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2024-04-05

anond:20240405220428

松尾キッチュ貴史がひと頃持ちネタにしてた山下達郎の笑い声とどっちが強いですか?

2023-05-10

大人向け光るパジャマへの不満

キャラクタープリントされた「光るパジャマ」。

長らく子供向け、それもサイズトドラーサイズ(100~130cmどうぶつの森鬼滅の刃など一部除く)しかなかったのだが、最近大人用のが発売された。

ただ、プリントトドラーサイズみたいに派手ではなく地味すぎるのが気に入らない。色も黒っぽいのしかないし。

もっと子供用と同じ原色!でかでかとしたキャラプリント意味のないフリフリ!袖には謎英字!みたいなキッチュデザインにしてほしい。

 

自分も光るパジャマには憧れを抱いていたが、それは子供特有キッチュデザインがたまらなくすきだからだ。

自分キッチュな光るパジャマを着れば「わーい!プリキュア(=戦隊ライダー)のパジャマだ!かわいいきもちいい!」と幼女気分になれるだろう。

実際人がいないすきに子供服売り場によって光るパジャマを2秒ぐらい触ってはそういう妄想をすることもある。ただ、目撃されたらその時点で人生終了だ。

ただそういうことを公共の場でするのは問題が大きいので、帰ってインターネットの子供服店でパジャマ画像を探し、それを着ているところを妄想することが多い。

実際それで抜いたことは少なく見積もっても15年で100回ぐらいはあると思う。多分一番最初にそれで抜いたのは中3のころやっていた『ボウケンジャー』で放送されていた「フォトプリパジャマ」のCMだ。

CMに映っている男の子になりきり「今僕は大好きな『ボウケンジャー』のパジャマを着ているんだ!」という設定で抜いた。

パジャマの肌触り、締め付けるゴム自分の視界から見るボウケンジャープリントといったものを思い浮かべてした。ついでに出ていた男の子には興味はない。男の子になりきり「パジャマを着る」という状態性的欲求を抱くのだ。

 

自分2000年代2010年代序盤の、キッチュデザインのこども用パジャマが大好きだ。それは自分が性欲猿だった中高生時代に触れたパジャマからだ。

パジャマ自体には幼稚園の年長から30年近く性的欲情していた。小学1年のころにはすでに親の子供服カタログを盗んで、部屋の中で一人子供パジャマの姿を見て「おちんちんが大きくなって気持ちいい」ってお耽美していた。

その後も小学卒業まではそれらに掲載された写真を見ては勃起して気持ちよさを味わっていた。そして中学の時にはそれをおかずについに精通

精通するころにはすでに「パジャマを着ている妄想をすると気持ちいい」って境地に達していた。それ以降子供服のパジャマを着ているところを妄想して性欲を発散するマシーン誕生した。

しか残酷なことに大人になっても子供服のパジャマ、それも性欲盛んな頃によく目にしたキッチュデザインのそれにしか興奮できなくなっていた。

一方子供服のパジャマトレンド2010年代中盤以降急速に変化し続け、ここ5~6年ぐらいは大人普段着と変わらないほどの洗練したデザインのものが主流となっている。

大人向け(紳士向け)パジャマでもキッチュデザインはごくたまにあるが、それは道頓堀の底をさらって砂金を探すのと同じぐらい難しい。結局2010年ごろまで集めたパジャマ写真とかを見て抜くしかないのだ。

そんな自分に唯一残された希望、それが光るパジャマである。光るパジャマも『鬼滅の刃』は『呪術廻戦』のようなジュニアサイズ(130~150cm)のだとデザインの洗練化にあらがえず無味乾燥デザインになりつつある。

ただ、トドラーサイズのだとまだキッチュデザインのままだ。願わくばキッチュデザインパジャマをゆったりとした形で着たい。

そういう意味で、バンダイさんにはキッチュデザイン大人用光るパジャマ販売検討していただきたい。もっというなら2010年代初期ぐらいの「比較的ゆったりとしたデザイン」を希望したい。

じつはどうもある時期(2016年ごろ)を境にゆったりとしたデザインから(同じサイズでも)肌とより密着したデザインに変わっているっぽいのだ。

アメリカでは子供向けパジャマ安全性観点から肌と密着した形で販売するようにという基準があるが(参照)、それとあわせたのだろうか。

とはいえ自分の好みからは大きく乖離するし、大人向けの話である再考を促したい。

ついでに不逞の輩がやる「(明らかにサイズの合わない)ぱっつんぱっつんの『光るパジャマ』を着る」というのは邪道ですらなく、パジャマの持ち味を完全に棄損するバカげた真似だ。こんなので気持ちよくなるほど俺は落ちぶれてはいない。

 

【余談】

自分高校1年だった2007年12月、当時やっていた『仮面ライダー電王』の光るパジャマCMのことが突如頭から離れなくなったことがある。

しかもその時は期末テスト最中。ムラムラギンギンではテストどころではない。幸い赤点回避できたが、あの時のムラムラギンギンしながら頭は焦りまくった状態は今でも忘れられない。

ついでに『仮面ライダー電王』は当時面白さを全く感じなかった。同期の『ゲキレンジャー』『セブンX』『ハニー THE LIVE』はかなり面白かったのに。

 

【余談2】

最近は偶然見かけたこの画像を見てちょっとムラムラしますNHK教育アニメ?(詳細不明

2023-03-20

シン・仮面ライダー完全ネタバレ感想

庵野作品より庵野本人に興味がありすぎて

だいたいのことは「庵野から仕方ないか」と許してしまう程度の庵野ファンが見た完全ネタバレ感想

 

 

怪人蜘蛛男とのバトル

地味だが中々いい。期待が高まる

 

ロボット刑事Kとキカイダーが出てくる。

コントラスト強めの白黒映像についていけない独自設定を早口解説され、

人を殺してしまった主人公の苦悩などを忙しないカット割で表現され、

実写版キャシャーンを見ている気持ちになり、不安高まる

 

なんか本郷猛は常にプルプル震えている。メンタル大丈夫かこの人

緑川ルリ子の顔面クオリティが高すぎ、どアップで映してもアニメ綾波レイ以上に美しいのでずっと見ていられる。

怪人蝙蝠男の顔面クオリティキモすぎてドン引き。飛び方もキモい。

バイクが発進したと思ったらもう敵のアジトについているなどTV版を踏襲した荒っぽいカット割が多い。

劇場を埋め尽くしたルリ子の複製が拍手するシーンでシンエヴァ最後の方を思い出す。画面はしょぼいけど庵野から仕方ないか

サイクロン号が変形して浮上し高高度からライダーキック。かっこいい。

死んだ怪人が泡になって消えるCGエフェクトはこの後何度も出てくるが自然で秀逸。

貨物列車をバックに線路でルリ子とやりとりシーン、かっこいいけどシンエヴァで見た。まあ庵野から仕方ないか

 

次の怪人に期待していたら、テンションマックスの怪人蠍女が登場。完全に長澤まさみ無駄遣いだった。

昭和の女怪人のキッチュな感じを狙ったんだろうけどマジでキッツー。この映画大丈夫か?と本気で不安になったところで、

にがりきった顔の竹野内豊が遠隔から見守る中仮面ライダーの手を一切借りず鎮圧

長澤まさみを見ている時の俺の沈痛な表情と竹野内豊の残念な表情が完全に一致していたのでこの映画で一番笑った。

 

商店街で後ろからゾロゾロ洗脳された人がついてくる面白カットからの怪人蜂女の登場。

セットや衣装は良かったがツインテールB級アイドルからコスプレ学芸会臭が漂う。

浜辺美波との百合展開もあるが顔面クオリティに差がありすぎて残酷であるマスクデザインは秀逸。

同じセリフを何度も繰り返すことでキャラを立てようとするのをやめろ!「あらら、」て10回以上言ったぞ。

ルリ子の「私は用意周到なの」も言い過ぎ。庵野には2時間映画で同じセリフは2回までという鉄則を守ってもらいたい。

無職なので野宿に慣れている本郷猛。生体電算機なので目が青く光るルリ子。アニメっぽいベタ表現なのに

バッチリサマになっている浜辺美波顔面クオリティに感動。

仮面ライダーチート技でアジトを急襲され、超スピードのバトルに。キャシャーンキューティハニーを思い出す。

蜂のひと刺しはバッタときの装甲を破れず、特性をいっさい生かすことなく蠍の毒で死亡。

本郷猛とルリ子が急接近したことで急にルリ子のメンタル中学生になり、

あてがわれた畳部屋でルリ子が突然風呂に入れないことにブチギレ。アスカみたいなキャラになる。

お前そんなキャラじゃなかっただろ!レイアスカしかヒロインの引き出しを持っていない庵野から仕方ない。

いい歳して中学生みたいな体臭フェチネタを何度も入れるのもいい加減にしろ!まったく庵野は恥ずかしいやつだな。

 

怪人蝶男が羽化森山未來が映っているとそれだけで画面に緊張感が生まれ目が離せないのだが、

その衣装でその動きをされるとオリンピック開会式を思い出してしまうのでマイナス。これから一生あの十字架を背負っていかねばならんのか。

蝶の玉座のセットやエフェクトが秀逸。大物感は十分だがハビタット世界とか言い出して急激に不安になる。

おじいちゃん人類補完計画はシンエヴァでもう終わったでしょ!一人の変人妄執に全人類を巻き込むのはいい加減にしろ

仮面ライダー2号が登場。日本人らしく短足で頭がでかいが、サマになっている。

こうした飄々としたキャラ重要な役に配置するところが庵野実写映画の美点である

工場でのバトルは良かったがシンウルトラマンで見た。本当に引き出しすくねーな。

 

怪人蟷螂カメレオン男が登場しルリ子を殺害

せっかく透明化能力を持ってるのに透明マントを投げ捨てた結果、カマキリ能力が全く通用せず仮面ライダー2号に完敗。

本郷猛はルリ子の遺言ビデオを見て号泣。泣かせるお膳立ては全て揃って泣かせる気満々の演出を決めてくるが、

腕を組んだ庵野ドヤ顔がバックの空に大きく浮かんでいたので泣けなかった。庵野映画はいつもそうだ。庵野から仕方ない。

 

いよいよクライマックス、怪人相変異群体バッタ男だ!すわシンエヴァで見た数億匹の群体戦か!と期待したが、10体ぐらいだった。

ほぼCGのこのバトル、作中No.1のしょぼさだった。なんなんだ。

パンフによると雨の中苦労して集団バイクアクションシーンを撮影現場は達成感に包まれたが、庵野監督が全ボツにして作り直したらしい。

なんだかよくわからん庵野から仕方ない。

 

ついに1号と2号が協力して最強の怪人蝶男に挑む。ロボット刑事Kが企むサステイナブルハッピネスなんとかはどうなった・・・?と

頭をよぎるが、蝶男が人類補完計画を実行しようとしているのでそれどころではない。

満を辞して蝶男が仮面ライダー0号に変身!文句なくかっこいい!二人の力を合わせても全く歯が立たないほどに強い!

と思ったらあれ?なんかえらいスタミナ消耗してんな。無限プラーナを操れるのかと思いきや5分ほど戦ったところでグロッキー状態になってしまった0号。

ずっと座ってたかトレーニングが足りなかったんだな。やぶれかぶれのくんずほぐれつから頭突きで兜割。

自分勝手人類を補完しようとしてすいませんでした、と改心した0号。

やったな本郷猛。あれ?君も意外と消耗してたんだ。あ、相打ちでしたか。二人とも仲良く泡になって消滅

一人残された一文字隼人。謎の清涼感を残しつつ、山口県角島へと向かう2号。ドローン映像庵野郷土山口県風景をじっくりと見せつつ終了。

シンエヴァと同じ終わりかたやんけ!

まあ庵野から仕方ないか

anond:20230319204136

2023-01-05

暴走族車両デザインの源流を説明する(2/2)

https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き

 

60年代カフェレーサー

カフェレーサーというのは1960年代イギリス流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである

カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。

このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。

すると、カウルハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。

そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。

珍奇とは他と違うという事だから所属を表す象徴作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である

これはバックミラー鬼のように付けたモッズベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前祭り山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。

 

一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用問題が絡んでいる。

カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。

から更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である

あんな高い所にカウルヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである

 

コルク帽(ヘルメット

車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。

これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明エントリがあったはずだが忘れてしまった。

ここで説明したいのはコルク帽の由来だ。

もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。

次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代60年代バイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。

これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。

次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイス進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。

まりコルクとは半帽ヘルの事を指していた。

現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである

1968年富士重工ラビットスクーターディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年ディスコンになるとスクーターベスパ以外製造されない時期が続いた。

ホンダはここにバイクと無縁な主婦市場があると見抜き、1976年ラッタッタでお馴染みのソフトバイクロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンリリースする。

この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れますバイクとは違うものですってイメージにならない。

そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。

http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html

歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデル小川ローザだ。

それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所スーパー自転車屋であってバイク屋ではない。内装ナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。

ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。

1986年原付ヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。

こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族ヤンキーしかいない。なのでまた所属象徴である。それで90年代にはヤンキー暴走族象徴するアイテムになった。

 

からロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ

更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称60年代を借用して実体オリジナル70年代にある、という錯綜した現象なんである

 

族ヘル

ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。

70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイス暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。

このタイプデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。

 

「○○レーシング」「スペクター」のようなチーム名

暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字名前と分かれている。

これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナ名前を使う。

一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフ漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値問題である

 

街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分エンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。

 

世界に広がる暴走族の輪

こういう風に族車デザインは当初はスピード象徴であったもの文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体価値を持つという現象である

特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。

カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーロケットカウル組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である

 

こんな珍奇な族車だが、実は日本キッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。

試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?

日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツフェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこち大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本キッチュ大好き国民なんじゃないかな?

更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku

結構な人気ジャンルなのだ

出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本暴走族ファッション中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディース特攻服着物特に人気のようだ。

 

そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。

2022-09-11

名は体を表してる感じの言葉

あるよね?

ビクーニャかわいい

ブユ → こわい

キッチュきもい

enormous → でかそう

keen → 鋭そう

2021-07-10

anond:20210710111327

まあ自分の引き出しをそうそ簡単に出さんのはプロとして当然なんだろうけど、それにしたって文体キッチュというか…

2021-05-26

anond:20210525233916

みんなで共同で有効利用すれば、マンション11部屋分のスペースが有効活用できるというのに

ここの説得力がないのでおもんない文章になってるのだと思う

面積なんてしょっぱい概念ではなく共同浴場銭湯を持ち出したほうが話は通りやす

独りよがりで強欲になってしまった日本人寄り合い助け合い精神をなくしてしまったと〆ればウェットでメランコリックはてブ連中はメロウキッチュエンデバー

2021-05-22

オタクってこうじゃなきゃダメだろ

オウフwwwいわゆるストレート質問キタコレですねwww

おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww

まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなく

メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwwwダン・シモンズの影響がですねwwww

ドプフォwwwついマニアック知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www

まあ萌えメタファーとしての長門純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww

私みたいに一歩引いた見方をするとですねwwwポストエヴァメタファーと

商業主義キッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww

朝比奈みくる文学性はですねwwww

フォカヌポウwww拙者これではまるでオタクみたいwww

拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ

2021-04-20

anond:20210419000816

おそらくほとんど実話なのだろうが、多少挑発しないと増田が食いつかないことを経験則理解しているか最後文体が急にキッチュになったんだろう

増田病だ

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2020-09-21

anond:20200921144847

やってるけど、十年くらい前からやってる団体が変わっちゃった

「蛇女」っていう題目で、生きた蛇を丸ごと食べてる内容だったんだけど、それを勝手YouTubeにあげたやつがい動物愛護団体みたいなところからクレームがきたんだって

今やってるのはゴキブリコンビナートって劇団がほぼ主導してて、グロというより軽いキッチュって感じになっててあんまりきじゃない

2020-02-27

anond:20200226195411

このコピペって要はその手のオタクだよね

真のオタクはこうだろ。

「ふーん、で、君は涼宮ハルヒキャラで誰が好きなの?」

「オウフwwwいわゆるストレート質問キタコレですねwww

おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww

まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなく

メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwwwダン・シモンズの影響がですねwwww

ドプフォwwwついマニアック知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www

まあ萌えメタファーとしての長門純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww

私みたいに一歩引いた見方をするとですねwwwポストエヴァメタファーと

商業主義キッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww

朝比奈みくる文学性はですねwwww

フォカヌポウwww拙者これではまるでオタクみたいwww

拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ

2019-12-07

TBS報道特集「私は白鳥

富山県で傷ついて北上できない白鳥を見守るおじさんの特集なんだけどちょっとやばい

おじさんは野生生物との距離感が十分に取れておらず、餌はやるわボートで漕ぎ出して近づいていくわ、挙げ句の果てに「自分白鳥である」と標榜して「白鳥白鳥を世話するのは当たり前のことである」と宣言し、さら自分も腕を振って胸筋を鍛えている。

おじさんの「世話」のあり方は全く科学的なエビデンスに基づかず、自分エゴだけで白鳥を見守る。

勝手白鳥たちの再会に涙し、勝手白鳥ペアがいることを切願する。

ものすごいエゴ自然に仮託した人間の、むき出しのエゴである

TBSは狙っている。明らかにギリギリラインを狙っている。

ある人は感動とも受け取るような内容で、ある人は狂気とも受け取るような内容。

この番組は、野生生物を見守る暖かな話と思いきや、おじさんの狂気孤独とを晒す

単に自然保護の認識不足TBSはこの番組を作っていない。単純な批判は、まだ問題入り口だ。

実はその向こうの、人間エゴと狂奔とを番組は切り取る。テレビキッチュさはここまで来た。

怖いことだ。未だ我々は、テレビから目が離せない。

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-06-04

anond:20190604161727

オウフwww

いわゆる鼻息荒いキモ童貞まるだし作品キタコレですねwww

おっとっとwww

拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww

まあ拙者の場合エロ小説好きとは言っても、いわゆる夜のおかずとしてのエロ小説でなく

メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwww

ダン・シモンズの影響ですがねwwww

ドプフォwww

ついマニアック知識が出てしまいましたwww

いや失敬失敬www

まあエロスのメタファーとしての前段の描写純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww

私みたいに一歩引いた見方をするとですねwww

ポストモダンメタファーと

商業主義キッチュさを引き継いだ後段のストーリー展開が魅力的ですねwww

よって次回作も期待しているでござるwwww


フォカヌポウwww

拙者これではまるでオタクみたいwww

拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ

2019-02-27

いろんなKKO

華奢で可憐お嬢様

かなり闊達坊ちゃん

恋に恋するお姉様

キザでキッチュなお兄様

家計管理者お母様

キレたら怖いお父様

体を壊したお祖母

気が狂ったお祖父

亀を飼ってる叔父

鍵を掛けない叔母様

キッチリ生真面目お姑さん

から観察お手伝いさん

キラキラ輝く王子

絹の衣着たお妃様

カネに汚いお坊さん

食うに困ったお侍さん

きっと勝てるよお馬さん

こんがり焦げつくお金貸し

キミには媚びないお猫様

近所を駆けてるお犬様

2018-09-24

翌日着る服で寝ている

中高生の時は学生ズボン+制服ワイシャツで寝ていたし、大学以降(社会人時代含む)はスラックス+ワイシャツで寝ていた。

その理由は「夜寝るときに着替える」というシチュエーションに激しい性的興奮を覚えるからだ。

 

そもそも自分パジャマのもの性的欲求を抱く。

中学の頃一度パジャマで寝ようとしたことがあるが、「自分パジャマを着ている」というシチュエーションに激しく興奮して勃起し続けて眠れなくなった(制服に着替えたらすぐに寝落ちした)。

パジャマデザイン(余談だがボタンがないタイプ場合キッチュな英字プリントがあればシコリティは非常に高くなる)、肌触り、着ているとき感触…それらは自分性的に興奮させる。

パジャマはくつろぐ時や寝る時に着るものだが、そういうことを想起させる「夜寝るときに着替える」というシチュエーションには、性的興奮を覚えて当然だろう。

自室には性的欲求を満たすためのパジャマが何着も存在する。パジャマが載っているカタログやチラシを見ても性的に興奮する。

深夜アニメ登場人物パジャマ姿のシーンが出てきても興奮する。「人生」ってアニメパジャマパーティーのシーンは非常に興奮した。

 

一方、性交渉には興味はない。世にいうエロ本を読んでいた時期もあったが、全く性的に興奮できなかった。

そもそも男性器を女性のケツに突っ込むことのどこに興奮できる要素があるのか理解に苦しむ。

2018-08-13

ほもだちんこ

20年前の話だ。

マカオリズボアホテルは、確か中央カジノがあり、

外周が円形の通路になっていた。

通路の外側は洒落ブランドの小店舗質屋だったかな。

その通路をぐるぐる歩いていると、耳の後ろから女性に声をかけられたり、

手を軽く繋がれたりする。娼婦の人だ。

んで、簡単に言うと国境隣の中国珠海から週末、

女子が友人と連れ立って外貨を稼ぎに来てるんだけど、

リズボアで部屋をとるのはその通りだとして、

二人で来てダブルの部屋を借りるのも致し方ない。

小柄でキッチュな小娘に、ほいほいついて部屋に行くと、小太りで目が細くまっすぐ中身を刈り上げた、

いかにもなおじさんがバスタオル巻いて立っていた。

シャワー浴びてベッドの枕にもたれるとひんやりして、小娘の肌もひんやりしていた。

んで、おちんちんおっきしたときに片方が浴室に行って、電話かなにかかな、

こっちの娘も「Wait.」と言って浴室に行って、

手持ち無沙汰に半立のちんこを横にぶるんぶるん振ってたら、

横のおじさんもだった。

いま思い出してみたら、それはまるで「ホモビデオ」のようだと気付いて、益田投稿

おじさんに「After, Exchange.」って言ったら「OK. OK.」とニンマリとしてくれた。

相手の娘は田舎臭い娘だったけど、Hentai日本風俗店のように遊んでやった(ふつー海外ではそっけなく、して終わり)。

おしっこにとトイレに行くと、「私も」と、小娘と並んで立ちションをした。

中国小娘は洋式トイレ立ちションをする。脇毛は剃らない。

2020年のオリンピックはさておき、

仕切り壁のないソープランドとか無いかな。

ハプニングバーは違う。24会館も違う。

爪を噛むな、手を洗え、パンツは替えたのか。

2018-08-09

PSYが好き

江南スタイルの人ね 大ファンというわけでもないけど

あの人の曲もMVもかなり好きでよく視聴するって人に言いづらい ネットでもリアルでも

そもそもうそんな話題になったりしないしオワコン扱いされそうっていうのもあるけど

ちょっと前にはてな公言しづらい趣味っていうのが盛り上がってたけど

PSYはどうなんだろうな?って思ってた ネットでは特に公言しづらい感じはある

アンチ韓国の人もよく目につくしものすごく嘲笑されそうな気する

あと韓国アイドル好きな人はああいタイプアーティストのことをどう思ってるんだろう

韓国芸能界のものに詳しいわけでもないからよくわかんないんだ

ほんとごくたまーーーーに話題にのぼったとき

PSYの曲もMVもだいたいいっつも同じ感じじゃんって言われるし自分でもそう思うんだけど

たぶんその「同じ」部分にすごく好きなところがあってクセになってるんだろう

MVにはちょっと前の韓国映画みたいな演出雰囲気も感じるし

醜さとか猥雑さの中に面白みはもちろんスタイリッシュさとか美を見出してる感じがするとこが好き

ストレートなかっこよさとかはないんだけど独特のキッチュさがあって

そこをメタ的に意識的に、でも別に否定的でなく見てる感じするとこも好き

単純にあのヴィジュアルの人が踊ってるのを観るのが楽しいってのもある

なんかいいんだよなあ、の「なんか」の部分がうまく説明できなくて

でもこれもう普通にファンだなあと思ってなんだかますます人には言いにくい

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