はてなキーワード: SAKURAドロップスとは
に触発されて作ってみたら全然30曲じゃ足りなかったので50曲になりました。
H2Oじゃない方。夏休みの朝、ラジオ体操から帰ってきて視聴する「らんま1/2熱闘編」。
亀田誠治が偉大すぎる。
RIP SLYMEはメンバー間で色々あったようで空中分解してしまって悲しい。
唯一無二のシンガーソングライターだと思う。
タワレコで何の気なしに視聴したら好みにドンピシャでハマった。
Aメロを家で口ずさんでいたら夫に「こわい」って言われた。
ヘッドフォンで聴いているとハヤシのHey!が右からやってくる。
コーラスワークが綺麗で清涼感がある。
盆踊りに流したい。
色気のあるベースから始まり更に色気のあるヴォーカルが乗っかる。
こういうかっこいいアニソンが量産されてほしい。
FM802のヘビーローテーションになっていたのをよく覚えている。
準新作だと気づかずに7泊8日レンタルして返却時涙目になった。
シンセサイザーの響きには近未来感を感じるけど同時に哀愁も漂っていてすごいと思う。
高校生の時付き合っていた彼氏に「この曲を歌えるようになってほしい」と言われ「無茶な」と思った。
今聴いてもサウンドのすべてがおしゃれ。
夏の終わりに聴きたい。
Salyuも唯一無二の歌声だな。サビのハモりが気持ちよすぎる。
甘酸っぱさ満点。
確か、歌詞の視点が独特なのをROCKIN' ON JAPAN誌上でツッコまれてた。
2006年のRUSH BALLのオープニングアクトで一目惚れした。
私のBUMP OF CHICKENはここから。
多幸感あふれるメロディーとストリングスと大サビの歌詞の対比が好き。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
Apple Musicで検索しながら作ったので、サブスクに入ってなくて漏れた曲がいくつかあります。
SAKURAドロップス宇多田ヒカルが頭に流れてるわなんだこれ
ませてたから、これが評判があまり良くない部類に入るだろうと、見終わった時には勘付いていたよ。
それでもやっぱり子どもの心にはあの映像やストーリーが響いたね。
今でも時折見返しては、当時感じた熱量がよみがえってくる。
もちろん酷い部分は酷いままだし、知識や経験を積んだ分、新たに酷いなと思うところも見つかる。
それでも、travelingやSAKURAドロップスのMVを繰り返し見ていたときの気持ちがよみがえってくる。
ああいった強い映像に憧れていた気持ちが思い出されてくるんだ。
だから、この映画は多分俺にとって特別なものなんだなあと思う。
これからも時折思い出したように見返すだろう。
何度も見返していると、一時期は酷いと思ってた部分を、これはこれでいいなと思えるようになることもあるんだ。
たまに、わいたようにクソ映画代表として名前が挙がると、世間からも忘れられてないんだなあと思って嬉しくなる。
CASSHERNのタイトルをみて、事故みたいに本編をみる人が少しでもいたらいいなと思うよ。
検査薬で陽性が出て喜んで向かった病院で告げられたのはおそらく陽性と思われるが腫瘍があり、出産は難しいだろうとのこと。
そしてその言葉の通り、一ヶ月も経たずしてお腹の子は育つことを諦めてしまった。
ちょうどその頃、手術で落ち込んでいるわたしの耳に流れてきたのは彼女が卵巣腫瘍の手術で活動休止するとのニュースだった。
それまでは単なる1ファンとして彼女の音楽を楽しんでいたのだけど、それがきっかけで親近感が深まったのも確かだった。
当時わたしより8つも若い19歳だった彼女にとっても、それは女性としての将来に大きな不安だったに違いない。
その時彼女はまだ独身で、だからといって辛いことに変わりはないのだけど、わたしにはそれが彼女にとってせめてもの救いのように感じられたのだ。
そんな彼女の復帰はアルバム「Deep River」の発売とともに伝えられた。
SAKURAドロップスやtraveling、FINAL DISTANCE、光などどれもヒット作が並び、彼女の作るアルバムはいつでもベスト盤みたいなものだ。
でも今回はちょっと違ってた。
アルバムのタイトルにはそれまでヒットした曲を選ばず、全くの新曲である「Deep river」を選んでいた。
そしてその曲はそれからわたしを何度も泣かせることになった。
点と点をつなぐように
線を描き指がなぞるのは
私のきた道それとも行き先
線と線を結ぶ二人
怖くないけれど
この歌い出しに、わたしは自分の誕生と妊娠をイメージし、そして全てが辿り着く先を思った。
お腹のこどもはたまたまわたしより先に辿り着いてしまったけど。
Oh Oh 何度も姿を変えて
小さな血の塊みたいだったけどたしかにわたしのこどもは存在した。
あのまま育っていたらどんな姿をしていたのだろう。またわたしのもとに舞い降りてくれる日は来るのだろうか。
わたしはその時、そんなことばかり考えてはこの曲を繰り返し聞いていた。
この歌は、「潮風に向かい鳥たちが今飛び立った」という言葉で締めくくられる。
わたしにはそれが、渡り鳥のように次の場所を目指して飛んでいってしまった自分のこどもを強く思わせた。
テレビに何度も流れたこの曲のPVでは、彼女は浜辺で静かに横たわりながら歌っていた。
その姿は、それまで前向きに考えようと強がっていたわたしにそうやって静かに悲しむこともできるんだと教えてくれた。
そんな曲を聞いたばかりだったわたしは、うれしいと思いながらちょっとだけ不安にも思った。
その後の彼女が発表する曲が「Be My Last」「誰かの願いが叶うころ」と続くと、その不安はさらに強くなった。
なにか消化しきれない悲しみを抱いているような、そんな彼女を見るのが辛くなってきてしまった。
ライブにも足を運んだけど、大きな衣装から顔だけだして歌っている彼女を見て、もうわたしが好きだった彼女はいなくなってしまったのかもしれないと思った。
その反動で今度は彼女の曲があまり好きではなくなってしまったんだ。
その後は全米デビューとか離婚のニュースとか断片的に聞こえてはいたけど、正直そんなに興味はなかった。
なんとか彼女にも明るいニュースがあればいいなと思っていたけど、おかあさんが自殺したニュースが流れた時にはその不遇さに少しだけ同情した。
並外れた才能をもってしまうと普通の生活はできないのか、もっと当たり前の幸せが彼女に訪れてくれればいいのに。
そうなんだ。ちょっとだけ境遇が似ていたからって、わたしなんかが心配するような人生ではないんだ。
そんな中、そうして先日の出産とアルバム制作中の発表があった。
妊娠の発表もせずに、ちゃんと生まれてから発表したのはきっと生まれるまで不安だったからなんだ。
アルバムの制作を発表したのも、きっと世に出してもいいって彼女が納得できるものができあがったからなんだって。
それに比べて、わたしはちょっとだけあきらめていた。
もう失う悲しみを味わいたくなかったし、自分の人生を肯定しようと必死にもがいているような彼女をすこし軽蔑していたのかもしれない。
でも、そんな風に考えていたのはわたしだけだったんだって。
そうやって月並みに自分が傷つくことから逃げようとしていただけなんだって。
そうして久々に聞いたDeep Riverには、当時聞き逃していた歌詞があった。
全てを受け入れるなんてしなくていいよ
私たちの痛みが今 飛び立った
そうなんだ。
もう痛みはとっくの昔に飛び立っていたんだ。
なんであの時に気づけなかったんだろう。
そう思うと、あの時よりも涙が止まらなかった。わたしはどれだけ無駄に悲しみを貯めこんできてしまったのだろう。
今も昔も、わたしは彼女にささえられてばかりなんだ。