はてなキーワード: ドボンとは
そもそも麦茶なんか飲むなよ。すごく好きとかなら、偶にペットボトルのやつ買って飲め。偶に
喉乾くなら冷やした水飲んどけ
それは勿論「同じ人間が毎日作り続ける」わけじゃないから誰もなんとも思わないのだ
自分も麦茶のみならずスポドリ作ることあるけど、偶にだから特に何も感じない
お子さんがお幾つか知らないが、お湯を沸かせる年齢ならば家族全員で持ち回りとすべきなのでは
(1リットルのボトルに麦茶パックドボンなら尚の事、誰でも出来るよな。もし沸かすとしたって熱い薬缶を持ってウロウロするなんてこともないわけだし。冷やさないといけないんだから、とりあえず常温に放置した後冷蔵だよな?)
曜日を決めて「その日の麦茶担当」とし、分量をチェックして無くなったら直ぐ補充すべし
●どこで知り合った?
●何歳の時?
俺26、妻22
妻の人柄というか人となりというか立ち居振る舞いというかキャラというかが、好きというか尊敬してて、慕ってて、俺はめっちゃ懐いてた。妻は人気者で、交友関係広くて、俺はその末席にでも居られたらいいと思ってて、その頃は恋愛とか付き合いたいとか意識してなかった。
そしたらある日妻から「私のこと好きなんですか?」って聞かれてドボン!と落ちた。
そこからは沼。
●何年一緒にいる?
8年くらい
妻のことをスーパーマンとかヒーローの類だと思ってたけど、今は女の子だと思ってる
●今も相手を愛してる?
今の方が愛してる
●別れたい?
●浮気してる?
この人が行った特定の店名はわからんが、とあるクイズバーの常連として補足をしたい。
なんか「強制参加」という言葉が独り歩きしているが、これは単純に「クイズへの参加有無」を聞かれなかっただけだと思う。ちなみにほぼ毎週末通う常連になってまあまあ経つが、1度も「強制参加です!」と言われたことはない。
そもそもクイズバーのターゲット客って「実際にクイズをやってみたいと思っている人」なのだから、確認せずともとにかく1度あのボタンを押してみたいとか問題に答えてみたいと思っている人が集まるのは自明の理である。
ただし稀に「見学だけ」という客もいるし、客の中には疲れがたまるとエントリーしながらもあえてボタンを押さず、他人が正解するのを楽しんで見ている人もいる。もちろん店側も見学大歓迎というスタンスでいる。
それと、たしかにQuizKnockで伊沢拓司とかが涼しい顔で正解するような難問が多い営業日もあるが、初心者がいると「誰でも回答できるような」ルールに設定される場合が多い。
たとえば早押しクイズにしても、初心者はいくら間違えてもいいけど上級者は2問間違えたら失格とか。「上級者はこれから数問押さないで(=初心者のみ解答OK)」というルールもたまにある。
あるいはみんな平等に答えられるように、早押しではなくボードに書いて答えるとか。
中にはJASRACに許諾を得た上でイントロクイズをやってる店舗もある。
つまり、早押しクイズ一辺倒ではなく、クイズバーではけっこう多種多様なクイズを楽しむことができる。
この人が行った営業日はおそらく難問の早押しが多めだったのだろう。
自分もクイズバーに出会う前は思い出した頃に「みんはや」しかやってなかったので、未だに猛者には知識も押すスピードも勝てない。そこで負け残るのは正直ものすごく悔しい。
そうなると決まって惨めだなあと思ってしまうのだが、問題のめぐり合わせが悪かったんだなあと思うようにしている。
ただ、こういう場では初心者であることを申告すれば上のようなルールを設定してもらえるはずなのだが、もしも申告した上でこれだったのなら、それはクイズバーの仕組みではなく店員の場作りの問題だと思う。
というか、そもそもこの人はなぜクイズバーに行ったのだろうか。誰かに連れられたのかもしれないが、ひとりでこんなニッチなバーに行ったのならそれ相応の好奇心があったと見受けられる。
たぶんこの人はもう2度とクイズバーに足を運ばないと思うが、この人の文章「だけ」を鵜呑みにし、偏見をつけたり「自分も行かないでおこう」と思うのならば、それはひとりの常連としてとても残念なことである。
https://anond.hatelabo.jp/20231216153812
なんなら知識じゃなくひらめきが必要なクイズも、近似値クイズとかもやってる。
クイズバーの店員さんって、どんな客が来店してもいいように工夫したり身を削って準備されているということだけはハッキリと書いておきたい。
30代後半。仕事も家庭もそれなりに大変で、毎日同じ事の繰り返しだった。
推しカプができるまでは。
気がついたら毎日寝る前にpixivの推しカプ作品を漁るのが習慣になっていた。
下手くそなりにコツコツ練習して、それっぽい絵が少しずつ書けるようになってきた。
一応Xにアカウントも作ったのでそこにアップする。
当然RTとかもない。下手くそだし、何よりガチガチに検索よけしてるので見つかるはずがない。
自分のアカウントを見に行くとそこには自分の描いた推しカプがいる、ただそれだけ。
でもたったそれだけのことがもう本当にめちゃくちゃめちゃくちゃ嬉しいし幸せ!
綺麗な夕焼けを見たり冬の風がぴゅうっと吹くのを肌で感じると、推しカプならこういう時どういうふうに感じるかなあと考える。
流行りの歌も推しカプを祝福しているような幸福に満ちた歌に聴こえて大好きになった。
これってなんだか初恋みたいだなぁと思う。
※この記事の趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめが蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。
しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。
私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。
小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校でありがちな強者と弱者の構図にぴたりとはまっていた。
それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生や先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。
普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的にボールを当てられてしまうのは、単にその子の運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。
このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギーを暴力として喰らってしまったことはある。掃除の時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。
上記の男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だから私はいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。
私は男性に好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子にボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的な競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子」からどれだけ遠いかを必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。
(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)
大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強のストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域は地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベルな中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からのプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしまう子どもはきっと少なくないのだろう。
過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代や大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまったことは何度もある。だから「小学校時代の」「男子の女子に対する」「身体的暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。
私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間に進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せな結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。
私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分の無意識の暴力の可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。
売り掛けドボンやってるならまあ