はてなキーワード: エンディング曲とは
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
もちろん人によって評価は変わるし、視聴率とか売り上げとかを評価基準にすると話は変わるし、あくまで俺の評価だ。異論は大いに認める。
その上であえて言う。
Go!プリンセスプリキュアが最高だったな。
全部が完璧だったとは言わない。
というかそんな作品はプリキュア以前にこの世には存在しないだろう。
でも欠点や粗がとても少なく、魅力がとても多かった。
キャラクター、ストーリー、世界観、絵、声優、音楽、どれもよかった。
キャラクターはストップとフリーズがやや存在意義が薄い印象だったが、みんな素晴らしかった。
メインのプリキュア4人のみならず、一般人協力者の同級生ゆい、ノーブル学園の生徒や教師たちも良かった。
モブ生徒に思わぬ美少女がいたり、どうでもよさげなザマス先生にも「いいとこあるじゃん」と思えるようなシーンがあったりする。
特に敵のディスダーク三銃士は、途中で三人が全く別の道に進んで、そして最後にまた集束していくのが実に印象深かった。
ストーリーは主人公はるかの「お姫様になりたい」という幼稚な願望をどこまでも膨らませていくもので、途中にいろいとろ都合のよさはあるのだが、
最後には中学生から大人の女として「お姫様のように生きていきたい」という姿に着地させるのはよかったと思う。
世界観は「絵本のお姫様」のような華やかさがあるものの、同時に「説教臭い」「土臭い」という印象もやや強い。
説教臭さについては、後のプリキュアシリーズにもっと説教臭い作品が出るので相対的に気にならなくなるという面もあった。
絵はキャラクターデザインが中谷友紀子というアニメーターで、最近では「薬屋のひとりごと」を担当している。
後に「トロピカル〜ジュ!プリキュア」も担当し、キュアコーラルは最高にかわいかった。
声優はプリキュア4人は嶋村侑、浅野真澄、山村響、沢城みゆき。
嶋村はゼルダの伝説のゼルダ姫や進撃の巨人のアニも好きなのでひいきにしたくなる。
キュアトゥインクルは声優もビジュアルも(変身前も変身後)もどれもとても好きだ。
音楽はエンディング曲は歌詞の一部がプリキュア4人のために4種類あるのが好きだったし
またストーリーの中で「二つの別のバイオリン曲が実は一つの曲だった」という仕掛けがあって、非常に感嘆した。
なんつうかもうプリキュアとかじゃなく全50話のオリジナルアニメとしてとても素晴らしかった。
さっき昼飯の弁当を買いに外に出たら寒すぎてサムシングエルスになった。
ここでいう「サムシングエルス」というのは我々の世代ではけっこう売れたバンドで、私が最初に知ったのはNHK「みんなのうた」で流れてた「反省のうた」という曲だった。
けっこういい歌だなーと思って聞いてたのを思い出す。
そんな中、「電波少年」というテレビ番組の企画の中で「ラストチャンス」という曲を作成してミリオンセラー、オリコン1位を取る。
この曲をきっかけにめちゃめちゃ売れた。紅白にも出た。我々の世代でサムシングエルスを知らない人は少ないはず。
こうやっていい曲を作ってるバンドが売れるのはいいことだと思う。
けど、最近ふと思うことがある。
ちょっとしたきっかけがあれば第二のサムシングエルスになっていたかもしれないバンド。
もっと売れてたらもっと長く活動して良い曲を作り続けてくれたかもしれない。
というわけでここでは私が思う、もっと売れてもよかったミュージシャンを勝手に選出するよ。
ブラッツ・オン・ビーも最初に知ったのは「みんなのうた」だったと思う。
私が好きなのは3rdアルバム『ゆらふわ』で、あの頃はヘビーローテーションで聴いていた。
他にも、「世界を変えて」や「ゆらり ふわり 行こう」も好きだった
なんで売れなかったんだろう?
ザ・カスタネッツは知っている人も多いと思う。
一番有名なのはアニメGTOのエンディング曲「ねない ねない ねない」かな。
私が好きなのは「ムーンパレス」や「僕はそれがとても不思議だった」。他にもいい曲がたくさんある。
そこそこ売れた印象だけど、やっぱり大半の人が知らないという意味で、もっと売れてもよかったのではと思う。
中村一義はけっこう売れたしコアなファンがたくさんいるが、メジャーにはなれなかった。
オリコン13位の「セブンスター」が一番有名な曲かもしれない。
「すべての人たちに足りないのは・・」のところの歌詞がとても好き。
1stアルバム『金字塔』を初めて聞いたときの衝撃は忘れられない。
これはミスチルを超えるぞ、と本気で思った。
でも、そうはならなかった・・そうはならなかったんだよ・・ロック・・
だから、この話はここでお終いなんだ。
※ネタバレあり
先日シン・ウルトラマンを観てきた。
賛否両論あるという話だったので楽しめるか不安ではあったが、自分は楽しめた。
予告動画でも出ていたメフィラスは最高にいいキャラしていたし、米津玄師のエンディング曲もよかった。
それなのにネットでは「開始20分で席を立った」みたいな批判もあるようなので、そういう人が何に対して憤っているかを言語化してあげたいと思う。
確かに自分も開始20分で「これつまらないかもな・・・」と不安になった。
なぜなら、シン・ウルトラマンはシン・ゴジラをウルトラマンでやった映画だと思っていたからだ。
シン・ウルトラマンをつまらないと思った人達も、同じような観方でこの映画を観たんじゃないかな。
とにかく人が死なない。
死んでいるのかもしれないが、その描写はない。
ウルトラマンが大気圏外から飛来して着地する初登場シーン、本当に死んだの神永だけなの?
ウルトラマンは神永の死にだけに責任を感じていたようだから、他には死人はいないのだろうが、都合良すぎるだろ。
ザラブ星人との格闘が始まる前、浅見を足元に置いてから格闘するけど、常識的に考えて浅見死ぬだろ。
ウルトラマンが一歩踏み出しただけで起きる地揺れでコケて頭うっただけで死ぬ。
ザラブ星人を投げ飛ばした先の明かりのついたオフィスビル、何百人という人が残業中だったんだろう。
百人単位で人死んでる。
でも、その描写はない。
シン・ゴジラではあったのに。
巨大化した浅見が倒れ込むシーン、野次馬何人下敷きになるよ?
こういった、リアルな災害としてのウルトラマンを期待して見に行くと、期待はずれだと思うだろうなと思った。
シン・ウルトラマンは、ウルトラマンであってシン・ゴジラをウルトラマンでやった映画ではない。
おそらく批判している人は、ここに引っかかってるんだろうと思うな。
エンディング曲の「天翔ける翼」も何度もリピートしちゃうくらい好きなんだけど、
この曲、本当に歌詞がいい。
1番と2番は「もしも翼があれば、どこへでも飛んで行けるのに」という、ある種ありふれた歌になっている。
いい曲だし歌もうまいけどそれくらいだなーって感じで、あんまり印象に残らない。
それまで積み上げたものを一気に壊すような、どんでん返しと言ってもいいくらいの真逆の内容になっている。
詳しくは聞いてもらえればわかると思うけど、初めて聞いたときは感動してしまった。
同時に、短い歌詞でこんなにも物語性を持たせることができるのかと感銘を受けた。
それからというもの、同じように歌詞にどんでん返しのある曲はないかと探している。
探しているけど、これがなかなか見つからない。
やっとこさ見つかったのが槇原敬之の「彼女の恋人」、あとスガシカオの「黄金の月」くらい。
きっと他にもあるんだと思うけど、自分の検索能力ではこれが限界で。
もしよろしければ、似たような曲があったら紹介していただけないだろうか。
コンシューマーに絞って書こうと思ったら、旧世代機がないと遊べないゲームはどうしたらいいんだろうか問題にぶち当たって書くのやめた
特にPS2時代は世代交代するまでにだいぶかかったから名作も多いけど、今更PS2持ってる人間が俺以外にどれだけ居るのかって話になるし
switch(独占)のオススメゲームとか散々出てるだろうし、かといってPS5はまだ発売したてだからアレだしってなってやめた
ちなみにクロノトリガーとか今遊ぶとつまんねえって人が一定数居るけどさ
俺は今遊んでも普通に楽しかったな。まあストーリーがいまいち薄いのは共感するが、サブイベントで仲間の掘り下げとかクロノ関連のイベントは今でも十分プラス評価になるだろう
ちなみに俺が今やってみたら面白くねえな…って思ったのは聖剣伝説2。さすがにテンポが悪すぎた
FF4もいまいち面白くなかった。面白いと思うことは何度かあったが、仲間が「ここは俺に任せて先に行け!ぐわー!!」ってなるパターン多すぎ。あの展開はFF2でお腹いっぱいだった
あとさすがに年代が古すぎるが、イース1・2もかなり微妙。BGMはたしかに聞き惚れるレベルなんだが、体当たりシステムは時代を感じる古臭さ
ロックマンはコレクションで初めて触れる作品が多かったがまあまあ楽しめた。でも初めて触れたロックマンはX4だったからやっぱりXシリーズの方が好き
隠れてない名作ことワイルドアームズとワイルドアームズ2は今遊んでも絶対神ゲーなので、PSごと買うかゲームアーカイブスでぜひ遊べ。曲もなるけ節が最高に良いぞ
それと、ブレイブリーデフォルト2が発売したので3DSで遊べる初代ブレイブリーデフォルトもオススメだ。ストーリー良し、曲良し、システム良しと、文句の付け所は中盤以降のストーリーが中だるみするぐらいしかないぞ
特にエンディング曲の「希望へ向かう譚詩曲」はいいぞ。エンディング感溢れる曲のくせに、単品でいつ聞いても飽きない曲っていうのはなかなかにスゴイ
古いアニメの曲にももちろん素晴らしいものはたくさんあるけれど、自分が青春時代にリアルタイムで聴いて好きになった曲だけ3曲選んだ。
・こどものおもちゃ「パニック!/Still Small Voice」
当時好きだった女の子に「1話はだまされたと思って我慢して見て。3話まで見たらきっとはまるから」とビデオテープを貸してしてもらったのが「こどものおもちゃ」だった。
確かに1話はピンとこなかったのだけど、2話か3話か、羽山の弱みか何かを紗南が握り、
探偵の衣装に扮した紗南が羽山に迫るときにこの曲が流れてきてきたところで、「あ、これは間違いなく面白い」となぜか確信したことを今でもよく覚えている。
Bパートの最後からシームレスにエンディング曲がかかるのって、アニメではおしゃれだと感じたんだよね。
アニメのエンディング曲はいわゆるBパートが終わりきった後に始まるものだと思っていたから。
どこまで狙ったていたのかは分からないが、自分にとってこの曲のイントロは「この後どうなるの?どうなるの??」という期待感を高める、最高のイントロだ。
ちなみに、好きだった女の子とこの後どうなったかというと……言わぬが花というものだろう。
アニソン史的な位置づけとしては、NOIRで梶浦由記は「発見」され、その後の活躍につながるわけで、
そのきっかけとなったのは「salva nos」と「canta per me」で間違いないだろう。
そんなごたくはともかく、
salva nosは霧香やミレイユが手を汚して斃した者たちの魂を救済する歌だとしたら、
canta per meは、その汚れた手をもってなお、お互いを求めずにはいられず、そして手を汚して斃していく二人の魂の歌(その象徴が25話でこの曲が使われたシーン)であり、
自分はただ好きと言うほかない。
この曲は誰が歌っても名曲になるのだけど、おすすめはEmilyのカバー。聴く機会があったら圧倒されてほしい。
・フルーツバスケット「For フルーツバスケット/岡崎律子」
どれだけこの曲が好きかということを、言葉で表そうとしたけれど、どうにもまとまらない。言葉では言い尽くせない。それほど好き。
えんとつ町のプペルのヤフー映画ですが、評価が2極化し平均点は3.2となっています。
その方々の投稿からはサロンの内情が見え興味深いのでピックアップしました。
サロンメンバーは完全に(西野さんに)感情移入してしまっていて冷静な評価が出来なくなっています。
西野さんの言葉を借りれば「子供のピアノの発表会」を見る気持ちです。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/371105/review/1741/?c=3&sort=mrf
サロンメンバーについて、僕の所感では、7万人のうち、熱狂的なメンバーは5000人程度、楽しいことは協力する、というメンバーは1.5万人~3万人くらいで、合計2~3.5万人程度。
ROM専が半数と言った具合でしょうか。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/371105/review/780/?c=4&sort=mrf
サロン内ではどんどん否とは言えないように西野さんが発言しています…。
私のような、映画の良さを理解しないメンバーは、「サプライズを求める常連さん」だそうです。
心が汚れている人には良さが分からない、という事は、サロンメンバーが口々に言うようになりました。
魔女狩りみたいになっていて、とても怖いです。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/371105/review/1974/?c=1&sort=mrf
西野さんは、クオリティで圧倒している、間違いない作品ができた、とおっしゃっていますが、もし本当に心からそう思っているのだとしたら、「ここまでなのかな」という残念な気持ちになります。あんなに自画自賛(絶賛)して期待値を上げすぎないほうが良いと思います。
西野さんの周りの人や一部の妄信的なサロンメンバーは西野さんのことを天才のごとく崇めているので、このままだと西野さんが裸の王様状態になってしまうのではと、危機感を感じた映画でした。
色々書きましたが、決して「つまらない映画」ではないですし、ホロっとするシーンもあります。映像もきれいですし、エンディング曲は素晴らしいです。ほぼ無理やり連れて行った夫も面白かったと言ってくれました。
西野さんには、周りのイエスマンや妄信的なファンの声にだけ耳を傾けるのではなく、いわゆる「アンチ」ではない、フラットな目で西野さんのことを応援しつつ、苦言を呈してくれているたくさんのレビューを見てほしいなと思いました。
(でも、なんだかんだ、ここまで人の心を動かしている西野さんはやっぱりすごい人なんだろうと思っています)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/371105/review/943/?c=9&sort=mrf
私自身、西野さんのyoutubeはたまに拝見しており、頭良くて面白い人だなーと思っています。
ただ、堀江さん・箕輪さん・鴨頭さんなどのキナ臭いお友達がいるということは、「自分が気づけていないだけで性根は腐ってるのかな?」とも感じますが……。
映画を形にしたということは大いに評価できますが、本気でディズニーを越えたいと思うのであれば "サロンのイエスマン" 以外の感想にも謙虚に向き合う必要があるでしょう。
悲しいことに、クリスマスに特に予定がなかったため一人で映画を観ることにしました。
すると、色々な意味で公開前から話題になっている作品である「えんとつ町のプペル」が公開初日とのことでした。
幸い、原作(といってよいのでしょうか?)の絵本も発売して少し経った頃に購入して読んだことがあり、ざっくりと内容も知っていたのでこれを選ぶことに。
そこまで映画をたくさん観るほうではない一般人の感想ですので、生暖かい目で読んでいただけましたら幸いです。
まず最初に、映像や音楽の美しさと、声優をしていらっしゃる方の演技の違和感のなさは素晴らしいです。
ハロウィンという非日常的なキラキラとした雰囲気から一転、煙突から上がる煙とそれによって画面全体が暗くなり退廃的な日常がやってくる(戻ってくる)。そして最後にまたキラキラとした画面で幕を閉じるのですが、どちらもとても丁寧に描写されており、これだけでも観る価値は十分すぎるくらいです。
音楽も絵本が元になっているからこその分かりやすく可愛らしい曲が多く、聴いていて明るい気分になりました。エンディング曲も作者の方がほとんど手がけていらっしゃったんですかね? 作品専用曲というのはやはりワクワクしますね。
声優をしていらっしゃる方は、今回はほとんど本職の方ではないと記憶しているのですが、近頃は本当に皆さんお上手で何の違和感もなかったです。
多少棒読みなところはあった気もしますが、全体的に頭身が低めで可愛らしい絵柄なのでその拙さも可愛らしさになっていたのかもしれません 笑
※ここからマイナス評価です。また、ストーリーに関するもののため、ネタバレが多くなります
逆に、ストーリーと演出(特に序盤)が冗長で退屈で全体的に説明しすぎだと思います。
特にストーリーに関しては、絵本は良くも悪くもまとまっていた物語だったにも関わらず、色々と設定や描写を盛った結果とっ散らかってしまい、良かった部分すらなくなった印象を受けました。
「夢を語ることを笑われる世界に終止符を」といったようなことを総監督であり作者の方が仰っていたらしいのですが、「星を見たい」という夢をバラされたことでルビッチがプペルを突き放し、そのあとにプペルが父であることが判明してしまうため、ルビッチが自ら行動したというよりは「プペル(父)の信念に動かされた」印象になってしまいます。
父の思いを叶えるだけの機構として存在しているだけで、彼自身が自ら動いて成長したというには少々疑問が残ります。
絵本では最後にプペルは父だと明確に出されてはおらず、そうかもしれないという匂わせで終わっていたはずです。ルビッチが気付いたのかわからない、でも少なくとも彼は父のブレスレットではなく、プペルという友達と一緒にいることを選ぶんですよね。
そこが好きだったので、母が喘息だったり父が殺されたりとベタな「悲劇的な主人公」に改変されたルビッチというキャラクターが可哀想でした。
恐らく親子の絆のようなものを作りたかったのでしょうが、同時に公開された「ポケットモンスター ココ」が親子の絆と成長の物語として素晴らしかったことは不運だったかもしれません。
閑話休題。
成長という意味では、昔星を見たことがあるのに周りに流されて「そんなものはない」と自分に言い聞かせていた少年、アントニオのほうにドラマが詰まっていましたね。
こちらを主人公に据えたほうが「信じ抜くこと、そして諦めてしまってもまた上を向くことの難しさ」をうまく表現できたのではないかと思うほどです。
絵本では描写が限られるためここまで気になりはしなかった(それでも絵本としては情報量が多すぎ、想像の余地がほとんどない作品ではあった)のですが、映画という更に情報量を詰められる媒体になった結果、全体的に「くどい」作品になってしまったな……というのが正直なところです。
観る側に寄り添っておらずただ主張を続けられ、見終わった後には感動より疲れを先に感じてしまいました。
絶賛されるほどではありませんが、ストーリー以外に引っかかるところはなく良作、というのが私の中の評価になります。
長々と失礼いたしました。
お読みいただきありがとうございます。