はてなキーワード: 一喝とは
先程はてなのIDを取得した足で投稿する。ここについては匿名でチラ裏できる場所という程度の認識しかない。
あわよくばニコニコニュースで取り上げられたり、有名な「保育園落ちた日本死ね!!!」みたいな壮大な反応を貰えるかもしれないという希望のみでこれを書く事に決めた。
俺の唯一の情報発信源、Twitterではフォロワー数293。社会問題等に対策を発案したりと、どれだけ社会に一石を投じた気になっても誰もリツイートなんかしちゃくれない。
俺の悩みは実は結構なサイレント・マイジョリティではないかと思う。現代の若者の代弁者のつもりで一筆書かせていただく事にする。
俺は漫画家志望歴13年目を迎える20代中盤の非正規雇用者だ。今の職場はホワイトだが持病のせいで来年も居れる保証は無い。
確かなのはどんな職に就こうがクリエイターへの憧れを捨てきれないだろうな、という確信のみである。
だが実の所、そんなに創作活動をしている訳でもない。産みの苦しみというのはイライラするし、むしろ創作は嫌いなのかもしれない。
いつも作品の断片的なものを妄想しては創作した気分に浸って床に就いている毎日だ。最早俺は、老後のように生きる目的を失っている。
大学に入った。漫画に専念するためにあえて地方のバカ私大を選んだ。そして漫研の部室に籠りっきりの青春を送った。
当時から薄々感付いてはいたが、それに気付きたくはなかった。数こなせばどうにかなると信じていた。要するに、俺は要領が悪過ぎたんだ。
どんなに描いても上達しない。不器用過ぎて何を描くにも時間がかかり過ぎる。結果、かけた時間の割に何の成果も出なかった。
どれくらい下手かというと、昼間は彼女を小脇に麻雀三昧、夜は彼女とよろしくやってるような半端な志の後輩にも劣る程だった。
何度か持ち込みの経験もさせてもらったが、結局俺は在学中に漫画家デビューする事はできなかった。
1年のフリーター期間を経て、俺は体よく上京するために今の職に就いた。詳細は省くが、サーバー室でPCをカタカタやってる仕事である。
これが見事に向いてなかった。業務は煩雑だしどれもこれも似通っていて覚えきれない。メモを取る余裕も無い。一度は教えてくれた先輩も今や辟易している。
自律神経をやられて奇行が出始め寮の先輩にもどやされる毎日。慰めてくれる彼女もいない。自分の存在価値を疑うようになる。自殺一歩手前の精神状態だった。
そんな折に思い出した。そうだ俺は漫画家を目指していたんだ。漫画家にはなれなかったけど、これまで伊達に頑張って来た訳じゃない。
たとえリアルが悲惨でも、ネット上ならばこの力でひと花咲かせられないだろうか。これが俺の唯一の生きる希望になった。
当時から俺の情報発信手段はフォロワー250そこそこのTwitterのみである。目標としてはこの10倍は欲しい。
最初は仕事の愚痴ばかりだった。とにかく同情して欲しかった。だけど誰も相手にしてくれなくて腹が立った。その怒りをツイートに込めても一向に反応は来なかった。
一方で職場環境が一変する。勘違い上司による一喝で俺は精神的にノックダウン、しかしホワイトな社風に救われ、雑用係的なポジションに転属となった。
考えようによっては余計に存在価値を疑う業務だが、とりあえず創作活動を行うだけの精神的余裕を確保した俺はTwitterへ作品の投稿を始めた。
確認させてほしい。画業10年以上の中の人によるTwitterアカウントである。フォロワー数、ふぁぼ、RTの期待値は如何程であろうか。
勿論俺はそれ程の期待をしていたし信じていた。リアルが悲惨な反動がネット上で大ブレイクを巻き起こす。そんな一発逆転ストーリーを世のダメンズたちに届けたかった。
結果は2である。これは俺が投稿した絵に対するRTやふぁぼの中央値である。もう一度確認させてもらうが、画業10年以上のアカウントである。
働かない言い訳にクリエイターを目指してるニートのアカウントではない。これほどに無情な事があってたまるものであろうか。
俺は偏屈なオタクなのでひとつのマイナーな界隈に居続けているが、それでも絵師と呼ばれる連中はフォロワー数に関係なく100ふぁぼくらい余裕で集めていた。
つまり期待値100ある界隈で、たったの2しか得られないのである。俺の10年間は何だったのか。職場での臥薪嘗胆の日々は何だったのか。
憤慨していると、TLにまるで俺を煽るかのように、神絵師様の作品が3桁の成果を引っ提げてRTされてくる。何様のつもりなんだ。
俺はお前と違って趣味で楽しくお絵かきしてきた訳じゃないんだ。背水の陣を敷いて死ぬ思いで描いて来たんだ。正当な評価を寄越せ!
どいつもこいつも成果成果というがこちとら出せる力の全てを出している。これ以上どうしろと言うのだ。改善点があるならば受け手の問題だろう。
青春の全てを捧げて、親に凄まじい出費をさせて生きてきてこの成果である。世の中何のために生きているのかわからない糞野郎がのうのうと暮らす中、
大志を抱いて身も心も削って来た俺にはこの仕打ちなのか。いや、怒りをぶつけるべきはこの十数年間全く成長できない自分なのか。
でも知った事じゃあない。俺はベストを尽くしたんだ。その片鱗を見出せない衆愚を恨むべきか。
もう全部が狂っている。俺は経歴相応の実力を発揮すべきだし、絵師はその席を譲るべきだし、ロム専は作品の本質を見抜く目を養うべきだ。
それが社会で活躍できない俺みたいなのに対するせめてもの対価だと考える。クリエイター職は一般社会に適応できなかった連中の一発逆転の最後の砦であり、
才能溢れる天才が技術をひけらかす場であるべきではない。そういう奴はそもそも生まれ持っての器量があるんだから絵なんか描いてないでネクタイ絞めてろ。
去年、俺はADHDの診断を受けた。社会人としての才能が無い証明と、芸術家としての可能性を秘めている証明である。
こんな人間にワーカホリック用の仕事を押し付けたって無駄である。いいから絵の仕事を寄越せ。それが世の中に一番貢献できるんだ。
俺はこれでしか世のために尽くせないんだから、絵師は黙って身を引いてビジネスマンとして1千万でも2千万でも稼げばいいさ。
なんて長々とかいたが結論。『いいね寄越せ』それがこのネット社会における第一の願望だ。
ひい爺さんみたいに戦争で死にたくはないし爺や親父のように会社に出て家族を守るだけのアリみたいな一生を送りたくもない。
目立ちてえんだ。あわよくば法外な金が欲しい。だからその訳のわからねえ絵師様にいいねする暇があるくらいなら、俺にも寄越せ。それが全てだ。
※※追記※※
コメントくれた方、ありがとう。2chでボコボコにされた事とTwitterで無視を決め込まれた事しかないから、もっと死ね死ね言われるものだと思っていた。
そうであっても反応を貰えるという事自体が破格の待遇であった中、建設的なアドバイスや率直な感想をいただいけて幸せ者です。
ニュースサイトに紹介される程の記事でもないだろうけど、積りに積もってた鬱憤を吐き出せてこれはこれで満足した。
まあ、今後も似たような投稿をするだろうけど、これはもう十数年間積りに積もった事なのでいただいたアドバイスをすぐにフィードバックさせるのは難しいかもしれない。
こんな奴もいるんだなというファンタジーをみるつもりで見守っていただければ幸いに思う。
ど田舎の町で育って、小中高と虐めを受けてきた。
小学校の時、中学校の時、高校の時、死ぬことしか考えてなかった。
図書室は静かにするところなので、いじめっ子は入ってきて自分に暴力を振るうことが出来ない。
虐める奴らは本を読まない奴らが多いので、図書室に偶然立ち寄ることもない。
休み時間になると走って図書室に行って、図書室にある本をカウンターの下で隠れて読む生活。
高校はさすがに人がいたが、小中は、本当にほとんど誰もいなかった。
学生生活、いかに「人が来なくて来ても隠れられるところ」「気づかれないようにその場から消える術」を学んだと言ってもいい。
虐められないためには接触しないのが一番である。
暗殺教室で、虐めに遭っている女の子が、テストだけ受けに来て終わったら速攻帰る、とやっていたが、あれは正しい。
お金の問題で、高校までは地元に拘束される田舎者も、都会に出るのを許されるのが大学だ。
もうこんな狭い人間関係はまっぴらだったので、高校はひたすらひたすら勉強した。
とにかく地元を出たかった、国立の金の掛からない大学に行きたかった。その二点が勉強意欲だった。
。
自分は塾にも行けなかったので(行けばいじめっ子がいるので虐められるだけ)学校の授業がすべてだった。
高校教師というのは、やはり素行がよく、頭のいい生徒を可愛がる。当然だと思う。教師は勉強を生徒に教えるのが仕事なのだから。
休み時間に聞きに行ってもいいか、と先生によくアポイントを取った。
この作戦、休み時間に人をどこかに連れて行って虐めようとしている奴らにも効果がある。
「先生と約束していて職員室に呼ばれている」その言葉が出るといじめっ子もそれをバックレろとはいえない。
学年一位、市内一位を取るレベルになると、先生の態度が変わった。
先生の態度が変わると、いじめっ子が関わってこなくなった。おそらく私に手を出したら分が悪いと思い始めたのだろう。
いじめっ子の中には秀才と呼ばれる奴がいて、この人達は、少々悪いことをやっても先生に疑われないので、影でいろいろやらかしていた。
だが、私の方が成績を上回り始めると、引き落とそうと嫌がらせがエスカレートしてきて、先生にも気づかれるようになってしまった。
怒られたのはいじめっ子の方だ。これには驚いた。昔なら、なぜか虐められた私の方が注意されていて終わっていただろうに。
最終的に、偏差値70クラスの大学に行った。学校では私一人だった。
お金がないが口癖だった親も、さすがにこのクラスの大学に行くとなると、頑張って入学金を用意してくれた。
金持ちの子供って歪まないんだね。いい人が多かった。友達もたくさん出来て、楽しかった。
二十年くらい経って、地元に戻った。祖母の調子が悪く、もう長くはないからだ。
会える間に、会える距離でなるべく楽しいことをしてもらいたいと思った。
一応ニートもなんなので、地元で開業してみたが、未だに地元のカーストのまま話しかけてくる人が多いことに気づいて面白い。
この人達は、地元の人間が都会に出て行くまでのカーストで脳内が固定されていて、それから脱却できないのだなと気づいた。
都会で住んでいたのが二十年以上の人間が、二十年以上前と同じメンタリティで田舎に戻ってくると思っているのだろうか。
こいつらの中では、まだ自分はいじめられっ子で、覇気がない子分なんだろうなあと思うとしみじみする。
ばかばかしくなってきたので、店を閉めたら、慌てた人たちが飛んできて、なぜ閉めるのか、困る。と訴えられたので、
「いやー、さすがにカネ持ってんだろ、くれよ、とか、息子連れてきて、息子に色目使ってないわよね、あんた変態だから、とか言われたら
心折れますわ……」と今回は素直に言ってみたら、何か長老会の闇のパワーが働いたようで、それも驚いた。
闇の長老会パワーで、まず、店まで来てあれこれ言ったもといじめっ子と親が謝りに来た。隣には謎の老人が目を光らせていた。
過去のことを許してくれ悪かったと謝罪されたが、意味不明だったので、いや、顔を見せないでくれたらそれでいいと言ったら、そしたら
困ると言われたのだが、困る相手になんであんな言葉を言うのかと問い返せば黙った。謎の老人が一喝していた。誰だおまえ。
次にいじめっ子の女(既婚パート)がのきなみパート先を解雇されたらしいと聞いた。
後日、もう奴らは店に来させないから、再度開業して欲しいと老人数人が頭を下げに来た。来させないとか、そんな権限君らにあるのか。こわい。
しかし長い田舎者だったので、田舎では長いものに巻かれるのが最適だと学んでいるので再度開業したら、本当に変な客がいなくなった。
長老会ぱわーすごい。
田舎で虐めに苦しんでる子供達は、とにかくひたすら勉強して、都会に脱出することをおすすめする。
田舎は権威に弱いので、カースト上位にさえ上り詰めれば、こちらが勝てる。
いじめられて、しくしく泣いていた自分が、今や、虐めを食らっても、鼻でせせら笑って「こいつバカじゃないの」と思えるレベルになるのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/07/news096.html
40のおっさんだが、こういうスケベオヤジをひっける意図が見え透いているCMは、心底馬鹿にされていると怒りすら感じる。なんと言うか、「女や子どもに気づかれないようにうまくつくってやったぜ」という裏の声まで聞こえて、寒気さえする。
「昔だったらこんなの普通だった。騒ぎ過ぎ」と物の分かった風に言う人がいるけど、そんなことはなかったと思う。これに類するビールのCMが記憶では思い浮かばない(清涼飲料では釈由美子のもっと露骨なCMはあった)。むしろ、「男は黙ってサッポロビール」のように、ストレートにマッチョなCMが多かった。そもそも女性を顧客として見てなかったのではないだろうか。
PCが厳しくなっている今になって、こういう「女を侮辱し、男を馬鹿にした」CMが増えているように思う。なぜだろうか。思うに、昔ながらの頭の固いオジサンが企業の現場で減ったからではないだろうか。昔の企業の偉いオジサンなら「こんな下品なCM不愉快だ!やめろ!」と一喝したはずだ(リベラルだからではなく、逆に頑固マッチョだったから)。おそらく今の企業の現場は、よくも悪くも頭が柔らかくなって、こうした品の悪さが「その場のノリ」で通ってしまうことが多いのだろう。
女性を顧客として取り込もうとしていることもおそらく関係しているの。特にビール業界などは長年徹底した男社会であり、制作の現場は相変わらず男主導の男目線なのにもかかわらず、無理に女性を取り込もうと頑張ると、あのような地雷を踏むCMが出来上がってしまうと理解することができる。
特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表格である。
今回はそのストーリーがいかに非民主主義的、非現代的であるかを検証する。
水戸黄門の主人公である水戸光圀の一行は、「越後のちりめん問屋」と身分を詐称し諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査し証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後のちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威の象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍」である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である。
この作品には
という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。
まず、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という点について述べる。
本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者にしか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題が解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀に問題を解決したあと、また同じような悪事や不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである。住民の当事者意識と民主主義の原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日の日本の政治に通底するものがある。
また、ある放送では、朝廷の中納言の悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。
次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。
水戸光圀が「越後のちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態が悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政や不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民を水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民の他人任せの意識がここでも顕在化している。
欧州の市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降の主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人の気質を形成しているのではないか。
そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。
苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠の裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法も卑劣である。「越後のちりめん問屋」と身分を詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所の許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配の原理」からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称や私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所は水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。
なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。
「法の支配の原理」「地方自治の原理」「民主主義の原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者が再放送を毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全な民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である。
20年ほど前の98年から99年あたりに、石原里紗というフリーライターによる「ふざけるな!専業主婦」「くたばれ!専業主婦」という本が話題になった。
そのセンセーショナルなタイトルと「専業主婦は家畜以下のゴミ」という主張が珍しがられ、ワイドショーで毎日のように取り上げられた。
そのブームもピークに達し、ついには石原里紗と主婦が口喧嘩するだけの番組を毎週ゴールデンで放送されるまでになった。
うちのママン(専業主婦)も毎週夢中になって観てはブチ切れていた。
当時小学生だったおれは、オバサン達が一人のオバサンを寄ってたかって追い詰め口喧嘩してる様が
そんなに嫌なら観なきゃいいのになーと思っていた。
番組はいつも石原を批判的に取り上げ、石原と主婦のグループが口喧嘩したあと
結局はただの「主婦のストレス解消」程度のものだったが、この一連の流れは「専業主婦論争」と名付けられ、
あれだけワイドショーや自身のレギュラー番組など、毎日のようにテレビに出ていた石原をいつしかテレビで見ることは無くなり、
専業主婦論争ブーム後、石原は2冊ほど出版してライター・作家も辞めてしまい、その後どうしているのか謎だ。
最近それを急に思い出したのでググってみたらWIKIPEDIAには「今さら専業主婦論争しても無駄である」みたいなこと書いてあって笑う。そりゃそうだろうな。
最近書かれたネットニュースも引っ掛かった。「最近、ネット上で専業主婦論争が話題になっているのを知っていますか?」だって。
20年前の話題を「今話題」だなんて、こいつはタイムスリップでもしてきたのでしょうか。
でも、20年前はネットが普及していなかっただけで、専業主婦論争はテレビ発の日本中を巻き込んだ炎上だったと思う。
(前振り)
簡単な経緯は、仕入元が急に値上げすることになったがお客とはもう今年度は既に予算も決まっているので今からじゃ貰える可能性は低い。なので、何かいい手は無いかと同僚(社員ではない)と相談してたら一喝。
「お前の考えはおかしい、お前が謝って客に値上げ了承させればいいだけの話だ。しかも俺に何の相談もなくコソコソ勝手なことするな」
ご尤もだけど営業に確認したら今からじゃ流石に無理なので仕入元と交渉して欲しいと言われ、あなたに相談するにもまず今わかってること、何ができるかを調べておかないと「そのぐらい調べろ」と怒られるし(経験済み)、そもそも目の前で堂々と同僚と話してるんだからコソコソしてもいないです。
1年半程前にも同じような仕入の値上げトラブルがあり、その時に即「値上げしたいんですが…」と相談したら「客に言う前にまず交渉するのが筋だ、お前の考えはおかしい」と怒られたけど多分覚えてはいないのだと思う。
しかしそんな反論をしようものなら「お前の行動はそんな風には見えない」という最強の返答が来る(経験済み)ので何も言えない。
他の件についても同様に報告も相談もしないで勝手なことをしていると一通り述べ、
と一番キツい言葉を頂いた。
xx氏も同じ上司の部下だけど自分とは全く違う市場の仕事をしている。10ぐらい年上で経験も長いらしく、端から見ていても自分とは全然違うのはよくわかる。上司に咎められるような状況は見たことが無い。同じ年代ぐらいの社員と分担して仕事しているが、二人とも殆ど自分たちだけで仕事できている。
冒頭のような怒られ方は過去にも何度もあったが、他の人を引き合いに出しての言葉は多分まだなかったと思う。
なので日頃から思っていた本音が出たのだろう。xx氏と比べたらお前は何もやってないしできてない、自覚がない、と。
言われなくてもわかっていたことだけに泣きそうになったけど泣くのはトイレにしたいので堪えた。
その様子を察したのか
「そんなにキツいこと言ってるか?こんなの当たり前のことだ」
と。当たり前だからこそ、他人と比較して劣ると叱責される自分が惨めになる。
上司が変わって2年ちょっと。つまり2年経っても自分は一人前の仕事ができていないし、信頼されてもいないし、見ていてイライラするのだろう。
前の上司は自分に実務(現場)以外の仕事をさせない人だったので、管理系の仕事は全く知らず「こんなことも知らないのか?」「どんだけ過保護だったんだ」という言葉と視線を最初の年は受け続けていた。
それでも最近はようやく怒られる頻度も下がってきたのかと思ったが上司のイメージするあるべき部下はxx氏であり、それに比べて自分は余りにも手が掛かり、かえって仕事を増やす存在でしかなかった。
自分の問題、即ち極度の対人恐怖症で人間関係を上手くできない性格(プライベートの知人も友人もいないところからお察し)もあり、上司に対する苦手意識は非常に高い。判を貰うだけの資料を渡すタイミングすら見計らってしまう(そして「さっさと出せ」と怒られる)。
充分な情報を持たずに相談すれば「自分でわからないことを聞くな」と怒られる、反論すれば怒られる、という経験に基づく恐怖がまず先に立つし、当人が以前に指示したことでも忘れていて自分がそれを上手く説明できないとやはり怒られる。
それでも相談すればきちんと対応して貰えるなら良いが、結局なんの結論や指針を出して貰えないことがある。真面目に相談しているのに、ありえない冗談を言われて結局有耶無耶になったりもする。
よって気軽に報告、相談といったことをできるわけはなく、ある程度まとめてからの
結局のところ、自分の性格と上司は相性があまりにも悪いのだと思う。
むしろ席にいるだけで、いつ怒られるのかという恐怖に襲われることがある。
普段の時ですら、上司が席にいるだけで全身の注意が完全にそちらに向いてしまう。上司は呼びかけや主語を略して唐突に話しかけてくるタイプなので、他の人への話でも声がするだけでびくっと身体が反応するし、自分に向いてると感じたら「はい?」って腰を浮かせてしまう。
だから「えーと」「あー、これは…」「うーん」みたいな独り言を出して、仕事している感・話しかけられても聞こえない感を無意識に出すようになってしまった。
そして自分に話しかけられた場合は非常に困る。主語を略して話す時点で困るが、相手が自分の思考に完全に追随してる前提で話すので何の件なのかが直ぐに分かるケースは滅多になく、聞いている内にあの件か、とやっと思い至る(以前、何の話なのかわからないでいて「なんでメール読んでないんだよ!!」と怒られたことがあった)。
そしてこの息苦しさから逃れるために1時間ごとに10分はトイレの個室に籠もる。トイレだけが唯一の落ち着ける場所になった。
何より自分には社員の同僚がいないし仕事の相談相手が居ない。協力会社の人は同僚であっても同じ立場とは言い難い。結局誰にも頼れない。
ちなみに上司は他の人に対しては怒ったりすることは殆ど無いし、端から見れば冗談を良く言う面白い人なんだろう。
結局、悪いのは全部自分だ。
(本題)
毎日嫌な思いをしていて、会社なんて行きたくもないのに、身体は何の不調も訴えてはくれないのは何でだろう。
頭痛や不眠は、起き上がれない程のものではないしいつものことなので結局会社に行くしか無くなる。
本当に嫌なときは身体が拒否をすると言うけど、何処まで苦しめば身体は拒否してくれるんだろう。
昨日は死ねなかった
病院に行くまではそのまま首つって終わりだと思っていたけど
でも、厳しい現状は何も変わらない
お金はなく
キャリアは閉ざされ
心は疲れ切り
この世に居場所はなく
皆自分を捨て
ひとりぼっちだ
生きている感覚すらない
死んだ方が楽だという思いも変わらない
疲れ切っている
引っ越しも遅々としてすすまない
果たして住人となじめるだろうか
それもあまり自信がなくなってきた
まぁでもどうせ死ぬしな、、、と割り切るようにする
ずっと、ずっと疲れている
そりゃそうだ
なんもかんもなくなっていって
みんなはなれていって
楽しみも奪われて
将来に希望なんてもうない
みんなのように家族も、家も持てない
昔の同期なんてみんなうまくいっている
あとは淡々と年を取るだけだ
楽しみながら
子供の成長を見ながら
彼らの人生は逓増していくだけだ
まっとうな人生
俺はもう生きていくことはできない
将来に希望はない
俺は失敗して転落した このまま耐えるしかない
エンジニアに転身、、無理だろうこの年齢では
もう好転はない
待っているのは孤独死だろう
このまま毎日苦しみを重ねて、苦しみ続けて死ぬくらいなら、早めに自分で結末を決めた方がいいという思いは変わらない
一度の失敗ですべてがぶっ壊れる
その程度の人生、その程度の器だったんだろう
後片付けしてさっぱりと死のう
情けない人生だった
そういうことだ
さあ、終わろう
今日は大学の後期科目の初回授業で、教授から授業を受ける際のルールの説明があった。
その1つとして電子機器の使用を禁止するという旨を説明された。
素早く教授の話を書き取れるし、後から訂正があった時に直しやすいし、書いたことの整理もしやすいからだ。
これまで3年間すべての授業でこのやり方を通せてきた。
初回授業で電子機器禁止を言い渡されたことはあったが、どれもゆるい教授だったから黙ってパソコンでノートをとっていても特に言われたことはなかった。
教授からノートをとっていることが分かるらしく、興味を持って話しかけてきた教授もいたくらいだ。
まして、この授業は出席を取る時、大学の用意するwebサイトを利用する。
ルール説明の後、これまで通りしばらく黙ってパソコンでノートをとってたんだが、途中で「そこのお前!パソコンしまえ!」と一喝してきた。
遊んでいるわけじゃないから平気だろうと、ノートをとってる旨を伝えたが、何をしているかは関係ないらしい。
とにかく、パソコンしまえ、ルールを聞いていなかったのか、を連呼する。
仕方ないからその場はパソコンをしまって、持ちあわせていた文庫本の紙のブックカバーにノートをとった。
まあ言い渡されたことを守らなかったのは悪いと思ってるよ。
ただ、周りの邪魔になるようなことはしてないから、授業の妨害をしているわけではないし、平気だろうと思っていた。
この時点で俺は今後の授業の受け方を3つ考えていた。
1つは教授にこのやり方を認めてもらう方法。この時点では教授が何か誤解しているんだと思っていた。
もう1つは教授のやり方に従って、紙と鉛筆を使って授業を受け、後でパソコンにその内容を写すという方法だ。
そして、3つ目は素直に黙ってその授業を取ることを辞めることだ。後期が始まって間もないからまだ履修登録変更が認められている。
ここで2つ目か3つ目を取っていれば何の波風も立たずに終わったのだが、それだと釈然としないからと要らない気を起こして、1つ目の選択肢を取っていた。
教授からしたって、それを許可したところで悪い話ではないはずだ。
ただ、この教授は認めなかった。
俺はPCを使うことのメリットと遊ぶやつを制するためのルールで勉強法を1つ潰すのは本末転倒じゃないかということを訴えたが、
電子機器は遊んでるのか授業に使ってるのか教授の側から確認できないとか、
授業中にしゃべるのを俺にだけ認めろって主張するのと同じ論だとか、
お前が紙でノート取れば良いだけだろとか、
納得出来ないならこの授業取るなとか、色々言われた。
まあ端的に言って、ルールには従え、例外や特別扱いは認めないってタイプの人だ。
「お前のやり方を俺に押し付けるのか?お前の方が偉いのか?」とまで言われた。
この言い方にはさすがに腹立つが、この教授の理屈も理解はできる。
向こうだって自分のやりたいように授業をしたいというだけのことだ。
俺にも反省点は山程ある。
ルール説明された直後にパソコン開いてたこととか結構しつこく訴えたこととか。
黙ってその授業取るのやめるか、我慢して紙使うかしてればお互い不快な思いはしなかった。
結局、5分位粘りはしたけど、彼の提示する授業のルールに納得いかないのと、彼の口の悪さと尊大な態度を見て、向こうの提案するようにこの授業を受けるのはやめようと思う。
彼のやり方に変えた上、毎度の悪口を聞いてまで彼の授業を受けたくはない。
それでこの件は終わり
なんというか、こういうの認めてくれない教授もいるんだなーと勉強になった。こんなこと初めてだったし。
これまで大半の教授は周りの迷惑にならなければ何してもOKって人ばかりだったから結構ショックだった。
今回はハズレ引いたということにして、もっと寛容な人の授業選ぼう。
言われたルールなんだから守るのが当然なのは分かってる。結局はそのルールに従ったわけだし。
おもろかった!
初代ゴジラにつづいて見たけど当たりだな!
カラーになってたのがすごく新鮮だった
とりあえず感想に書いときたいと思ったのは、庵野秀明が嬉ションしそうな描写があったところ
具体的には、ゴジラを倒すために高圧電流を流す、っていう作戦のために、鉄塔の仕組みがウィーンガシャンウィーンガシャンって動く描写がめっちゃ接写でうつされるカットがあって、
エヴァのシーンとクリソツだなwww庵野秀明のフェチのツボ押しまくりだなwwwwと俺も興奮してしまったwww
カメラワークっつーか戦車をうつすカット割りもかなり似てるなあ、影響受けてるんだなあと、一作目につづいてしみじみ思った
肝心の作品について
なんかでっかい卵が外海にあらわれた
興行仕掛け人は万博っぽい会場つくって人寄せてもうけようとたくらむ
興行仕掛け人のところの小美人がきて、島から流されたものだから卵を返してくださいという
でも興行仕掛け人はいうことを聞かず、小美人も捕まえて見世物にしようとしたため、小美人は逃げた
新聞記者(初代ゴジラで隊員やってた人だった。初代のときよりちょっとふっくらしてた)が小美人と会う
正義感から新聞に書いて卵を返すように仕向けようとするけど、宣伝になるだけで全然ダメージくらってないことからやけくそになる
(この上司がめちゃくちゃ良い上司で、みててすごく気持ちよかった
(たいていこういうのって現場はいろんなことやりたいけど上司はわかってくれないパターンだけど、むしろ投げやりになる主人公を鼓舞してた
そんなときふとした会話に「モスラに倒してもらえばいいんじゃないか」というアイデアが出てくる
主人公の新聞記者たちは小美人、モスラがいる島へお願いしにいく
(ここの島の先住民の描写がインディージョーンズ魔宮の伝説とそっくりだった
最初はダメっていわれたけど、これからがんばるからおねがいっつってどうにか約束とりつける
戻ってゴジラとモスラが戦うけど、モスラは寿命と羽にゴジラの熱線くらったのとで死ぬ
ゴジラはまだ逃げ遅れた人がいる島へ向かう
逃げるための時間稼ぎをするために幼虫がよいしょよいしょって島へ助けに行く
島では幼虫とゴジラが熱戦をくりひろげる
幼虫は二手に分かれて糸吐き攻撃をする
ゴジラも熱戦で対抗するけど、幼虫はたくみに岩陰に隠れながら糸を吐くため、そのうちゴジラはすっかり糸に包まれて何もできなくなってしまう
ゴジラはそのまま海に落ちた
終了
えっ!?あれでおわり?ふつうに糸やぶってゴジラ復活してくるんじゃないの?と思ったけど、
あんだけ包まれて熱線もはけない状態だからもうゴジラの負けってことなのかなー
初代ゴジラの圧倒的なまでの勝ちと違ってちょっと物足りなかったけど、まあ幼虫ができることとかたかが知れてるよなあ
こわいっていうよりかはかわいかったw
しっぽが鉄塔にひっかかってぎゃーぎゃーさわぐ姿とか、溝に足取られてすっ転ぶところとか、それいる?(笑)っていうコミカルさが随所にあった
でも逃げてるじーさんとか子どものエキストラが笑ってたのもちょっといただけなかったなあ
思いがけずいい人だったと言えば、議員もいい人だった
干拓地について自分の利権とか評判ばっか気にしいかとおもいきや、ゴジラがきてるけどまだ逃げ遅れがいるんだ!船をだしてくれ!私には責任があるんだ!って熱くなるところとか、なんだおまえいいやつだったのかと気持ちよかった
全体的に悪人が興行仕掛け人+バックのやくざ?だけで、それ以外はみんないい人だった
勧善懲悪、出てくる人も気持ちいい、ゴジラもこみかるだけど、ゴジラ対人間、ゴジラ対モスラ(+幼虫)の2戦がボリュームたっぷりに入って90分ってのは、すごく密度高くて、めちゃくちゃおもしろかった
昨日美容院に行ったら少しあとから来店した人が大声で間断なくくだらないことを喋ってて煩いったらありゃしなかった。
あまりに不愉快だったので「うるさいよ!!」と一喝しようと思ったのですが、
ふと思い当たって止めた。
ああ、こいつ覚せい剤やってるなと。
美容師がちょっとでも対応間違えたらどうなるかわからないもんね。
その人は施術中一時間くらいずっと同じ調子で話し続けて終わって出て行った。
ほっとしたよ。
なんでそいつがクスリやっているかわかったかというと、学生時代の友人が中毒患者になってしまったから。
全く似たような感じだった。
卒業後に会うと異常にテンション高く数時間以上喋り続けたかと思えば次回会った時に前回話してた内容を全く覚えていない。
当時はただただ酔っ払ってるんだと思ってた。
友人がヤク中になったことを知ったのはその後10年以上経ってから、友人と同郷の別の友人に聞いた。
こんなふうに書いてると私が修羅の国に住んでいて友人も阿修羅しかいない感じだけど、
東京のつまらないところに住んでさほど偏差値は高くないけどなんとなく世間が知っているような大学を出てる。
悪そうな奴らはたいてい知らない人。
そして昨日からそのヤク中になってしまった友人のことを思い出して強烈に感じる。
もし覚せい剤をやってる奴がどんな症状になるか昔知っていたら友人の家族に報告できたのにって。
「うるさい、余は初陣であったのだぞ」
「はいは一回にせぬか。だいたい左翼に比べて右翼がふがいないのが――」
「まあまあ、そのあたりで……」
地味な増田家(五)の当主が最高司令官と軍師の言い争いを止めた。
彼がいたことに驚いて、二人は口をつぐむ。増田家(五)の当主は汁をおかわりした。
増田連合軍は敵味方あわせて三十五万の大合戦に敗れたが、そこからしぶとく反撃を開始した。
気がつけば、北の増峠は増田騎馬軍団に封鎖され、西は増田軍の本隊が、南は後衛部隊が何とか押さえている。
敵にゆいいつ残された東は増田島の脊梁山脈とその麓にうずまく樹海であった。
増田騎馬軍団は愛馬を屠って生肉を食べる状態になっても戦い抜き、北方異民族の連絡や離脱を阻止した。
南の後衛部隊も同様であり、彼らは補給線に繋がっているだけ抵抗が容易かった。
いわば増田連合軍は「常山の蛇」となり、増田騎馬軍団が叩かれれば本隊と後衛部隊が、
後衛部隊が叩かれれば本隊が、本隊が叩かれれば後衛部隊が味方を援護した。
そして、異民族軍が入り込んだ樹海の中には緒戦で追い散らされた武熊たちが巣くっていた。
蛮族は獰猛な熊たちに急襲され、眠れない夜をいくつも過ごした。
「やっぱり武熊は頼りになるのう」と手のひらを返す増田もいたが、
増田の誇る忍者たちもこの「狩り」に投入された。増田家(四)の軒猿たちもおり、オールスター状態である。
ある日、薄暗い森の中、武熊さんに出会った侵略者は恐ろしい恐ろしい勢いでしとめられていく。
「を書くを書く」
発泡する元ソースにはバミューダトライアングルにおける魔の海水のごとく浮力がない。溺れる蛮族は沈んでいった。
その隣では蛮族が熱湯落ちして煮られていた。
野営地を小さなかわいい影が走り回っていた。気がつくと、蛮族は寝首を掛かれ額に「うんこ」と札を付けられていた。
瞳を閉じた忍びが突撃してくる蛮族の前に立ち、至近距離で不気味な目をかっと見開いた。
目が合った敵の動きは硬直し、忍びが呪文を唱えると、一枚の何事か書かれた紙切れに化けてしまった。
ブチの忍犬は茂みに武熊たちを集めて語った。
「この円い鳥たちはな、みなワシが描いたのじゃ(手裏剣ください)」
興奮した武熊たちは習合すると合体して熱い鳥になり、羽ばたき一つで異民族を吹き飛ばした。
七連手裏剣と山彦手裏剣から逃げる蛮族の前に全裸の小僧があらわれた。
「けいお、しっこうする!!」
その忍者の姿は見るたびに次々と変わり、本性を確かめるすべがなかったが、忍者としては普通だった。
ある場所では夏なのに完全凍結した蛮族の死体が大量に発生した。
「うーむ、ふーむ」
「にゃにゃにゃにゃなーん(ご主人様の顔なんてもう忘れたのにゃーん)」
探検隊をも壊滅させる力をもった熊猫部隊は、その熊猫の一匹に数えられただけでも二百匹を超えた。
彼らは第六指で異民族をつかんでは投げつかんでは投げしていった。
その忍者は増田忍者には珍しく五方手裏剣ではなく、四方手裏剣を用いた。
いや、よく見るとそれは十字の切れ込みが入った乾物であった。
「たべものをしいたげるな!」
メガネをかけた好青年が木の陰から蛮族をみつめていた。みつめ続けていた。
「20162016!」
好青年がどこまでも追いかけてくるので、蛮族の世界はいつしかモノクロに染まった。
「~~」
「忍者検非違使です。本来、忍者の呼称が現れるのは近世になってからです。軒猿も同時代資料では言われていません」
森から延々と引き出される北方異民族の死体をみて、床几に腰掛けた当主のひとりがつぶやく。
匿兵衛が答えた。
「増田島におけるいくさとは本来このようなもの。それでも上様方はもっと御覧になりたいと仰せられるか?」
アルファマスダたちは揃って首を横に振った。
別の場所では女神?が現れていた。彼女は低音から高音までノイズのない深みのある声で言った。
「ぼいんは必要ないのです」
パァアアアアと光が異民族たちに突き刺さり、ヒンニュー教に改心した彼らは増田軍に降伏した。
「神だ!神が降臨された!!」とカラトラヴァ騎士団は大騒ぎした。
その時、増田左混はめずらしく言葉の通じる蛮族と対峙していた。
「俺は降伏しないぞ」
傲然と胸を張る敵を左混は一喝した。
「武装をつけようとする者は、武装を解く者のように誇ってはならない」
合戦から六日目に、晴れ時々鯖が降った。傀儡使いのまじかる系軍師はそれを吉兆と占った。
事実、北方異民族は完膚なきまでに壊滅したのだった。増田領(一)の奪還がなされるのは、一月後のことである。
自意識過剰の金髪縦ロール忍者は化粧に二年五ヶ月、自画像の角度とかの調整に一年が掛かってしまったため、参戦が間に合わなかった。
みやこで同時代史料「遊戯日記」を書き続けている公家は、伝え聞いた密林での戦いを以上のごとく記した。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160621021245
次回
今年流行りのタイトルを使ったけど、一番悪いのは自分だということは自覚している。
とはいえそれでも、言わせて欲しいことがある。
※これから書くことの幾つかの点は身バレを防ぐために、いくつかフェイクを入れてます
俺が酒を飲み過ぎた。
11日間留置場で過ごし、略式裁判により10万円の罰金を命じられ即日納付。釈放された。
ちなみに事件についての記憶はまったく覚えていないのだが、容疑については認めている。
相手の怪我は全治3日。
弁護士を通じて、謝罪と示談の交渉をおこなったが、成立しなかった。
留置場にいる警察も、検事もそんな質問にはいちいち答えてくれない。
同室の人に聞くしかない。
俺が勾留されたのは11日間だが、だいたいの人は23日勾留されるらしい。(勾留できる上限が23日。再逮捕などでもっと伸びることも。警察だか検察だか知らないが、とりあえず長めに勾留しとこうぜというスタンス)
捜査や取り調べをするのに、どうしてもそんだけの期間勾留しなければいけないのであれば、まあ理解できる。
が実際はそうではない。
俺の場合、その間に行われた刑事からの取り調べは1回で、1.5時間くらい。
もちろんそれ以外にも被害者に話を聞いたり、防犯カメラの画像を確認したりあったんだろうけど、そんなに日数いらないでしょ。
いろいろ手続きがあったり、忙しいのは分かるけどもっと迅速にやれないものか。
とりあえず法律が許す範囲で勾留しておこうぜ的なノリなんじゃないか。
その結果、被疑者が仕事や、交友関係を失ったりするリスクに対してはまったく考慮されていない。
この段階ではまだ被疑者であって、犯罪者ではない。裁判所からくだされる刑以外の罰(仕事や友人を失う経済的・社会的な罰、11日間人権を制限される罰)は最小になるような仕組みを目指すべきではないか。
必要以上に追い込むのは再犯防止の観点からもまずいと思うんだよね。
http://blogs.yahoo.co.jp/konan119269/30893012.html
何もなしの期間は、一日中本を読むか同室の人と雑談をするくらいしかやることはない。
その場合は護送車で地検に向かうことになるのだが、実際に検事や裁判官と話すのはたった30分程度。
そのために朝の8時から18時ごろまで手錠をかけられ拘束される。(食事の時間とトイレ大をする時だけ片手錠)
座らされるのは木製直角の長椅子。不必要に立ったりすることはもちろん、他の人と話すことは固く禁じられている。
まさに拷問。
それに比べると刑事の取り調べは拘束時間も短いし、お茶くれたりするので楽。
手紙の他に外部に連絡する手段がない。手紙も相手の住所を覚えていないとだめ。
それと、3日目に地裁に行ったタイミングで、「xxxさんは勾留されています」という電話を一箇所にだけしてくれるんだが、この時も相手の電話番号を記憶していないとダメ。
携帯電話に記録してるだけではダメ。(携帯電話は取り上げられるので参照できない)
俺も覚えていなかったので、誰にも連絡できなかった。。
例外として、逮捕された直後から弁護士を呼ぶことができるので、弁護士経由で連絡してもらうことは可能。(弁護士に携帯電話を宅下げし、電話してもらう)
俺の親と友人は、急に連絡ができなくなった俺のことをものすごく心配してくれたらしい。
連絡がとれなくなって3日目になり、失踪届を警察に出しに行った所、別の署に捕まっているということが判明したのこと。
その時の心情は複雑だったろうけど、正直生きていることがわかってほっとしたと言っていた。
大をしたい場合は、その都度鉄格子の向こうに向かって大声で「すいませーん、5室、カンチリくださーい」と叫ばないといけない。
西部劇のバーの扉よりちょっとばかり隙間のない扉があるだけである。
当然、防音性、防臭性は低い。
音と匂いが部屋に広がらないように、水を流しながらクソをする必要がある。
部屋にいる他の人に気を使いながらクソをするのは、下痢気味であると同時に、恥ずかしがり屋の俺にはかなりつらい体験だった。
ちなみに地検は完全に西部劇の扉なので、留置場よりもさらに劣悪。
そんなわけで、留置場にいる間は常にクソを我慢しているような状態だった
刑事や検察の取り調べなんかには通訳がついたりするようなんだけど、逆に言うとそれ以外の点では一切考慮されていない
今までにも書いたとおり、警察や検察から行われる説明は日本語でも最小限だ。(最小限以下ともいえる)
留置場での生活に関してもそうだし。検察に送られる時なんかもなんの説明もない。
いきなり呼ばれて、手錠をかけられて、縄で繋がれて、バスに詰め込まれる彼らの不安ってどのくらいだろう。
地検にいる時、外国人が警察に英語で質問している場面に遭遇したことがある。
それに対して警察は「ここは日本なんだから日本語をしゃべれと」どなっているだけだった。
俺はある程度彼が言っていることがわかったので、通訳をしてあげようと声をかけたところ、「うるさい、黙ってろ!」と一喝された。(地検の中ではしゃべることが許されていない)
あと留置場からは手紙を書くことができるんだけど、外国語でのやりとり一切ダメ。
他にも
などなどいろいろあるけど、キリがない。
そしてそれは望み過ぎな気もするのでこの辺にしておきます。
医学生はただの世間知らず。しかもお嬢様なら尚更。ロマンチック新婚生活しながら研修医乗り越えようなんて甘い。
とりあえず研修医終わるまで結婚もお父さんへの紹介も保留。二人で荒波乗り越えたら晴れて次の段階へ。
医師免持っててすでに現実の医者の生活理解してて、それでこんな相手と結婚したいならいい話だと思うけど。
お父さんには「あなたみたいに専業の奥さんが生活全面サポートしてくれてようやくできる仕事を私もこれからするっつーのに、
収入は高くても自分より仕事が忙しい男性なんかと結婚できるかボケ。生活サポート一緒にしてくれる優しい男性のがいいに決まってる。」
と一喝すれ。
それでダメなら一時的に縁切ればいい。開業医ならそのうち後継者問題で泣きついてくるよ、父ちゃんが。
…と勢いで書いたけど、もういっそ学生時代に出来婚して旦那と義理両親に手伝ってもらって子育てして、それから研修医という手もあるか。
私は40代の主婦。子供が三人いて長男は就職、あとの二人は高校生。共働きだけど、それでもたりないから私はバイトを二つ掛け持ち。へとへとの毎日。一方で隣に住む同い年ぐらいの女は無職で毎日楽しそう。娘も無職みたい。生活費をどうしてるかは謎だけど・・・。一つ目のバイトが終わって一時帰宅する際、無職の母娘がお出かけ。サングラスなんかして服も高そう。「なんなのこいつら」赤の他人なのに腹が立ってしまう。主人に話すと「もっと上をみろよ。無職に憧れてどうする」と一喝。もしかしたら嫉妬してるのかも。無職でもお金はある、世間体なんか眼中になく母娘遊んで生きてる姿に汗水働く自分がみじめに思えてしまう・・・。
バイト先の先輩は「私はお金があっても働く。張り合いが欲しいし」と。確かに働いていれば人間関係も広がるし、社会的立場も出来る。無職の母娘達にはないものを私は持っている。近所の目を気にしてコソコソ出かけなくてもいい。それに長い目で見たら隣の女たちも今の暮らしを維持できないだろう・・・。
基本ずっと甘やかされて生きてきた女性が現実の厳しさに触れて傷ついてショック受けて発狂しているときに発生するんだよね。
男なら「そんなの当たり前だろ、あまえんな!」と一喝されて終わることが女だと社会問題として受け止めてもらえる。
それは女が基本的なスペックが低くて保護される必要がある。まあ例外はあるけど。
そんな社会的弱者であることが女性の声が大事として取り扱ってくれる前提にあるんだろう。
女が本当に強ければ弱音なんて吐かないだろうし、国や社会に頼ろうともしないはずだ。
男女平等とか、女は強いという建前を信じきって建前通りに活躍してくれない女たちを叩くことはやめよう。
女は弱い。だから男が守る。それで良いじゃないか。
現実、女は弱いし能力も平均して低い。だから、やはり男がしっかりと守ってあげなければいけないと思う。
20代の数年間SIで働いた。1年以上前に退職して今は別業界にいる。
今日、Evernoteを整理していたら「退職理由、SIの嫌な点」というメモが発掘された。退職直前のかなりストレスがたまっていた時期に書き殴った文章だった。学生の頃の私は絵を書いたりしていて、ものづくりで暮らしたいな〜などと思って始めたプログラミングが楽しかったので安易に受託開発業を選んでしまったが、その後悔が如実に表れていた。
一部自分でも覚えていない話もあったがコンテンツとしては面白かったし、今でもシステムインテグレーター業界で消耗する若者を減らしたいとは思うので公開してみる。
以下、同メモに加筆・修正したものなのでファンタジーだと思って読んでくれ。
受注した時点で売上がおよそ確定するので、後はその予定工数に収めて納品できれば御の字という考え方。よくある話だが、見積がおかしくても顧客と対等な関係が築けていないから追加請求もできない。時間(工数)をかければ良い成果物ができるかもしれないがそれを説明して顧客に嫌な顔をされたくないから、限られた工数の中での最善を尽くす。最善を尽くす、聞こえは良いが要は手を抜く。
つまり、どう頑張っても売上は同じなのだから、良いもの・価値を生むものを作ろうと考えない人が多い。社内で開発者と呼ばれる人間もそうだし、マネジメント層はそういうものづくり志向を持った人をリスク扱いすることもある。
これが諸問題の根源で、いかに述べるような組織・プロジェクトが出来上がっていく。
マニュアル作業の正確さをかたくなに信じてる人だらけで、ITとは何なんだと考えさせられる。
私は定型作業を効率化しようとjsやrubyでスクリプトを書いたりしていた。テストデータを開発用DBに突っ込んだり、テキスト処理して整形したり、Excelからコード生成したりするよくあるやつ。
あるとき上司に肩越しに自分の作業を覗かれて「何やってるの?」と聞かれ、そういうスクリプトを作ってると答えたら、工数とリスクの話をされた。曰く「そのスクリプト作るのに何日かかるの?工数に乗ってないよね?」「スクリプトのテストもちゃんとしないと結果が正しいって保証できなくない?」と。この時はイラッとして「30分でできる数十行のスクリプトだし自分の作業工数内で完結する。むしろ後工程や別の人でも同じことを再現性できて楽になる」とか真面目に説明してプログラムも見せたが、読もうとはせず(読めないので)1時間無駄にした。
前述したようなビジネスモデルだから、営業力と、予定工数で無難にプロジェクトを終えるマネジメント力が大事。IT企業だが開発者は自社で持たない。不況の時に待機コストが発生するリスクがあるし、自社で抱えるより単価の安い開発者が人材派遣系の企業や下請けにいっぱいいるから。
社長があるとき社内広報で「技術は買うものだ」と言っていた。文脈で明らかに技術=技術者のことだったので、使い捨ての人売り業と揶揄されていることへの自覚が無いと思う。
そういう人が集まっているor残っている組織なので開発者はほとんどいない。20〜30人ぐらいの課に1人ぐらいの割合でstaticおじさんがちらほらいるぐらい。大体20代からプロジェクトリーダーという立場をやり始め、だんだん大型の案件を扱えるようになっていき、後は出世ゲーム。部長のお気に入りが課長になり、部門長のお気に入りが部長になる。その繰り返し。
開発案件でのBP(ビジネスパートナー、委託先、派遣、下請け)比率は自分の周りだと1:5ぐらいが多い。プロパー社員一人が5人の開発を仕切る、みたいな形。案件規模によりだいぶ差があると思う。この比率が高い=マネジメント力のある組織と考える会社はこの数字を上げようと必死で、比率の低い組織は評価が下がる。
私は開発が好きだったのでエンジニアとして生きていきたい、というようなことを評価面談の度に伝えているが、その度に会社の目指す方向を説かれてモチベーションが下がる。
上述の通り、案件で接する開発者は基本的に社外の人間なのだが、彼らの技術力と意識の高さにはものすごいばらつきがある。言われたものはなんでもこなせる人、何でこの歳まで技術者やれてるんだと疑う人、このプロジェクトはおかしいと良い意味で騒ぐ人、何も意見を言わない人、CっぽくJavaを書く人、人当たりは良いが技術力がいまいちな人、すぐ休む人、バグやミスを隠す人…etc。
まぁ色んな人がいるのはどの業界のどの職種も同じだが問題は質だ。私の主観になるが本当にエンジニアとして尊敬できるレベルの人は1%いるかいないか。というのも、ほとんどの技術者は長年SIやその周辺企業と付き合ってきているので同じ体質に染まっているのだ。顧客が良いといえば良いという態度(この場合の顧客は私が所属する企業)、請負の場合は工数を超えない範囲で手を抜く姿勢、その他諸々。技術力だけをひたすら磨き続けてきたという人はごく一部だけだったし、そんな人でもGitHubアカウント持ってない・ブログやってない・OSSに貢献したことない、といった具合でクローズドな世界で生きている。
そうした技術者とやっていく中で最も厄介なのが教育コストだ。案件のあるなしで人が都度入れ替わり、新しい人が来るたびに同じシステム・技術要素の説明をして何とかやる気が出るようモチベートして、というのを繰り返すのに疲れた。私の会社固有の変なルールの説明はてきとうにしておいて、私は技術が好きな仲間が欲しかったので今のシステムの課題と技術面での改善や展望をよく話す。が、あまり食いつかれることはない。これは私の問題だが、そうした期待と落胆のループも疲弊の一因だ。
ある時、一つの課に6年近くいるというBPと一緒に仕事をする機会があった。その課にはプロパーの技術者が長いことおらず、彼がその課の技術的中心を担っているという話だった。抜けられると途端に色んなものが崩壊するからという理由で、その人の派遣元にはかなり高額の単価を支払っていたと聞いた。課員が口をそろえて「あの人はすごい」「何でもできる」というので初めはかなり期待していた。
だが、拍子抜けした。あまりにも仕事が雑なのだ。コミットされたコードはTODOコメントだらけだし、バグがあまりにも多かった。一度も実行されずにコミットされ、他の人がチェックアウトした時点で判明したバグなんかもあった。それでも声が大きく、プロパーが技術を知らないのをいいことに自分のブランディングに完全に成功していた。客先にも顔を出し、信頼を得ているらしかった。「自分は設計が得意でテスト以降の工程には興味が無い」と言っていた。確かに彼が関わった各システムには独特の概念が埋め込まれた設計があったが、その複雑な設計は保守性が低く、他の開発者が触ると容易にバグを引き起こしていた。
また、彼はJavaの有名なフレームワークであるStrutsを拡張したいわゆるオレオレフレームワークを開発しており、それの出来は悪くなかったと思う。そのフレームワークに欠けているものをうまく補うような形になっていた。だがフレームワークのバージョンを上げると壊れるというのが残念な点で負債になりかけていた。
私は異動したが、彼は今でもそこにいると聞いた。
(最低限のものしか作らないから)安くて早い!という触れ込みで売っているので、テストの工数が異常に少ないことも多い。特にテストコードを書くなんてもってのほか。そういう世界でやってきた人ばかりなので、30や40超えたマネジメント側は「テストコードって何?」状態だ。大型の改修案件が来た時にはコア機能だけでもテストを書いていこうと見積段階から社内で提案したが「顧客に『そんなメリットあるなら何で今までのプロジェクトではやってないの?』って問われるから、絶対言うなよ」と拒否された。
保守案件をやっていた頃、時間を捻出してコソコソとテストコードを書いたりしていた。その案件を離れてしばらく後、ある時リポジトリを覗いたら私が書いたテストコードがばっさり消えていて驚いた。コミットログから課内のstaticおじさん的な人が消したとわかったが、そのコミットコメントが「現在使用していないコードを削除」だった。これはもう問う気も失せて何も言えなかった。
先述したようにテストがそもそもないプロジェクトが基本なのでリファクタできないのだが、たとえテストがあったとしても勝手なリファクタは許されない。ソースコードは顧客の持ち物なので同意なしに改変することはいわば契約違反なのだ。たとえ内的品質が向上してコスト削減に繋がるとしても、そのためにお金を支払う顧客はまずいない。
私がいたどの案件にもコードレビューがなかった。リーダーと開発者数人という構成の場合、まず開発者は全員下請けでリーダーは技術の心得がない場合が多い。そうなると彼らの成果物の良し悪しを図るのは目に見えるシステムの挙動と実施されたテスト結果のExcel報告書だけになる。これが非常に非効率で、少しコードを読めばわかる明らかなバグや仕様理解の齟齬が頻発していた。特に受入試験と呼ばれるリリース直前の顧客側での最終確認や本番稼働中におけるhotfixは全機能をきちんとテストせずにデプロイされることが多く、そのhotfixがさらなるバグを引き起こしたりもしていた。
そもそもテストを書けという話だがテストが無いプロジェクトに足すのはかなり大変なので、レビューサイクルをきちんと回すだけでもかなり変わる。実際、私が入った案件ではすべてのコミットに目を通すようにし、明らかな問題は都度指摘することで品質の向上に繋がった。欲を言えば他の開発者にもレビューしてもらいたいが、下請けの彼らの工数を増やすことは嫌がられる。
無難にプロジェクトをこなすことと新しい技術を試すことの両立こそ技術者の腕の見せどころだと思っているが、ほとんどの場合それは許されなかった。新規にせよ継続にせよ案件を受注する段階で営業やマネジメント層と顧客間で「今回は過去に実績のあるこの技術でやります」という契約が結ばれているからだ。その技術(言語やフレームワーク)がいかに古く、保守性も将来性もないものだとしても受注できればよいし、その技術のサポート切れか何かの拍子で再度リプレイス案件でも受注できればさらにラッキーぐらいの考えでいる。
また横に倣えが加速してさらに悪い事に、同じアーキテクチャ・ネットワークを再利用するために既存のサーバに新システムも相乗りすればよいという発想も珍しくない。「資産の再利用によりコスト削減」という触れ込みだったが、ただでさえスケールしない低スペックのオンプレミスサーバ上で複数のアプリケーションサーバを運用した結果、予想通り耐障害性が下がった。
また、Oracleのライセンスが高いという理由で一つのDBインスタンス上に10数個のシステムが同時稼働しているなんてこともあった。1つのシステムが高負荷なクエリを投げたせいで関連する全システムが共倒れになったこともあったがOracleのバグとして報告していた。
新人の頃にOJTでstaticおじさんの下に付いたことがあった。そのとき担当したのはPerlでデータ連携用のバッチを書くという開発業務だったのだが、最悪の思い出だ。
まずプログラム構造仕様書というのを書かされた。メソッド単位でのモジュールを全てExcel上に記述し、処理の順番と内容を説明するという謎資料だった。あまりに意味がわからなかったので「UMLのクラス図を書けばよいのですか?」と聞いたら「Perlにクラスなんて必要ない。構造化プログラミングを研修でならってないのか」と返ってきた。「俺が前に書いたPerlのバッチがあるから参考にしろ」と言われ、あるリポジトリをチェックアウトして見てみると1ファイル4,000行の.plがいくつか並んでいた。その時の私は何もわかっていなかったのでそういうものかと思ってしまったが後で調べて明らかにおかしいと気づいた。
また、そのプロジェクトのメイン言語はJavaで、Eclipseを使っていたのでPerl用プラグインを入れてコーディング・デバッグをしていたらやめろと言われた。理由は「Eclipse上で動くPerlが信用できない。サクラエディタで書いてプリントデバッグすれば充分だ」と言われた。その時の私は何もわかっていなかったので、プラグインの品質が悪いとかそういう話かと思い「じゃあvimで書きます」と言ったら「サクラエディタにしろと言っただろ!」と一喝され、vim vs サクラエディタという史上類を見ないエディタ論争が起きた。
SI業界の中では高いのかもしれないが決してよくはない。4年目(たぶん25歳)ぐらいで残業込みで年収400万にやっと届いたがそこからほとんど変わっていない。30歳の先輩に聞いたところ「500万前後、残業してない場合の月の手取りは未だに20万切ることがある。残業抜きでは新婚生活が厳しい」と言っていた。いわゆる年功序列がきっちりしていてこのまま続けてもしばらくは給与が伸びないということがわかった。
個人での貢献で差がつくのは±10万程度。その程度ならいっそ無くてもいいのでは、と思う。というかそもそも生産性をきちんと評価する制度が存在しない。これはどの組織でも難しい問題だと思うが、形骸化した評価制度で上司の気に入った人間にS評価を付けているだけならいっそ止めたほうが時間の無駄にならなくてよい。
会社から貸与されるノートPCは低スペックすぎて開発には使い物にならない。なので開発者は基本的にデスクトップを使用せざるを得ないのだがこれもメモリ4G、1.2GHz程度で大したマシンでもない。本当に開発する気がない。
いつの間にかどこかで意思決定がされていて、関与する機会がほとんどない。だがほとんどの社員がそれで良いと思ってる。失敗しても自分が決めたことじゃないから上層の責任だ、そう言えるので楽だから。
情報共有をしない、というか意図的にしないようにしているとまで感じる。連絡はメールと添付ファイルベースで行っているし、共有のファイルサーバなんてのもあったが一部のフォルダは権限を持った人間しか見られない。何で他の部や課が行った過去の見積や提案資料が自由に見られないんだよ。
ソースコードのリポジトリも同様。外部に公開しないのはまだわかるが、プロジェクト外にすら基本は公開していない。別に奪われて困る大した技術もない。
会社が用意した提案資料共有サイトみたいなのもあったが、それに至ってはもっとひどい。課長以上もしくは部長から承認を与えられた者のみ閲覧可能。共有とは。
どうでもいいことを決めるにも承認や根回しや説得が必要になる。それがプロジェクトの利害関係者ならまだわかるものの、まったく関わっていない上長(課長や部長、時には部門長)を通さないと進まないという異常さ。
利益率向上のためにコスト削減ということがしきりに言われており、過剰なコスト削減対応が生産性の低下を招いている。たとえば顧客に見せる資料以外は白黒で印刷しろ、みたいなルール。色がないために情報が伝わりにくい。というかそもそも印刷せずに各自のノートPCで見ろという話だが、先述したようにノートPCは低スペックすぎるので多くの社員がデスクトップを使っている。ITとは。
本当に無駄としか思えない承認・申請フローの煩雑さに加え、使っているシステムの使い勝手も悪く、ひどい日は一日がそうした事務作業で終わる。しかもそのシステムは自社で以前開発したものだというから泣けてくる。こんな作業が定常的に発生するのでいっそ事務員を派遣で雇うべきという提案が何度もされたが、課の予算をオーバーするから無理だという回答しか返ってこない。
表向きは社員の健康促進という触れ込みで残業時間削減を全社的に取り組んでいる。残業減らせと声をかけただけでは誰も帰らないので、勤怠システムと入退館管理システムを監視し、削減できていない組織や人間の評価を下げるようになった。
その結果、サービス残業が復活した。30時間を超えると部長に説明しないといけない、50時間を超えるとその上へ…みたいなループ。表向きの残業時間削減・コスト削減としては成功したかもしれないが、社員の残業時間を管理するとかいう無駄な仕事を増やしたし、管理される社員のストレスとサービス残業に繋がったので下策だと思う。
他人の残業時間をExcelにまとめる仕事があって、そこに給与が発生してると思うと泣きたい。
そもそも無駄な作業や工数至上主義で作業効率が悪いから残業しているので、残業が少ない奴が偉いと一斉に舵取りしただけでは生産性をちゃんと評価できていないことに変わりはない。一昔前の残業多い奴は頑張ってて偉い、というのと本質レベルで何も変わっていない。
私は変にプライドが高く、黒髪、メイクに抵抗があるスッピン喪女だった。外見に関しては世間の人様が私と一緒に歩いてる所を「誰かに見られたくない」と思われない程度の「清潔感」や「小奇麗」なスタイルをしていた程度だった。因みに腫れぼったい一重。コンタクトレンズも怖くて出来ない人間だったから授業中だけ眼鏡。
勉強を頑張ったり、何かしらの成果物を残す方向で、皆に認められようと努力し、クサイ言葉だけど「ありのままの自分」の姿で生きてきた。
メイクに抵抗があるのは、中学の頃からずっと。何だか顔に美術を施してるみたいで…何よりもメイクしたら最後。まるっきり自分の顔じゃあない。本来の自分はどこ?
正直顔面詐欺だ。詐欺な顔で友達を作っても(釣っても)、この顔で寄ってきた子達と友達になっても真の友達じゃないし、何か仕事をしても正当な評価じゃないから。だから、不細工だけど小奇麗にしていて数字を残していれば、私はそれで良いと思い込んでいた。
それは、非常に浅はかな考え方だった。それに気が付いたのは、進学してからだ。
1個上の先輩を好きになった。電車の窓に映ったスッピンの私の顔がどこか「女」の顔になっているのが、自分でも解った。ほっぺたはどこか赤いし、表情が違う。変な言い方をすると、世界中の人達を愛せる様な、今なら何でも許せる、そんな大らかな気持ちを抱いてた。体中がポカポカして、無意識にスキップでもしちゃうんじゃないかって位。
先輩に告白したい。でも出来ない。しちゃいけないって解ってた。理由は2つ。
好きだったけど、偏差値も人として(既に先輩は大人と対等に会話できる人だった)色々スペックが違い過ぎて。お呼びでない感はもう空気感で伝わった。私は告白なんてする土俵にすら上がれない事は、本能的に悟った。だから、告白できなかった。
それから、先輩は煌びやかな造形美な女性が好きだった。北川景子や佐々木希、滝川クリステル。同級生や学内に居る女子に対しても、そう言った華やかな女子に対する態度と、素朴な女子に対する態度とはあからさまに違っていた。
私は自分のちっぽけなプライドをへし折って、メイクしたり垢抜ける事は出来なかった。結局は自分の個性を、私は取ったんだ。初恋だったのに。今ある自分の素材の範囲内でのオシャレと減量(163cn 46kgになった)。私のプライドと折り合いを付けた努力は、その程度だった。案の定、造形美な華やかな女子や先輩方とは、足元にも及ばなかったし、一緒の空気さえ吸えない程の外見。
そうこうしていると、私は某男子から告白された。外見が太ってて背も低くてキモい男子だった。例えるなら、銀魂の「ハタ皇子」そっくりだ。性格は社交辞令を真に受ける様な、それでいてナルシストな男子。学校の皆は彼を茶化しちゃいけない相手として接してきた。何か茶化したら、ちょっとした一言で自殺しちゃうんじゃないか。そんな様な男子。
どこかのブログで「僕は性の対象として観てない女子から、性の対象として見られていたと知った時ゾッとした。好きでも無い女子から告白された時、「死ね」と思った。精神的にもダメージが大きかった。だから、不細工と自覚している自分からは絶対に告白しない。正直言って、相手の女性からしてみたらテロの被害者である。」というのを読んだ事がある。
まさにその通りだった。私は彼から告白された時、丸で末期がんを診断されたかのような、奈落の底に突き落とされた。
私の事が好きな事は何となく解ってたけど、クラスメートとして、適度な距離を取りつつ、挨拶をする程度にしていた。私は彼に対して決して誤解を招く様な発言も行動もしてなかったと思う。害はないと、思っていた。だから、ノーガードだった。突然呼び出されて、告白された。
「何で私なの?」
「だって、〇〇さんは美人だし、△△さんは可愛いし、僕には到底告白なんて無理だから。でも、貴女は僕とあいさつしてくれるし…」下を向いたまま、何故かコーヒーのストローの紙でずっと折り紙?をしている。
つまり、私は彼にでさえ「コイツなら嫌とは言わないだろう。素直だから、自分の意見を持たない良い子だから、自分にも手が届きそう。」と思われていた程度の存在だった。
自分の市場価値というものを、痛いほど実感した。先輩に好かれたいとか告白なんて、もう絶望的なレベルの人間である事も、十分痛感した。
こんな精神的に病む事を、先輩に経験して欲しくない。だから、今の私は、先輩を好きになる事すら迷惑がかかる存在。一方、ハタ皇子の気持ちもよく解る。だから丁重にお断りした。それでも毎日毎日、距離を縮めてきて「友達だから、良いよね?」と昼食を同席してきたり、フィールドワークの際もついてきた。終いには、「昨日、忙しそうだったけど、なんのイベントだったの?友達なんだから聞いても良いよね?」とやたら詰め寄ってきた。
「友達」という大義名分で、どんどんとハタ皇子が近寄って来て、気持ち悪いという気持ちがやがて、「ウザイ」になった。
「いい加減にしてよ!」と叫びたかった。でも、言えなかった。私も、一歩間違えれば絶対に先輩に盲目になり猛アピールしてたと思う。そうなったら先輩は私を再起不能にするまでに一喝するだろう。それを想像すると、背筋が凍った。だからハタ皇子の気持ちも解るし強い口調で「いい加減にしてよ!」だなんて言えなかった。
私は、考えるに考え、笑顔を作りつつも、徐々にフェードアウトして、なるべく同じ授業を取らない様に、気を使いながらニアミスしない様に、学校生活を送った。
そして7年が経った。
私は卒業してから、アイプチに手を出し、都内の有名美容院巡りを経て出会った女性スタイリストさんが独立して経営する小さな美容院に通っている。
お堅い仕事柄、スーツだけれども、私服も、シンプルながらも地味すぎない、小物を使ったファッションを採り入れて、無理のない、背伸びをしない、オシャレを楽しむ女性になった。雑誌は買わないけれど、オシャレな女性を見ては真似をしたり、服の配色や自分が絶対似合う服を把握。女を楽しんでると思う。
アイプチの効果は偉大だった。周囲の人たちの態度がまるで違った。人扱いから、贔屓扱いしてくれるようになった。「可愛くなったねえ」「お姉さんになっちゃってまあ」。苦手だったコンタクトも克服できた。因みに、つけま・カラコン無し。アイメイクもアイプチだけ。と言うか出来ないよね、アイプチノリだし。
社会に出てから、男性から告白されるようになったし、「美人」とか「班のマドンナ」とか言われるようになったり、視線も多く浴びるようになった。周囲から見返りを求めずチヤホヤされる事も初めてされた。女扱いが初めてばかりので必然的に私は、しどろもどろで腰が低くなる。「調子に乗らない良い子」「付け上がったり高飛車じゃないから良い」とか。
人間ってここまで私は変われるんだ…プライドをへし折った、それだけで。別世界な社会人生活を送っている。
人間ってここまで外見が違うと扱い方が変わるんだ…。人間不信じゃないけれど、人間の心って不思議だな、と思った。同じ「私」なのに。
漸く、軍資金も、経済基盤も、社会人としての生活も、衣食住も、整った。
けれど、卒業後から同窓会などには一切出ていない。例の先輩に私が何故か告白しフラれた事になっている様だ。そしてハタ皇子からはリベンジをされそうなので(実際FBに友達申請が来た)恐いし、正直行けない。先輩の件も、ハタ皇子の件にしても、その二つを考えると、どうにも腰が重くなった。
経済的にも精神的にも女としても、成長したら、先輩に告白するつもりだった。今がその時だと、思ってた。腰が重い…でも、その思いはムダだった。
既に先輩は就職して赴任先で出会った、同業他社の女性と結婚したみたい。去年から東京に戻ってきたみたいだけれども、もうパパなのかな。
「遅かったか」と思ったけれど、不思議とショックはそこまでなかった。だって、好きならお互い自然にそうなってたはずだし。それに、社会人になってから「人を好きになる事」という事を改めて実感した。身が焦がれるような恋が、この世にこんなにあるんだって事も知ってしまったから。素敵な男性が、沢山いるんだって、知ってしまった。
だったら学生時代に、告白してればよかった?という思いがよぎる度に、ハタ皇子からの告白の精神的ダメージを思い出し「私は正しかったんだ。」と思えた。
何よりも、このプライドの高い私が、メイクに手を出し、自分を変える・捨てる、なんて一新させ、今の生活があるのも、ハタ皇子のおかげなのだ。
ハタ皇子が私の市場価値の低さを、結果的には教えてくれた、目を覚まさせてくれたんだ。
いつか、私が好きになる男性に、失礼のない様に、見た目も可愛くなる様に、ほどほどに気を配るつもり。
因みに、二重になったので、今はアイプチを卒業。今は普通に昔の同期と会ったり、先生と会ったり、コミュ障も大分なくなったかな。
私にとって、自分を見つめる事は、とても大きな壁だったけれど、強引な形で向き合わざるをえなかった事で、喪女的外見から卒業できました。
でも、矛盾しているけれど、今でもスッピンで勝負している女性達にはエールを送りたい。私は負けたけれど、彼女たちの「ありのままの姿」で家族を持ち生活を送る方々には敬意を示したいと思っている。
乱文で御免。ここまで読んでくれて、有難う。