はてなキーワード: X JAPANとは
サイレントジェラシーって楽曲聴いててギターソロが滅茶苦茶かっこいいんだよな
でもなんか耳障りなのがあるんだ
その答えがようやく分かった、ボーカルだ
わざとらしいドラムもアレだけどメガデスやメタリカもこんなわざとらしいドラミングをするのでメタルバンドではお馴染みなんだろ
でもボーカルがその域に追いついてないんだ
確かにハイトーンで中々あんな高音を維持して歌うのは難しいのでレベルは高いと思う
でもあのボーカルのせいでせっかく楽曲というかギターソロが真面目に憧れる格好良さなのに全体を通して聴くと何となく下手に聞こえてしまうし
何なら耳障りだった。
フォーエバーラブだっけ?小泉元総理がこよなく愛してるあの曲だってボーカルちょっと邪魔だなと思えるよ
あの歌い方がダメなのかな
インペリテリのギターソロは全部同じに聴こえるってのと同じであのボーカルが歌うと全部同じに聴こえちゃう
多分そういう事なんだろうね
ボーカルいる?いやそれともボーカル代えた方が良いんじゃないかな
それでかなり変わると思う。イカ天出身のイロモノバンドの扱いを受けてたのはボーカルが微妙でかつビジュアル系の走りと称される位メイクきついからだったんじゃないかな
さきごろ第2弾の発売も発表されたメガドライブミニ。メガドラと来たら次はサターンだろうという期待も高まるのは無理からぬこと。
というわけで今回はセガサターンミニが実現すれば入るであろうソフト、入ってほしいソフトをセレクトしてみた。
まず便宜的にセガがパブリッシャーのゲームを20本、セガ以外のゲームの20本とする。メガドラミニよりはややサードパーティーの比率が増えることになる。
さらに以下の縛りを設ける。
『レイアース』はキャラゲーながら、SSの初期において最も評判の良かったRPGのひとつである。キャラゲーも収録できることはメガドラミニで証明されているため、今回のリストに加えた。『ばくばくアニマル』は落ち物パズル枠。サターン互換基板のST-Vで動いていたアーケードからの移植作。『バーチャ2』はSSのローンチタイトルである『バーチャ1』と迷ったが、セガ初の国内ミリオンセラー樹立という記念碑的なタイトルであり、1995年の年末商戦におけるSSのひとときの勝利を牽引した存在でもある。『クロックワークナイト』は既発売の上下分作をまとめたもの。収録されている『クロックワークナイト ~ペパルーチョの大冒険・上巻~』はローンチではないもののハード発売から2週間後に発売されたというハード初期に強い印象を残したタイトル。『ガーディアンヒーローズ』はトレジャー枠。Xbox 360でHD版が配信されたが、プレイできる環境はさほど多くない。『NiGHTS』はソニックチームが開発したSSを代表する新規IP。でもこれ入れるならコントローラーはマルコン必須になるね。『デカスリート』は気楽に遊べるゲーム枠。アーケード版はST-V基板。コンビニ専売だった『MR.BONES』は洋ゲー枠。『ファイターズメガミックス』は移植作ではないSS独自の格闘ゲームということでリストアップ。『デイトナUSA CE』は出来のよろしくなかった無印版とは違い、SS版『セガラリー・チャンピオンシップ』のスタッフが手掛けた再移植+追加要素版。権利関係が問題ない場合『セガラリー』でも良い。『ダイナマイト刑事』はこちらもアーケード版はST-V基板。『ソニックR』はSSでは貴重なソニック枠であり、洋ゲー枠でもある。『AZEL』は既に『ツヴァイ』もリストアップしてるパンツァードラグーンシリーズの一作だが、ジャンルが違うから入れてもいいだろう……と判断。これまで移植もされておらず、サターンミニを出すならまず入るでしょ。『バーニングレンジャー』はソニックチーム開発の3Dアクション。この時期の3Dアクションは正直現在やると相当厳しいと思うが、このタイトルをプレイする手段はSS以外にない。『せがた三四郎 真剣遊戯』はハードのシンボル的存在であるせがた三四郎のゲームであり、また気楽にプレイできるミニゲーム集でもあり、さらにエコール開発という微妙にデス様成分もある。
『ヴァンパイアハンター』はヴァンパイアシリーズの2作目。本作と近い時期にPSでは前作『ヴァンパイア』が移植されたのだが、その出来は散々なものであり、当時SSユーザーはそれらを較べてSSの優位性をこれでもかと誇っていたのだった。『ダークセイバー』はメガドラミニにも収録された『レディストーカー』の精神的続編。『ポリスノーツ』はPSなどでも発売されたタイトルだが、最後に発売されたSS版は追加要素を加えた完全版である。『ネクロノミコン』は、高品質なデジタルピンボールでSSにおいて存在感を見せたKAZeの代表作のひとつ。『エネミー・ゼロ』は『リアルサウンド ~風のリグレット~』と迷った。ゲームとしての評価は分かれるが、飯野賢治は当時のSSユーザー、メディアのとってのアイドルだった。『月下の夜想曲』はPS版より後に発売されたため追加要素が加えられている。『心霊呪殺師 太郎丸』はカルト的な人気があるプレミアソフト。『グルーヴ・オン・ファイト』は豪血寺一族シリーズの中の一作。最近、表現上の理由によりシリーズの復刻が断念されたが、問題(とされる)シリーズキャラは本作には登場していない。ついでにアトラス枠。『バルクスラッシュ』は元テクノソフトのスタッフが手掛ける3D箱庭アクションシューティングでマイナーだがSSユーザーからの評価は高い。『七ツ風の島物語』はエニックスのSS参入第一弾。こだわり抜いた世界観とグラフィックが特徴のアドベンチャーだが、現在までSS以外に遊ぶ手段がない。『グランディア』はPSにも移植されているものの、やはりSSのRPGのと言えばこれだろうことで選出。『ソロ・クライシス』は同じクインテットの『アクトレイザー』のシミュレーションパートを膨らませたようなゲーム。ミニにはこういうマイナーゲーが一つくらい入ると予想。『センチメンタルグラフティ』は発売前に一大旋風を巻き起こした恋愛アドベンチャー。SSの一大勢力だったギャルゲーが不足気味なのでここで補充したい。『リンダキューブ 完全版』はPS版より後発だったおかげで完全版として発売された。『レイディアントシルバーガン』はトレジャーの傑作シューティングだが、実機以外では『ガーディアンヒーローズ』と同じくXBLAでの配信にとどまる。
『街』、『クロス探偵物語』、『カルドセプト』、『ソウルハッカーズ』、『サンダーフォースV』、『シルエットミラージュ』はPS版にバージョンアップ(諸説あり)を含む移植版が発売されたため優先度が大幅に低くなる。
だいたいは権利関係で面倒くさそうなやつ。『セガラリー・チャンピオンシップ』はセガ公式サイトに掲載されているアーケード版のプレイ画像でCastrolロゴにボカシがかけられている。 → https://sega.jp/history/arcade/uploads/2019-01-03_ss01_segarally-1-1.jpg 。でもPS2には移植されてる。
私は以前スピリチュアルにはまっていて、総額300万円以上費やしていた。だから小林麻耶さんみたいな人とたくさん会ってきたし、自分もそんな時があった。亡くなった人や聖なる存在(守護霊とか神とかエンジェルとか龍とか)から声が聞こえるとか言って、自分の都合の良い解釈をして人に伝えるのだ。そこには「私はそういう声が聞こえる特別な存在なのだ」という自尊心を高める要素もあり、一度ハマると抜け出せなくなる。私はそういう声を聞くために講座に通ったこともあるし、確かにそんな声が聞こえるような気がして、聞こえた言葉通りに行動したり、ブログに書いたりしていた。すると、ブログでいいねをたくさんもらったり、スピリチュアル部門のランキングに載ったりするようになり、ますますその気になってしまった。ただ私生活ではそのような面はできるだけ出さないようにしていた。変な人と思われるのが嫌だったからだ。
私がスピチリュアルの世界から去ったのは、私生活に影響が出始めたからだ。最初は興味本位で踏み入れていたのだが、入ってしまうとズブズブと抜け出せなくなる。スピリチュアル界の著名人はよく「○○ヒーリング習得コース」などを開き、それを履修すると資格がもらえるパターンがある。国家資格でもないし何の意味もないのだが、ひとつスキルを獲得したようで嬉しくなる。コースは初級は数万円だが、中級、上級となると10万円、20万円とどんどん高くなる。彼らはそうやって儲けを出しているのだ。パワーストーンやパワーソルトやアクセサリーなどグッズは尽きず、私も収入の大半をスピリチュアルにつぎ込んでいた。
そうしているうちに、私は自分が「一角の人物」になっているような感覚になった。一般人とは違う能力を持ち、常識の中で生きている人たちを見下すような気持ちになっていった。初めはその気持ちを言葉に出すことはなく内に秘めるだけだったのだが、少しずつ表に出すようになっていった。スピあるあるの一つとして、「本音で生きる」というものがある。周りの目を気にせず、自分の思ったことを話し、思ったとおりに行動すべきだという考え方だ。そうすると宇宙が味方をしてくれる、周りが去っていったとしてもそれでいいという覚悟を持て。こんな教えなので、私は家族や友人にそのような態度で接するようになっていった。そうすると自然に友人たちは私から離れていってしまった。でも私は「理解できる人だけが残ればいい」、そんな気持ちだった。
そんなある日。私が受けていたスピリチュアルの講座で、先生とマンツーマンでセッションを受けていたときのことだった。先生が私に強い口調で説教をし始めたのだ。「あなたほど心の弱い人間はいない」「逃げてばかりだ」などと一時間以上説教をした。初めはそうなのかと我慢して聞いていたのだが、よく考えると私はこの1回90分のセッションで2万円払っている。2万円払って説教するだけ?それっておかしくない?流石に私にも怒りが込み上げてきた。セッションが終わり、一人になって考えみた。何かがおかしい。違和感がある。ここで私はX JAPANのToshiが書いた「洗脳」という自伝を思い出した。Toshiは洗脳側であるMASAYAに散々こき使われ罵倒され殴られてきたのだけど、洗脳が解けなかった。だが「お金を稼ぐためにX JAPANの活動を再開していい」という話をMASAYAから聞いたとき、「結局金かよ」と思い、そこから洗脳が解けたということだった。私もそうなのかな?私は先生のストレス発散と金儲けの金づるとして使われてるだけなのでは?まさか?でもここまでお金と時間を使ってきたのだし、今更・・・。
そんな気持ちにもなったのだけど、私はこのセッションでこの講座を辞め、先生から遠ざかった。そして次に、散々悩んだのだけど、ブログも閉鎖することにした。辞めないといけない、そんな気持ちが強かった。ブログを閉鎖してもGoogleのキャッシュには残るので、それも削除依頼を出した。なんだか恥ずかしくなって、なにもかも消してしまいたかったのだ。ブログをやめたことにより、ブログ繋がりの友人とも疎遠になった。先生とも会わなくなったので、それ繋がりの友人とも会わなくなった。ああ私は一人ぼっちになってしまった。以前からの友人には冷たくしてしまったし・・・。でもこのままではいけないと思い、LINEで謝りのメッセージと、スピリチュアルはやめたことを伝えた。すると、数人の友人とはまた繋がることができた。スピリチュアルグッズは全て捨てた。書籍も全て捨てた。これまでのお金と努力が、とも思ったが、捨ててしまえばスッキリもした。結果、生活にスピ関係のものは一切なくなった。
こんな経緯があったから、小林麻耶さんの陥ってる状態がなんとなく分かる。スピリチュアルは危険なのだ。趣味の一部として軽い感覚でする(パワーストーンを身につけるとか、パワースポットに行くとか)レベルなら大丈夫だけど、大金をつぎ込むようになったり、誰かに説教するようになったら危険水域に達している。でもここまで来ると誰も止められなくなる。スピリチュアルを教えている側は、それがビジネスなので、辞めろとは決して言わない。むしろ、あれをしろこれをしろと、最終的に自身の稼ぎにつながるようなアドバイスをしてくる。けれど周囲はすでに離れてしまっているので、もう止める人が誰もいない。じゃあ誰が止めるのか?それは、自分自身しかいない。Toshiさんもそうだったし、私もそうだった。洗脳に気付けるのは、最終的に自分自身しかいない。だから、小林麻耶さんも、自分が間違っていることに自分で気付くしかない。
では周りの人間は何もできないのだろうか。いや、できることはある。それは、間違ってると気付いた人を、もう一度暖かく受け入れることだ。Toshiさんもその後復帰して素晴らしい活躍をしているし、私自身も友人に受け入れられ元の生活に戻ることができた。小林麻耶さんも、いつか気づく日が来ると思う。数年後とか、もっと先になるかもしれないけど、彼女が気づき、現在のような状態から完全に足を洗い、謝って反省したとき、世の中に彼女を受け入れる優しさがあればいいなと思う。少なくとも私は受け入れたい。私自身もそうだったから。
これの続きです。
https://anond.hatelabo.jp/20220312204148
反応をくれた人ありがとう。少し追加で書いてみる。
結論としては、
「ミックスボイスは出せつつあるが、完成には至っていない」
だと思った。
ミックスボイスというのは、簡単に言えば裏声と地声が混ざった声なのだが、
声がキンキンして少し聴きにくい。
あと、ミックスボイスで歌うとしても、低い音は地声で歌うことになる。
だから、地声からミックスボイスへ変わる地点がある(換声点と呼ぶらしい)。
でも自分の場合はちょっとバレてしまう。「あ、今歌い方変わった」みたいな。
例えばX JAPANのForever Love だと、ちょうどその換声点で曲が高くなる曲になってるので歌いやすいが、
互いの声を寄せていくことだと思う。
ただ、やっと歌に道が開けたようで、嬉しい。
今ちょっと歌ってみたら、スピッツのロビンソンを座りながら楽に歌えたよ。
おとといまでスピッツは3つキーを下げないと歌えなかったのに。
未だに信じられないよ。夢じゃないよな?
また進捗があったら書きたいと思う。
読んでくれてありがとう。
地域柄もあるが、僕が小学生の頃コロッケそばを習っている男子はクラスに1人いるかいないかくらいだった。当時「男のくせにコロッケそばかよ」「コロッケそばとかお坊ちゃんかよ」みたいな、今風にいうと”ハラスメント”を受けていた記憶がある。
だがコロッケそばという楽器を取り巻く世の中は大きく変わってきた。状況を整理したくなったので書き留める。
中高の頃バンド活動に興味を持った時にはじめに手に取った楽器はギターだった。僕は小さい頃からコロッケそばをやっていたが、バンドで鍵盤を弾くという選択肢は頭に浮かばなかった。バンドといえばボーカル・ギター・ベース・ドラムという編成が主流だと思っていたからだ。当時の僕の周りではバンドでやる曲といえばアジカン、バンプ、エルレなどが主流だったし、もっと前から人気があったミスチルやラルクなんかもキーボードは正規メンバーにはいない。
しかし数年後にはバンドにキーボードがいるのが当たり前という感覚になっていた。東京事変などのバンドやボカロ曲、アニソンを演奏する人が増えて、大学のサークルではキーボーディストが引っ張りだこになっていた。「けいおん!」の影響もあるのかもしれない。さらにゲス極、セカオワ、ヒゲダンなどコロッケそばが目立つバンドは増えていった。
YouTubeやニコニコ動画でコロッケそばを弾いている人は10数年前からいたが、そういう動画を見るのはネットに入り浸った一部のオタクという感じだった。だがここ数年で状況は大きく変わってきている。
スマホを全世代のほとんどの人が持つことにより、ネット動画を見るのは一部のオタクの趣味ではなくなった。YouTubeで音楽を聴くのはどの世代でも当たり前のこととなっている。そして、今までテレビだけ見ていたような人たちでも自然に楽しめるような「顔出しアングル」、「観客の反応」、「解説テロップ」、「ドッキリ」等の要素を持つストリートコロッケそば動画が2019年に流行った。
2020年には外出自粛の影響もあり、それまでコンサートをメインでやっていた演奏家もYouTubeチャンネルを持つことが当たり前になった。メジャーアーティストも「無観客ライブ」を行うことが増えて、ネット配信を見ることがどんどん一般的になってきている。
僕が小さい頃コロッケそばは教育ママが女の子に習わせるお稽古で、コロッケそばコンサートは一部の金持ちが見る高尚なもので、流行りの音楽に含まれるコロッケそばは縁の下の力持ちポジションだった。コロッケそばを弾くといえばほとんどクラシックかジャズの二択しかなかったように思う。
それが今や、コロッケそばを弾きたがる男の子も(実感としては)増え、アニソンやポップスのコロッケそばを弾くYouTuberを一般大衆が聴き、バンドのMVでは派手にコロッケそばを弾くカットが流れる世の中になっている。クラシックでもジャズでもないポピュラー音楽を耳コピしてアレンジしながら弾く人も増え、彼らは発表会やコンサートという閉じた空間ではなく誰でも気軽にアクセスできるYouTubeやストリートコロッケそばで、プロとアマチュアやジャンルという垣根もなく演奏を楽しんでいる。
質の低い演奏が蔓延しているとか、正統派のプロよりYouTuberが持て囃されるのはどうなのかとかネガティブな考え方もあるけど、個人的にはコロッケそばをより多くの人が多様な形で楽しめるようになっていくのは嬉しい。
僕の狭い視野で感じたことなので「昔からサザンとかX JAPANとかいたじゃん」等の反論もあるかもしれないが、なんとなく思っていたことを整理できてスッキリした。今後はどうなっていくのだろうか。コロッケそば演奏者にとっては、披露する機会も多いがライバルも多いという状況になっていきそう。
地域柄もあるが、僕が小学生の頃ピアノを習っている男子はクラスに1人いるかいないかくらいだった。当時「男のくせにピアノかよ」「ピアノとかお坊ちゃんかよ」みたいな、今風にいうと”ハラスメント”を受けていた記憶がある。
だがピアノという楽器を取り巻く世の中は大きく変わってきた。状況を整理したくなったので書き留める。
中高の頃バンド活動に興味を持った時にはじめに手に取った楽器はギターだった。僕は小さい頃からピアノをやっていたが、バンドで鍵盤を弾くという選択肢は頭に浮かばなかった。バンドといえばボーカル・ギター・ベース・ドラムという編成が主流だと思っていたからだ。当時の僕の周りではバンドでやる曲といえばアジカン、バンプ、エルレなどが主流だったし、もっと前から人気があったミスチルやラルクなんかもキーボードは正規メンバーにはいない。
しかし数年後にはバンドにキーボードがいるのが当たり前という感覚になっていた。東京事変などのバンドやボカロ曲、アニソンを演奏する人が増えて、大学のサークルではキーボーディストが引っ張りだこになっていた。「けいおん!」の影響もあるのかもしれない。さらにゲス極、セカオワ、ヒゲダンなどピアノが目立つバンドは増えていった。
YouTubeやニコニコ動画でピアノを弾いている人は10数年前からいたが、そういう動画を見るのはネットに入り浸った一部のオタクという感じだった。だがここ数年で状況は大きく変わってきている。
スマホを全世代のほとんどの人が持つことにより、ネット動画を見るのは一部のオタクの趣味ではなくなった。YouTubeで音楽を聴くのはどの世代でも当たり前のこととなっている。そして、今までテレビだけ見ていたような人たちでも自然に楽しめるような「顔出しアングル」、「観客の反応」、「解説テロップ」、「ドッキリ」等の要素を持つストリートピアノ動画が2019年に流行った。
2020年には外出自粛の影響もあり、それまでコンサートをメインでやっていた演奏家もYouTubeチャンネルを持つことが当たり前になった。メジャーアーティストも「無観客ライブ」を行うことが増えて、ネット配信を見ることがどんどん一般的になってきている。
僕が小さい頃ピアノは教育ママが女の子に習わせるお稽古で、ピアノコンサートは一部の金持ちが見る高尚なもので、流行りの音楽に含まれるピアノは縁の下の力持ちポジションだった。ピアノを弾くといえばほとんどクラシックかジャズの二択しかなかったように思う。
それが今や、ピアノを弾きたがる男の子も(実感としては)増え、アニソンやポップスのピアノを弾くYouTuberを一般大衆が聴き、バンドのMVでは派手にピアノを弾くカットが流れる世の中になっている。クラシックでもジャズでもないポピュラー音楽を耳コピしてアレンジしながら弾く人も増え、彼らは発表会やコンサートという閉じた空間ではなく誰でも気軽にアクセスできるYouTubeやストリートピアノで、プロとアマチュアやジャンルという垣根もなく演奏を楽しんでいる。
質の低い演奏が蔓延しているとか、正統派のプロよりYouTuberが持て囃されるのはどうなのかとかネガティブな考え方もあるけど、個人的にはピアノをより多くの人が多様な形で楽しめるようになっていくのは嬉しい。
僕の狭い視野で感じたことなので「昔からサザンとかX JAPANとかいたじゃん」等の反論もあるかもしれないが、なんとなく思っていたことを整理できてスッキリした。今後はどうなっていくのだろうか。ピアノ演奏者にとっては、披露する機会も多いがライバルも多いという状況になっていきそう。
例えば欅坂46の黒い羊とかは出だしの音が低すぎて、それだけの声域をカバーしている歌手は歌唱力に定評のある人を入れても限られてくる。
もっともそれは平手友梨奈等の特定のメンバーが歌えればそれでいいという考えで作られたのかもしれないが。
また往年の小室ファミリーやX Japanは明らかに苦しそうだったし、作曲した当人も歌い手のことはあまり考慮していなかったような言動をとっている。
最近でもKing gnuの井口理が白日のレコーディングの際にデモテープを聴いてあまりの難しさに戸惑ったというような発言をしていたりする。
もっとも作曲者が「これくらいなら大丈夫」と決め打ちで曲を作ってしまうより、自分に易々とできることだけ歌手本人に好きにやらせてしまったほうが
ロックやバンドそのものがもう最盛期の過ぎたものになってしまったとは思うが、