はてなキーワード: 女子御三家とは
これまで順調に高校まできて、初めて、高校生でもなく、大学生でもない不安定な立場である浪人生になったことに不安を感じているんですよね。
わかります。自分も20年前そうでした。私はその後東大を卒業して、研究者をしています。
あなたが今やるべきことは
最後に。あなたが純粋にやる気のある人なのか、落ちた言い訳をしているだけの人なのか、私にはわかりません。
ただ今の段階で、研究者になりたいという夢があなたががんばることの原動力になるのであれば、それを否定する権利は誰にもありませんし、
夢に向かってがんばってください。
大学に入った後で、やっぱり自分はスタートアップを起こそう、大企業に勤めよう、やっぱり医者になろう、芸能人になろう。
何でもいいと思います。好きにすればよいと思います。いま研究者を目指したからといって、一生研究者をする必要もありません。
東大の研究者すら辞めて自分の会社を起こしたり、Google等の大企業に所属したりする時代です。
浪人生が研究者になりたいといった夢を一貫してないなどと批判する大人の戯言など無視してください。
現代社会はいらないと言っているのに、今の東京は使おうとしている時点で詰んでいる件
しかし平成には多くの若者が自然参加した素晴らしい「新鮮な日本」は使おうとしない
平成10年から東京を中心に灘、開成、江戸川取手、女子御三家などの有名私立高校の(自慢を兼ねた)全国的高校偏差値差別ブームの到来
Z会などが用意した新しい教材が全国的に読まれ、添削指導にも花が咲いた
その後も、福岡や大阪、東京で、ネットカフェ、吉野家、マクドナルドなどの初オープンという、それまでになかった鮮やかな新型文化のパレードがあった
そして河合、駿台、代ゼミなどの予備校で花開いた爆笑講義や、東大京大早慶などの冠模試、
これらを使い倒して現在の東京都心部の文化を形成した、3、40代の真夏のような旋風があった
その渦中にいた者たちは「醜悪な国家を排斥し、自分たちが新しい時代を作る」と、肩で風を切ってこの島を席巻した
多くの頭脳派が夜も寝ずに使える教材は使い倒し、やりがいをもって生きて生きて生きまくった、真夏のような時代だった
その過程で、全国の学問、大学は切り捨てられ、大学は東大京大早慶だけが残された
そんな「新鮮な日本」があったのが平成、今後もそんな様にできないならお先真っ暗だ
東大進学者数ランキング、この25年で、一気に『中高一貫私学』のプレゼンスが大きくなっている。
『中高一貫私学の受験指導スキルの向上に、公立高校がついていけなくなってるから』
の解説。
今では『桜蔭⇒東大』、或は『渋谷学園幕張⇒東大』『豊島岡⇒東大』という選択肢程度しか限られてしまっている
※所謂女子御三家の中でも、『雙葉』とか『女子学院』の東大進学者数って、実は大したことない。
そして、女子の私立一貫校は、渋谷幕張を除けば、全て東京都心に立地が集中しすぎている。
なので、多摩とか神奈川とか埼玉の『できる女子』は、1時間以上の通学で、桜蔭等に行くしかないのだが、
『ワンランクは落ちるが、通学時間が短くて安心できる女子私学』に通わせるケースも多い。
また、関西地区・名古屋地区には、『そもそも、レベルの高い女子私学自体が、存在していない』
この結果、『通学圏に、レベルの高い私立女子があるエリアに居住している女子』は、
これが男子だと、桜蔭・豊島岡レベルの男子私立は、都心以外の神奈川・埼玉・千葉・愛知・京都・奈良・兵庫・福岡・鹿児島と存在していて、
東大に代表されるような難関校進学に対する、男女の『性差』というのは、実はこの『中高一貫校の偏在』に起因する部分も、大きいのではないか?
日本の政界とか、官界とか経済界とか、医学界とか法曹界とか、で、
という目標を達成するには、
http://anond.hatelabo.jp/20140211194145
私が女子小学生だった頃、
・学校(「感じ悪い」「キモイ」と言われないよう、自分の言動と容姿に気を配って無難に過ごす)
・日能研(勉強に励む。志望校が女子御三家だったので、いくら勉強しても合格確実とは言えなかった)
・家(学校や塾であった良いことだけを報告し、仕事で疲れた両親の愚痴を聞く)
で、それぞれの役割を果たしていたので、塾が終わったあとコンビニで立ち読みしてから帰っていたよ。
どこに居ようが「いい子で居ろ」という圧力がかかるから、一人で居るしか楽になる方法が無い。
だから「まっすぐ帰らない男たち」には過去の自分が思い起こされて非常に共感するんだけど、元増田は
職種は違えど、いろんな男たちが、ただ一人になりたい、と望んで、いろんな場所で過ごしている。そんな悲しい現実をみなみているし、男性ならそのなかの一人なのかもしれない。
女にも「いい女で居ろ」、子供にも「いい子で居ろ」という圧力が常にかかり続けているのに、
この人は「大人の男」というグループを特別視したいんだろうね。
でも「大人の男」でも、自分に期待される役割を無視して好き勝手に生きてる人居るでしょう。
人間をグループ化して仲間を作って、それ以外を敵(楽こいてる奴ら)に設定しようとしたって、
世の中そう都合よくは出来て無いんだよ。
私は一人になりたいのだ。
なればいいのに。救いにならない家庭なんて無意味だから離婚すればいいのに。
作成日は一昨年のクリスマス。
ファイル名は「doutei」
どうやら童貞についてまとめたものらしい。
以下
童貞の語源
「童貞」 の本来の意味ですが、「童貞」の「童」は子供のこと、「貞」は、貞節、貞操などというように、
つまり子供の頃の状態を守る、性的に清潔で「生まれたままである」「清らかな体である」 というような意味になります。
日本語の「童貞」という言葉が成立したのが正確にいつなのかは不明なようですが、「野球」「資本主義」などと同様、
外来語由来の新しく作られた日本語であるのははっきりしていて、「Virgin」の日本語化だったようです。
日本での初出としては、1678年、捨て子などを保護し教育に勤めたニコラ・バレ神父による、
パリのサン・モール街の修道女の養成所を出発点とした「幼きイエス会」が源流となるフランスのカトリック教サン・モール修道会が、
外国人の子女のために1874年、日本の横浜に設置したフランス語の学校の名称が「ダーム・ド・サン・モール」 であり、
それの日本語表記が 「仏語童貞学校」 であることから、これを起源とするのが定説となっているようです。
この 「仏語童貞学校」、前身は 1872年 (明治5年) に来日したフランス人宣教修道女メール・セント・マチルダほか4名の修道女(シスター) により設立された、子女の教育と貧困にあえぐ子供たちの救済を行う施設 (孤児院、施療院/ 仁慈堂)が基になっていて、
しかし当初は男性の性行為未経験者を指す言葉ではなく、性別を問わず生まれたままの者、
この場合は清らかな乙女、「主のために操を守り続けるカトリック教の尼僧」のことを指していたようです。
男も女もみんな童貞だった訳ですね。
セカンド童貞について
童貞を捨ててしまった後になることがあるもの
セカンド童貞の影響
今後の展開
「童貞は一度捨ててしまうと再び持つことは出来ない。」との主張や
これまで自らをセカンド童貞だと公言する者も、積極的に研究しようとする者もほとんどいなかった。
しかし21世紀に入り、価値観の多様化が進展したことで童貞であることの利点(というより、童貞非童貞の差異の無さ)が再認識され、
なんかセカンドインパクトみたい
童貞質量保存の法則
読んで字のごとく。「童貞」の「質量」が「保存される」という法則。
近年その存在が証明された。
実例1
B君は童貞を捨てました。でもまだB君は童貞を1つもっています。
実例2
B君は童貞を2つ持っています。
ある所でC君が生まれました。
B君の童貞は1つになりました。
影響
これによって童貞は「童貞である」「童貞でない」という0か1かのデジタルなものではなく、
また、童貞は持てば持つほど捨てにくくなる性質を持っているため、
近年の理論的発展
日本では少子化の進行により新規童貞受け入れ枠が減少し、童貞の一極集中化現象が起きていると言われている。
しかし地球規模で見るとむしろ人口爆発が起こっているため、現実の現象に対して研究者によって考え方が異なる。
以下にその例をいくつか挙げる。
まだあったけど今日はこの辺で勘弁。
一昨年のクリスマスなにやってんだよ、俺。
日曜の朝っぱらからなにやってんだよ、俺。