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はてなキーワード: 榊原康政とは

2024-03-02

15分拡大で放送された最終話・第48回「神の君へ」では、家康にとって最後の戦いとなった「大坂の陣」の顛末、そしてついに乱世に終止符を打った家康の哀しくも美しい最期が描かれた。茶々北川景子)や息子・秀頼(HiHi Jets作間龍斗)らが炎上する大坂城で迎えた壮絶な死にざま、北川と作間の迫真の演技が注目を浴びた前半から一転、後半では家康が死に向かう中で最も幸福だったであろう日の思い出が描かれた。

 後半のエピソードは、これまで随所に伏線が張られてきた家康の息子・信康と信長の娘・五徳の祝言の日に起きた鯉を巡るハプニング酒井忠次大森南朋)、石川数正松重豊)、本多忠勝山田裕貴)、榊原康政杉野遥亮)、鳥居忠吉イッセー尾形)、夏目広次(甲本雅裕)、本多忠真(波岡一喜)ら初期のメンバーも含む家臣団をはじめ、妻・瀬名有村架純)、母・於大の方松嶋菜々子)ら家康が愛した人たちが集結する大団円SNSでは大盛り上がり。「みんないる~(涙)」「初期メン勢ぞろい」「総出演ありがたい!」「まさかオールスター」など沸いたが、さら視聴者を驚かせたのがラストシーンだった。

 幼い信康と五徳の祝言えびすくいで盛り上げる家臣たちを見ながら幸せそうな家康瀬名。「なんと良き光景でしょう……。こんな良き日は二度ありましょうや」と目を細める瀬名に、家康が「わしがなしたいのは今日この日のような世かもしれんな」と未来に思いを馳せる。二人から遠ざかったカメラがとらえたのは高層ビルやタワーが立ち並ぶ光景。初めは「見間違いかと思った」という声も多くみられたが、戦国時代未来現代をつなぐ平和への祈りを表すかのような演出SNSでは「凄い」「技あり」「粋な演出」「印象的なラストカット」「面白い」「殿が平和な世を作ってくれたからこそ今がある」など、驚きやさまざまな解釈で盛り上がっている。

2017-04-30

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岡崎城に行ってまいりましたわ。

城内は公園化しつつも売店や神社が散在しておりカオスな状況でした。

わたしくの行ったことのあるお城では博多城に似ていますわね。

展示施設は「三河武士のやかた家康館」と「復興天守」がメインになります

三河武士のやかた家康館は、増田先駆者である家康公と

彼を支えた三河武士を展示の中心に据えている建前になっています

ところが目玉的な展示は、ジオラマ映像関ヶ原の戦いを描くものですの。

東軍の主力は外様で、三河武士の精鋭は秀忠と一緒で間に合っていませんわ・・・・・・

井伊直政の抜け駆けと本田忠勝の働きはありましたけど、正直物足りなかったですわ。

長篠なら大久保兄弟酒井が、姉川なら榊原康政活躍しますのに--

三河武士全員が活躍する合戦を探すのは難しいですわね。

あえて言えば三河一向一揆でしょうか。

家康が陣を前に押し出して全軍の士気を高めたことが

強調されていたのは展示側にもその自覚があるからでしょうか。

あと大谷吉継隊の模型が回転しきらずに止まってしまっていて非常に気になりましたわ。

本来は壊滅して盤面上から消えるはずのシーンで、

やっと回転しきって残っていましたわ。

復興天守の方では刀剣甲冑の展示が目立ちました。

甲冑レプリカも含めて三河武士のやかたにも多数あり、

甲冑好きには良いところだと思います

フレームストラクチャーを思わせる刃紋が浮かんだ刀剣武蔵藤原永道が気に入りました。

鞘に緑のラメが入っていましたの。

加茂一揆ジオラマ展示があり、農具に毛の生えた武器をもった一揆勢を

岡崎藩兵が弓矢鉄砲を使って容赦なく鎮圧する様子が描かれていました。

おそろしいおそろしいですわ。

城下町の一日というジオラマシアターもあって、

江戸時代宿場町で横行した強引きわまる客引きを見ることができますの。

女性がやっていても強盗誘拐との区別がつきませんわ。

家康生誕の岡崎城最後に治めたのは本多忠勝系の本多家ですけど、

幕末には最終的に徳川家を裏切っています

ただし、それを決断した藩主養子だったとか。

三河武士のやかたと謳いながら、ちょっと後味の悪い話ですわ。

陽気と有名な藤の花のおかげもあって結構な人出でしたわ。

追記

id:hilda_i様 マリー・アントワネット様にあやかるのは、すでにやったのですわ

http://anond.hatelabo.jp/20161217235117

2017-01-28

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安城市歴史博物館本多正信展に行ってきましたわ。

弥八郎にはいじわる爺さんのイメージがありますが、大久保忠教の方がいじわる爺さんに思えてきました。

感情のこもった歴史史料を遺すと裏目に出ることもあるのですね。

多少は自覚があったから外に出すなと言っていたのかしら……。

やはり本多正信関連の史料書状が多く、甲冑は弟の本多正重関係の二領でした。

次男の政重の活躍を考えても、正信も怪我さえしなければ猛将として名を馳せるポテンシャル

あったのかもしれません。

三河一向一揆酒井忠尚が下克上成功していたら?と並んで思い描いた歴史IFです。

上杉景勝書状が興味深く、彼は半分に折った紙の上半分だけに文章をしたためています

(いつも紙の真ん中あたりで墨をついでいることが分かる書状にはつい笑みが零れてしまいましたわ)

他の武将は折った紙の下半分にも文章花押を書いている例があるのですが、

上杉景勝はかならずきっちり下は真っ白にしていらっしゃいます

部下の直江兼続はやや縦が拾い紙の全体に文章を書いており、

主君と部下で公文書とやや非公式文書の分担をしていたのでは?と感じましたわ。

武将おみくじ末吉本多忠勝でしたわ。

できれば榊原康政がよかったですわ。

2016-07-15

[] 股肱の臣

(ここうのしん)

意味】「股肱」は、「もも」と「ひじ」。転じて、主君の手足となって働く、最も頼りとなる家臣。

【用例】●彼を子飼いの部下で股肱の臣と信頼していただけに、裏切られた時のK氏の失望ぶりは見ていられないくらいだった。

     本多忠勝井伊直政榊原康政など、徳川家康には忠実で勇猛な股肱の臣が多くいた。

【出典】『史記太史公自序

【類語】側近・懐刀・右腕

http://www.jlogos.com/d007/5560417.html

 
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