくやっている人たちが羨ましい限りだ。
機能不全家族ってぼんやりした言葉にしてるけど結局は崩壊家族。
家族が崩壊するんじゃなくて、崩壊しているのに家族のままっていう地獄。
そこで生きてきて、そこでこれからも生きていかなきゃいけない。
おかげで私は何をするのも「面倒」だと思いながら生きる面倒な生き物に成長してしまった。
そんな家族からはやく離れろなんて普通の人は言うけど、それすら面倒なんだ。
とここまで書いて気づいたけど、私は自分の面倒をみる事が面倒みたいだ。
母親の機嫌をとること、父親のフォローをすることは今まで沢山してきた。
でも自分自身の事は特段どうこうしようとした事はなかった。
自分の誕生日だって興味がないし、何なら人に祝ってもらうのも面倒だから嫌で仕方がない。
一人でいいのに、周囲が有難迷惑な感じでコミュニケーションをとろうとしてくれる。
友人も居るようで本当はいない。
表面上の友人は気楽でいいのだけど、深く付き合うようになると面倒になってフェードアウトしてしまう。
好きな人とのコミュニケーションもはじめは楽しいけれど、面倒になってすぐフェードアウトしてしまう。
好きな人なのに、大事な友人なのにと思っててもそれいじょうに面倒が上回ってしまう。
こうやって書いていくうちに自分の事を客観視できるかとおもったけど、書くことも面倒になってきた。
最近はもう全部が全部面倒なのでいっそた人生終わらせようと思うんだが、それも面倒で仕方がない。
ああ面倒だ
前ジャンルで仲良くなった2人と、ジャンルの切れ目が縁の切れ目になりそう。
学生時代から10年近く一緒にいて、それぞれ個人活動でイベント出たり、たまに合同誌作ったり。
即売会終わりで飲みに行ったり、一緒に作品のイベントに行ったりしてた。
原作が終わってジャンルが斜陽になってきて、同人活動は少なくなってきたけど、それぞれの好きなものをお薦めしあったり、ご飯に行ったりは続けてた。
1年半くらい前、私はAというジャンルに着水した。
同時期に私以外の2人が、Bジャンルにハマった。
それはそれは猛烈に。
同じCPであったことも幸いし、同人、イベント、ライブ、グッズへの課金、見事にドボンと頭の先まで浸水していった。
二人のハマったCPがマイナーなものだったこともあって、手に手を取って、いかに自分たちがマイノリティだけど、崇高なものであるかを主張し出した。
マイナーだけに公式の供給も少なくて、コマの隙間に目を凝らし、24フレームのあいだの19.3コマを妄想する。
同じものを見ても、私が見えない何かを見て萌え燃え上がっている。
その妄想をしたため、このご時世でもオンオフ問わずイベントに出まくっている。
私もAジャンルに於いては、そのような行動をとっているかもしれない。多分とっているだろう。
一人な分、もう少し制御が効いていると思いたい。
一人になった時点で同人誌、イベントへのモチベーションは下がり、今は滝のように流れてくる公式の供給を浴びてまったりしている。
ただの愚痴だ。
わたしから誘えば2人は時間を割いて一緒に出かけてくれるだろう。
でも私は目の前で繰り広げられる2人のトークに、ぼんやりとした虚無の目をしてしまいかねない。
私の知らないところで2人で繰り広げたトークの残り香に「よかったね。素敵だね」と生ぬるいあいづちを打つのだろう。
気を遣って私の推しの話を聞いてくれたら、自慢げに公式供給の多さを話して「妄想が入り込む隙間ないんだよねー」とマウントを取るだろう。想像に堅い。
めっちゃ嫌なヤツになる。
だからと言って、一度私がキモいと思ってしまった2人のテンションでAジャンルを語られるのも気持ち悪い。
私の好きなAジャンルが汚されるような気がする、大袈裟だが本心。
ちょうどさっきも、Aジャンルの公式ツィートに「いいね」を推した。
その次に流れてきたBジャンルについての妄想RTをそっとミュートした。
違うジャンルにハマったことで、こんなに自分の心の狭さを見ることになるとは思わなかった。
この先、また違うジャンルで出会って意気投合して、側からみたらキモいトークで盛り上がれるだろうか?
セルフネグレクトを今まさにしている人に、「自分を救えるのは自分だけだよ」といったところで、
たぶん彼らはただ反発するだけだと思う。
弱者男性周りの「丁寧な暮らし」云々に反発するコメント群の一部に、
その感情の名残を見つけたような気がした
正直模写の仕方が間違ってるとは思う
全体の形を取るようにして。立体とかは二の次
立体意識してとか言われても無理な段階なので
背景は1日4枚しっかりしたものを
忠実に描くものと、特徴を捉えてさっさと描いてゆくクロッキーベースのもの
クロッキーだけだと40は軽くいく
両方とは言わない。人物やった日はそれどころじゃないと思うので背景やんなくていい
背景じっくり4枚描いたら今日はそれで終わり
次に見ないで描く、といった手法で合計三枚一枚に付き描く
トレースの際には全体をぼんやり見て、部分を注視しないようにサッと引いてゆく
模写はトレースした一時記憶が勝手に思い出されるので、見ながらだとだいぶうまくゆくはず
次が難関。見ないで描く。失敗したらまた見て描き更にうまくゆかなくなったらトレースに戻る
これでうまくならないはずはないので、ひとまずどうかやってみて
弱者男性のセルフケア云々の話をぼんやり読んでいて思い出したことを書く。
たぶん年数にして5年くらい、セルフネグレクトをしていた。
鬱状態で1年間くらい動けず、生活費が尽きて派遣やアルバイトをしていたが
部屋は汚部屋で、服とゴミとが部屋中に散乱した上を踏んづけて暮らしていた。
洗濯機が壊れても買い替えられずにコインランドリーに通っていて、
毎日洗濯した清潔な服を着ることのハードルが無意味に高かった。
歯をほとんど磨いていなかったので、虫歯で口の中がぼろぼろだった。
食生活は適当で、たまにコンビニでアホみたいに買い込んで全部食べてしかも吐いたりしないので、大体30kg体重が増えた。
そんな状態だったけど、
部屋を掃除しなかったし、洗濯機を買わなかったし、食事に気を使いもしなかった。
虫歯は痛みがなかったからごまかしごまかしやっていたが、二回くらい前歯が欠けて、
さすがにそれはやばいなと思ってそのときだけ歯医者に駆け込んで治してもらってた。
「あんなにつらい目に遭わされたのを贖われていないのに、なぜ私が自分のために動かなければならないのか」
だった。
鬱で辞めた後、1年くらいはただ無気力だった。
されたことを思い返して整理して、「あれは本当に理不尽で、侮辱的だった」と怒りを感じられるまで3年くらいかかった。
そうして怒れるようになってようやく、自分がどれだけ損なわれたかを知った。
ゴミにうずもれた薄暗い部屋を片付けないと、と思うことがなかったわけではないし
今まで着ていた服がどんどん入らなくなるのにショックを受けなかったわけでもない。
けれど、それをどうにかしないとな…と思うたび、湧き上がる感情は、なぜかクソ上司たちに対する怒りだった。
私は考えれば考えるほどおかしな目に遭わされていて、それを誰も私に詫びていなかった。
それは当たり前で、クソ企業を私は逃げるようにやめたし、一矢報いることもできなかった。
逃げたのだから詫びられるはずなどないのだ。
けれど、そのクソ企業に理不尽に損なわれた部分を、自分の努力で埋めなくてはならないなんて
それはクソ企業で受けたのとおなじくらい、理不尽な仕打ちに思えた。
そういう気持ちだった。
自分自身に対して、自分の傷を開いて見せつけるような行いだった。
妙なもので、人に対してはそういう風に自分がどれだけ辛い思いをさせられたか、
どれだけ怒っていてどんな風に傷つけられたか、話すことができなかった。
もしかしたら察されていたかもしれないが、自分なりには、自分の問題を人に見せないようにしたいと思っていた。
メンヘラかまってちゃんなんて言い方があるが、私はメンヘラだったがかまわれたくなかった。
辛い思いをしているなんて絶対に人に知られたくなかった。親であっても兄弟であっても友人であっても。
その結果親の心配の声には怒声を返し、友人からの連絡は気力が高まるまで放置し続けた。
セルフネグレクト状態を抜け出せたのは、たまたま就職がうまくいって、
まず洗濯機を買った。
それから歯医者に行った。1年くらい通った。口の中がぼろぼろで、半分入れ歯みたいになった。
部屋の片づけ後にようやくダイエットにも取り組めて、どうにか15kgを落とした。
服や髪に気を配ることの楽しさを思い出しつつある。
そして最近、覚悟を決めて、心療内科でカウンセリングを受け始めた。
5年くらいセルフネグレクトをしていて、戻し始めてから今まで3年くらいかかった。
自分の窮状を他人に話すのも、窮した状態をある程度抜け出してはじめて取り組めた。
あの汚部屋で、ゴキブリの歩くかさこそ音におびえながら暮らしていた時、
私は何もかもを憎んでいた。何のためにも動きたくなかった。
自分のために、歯医者に行ったり、部屋を片付けたり、体重を管理したり、見た目に気を使ったり、病院に行ったり、
そんなことをしたら、まるで自分が傷ついていないみたいで嫌だった。
あの時の自分に、今何か声をかけられるとしても、たぶん私には何も言えない。
自分を救えるのは自分だけだなんてこと、言われなくたってわかっていた。
それでもそれをするのは嫌だからしていなかった。傷つき続けることを自ら選択していた。
セルフネグレクトを今まさにしている人に、「自分を救えるのは自分だけだよ」といったところで、
たぶん彼らはただ反発するだけだと思う。
弱者男性周りの「丁寧な暮らし」云々に反発するコメント群の一部に、
その感情の名残を見つけたような気がしたので、とりあえず書き留めた。
解決策はとくに思いついていない。
「同級生が結婚していくのに…」とか、「あいつは都会でキラキラしてるのに…」みたいな感じのあるあるを見るたび、将来自分もコレを経験することになるのかなーとぼんやり思ってたが、実際全然そんなことはなく、誰のことも知らねえ
「取り残されてる感」すらない
何時間ネカフェに居座るかの「見積もり」を前もって出さなきゃいけない。
これがしんどい。
勝手に最適なやつに切り替わってくれよ。
延滞料金めいたやつが高すぎるよ。
3時間かな? って思うと6時間寝ちゃうし、6時間だけ寝ようって思うと10時間寝てしまう。
だから結局常に12時間コース(2400円ちょい)にするしかない。
それ以外で寝過ごすと速攻3000円越えてしまう。
そりゃホテルよりかは安いさ。しかしシャワーは別料金だし、ご飯がタダで食べれるわけでもない。
シャワーがコース料金に含まれる、もしくは格安、あるいはご飯が食べ放題というネカフェはある。
池袋のマインスペースはシャワーがとにかく快適。30分~1時間使ってOKだし、天井もふさがった完全な個室が選べる。
新宿のマンボーネットルームは漫画が一切ないしシャワーはコインシャワーだが12時間2000円ちょいでご飯(牛丼とカレーとコロッケ)が食べ放題。
ご飯が食べ放題って狂気の沙汰だ。僕はあそこを「ブロイラー」と呼んでいる。一度入るともう出る気にならない。そもそもご飯を食べて寝る為に生きているんだから、貯金尽きるまでここで暮せばいいんじゃないのかってくらい不満がない。栄養偏って死ぬと思った。
ネカフェにずっといても飽きるので「コンビニ行くかー」ってなるじゃん?
でも食べ放題フロアがあると「その前に飯・・」ってなるじゃん。
最上階の食堂フロアへ行って、鍵を渡すと食券がもらえるから、それを持っている間は無限におかわりができる。
まあ、なんとなく最低2杯はご飯食べて、味噌汁も飲んで、コロッケも食べて。最上階から新宿の殺風景な景色をぼんやり眺めて。
「戻るか」ってなるでしょ。
自室戻るでしょ。
そりゃあんた、寝るでしょ。
ジ・エンド。
一日食って寝てるだけで終了。
「囚われる」
僕それで一週間出られなかったから。
もう牛丼とカレー食べない! ぜったい外食する! って覚悟決めて外出ない限り、抜け出せない。
しかもハンパな牛丼チェーンより美味いんだわ、マンボーネットルームの牛丼。自分でいくらでもつゆだくにできるんだよ??
ああ、今すぐあの殺風景な食べ放題フロアに行きたくなってきた。
店員も常に手持ち無沙汰で。二人くらいでずっとだべってて。
客も3人くらいしかいない。
あれで畑仕事とかしたら賃料タダになるとかだったら、畑仕事するし。
・化学専攻
・体育会系
・女
緊急事態宣言が終わり大学にやっと行ける様になりました。研究室の同期がマイページを作っていたので、同じ会社にエントリーしたりしました。
ぼんやりとメーカーを志望していたので化学、財閥系の鉄鋼・非鉄、電工を中心に20社程度エントリーしました。
インターンシップのエントリーシートとWEBテストをひたすらこなしていました。友人を手伝ったりで1、日2〜3回WEBテストを受けていた気がします。解きすぎて答えは暗記しました。問題集を解くよりも回数をこなした方が有効だと感じました。
エントリーシートを提出すると締切日前に合格通知が来ることもありました。また、マイページを作っただけでインターンの選考が免除されたりもしました。
また、インターンの選考で男子は全員お祈り、女子は全員通過となったこともありました。
女子の院生は就活が楽、というのを実感しました。(サンプル数が多くないので少し疑問は残りますが、、)
提出したESの合否達が帰ってきました。
通過率は大企業(TOY○TAとか日○製鉄とか)で60%程度、その子会社(デ○ソーとか日○マテリアル)では90%程度でした。
修士ならほぼ落ちないと思っていましたが考えが甘かったです。
インターンは1つを除きすべてオンラインでした。メモをとるふりをしてスマホをいじってる学生が結構いました。スマホをいじりつつワークをこなしました。
女子限定イベントがあったりと、女子優遇を感じる場面が何度もありました。
9〜11月
2.3日程度の短期インターンに参加したり、ESを書いたり。中弛みしてしまってあまり活動してなかったです。研究を進めていました。
インターンでついたリクルーターと面談をしていました。面談で合格すれば早期選考に呼ばれます。
本選考のエントリー前ですが面談(実際は一次面接、二次面接)を受けたりしていました。
インターン後に接触を図ってきた企業は10社ほど。面倒になって大半を辞退したので面談をしたのは3社です。
面談(技術面接、人事面接)を受けていました。技術面接は学会経験があったので特に苦労しませんでしたが、人事面接は自己分析をしたことがなかったので咄嗟に答えるしかなかったです。ほとんど嘘をついていたと思います。
なんとか3社とも通過しました。
結婚の予定や彼氏の有無などを聞かれたりと、結構アウトなのでは?と思う質問もされました。
上旬に第一志望だった会社に合格(実質の内々定)を貰えたので、もう一社は辞退しました。
最終的な感想ですが、
22卒でまだ内定ない人は今まで何をしてきたんだろうか。
アプリ版は下手にいじるとバランス損なうし混乱するからしばらくこのままでいいと思う。
アニメ・漫画には多少物足りないところがあるので提案してみたい。
スペちゃんは二人の母が居たが、実質ウマ娘(アプリ版)にも二人の母が居るようなもので。
オリキャラで二世、三世と紡いでいく時に、なんかぼんやりした存在の父親と実母、因子母の3人から生まれ、因子母と実母の絆が子供に影響あたえるみたいな。
各チーム個性があり、それぞれ敵対しながらもリスペクトしているいい関係だとは思うがぬるい。
ここは多少不自然でも、悪のウマ娘組織(学園)を登場させるなりして、チーム対抗戦をやる。
パラレルワールド的な話でもいい。シン・ウマ娘として、スピカ、リギルその他チームの精鋭や、他のウマを勝たせるために、大逃げしてペースを乱す師匠とか色んなウマにスポット当てつつ、努力友情勝利。
競馬には必要不可欠な存在。現状、トレーナーからの指示やアドバイス、本人の作戦観などで多少は補強されているが弱い。
また、一部(ズっ友コンビ)を除くウマ娘にとってレースが孤独でありすぎる。それはそれでもいいが……。
物理的に騎手を載せるなんて無理なので、浮遊する妖精をパートナーに着けるなど考えたらいけるかとも思ったが、ファンタジーが過ぎる。
唯一の打開策は、小動物(しゃべれる)を頭にのせたりポケットに入れて支持を仰ぐことであろう。
ねずみとかが適任だと思う。