はてなキーワード: 東京事変とは
に触発されて作ってみたら全然30曲じゃ足りなかったので50曲になりました。
H2Oじゃない方。夏休みの朝、ラジオ体操から帰ってきて視聴する「らんま1/2熱闘編」。
亀田誠治が偉大すぎる。
RIP SLYMEはメンバー間で色々あったようで空中分解してしまって悲しい。
唯一無二のシンガーソングライターだと思う。
タワレコで何の気なしに視聴したら好みにドンピシャでハマった。
Aメロを家で口ずさんでいたら夫に「こわい」って言われた。
ヘッドフォンで聴いているとハヤシのHey!が右からやってくる。
コーラスワークが綺麗で清涼感がある。
盆踊りに流したい。
色気のあるベースから始まり更に色気のあるヴォーカルが乗っかる。
こういうかっこいいアニソンが量産されてほしい。
FM802のヘビーローテーションになっていたのをよく覚えている。
準新作だと気づかずに7泊8日レンタルして返却時涙目になった。
シンセサイザーの響きには近未来感を感じるけど同時に哀愁も漂っていてすごいと思う。
高校生の時付き合っていた彼氏に「この曲を歌えるようになってほしい」と言われ「無茶な」と思った。
今聴いてもサウンドのすべてがおしゃれ。
夏の終わりに聴きたい。
Salyuも唯一無二の歌声だな。サビのハモりが気持ちよすぎる。
甘酸っぱさ満点。
確か、歌詞の視点が独特なのをROCKIN' ON JAPAN誌上でツッコまれてた。
2006年のRUSH BALLのオープニングアクトで一目惚れした。
私のBUMP OF CHICKENはここから。
多幸感あふれるメロディーとストリングスと大サビの歌詞の対比が好き。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
Apple Musicで検索しながら作ったので、サブスクに入ってなくて漏れた曲がいくつかあります。
↓
ってグローバル化の時代に、どんなけ椎名林檎が普段付き合ってる人間やお客さんが、そこそこ金持ったインテリの古いサブカルオッサンなんだって話なんですよね。80,90年代かよ。
社会として統制はしないと、少数民族や弱者、人種、宗教や障害に配慮して共存できないでしょ。椎名林檎は、どれだけそういうところに想像力がないんだよ。自分の表現一つで下手したら紛争が起こって人が死ぬのが国際社会の場なんだよ。
今、左右に分かれるというのは、イデオロギーによる問題やセンターがどこだって話じゃなくて、グローバル化による先進国の労働者層の貧困問題やコミュニティからの孤立、引きこもりや、その反動からのIT化によるSNSの過激化などが絡んでるわけで、単純に東西冷戦で国連という真ん中作ろうぜ時代の話じゃないと思うんですけど。真ん中は形式としてあるんだけど、ネットのメッシュをベースにした細々した紛争は止まらないっていう時代で。
自分もMETAFIVEとか聞くけど、サブカル界隈は本当に国とか電通の責任にする前に、自分たちの国際社会や政治、人権・多様性に対する考えの浅はかさを反省した方がいい。スポーツの方がよっぽど人材に多様性があるし、国際政治の問題と関わらざるを得ないから考えもあるし、自国第1を高らかに謳わない謙虚さもある。
死んでしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてくれ
1ヶ月ほど前にこのエントリを書いた者です。
ご紹介いただいた曲を1日数曲、休日は10数曲ずつ、YoutubeもしくはSpotifyで聴けるものは全て聴きました。
申し訳ありませんが、洋楽とクラッシックは今回はスルーさせていただきました。
どの曲も素晴らしかったのですが、その中で1曲、今の私の心にすごく寄り添ってくれる曲に出会いました。
それは藤井風さんの「帰ろう」という曲です。
藤井風さんの曲はこれまでも何曲か聴いたことがありましたが、この「帰ろう」という曲は今回初めて知りました。
MVの雰囲気が椎名林檎さんの「ありあまる富」の雰囲気に似ているなと思ったら、どちらも児玉裕一さん監督作品で納得しました。
Youtubeには藤井風さん本人によるこの曲についてのインタビュー動画もありました。
https://www.youtube.com/watch?v=36fhfRh_iVk
「幸せに死ぬにはどう生きたらええの?」わしはまだもがいてます。だから生きてます。だから、生きることを、もがくことを諦めんでください。きっと無事に、幸せに、安らかに帰れるから。
藤井風さんの「帰ろう」以外にも、強く心をゆさぶられた曲を挙げます(順不同)。
・THE TIMERS「デイ・ドリーム・ビリーバー」
・スピッツ「楓」
・スピッツ「みなと」
・ハンバートハンバート「おなじ話」
・山崎まさよし「One more time, One more chance」
・手蔦葵「ただいま」
・東京事変「落日」
・森山直太朗「夏の終わり」
妻を喪った悲しみはまだ癒えることなく、これからも完全に癒えることはないと思うのですが、
教えていただいたこれらの曲と伴に、この悲しみとうまく付き合っていければと今は思っております。
最後に、あまり関係ないのですが、頂いたコメントで何件か「平沢進」という初見のアーティストが挙がっていたので少し調べてみたら「米津玄師が影響を受けたアーティスト」と出てきたのでこれはと思い、Youtubeで検索したら「平沢進を知らない人のための10分でわかるかもしれない平沢進」なる動画が出てきたので拝見したのですが…正直何が起こったのか私にはわかりませんでした。素人がこれ以上足を踏み入れてはいけない世界のような気がしました。
低収入のフリーター、アラサー、あるいはアラフォーでも、つまり弱者男性でもモテる。それがバンド・マジックだ。
面倒そうでおすすめこそしないが。
あるいは対バン(共演者)やお客、スタジオの店員やライブハウスのスタッフ等とできちゃう話も「あるある」だ。
ライブ後の打ち上げという行為はアマチュアが集まって演奏した後の合コンだと思ってくれて構わない。
そうすれば趣味の合う若くて寂しい異性と自然にマッチングできるというわけ。
そして真実を話そう。
別にプロ志向である必要はない。楽曲がオリジナルである必要もない。
ベースは重いし目立たない。やめとけ。
キーボードは高いし、DJは音楽センスとコネが必要だ。やめとけ。
その点ドラムは叩ければよい。
初期費用にかかる機材代も安い。
ミスチルやブルーハーツ、ジュディマリのコピバンくらいはできるだろう。
それで十分だ。
合法的に物を殴りまくれる。
デカい音が出る。
ストレス解消にもってこいだ。
太っててもいいのも強い。
そしたらメンボ(楽器屋でもネットでも色々ある。探せ。)で人と合え。
ドンパンドンパン叩けてスタジオ代を折半できる人間なら十分だ。
CDが売れなくても、世の中には音楽をやりたい人が多い。誰かと一緒にしたがる人と出逢え。なるべく下心を隠せ。
ヘタでもいいと言ったが、別にKing Gnuや東京事変のようなバカテクバンドをやろうとしなければの話だ。
うっせぇわやYOASOBIみたいなのあるだろ。
メンバー募集の掲示板を見ればいっぱいあるだろう。好きなのにしろ。
あるいはアコギやピアノに合わせてジャンべ(パーカッション)を叩くでも良い。
ただ、客になるな。下に見られる。
関係者になれ。
とにかくバンドを組め。
キモくて金がないおっさんことアラフォーの弱者男性でもモテる。
コロナ禍で他のバンドだってライブも練習もできてない。条件は一緒だ。
ただ、これは東京都の話。
※ネタバレ注意※
今年のコナン映画を早速見てきたので、備忘録も兼ねて感想を書くことにした。
ちなみに、増田はコナン映画の中では「時計じかけの摩天楼」と「ゼロの執行人」、「紺青の拳」が好きな一般人だ(つまるところ、その映画のカラーがはっきり打ち出された作品が好みである)。
◎良かったところ
・灰原が終始可愛い
この映画最大にして最高のセールスポイント。「緋色の弾丸」は灰原の可愛さを堪能するための映画と言っても過言ではない。今回の映画は最初から最後まで灰原がコナンの相棒でヒロイン。途中で襲撃された際もコナンの安否を真っ先に気遣い、随所で相棒らしいサポートを見せている。特にクライマックスで何度も「江戸川くん!江戸川くん!!」と叫ぶのはクールな彼女の可愛さや健気さが珍しく露わになり、普段とのギャップに悶えた。
将棋で鍛えた頭脳で犯人を追い込むシーンはまさに圧巻の一言。最後にジョディのもとに犯人の車が辿り着いたときには鳥肌が立った。犯人の車が横転して爆発したのには本当にそうなるかなあと唖然としたが、フィクションなので良しとしましょう。
◎いいところでもあり悪いところでもある点
秀吉と由美がラブラブしているシーンは単純に可愛くて良いし、見ていて癒やされる。紺青の拳で園子と京極さんのラブラブシーンを上手に描いていた永岡監督らしく、純粋に微笑ましく楽しめた。
が、二人のラブシーンが事件の解決につながることはなく、どうしても無理くり入れたシーンのようにしか見えなかった。櫻井さんはラブ要素の薄い作品では非常に面白い話を書かれる方(ゼロの執行人や純黒の悪夢は面白かったと思う)なので、ラブを描きたい(?)永岡監督とはうまく噛み合わなかったのだろうか?
題名からして秀一が主役なのかと思っていたが、蓋を開けてみると赤井家フォーカスの映画ということだった。そこまではまあそうか、勝手に期待したこっちが悪かったなと思えるが、秀一の目立った活躍がリニアを銀の弾丸で狙撃するだけというのはいかがなものか。
タイトルを「緋色の弾丸」と秀一を彷彿とさせるものにするのならば、秀吉のラブコメシーンを削って秀一の出番に当てた方が良かったのではないか?これならばまだ純黒の悪夢の方が安室との直接対決があった分格好良く見える。
世良に対しても不遇な印象が否めなかった。秀一とジークンドーで対決したシーンは沖矢昴=赤井秀一という気付きを彼女が得るのではないかと期待したが、そのシーンは単純なアクションシーン以上の意味を持たされないまま、世良がコナンと連れ去られた被害者を見つけるまでの繋ぎとして終わってしまい、肩透かしを食らったような気持ちになった。
特にクライマックスにおいては彼女はコナンの助手程度の役目しか果たしておらず、リニアに一緒に乗っている必然性を感じない。リニアを止める方法に関しては彼女の得意なジークンドーは何一つ生かされておらず、この映画における世良の役目はバイクに乗れる者であるなら誰でも代替できる(仮に彼女のポジションを服部平次が担ったとしても物語の進行には何ら支障を生じない)のが非常に残念だった。
・犯人の動機が犯人の目線からしたら真っ当に思えるものだが、映画の視点がFBI側にフォーカスしているせいで犯人がかなり自分勝手に見えてしまう
今回の犯人は男女二組のぺアだが、どちらも偏った情報でFBIを恨んで犯行に及んだ。話を聞いていると、「そりゃそれだけの情報しか与えられていなければ恨んで当然だろうな」という気持ちにさせられる背景事情だが、視点が終始FBI側に寄っている為「逆恨みしたお前らが悪い」といった印象にさせられてしまったように感じ、釈然としない部分があった。
・主題歌と内容が合っていない
主題歌を担当したアーティストが東京事変でハード系の歌詞だったため、純黒の悪夢やゼロの執行人のようなかなり殺伐とした内容を期待していたが、実際見てみると少年探偵団が活躍するシーンや秀吉と彼女のラブシーンがこまごまと挟まれており、主題歌と内容の雰囲気が合っていないように感じた。
一言で言うと「永岡監督と櫻井さんの良さが上手く噛み合わなかった映画」といった印象。リアル・ハード志向を得意とする櫻井さんを脚本に起用するなら、ラブは削って事件のみに集中させてあげた方が面白かっただろうし、永岡監督に任せるならラブに振り切れる脚本家さんを呼んであげた方が「から紅の恋歌」や「紺青の拳」のような女子ウケする作品になったように思う。
キャラ的には秀一ファンが行くと肩透かしを食らうだろうが、秀吉、灰原ファンは一見の価値あり。というか灰原ファンは全員行け。とにかく灰原の出番がてんこ盛りで、ツンとおすまししたシーンからコナンの相棒としてクールに決めるシーン、犯人に襲われても健気に頑張るシーンまで全部詰まっていて最高に可愛い。灰原の可愛さに心臓を撃ち抜かれる。「灰色の弾丸」に改称した方が良い。それぐらい灰原の出番が多い。灰原ファンは今すぐ劇場にレッツゴーだ!
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
ハードロック、ヘヴィメタルが好きな高校生諸君、ネットの海に出るとスラッシュメタル四天王とか、プログレがどうとか、アニソンはメタルだとか、よくわからない言葉を目にすると思う。
そんなときは歴史を知ろう。故きを温ねて新しきを知る。以下の100枚を聞けばだいたいわかるようになるぞ。
これで物知り顔で蘊蓄垂れるおじさんにドヤ顔をやり返してやろう。
(おおむねアーティスト名アルファベット、五十音順。国内海外順不同。原則1アーティスト1枚)
1. Whatever People Say I Am, That's What I'm Not / Arctic Monkeys
2.Relationship Of Command / At The Drive-In
3.Slaughter Of The Soul / At The Gates
4.METAL RESISTANCE / Baby Metal
5.K. AND HIS BIKE / the band apart
6.LOST CRUSADERS / BEAT CRUSADERS
7.Black Sabbath / Black Sabbath
8.Hate Cres Deathroll / Children of Bodom
10.Whisper Supremacy / Cryptopsy
11.The Sound of Perseverance / Death
12.Deepest Purple / Deep Purple
13.Once Upon The Cross / Deicide
14.Like An Everflowing Stream / Dismember
15.Sonic Firestorm / Dragonforce
16.Images & Words / Dream Theater
18.Left Hand Path / Entombed
19.Satori / FLOWER TRAVELLIN' BAND
20.Strictly Commercial / Frank Zappa
21.Appetite For Destruction / Guns N' Roses
22.One Kill Wonder / The Haunted
24.BAKEMONO / HER NAME IN BLOOD
25.Screaming Symphony / Impellitteri
26.The Number of The Beast / Iron Maiden
27.Painkiller / Judas Priest
29.In the Court of the Crimson King / King Crimson
31.Led Zeppelin Remasters / Led Zeppelin
32.Retribution / Malevolent Creation
33.Antichrist Superstar / Marilyn Manson
34.De-Loused in the Comatorium / The Mars Volta
37.obZen / Meshuggah
38.Master of Puppets / Metallica
39.Ride the Lightning / Metallica
41.Ace of Spades / Motorhead
42.Lovelsee / My Bloody Valentine
43.Black Seeds of Vengence / Nile
44.In There Darkened Shrines / Nile
45.Amongst The Catacombs Of Nephren-Ka / Nile
46.The Downward Spiral / Nine Inch Nails
47.Never Mind / Nivana
48.Slowly We Rot / Obituary
50.Best of Ozz / Ozzy Osbourne
51.Far Beyond The Great Southern Cowboys' Vulgar Hits! / Panteta
52.Consuming Impulse / pestilence
53.Dark Side Of The Moon / Pink Floyd
54.Sailing the seas of the Cheese / Primus
55.Antipop / Primus
56.Operation: Mindcrime / Queensryche
58.Rage Against The Machine / Rage Against The Machine
60.Blood Sugar Sex Magic / Red Hot Chili Peppers
61.NUOU / ROVO
65.IOWA / Slipknot
66.VOL.3 :(THE SUBLIMINAL VERSES) / Slipknot
67.Silense / Sonata Arctica
68.Good morning / SPECIAL OTHERS
69.Effigy of the Forgotten / Suffocation
70.FUNKASY / SUPER BUTTER DOG
71.The Divine Wings Of Tragedy / Symphony X
72.Toxicity / System of a down
73.World Downfall / Terrorizer
75.De Profundis / Vader
76.Elephant / The White Stripes
78.OUT / YOUR SONG IS GOOD
85.Revolutionary / 9mm Parabellum Bullet
ごめん、100枚なかったわ
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。
前半
https://anond.hatelabo.jp/20210104090522
グループ自体はジブラの娘がラップしてることしか知らなかった。流行ってるらしい。
驚くほど歌詞が単純なんだよな。「聴き手を笑顔にしたい」ってことしか言ってない。でもその直球の励ましが却って洗練された仕事に感じる。あどけない女子が直向きに踊って歌って「元気出して」って言ってる、アイドルって結局それで十分なんじゃないか。
こういう応援ソングが受けるのも不安な世相を反映しているのかなとも思ったり。
なんか全体的に見てNizi Projectってラブライブ!ぽい。ラブライブもそんなちゃんと見たことないから大それたこと言えないけど。パフォーマンスのバックストーリーとして青春群像ストーリーを展開してるとことか、わりとパフォーマンスの方向性がべたな「カワイイ系」の日本のアイドル像ぽかったりとかなんとなく雰囲気が似てる。単純に9人組だからそう錯覚すんのかな。
出で立ちとかパフォーマンスは日本人好みにチューニングされてる感じだけど、曲自体はJ-popであまり見られない作りだったのがヒットした一要因かもしれない。あんな一定のリズムやテンションでサビまで流れ込む曲は「サビで爆発する」J-popにはなかなかなくて、それを幼さが残る可愛らしいアイドルが歌う新鮮さがあった。
まあなんだかんだいってもNiziUが売れた最大の要因はJ.Y.パークのマネジメントセオリーが注目されたことだと思ってる。
ドルチェアンドガッバーナはNHK的にセーフか否かで一部盛り上がりましたね。
オーソドックスなフォークソングのスタイルを下地に、R&Bとかレゲエのエッセンスをなんの疑問もなく混ぜ込む、このバランス感覚は今どきの若者だからこそだろうなと思う。どこまで意図したかはわからないけど結果として長渕とか井上陽水を聴いて青春を過ごした中高年から、SpotifyやTikTokに浸る今の学生世代にもしっかり刺さる名曲ができてしまった。
「香水」みたいな同じリフを繰り返すタイプのアコギの弾き語りってエドシーランとかがやってるのと同じアプローチで、エドシーランはヒップホップとかとのミクスチャーのつもりで意図的にやってるんだよね。
ヒップホップ感覚で聴けるポップスがヒットしたことに時代の変化を感じる。
「ヒップホップは歌えない」って曲も出してるけど意外と瑛人はフリースタイルとか出来ちゃいそう。
当たり障りないけど誰にも一度は経験ありそうな普遍的なシチュエーションにLINEやドルガバなどの固有名詞を放り込む詩世界も素敵だ。
Perfumeもとうとうメドレーを求められるような境地に入ったのか。来年も紅白で見たい。
せっかくの別スタジオだからライゾマティクスに期待しすぎてしまった。
Perfumeに続けてベビメタが出るのは紅白出演者の世代交代のつもりだったりとか…じゃないよな流石に。
テレビ出演してないとまだまだ認知度も比較的低いのかともに見ていた母は認知していなかった。母はあまりにも情報量が多すぎてぽかんとしていたが曲タイトルだけは「そのまんまじゃんw」と笑っていた。
今回の紅白は無観客だったり別撮りだったりでカメラワークの制限が少ないから寄りのショットやボーカルでないメンバーを抜いたショットが多いかもしれない。
サポートメンバーは博多華丸の娘さんらしい。個人的には鞘師里保に出てほしかったけど、かっこよかったね。
筒美京平追悼メドレー。
なんかちょっと背中が丸まってて流石に郷ひろみも歳とったなーなんて思ったり。ベテランはそれが味だよな。
ヘアスタイリングはあれでよかったのか?スネ夫みたいになってた。
冒頭の司会とのやりとりからして癖が強い。立ち姿からして唯一無二。こんな奴見たことない。
こんな声が裏返ってたっけ?
セットに囲まれて360度カメラがぐるっと回り込むのは無観客ならではで感心した。
この人高橋真梨子みたいにこれからちょくちょく出演するんだろうな〜
山崎育三郎は安倍なつみの前でもあんなキザな顔をしているのだろうか。
視聴者がこの件で一番期待していたのはおそらくGreeeenの顔出しじゃなくて"岩城さん"が歌う「イヨマンテの夜」だった。
3曲メドレーそしてうち1曲はフル尺という破格の待遇だが、国内トップクラスの人気を持つグループなのは間違いないし、歴代の紅白司会者かつ東京オリンピックテーマソングを歌う歌手という功労者であることは拭い去りようがないので、これもまあ妥当な扱いだろう。
昨年と同じく新国立競技場からの中継。「カイト」の合唱は広いグラウンドの真ん中で5人だけで歌っていた昨年からここまで歌が世間に浸透したんだという感慨があってよかった。でもバック映像がちょっとくどかったかなー。テロップでポエム流すのとかちょっと寒かった。
Cメロ部分をまるまる口上にしていた。普段はこういうのファン以外は喜ばないからやってほしくないと思う達だけど、今回はこの瞬間だからこそわざわざいう必要があったしいい演出だったと思う。
こういういかにもアイドルっぽい曲調の応援歌を投入してくるところにサービス精神を感じる。
NiziUでもそうだけど今ニーズがあるポップスってやっぱ応援歌なのかもな。
オリンピック関係で求められる「カイト」、自分たちが世間へのエールとして歌いたい「君のうた」、自分たちの代表曲の一つで大衆に求められている「Happiness」で、3曲披露する意義をそれなりに示してた。
さまざまな記録を提げ鳴り物入りで登場。
舞台セットが累との戦いのイメージだったり背景映像が日頃見かける紹介VTRでは見ない映像だったり。スタッフがちゃんとリサーチして作ってるのか、そこまで「鬼滅の刃」が世の中に浸透しているということなのか。なんかわからないけどディテールが凝った演出。
去年もそうだったけど紅白だとすごく歌いづらそう。PAに嫌われてんのか?
管楽のサポートメンバーイントロしか出番ないじゃんと思ってたら合いの手とかハンドクラップもやってた。
ギターも出番少ないなこの曲。
去年までは音像とか音色とかの上物は洋楽に寄せてその代わり大枠はJ-popのセオリーに従った構成で大衆性も獲得するヒゲダンとかKing Gnuみたいなのが売れるタイプだったけど、
それとは真逆で、音やフレーズは従来からあるJ-popやフォークなのに、曲のアプローチそのものは現代的な洋楽のそれに肉薄してる「夜に駆ける」や「香水」が大ヒットしたのはパラダイムシフトかもしれないな。
真ん中のアリーナステージも上手いこと使ってたね。
歌い終わりにけん玉リレーが追いついてないの一番残念なパターンかもな。
CDを出さない。ネットでは普通に露出してるしバラエティ番組にも頻繁に出るけど音楽番組は避ける。曲もそうだけど活動自体に斬新さがまだまだあると思う。
この曲って一聴するとaccessとかfripSideとかの昔からあるザJ-popって感じのシンセポップぽいんだけど、基本的にベース部分はA♭→Gm→Cmの繰り返しで、そこにB♭やE♭のコードを場繋ぎとして差し込んだり細かい細工をして展開を作ってるんだよね。それでドラムパターンも一定でクラブとかで流しても違和感なく踊れるような作りになってる。
最後のサビで半音さがるっていう転調を行ってるんだけど、コード進行がシンプルなおかげでそこがすごく目立つ。やっぱ転調は肝心なときしかやっちゃいけない技だよ。
やっぱメインボーカル2人ともいなくなるのは痛い。
いろんな曲のフレーズが散りばめられていたけど世代的になんとなくわかっちゃう。伊達に16年前からやってるバンドじゃねえわな。
この時期に阿波踊りしてるの見せられてもなんとも変に思わない歌手は椎名林檎だけだな。
最後のウィスパーボイスセクシーだな。「母親か」ってすげえツッコミだなおい。
ゆずの曲をフルオーケストラで聴く機会なんてないからこれは面白いものを見た。
篠笛の人が妙に目立ってた。刺客みたいになってた。
おじさんのあいみょん好きは本当に謎。いやいい曲だけど。
吉沢亮が出ててあいみょんが主題歌の映画なんてあったっけ?と思って調べたら、吉沢亮って「空の青さを知る人よ」の生霊の役やってたんだ!観てたのに全然気が付かなかった。流石だわ。
「マリーゴールド」のイントロのギターのフィードバック音とか「裸の心」のぽんぽん鳴ってる音とか、これよく聞くと歌が始まってもずっとループで鳴り続けてる。普通のポップスって顔しながらこういうブレイクビーツぽいのを密かに延々と鳴らし続けてるのラナデルレイみたいでかっこいい。
We Are The World的なドリームチームをさくっと作っちゃったYOSHIKIのパフォーマンス。
ロサンゼルスと中継だとタイムラグがあるだろうによくオケに合わせてピアノ弾けたな。
凄いスケール感だったけどやっぱりこの曲はまだ歌われる時期ではないような気がする。
バロック調でのオーケストラアレンジは何回も聴いた「愛をこめて花束を」に新しい解釈ができて楽しかった。
普段のでっかい花束を抱えてくる様なパワフルなパフォーマンスもいいけど、ボッティチェッリのプリマヴェーラの様な軽やかを携えたこのバージョンも好き。
自分が歌いたいマイナーな歌を歌って見ている側にも響くものがあるのが凄いな。ミスチルというブランド力だな。
モノトーンで無機質なんだけどどこか暖かみがあるセットがちょっと丹下紘希ぽい。「IT'S A WONDERFUL WORLD」から「I ❤️U」の頃が僕にとってミスチルが一番身近だったのでなんだか懐かしい気持ちになった。
ギターはアンプ直刺しでドラムセットも簡素。サポートメンバーもストリングスとピアノにかぎっていて(コーラスは被せ?)、機材がなるたけシンプルなのが潔い感じでかっこいい。
1番の終わりのコードがマイナー調で暗いのが大サビの後で暖かい響きのものに変わってるのがベタだけど良いな。
いつもの「天城越え」だけど冒頭のピアノのアルペジオが繊細な印象。
当然のように上手い。
思うことは色々あるけど、「期せずしてYOSHIKIの「Endless Rain」へのアンサーになった。」ということだけに留めたい。書ききれない気がする。
メイク濃くなってから観月ありさと見分けがつかなくなってきてる。
「どうなっちゃうんでしょうね」
この曲カバーしてる人何人かいるけどかわいくみせてやろうって衒いがあるんだよね。本人は流石にすっきりしてる。
合唱やる人多すぎてここにきてなんか見飽きだしてたから、冒頭の演出で「またか」とはやとちりした、すまん。
「守ってあげたい」は名曲。カバーだと鬼束ちひろバージョンが好き。
20分くらいまえから時たま怒号が聞こえてた気がするけど、玉置浩二のスタンバイでなんかトラブルあったのかな?
「田園」だからベートーベンの「田園」をモチーフにしてるのか。Superflyのときも思ったけどオーケストラアレンジもいつになく拘ってたよな。
良くも悪くも星野源と対照的なパフォーマンス。星野源が月なら福山雅治は太陽みたいな人。僕みたいな日影者はなんか感覚が合わないな。嫌いじゃないけど。
まだ13回しか出てないのなんか意外だわ。
今剛は一瞬しか映らなくてもすぐわかるな。今剛とJマスシスぐらいだろそんなの。
MISIAは鼻腔共鳴が半端なさすぎてたまに何言ってるのかわからないときがある。でもそんなこと気にならないほど歌が上手いからなんとかなってる、圧巻。
サブちゃんの「今の若者は世界を歌ってる」っつうのは的確なコメントだったと思う。ただコメント全体的に長かった。
ジャニーズ多かった。2枠をJO1とDISH//に譲るべきだ。
優勝旗ってどこに保管されてるんだろうね。
髭男見てて、「この曲知らんわー。」(チャンネル変えられる)
紅白で東京事変を見てて、「ボカロ曲みたい。初音ミクが歌った方がいいよな。」って感想にイラッ。
(いや。事変の方が先人だし。ボカロの方がインスパイアされてるし。)
YOASOBIを見てて、「ボーカルの人可愛くないな。」って感想にイラッ。
(今年、散々夜に駆ける聞きまくってたやんけ。歌が良ければええやろがい。)
ガキ使を見てて、 「TKOの人何したん?」(説明する)「ふーん。そのニュース知らんとここ笑えないわ。(スマホでゲーム)」
イラッ。
イライラするのは私のせいだろうか。
地域柄もあるが、僕が小学生の頃ピアノを習っている男子はクラスに1人いるかいないかくらいだった。当時「男のくせにピアノかよ」「ピアノとかお坊ちゃんかよ」みたいな、今風にいうと”ハラスメント”を受けていた記憶がある。
だがピアノという楽器を取り巻く世の中は大きく変わってきた。状況を整理したくなったので書き留める。
中高の頃バンド活動に興味を持った時にはじめに手に取った楽器はギターだった。僕は小さい頃からピアノをやっていたが、バンドで鍵盤を弾くという選択肢は頭に浮かばなかった。バンドといえばボーカル・ギター・ベース・ドラムという編成が主流だと思っていたからだ。当時の僕の周りではバンドでやる曲といえばアジカン、バンプ、エルレなどが主流だったし、もっと前から人気があったミスチルやラルクなんかもキーボードは正規メンバーにはいない。
しかし数年後にはバンドにキーボードがいるのが当たり前という感覚になっていた。東京事変などのバンドやボカロ曲、アニソンを演奏する人が増えて、大学のサークルではキーボーディストが引っ張りだこになっていた。「けいおん!」の影響もあるのかもしれない。さらにゲス極、セカオワ、ヒゲダンなどピアノが目立つバンドは増えていった。
YouTubeやニコニコ動画でピアノを弾いている人は10数年前からいたが、そういう動画を見るのはネットに入り浸った一部のオタクという感じだった。だがここ数年で状況は大きく変わってきている。
スマホを全世代のほとんどの人が持つことにより、ネット動画を見るのは一部のオタクの趣味ではなくなった。YouTubeで音楽を聴くのはどの世代でも当たり前のこととなっている。そして、今までテレビだけ見ていたような人たちでも自然に楽しめるような「顔出しアングル」、「観客の反応」、「解説テロップ」、「ドッキリ」等の要素を持つストリートピアノ動画が2019年に流行った。
2020年には外出自粛の影響もあり、それまでコンサートをメインでやっていた演奏家もYouTubeチャンネルを持つことが当たり前になった。メジャーアーティストも「無観客ライブ」を行うことが増えて、ネット配信を見ることがどんどん一般的になってきている。
僕が小さい頃ピアノは教育ママが女の子に習わせるお稽古で、ピアノコンサートは一部の金持ちが見る高尚なもので、流行りの音楽に含まれるピアノは縁の下の力持ちポジションだった。ピアノを弾くといえばほとんどクラシックかジャズの二択しかなかったように思う。
それが今や、ピアノを弾きたがる男の子も(実感としては)増え、アニソンやポップスのピアノを弾くYouTuberを一般大衆が聴き、バンドのMVでは派手にピアノを弾くカットが流れる世の中になっている。クラシックでもジャズでもないポピュラー音楽を耳コピしてアレンジしながら弾く人も増え、彼らは発表会やコンサートという閉じた空間ではなく誰でも気軽にアクセスできるYouTubeやストリートピアノで、プロとアマチュアやジャンルという垣根もなく演奏を楽しんでいる。
質の低い演奏が蔓延しているとか、正統派のプロよりYouTuberが持て囃されるのはどうなのかとかネガティブな考え方もあるけど、個人的にはピアノをより多くの人が多様な形で楽しめるようになっていくのは嬉しい。
僕の狭い視野で感じたことなので「昔からサザンとかX JAPANとかいたじゃん」等の反論もあるかもしれないが、なんとなく思っていたことを整理できてスッキリした。今後はどうなっていくのだろうか。ピアノ演奏者にとっては、披露する機会も多いがライバルも多いという状況になっていきそう。