はてなキーワード: カバー下とは
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その2で終わりです。
この巻では、太助とシャオに試練が降りかかる。太助はなんとか突破するのだが、ここでシャオが恋愛感情について○△◇~といった事情で、とてつもない壁があることを思い知る。
でも、シャオも止まってばかりじゃなくて、恋愛感情の生まれかけみたいな想いと向き合って、自分をちょっとずつ変えていこうとする。
⑥シャオリンが新春カルタ取りで一番になれなかった後、山野辺と帰る時のシーン
「あーあちょっと残念だったです」
「ん?」
「なんか叶えてほしい願いでもあんのか?」
「願いっていうかね 神様に許してほしいんです」
「?」
「太助様が言ってました 俺に頼れって… だけどね… …不安なの 本当に太助様に頼っていいのかわからないから… 本当に私… 変わっていっていいのかわからないから… 神様に聞いても答えてくれないでしょ だからカルタ大会で一番になって 許してほしいなって思ったんです」
(あちゃ――ウソついてまずかったかな――なんか罪悪感 でも…ま……いっか)
「神様は許してるよ シャオは 七梨に頼っていいし変わっていっていいんだ あたしがさっき願っといたからさ シャオの願いが叶いますようにって そんでもって あたしってばカルタ大会で一番になったことなんて 数えきれないほどあるんだぜ!!」
「翔子さん…」
(――ありがとう…)
シャオは素直である。山野辺の「新春カルタで一番になったら願いが叶う」という嘘を信じて、神社でのカルタ取りに挑戦する。
このあたりから、シャオが気になってしょうがなかった。果たしてシャオの心を変えることはできるんだろうか? 実は、そのあたりの伏線は登場している。その原因についての。
もし俺が15才とかだったら、すっかりシャオが大橙好きになっていたと思う。今は40代のおじさんだから、素直に好感が持てるとか、そんな月並みな印象でしかないのだが。いずれにしても、実弟がドはまりした理由がこれでわかった。
この『まもって守護月天!』というのは、絵柄の綺麗さもあるけれども、なにより男女に共感される形で登場人物のリアルな感情の動きがわかったり、それを具体的な行動に落とすところとか、そういう所作がハイレベルである。
現代漫画だと、『鬼滅の刃』とか『恋は雨上がりのように』とか『Vivy』とか『僕の心のヤバイやつ』とか、そういう畢生の作に連なるものがある。
バレンタインデーが舞台だ。リアル増田は、2/14頃にこの日記の初稿に取りかかっている。
え、俺がもらったチョコレート? ……会社の若い子からひとつもらえたよ。事務のおばさんからもひとつ。義理チョコだけどな。
ああ、あとは妻からもチョコレートをもらえたよ。義理チョコだけどな。
⑦-1ひと悶着ありつつも、河川敷でシャオが太助にチョコを渡した後のシーン
「翔子さんに教えてもらいました今日はバレンタインデーっていう日だって…」
「そ…そう」
「太助様」
「ハ…ハイ!!」
「気持ちって なんですか?」
(へ………?)
「バレンタインデーにチョコと一緒に伝える気持ちってなんですか?」
「……………」
「気持ちを伝えたい人はいっぱいいちゃダメなの? 一人だけに伝えるの?どうして一人だけなの? 伝えるのどうなるの? 翔子さんに教えてもらったこととか 私の気持ちとか…考えたらよくわからなくなっちゃって… …でもね そのチョコ買ってここに来るまで なんだかそわそわしちゃいました …えっと 太助様 そのチョコ受け取ってもらえますか? まだ気持ちは伝えられないけど…」
「もちろん!」
⑦-2キリュウに不敵な内容の試練をメモ書きで要求し、突破した後のシーン
「…………」
「約束だ なんでこんなもの[※メモ]を私に渡したか教えてくれ」
「自分で望まなきゃ 試練にならないと思ったんだよ そうでなきゃ与えられた辛いことに耐えてるだけで 越えられないだろ もったいないじゃん せっかく成長できるチャンスなのに いやいや受けてるよりは 試練とだって仲良くした方が効果あると思わないか?」
「…ああ そうかもな…」
キリュウというのは、この7巻からの新キャラである。万難地天という、主人に試練を与えるキャラクターである。物理的にモノを巨大にできる。やはり、この時代のラブコメは暴力性が強い。ジョジョ5部に出てくるホルマジオの「リトル・フィート」を思い出した。あっちは小さくするんだっけ。
上記の場面で太助は、この試練を利用して力をつけ、シャオとの心の距離を埋めて一緒になることを意図している。
文学性とでも言おうか。レベルが高い漫画って、文学みたいだよな。
『百年の孤独』とか『ライ麦畑でつかまえて』とか『わたしを離さないで』みたいなガッツリしたやつじゃないにしても、キャラと行動が嚙み合っていて、しっくりときて、心にスッと入ってきて、それで自然と涙が出てくる。そんなやつである。
この巻あたりから、シャオ自身が太助に近づこうとしてアプローチをがんばる場面が出てくる。あくまで俺の考え方だが、恋愛って、基本は男性→女性にいくものだ。恋愛に必要なステップが10あったとすると、そのうち9くらいは男性が引っ張っていく必要がある。
ラブコメ作品では、現実世界よりはるかに――女性が恋愛に積極的である。現実にいたとしたら痴女か恋愛ハンターである。そんなレベルの恋愛Junky。
しかし、シャオリンの場合は、奥ゆかしさがあるというか。最初のきっかけはシャオが作ることもあるけど、最後は太助がバッチリ決めようとする。空振りになることも多いが笑
⑧-1その年の梅雨最初に振った雨が止むまでに誰とも話さなかった二人は……夏に幸せになれるという山野辺の嘘を真に受けたシャオリンが太助と一緒に路上を走っているところ
(――ねぇ翔子さん 私… わがままなのかな ずっと雨止まないでほしいなって 思っちゃうの)
⑧-2太助と一緒に登山中、遭難して夜になり山林で小休止しているシーン
「…俺 もうちょっとまわり見てくるから シャオはそこで待ってな」
「――え… ――太助様… ねぇ離珠 太助様怒っちゃったかな …私守護月天なのに 支天輪忘れてきたなんて言ったから[※太助に嘘をついた] 役立たずだ………って 思われちゃったかな………」
シャオは、太助に近づこうとしている。不安げな気持ちが読者に伝わってくる。自分の気持ちに向き合おうとする姿が印象的だった。ピュアと言うほかないのだが、大人になって忘れていた感情を思い出した。
ただ、やはり非現実的な描写が目立つ気がする。この回では、乎一郎が山中の樹木の上に夜中じゅう放置されて終わりという、トンデモエンドを迎えてしまう。しかも、ルーアンが気が付いたのは次の日の朝という……。
太助の家族の話だ。本来は4人家族で、一緒の家に住んでいるはずなのだが、みな海外に旅に出ている。普段、家には中学2年生の太助しかいない。ラブコメ的な都合にしてもちょっとひどい。
この巻では、太助の母であるさゆりが出てくる。実は、太助が赤子の時に旅に出ているため、彼からすると他人状態である。
実際、太助もそんな人間を母と認めるような甘いことはせず、放置気味にさゆりを突き放すのだが、とはいえ母親が恋しい感情もある。そんな葛藤を描いた巻である。
⑨太助が放置親への感情を整理した後、シャオがその手を握りしめた直後のシーン
「え…?」
(私が ここに来たのは あなたの中にある孤独や寂しさが 私にはよくわかったから あなたのその気持ちが 言葉じゃなく 私の心に 届いたから ――ねえ太助様 大切なのは 話すことじゃなくて お母さんのことを知りたいと思えたその気持ち そのことにどうか気づいてほしいの)
実の母親は実弟ばかり可愛がっていた……まあしょうがない。俺は、小学生の頃から警察に補導されてばかりだった。母親が、俺を損切りして弟をかわいがるのは当然だったかもしれない。
大学生になっても、京都の祇園や木屋町とかの飲み屋街で暴力沙汰を起こして、何度もパトカーに乗せられたよ。俺はそっち側の人間だった。母の判断は正しかったのだ。
ただ、かくいう俺も実弟がかわいいとは思っていた。ドジだったけど、優しい気質だった。将来どんな人間になるのか楽しみだった。事故で死んでいなければ、まともな社会人になっていたと思う。「家栽の人」になっていたかもしれない。
これを含めてあと2巻である。
この巻はキリュウが主役だ。7巻から出てきたキリュウだが、俺はこの子が気に入った。シャイキャラで、芯が強いみたいな感じだ。この作品についてはググらないと決めていたのに、この子についてはググってしまった。キャラ人気では相当上位らしい。
第9巻の冒頭にあった人気投票でも、主人公である太助が5位で、キリュウは2位だった。シャオリンが1位を獲得。
⑩キリュウが太助の姉との関係性の悩み(※嫌われるのが当然なのになぜか好かれる)をルーアンに相談するシーン
「ルーアン殿は自分が変わっていくことについてどう思う シャオ殿が言ってた ここは昔と違うことが多くて自分を変えなきゃいけない シャオ殿は自分を変えたいと思ってる でも変わるのは怖いと言ってた」
「……………」
「ルーアン殿は変わったな こうやって私の愚痴を聞いている ルーアン殿は変わるのは怖くないのか?」
「変わるって何? あたしは変わってないわよ 変わるってなんだと思ってるの? 何か今まで気付かなかったことに気付くこと? あたしはここに来ていろんなことに気付いたけど 変わったなんて思わないわよ? 変わったんじゃなくて… 知る暇もなかった知らないことに 気づける余裕が出来ただけ」
「……………」
(ルーアン殿の言う通り 「変わること」が「気付くこと」なら 私はもう気付いてる ここには今まで感じたことのない 優しさがあって安らぎがあって 悲しくなる程の幸せがある でも…だから私は そのことに気付かない振りをしてるのに…)
この巻では、登場人物それぞれの悩みをガッツリ表現している。キリュウは、「ご主人に試練を与える」という性質上、主やその家族に必然嫌われることになる。ずっとそうだったのだが、ここは現代社会である。昔に比べると価値観が相当異なる。そんな中で、彼女らも『気付いて』変わっていかないといけない、というのが上記の会話のテーマである。
キリュウは、幸せになることを受け入れたくない、変わりたくないと思っている。だが、ラストでそれに向き合おうという気持ちに変化している。
キャラの心情を精緻に描いている作品は少ない。物語作ってるプロの人ってさ、やっぱりこれくらい悩むものなのだろうか。自分の分身であるキャラそれぞれの心持ちについて、本気で考えてるんだろうな。きっと。
この巻で終わりである。実は当初、全11巻で一応の完結が見られると思っていた。そんなことはぜんぜんなかった。
この巻では、10巻からの一連の流れで、キリュウがこれまでと趣向を変えた試練を太助に与えている。シャオが○○して、これはもうダメかも……と思わされるのだが、太助がその試練を乗り越えて、シャオと対話をして、心で向き合うことができて、今後にご期待ください~といった具合で11巻は終わる。
どこかを引用しようと思ったが、やめておこう。もしかしたら、まもって守護月天!が大事な思い出になっている増田読者の方で、電子書籍で読んでみたいという人がいるかもしれない。うん、きっとそれがいい。
代わりに、カバー裏にあった桜野みねね先生によるおまけコーナーを紹介したい。
巻の⑪です――。
ここらでここに描くものもちょっと変えたいなーってことで今回は、
前回までやってた「のたもーた」とかは、まだやってないキャラもいるので、そのうちまたやろうかな、と思っているわけなのです。
ではまた12巻で~~。 みねね
これで最後だ。
弟なんだけどさ、交通事故で病院に入ってからは大変だった。自転車で走っている最中、真後ろからトラックにぶつけられたのだ。それで轢かれたらしい。外傷だけじゃなく内臓もやられていた。苦しんでいる姿がストレートに目に入ってきた。
それでも、お見舞いに行く度に、病室には守護月天の漫画が置いてあってさ。何度も繰り返し読んでたんだろうなって。
今、俺が手に取っているのはまさにそれである。本自体、相当なダメージを受けている。何回読み返したんだろう。弟は、セリフの細かい字面とか、…の数も気にして読むタイプの人間だった。漢字で書ける台詞がひらがなになってるとかも。
ただ、何度繰り返し読んだとしても、この作品であれば楽しめたのではないか。
桜野みねね 様
幣日記をご覧になる機会はないとは存じますが、このようなメッセージを失礼いたします。
桜野先生の作品を読ませていただき、家族について考える機会をいただき、感謝でいっぱいです。
実弟も、病院の中で苦しんで逝ったとは思います。でも、弟は先生の作品に出会いました。痛みや苦しみの中でも、僅かばかりの楽しい時間を過ごすことができました。
一人の読者の家族として、重ねて感謝いたします。『まもって守護月天!』という作品を世に産みだしてくださり、誠にありがとうございました。
令和6年3月16日
「床に積み上げていてとても邪魔だ。よくつまづいて山を崩す。」
同じ状況だったので3年くらい前に、引っ越しを機にkindle化されてない書籍を除いて全部売り払い、
少しずつkindleで買い戻しています。現在のkindle購入冊数が3,000冊ぐらい、9割以上は漫画です。
なんでか小説は後回しにしてしまいます。自炊と他社のサービスは使ってないのでよくわかりません。
あ、DMMのえっちな漫画用アプリはアップデートでだいぶ使いやすくなりましたね。
Q.単純に紙の本が好き
自分も今でもそう思いますし、紙の方が読みやすいです。人に貸せないのもネックですね。
ただ前の環境では読みたい時にその本が部屋のどこにあるかわからない状態で、読みやすさ以前の問題でした。(自分が悪い)
あと、寝入り前に部屋の照明を落としてもベッドでタブレット(ブルーシェード付き)で読めるのはメリットだなと思います。
また自分のような雑な人間は、新刊を本屋で買って帰ったら同じ本がAmazonから2冊届いたりしていたので、
kindleだと重複購入の際に「この本あんた前に買ってるよ」と警告してくれるのが地味に助かってます。
Q.カバー下のおまけだとかが省かれている、と聞いた。
大手出版社の書籍はその辺もカバーしつつありますが、作品によります。
配信用のファイルがユーザ要望でアップデートされ、購入後に事後でおまけページが追加されることもたまにあります。
(正直、買った書籍が事後に勝手にアップデート(改変)されるのは、気持ち悪くて好きになれません)
あと「帯」はほぼ間違いなく付いてきません。
浦沢直樹、井上雄彦、あずまきよひこ、あだち充、「AKIRA」、「FSS」、
「もやしもん」、「ナウシカ原作」、「苺ましまろ(訂正:その後電子化されました)」、「キラキラ!」
Q.発売日は紙のものと一緒なのか
雑に整理すると中ヒット作までは同時発売が多いですが、大ヒット作になると1〜2ヶ月待たされることが多くなります。
Q.スマホで読むようなものだと電池が怖いな。電子書籍って充電喰う?
自分は字が小さすぎると感じるので、スマホでは読んでないのでわかりません。
kindleFireHD8とMacBook、デスクトップのWinPCでの読書になってます。
たまにMacBookからHDMI出力してテレビで読むことも。
kindleFireHD8は東京から新幹線で大阪行って、また帰ってきて、ぐらいの間は保つ感じ。
スマホでは読まない前提の自分の意見は「kindleだったら専用タブレットを持つべき」です。
kindle端末すべては知りませんが、自分が使ってるkindleFireHD8だと
「本棚内のフォルダ分け」「SDカードでのストレージ増設」ができることが理由です。
「フォルダ分け」はAmazonのアカウント情報に紐付いてスマホアプリにも反映されます。
またSDカード増設によって、現在スペックで漫画で2,500冊ぐらいは端末に入ります。
(初期はSDカードに書籍は入れられませんでしたが、その後アップデートで対応されました。)
Win/Mac用のkindleアプリは、単ページのタブレットに対し、見開き表示で大画面にも出力できることが魅力ですが、
「本棚内のフォルダ分け」を反映する「コレクション」メニューが(おそらく意図的に)なく、
「最近読んだ(含DLした・購入した)順/タイトル順/著者名順」のソート頼りになります。
画面が大きくスクロールのハンドリングもしやすいのでタブレットほど苦にはなりませんが。
またPC向けアプリはDL100冊超えたあたりで挙動がカクカクしたりクリエラ落ちしたりと、
不安定になってしまうのが難点で、頻繁に読まない書籍の運用は「読む際にDL」「読んだら端末から削除」がセットになります。
(これは改善されてるかもしれませんが試していません)
これ正直よくわかんないんですよね。セールを待って半額とかでまとめ買いできるのは電子書籍の利点ではあります。
反面、当然ブックオフ等に売れないことと、自分が死んだらこの3,000冊の漫画を読む権利はどうなるのか
よくわからないことがネックです。あと、Amazonが電子書籍から撤退したらどうなるんだろう、とか。
Q.本の虫としては、本棚丸ごと持ち歩けるなんて幸せなことはない
ループする世界に意味をこじつけなくたって、ポストモダンが動物化しなくたって、何かで性欲を正当化する必要なんかなく、いつだって僕たちにはオナニーする権利はある。
F4Uの新作『好奇心は猫をもアレする』は、ひとたび開けば一気に理性なんて吹っ飛ばし、声に出して読みたい日本語と限りない法悦が襲い掛かる、そんなステキな作品である。
この一冊を開いて、一番初めのコマに書いてあるのは「ヘルス部だぁ!?」の一言である。変な部活ものがこの世の春を謳歌する現代において、逆に禁じ手なのではないか。
僕はこれから自分を打ちのめすであろうF4Uワールドへの期待に、床上手な処女のように打ち震えた。
手際よくぴゅっぴゅする導入を経て、「偏差値15学園」連作は開始される。ヒロインはレイプが横行する偏差値15学園において先述のヘルス部を立ち上げ、貯めたお金で塾に行くことを夢見る黒ギャルである。奇想である。どこへ行くんだこの話。その先は是非あなたの目で確かめてほしい。その果てで、あなたはきっと「偏差値」という単語の持つポテンシャルを知ることとなるだろう。
さてさて話はかわるが、読者諸賢もご存知の通りエロ漫画において女の子が行為に及ぶエクスキューズは数多く存在する。そして、どの「なぜ」を選ぶかには、作家性が色濃く現れる。
らぶらぶえっちがあり、無理やりからの快楽堕ちがあり、悪堕ちがあり。中には、極端に人口上の男女比が崩れ女は牝奴隷と化している、機械が人類の観察のために性行為を模するなど、世界の法則を歪めるレベルのエクスキューズでSFというジャンルに一歩も二歩も足を踏み入れた作品も少なくない。
『好奇心は猫をもアレする』では、凌辱系にしろらぶらぶ系にしろ、とにかく女がペニス(作中の言葉をひくなら“そう、それは――ちんぽと呼ぶには、あまりにもペニス”)を求めて堕ちてゆく。
エロ漫画ってそういうものでしょう、と紳士たるあなたは思うかもしれない。
しかしそこはF4Uの真骨頂、堂々たる男根で牝を盛らせ、攻撃的なまでに擬音を響かせながら堕としていく様は迫力すら感じられる。中出しした後に膣から溢れ出る精液からは生命が匂い立つ。
言葉で、絵柄で、セックスに至る過程を暴力的なまでに納得させられている。その独特な言語感覚に支えられた強烈なドライブ感に、F4Uの作家性があらわれている。
思うにF4Uの凄味は、可愛い女の子描写(頭身高め、ヤンキー、優等生、地味子、巨乳貧乳何でもアリ)、ダイナミックな構図作り(魅せるための体位作り!)だけではないのだろう。
それらに加えて、底抜けに力強いちんちん賛歌があるのではないか。どいつもこいつも血管の浮き出た逸物をビキビキイキり立たせ、牝を思うがままに喘がせている。
F4Uの描くちんちんは、物言わずともその在り様で雄弁に語る。早く挿入れたいと切なげに、女を牝に引きずり堕としたいと猛々しく。
「カラオーケストラ」では優等生らしいJKに自ら笑顔でチンポを求めることを強要して内側から精神を破壊し、「忘れ××もの」では処女からセックス中毒に堕とした元カノに真の絶頂を思い出させている。
F4Uの作るエピソードには、どれにもチンポへの畏敬の念が通底している。本作のカバー下でも、チンポ作画に関するこだわりを見せている。そのチンポへの飽くなき追求、はもはやちんちん賛歌の域にある。
これは私見なのだが、エロ漫画は可愛い女の子とちんちん賛歌の両輪で駆動する地獄車である。エロスとナルシシズムの幸福なマリアージュと言い換えてもいいだろう。
性的欲望を向けるに足りる対象と、欲望やその持ち主自身を肯定する象徴としての力強いペニス。特に後者は、露出された欲望を雄々しいもの・女性から欲望されるものそのものとして描いていることで、読者から理性を引き剥がすための後押しとなりうる。僕たちはヒロインたちに欲望を肯定され、ガチガチの男根の背中に自分を重ね、ひととき獣に戻る。男根によって世界に没入し世界と繋がり、猫をもアレしているのは、きっと僕たちだ。
理屈をこねまわすのは終わりだ。サタデーナイトはオナニーフィーバーとキャノン先生も言っている。
さあ諸君。知恵の実なんて吐き捨てよう。猫に戻ろう。めくるめく夜を始めよう。