私はもうアラフォーですが人生設計もぼんやりしています。けれど手帳を書きあれこれと考えるのは好きです。手帳を持ち、日々の出来事や予定を管理するようになったのは30になる少し前からです。読み返したりすると、この日に何をしていたか、誰といたか、何を感じたか、いくら使ったかを把握出来るので楽しいです。それを活かして、今度はこうやってみようかと考えて1人でニヤニヤしている週末の時間が好きです。ふと、中学生くらいから手帳を書く習慣があったなら、もっと楽しかっただろうなぁと思うことがあります。アラフォーだと予定もある程度固定してきますし、時間も確保しづらく、出会いも減り、遊ぶ相手も減っていきます。タイムマシンがあったなら過去の自分に手帳を渡して、使い方をレクチャーしてあげたいなぁと空想したりします。しかし、実際に昔の自分が手帳を持っていても使えなかっただろうと思いました。実家にいた頃はプライバシーは無かったんだと、実家を出て大人になって初めて知りました。高校の頃、一時期日記を書いてみた事があるのですが、ある日の夕食時に母親が当然のことのように、日記にしか書いていないことを話題として出してきました。今考えるととても怖いことですが、当時は日記というものは自分の考えを知られる恥ずかしいものだと思いました。それ以来書くのをやめました。実家にいた頃は自分の考えや意見を言えば拒否され、両親の意向だけを飲み込むしかありませんでした。自分の考えというものを構築できないまま、両親の操り人形としてまず18年を浪費しました。進学して故郷を離れ、親の干渉から逃れられたものの、自分の考えを自分で設計出来ない。今度は周りに流されるまま行動するしかなくなりました。今は客観的に当時の状況を見れますが、当時は自分のフラストレーションの原因が何なのか分からないまま、どうしていいか分からないまま30が目前に迫りました。合計29年の浪費となりました。今振り返るとメモなど一切とらずによく働けていたなと思います。その分生活は荒んで、仕事もブラックでしたが。ちょうど仕事の都合で更に故郷から遠くへ引っ越しました。その頃には両親の老いが進んだこともあり、気軽に会いにこられることもない環境が出来ました。新しい職場で心機一転頑張って仕事を覚えようと思いノートを買いました。仕事のノートだから見られても恥ずかしくないと自分に言い聞かせたことを覚えています。教わったことをノートに書いて整理すると驚くほどスッキリします。こんな風に自分の考えや悩みも書いて整理すれば解決出来るのではないかとあれこれ試してみるようになりました。その頃はまだ手帳ではなくノートを使って時々書く程度でしたが手帳に移行するのは結構早かったです。当時は何を買っていいかわからず、ほぼ日手帳を買いました。ホームページを見ると、とても楽しそうに手帳について語られていて、恥ずかしいことではないのだと思いました。通勤時間が長かったので、手帳本を読んだり読書に充てました。沢山の言葉が自分の中に注ぎ込まれ、30を過ぎた頃からやっと自分の意見を持てるようになり、言葉で表現できるようになってきました。そしてそれを手帳に書き、後から読み返す。書き始めの頃はグチャグチャだったノートの取り方も段々と綺麗になっていきました。通勤時間の読書でアルジャーノンに花束をを読みましたが、それと同じように感じて面白いなぁと思いました。と同時に自分の人生がいかに惨めかも把握出来て悲しくなったりもしました。今はほぼ日手帳をやめて、複数の手帳、ノート、ファイルで項目ごとに管理をしています。アイアンマンが自分で自分をアップデートしていくように、自分の手帳システムもアップデートしていきます。落ち込んだ時はアイアンマンを見て元気を取り戻します。今はお盆休みなので、手帳を見てじっくり考える時間が確保できます。連休中のやらなきゃいけないことやちょっと先の事を考えたりしています。私はもうアラフォーですが人生設計もぼんやりしています。しかし手帳を見て今後の事を考えて1人で過ごす週末が好きです。
気になったので、児ポ法条文読んだ。
(法律は完全に素人なんで、他に条文あるとか知らんのだが、関連してる法律って児ポ法だけだよね?)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO052.html
児童とは0~18歳ですよ、と。
第二条 3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの
これが最大の曲者。
まず児童ポルノとは、写真等のメディアで【次の各号のいずれかに掲げる】児童の姿態を見れるようにしたものですよ、と。
で、その【次の各号のいずれかに掲げる】のうち1、2は論外。論点は3だけど【我が子の成長写真】はそれに当たらんということになってしまうんじゃないか?
ブコメに
dogear1988 えっ。親でも裸を載せたらアウトという認識だったんだが、違うのか…。
uranukimaru 親が公開するのも違法だし、(後略)
第三条の二
みだりに児童ポルノを所持(中略)してはならない。
これ読むとまとめサイトアウトじゃないのと思うが、前号が【児童ポルノじゃない】と定義できるのであれば、他人の子どもの成長写真なのでセーフということになってしまう? しまわない?
第七条 自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者(自己の意思に基づいて所持するに至った者であり、かつ、当該者であることが明らかに認められる者に限る。)は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。自己の性的好奇心を満たす目的で、第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録を保管した者(自己の意思に基づいて保管するに至った者であり、かつ、当該者であることが明らかに認められる者に限る。)も、同様とする。
【自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者】ということで、やっぱまとめサイトアウトじゃないかと思うが、児童ポルノという定義が以下略。
第七条 6 児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
上記同様。
第十六条の三 インターネットを利用した不特定の者に対する情報の発信又はその情報の閲覧等のために必要な電気通信役務(電気通信事業法 (昭和五十九年法律第八十六号)第二条第三号 に規定する電気通信役務をいう。)を提供する事業者は、児童ポルノの所持、提供等の行為による被害がインターネットを通じて容易に拡大し、これにより一旦国内外に児童ポルノが拡散した場合においてはその廃棄、削除等による児童の権利回復は著しく困難になることに鑑み、捜査機関への協力、当該事業者が有する管理権限に基づき児童ポルノに係る情報の送信を防止する措置その他インターネットを利用したこれらの行為の防止に資するための措置を講ずるよう努めるものとする。
Googleフィルタリングしろよオラァ! って話やね。やったほうが良いと思いますマジで。
ざっと条文を見た限り、児童ポルノの定義がクッソ曖昧なので、我が子の成長写真を所持するのはセーフ、ネットにうpするのもそういう体裁ならセーフ、それをロリコン野郎が集めるのは、条文だけ読むとセーフっぽいけど実際法廷いったらアウトになるんじゃねーのという所感。
「私」の謙譲語で「小職」とか「小生」というものがある。社会人ならこれらの一人称を使ったメールを受け取ったことは一度や二度ではないのではないだろうか。もしかしたら自ら使っている人もいるかもしれない。しかし、これらはよくよく考えて使う必要がある謙譲語である。
三省堂 大辞林によると、「小職」については「官職についている人が自分をへりくだっていう語」、「小生」については「手紙文などで,男子が自分をへりくだっていう語」とある(weblio辞書)。また、デジタル大辞泉では「小生」について「[補説]ふつう、自分と同等か、目下の人に対して使うものとされる」ともある(goo辞書)。「小職」についてはこのような記述は見当たらなかったが、このような言葉が成立した頃は官職というのは民間からすれば圧倒的な存在であったので、いずれにしても社会的な位が極めて高い人が使う言葉である。
つまるところ、これらは「自分の職位がとても高いのだけど、(だからこそ)へりくだってやる」または「自分は大変な人格者なのだけど、(だからこそ)へりくだってやる」という意味が含まれている。
これを踏まえると、たとえば、組織や部署の長が「小職の意見は○○ですが、皆さん(部下)の意見も聞かせてください」というような使い方は適切である。一方、部下が上司に「小職の意見を申し上げます」とか、審査を受ける側が審査をする側に対して「書類に不備がありましたら小職にご連絡ください」などというのは不適切である。同様に、社長が社内報で「小生の生い立ちから現在までを綴る」のは適切だが、受注者が発注者に対して「小生含め二名でお伺いします」というのは不適切である。
この手の一人称を学生時代から使っている人は滅多にいないだろうから、大体偉い人から回ってきたメールとかで使われているのを真似して使い出すようになるのだろうが、よく知らないで使っている人はよくよく考えて使った方が良い。
まぁでも、若くして偉い人の言い回しを真似るようなタイプの人っていうのはそれでもって偉くなった気になりたいような人が多いので、心情を込めるという敬語表現の存在意義からすれば、あながち誤用とも言い切れないのかもしれない。
(自らの悲哀に満ちた立場をネタにしたTwitterアカウントを運営している官僚がおそらく正しい意味合いを知りながら意図的に使っている例が散見されるが、これについては非常にウイットに富んだ使い方といえよう。)
相手に迷惑ををかけたくないので身バレ防止にいろいろフェイクは入れるけれど、出来事や体験に関してはなるべく正直に気持ちを書こうと思う。
私はいま25歳だ。地方の田舎で育った。相手は幼稚園からの幼馴染だった。漫画みたいな幼馴染じゃないけれど、地元の友達で、幼稚園小学校中学校と一緒だったし、小学生のときにはよく一緒に公園とかで鬼ごっこやかくれんぼをした。中学に入ってからは、もともとお互いに漫画やアニメが好きで、本の貸し借りをしてライトノベル(時雨沢恵一の「アリソン」とか「涼宮ハルヒ」とか)というものを私が教えてもらったりもして、まだそういうオタ趣味が学校でおおっぴらにできない時代だったのもあって、よく話すようになった。それで、なんでか覚えてないけれど、気になりだして、気が付いたら好きになってた。中3の時にはがんばって同じく一緒に好きだったバンプのライブに誘って一緒に初ライブに行ったりもした。相手は異性の友達はどちらかといえば苦手そうにしていたけれど、その中でいちばん仲のいい異性になることができた。
中学を卒業したら高校が別になることはわかっていたから、とにかく気持ちを伝えたくて彼の受験が終わったタイミングで告白した。どうなるかも深く考えないまま、共通の友達にうまいこと呼び出してもらって、小さいころからよく遊んだ公園で気持ちを伝えた。ずいぶん長い沈黙があって、そのあとの断りのセリフは「ごめん、恋とか愛とかがよくわからない。人をうまく信頼できないんだ。増田がきらいとかじゃないんだけれど、そういうことがどうしてもできない」というものだった。彼は少し泣いていた。話そうか迷って、きちんと誠実に断るために探してくれた言葉だと、今ならわかる。その誠実さがすごく尊いもののように見えて、おおげさに言うならすごくきれいに思えて、区切りをつけるとかは吹き飛んで、余計に好きになってしまっていた。そのカミングアウトの内容そのものに惹かれてしまった部分もやはりあったと思う(今考えると業が深い……)。
「でも、そんな風に想ってくれる人がいると思うと、なんだかうれしい」という言葉が本心からのものか、それとも彼のやさしさだったのかは、いまだにわからない。
けれど、当時の私の思考回路はひどく短絡的で、「だったら、彼に信頼してもらえるようになればいいんだ」というものだった。そういうわけで、違う高校に進学したわけだけれど、中学時代のグループの集まりを定期的に企画したり、高校の部活や人間関係の悩みとかの相談に積極的に乗ったり、ガラケーでメールをぽちぽち打ったりした。今考えても涙ぐましいし、ムダに行動力がありすぎた。相手の性格を考えるとちょっとやりすぎな面もあったけれど、そんな重いエゴまで含めて本気の恋だった。彼のことを考えない日は嘘偽りなく一日だってなかった。それが空回りしている自覚もあったし、全然そういう目で見てくれている様子がないこともわかっていたけれど、思い続ければいつかは、なんて甘い幻想も同時に持っていた。
結局、高校3年の終わりに中学時代の地元グループで卒業旅行に行って(もちろん企画からすべて私が幹事をした)、そこでまた告白したけれど、まったく同じ断り方をされて撃沈した。今度こそもうダメだなって思って、おしまいにハグをしたらちょっとびっくりされたけれど、手を背中に回してポンポン、と叩きながら「ごめんね」と言ってくれた。 今にして思い出すと、これはすごく、彼にとってきつかったかもしれない。
大学は私が都会の大学に行ったので、地元のグループとも帰省したときくらいしか会わなくなった。大学では初めての恋人ができたり、他にも普通の大学生らしいことをいろいろ経験したし、様々な恋愛に関係する感情を味わった。彼のことはあきらめて気持ちを封印してはいたけれど、それでも常にずっと心の中では彼のことをいちばんのところに置いていた。このころになると、ずっと片思いをしているということが完璧に美化されていた。
そうして、アセクシャル(Aセクシャル)という言葉を初めて知ったのも大学時代だった。知った時、真っ先に彼のことを思い浮かべた。
大学を卒業して、Uターンで地元に帰ってきた。久しぶりに地元の特に仲のいい何人かと再び会うようになった。ある時、彼の親友的な人と話していたら「増田さん、中高のとき彼のこと好きだったでしょ」と真正面から指摘されて、封印していた気持ちが解けてしまった。4年間蓋をしていたものが、びっくりするくらいあふれてきた。その親友が「だんだんと結婚とかも皆考え始めるような歳になっているのに、そういう話題が彼にあまりにもないから増田さんをあてがってやろうかと思って」と言うのでこれに甘えて利用して、彼と遊んだりデートしたりした。お互いにいろいろ話すけれど、でもやっぱりこれまでと同じく恋愛的な意味での全然手ごたえは何もなかった。それと並行して。やはりAセクの件があったので、その親友に彼はAセクなのではないかと相談した。親友氏にも思うところはあったようで、何度かそれについて議論もした。
複数回デートらしきものをして、どちらにせよこの恋はだめだと思い知らされたので、結局過去と同じように自分の気持ちに区切りをつけるために告白をした。Aセクの件もあったから、一応相手の負担にならないようにというつもりで、その当時でできる限りの気遣いと自分の率直な気持ちとを文章化して手紙として渡した。後で読んでと言ったのに彼はその場できちんと読んでくれた。そして返事の代わりに、件の親友の名前を出して「こないだ、Aセクシャルっていうのを教えてもらって、自分でもいろいろ調べて読んでるうちに、読めば読むほど『そうだ、これだったんだ』とわかって涙が出てきた。他人を愛することができない自分は、どこか明らかにおかしい、欠けた人間だって思っていたから、すごく安心したんだ」と教えてくれた。
私にはそれを受け入れるしかなかったし、何よりも泣きそうな顔だけど解放されたみたいなすっきりした様子の彼を見てうれしかったのも事実だった。
私と親友氏とで「一応、Aセクであるとすぐに決めつけすぎないほうがいい」と伝えておいたものの、十中八九彼はそうなのだと思うし、少なくとも今現在彼の自覚はAセクということになっている。
ここからあとは、私一人の話。
私にとって、彼はまさに青春そのものだった。そう思い込んで美化してきたところや、一途な自分の片思いに酔っていたところ、そのエゴに時折死ぬほど自己嫌悪したところ、醜いとこや酸っぱいところも、些細なことでめちゃくちゃ幸せな瞬間も、ぜんぶぜんぶひっくるめて、いま大人になった私を作っている大切なものだ。詳しくは書かないけれど、彼を好きにならなければ私の人生はぜんぜんつまらない方に変わっていたはずだと思う。たとえ片思いでも、幸せだったし、幸せをくれたと思う。恋愛ってそういうところがあると、私は思う。
ただ、そんな恋愛を、彼はしない。そういう感覚を彼はおそらく持たない。今後一切、恋愛から何かを得ることはない。
このことを、私はどのように整理したらいいのだろうか。
恋愛はすばらしい。いろんなドラマや物語においても恋愛至上主義が圧倒的多数な世の中で、人々はそんなフィクションを見て、やはり恋愛はすばらしいものだと思う。誰しもが人に恋をして人を愛するのだと信じ込む。そう刷り込まれた?私の観念はとても硬い。
では、他人を愛さない人は、すばらしいものが欠けているのだろうか。人生のなにかしらを失っているのだろうか。彼はおかしいのだろうか。
断じて違うと、私は確信している。でも、それは私の中の固定観念と矛盾している気がする。
私にとって恋愛のない人生は、ずいぶんパサパサとした無味乾燥なもののように思えてしまう。彼がAセクである自覚を得た日以来、失恋による大きな胸の空洞がつらいし、今まできれいに思えたものがきれいに思えなかったりする(感覚がにぶっている感じがする)。彼を好きだったときの世界の見え方はとても色鮮やかだったのに。
気が付いたら私は25歳で、中学を卒業してから10年が経とうとしていて、10年前のあのころのキラキラした感覚がいろんな意味で信じられなくなってきている。恋愛でしか得られない感覚があると信じているくせに、彼のことがあって今の世の中における恋愛の絶対性について疑ってもいる。人間の幸せの形ってもっともっと多様だと思いたいのに、自分の経験がその価値観に異を唱えてくる。
こんなことを考えていると、結局彼と私とではとんでもない隔たりがあったのかなとか考えてしまって、今でも少し凹む。
自分の中でもいまだに結論がでていないせいで最後何を言いたかったかよくわからなくなってしまった。こんな深夜に書きなぐった読みづらい長文を読んでくださって、ありがとうございます。なんでもいいのでみなさんの意見を聞いてみたいです。ちなみに私がちょっとヤバいのは承知です。
なんで元恋人に引き取らせないんだよ、と一瞬思ったが、
もしかしてその知人所有のウサギだけど世話を恋人にやらせてたのか
そりゃ別れるわ
引っ越しする前はセルフレジのあるスーパーで買い物してたんだけど、新居の近くにはない
トータルではプロのレジ係のいるレジに並ぶ方が早いのかもしれないけど、
レジ待ちでイライラするのって結局、自分の番が回ってくるまでの時間じゃない?
バーコードがなかなか読めないのとかも、店員さんがやってたらイラつくかもしれないが
これがスパロボやスマブラみたいな共通要素のある作品同士なら納得もできるんだろうけど、メーカーもジャンルも違う作品同士で物語作りますってなったら承認力以前の問題だろ
海外にいる。
そうするときまって
という表示がされている。
多かったが今はそんなことはない。
きまって日本のお米と表示されている。
来てるんじゃないかな
と思いつつもとりあえず食べると
数日後きまって調子が悪くなる。
今回のは酷くて謎の頭痛に加えて
呂律が回らなくなったり
これを書くときも何度も
タイプミスをしている。
ひたすらここ数日体調が悪く
急に逝ってしまいそうな感じはする。
前置きが長くなったが最近非常に
気になってるのははてな界隈の
放射能に対する態度だ。
大量に死んでるにも関わらず
全く誰も放射能説を考えては居ない。
なんだろうか。
・デレステ
・ガルパ
・神プロ
ニコ生意外とよかった。
・歌マクロス
マクロス知らないのに同僚と「デカルチャー!」「プロトカルチャー!」「「アハハ!」」みたいな掛け合いしてた。
・ミリシタ
作る側は作る側で、何の創造性もない、やっぱりゴミしかいない。今時ガチャって何だよ?本当バカの一つ覚えだなwwwwww
って認識。
何度かソシャゲ(あんなものやこんなもの)の誘惑に屈しそうになったこともあったが、何とか乗り切ることもできました。
今後これが誘惑してくると思いますが、それに屈さないよう頑張ります。
最近やってる某学園ギャンブルアニメと某スパいアニメのソシャゲは…うん、ノーコメントで。
ロンドン南西ウォーキング付近に巨大な円筒が墜落。15日間の戦闘の後、微生物によって火星人は全滅する (宇宙戦争)
米国探査衛星「ヴァイキング1号」が火星に到達。生物らしき影(BETA)が映った画像データが地球に送信される。後に軌道上からの観測により火星全体に生息していることが確認される(マブラヴ オルタネイティヴ)
アポロ計画の最中に月で地球と火星を繋ぐ古代文明の遺産「ハイパーゲート」が発見された。地球はレイレガリア博士を中心とする調査団を火星に派遣する。その後、火星で古代火星文明のテクノロジー「アルドノア」が発見される(アルドノア・ゼロ)
旧ソビエト連邦が打ち上げた探査機マルス3号が火星に着陸する。
アメリカが打ち上げたバイキング1号が着陸し、火星表面の映像を地球に電送する。
ドラえもん、火星にあるコケに進化加速ダイヤルを最高にセットした「進化放射線」を当て、10億年分進化させて生物を作り出す。
進化した火星人は地球にUFOでやってくるが汚れた地球と野蛮な地球人に危機意識を感じ、火星を捨て他の惑星へ移住する(ドラえもん「ハロー宇宙人」)
人類は地球を飛び出し火星へ進出。蒼いSPTレイズナーを駆る少年アルバトロ・ナル・エイジ・アスカと人類が接触(蒼き流星SPTレイズナー)
火星の皇女であるアセイラムがパレード中にテロリストに襲撃される。
19ヵ月後、ヴァース帝国の月面基地へ地球連合軍が総攻撃をかける。地球と火星の和平が宣言され戦争終結(アルドノア・ゼロ)
地球は異星との交流が進み、国際連合ならぬ星間連合にも加盟して、多くの惑星からの観光客がひっきりなしに訪れる一大観光惑星となっていた(漫画版21エモン)
NASAの調査隊が火星のタルシス台地で異星文明の遺跡を発見し、突然現れた地球外知的生命体タルシアンに全滅させられる(ほしのこえ)
宇宙開拓時代を迎えた人類は太陽系内に生活圏を広げており、悪化する治安への対策として、指名手配犯を捕まえる賞金稼ぎ、いわゆる「カウボーイ」たちが活躍している(カウボーイビバップ)
人類は宇宙開発を進め、火星には実験居住施設もあり、星野八郎太が宇宙でゴミを拾っている(プラネテス)
品種改良された苔とゴキブリを使ったテラフォーミング計画が開始(テラフォーマーズ)
ジオン公国の残党である火星独立ジオン軍『オールズモビル』が蜂起。翌121年、第13独立機動艦隊が火星に到着。最終的にオールズモビルは、自らが使用した秘密兵器の反動に自らの基地が耐えられなかった為に自滅(機動戦士ガンダムF90)
機動戦艦ナデシコ発進。翌年1月に火星へ到着(機動戦艦ナデシコ)
8月9日、「火星の後継者」が蜂起。8月20日にナデシコC、火星極冠遺跡上空にボソンジャンプ。システムを掌握。「火星の後継者」降伏。(機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-)
火星はテラフォーミングされ水の惑星となり、アクアと呼ばれていた(AQUA、ARIA)
火星のゴキブリを駆除・清掃するために地球を発った宇宙船・バグズ2号の乗組員15名は、火星にて異常進化を遂げたゴキブリ「テラフォーマー」の襲撃に遭う(テラフォーマーズ)
アネックス1号によって小町小吉を艦長とする計100名の乗組員が火星に送り込まれる(テラフォーマーズ)
7世紀ぶりに火星への有人飛行を成し遂げた人類。水も酸素もない、廃墟と化したかつての入植地において、宇宙飛行士達は一人の女性を発見する(BIOMEGA)
元々統合失調症と判断されて福祉施設につながっていたが、その福祉施設の方からあなた発達障害っぽいからちゃんと診断受けたらどうか?と勧められた。
そして主治医にその旨を話したところ、確かにそれっぽいところはあるんで、専門の病院でしっかり検査を受けるように、と言われて紹介状を書かれた。
その専門の病院の初診を受けて、検査の予約をして、これだけで3ヶ月くらいかかった。その上検査は一回3時間くらいかかるから2回に分けてやるのだけれど、これも予約がいっぱいで1ヶ月おきにやることになり、随分と時間がかかることになった。
で。先日1回目の検査を受けて来た。検査の内容はIQテストに近い感じで、口頭の算数の問題や、常識問題、漫画のコマのように絵の描かれたカードを物語が通るように並べ替えるもの、積木遊びのようなもの、様々あったがどれもなかなか難しかった。
そのテストを2時間くらい休憩なしで受けて、最後に診察があって約3時間コース。結構疲れた。
次回の検査は育成歴も見るらしく、養育者に書いてもらって来てくれというアンケート用紙を5枚くらい渡された。
で、元々通っていた病院の定期検診で、主治医に、発達障害の診断のためにあんなに徹底的にテストをやるとは思わなかった、とぼやいたところ、主治医は以下のような旨のことを言っていた。
そこまでテストをしても、実は『こういう傾向がある』というところまでしかわからないことも多い。中にはまさしく発達障害だとかアスペルガーだとかという、コアな症状を見せる人もいるけれど、多くの人はグラデーションというか、はっきりとそういう面が見える人は少ない。それなのに、こういったテストもせずに主治医の判断だけで発達障害の診断を下してしまうこともある。精神医学というのはなかなか定量的な評価ができないから難しい、と。
なんだかその話を聞いて、最近カジュアルに統合失調症とか発達障害だとかいう言葉が使われるようになって来ているけれど、それってたとえ医者の言うことであってもどこまで信用したらいいのかわからないな、などと思ってしまった。
ちなみに、自分の統合失調症は誤診だと思ってセカンドオピニオンにも行ったしもう診断されてから10年くらい経つから生活の変化に合わせて病院も変わっているけど、全ての病院で統合失調症ですと言われてしまったのでもう諦めてる。