「真夏の通り雨」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 真夏の通り雨とは

2023-07-21

くっそネチネチじめじめし真夏日熱帯夜に聞きたい曲教えて

暗くなる夜8時以降の曲でお願いしま

コンビニアイス買いに家から出たとき

モアっと熱気が来るアスファルトから日中熱く焦げた匂いがする曲

自分はこの季節になるといつもこの曲聞く

宇多田ヒカル 真夏の通り雨

ケツメイシ よる☆かぜ

2021-07-16

死んでしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてくれた皆様へ

死んでしまった大切な人に思いを馳せる曲を教えてくれ

anond:20210615105840

1ヶ月ほど前にこのエントリを書いた者です。

ご紹介いただいた皆様にはあらためて感謝申し上げます

ご紹介いただいた曲を1日数曲、休日10数曲ずつ、YoutubeもしくはSpotifyで聴けるものは全て聴きました。

申し訳ありませんが、洋楽とクラッシックは今回はスルーさせていただきました。

どの曲も素晴らしかったのですが、その中で1曲、今の私の心にすごく寄り添ってくれる曲に出会いました。

それは藤井風さんの「帰ろう」という曲です。

藤井風さんの曲はこれまでも何曲か聴いたことがありましたが、この「帰ろう」という曲は今回初めて知りました。

Spotifyで初めて耳にし、涙が止まりませんでした。

Youtubeでこの曲のMVを視聴して、また泣きました。

MV雰囲気椎名林檎さんの「ありあまる富」の雰囲気に似ているなと思ったら、どちらも児玉裕一さん監督作品で納得しました。

Youtubeには藤井風さん本人によるこの曲についてのインタビュー動画もありました。

https://www.youtube.com/watch?v=36fhfRh_iVk

幸せ死ぬにはどう生きたらええの?」わしはまだもがいてます。だから生きてます。だから、生きることを、もがくことを諦めんでください。きっと無事に、幸せに、安らかに帰れるから



藤井風さんの「帰ろう」以外にも、強く心をゆさぶられた曲を挙げます(順不同)。

THE TIMERS「デイ・ドリームビリーバー

クラムボン幸せ願う彼方から

スピッツ「楓」

スピッツ「みなと」

ハンバートハンバート「おなじ話」

宇多田ヒカル真夏の通り雨

宇多田ヒカル桜流し

山崎まさよしOne more time, One more chance

・手蔦葵「ただいま」

東京事変「落日」

柴田淳「桜日和

森山直太朗「夏の終わり」

荒井由実ひこうき雲

妻を喪った悲しみはまだ癒えることなく、これからも完全に癒えることはないと思うのですが、

教えていただいたこれらの曲と伴に、この悲しみとうまく付き合っていければと今は思っております

最後に、あまり関係ないのですが、頂いたコメントで何件か「平沢進」という初見アーティストが挙がっていたので少し調べてみたら「米津玄師が影響を受けたアーティスト」と出てきたのでこれはと思い、Youtube検索したら「平沢進を知らない人のための10分でわかるかもしれない平沢進」なる動画が出てきたので拝見したのですが…正直何が起こったのか私にはわかりませんでした。素人がこれ以上足を踏み入れてはいけない世界のような気がしました。

2021-03-15

宇多田ヒカル真夏の通り雨エモい

ヘビー級にエモ過ぎてつらい

なんで平日の昼間にこんな曲に出会ってしまったのだろうか

2018-02-25

父親の死から7年経った。

父親の命日に偶然この曲を聴いた。

翌日、なんとなく聞き返し涙が止まらなくなった。

宇多田ヒカル - 真夏の通り雨

https://www.youtube.com/watch?v=f_M3V4C8nWY

父親の死から7年経った。

7年経っているにも関わらず。

61,368時間以上経っているにも関わらず涙が止まらなすぎる。

まらなすぎて困るので、父親の死を日常面と精神面に分けて考える。

日常面】

日常面において、高校を出てから一緒に生活していないため、日常生活において変化はほとんどなかった。

法事墓参りの日が年に数日増えるくらい。

法事・お参りや(月)命日に、思いを馳せたり、自身の現状と父親を重ね合わせる。

自分の年齢の時に父親はどのような事を考えていたのかな。

自分可能性を病気に奪われるのは悔しかっただろうな。

やりたい事が山ほどあっただろうな。

精神面】

精神面において、父親の死を受け入れるのにとても時間がかかった。

良いことも悪いことも報告できない。

自分が頑張っている姿を見せられない。

言葉(思い)を交わしたり、一緒に食事をしたり、酒を飲んだり、喧嘩したり、感謝を伝えることはできない。




仏壇に向かって報告をする。

脳内で会話をする。

誰もいない実家に帰り、父親の座っていたソファに座り想像する。

時の経過に伴い自身の中で折り合いがついてくる。

目の前のことに注力して結果を出すことで、受け入れられているような気がする。

精神面において、父親の死をある程度受け入れている自信があった。

それでも今、涙が止まらない。

真夏の通り雨を聴いて涙が止まらないのは、父親の死を消化しきれていないからだと思う。

受け入れているという自信の中身は、自分を忙しくして目の前の事に心血注ぐことで、父の死を忘れようとしていた弱さなのかもしれない。

これ以上ないバランスで、美しく洗練された宇多田ヒカル歌詞に、俺の心の底を全部掘り返されてしまった。

7年の時間が経っても通り雨は降ってくる。

親の偉大さ、自分の幼さ、感謝の不足を突きつけられて感服する。

そのおかげで恥じない(負けない)ように生きようと心底思う。

そう思わせてくれた宇多田ヒカル(とYouTube)には足を向けて寝られない。

宇多田ヒカルさん(とYouTubeさん)、本当にありがとうございます

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん