はてなキーワード: 明徳義塾とは
時と場合にもよるけど、個人的にはそれほど問題ないと考えている。
大阪桐蔭や明徳義塾、かつての帝京のように、甲子園のヒール役で、スタンドからの応援が少なくても順調に甲子園を勝ち上がっている強豪もたくさんある。思われているほど応援の偏りで負けたりはしていない。
過剰に声援が偏りがちなのは、2007年の佐賀北や2018年の金足農など、基本的に甲子園の常連ではない平凡な公立校が勝ち上がった時で、普段の力関係を考えれば、そういうことは許容範囲だと思う。
今回は、昨年優勝したメンバーが中心の絶対王者・仙台育英に、107年ぶりを目指す日本を代表するエリート名門校・慶応が挑戦する、というわかりやすい対比と、六大学野球の応援スタイルを全面的に甲子園に持ち込んだことが原因。見たことのある人はわかると思うが、優勝争いの時の早慶戦の応援は阪神以上にすごい。
個人的には2011年の2回戦、帝京ー八幡商戦。8回までは優勝候補だった帝京が3−0の楽勝ムードだったが、9回に八幡商のヒットやエラー(日ハムの松本剛)が続いて観客が盛り上がってスタンド全体が八幡商応援団状態になり、最後には満塁ホームランが飛び出して大逆転勝ち。
以下事例と考察。
これは決勝ではなく3回戦の話。2回戦で明徳義塾が松井秀喜に対して5打席連続敬遠を行った結果、試合には勝ったが日本国民からが総スカン。
次の3回戦は完全アウェー状態で、相手の広島工業がヒットを打っただけで大歓声、明徳義塾がアウトになっただけで大歓声、明徳義塾がヒットを打ってもスタンドは静まり返っていたと言う有様。
本来の力関係では明徳の方がはるかに上だったが、スタンドを完全に敵に回した状態では力が出るわけもなく、0-8の惨敗。
試合終了時にスタンドから一斉拍手が起き、それを明徳義塾の監督は「労いの拍手」と有難がったが、明徳義塾が負けたことに対する拍手であることは明白だった。
「最後の国立決勝」ということで48000人の大観衆の下、富山第一高校が後半40分まで0-2と負けていたがその後立て続けに2点取って追いつき、延長で勝ち越して優勝を果たした試合である。
富山第一が1点返した時点でスタンドの雰囲気が変わり始め、ロスタイムにPKを獲得し、監督の息子がそれを決めて同点に追いつくとスタンドの雰囲気は富山第一高校の応援一色。
後半終了から延長開始までのわずかなインターバルの間にウェーブまで起きていた。ウェーブはスタンドを2周し、対戦相手の星稜応援席だけが無反応と言う状態だった。
こんな状態の中、富山第一の決勝点は相手陣内からのロングスローがアシストになったものだが、そのロングスローを行った選手はなんとこれまで一度もロングスローをしたことが無かった。富山第一ホームと化した旧国立競技場が、ロングスローのスキルを一時的に付与した事例と言える。
東邦高校が6点差逆転サヨナラ勝ちした試合である。9回裏、東邦が点差を詰めてきた途中から全方位的なタオル回し応援が行われ、相手に対して強烈な圧となっていた。タオル回し応援がNGとなったきっかけの試合である。
ただ、9回裏開始時点ではタオル回しは無かったことを付記しておきたい。
金足農業旋風の年である。これも金足農業のホーム状態となり、対戦相手はそれに苦慮していた。
この動画が分りやすいが、金足農業の2ランスクイズサヨナラ勝ちの瞬間、内野席だけでなくバックネット裏の子供たちも立ち上がって喜んでいたのである。
https://www.youtube.com/watch?v=HnTyA-j22dk
スタンドの応援や雰囲気が片方に偏る理由は、試合展開であったり、それまでのチームが紡いできたストーリーによるものである。
今回の慶応の壮絶大応援も、1回の先頭打者本塁打がきっかけだ。仙台育英が先制していたら話は変わっていたはずだ。
つまり、いくら「相手に配慮した応援をしましょう」と言っても意味がない。
万遍ないな
東北を除いて
日本-ポーランド戦の後半最後の6分間の、日本のパス回しがフェアではない、という論調のニュースを聞いていて、表題のことを思いついた。
松井秀喜5打席連続敬遠とは、1992年8月の甲子園本戦において起きた出来事のこと。
30代~40代の人はリアルタイムで見ていただろうけど、若い人は知らないかもしれないね。
本戦2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦において、明徳義塾が当時の3年の松井を五打席連続敬遠でバットを振らせず、結果として星陵が敗退した。
当時も、今回の日本-ポーランド戦と同じくらいの批判と議論が巻き起こった記憶がある。
wikiで調べてみると、試合後に明徳義塾高校の生徒たちに殺人予告まで送られてきたらしい。
当時、テレビで見ていた私自身も明徳義塾の敬遠のやり方を快く思っていなかったけど、それは私自身が「傍観者」だったから言えたことだったのだ。
高校野球・甲子園は県別対抗トーナメントなので、高知県民ではない私は明徳義塾には何の思い入れもない。
しかし、もし私が高知県民で明徳義塾を応援していたら、五打席連続敬遠の手法も受け入れていた可能性が高い。
高校野球は日本国内のローカルなのに対して、ワールドカップは国別対抗であり、私を含めた全ての日本人は傍観者ではなく「当事者」に引き上げられる。
当事者の私としては、ワールドカップの予選突破のためなら、汚名を受け入れてでもやってほしいと考えている。
日本人の一人としてワールドカップに熱くなれるのは、やはり過去20年間の日本代表チームの苦労を見てきているから。
1994年のドーハの悲劇、2002年の日韓ワールドカップの史上初めての決勝トーナメント進出、2010年の8年ぶりの決勝トーナメント進出、2014年の予選敗退・・・。
「もう目標はない」と燃え尽き症候群に陥った。連続優勝は06年名古屋からの4場所連続以来、2年遠ざかっているが「どうでもいいんだよ」と闘志に火が付くことはなかった。
炎がともったのは10月だ。きっかけは赤いポストだった。秋巡業中、母校の高知・明徳義塾高を訪問した。どうしても行きたかった場所があった。それが校内にある郵便ポストだった。「寂しくてホームシックになるとここに来て手紙をモンゴルに送ったんだ。このポストが寂しいオレとふるさとをつなげてくれていると思ってね、がんばれたんだよ」。当時のままと変わらないポストに苦しかった日々をかみしめた。ポストは携帯電話で写真を撮って大切に保存している。「あの頃を思い出してやらないとね」
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20091122-OHT1T00248.htm