はてなキーワード: 市長とは
これを見た方はイオン(笑)?と思うでしょうが、群馬県民はイオンやそれに類似する大型商業施設がとかく好きである。どれくらい好きかというと、毎日の食料品はイオン、洋服もイオン、中学生の溜まり場もイオン、高校生のデートもイオン、県外の友人との久しぶりの再会もイオン、休日のお出かけもイオン、ってなわけで、3歩歩けば知り合いに出会うレベル。
去年できた大きな高崎アリーナには有名なアーティストが来る。すごい。
一方前橋、駅前に何もない。近隣に大型商業施設が出来たことに伴い、ヨーカドーが潰れた。ヨーカドーがなくなったことで駅に人がいなくなった。
県外に出てみて、電車が一路線しか通ってないような駅でも、駅前には鳥貴族や魚民がたくさんあるのを知って愕然とした。
地元住民に愛される美味しいバルや飲み屋は駅から離れればあるけれど、そんなの県外からのお客さんがわざわざはるばる来てくれるわけがない。
群馬県はクルマ社会。車が無いと行動出来ない。車で行きやすいところばかりに人が集まるけれど、そうすると、駅前にはいつまでも何も出来ない。
他所から来る人はみんな車を持っているわけではないので、わざわざ前橋にお金を落として帰らない。
前置きが長くなった。
【THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS SS3A Live Sound Booth♪】
らしい、というのは、恥ずかしながら私は大学進学とともに前橋から離れてしまったからだ。
まず最初に、「ハルナメガネ」という眼鏡屋さんの看板の前で写真を撮っている人のツイートを拝見した。
ハルナメガネ、群馬県前橋市中央前橋駅から徒歩5分。地元の人に愛される古き良き眼鏡屋さん。
どうやら、眼鏡をかけた上条春菜ちゃんというキャラクターがいるらしい。
ARで写真が撮れるからハルナメガネに。確かに理屈はわかる。けれど、群馬ですよ。
写真を載せてくれた人がどこの人かは知らないけれど、交通の便は悪いし、中央前橋はJRではないので、高崎まで新幹線で、そこからJRに乗り換えて、さらに前橋駅からタクシーなりバスなり、歩いて30分なり……そこまでする労力と愛が凄いな、とまず感動した。
次に、全く関係ないフォロワーから「前橋」の文字が流れて来る。どうやらライブをやっているとか。なるほど、昨日のハルナメガネもそれでか。(それにしたって、ライブ会場「グリーンドーム前橋」と中央前橋駅は前橋駅を中心として全くの逆方向。ちょっとついでに、で行くにしては車が無いと面倒である)
ツイートはどれも絶賛するものばかり。どうやら、ちょっとしたお祭り状態らしい。
調べると、今回のグリーンドームでのライブ、市が協賛な上に、全面協力体制だったとか。
アイドルマスターのファンの方がTwitterに載せていた写真では、いつも閑散としている駅前に溢れんばかりの人が居た。小中高計12年間毎日のように通った駅前に人があんなにたくさんいるのを初めて見た。
花火大会のときだってこんなに居ない。いままでグリーンドームにアーティストがくることはあったけれど、ここまで力を入れた町おこし的イベントは初めてなのではないだろうか。
加えて、みんな、ライブだけでなく地元グルメなんかも楽しんでくれている。本当に、こんなに地元が賑わっているの初めてだ。
最初は単純にすごいと思った。オタクっていうのはどの界隈でも、経済を回してくれる。
今は単純にすごく嬉しい。
交通の便でもキャパシティでも敬遠されがち。ほぼ47都道府県を回るようなアーティストでもなぜか飛ばされることの多い県であり会場だ。
普段は競輪場で、子供が喜ぶような有名なアーティストは来ない。私たちは、ライブを見るためには東京に出ないといけなかった。
今日は東京の人たち、いや、東京の他からもたくさんの人たちが、グリーンドームに来てくれた。そして、前橋市を盛り上げてくれた。
何も無いと思っていた地元を、シャッター商店街をやるせない気持ちで通っていた地元を、諦めきっていた地元を、盛り上げてくれて、本当にありがとう。
さらには、市長・山本龍氏が中心となって(?)、今回の誘致および観光者向けアクションに取り組んでくれていたと知って、本当に嬉しくなった。
デレステは寂れた地方都市に、まるでシンデレラのような一夜限りのステキな魔法をかけてくれた。夢で見た以上に素敵な景色をシンデレラ・ガールズたちが見せてくれた。
その光景を私はきっと忘れないし、もし叶うならば、またデレステライブが前橋で開催される折には、今度は地元住民として諸手を振るって皆様を歓迎したい。
アイドルマスターシンデレラガールズのプロデューサーのみなさま、前橋までお越しくださり、ありがとうございました。
この街を気に入っていただけたなら、これ以上に嬉しいことはありません。本当に本当にありがとうございました!!!
昨日9/8に、「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」というスマホゲームの3周年ライブが群馬・前橋のヤマダグリーンドーム前橋で開催されました。
これは、「アイドルマスターシンデレラガールズ」というコンテンツから派生したリズムゲームが配信から3周年を迎えるにあたり企画されたものになっています。
私は出身が群馬のため、地元で好きなコンテンツのライブの開催が決まったことや、群馬にスポットライトが当たることがとても嬉しかったです。
しかし昨日行われたライブの内容では、開催地であり協賛名を連ねた「前橋市」が全面的に押し出されすぎたため、記念イベントとしての意味が薄れてしまったように思えました。
具体的には、市政が協賛することで、以下のようなマイナス面が出るのではないかと考えています。
(なお、本日の公演は開演が15分遅れたため、本来であれば取り上げられていた個所もあるかもしれません。)
1.コンテンツとしての損失 ※ナイーブな部分に触れる内容を含みますがご了承ください。
シンデレラガールズは200名近くのキャラクターがおり、それぞれに名前や年齢などのプロフィールがあります。
もちろん「出身地」も決まっており、群馬では「日下部若葉、栗原ネネ」の2人がいます。
しかしながら、共に演じる声優が決まっていない、いわゆる「ボイス未実装」のアイドルになります。
そのため、ボイスが実装されているアイドルに比べて露出が少ないのが実情です。
今回のライブは群馬で行われるため、出身の2人がスポットライトを浴びる格好のチャンスでもありました。
なぜなら、昨年の5thライブでは地方公演でその土地出身のアイドルや演者さんを取り上げる場面があったためです。
ただ、ライブの中では2人の名前は一切出ることはありませんでした。
15分遅れで開始したためMCがカットされたのかもしれませんが、真偽はわかりません。
それが「前橋市とのコラボの紹介」、つまりは「前橋市の宣伝」でした。
百歩譲って2人の紹介が無かったとしても、本来はゲームの周年記念イベントなので、今年一年の振り返りなどの「コンテンツの内容」に触れるのがメインなんじゃないでしょうか。
充分な時間がある上で紹介するのであればまだわかりますが、協賛として参加してしまうと今回のようなイレギュラー時には本来の趣旨に沿った内容のものが削られてしまいます。
私はコンテンツを観に来てるのであって、市政の宣伝を観に来たわけではありません。
2.群馬県としての損失
上記で触れた昨年の5thライブでは、各公演でそれぞれの土地の名産品やおすすめのお土産を紹介するコーナーがありました。
また、MC内でも「こんな名物を食べた、ここがおすすめ」など、様々なご当地ネタを織り交ぜていました。
そしてこのコンテンツの凄いところが、紹介した品が公演終了後にファン(通称:プロデューサー)が購入し、根こそぎ売り切れてしまうことです。
(過去には肉まんやハンバーグ、とあるオレンジシューズなどの飲食物から、演出で使われた傘や扇子など様々)
群馬にも多くの名産品があり、普段来ることのない人に知ってもらう絶好のチャンスでもありました。
しかしながら紹介されたのは前橋市が作成した「前橋まちなかMAP」というもののみでした。
焼きまんじゅうやハラダのラスク、峠の釜めしなどの有名所でも一切触れることはありませんでした。
確かに前橋市の案内としてはとてもよくできていますが、これではスポットを狭めてしまい、群馬県としての魅力が十分に伝わりません。
協賛しているのだから前橋市にスポットが当たるのは当然ですが、私はもったいないなと思います。
以上のことから、コンテンツ独特の理由もありますが、市政がオタクコンテンツの協賛をしたことで様々なデメリットが生まれてしまったと考えています。
ただ、上記の内容とは関係なく、山本市長をはじめとして前橋市の様々なもてなしはとてもよく考えられていて、素晴らしいものばかりでした。
このアクティブさともてなしに関する手法について、他の市町村もぜひ参考にしてもらいたいです。
山本市長、前橋市の方々、シンデレラガールズを受け入れていただきまして本当にありがとうございました。
そして、群馬の魅力を一つでも多く見つけられ、気に入ってもらえれば幸いです。
ライブも昨日よりさらに素晴らしいステージになることを願っています。
心にググっと群馬県
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180828-OYT1T50125.html
この件についてだが、私は表現の自由を守る立場から、エロ本や政府批判の言論と同じく、サン・チャイルド(防護服を着た少年像。以下『少年像』)の撤去は表現の自由に対する侵害であると考える。
以下にその理由を述べる。
市長は「見たくない人が見なくて済む場所を確保するのは難しい」と言っているが、そもそも『見たくない権利』は法律上ほとんど確立していない。
「公然わいせつ罪やわいせつ図画頒布罪はどうなんだ」と思うかもしれないが、それらの刑罰が保護しているものは『最低限の性道徳』であって見たくない権利ではない。
また、「見たら不快になるものを見たくない権利」を仮に認めてしまったら、差別主義者が「同性愛を見たくない権利」「黒人を見たくない権利」「モスクを見たくない権利」
などを主張し始めるのが明らかであり、「見たくない権利」は認めるとしてもごく限られた範囲で済ますべきである。
また、『福島県の人の尊厳を傷つけている』という主張も認められない。なぜなら、『福島県の人』に人権は無いからだ。
何もこれは、「放射能に汚染された福島在住者は遺伝子が変化して人ではない別の存在になってしまったから人権は認められない」などのように言っているのではない。
単に、『福島県に住む個人』には当然として人権があるが、『福島県の人』という抽象的な集団には人権がないと主張しているだけだ。
詳しくは、表現の自由擁護の活動をしている山口貴士弁護士の見解を読んでほしい。
2.この像による風評被害があるというのならば根拠を示すべきである
風評被害や嫌悪感については林智裕氏の記事が詳しい。だが、私はこの見解に異を唱えたい。
現在の福島にとって、「サン・チャイルド」は「過去に思い描かれた架空の未来」を描いた作品になっていると言えます。
たとえ、それが作者の制作意図ではなくとも、「日常を防護服姿で踏み荒らす人々」や「力づくで押し付けられてきた放射能デマと偏見」を
そうですか、想起させるのが悪いのですか。ではレイプ物のAVは実際の性犯罪を想起させるし、『幸色のワンルーム』は実際にあった未成年誘拐事件を想起させるし、
零戦を修復して飛ばせることは軍国主義を想起させることは否定できないから悪いですね。禁止されるべきです。
仮に、あくまで「空想上のイメージ」であるとしても、このままでは作者であるヤノベ氏が本来意図したアートというカテゴリーさえも逸脱して、
「サン・チャイルド」が福島に対する負の烙印やプロパガンダのシンボルとして一人歩きし、悪用されてしまう可能性すらあります。
具体的にこのようなメカニズムによってこのようなことが起きる、という根拠を抜きにして『可能性がある』だけで禁止することは妥当ではありません。
それを言うならば、ロリエロマンガを読んだ人が実際にマンガと同じことをしたいと思って幼い子供に性犯罪をする可能性もありますし、
資本論を読んだ人が再び共産主義にかぶれて身内同士で殺し合いをしたりする可能性もありますし、
コーランを読んだ人が過激な原理主義にかぶれてテロを始める可能性もありますから禁書にするべきですね。
……と言っているのと同レベルではないだろうか? 少なくとも、少年像がどのように害を与えるかを具体的に数字などで示すことができない限り、少年像が現実に被害を与えると言える理由は無い。
https://mainichi.jp/articles/20180816/k00/00m/040/170000c
のブコメを読むと、総踊り中止の理由が分かってない人が割といた。記事中には
と経緯が書かれているのだが、どうやら全体像が分かってないと意味が取れないっぽい。
そこで収益改善策として市長(じゃないかもしれなけど)が言い出したのが、
『集客力がある(はずの)有名連を4つの有料演舞場に分散すればまんべんなくチケットが売れる(はず)』
というアイデア。このアイデアに妥当性があったかは拙者、阿波踊りには疎いのでさっぱり分からぬでござる。
ので、対立は終息して来年以降の開催の方向で妥協するんじゃないでしょうか。
http://www.topics.or.jp/articles/-/87040
比較元
【追記】学校の体育館にエアコンが設置されるも『1回で2500円の電気代がかかるから使用しないでください』とのお達しが教育委員会から届く→デマであると箕面市長が否定 - Togetter
教育委員会「体育館のエアコンは電気代が2500円かかるから使用しないで」はデマ。箕面市長が否定(篠原修司) - 個人 - Yahoo!ニュース
「エアコン使うな、教委通達」講師の虚偽ツイートが拡散:朝日新聞デジタル
はてなブックマークが学校のエアコンデマに対抗できなかった件について思うこと - この夜が明けるまであと百万の祈り
無し
無し
これって本来ならば教育委員会が各自治体の首長に臨時の追加予算をつけろと交渉しないといけないのに仕事をさぼって各学校に責任を押し付けているだけじゃないの?
無し
教育委員会に「生徒の命は2500円より安いんですか?」って確認とって「そうです」って回答が来次第晒しあげて【自分たちは生徒の命が大事ですので】ってアピールしてると世論も味方につけて予算も確保しやすいのでは
無し
買うなら使う、使わないなら買わない。子供でもわかる
無し
まあ、電気代かかるからできるだけ使わないでって感じの指示が口頭であったんじゃないの。どこの会社でも同じでしょ。際どいことは口頭だけ。文書にするほどバカでもない、という。
市長の発言に嘘偽りないと思うが、グッド組長バッド若頭メソッド、ってあるからな。「みなさん、命を大事に。堅気の市民を大切に。仁義を守ろう!」「いいか、おやっさんはああいってるけどな!」
「エアコンを使うなとは言ってないが、経費は前年並にね!」ってとこが、日本にあるのかないのかあるのかないのかちょっと気になる。
教育委員会の事務所と職員室にガンガンエアコンつかうので、ガキにつかわせる電気なんてねーんだよ。エアコンない教室から職員室に帰ってきて暑いなんて有り得ないじゃん?
無し
教育委員会って別に法的拘束力はないと思うけど。あくまでお願いだから。忖度しろよってお達し。でもこれは文科省が悪く大臣の責任なので早く全国の学校に国の力でエアコン設置しないと職務怠慢だよ。
亡くなった父の古い友人が教育委員会に在籍してる関係で教育委についてはそれなりに知ってるつもり。その人はある資格試験の役員も兼ねてるけど、教育委って所はそういう人ばかりって聞いてる。
無し
無し
教育委員会って、悪の枢軸かなんかなの? いじめ問題でも部活問題や組体操問題でも、今回の熱中症問題でも、ロクなことしてないよね。別に無くてもいい組織なのでは?
無し
日本が先進国というのは幻想だな。思想的には共産国家や独裁国家と同じレベルで、財政的(な考えと実質)では貧困国 / 終業式なんていらんだろ。
無し
無し
日本死ね増田とかにもあっさり煽られてたじゃん、はてなのリテラシーなんか当てにする方がおかしい/6割ってブコメは妥当な感じ
無し
公式な通達が無かったという点ではデマだったのだろう。では実際にどういう運用がされていたのか市長はちゃんと公表しよう。各学校のエアコン利用率位すぐ出せるだろ?今すぐ出しな。そこがポイントなんだから。
「なかなかエアコンを付けてもらえなかった」と言うのが全てじゃねーの?ここの究明無しには判断できない。子供を虐待していたかどうかが争点
部活に関しては「使うな」でいいんじゃない?つまり暑くてとても出来ないなら無理に部活なんかする必要ない。授業と違って必ずやらなきゃいけないことじゃないんだから。
「ブックマーク」なんだから記事が真実かどうかは最初から関係ないでしょ。記事の検証は各々がすればいい話。/現時点での情報を元にコメントするのは別に悪くない。真実が判明した後で意見を変えればいいだけ。
無し
ひどい話になるけど、これで熱中症で誰か死んだらやっと電気代の予算付ける口実が出来るわけ。おそらく教育委員会の担当者レベルは予算に口出す権限は一切持ってないのでそれくらいの事が起きなきゃ予算付かない
つうかね、ホントは市長も話の行き違いなのか悪意あるデマだったのかも調査した上で、市のHPなり何なりで公式な発表をするべきだと思うの(もし現場と市の間で意思疎通が図られてないならまた同じ事が起きますよ)
結局守秘義務違反案件になったと…虚偽と言えば虚偽だが、エアコン使わせてくれなかったのは事実のようなので、教委の対応に問題は残るな
結果的に間違った情報だったようだけど、これだけだと教委担当者との話の行き違いなのか悪意だったのかの判断が付かない。市長の意図とは別に末端の担当者が変な言い方する可能性はあるので
その職員室ではそう伝わっただけでは?冷房を設置したのに事実上使用禁止になってるという話はチラホラあるわけで、政策としてはケチケチしてないで今こそ冷房使えと指示してほしい。 / デマかどうかは興味ない。
よくわからんけどこれは事実なの? 嘘だとは言わんけど、ここまでかいたら学校どこかわかるよね。この教師は問題にならないの?
嘘松乙wwww命がかかってるのにたかが2500円でそんなこと言うわけないだろwwwwwwwwwって言いたいけど、嘘だよね?嘘だと言って?
あの時信じてた奴息してる?wwwを見にきた。
つーか、エアコン設置した時点で契約電力上がる。1kWあたり1500円ぐらい基本料金が上がる。10馬力×3台(消費電力約24kW=7時間の電気代が2500円)と仮定すると月4万円ぐらいアップしてる筈。ガシガシ使わないと元取れないぜよ
仮に室内運動部50人が7-9月利用するとして約23万、その費用を月曜から金曜日までの年間を通じて利用料として徴収すれば日額約900円で50人で割れば18円、一人当たり月額500円弱で実際には学校負担あれば更に安くできる。
人数で割ったら一人10円ぐらいじゃないの?
嘘を嘘と見抜けず釣られちゃったのはもうしょうがない。しかしその後デマだったことには全く触れない人の多さは何なの?
恥ずかしいから知らんぷり?脊髄反射的にコメント残してスター欲しいだけの乞食?分かりやすい悪を叩きたいだけの憂さ晴らし?ここぞとばかり日本叩きしたいだけ?
それどころか虚偽ツイートだと判明した後も論点ずらしで疑ってかかってるb:id:xevraとか頭おかしいんじゃねーの?
67歳、末期がんだったという。
つよい順に並べたが、
翁長さんの受けたプレッシャー、ストレスは想像を絶するものだったと思う。
病の原因と進行は過剰なストレスが一番大きい。
生まれ育った琉球という島が、外部の人間によって破壊されていくのを止められない。
悔しかったと思う。
沖縄県民と翁長さんの意志を継いで引っ張って行ってくれるような人は現れるだろうか。
命がけで、勝てる可能性の低い戦いに身を投じなければならない。
このまま、他の離島のように組織票によって極右市長や土建市長になってしまうのではないか、
この国の未来にはまったく希望は持てないが、かつて大戦において過大な迷惑をかけた琉球にこれ以上のさらなる迷惑を強いるというのか。
本当にこの世界は汚れていて、救いようのない世界だなと改めて思う。
自分は今本島ではなく離島にいるので、ただ静かな海を眺めているだけでその汚れを忘れられる。
ただ、それすらも壊されようとしているのだ。
そのアホが他の子たちの教育を受ける権利を甚だしく侵害してるからや思うねん。
おそらく大阪市はまだマシな方で、大阪南部の私の地元は更にヤバい。
特に中学がヤバい。不良という名のアホが学校のメインストリームになるもんやから
小学校までよう勉強できとった子らもそっち側に引っ張られてどんどんアホになりよる。
中学卒業まで高い学力を維持できるんは染まらへんかった奴だけなんやけど
そういう奴は高確率で不良グループから犯罪まがいのイジメに合うから卒業までにドロップアウトする奴もいて
更に女子には性被害の危険あってもう教育の場としては地獄としか言いようが無い。
「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を見たので感想。と言うか自分メモ。ネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。
「まさに千八百円と上映時間分の時間を投資する価値がある映画」を100点だと考えたときの点数は15点位。ひどみ。低評価。なんだこれ。
しかし微塵も揺るがない増田。なぜなら(自分的には大体似たカテゴリに入る)「ドラえもん のび太の宝島」が脅威のマイナス点数の失神級駄作だったので免疫がついたのだった。
シナリオの作りが野心的で100分という尺の中でなんと群像劇をやろうとしていた。
主な人物として「市長の娘ヒロインのラルゴ」「ギャルっぽいヒロインのリサ」「過去を抱えた市長オリバー」「後悔に生きる老婆ヒスイ」「コミュ障のポケモン学者トリト」「口からのでまかせで生きてきた男カガチ」あたりがいて、それぞれが内面に問題を抱えつつ生きている。物語の舞台フウラシティを訪れたサトシは、この街の生命線とも言える「風祭り」に参加。そこで起きる大事件に様々な人間と関わり合いながら立ち向かう……という映画のメインストーリー。
この「群像劇をやりたい」という企画性というか意気込みを、まずは評価する。……んだけど、それはやっぱり難易度は高い。脚本はあちこち駄目ぽだった。大きな問題点としては感情動線の理屈建て不足で、なんか悩みやトラウマがある→でも私の力が必要っぽい→周りが盛り上がってる→感動パワーでうわー解決! というのが群像劇分水平コピーされている。
そこには「今までの悩みやトラウマを超克するための内面的な気付きやきっかけ」みたいなものが不足していて、「今までダメだった理由」「今回は立ち上がった理由」が極めて薄いか、キャラによっては存在すらない。感動的な音楽がかかって背景で大火災とかあるからやらなきゃならないやったでーというわりと雑なほうりなげだった。そんなんだったらそもそもトラウマいらんでしょ。
そのほかにも、山の中で発見された聖火を市長が街まで持って帰れば時間は余裕なのに(また普通に考えて街の宝を放置するほうがありえないのに)、わざわざ間に合わないギリギリまで放置して女子高生ギャルにスプリントさせるとか、なんかこう……脚本レベルで穴が多い。
「みんなの物語」「みんなで協力するという感動」という企画性は理解できるんだけど、脚本陣にそれを実装する能力が欠けていたように思われる。かと言ってそれは脚本家をけなしているわけではなくて、企画レベルで(つまり脚本の方法性や盛り込もうとした素材のボリュームレベルで)無理があったんじゃなかろうか? 登場人物を絞るなり(その意味でサトシのポケモンをピカチュウだけに絞ったのは良かった)、あるいは尺を圧迫しないおりたたみで内面を描写したりという工夫が足りなかったように思う。
ゼラオラは物語の舞台フウラシティ周辺のポケモンの守り神とでも云うべき存在で、フウラシティが成立する前から周辺のポケモンや自然を守ってきた。しかし、産物に乏しいこの地にルギアがあらわれて風を呼び、この風をもとにした風力発電でフウラシティは成立。人間はドンドコ森を切り開き、ポケモンの自然生息域を圧迫、その件でゼラオラとは対立せざるを得ないようになっていった。五〇年前、人間たちは自己から森林火災をおこしてしまい、火災からポケモンを守るためにゼラオラは負傷。当時の市長はゼラオラを守るために、山林は人間の立入禁止として立ち入ったものはゼラオラの呪いがあると嘘の噂をばらまいた――というのが物語の背景。
なんだけど、なんかもうこの時点で2周半くらい人間側がクズじゃねえ?
ゼラオラ何も悪い事してないじゃないですか。と言うか、その点ではなく、むしろ人間が人間の都合(街を拡張したい)で森林伐採をするならそれはそれで良いんだけど(なんせ人間はそういう存在なので)それならそれで、そのように述べてやれば良いわけで、「ゼラオラの呪い」なんていう相手の名誉を毀損するでっち上げをしながら、相手を救うとかいう恩着せをするのが全く救えない。んで50年もの間「かー、ゼラオラに呪われちゃうんであの山には入れないんだよなー。かーっ。呪い無ければ事故調査も開発もできるのになー。かー」とか責任転嫁をしてきたという醜悪さがある。
それがポケモンの世界観だと言えば世界観なのかもしれないが、そのゼラオラをサトシ&ピカチューは叩きのめすことで「ともだち」にして「ともだちだからもう遺恨はないよな?」とする脚本は、おいおいいくらなんでもそれマジで書いてるのかよ? 的な部分はあった。
ポケモンは三歳児程度には意思疎通な生命体なんだけど、ペット(守るべき対象)なのか、それとも一種の亜人(権利を認めるべき存在)なのか? って言うこの問題意識はポケモンの第一作から見え隠れしている。しかし今回は輪をかけて「ポケモンはともだち」というパワーワードとゼラオラが見かけ上はネコ科の獣人っぽい外見(人型)であるという2点で、極まってしまっているように思える。明らかに独自の言語的能力を有して、周囲の同族やポケモンを守り、森林火災から救助するほどの知能を持つ知性体を「呪い」扱いしてトラブルの責任転嫁をするって、どうなのよ。
そもそもフウラシティはルギアの呼んだ風を用いる発電で街を興し、毎年一度「風祭り」の日にルギアを招いては風力発電の維持を願っているような街である。風がとまれば電力も絶えて街は闇に包まれて住民たちはうなだれる。そういう関係を「ともだち」っていうのか? 母親の財布から毎月数千円くすねて上納することによって「ともだち」になってくれるクラスメイトより気持ち悪くないか。
そういう意味で今回の映画は、自分個人が楽しめないとか以上に「この映画を無邪気に楽しめるってやばくね?」的な心配が発生してしまった。この心配の方向性は「ドラえもん のび太の宝島」によく似ている(ドラえもんのほうがヤバさは上だが)。
ポケモン映画は毎回なんだけど、街の人混みの中や自然の中にちょこちょこと数え切れないほどのポケモンが登場していて楽しい。ウォーリーを探せ的な楽しさがある。その気持ちよさ楽しさは今回もたっぷり楽しめた。
主要人物の一人「コミュ障のポケモン研究者トリト」のパートナーポケモンであるラッキーがよい。
脚本や演出がどこまで自覚的だったのか怪しいのだけどこのラッキーの存在が、映画全体に対するアンチテーゼになっている。
トリトはポケモン研究者でいつも多くのポケモンに囲まれているんだけど、いつも一番近くにいるのが癒し系のラッキーで、おそらくこのラッキーは、トリトを飼い主であるとか主人であるとか思っていない。トリトのことを自分が保護すべき存在だと、あるいは下手をしたら、トリトは自分の子供だと思っている。
ポケモンが一体何なのか? 都合の良い労働動物なのか? 資源なのか? 生存権を保護すべき対象なのか? 人権さえ認めるべき存在なのか? というテーマはシリーズにグッサリ刺さった楔なわけだけど、それってあくまで人間を中心にした人間視点でしかない。
ラッキーはトリトのことを意気地無しで世話が焼ける存在だと思っていて(そしてそれは正しい)、そのうえ自分が世話をしてやる対象だと思ってる。
それはポケモンの側からみて、人間が「時々発狂して面倒くさいメンヘラの同居人」なのかもしれない、というシリーズのブレイクスルーになりうる(非常に薄くて小さな)突破口だ。
知らないよ、知らないですけどね。
先日も、所沢で小中学校へのエアコン設置の是非を問う住民投票で、投票率が足りない問題があったじゃないですか。賛成5万6921票、反対3万47票だったそうです。
投票資格者総数は27万8248人で、市長は「賛否いずれかが投票資格者総数の3分の1以上に達した場合は結果に従う」としていたそうです。
でもね、所沢の22年の国勢調査の結果みると、今小中学生くらいの0~9歳の人口が2万8千人ですよ。仮に全員一人っ子ちゃんで、全員の両親が投票しても5万6千票じゃないですか。
今回の投票を実現させたのはこの人たちですから、まあ賛成票のうちわけはこの層が多いでしょう。
反対票は市政に関心が高い人たちなんでしょう。もちろん賛成票のなかにもそういう人たちがいて、全部で4万人くらいはそういう層だとしましょう。
これらの数はある程度読めるでしょう。
で、市長は”9万3000人がどっちかに投票したら”って言ってるんですよ。
それだけどっちかに投票したら、同じ得票率だと14万票くらい集まってるわけですよ。
市長がどういう結果を予想していたのかはわかりませんが、上の数に合わせたとして、
市政に関心は無いし小中学生とは関係ないけれども投票しまーすという層があと4万5千人くらい必要なんですよ。
得票率とか全然違ったとしても、そういう人たちが万オーダーでいると思ってないと、”9万3000人がどっちかに投票”なんて言わないですよ。
市長がどういう結果を予想していたのかはわからないですよ。
でも、投票率低くて残念とか言ってるなら、何か工夫できないもんですかね。
高知市職員ですが、以前のエントリーが思った以上に反響がありましたので、書きます。
以前のエントリー
https://anond.hatelabo.jp/20180728154743
https://www.kochinews.co.jp/article/203672/
高知市の横田寿生教育長が31日付で辞任。7月上旬の西日本豪雨のさなかに、北海道へ市幹部ら7人で競馬旅行していたことに批判が高まっていた。岡﨑誠也市長が記者会見して発表。
7月4日から発生している豪雨災害のさなか、今回辞任した横田教育長、教育次長、総務部の弘瀬優総務部長、諸石信広総務部副部長、その他副部長級2人、課長級1人の合計7人が函館に競馬観戦の旅行に出かけていたことが発端です。(この7人というのが、競馬好きで20年以上の付き合いで趣味で、全国の競馬観戦をしている「有馬会」のメンバーであり、後述しますが、事実上の高知市役所の人事権を牛耳っているメンバーでありました。)
このうち、横田教育長と弘瀬部長は、災害対策本部のメンバーであることから、庁内外はもちろん、市民からも非難の声が集まり、全国区のニュースとなりました。
ここで、誤解してほしくないのが、単におじさん7人が趣味で競馬旅行を行っていたのが問題ありません。公務員だからといって、競馬をしてはいけない、という理由は無いと思います。ただ、タイミングが最悪だった。豪雨災害で西日本を中心に被害が発生しており、高知県内では3人が死亡している最中、この7人は競馬観戦をして、すき焼きに舌鼓を打っていたということ、道義的責任が生じるとともに、公務員にとって最もと大事な「信用」失墜行為にあたるということです。
なお、出発した時点は大きな被害は出ていなかったと、それに代理を立てて準備をしていた等、一部弁明していますが、これもおかしな話です。
というのは、そもそも災害対策本部というのは、当該自治体における防災対策の最高意思決定機関であり、避難所開設、避難指示、避難勧告といった市民の生命に直結する、非常に重要な決定を行う機関です。
責任が非常に重いのでそもそも課長、課長補佐といった代理で務まるわけがありません。そのような理由もあり、大きく報道されました。
後述しますが、この報道に対して当の教育長が「道義的責任はない」と開き直ったことから、市議会の与党会派「新風クラブ」「市民クラブ」「公明党」が激怒し、公明党出身の市議会議長も市長に文書で申し入れをする構えを見せたことで、事態は急変しました。
今回、競馬旅行にいった有馬会のボスである横田教育長は道義的責任はない、と高知新聞7月28日付朝刊においてコメントしていました。
「(旅行期間中は)学校も休みで行事もない。用意周到に必要な指示を出し、態勢を敷いていたのえ、(私が不在でも)特に支障なはなかった。道義的責任も生じない」という認識を示した。
避難所として小中学校は機能するにかかわらず、教育委員会トップと思えない軽い認識で、道義的責任を生じないというコメントには、失望しました。
しかし、冒頭のニュースにあるように、本日付で横田教育長が辞任しました。
長年、高知市役所において、人事課長、財務部長を歴任し、最終的に教育長という副市長クラスの特別職として君臨していた男のあっけない退場でした。最終的な肩書が「人事の横田」「競馬旅行の教育長」という肩書とともに。
今回の競馬旅行事件は、教育長の辞任をもって幕引きとなるでしょう。本来的には、職員の人事権や綱紀粛正などを統括する総務部長が一定の処分を受けると思いますが、今のところ、減給程度で終わるようです。
しかし、有馬会のナンバー2である弘瀬部長がこのまま総務部に留任ということは、ありえないと一般的に思いますが、仮に弘瀬部長こそ、次期副市長の最有力候補であり、やもすれば、市長の呼び声も大きいので、ここでキャリアに傷をつけるのは、何としても避けたいところでしょう。
それに、現在の岡崎市長の最側近でもあり、かつて、弘瀬部長が課長時代に、同和問題で部落解放同盟に糾弾された際も処分はせず、現在の総務部長のポストにつけたことから、その信頼の強さがうかがえます。
よって、道義的責任は生じないと言っていた横田教育長が辞任したことは、有馬会トップの座を弘瀬部長に禅譲することも意味します。
高知市役所も結局、組織でありヒエラルキーが存在し、派閥も一定存在します。そのような派閥で最大の力を誇るのが、有馬会です。
有馬会は、報道ではただの競馬大好きクラブといったような趣ですが、そうではありません。(ちなみに有馬会の由来は、有馬記念から来ています)
そのメンバーが、今回のニュースで明らかになったように、教育長、教育次長、総務部長、総務副部長、さらに副部長級があと2人、課長級が1人と上級幹部ばかりです。
今回旅行行ったのは、有馬会の中でも有力メンバーであり、その他にも有馬会のメンバー、もしくは有馬会「系」の派閥も存在しています。
彼らの力の源泉は、財政課、企画課、人事課、行政管理課といった役所内の中枢出身者ばかりということです。
では、なぜ有馬会がここまでの力を持つようになったのか?これは、前市長にまで話はさかのぼります、が、長くなっても仕方ないので機会があれば書きます。
ただ、一般的に役所の世界で出世したければ、上記のセクションに配属され、市長に最も近い派閥に属することです。
役所という世界は、実力云々というよりも、どこに配属されていたか?ということが重要ですので、下手を打たずレールにいれば、そこそこのポジションにありつけます。そのメインストリームが有馬会というわけです。
今回の教訓を単なる、競馬大好きおじさん達の軽率な行動というレベルで片づけるのではなく、このおじさん達が庁内で権力を握り、人事権を牛耳り、誰も文句を言えなかったという事実です。普通の職員ならば、台風災害中に旅行には行きませんし、まさか役所の仲間と行くなんてありえません。異常です。異常ですが、そのように感じないほどの空気が役所内にはありました。
なので、今回の報道でも職員も「大げさすぎる」という意見も一定数あったので、役所内世論も完全に2分していました。なので、今回議会の指摘があったのは、不幸中の幸いです。ある意味、民主主義の自浄作用が働いた形です。しかし、この災害中に飲み会というニュースは、既読感がみなさんあったと思います。あえて言いませんが、同じことが今回、悲しくも私の高知市役所でもありました。
では、指示で動くのは誰でしょうか?動くのは、主事、主査補、主査、主任、係長、課長補佐、課長といった人々です。部長、副部長といった上級管理職以下の職員です。上司が部下を見るように、部下も上司を見ています。とはいえ、職務命令があれば動きます。これがルールだからです。気に入らないという個人的に思いはありますが、役所という完全タテ社会では、それが言えない空気があります。
高知市は、これから全国でも例をみない、高知県ほぼすべての市町村が連携中枢都市圏を構成する巨大プロジェクトを進めており、そのフロントランナーが高知市です。そんな他市町村を束ねる役割を担う高知市でこのような報道があったことは悲しく、情けなく、それ以上に怒りを感じます。
現場の職員は、災害時だろうと、市民の暮らしを守るということ一番に考えております。これまでの高知市は三位一体改革や前市長の極端な積極財政による財政危機のため、職員給与がカットされるとともに、職員数も減らされて中核市でワーストクラスとなりました。
つまり、しわ寄せは少ない人数で、時間外手当も限られている中で現場は工夫をしてきました。だからこそ、今回の事件は、これまで築き上げてきた高知市の矜持を深く傷づけているのです。それが職員の綱紀粛正の大本営である総務部長、副部長ということが、何ともいえない気持ちになるわけです。
https://www.kochinews.co.jp/article/202826/
7月上旬の西日本豪雨のさなか、高知市の横田寿生教育長と弘瀬優総務部長らが北海道函館市へ競馬観戦などを目的に旅行していたことが、27日までに分かった。出発時、同市には災害対策本部が設置されており、2人は避難指示などの重要事項を意思決定する「本部員会議」のメンバー。高知新聞の取材に対し、2人は「代理出席はさせていた」「電話で指示していた」などとするが、県内各地で被害が出る中の旅行に庁内から批判の声が上がっている。
旅行には2人のほか、総務部副部長、教育次長ら副部長級4人、課長級1人の計7人が参加。7人は趣味の競馬を通じた集まり「有馬(ありま)会」をつくり、約20年前から全国の競馬場を巡る旅行を続けているという。
今回の豪雨で高知市は、台風7号の接近に伴い4日午後3時に災対本部を設置。6日午前には、台風通過後の大雨で物部川の水位が上昇し、氾濫の恐れがあるとして、市東部の避難所開設と「避難準備・高齢者等避難開始」の情報発令を決めた。その後、雨は小康状態になったため、午後3時に災対本部の縮小を決めたものの、7日に雨脚が再び強まり、市は午前7時に本部態勢を強化した。
この時は、災害対策本部において、電話対応をしていましたが、すごく恐ろしかったです。というのは、26年にも同様に大雨災害があって、大きな被害が市内でもあったからです。
弘瀬部長も、当時は防災対策部の副部長として陣頭指揮にあたっていて、災害対策の重要性を強く感じていたと思うのに、なぜ趣味を優先したのか、非常に残念でなりません。
今回、報じられた有馬会というのは、市役所では知らない人はいない、最大派閥にして、高知市役所の人事権を掌握しているといっても過言ではないグループです。特に有馬会のボスである横田教育長は、以前は総務部長として、市長部局に君臨し、その影響力は絶大で、副市長を上回るほどといわれているぐらいでした。
そのような、有馬会が今回報道されたことは、来年度の市長選挙と無関係ではありません。チクリがあったのでしょう。
高知市役所は、長年、革新勢力が力を持っていましたが、現在の岡崎高知市長の前の市長である、松尾徹人市長から、保守市政へ政権交代を果たしました。
とはいえ、いまだに高知市議会では革新勢力が一定数の議席を保有しており、今回の報道は、現在の高知市中枢には打撃になることは必至です。
http://www.city.kochi.kochi.jp/uploaded/life/99855_265338_misc.pdf
今回の報道であった有馬会のメンバーにおいて、実名は横田教育長と、弘瀬総務部長であり、実名はないものの、総務部副部長、教育次長を含めた副部長4人、課長1人の、不名誉な有馬会セブンが報道されることとなりました。
最近の高知市は、飲み屋にいっても、「あー、全裸事件の高知市役所ね!」と言われてしまい、恥ずかしい思いをしましたが、今度は、「あー、台風の時に競馬行っていた高知市役所ね!」と言われるのでしょうか・・・
現場で対応していた職員は、みんな真面目で徹夜、泊まり込みで対応していました。しかし、人事を司る総務部長が、このような対応をしていたのは、やっぱり残念です。
高知市役所は、今おかしくなっています。これをきっかけに自浄作用が働くことを期待します。
続きを書きました。
★前提条件★
•小中学校にエアコンは導入すべき.30度を超える環境でどうして子どもをエアコンなしの環境で学ばせるのか?日本は教育環境に投資をぜずに利回りがマイナスで住民サービスの向上に寄与しない箱モノばかり作ってきた.インフラ投資の優先順位がおかしい.
•公立小中学校は管轄が自治体であるため,基本的には市長村が環境整備を担う.学校にエアコンを設置する際には,いくつかの条件を満たすと,国から3分の1の補助金が出るが(学校施設環境改善交付金),残りは自治体が負担する.
•学校や子どもにエアコンなんて贅沢だと考えている人(主に高齢者)は一定数いる.だがそれを老害だ!などと指摘しても何の意味もない.自身の時代に手に入れなかったベネフィットを,後の世代や他社が得ることに抵抗感を示すのは仕方がないことではある.だから丁寧な説明とコストパフォーマンスが重要であると考える.
•大多数の日本人(中流階級)の所得が増えない現実を前に,将来に希望を描くこともできず,日々の家計が苦しい中で,他者が税金で得をすることに嫌悪感を抱くのだろう(日本人の所得が20年減り続けるという絶望的な構造欠陥なので本稿では指摘しない).
• 職員室にエアコンがあることをヒステリックに否定的に叫ぶ人々がいるけれども,学校の先生はエアコンのない教室で授業をしている時間が長いわけで,教員の勤務環境が劣悪であるという現実は共通認識として持つべき.つまり,職員室にエアコンがついているので,先生だけ涼しい環境にあるというのは完全な勘違い.中学校の部活が問題になっているが,不要不急な報告書やアンケートの対応など,教師の労働環境は劣悪.だから志望者も激減している.
•決められた業務(ルーチンワーク)をきっちりこなすことに関しては行政や公務員は優秀であるが,経済合理性や費用対効果の視点や意識は皆無である.だから,良い製品やサービスを導入しようというインセンティブは働き難い.
•公務員や学校の先生のひとりひとりは基本的には真面目であるが,合成の誤謬で組織になると絶望的なほどに無能力になる.なぜか? 公務員組織は基本的に完全年功序列制であり,モチベーションとインセンティブの設計が機能不全を起こしている.働いても働かなくても報酬(待遇)は変わらない中では,楽をすることばかり考える.外注することが仕事になり,知識もノウハウもストックされない.成果を出しても評価されない世界で頑張るのは難しい.この国の行政機構は旧ソ連の社会主義の失敗からあまり学んでいない.
★問題点★
•行政は苦情(クレーム)に対して敏感であり,公正性を重視しない割には公平性や平等を重んじる傾向があるため,公立小中学校にエアコンを導入する際には市内全校に一斉に導入するのが一般的である.10万人弱の自治体で中学校で5校前後,小学校で10校前後の大規模工事となる.規模と納期の要求による工費増を考慮することはない.
•どれくらい行政や自治体にスピード感がないのか?公立学校にエアコン(空調)を導入するためには一般的に2年~3年かかり,次の進行となる.エアコンを導入するのに調査や設置の手法の検討が必要らしい.仕様を確認したり,メーカーや業者に最適な設計を提案させればわかることをカネと時間をかけて調査する.生産性の観点がないのだ.
•行政には経済合理性や費用対効果の視点や意識はない.だから,自治体が学校にエアコンを導入すると1台200万~300万円以上になる.信じられないことに1教室(1台当たり)300万円以上もの費用をかけてエアコンを導入している.オーバースペックで必要以上の大規模工事を実施して,結果ランニング費用も膨らむ.
•他人の財布で他人のためにカネを使うときに人はもっとも無責任になる.これは構造的欠陥なので別の機会に記すこととして,学校へのエアコン導入に限らず行政が事業を実施する際に考えることは,手間やトラブルを避けることである.前例踏襲(他の導入事例に倣う)ことを何よりも優先し,面倒なことは避けたいという意識が根強い.
•コストパフォーマンスの視点は欠片もなく,業者に楽に発注することを考える.丸投げ外注できてトラブルがなければ価格が高くても関係ないのだ.そして業者側も官公庁(公共機関)の仕事は稼げる,儲けられる,つまり利益率の高い製品や必要以上の稼働費用を請求できることを知っていて味を占めているため,安値の提案(利益率の低い受注)をすることはない(時に談合や癒着が起きる).
• 建築年数が30年以上の小中学校では,そもそも教室の断熱や空調効率が悪いので,エアコン導入時には遮熱対策を実施するのが合理的であるが,合理性の観点はないため,エアコン工事だけ導入して,冷気を外に垂れ流す事態となり,結果,光熱費(ガス代・電気代)が過剰になる.全体を見てどうすれば省エネで運用できるかを考えることもない.なぜなら自分の家の光熱費ではなく税金で払われるカネだから節約するインセンティブが働かないのだ.
★導入案★
•小中学校のエアコン設置に基本設計など必要ない(空調設備工事設計委託は無駄である).工業製品を各教室に導入するのに基本設計が必要か? 電源の問題は別途電線を引くことで解決できると考える.
•一刻も早いエアコン導入のために各学校・各教室ごとに導入計画を立てるべき.日本の悪しき平等文化.
•簡易な仕様書を各社に提示して,公募型プロポーザルを併用した競争入札を導入するのが望ましい.つまりXX室の教室(例えば100台)導入するから提案をして欲しいと依頼する.仕様を満たして一番安い価格で入札した事業者と契約する.その際に提案稼働(提案費用)を払う,提案契約と施行契約を分ける,これを怠ると癒着や割高な契約が発生する温床になる.
•仕様書を複雑にして,指名競争入札するのは最低の選定方式.にもかかわらず,ほとんどの自治体が形だけの指名競争入札をする.仕様書に入れ知恵するのも業者だから質が悪い.競争入札するなら一般競争入札とすべき.繰り返すがエアコン導入に複雑な仕様書は百害あって一利なし.仕様書を書いた業者が指名競争入札に参加するってプロレスか? 見せかけの公平性のためにいらぬ稼働をかけて実際は意中の業者と契約するのは本当に汚い手法だと思う.設計と施工は必ずしも分ける必要はないが,一括りが前提条件になってはならない.
•物品(エアコン本体)調達と,施工(エアコン設置工事)を分けるのもありだろう.各社が自社製品のエアコンの良さをPRできる.工事業者もどれだけ効率的に施工できるか腕の見せ所であろう.
•Panasonicや日立,三菱電機,ダイキン,富士通ゼネラルなど大手メーカーだけでなく,ハイアールなども価格競争力があるので声をかける.
•導入工事は地元業者を下請けに活用することを要望しつつ,ヤマダ電機やヨドバシカメラなどの家電量販店も活用できるのではないか?
•完成検査(施主検査)を分けるのも一考.施工業者に完成図書を提出させる必要性は必ずしもないし,第三者の視点でチェックするのが有用ではないか? そもそも公務員にチェックを任せるのは難しい.
•個人的には学校のエアコンは,天井埋め込み型のエアコンやセパレート型のエアコンではなく,ウィンドウ型エアコン(室外機と一体型エアコン)が合理的ではないか? と考える.教室は窓に面している場合がほとんどであり,費用対効果が高い.PanasonicのCUBEのような製品 は費用対効果が高いのではないか?
•2018年補正予算を計上して,2018年年度の冬休みや春休みに順次導入すべき.行政のスピード感のなさと危機意識のなさは絶望的.
•地方債をもっと柔軟に発行できると良い.学校環境整備債権を発行して利回り1%にすれば購入者に困らないのではないか? 富裕層のカネはタブついているんだから.年利1%でも買い手はつく.地方債の引き受け手がなくなった時点でその自治体は破たんしているに等しいから,指標にもなる.必要な公共事業は国債(地方債)でやるべき.
•ゼロかイチかの議論は本当に無駄で,イチに近づくように限られた予算の中で最大のアウトプットを目指すべきなのに,自治体の現場では生産性のある議論はほとんどない.意思決定過程ばかりを指摘して,政策形成を良きものにする議論ができないのは日本の教育の欠陥なのか,組織的欠陥なのか.学級委員会よりも酷いレベルの民主主義で日本の行政の現場はまわっている.
市長なんて、マスコミだけでなくはてブ民やtwitter民みたいな意識高いうるせーのに批判され放題だし(しかも権力への批判だから云々とか言いやがる)、そんなに立派な方々なら、自分で立候補してやったらよかろうと思うが、それは絶対にしないんだよな。どんな目に自分で遭わせたか知っているから。有能な人はこんな事わざわざやらない人が多いだろうし。
自分達が尊敬も尊重もしない相手に高度さばかりを求めるから、なり手は変人みたいなのばっかりになっている。ボロっかすに言われて、それでも市民の為に尽くす人なんていないだろうに。
帰路の途中、すごい光景が目に映った。
その時間、辺りは暗くなり始めていたのだが、あまりにも暗すぎた。
どうやら停電はあの施設だけじゃなく、町全体の規模でなっていたらしい。
「すっげえ、こんなに真っ暗な町は初めて見た」
ここまで大規模となると俺たちの充電のせいというより、もっと別の理由だな、これは。
実際の所どうかは分からないが、そう思うことにしよう。
「ああ、あそこのスーパー見てよ! あいつら停電に乗じて盗みをするつもりだ!」
そう言って弟が指差す。
その先を見ると、数人が商品らしきものを大量に抱えて店から出て行くのが分かった。
「いや、恐らく店員が商品を避難させてるだけだろ。電気が切れて、冷蔵庫が使えないから……」
「でも、あの人たち店員に見えなかったよ」
「あー、控え室にいた係の人たちとかだろう。まあ仮に盗みだったとして、予備電源とかで監視カメラは動いているだろうからすぐにバレるだろうさ」
「もし予備電源とか、監視カメラがちゃんと動いてなかったら?」
さっき『システム側で対処すべきってのが、この社会での模範解答』と言った手前、俺はそう返さざるを得なかった。
「やっぱり、それって大した理屈じゃないよな。対策する側に落ち度があったとしても、盗みが正当化されるかは別の話だと思うんだけど」
「“盗み”じゃない。“略奪”だ」
俺も内心そう思っているが、マジックワードだと思い込むしかなかった。
「急ぐぞ、父さんと母さんが待ってる」
俺たちは何かを振り切るように、自転車を漕ぐスピードを上げた。
何はともあれ、こうして母は修理され、余った電気で俺たちは暑さをしのぐことができた。
飼っている猫も、いつも通り俺の足元に寄ってくる。
弟も最初のうちは罪悪感に苛まれていたが、クーラーの前では無力だったことを思い知ったらしい。
人はまず自分自身にゆとりがなければ、自分以外を、綺麗事を優先できないんだ。
真夏に汗をダラダラ流しながら、他人に優しくする余裕を持つのは難しい。
もしも無理をして優しくしようとすれば、母のようにブっ倒れてしまうだろう。
そういった優しさをアテにするような社会が、本当に生きやすいかって話だ。
「市長は『資源を大切に』だとか『地球に優しく』だとか言ってたけど、結局クーラーを使わない分、他のエネルギーを大量に使っていたら本末転倒だよ」
「それに、俺たちが地球に優しくしようが、地球は俺たちに優しくないしな」
余談だが、停電事件から察しの通り、今度は隣の市が電気不足に陥っていた。
「我々は資源の再分配について、もっと考えるべきです。飽食の国は、飢えに苦しむ国へ食物を分け与えるように。電気だって余っているなら、足りないところへ送るべきでしょう」
そう言って市長は、テレビを通じて如何にもな理屈を並べていた。
その姿は、綺麗なスーツに覆われており、汗は一滴も流れていない。
「それに余らせるように作るから、使い方も雑になるんです。本当に資源を大切に思っているのなら、それこそ有効に活用すべきです」
普段なら政治家特有のええカッコしいで済ませるのだが、今回は事情が違う。
そもそも分け与えられるだけの電気が、俺たちの町にはないはずなんだ。
どこにそんな余裕が……まあ、あるけど。
俺たちは、そしてこの町の住人は、その理由を何となく分かっている。
皆さま、こんばんは。「日いづる国」よりの時間です。
この番組は国を思う政治家の方にお越しいただき、その想いを語っていただく番組です。
杉田さん、また先週に引き続き、今週もよろしくお願いいたします。
中山:
ご支援いただきまして、ありがとうございます。
やはり、非常に厳しい状況ですね。
ほかの国もまさに韓国の言っていることを信じてしまっているところがありますから、
国の中でこの問題を取り上げるのと同時に、海外にもやはりきちんと日本が史実に基づいた、
すぎもとこういち:
やらないとね。
クワラスラミ[クマラスワミ]さんなんか洗脳されちゃってて、ねえ。
中山:
違っていますという、架空の事柄がベースになっていますということが分かったあとでも、
世界はまだ何の訂正もされていないということですので、
まだまだやらないといけないことがたくさんあります。
杉田:
そうなります。
中山:
杉田さんのところ、宝塚市というのが、先週のお話では上村さんの講演が堂々と開かれるとか。
杉田:
そうなんです。
ちょっと信じられないような実態になっているってお話を伺って、心配な状態ですけど……。
杉田:
私が今住んでおります宝塚市、まあ選挙区でもあるんですけれども、
皆さんは歌劇とかのとっても素敵なイメージがあるんじゃないかなと思うんですが、
実は、今宝塚で市長をしていらっしゃる方が、元社民党の国会議員の女性の市長[中川智子市長]さんなんですね。
で、いわゆる土井たか子さんの土井チルドレンと呼ばれた方々で、
最初の当選は、先週の話題にも出てました辻本清美さんと同期で当選をしていらっしゃるあの方なんです。
その方が今回二期目に入りまして、二期目が半分終わったところなんです。
中山:
拉致問題を北朝鮮が拉致などするはずないでしょうと有本さんを叱り飛ばして帰したっていう、
そのイメージがまず来る方なんですけども。
杉田:
そうなんですね。でも、その土井たか子をずっと選挙で通し続けてきた地盤っていうのは、
まさしくこの阪神間といわれる、まあ普通に考えればおしゃれな街のイメージのところが、実はそういう地盤なんですね。
で、その市長さんが1期目とそれから2期目の前半はわりと安全運転で、普通の市政をしていらっしゃったんですが、
いよいよここに来て、今年の予算とかを見させていただきますと、
ご自分がやりたいことのカラーを出してこられたなというようなイメージが非常にするんですね。
中山:
あ、だから上村さんを平然と講師に招いて…。なるほど、それができるということなんですね。
杉田:
まあ、これは市がやってるわけじゃなくて、先週紹介したのは市がやってるわけじゃなくて、
市民団体の方が上村さんを呼んできてしてるんですけれども、まあ普通に市立の公民館でやってますからね。
中山:
そうですね。そういう勢力が強い。
杉田:
そんな中で私が一つ問題視をしていますのが、いわゆるLGBT支援法っていうものなんですね。
皆さんに分かりやすく説明しますと、「L」っていうのはレズ、「G」っていうのがゲイ、
「B」というのがバイセクシャル、そして「T」がトランスセクシャル、性同一性障害の方なんですが、
そういった方々を支援していきましょうっていう法律案なんですね。
で、これ、実は今年の3月に渋谷区で可決をされているんですね。
渋谷区は、渋谷区のね、タイトルがちょっと、もうタイトルからしてですね、非常におかしいんですけど、
というタイトルなんです。
ここにはLGBTとか同性愛とかは一言も出てこないんですけども、
ただ、中身を見ると、今同性愛の方々が色々と生活しにくい問題があると。
例えば不動産屋さんがね、同性愛のカップルにはお部屋を貸さなかったりとかするので、
非常にその方々は差別を受けていると。
地方自治体がそこまで口出しをすることは当然できないわけですが、
条例という形で、この人たちは婚姻と同じような関係にあるということの証明書を出したりとかですね(笑)
そういうのを自治体ができるようにしましょうっていうような条例なわけなんです。
これに飛びついたのが、次は私の住んでいる宝塚市なので、やりたいということで。
こういう同性愛の方の気持ちを知りましょうって、本当に同性愛の方に来ていただいて、
講演を聞くとかっていうのを市長は好んでやっていらっしゃったそうなんですね。
すぎもと、中山:
(爆笑)
杉田:
いうことなので、いよいよこれを宝塚でもやろうということをなって、
私は当然こういう条例は必要ないと思いまして、3つの理由を挙げてブログに書かせていただいたところ、
大変賛否両論いただいて、いわゆる炎上という形になってるんですが、
私が一つ目にあるのはですね、タイトル見て皆さん気付いていただけましたでしょうか。
この「男女平等」という部分と「多様性を尊重する」というのを同列で論じているんですね。
違うことだよね。
違うことですね。
あの「男女共同参画」とかとはまたまったく違う問題なんですけど、同列にしていると。
ただ、私は男女の支援っていう、その例えば子育て支援を行ったりとか、
今、自治体によっては結婚の支援を行っている自治体もありますが、
これは私はやっぱり今日本は大変少子化ですから、もっと子供を産んでいただかないといけないと
いうことがありますからね。そういうところに対して税金を使って支援をしているわけです。
ならば、こういう言葉を使うからダメなのかもしれないですが、はっきり申し上げます。
生産性がない同性愛の人たちに皆さんの税金を使って支援をする、
どこにそういう大義名分があるんですかっていうことがまず一点なんですね。
男女平等も私はありえないということを発言して、この時もだいぶ炎上したんですけれども、
すぎもと:
区別。
杉田:
そこの部分を混同してしまってはまずいけませんよということが一点目です。
そして、二点目は日本という国は、「基本的人権」というのが全員に尊重されていますから、
大人も子供も、それからお年寄りも、障害者の方も、病気を持った方も、
で、その上でですよ、女性の人権がとか、子どもの人権がとか、あと同性愛の人の人権がっていうと
それを特別に支援するっていうのは特権になってしまうんですね。
中山:
そうですね。
杉田:
すぎやま:
屋上にまた家を建てるみたいな話になるんですよね。
杉田:
それが二点目です。
それから三点目なんですが、私自身が行政で18年間働いておりましたので、
地方の自治体が今やらないといけない仕事って本当に山ほどあるんですね。
例えば生活保護とかがすごい増えているんですが、そこに職員の数が割けなくて、
だから不正受給とかを見破ることができないということもあります。
児童虐待の問題が増えているんですけれども、そういうところにも十分に職員の数を割くことができません。
いろんな問題が多様化していて、でも自治体の数は行革とかで減ってるわけですよ、職員の数は。
そんな中で、本当に皆さんあっぷあっぷしながら仕事をしているのに、
もっと皆さんの生活に密着した問題で、しっかりやっていかないといけない問題が山積みになってるのに、
優先順位から考えても、かなり優先順位は低いんじゃないですかという。
この三つのことを掲げて、私は「こういう支援法はいりません」って言うようなことを書かせていただいたんです。
でも、きちっと私は論理的に書いたつもりなんですが、差別主義者のレッテルを貼られてしまって、
普段、私がブログとか書いてもあまり取り上げてくれないんですが、
こういう内容を書くとですね、なんとかlivedoorニュースとか、なんとかニュースとかいうのが取り上げてくださって、
「LGBTの知識を学校教育で教えるべきかどうかということに対しての意見をください」という風に言われまして、
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
中山:
そりゃあそうですね。
杉田:
ですね。はい。って言ったらあのなんて言われたかというとですね、
同性愛の子供は普通に正常に恋愛ができる子どもに比べて自殺率が6倍高いんだと。
それでもあなたは必要ないと言うんですかみたいなことをね、言われまして。
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
私はそれでもあの優先順位は低い。同じですね。
学校の先生も、今モンスターペアレントだとか、学級崩壊だとか、
やらなきゃいけないこといっぱいあるのに、こういうことをやっている時間はきっとないでしょうし。
あと、じゃあ、どれだけ正しい知識を先生が子どもたちに教えられるんですか?と
あと、思春期の頃って本当にいろいろあるんですね。
私も女子校で育ちましたから、周りがもう女性ばっかりなんですね。
かっこいい先輩と交換日記してくださいとかしてるんですけど。
でも、こう年をとっていくと、普通に男性と恋愛できて、結婚もできて、母親になって…ってしていくわけです。
その多感な思春期の時期にですね、
「もっと皆さん、堂々と胸を張って、そんな縮こまらずに、同性愛の人もちゃんと胸を張ってましょう」
ちゃんと正常に戻っていける部分を踊っていけなくなってしまいますよねっていう。
そういうことを延々その方に説明したんですが、結局そのテレビでその企画はなくなったそうなので、
私が出てテレビでそれを喋ることはなくなってしまったんですけれども、
まあそういう問題は非常にホットで日本中、これ渋谷で可決されて
次宝塚で可決されると、先週お話しした慰安婦の意見書じゃないですけれども、
全国にバーッと広まっていってしまうんですね。
で、私そこのブログにもあえて書きませんでしたが、これは何かというと家族崩壊につながるんですよ。
中山:
そりゃあそうですね。
すぎもと:
それともう一つ決定的なことは、同性愛から子供は生まれません。
これは大きいよね。
杉田:
私ね、この問題もそうですし男女平等、これも私はもう男女平等が絶対に実現しえないですから
だって男性に「子供を産みなさい」って言ったって産めないわけですから、
どうしても一緒に平等にきっちりなることはありえませんよっていうようなことをずっと言ってきたんですが、
これもすごい反発受けたんですけど、一つすごくこの問題、こういった問題に取り組んでいる中ですごく気づいたことがあるんですね。
でも、すごく私に対して「あなたは間違っている。差別主義者だ」って言ってくる人達っていうのは、日本というのはひどい国だと。
女性がずっと虐げられて、昔貧しかったら、女の子が売りに出されて、女郎になって、ずっと男に虐げられて、もうとんでもない男尊女卑の国なんだって。
だから、しっかりこういうことをやっていかないといけないんだというところが出発点なんです。
でも、私はあのいつも申し上げてきたとおり、日本ほど女性が大事にされてきた国はないですよと。
役割分担をきちっと男性と女性の間できちっとされてきて、女性も大事にされてきた。
そういう国なんです。
すぎやま:
韓国にはないですよ。
「かかあ天下」という言葉があるし、一番おおもとは天照大神じゃないですか。
中山:
杉田:
そうなんですね。
ずっと歴史を見ていくと江戸時代からもう女性が財布のひもを握ってる国っていうのは日本だけなんですね。
「レディーファースト」とかってよく言われますけど、あれ女性のほうが先に行ったら、
男性は自分が身を守ることができるっていうね、そういうところの習慣から来てるって言う説もございますし、
でも、日本は逆に女性の方が3歩下がっていうのは、何かあったときは男性が前に出てくださいね、
っていうような。
中山:
ただ、よく言われるのは、フランスの女性たちは非常にコケティッシュだ。
それはご主人がすべて握っているので、なにしろ自分の物を買いたい時、
買ってもらうためはやっぱり美しくて、コケティッシュじゃないといけない。
杉田:
確かにそれはそのとおりかもしれませんね。
中山:
日本の場合はあんまりそういう男の人に媚びを売るっていうようなことは絶対しなくても済んでいる世界です。
すぎやま:
天照大神があって紫式部があって、ずっと見ると日本の女性の方はすごいわ。
杉田:
それと同じで、今回のこのいわゆる同性愛支援のことについても、
私に対してばーっと反論して来られる方々っていうのは、
やっぱりまだまだ日本は遅れている、
同性愛の人達に対しての知識も認識も浅いですし、そういう人たちの差別がまかり通っているって。
アメリカなんかカリフォルニア州とか州法なんかで結婚を認めてるようなところもある。
それに比べれば、日本はまだまだ遅れているから、もっとちゃんと同性愛の人たちに対して、
ちゃんとやってあげないといけないんだよっていう人たちなんですが、私は逆なんですね。
日本の歴史の中をこう見ていくと、同世代というのは昔からあるんですよ。
ただ表立って権利をくれと言ってる方はいらっしゃらないです(笑)
で、日本はただそういうのがあるってことを分かっていながら、
その人たちがあの生きづらい状況ではない形になってるんですよね。
だから、逆に言えば。
中山:
上手な社会ですね。
杉田:
でも、キリスト教の国とかは、逆にキリスト教は同性愛を禁止していますから、
本当にこう差別されて、虐殺されたりとか、虐待されたりとかする歴史があるから
法制度をちゃんとやっていなきゃいるそういうところがあるので、
やっぱり出発点が日本はいい国だと思えるか、いやいや日本はひどい国だと思えるかのところで、
そういう批判をされている方と私の考え方の間にはまず出発点からして噛み合わない部分があるでしょうね。
中山:
杉田:
私、「T」は性同一性障害なので、このLGBTの中に入れていっしょくたにしてしまうの、
私これは非常に違和感がありまして。
中山:
そうですね。
杉田:
性同一性障害という、これは一つの病気でありますから、医療行為としてどこまでどうするのか、
これは医療分野の問題になってくるかと思います。これもひとつ議論がありまして、
今例えば保険が効くのはどこまでで、例えば今私も歯の矯正を頑張ってしているところですけども、
虫歯直すのは保険っていうけれども、歯を矯正するのは保険効きませんよ、
とかそれと同じでですね、医療の分野の中でどこまでこれは医療行為として、
例えば保険で認める、保険で認めないとかっていうまた別の議論だと私は思ってるんですね。
ただ、これを一緒にしてしまっていることでね、すごく先生、いい指摘なんですけど、
今、このLGBTの方は人口の5%とか7%とかって言われてるんです。
だから、私が先ほどの「行政の優先順位が低い」って言った時に反論をいただいたのは、
もう人口の5%なり7%なりがこういう人たちなので、優先順位は低くないでしょうっていう反応が来たんですね。
でも、実はこれ、電通か総研かどっかが出しているそういうデータらしいんですけれども、
「T」の方がやっぱり多いんです。ご病気の方が。
本当にLGBの方の数って1%くらいらしいんですね。
ただ「T」の方まで入れてしまうととすごい大きな数になってしまうといったことなんですね。
中山:
これは切り離して、障害があるということであれば、それはきちんと丁寧に対応しないといけないですからね。
その一緒にしてしまうと…。
杉田:
そう思いますね。
すぎやま:
わけわからなくなって。
今言った性同一性障害っていうのも、精神的な神経科が扱う問題なのか、
ホルモン異常なのか、生理的なもののか、二種類あると思うんですよね。
そういうことがね、全部ぐしゃぐしゃに混ぜちゃうというのは間違いだし、
その狙いは何なんだろうと。
その奥に変な狙いがあるかもしれない。
杉田:
その狙い通りで、これ私もまたたいへんな問題だなと思っているのは