はてなキーワード: ギレン・ザビとは
ここってギレン・ザビおおいのねぇ~
「……しかしな、検査システムを構築できんという事は、これは政治の無能を示す事だ」
「わたくしに面と向かってよく仰る」
「ご覧を!」
「作戦などいい!」
「我が日本政府にとって、夏のオリンピックは最終防衛線です。それに対して新型ウイルスは、市中感染で生まれたクラスタから拡散する事が考えられます。ここで検査が始まれば医療は崩壊同然です。その前にイベントなどの全面強制で侵攻するウイルスを抑える。この政策は実質的な強制となるため、金も時間も掛からずに我が日本の……」
「そこまでして勝ってどうするのだ、総理」
「サインを頂ければ幸いです」
「やっておって今さら……」
「で、どうするつもりか?」
「せっかく減った老人です。これ以上増やさずに生産的な人種だけを残す。それ以外に世界で輝く日本は望めません。そしてその為には与党独裁による国家のコントロールしかありません」
「ああ、独裁者でな。世界を読みきれなかった男だ。貴公はそのヒットラーの尻尾だな」
「私が?」
「わしはジオンの国民を、急ぎまとめる方便としてオリンピックを押した。高度成長期の復活を実現する為にな。しかし……」
「小池とな」
「はい。絶対民主制は、野党ごとき軟弱を生んだだけです。それでは国民は共食いになります。今度のパンデミックのように。ま、勝って見せます。ヒットラーの尻尾の戦いぶり、ご覧ください」
ジオン軍の兵士達は、実は自分が乗っているザクの色を知らない。というのも、モビルスーツの色に関する会話は、ジオン軍では禁止されていたのだ。
赤とかいいよな•••皆そう思っていたが、周りに見えるザクはすべて量産型の緑色。兵士達は、周りの緑ザクを見ながら、自分のザクは何色だろうかと考えていた。
ある日、宇宙要塞ア・バオア・クーに集められた緑色のザク100体に対し、ギレン・ザビが言った。「敢えて言おう、カスであると」。
確かに、量産型モビルスーツの主流は既にザクからゲルググに移行していたし、ギレンは、古くなった緑のザクを戦前から排除していくことに決めたのだった。兵士たちは、自分の乗るザクが緑色だと分かったら、その日のうちにひっそりと要塞から出て行かねばならなくなった。
注)決してファーストガンダムを実写化するとは発表されてないが、ファーストの前提で書いてます。尺は2時間想定。
金髪でひょろっとして眼鏡かけてる感じ。クラスのジャイアンみたいな奴によく絡まれてる。
機械類には詳しい。
ひょんなことからガンダムが保管されている格納庫に迷い込んで乗ってみたら動かせてしまった。
親父は映画キャストの都合で登場しないし決して設計者でもない。ガンダムは軍が作った。
ガンダム乗った勢いでザク2体は倒す。ここは割と原作準拠。でも倒した後から天才扱いされるようになる。
そのまま戦争に巻き込まれ、軍の一員になる。連邦軍?違うよ、アメリカ軍だよ。ノーマルスーツ着たアメリカ軍だよ。
ランバ・ラルは時間の都合でカットされ、黒い三連星との戦闘。なぜかノリが山賊。でも一度踏んでから纏めて倒す。
この辺からメガネがなくなってイケメンヒーロー化する。セイラさんと仲良くなる。フラウ?マチルダさん?居ません。
セイラさんと盛り上がってきたところで寸止めのジオン軍決戦の呼び出し。さあみんなア・バオア・クーへGo。
生きて返ってくるとセイラさんと約束していざ戦場へ。ジオングに乗り込んだシャアと対峙。
いきなりのサイコミュ兵器に苦戦。エルメスは設定だけの存在。実在はしません。
しかしいくら被弾しても左腕以外壊れないガンダム。ラストシューティングやるんだから当たり前。
終盤ガンダムは頭を破損、ジオングは頭のみ。さあ最後のラストシューティング。
原作と違うだって?降りちゃったら盛り下がるだろ?これだから日本人は。
お互い大破した機体から降りて銃撃戦開始。激しい戦闘の末シャアを銃殺。ええ銃殺です。
敵を生かしておいたら気持ち悪いでしょ?続編やる場合?作る時に考える。
生還したアムロはセイラさんと熱い抱擁。実の兄でもなんでもない敵を倒して平和になったからハッピーエンド。
ホワイトベース艦長。艦隊戦で色々指揮してたりする。全体的には影薄め。年季入った渋さがあってもきっと気のせい。
親父にもぶたれたことないのに、なんて言われません。ぶたないから。
主人公差し置いてミライさんと絡むこともないので、単なる脇役。
アムロが軍入りした時すでに軍人やってる何かノリの軽いムードメーカー。軽口叩けど憎めない奴。
なんかエディー・マーフィーっぽい。
アムロが軍入りした時すでに軍人やってる真面目なアジア人。ガンタンク乗り。
搭乗機体には手も足もないのでそれが操縦に生かされることはない。
本作ヒロイン担当。本名セイラ・マス。通信オペレーター担当。金髪白人美人。アムロの恋愛パート担当。
ツンとした女性らしさから、少し男っぽいキャリアウーマン的な性格に変えられる。
だってあんな演技できる女優が居ないから。それにこっちの方がウケるでしょ?
家族構成は明らかではないが、生き別れた兄が居ることはないし、ましてや敵軍に居ることもない。
MSや戦闘機に乗れるかもしれないが作中描写されることはない。
MS隊隊長。ガンタンク乗り。原作と異なり最終戦まで生き残る。死亡描写してる時間ないから。
原作では居ないはずのところで生きているのでブライトに輪をかけて影が薄い。
ちょっと恰幅の良い黒人女性操舵士。操舵経験豊富なベテラン軍人。名家の令嬢なのかは明らかでない。
ホワイトベース隊の中でも割と頼れて安心感ある感じになる。彼女の操舵に不安などない。
丸ごとカット。
ジオン軍軍人。アムロのライバル役。衣装は赤いが乗機は赤くないジオングのみ。
だって1回しか戦闘しないんだもの。出力3倍もわかりづらいから無慈悲にカット。
家族構成は不明だが、ダイクン家出身だったり生き別れた妹が居たりという話は特にない。
アズナブル家の御曹司に成りすましているわけでもない。普通に優秀な軍人。
映画のクライマックスを盛り上げるためにアムロに撃たれて死ぬ。敵役の鑑。
続編のクワトロさんは別人物だったり、逆襲の頃には「実は生きていた」扱いをするかもしれないが
今は特に何も考えない。ウケれば良いのだ。
丸ごとカット。
ジオン軍総帥。見た目以外は割と原作っぽい。崇高な志はあんまりなく世界征服したい悪の帝国の皇帝感がある。
ジオン軍参謀。人相は悪いが裏切りは考えてないし、ましてやギレンを謀殺したりしない。
シャアとは割と絡みがあるが、原作のような策謀は特になく、ストレートに上司と部下の関係。
ただの敵方女性枠。ギレンと一緒に旗艦大破に巻き込まれて死亡。
なにそれおいしいの?
親愛なる我が同胞諸君、そして世界中の人々に、まずは感謝したい。
我々アメリカ国民は、いま、その誓いを守り通し、国家を挙げ、合衆国の再建を始める。
無論、我々の行く道には課題や困難が待ち構えているだろう。だが、我々は必ずやり遂げる!
(歓声)
我々は平和裏に政権移行することに成功した。前大統領には私も、感謝している。
だが違うのだ! これは単なる政権移行の式典ではない。
我々国民が、ワシントンに巣食う者どもから権力を取り戻した式典である!
(歓声)
あまりに、あまりに長いあいだ、我々はワシントンのモグラどもに代償を支払わされてきた。
奴らは栄え、その富を独占してきた。
きゃつらが勝利を祝っても、我々はなにも祝うことができなかった。
何故か?
奴らが自らの保身だけを考え、国民を守ろうとしなかったからだ!
だがそれもここまでだ!
いまこの瞬間、この演説を聞く国民すべてが、この勝利を祝うことができる。
我が合衆国政府は、我ら国民によって統治されるようになったからだ!
そしてこの2017年1月20日は、忘れ去られし国民が再び歴史の中心に戻ってきた記念日として、永遠に記憶されることになるだろう!!
(歓声)
これまで数十年にわたり、我らが国は外国を富ませ、群を犠牲にし、国境を侵されてきた。
世界への再分配という美名のもと、我らは家も職も奪われ、富は地平線の彼方へと消えていった。
そして全世界に知らしめるのだ。
今この瞬間から、貿易も、税も、移民、外交も、すべてが合衆国国民のために行われるということを!
(歓声)
我々は守る!
我々の産業を奪い、雇用を破壊し、国境を越え略奪を続けるすべての悪しき国家から、この偉大な国を!
私は諸君らのために、命を賭して戦い続ける!
そしてアメリカは再び、勝者として君臨するのだ!
取り戻せ、国境を!
取り戻せ、富を!
取り戻せ、我らが夢を!!
(歓声)
合衆国のもと、文明社会は再び結束し、野蛮なイスラムのテロリスどもを地球から根絶する。
その忠誠心こそが、互いを結束させるのだ。
愛国心に心を委ねよ!
(歓声)
聖書を紐解いてみれば、神のもと結束した人民がいかに素晴らしいかがわかるだろう。
心を開き、議論を行うことは悪ではない。
だが忘れるな、我々国民は結束せねばならないのだ!
そして、我らの行く手を阻むものを、すべて打ち倒さなければならない!
恐れるな、国民よ!
我らは強力な法に、強力な軍に守られている!
そして何より、我らは神に守られし民なのだ!
(歓声)
我々の闘争心があれば、その精神を打ち負かす敵はどこにもいない!
失敗は許されない! 我らが再び繁栄を取り戻すまでは!
(歓声)
国家の誇りは、諸君らの心を揺さぶり、傷をいやし、視野を広げるに違いない。
思い起こせ! 偉大なる軍に伝わるいにしえの言葉を!
肌の色など関係ない、国民すべてに流れるのは、愛国者の赤い血潮なのだ!!
(歓声)
そして、全知全能の創造主によって与えられた命を、一つの夢のもとに結束させるのだ。
諸君らの声が、諸君らの希望が、諸君らの夢が、偉大なる合衆国の命運を決めるのだ。
アメリカは強くなる!
アメリカは豊かになる!
アメリカは誇りを取り戻す!
アメリカは安全になり、そしてなにより、アメリカは再び偉大な国家となるのだ!
(歓声)
神よ、アメリカを護りたまえ。
(歓声)
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元ネタのギレンのスピーチを作った富野監督は、その勇猛な言葉の中に、全体主義、権威主義の俗悪さを込めたわけで、表面的なカッコよさに心酔してはならんと思うわけです。
ThinkCに参加した人たちからは評価が高い白田氏の演説だけど、ギレン・ザビの演説級だと僕は思う。たくさんの人が知った方がいいと思うし、もっと評価されていいはずだ。一部で議事録もあがっているようだけど、現場の勢いはあんなものではなかったから僕の記録を公開することにした。それに今回のフォーラムは公開されないと聞いたから。
もしかしたら実際の発言とは多少異なっているかもしれない。そこのところは僕も危ぶんでいる。とはいえ、面白さとか迫力とかだったらある程度までちゃんと再現できてると思う。以下の記録を読んでくれて、白田氏の熱さが伝われば幸い。
...「制度改正ができるものならやってみろ」ということでしたが...
そんなこと10年前からやってきたんですよ!
博士論文で、著作権制度が産業保護奨励政策としての独占にすぎないことを明らかにした(1)。
博士論文の内容をくだいて一般向けにした、わかりやすい解説も書いた(2)。
あちらこちらの講演で語った。
雑誌記事で一般に訴えた。
オンライン記事でみなに訴えた(3)。
審議会に出て言いたいことを言ってきた。
ロージナ茶会という組織も作った──茶会はすでに解散してしまいましたが──。
パブリック・コメントも出した(4)。
私一人でできることは、ずっとやってきたんだ!
それでも、誰もついてきてくれないから...
いまだに、こんな議論を続けなければならないんじゃないですか。
法律論では、なんにも先に進まないことは、もうわかってますよ。
...この会場の誰が、私を援けてくれるんですか?
誰が、私と一緒に著作権制度の議論に本気で取り組んでくれるんですか?
最近は、茶会のメンバーですら、私の書いた記事にコメントくれなくなった(苦笑。
そこら辺(運営側)の人たちも、最近さりげなーく私の発言を無視するようになった。
それでも、一人でも、一歩でも先に進まなければいけないから、
こうしてここで喋っているんですよ!
会場から「白田の主張は偏ってるんじゃないか」というご指摘がありましたが...
そんなことは百も承知でやってんですよ!
日本の学界の主流である、ドイツやフランスの著作権理論がどんなものかは、よく知っています。
しかし私の博士論文では、イギリスの著作権制度がそれらに先行し、強い影響を与えたことを明らかにしている。私の研究では、産業保護策としての独占の付与が先んじ、その後、著作者の財産権だの、著作者の人格権だのといった主張がくっついてきたことを明らかにしている。
私はその研究に5年かけたんだ。貴重な若い時間を費やしたんだ。
だから、著作権制度が所有権や人格権を本質とするという主張については、賛成できない。さらに言えば、知的所有権のみならず所有権という概念それ自体があやふやであることもまた、岩波から出た論文集の中で指摘している(5)。
もちろん、こうした考えは学界では異端だろうし、支持者もいないだろうことは知っている。
しかし... 世間の大勢が、著作権は「天才を保護する権利だ」とか「創作者の心情を保護する権利だ」などと言ってるからといって、自分が5年かけて確認したことを、「著作権制度は、本質的に産業保護を目的とした独占にすぎない」という自らの主張を、曲げることは学者としてできない。世間の大勢を慮って自説を曲げることを曲学阿世という。首をくくられても自説を叫ぶのが学者なんじゃないですか?
いいですか... 社会のほとんどの人が「著作権は天才の権利だ」と信じて、それを強化拡大しようとする側にいるとき、シーソーは、圧倒的に権利強化の側に重く傾く。そのとき、たとえ100mの空高くはじき飛ばされようと、誰かがシーソーの反対側に立たなければ均衡など維持できないではないですか。
ローレンス・レッシグは、憲法学者でありながら、なぜ著作権制度について問題意識をもち、闘っているのか!
彼の本、『コモンズ』には、こういう一節があった。
──連邦議員が、少数の利益や既得権ではなく、一般的な福利を尊重すると考えることが頭がおかしいのなら、連邦最高裁が、形式的な法律の適用ではなく、われわれの自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしいのなら、いますぐキチガイを増やさなければならない──
というものだ。したがって、私は百も承知で偏った議論を展開している。それは、それが全体としての均衡を維持するのに必要だと考えているからだ。
(1) 白田氏の唯一の学術論文である『コピーライトの史的展開』 知的財産研究叢書2, 信山社 のことらしい。
(2) ネットワークでは良く知られた『もう一つの著作権の話』青空文庫 のことのようだ。
(3) このあたり、氏のWebサイト『白田の情報法研究報告』でだいたい読める。
(4) 「知的財産推進計画2006」の見直しに関する意見募集にも提出している
(5) 知的所有について, 『[rakuten:book:11350650:title]』 第3巻 情報, pp. 85--105 のことらしい。
連邦最高裁が「自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしい」という部分についてだけど、実際の記述は、『Free Culture』p. 313 にあった。引用すると以下のとおり。
でも、政府の役割が「バランスを追求する」ことであるべきだというのがバカげていると言うのであれば、わたしはバカの側に分類してほしい。というのも、そうなったらこれがかなり深刻な問題になってきたということだからだ。もし政府がバランスを追求しようとせず、政府が単に最強のロビイストたちの道具でしかないということが誰の目にも明らかになっていて、政府に別の基準を要求するのがバカげていて、政府がウソではなく真実を語るよう求めるという発想がおめでたいのであれば、世界最強の民主主義だったはずのアメリカは、いったいどうなっちゃったというのだ。
政府高官が真実をしゃべると期待するのは頭がおかしいのかもしれない。政府の政策が、強力な利益団体のお手盛り以上の何かだと信じるのは頭がおかしいのかもしれない。歴史を通じてずっとアメリカの伝統であったもの――自由な文化――を守ろうと論じるのは頭がおかしいのかもしれない。
それが頭がおかしいのなら、キチガイをもっと増やさなきゃいけない。それもすぐに。