はてなキーワード: 副将軍とは
助さん「で?この町で横暴を振るっても良いってソースは?誰が決めたの?地球が何回回った時?」
角さん「黙れ馬鹿ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
助さん「は?暴力は許されんが?俺はちゃんとマナーを守ってお前と会話してるが?そうやって暴れることですらも解決出来ないのはお前の力量不足では?」
角さん「帰れアホーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
助さん「だからソースは?ソース出せないなら俺の勝ちだが?お前らが手を出した時点でお前らはこの町からご退場だが?」
角さん「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!うおーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
ご老公「助さん、角さん、もう良いでしょう」
助さん「ひかえーーーい!ひかえーーーい!この紋所が目に入らんのかー!」
楠永玉秀(くすながたまひで):元居戸家家臣。ある意味で主人公。武威戦国のトリックスター。武威ノ本中の忍びから監視されている。
小鯨白姫(こくじらはくき):おほHoIおほHoIと外交をになう昇国の惣領。兵科は槍折人。
馬場阿茶局(ばばあちゃのつぼね):昇国家老。居戸家家臣団の乳母役。
桜桃みやこ(おうとうみやこ):居戸家家臣。いつも三百人役(石高一万あたり兵三百を動員)で領民に優しい。
虫愛軽路(むしめづけいじ):居戸家家臣。釣り野伏の囮役が得意。
古田三目(ふるたさんもく):居戸家家臣。佩用する臑当てが左右で異なる。
鈴木神楽(すずきかぐら):居戸家家臣。トリガーハッピーな鉄砲大将。
地弥呼(ちみこ):幌生家足軽大将。東南の風を吹かせる。春画絵芝居を嗜む。
澪生狼(みぶろ):幌生家足軽大将。トリックスターを楠永玉秀と争う。
凹田米国衛門(へこだこめくにえもん):幌生家足軽大将。兎耳形兜を着用する。
カルロス・某(かるろす):南蛮商人。楠永玉秀の乱後、幌生家の御用商人に収まる。
犬縣某(いぬあがた):楠永の家来。一説によれば一門衆とも。
蟐娥光圀(じょうがみつくに):為力家の副将軍。二名の同僚を伴って諸国を漫遊する安国寺恵瓊(武威ノ本における外交僧のこと)。飢饉に備え、領民に雑草の食べ方を知らしめる。
深紅龍(しんくりゅう):元居戸家家臣。楠永と共に出奔したが、その後は距離を置いている。
蘇祝媛(そのほぎひめ):昇国組下大名。怪力の小兵。
留守麗(るすれい):幌生家足軽大将。合戦時、床机の横に打つためのかまぼこ板を置くことから、板武将と呼ばれる。家中を強力に掌握している。
義原鰭(よしはらひれ):為力家の郎党。その胴間声は敵味方を震撼させる。
松杉衿(まつすぎえり):為力家奉公衆。火計を得意とする。
舞農庫(まいのうこ):為力家一領具足。火計を受けるのが得意。
天使香取(あまつかかとり):為力家陰陽師。「遅参つかまつった!」が口癖。
縷々美大(るるよしひろ):為力家先手大将。酒を注いだ盃に蜘蛛が落ちてきた際、鬼にその盃を干させた逸話を有する。
楠永玉秀の謀略
https://anond.hatelabo.jp/20200823175138
株兎の屈辱
https://anond.hatelabo.jp/20200825185224
特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表格である。
今回はそのストーリーがいかに非民主主義的、非現代的であるかを検証する。
水戸黄門の主人公である水戸光圀の一行は、「越後のちりめん問屋」と身分を詐称し諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査し証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後のちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威の象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍」である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である。
この作品には
という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。
まず、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という点について述べる。
本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者にしか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題が解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀に問題を解決したあと、また同じような悪事や不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである。住民の当事者意識と民主主義の原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日の日本の政治に通底するものがある。
また、ある放送では、朝廷の中納言の悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。
次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。
水戸光圀が「越後のちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態が悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政や不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民を水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民の他人任せの意識がここでも顕在化している。
欧州の市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降の主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人の気質を形成しているのではないか。
そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。
苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠の裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法も卑劣である。「越後のちりめん問屋」と身分を詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所の許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配の原理」からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称や私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所は水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。
なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。
「法の支配の原理」「地方自治の原理」「民主主義の原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者が再放送を毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全な民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。