はてなキーワード: 快晴とは
先月思いもよらず多くの方々にお読みいただいたカマキリの話だが、今朝虫かごを覗いてみると地面に横たわって死んでいた。我が家に来てからちょうど1ヶ月半のことになる。
家に来てからのほとんどの期間をハリガネムシの寄生に気を揉んで心配し続けてきたカマキリだったが、おそらく死因は消化不良によって内臓が弱ってしまったことが原因だろうと思う。人間の食べる餌だけではやはり限界があったのだろう。
キッチンペーパーを敷いた虫かごの床に、カマを頭の横に添えて人がすやすやと横寝するような姿勢で倒れていて、見ようによってはかわいらしい仕草の亡骸だった。
先週末に外出先から戻ってみると、とても水分量の多い糞をしていてだいぶ気がかりではあった。天井にぶら下がっていられないのか虫かごの低い位置の壁につかまるようになったり、夜に照明がつくと目に見えて取り乱すようになったり、不調の兆しは確かにあったと思う。
特に昨晩は寝る前にずいぶんと長いこと腹を曲げていて、それを見た娘が心配していた。その仕草は糞をする時のカマキリの一般的な姿勢で、逆さまにぶら下がっている時に自分の糞で体を汚さないための工夫であるらしい旨を調べていた私はそれほど強い心配をしなかったのだが、思えばあれが最期の苦しみであったのかもしれない。
一説によるとハリガネムシはカマキリの羽化から30〜45日ほどで脱出を図ることが多いという。だから私は密かに飼育45日目を節目だと勝手に思っていた。我が家に来る直前にハリガネムシの幼虫が入った餌を食べてしまったとしても、45日を過ぎればもう寄生の心配はしなくていいだろう、あとは寒さや寿命に備えて引き続き長生きを祈ろうと思っていた。冬まで生きれば隙間風の多い極寒の我が家で生き残らせる手段として、私の部屋のこたつの上で生活するこたつカマキリが爆誕するだろうなと思っていた。
我が家に来て少ししてから急に翅が黒ずんできてしまって心配していたのだが、近くで見てみると黒いだけでなく透明にもなっていて、かなり早くから傷んでいたのだろうと思う。前回の増田では前翅と後翅が入れ替わってしまったのではないかと書いたが、つるつるした緑色の部分(前翅?)とざらざらした透明な部分(後翅?)は、着物の合わせのようにはっきりと境目が見えるのにぴったりくっついてうまく分離できなかった。生きていた時は翅を広げたりすればきちんと分かれていたのかもしれない。
本当は、飼育45日を過ぎて元気でいるようなら、近況をまた増田に書こうと思って半月くらい前からずっと下書きを保存していた。そのほとんどが没になってしまった。
10月に入ってから魚肉ソーセージを食べなくなったので普通の肉を週二でやっていた事とか、ちゃんと餌を顔に近づけると自分で持って食べるようになり横着カマキリの汚名を返上していた事とか、一度サーモンの刺身をやってみたら大パニックを起こして煮干し以来の脱走の危機を迎えていた事とか、我が家のベランダにハラビロのメスカマキリまでやってきて天の采配かと大興奮したがすぐにどこかへ行ってしまった事とかをもっと長々と書いていた。こういう形での続報になってしまってとても残念だ。
カマキリの死を知った娘は思いのほかに長くさめざめと泣いて、私はカマキリの死自体よりは、そんな娘がかわいそうで悲しいという気持ちの方が幾分強かった。それでも、この増田を書きながらカマキリの亡骸について記述している際には少々涙が出た。かわいかったなと意識をすると悲しい。
昆虫が平気な親であれば、インターネットでハリガネムシの心配がないなにがしかの幼虫や餌用の活コオロギなどを買い、別に飼育しておいて、もっと長生きさせる手立てはあったかもしれない。残念ながらそこまでする根性がなかった。そういう意味での悔いはあるが、昆虫が怖くて触れない親なりにできることは全てしたと思っている。
前回の増田で我が家のカマキリをかわいいと思ってくださった方々、本当にどうもありがとう。
力も経験も全く足りず、あまり長生きをさせることはできなかった。それでもたくさん甘やかして暮らした。カマキリはどうかわからないが人間は幸せだったと思う。
すぐ埋めるのは嫌だと娘が言うので、少しだけ家に置いておいて、いずれベランダの鉢植えの花を添えて近くの公園の土に埋めに行くつもりだ。
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死んだ当日はとてもよく晴れて、次の明け方はおそろしく強い風が吹いた。風の音で目を覚まし、一緒に埋めようと思っていた鉢植えの花が吹き飛ばされるのが心配でベランダに出て鉢植えの位置を変えた。
朝再び起きるとカマキリの亡骸はだいぶ茶色く変色してしまっていて、これはもう埋めた方がいいだろうと思われ、娘も嫌々ながら承諾した。カマの部分だけはあまり腐るような中身がないのか、変色が少なく割合きれいな緑色を保っているのが印象的だった。
ほんの少しの間使っていた止まり木についていた木の実と、鉢植えの花をひとつ添えて公園の植え込みの根元に埋めた。
これが最後だからと娘に促すと、怖がって一度もカマキリに触れたことのなかった娘がこわごわと亡骸に触れ、指でつまんで墓穴に入れようとした。
恐る恐るだったので一度手を滑らせてしまって、キッチンペーパーに乗せたカマキリの亡骸がコロリと裏返しに転がり、まるでこちらを向いて最後のお別れでもするかのような姿勢になって、思わずグッと涙を堪えた。それでも娘は亡骸をきちんと墓穴におさめることができた。二人で半べそをかきながら土をかけて葬った。
死んだ日はよく晴れ、明け方に早く葬ってほしいと言わんばかりの強い風が吹き、埋葬した後には前日に輪をかけてよい快晴に恵まれたので、その話をして「ちゃんとお葬式をしてもらえてよかったと思っているのかもね」と娘に言ったら「天気の子だぁ」と喜んでいた。
今は「早く生まれ変わってまた来てほしい」と言っている。
私は「可愛さを認められて次はネコにでも生まれ変わり、どこかの優しい飼主に一生大事に可愛がられて過ごすといい」と思っている。
地元の祭りに出かけたが、祭り用に設置されたゴミ捨て場に缶詰みかんの缶がやたらと多いのが気になった。
ゴミ捨て場にあった缶はこれなのか、と思う。
今日は9月中旬なのに最高気温35度の快晴で暑かったのでこれを買うことにした。
その時はたしか午後2時頃だったと思う。
「どっ缶冷凍みかん」はシロップ漬けのみかんの缶詰を凍らせただけの代物だ。
凍っていてふたを開けるのに力が必要なのか、冷たくて直接触れることができないのか、店員は軍手を着用して仰々しいペンチで開封していた。
スーパーで120円くらいで売っているような400グラムのみかん缶を凍らせただけで500円だ。
他の屋台の店が鉄板で焼きそばやイカやベビーカステラを焼いて汗を流してあくせくしているのに比べたらずいぶんと楽してるのではないか、と思った。
持ち運ぶ際、スプーンを缶の中に入れようとしたが、内容物がガチガチに凍っていてスプーンが刺さらなかった。
しかも、あまりにも冷たいので、持ち運んでいる最中に左手から右手へ、そしてまた右手から左手へと何回も持ち替えた。
おかげで、熱かった体を冷ますことができてよかったけれども。
そして、気温と体温とで缶詰の周囲が解け始めると、ようやくシロップが飲めるようになった。
とはいえ、最初に溶けるのは水なのであまり甘くはなかったけれども。
すると、缶の中に隙間ができてスプーンを入れる余地ができるので、少しずつ削って食べられるようになったのである。
そのうちに缶の中は氷からシャーベットへと次第に変化していくので、スプーンがジャクジャクと入るようになってどんどんと食べられるようになっていく。
ガチガチのカチワリ氷から、シャリシャリのシャーベットへと変化していくのを楽しみながら味わったのだ。
そのうちに、暑さでフラフラだった体も頭もすっかり冷えてきて、気持ちもシャキッとしてきた。
ああ、うまかった!
ただし、この「どっ缶冷凍みかん」をうまいと思うには、炎天下の屋外であることが条件だろう。
エアコンの効いた屋内でこんなにも冷たくて量の多いものは、とてもじゃないが食べられたものじゃないだろう。
ゆえに、私はこの「どっ缶冷凍みかん」を人生で初めて食べてとても気に入ったけれども、今年はもう「どっ缶冷凍みかん」を食べることができなくて残念だ。
ああ、早くも来年の夏が待ち遠しい。
数学の世界には無限の可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則。
三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。
ドミニク・シュタイナーはベルリンの研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学が絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。
その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女はロシアの数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデルを研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性や論理性を冷静に評価した。
パリでの国際数学会議で、ドミニクは自身の研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉で論理の精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学の普遍性に魅了されているようだった。
発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。
「シュタイナー教授、あなたの理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクスを適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」
ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。
「イワノフ教授、非線形方程式は確かに複雑系の挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学の役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」
「そのリスクは承知していますが、社会変革は非線形な過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます。複雑系の理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」
ドミニクは彼女の意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。
「社会変革が非線形であるという見解は理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデルが必要です。」
「シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学的美学の観点から異なる提案をさせていただきます。リーマン幾何や複素解析の観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります。特に、複素平面上での調和関数の性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定のパターンや法則が見出せるかもしれません。」
「タカハシ教授、あなたの視点は興味深いものです。調和関数の性質が社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデルを提示していただけますか?」
「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性があります。リーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的なエネルギーを視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができます。エネルギーの収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」
「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系のシミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」
「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系のシミュレーションと補完し合う可能性です。単独のアプローチでは見落とされがちなパターンや収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」
三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。
一方その日のパリは過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。
平日の喧騒から解放されたタクミは、「弱者男性サービス」での激務を一旦忘れ、休日を満喫することを決めた。今日は一人でショッピングに出かけ、のんびり過ごす予定だ。彼にとっては久しぶりの自由な一日である。
快晴の中、タクミはカジュアルな服装に身を包み、ショッピングモールへと向かった。彼は普段の緊張感から解放され、街の活気に溶け込んでいた。
タクミはショッピングモールの入り口をくぐり、さまざまな店を巡り始めた。新しいスニーカーを手に入れることを目標にしているが、ついつい他のアイテムにも目が奪われてしまう。
ショッピングをひとしきり楽しんだ後、タクミはモール内のカフェに立ち寄った。そこで、彼は美しい女性に声をかけられる。彼女の名前はリサ。趣味で訪れたアート展を見て、休憩に立ち寄ったとのことだ。
タクミ: 「もちろん、どうぞ。素敵な日ですね。」
リサはその日の出来事を楽しそうに語り始め、二人は自然と打ち解けていった。
カフェでの会話が盛り上がる中、突然、外から騒々しい音が聞こえてきた。数人の男たちが店内に乱入し、人々を脅し始めた。彼らは悪名高い犯罪組織「ブラッククロウ」のメンバーだった。
タクミはすぐに状況を把握し、リサに安全な場所に避難するように促した。
タクミ: 「リサさん、後ろの非常口から逃げて。ここは僕に任せて。」
リサは一瞬驚いたが、タクミの決意を感じ取り、指示に従ってカフェを後にした。
タクミは護衛のスペシャリストとしての経験を活かし、カフェ内の状況を立て直すために行動を開始した。彼は店内にいた客たちを安全な場所に誘導しながら、男たちに立ち向かう。
彼は冷静かつ迅速に、男たちを一人ずつ制圧していく。タクミの格闘技術と護身術のスキルが、次々と発揮される。
男2: 「何だこいつは!?」
タクミの卓越した技術に圧倒され、男たちは次第に退散していった。
騒動は収束し、タクミは店内の人々を救出することに成功した。彼は安堵の息をつきながら、リサの安全を確認するために店の外に出た。
タクミ: 「大したことじゃないさ。でも、君が無事で良かった。」
騒動の後、タクミとリサはモール内を再び歩き始めた。二人は日常の話題を交わしながら、穏やかな時間を過ごした。しかし、タクミはふとした瞬間に、彼女の表情が曇っていることに気付く。
リサ: 「今日は楽しかった。でも、私じゃあなたのような勇敢な弱者男性に釣り合わないわ。」
タクミはその言葉に驚きつつも、リサの気持ちを尊重することにした。
タクミ: 「そんなことないさ。リサさんと過ごした時間はとても楽しかったよ。」
タクミとリサは、お互いに感謝の言葉を交わし、別れの時を迎えた。彼はリサの選択を理解し、笑顔で見送ることにした。
タクミは、休日の一日を振り返りながらショッピングモールを後にした。彼は「弱者男性サービス」の一員として、多くの人々を助け続けることを決意しつつ、心の中でリサとの思い出を大切に刻んでいた。
タクミの休日は、彼にとって大切な時間となり、彼のプロフェッショナルな姿勢と人間性が一層磨かれるきっかけとなった。彼は再び仕事に戻り、クライアントを守るために全力を尽くす日々を迎えることを決意した。
日頃の不摂生に加えてクーラーをつけていなかったのが仇になった。
買い物に行ってくると同居の親に断り、少し離れた場所まで足を伸ばした。離れていたのは2・3時間程度だろう。
帰宅途中に親からLINEがきたので確認をすると、たすけて、てがしびれる、めまいなどとひらがなオンリーの誤字まみれの短文が次々と届いた。
まずい状況なのではないかと慌てて帰ると、親はリビングで倒れていた。そばにはかろうじて飲んだのか経口補水液が半分飲まれて置いてあった。
LINEが送られてきていたし、まだ意識はあると症状の確認をすると、か細い声でLINEと同じ答えが返ってきた。
状況からして熱中症だろうと辺りをつけ、Xで得ていた知識をもとに脇や首などを冷やしつつ、聞かれそうなことを親に尋ねてから119番通報した。
救急隊員には、住所・親の名前・症状・症状が出始めたのはいつからなのか聞かれたのでわかる範囲で答えていく。内心パニックだったが、まだ親の意識はあったし来てもらえたらなんとかなると思い、頑張って答えた。
救急車が来るまでに、保険証とお薬手帳を探し出し、もしかしたら入院になるかもとバスタオルと下着・歯ブラシを袋に詰めた。後は、かかりつけ医と持病などを答えられるようにした。本当ならもっと持っていくものがあるのだろうがパニックで思い出せなかった。とりあえず何か持っていかなければならないと思うことができたのはネットのおかげだ。
救急車の音が外から聞こえた時は安堵した。親は後で長い時間がかかったように感じたと答えていたが、実際のところは10分ほどで来てくれていた。親の意識があってよかった。意識がなかったら、この10分は地獄だっただろう。
救急隊員が来てからは親に質問されることが多かったため、出番はあまりなかった。横で時たま補足するくらいだったのは本人の病状確認もあるのだろう。
搬送が決定してからは火元の確認や戸締りなどをするように指示された。玄関の施錠も頼まれた後に、親の靴を持ってくるように言われて、気遣いができる人だなと感心した。確かに靴がないと帰れない。
救急車に乗ってからも搬送先が決まらずやきもきした。15分ほどあちこちの病院に電話をしてやっと決まったので出発すると言われた時はこれまた安堵した。
コロナの予防のため、念のためマスクを親にしていいか確認した後マスクをしたが、しばらくして酸素濃度が下がったのが警告音が鳴り響いた時は心臓が飛び跳ねた。意識があるから大丈夫、血圧も測っているし大丈夫、何かあったら救急隊員がなんとかしてくれる、すぐに病院だと自分に言い聞かせた。
快晴の土日だったので出かける人々が多かったのか道が混み、避けようにも避けられなかったのかもしれない。結局アナウンスを行い真ん中を通行した。
交差点に突入する時も、どんどん車が曲がってきて救急車が通りにくそうだった。
今回親は軽度の熱中症で意識があったからよかった。でもこれが熱中症でも重度の人や事故にあった人、一分一秒を争う人だったらどうなるかをすごく考えた。
高齢者1人亡くなったんだねで終わることが怖かった。
この増田を書こうと思ったのは、熱中症は怖いから気をつけてくれっていうのと救急車が来たらすぐに道を開けて欲しかったからだ。
寄りにくい道もあるだろうが、救急車が見えたり音が聞こえたなら気にかけて欲しい
交差点も曲がる前に止まってくれ。
歩行者も横断をやめよう。
道を開けてくれた車は本当にありがとう。
車乗りの義務だけど、ぐんぐん走れるようになった時は嬉しかった。
あとやっぱり救急隊員って運転上手いんだな。揺れますよとか言ってたけど道路の舗装の関係の揺れとかそのぐらいだしアクセルのかかり方とか上手かった。訓練して事態に備えてくれてるの分かって良かった。金持ちだったら寄付したかった。差し入れもダメだし、金ないから手紙書くぐらいしかできない。
病院に搬送された後は、点滴打って少し休んだら帰れたのでもうそんなに書くことがない。
やったことといえば、カルテに必要事項を書いてスマホでもう1人の親に連絡したぐらいだ。
仕事を切り上げて車で迎えに来てくれたのは帰宅の面で助かった。倒れた親は帰りの車で戻したのでタクシーだったらタクシーの人が困ったと思う。看護師が気を利かせて袋をくれていたのもファインプレーだった。
そんなわけで親はいろんな人のおかげで無事に助かったし、学びを得た。
病院代は9000円ぐらいかかったから親にはケチケチしないでクーラーをつけろ、寝ろ、飲め、食え!ときつく言い聞かせた。
親の言い分としてはクーラーの清掃をしていない状況で埃まみれのクーラーを使うのが嫌だったらしい。そんなわけで清掃業者を手配した。近いうちにくるがそれまでは我慢して埃まみれのクーラーで過ごすように伝えた。
・睡眠不足
・水不足
・食事不足
親は全て当てはまった役満だったので当然といえば当然の結果だった。
帰宅途中でよかったし、同居してて親の保険証やかかりつけ医を知っていたのもよかった。
これを読んだ増田達には、熱中症に気をつけることと、救急車の道を開けることを強くお願いしたい。
救急車の道が開かないのは友人の医療関係者も同乗する時に本当に困るよと言っていたので地域が変わっても困ってるんだなと思った。
本当に頼むぞ!それで助かる命があるかも!
平日に有休をとり、空いている公共施設に行くということをたびたびしている
今回は未就学児だったとき以来の訪問となる福岡市動植物園に行ってきた
福岡市の西方面からの行き方をググったところ、西新駅からバスに乗り、桜坂で降りれば歩いて10分というルートが三番目くらいに出てきた
当日、最高気温30度の快晴の中、桜坂駅へと降り立ったら、山の下だった
前方には明らかな山がそびえている
福岡市動植物園に疎い私でも、園が山の中にあることは知っていた
標高は街中だけあって、そんなにないが傾斜が大きいように見受けられる
Googleの想定人間(10分で園入口まで歩ける人間)に負けたくないなと思い、坂を上り始めた
山道を迂回しながらあるくようなルートで、入口までは15分くらいは歩いた
想定人間にはなれなかった
途中、トイレ無いし漏れるかもと思い、泣きそうになったが、漏れなかったのでその描写は割愛する
600円を払い、入場し、トイレで用を足し、地図を見ると動物園は道を挟んで北園と南園に別れていて、南園の奥に植物園があるそうな
北園の方が狭いのもあってそちらから回ってみることにした
北園を回っている中で驚いたことは2点
1点目は園内の起伏が激しく、次の動物を見ようとしたら坂の上り下りが待っているという点
てっきり山の上の平坦な部分に動植物園があると思っていたので、予想外だった
サイが遠くの方で木陰の下の平坦な地面に寝ているのを横目で見ながら坂を上るとき、私はサイに対し観察者という優位な立場にいるのではなく、私もまた動物なのだと思った
せっかく坂を上っても次の動物へはまた坂を下りることになり、また次の動物へは坂を上ることになる
北園は木が多く、基本的に人間も木陰の下を歩くことになり、気持ちがよくはあった
驚いたことの2点目はキリンさんのペニスが長くてピンク色で収納可能なことだ
長!と思って、写真を撮ろうとしたら体内に仕舞っていて面影もなくなっていたので、二度驚いた
北園を回っただけで、わりと疲れたので、休憩がてら園内の食堂で軽食をとることにした
動物の愛玩と屠殺利用の間にある感じがして、動物園の食堂に入るときはドキドキする
華味鳥とトマトのサンドイッチを食べながら、自分は雑食だということを意識した
食事を終え、時刻は11時ほど、冷房の効いた食堂スペースから、野外にこれから出ていき、また坂を上ったり、下ったりするのだと思うと気が重くなった
何も被らないよりかはマシかと思い、動物の刺繍のついたチューリップハットを買った
そこからさらに1時間半くらい動植物園に滞在し、動物を見て、植物を見て、運動したという気分になった
今調べたところによると、福岡市の動植物園の標高の最高地点は60mほどで、出発地点だった桜坂は15mほどらしい
赤坂駅や天神駅からなら動物園入口までのバスが出ているようなので公共交通機関を使う場合はこちらのルートの方が正解だと思う
https://anond.hatelabo.jp/20240601002155
これ読んで思い出した
20代後半の頃当時付き合ってた彼女とデートしてて、その日は東京の水上バスに乗ろうということになった
どちらも東京に出て日が浅く、まだまだ知らない所が多い東京に圧倒されながらも日々を最高に楽しんでいた
次の週末はどこに行こうか?といつも話してたし、すこしずつ東京に緊張しなくなって地理にも強くなっていくのがなんだか誇らしかった
二人共水上バスに乗るのははじめてだったのでこんなに混むんだなと驚いた
その日は快晴で気持ちの良い日だったし東京観光の客で水上バスも満員という感じだった
順番的にたまたまスッと中に乗れた俺達は一番後ろの長いベンチみたいになってる席に座った
そこだと後ろがオープンになってるのできれいな眺めも見れて最高だった
乗ってからずっと後ろの眺めを見て夢中になっていた
デジカメの確認をしようと前を向いたら俺達の目の前におばあさんがいた
手すりにつかまってるけどふらふらしててちょっと不安な感じだった
おばあさんと目が合った瞬間、俺はすぐに目をそらしてまた後ろを向いた
見なかったことにしたのだ
そしてその時彼女も同じようにしてることに気づいていた
二人ともせっかくデートで座って後ろの景色を楽しめているのを手放したくなかったんだ
俺達はそのあとわざとらしく楽しそうな声を上げたりした
でもずっと背中におばあさんを感じていた
俺達はお互いに恥ずかしかったしその後のデートもちょっと盛り上がれなかった
夕飯を食べてる時に「水上バスの時さ」って切り出したら「うん」って食い気味に返事が返ってきた
ここで二人して言い訳とかしながら適当に反省とかしてもよかったかもだけど
そこまでさばけてもなくてそれぞれ自分が恥ずかしくてそれ以上話せなくて黙るしかなかった
彼女とはその後も長く付き合ったしその事でなにかが変わったりとかしてない
だからこの話にオチはないんだけど、あの時ちゃんと席を譲ってたらどうだったんだろうなって思い出したのだ
たぶん二人ともいい事をしたような気分になれて、その後のデートも楽しかったんだろうなと思う
でも俺が勝手に率先しておばあさんに席を譲ってそれが当たり前だからみたいな顔してたら
本人に送ろうか迷ってギリギリで踏みとどまった文章なので序盤は語りかけ口調
固有名詞は書き換え済
冷めるきっかけはツアー中の公演、今回のツアーが終わってから投稿しようと思っていたけど心変わりの兆しが見えたので恨み節が恨みの内にネットに流してしまおうと思う
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〇〇さんへ
今回書き記したのはライブの感想ではありません。普段の手紙では褒めるようなことしか書かないようにしていますが、これは逆です。恨み節しか書いていません、タチの悪い誹謗中傷と同じです。八つ当たりです。見える可能性がある以上別に見ないでとは言いませんが、絶対に良い気持ちにはならないので見られませんようにと祈っている。
ファンレターって開けるまではマイナスなことが書いてあるかもしれないのに貰うと基本嬉しい不思議なものだ。私の名前を記せば、ああいつもの人か今回も良いことが書いてあるだろうという今まで積み上げてきた信頼を裏切ることになるだろう。とりあえず匿名だけど、でもきっと界隈の詳しい人達なら私が誰か分かるだろう。それでも書きます、書いてしまってもいいなと自暴自棄になっているから。心情をぶつけてしまって申し訳ないけど、でもいつもしている事だ。その感情のエネルギーが今回は真反対なだけで。許さなくていいです、私も貴方を許しませんから。
〇〇さん気付いてますかわざとですか、4連チャンで男の人にだけスティックを渡しているのは。グータッチも背の高い人、つまり大体男の人にばっかしてませんか
(スティック手渡ししてたのは私の知る限りで、定演・忘年会・長崎・新潟、あとプラス鳥取でスティック頂戴〜!って野次してた男の子にあげてた)(女性でスティックをゲット出来た子×2は投げたのをキャッチできたからです)
偶然ですか?たまたま偏っただけですか?考えすぎですか?疑念は拭われず、そしてついに私の中で確信にまで至りました
そんなに男のファンが好きなら最初から夢なんて見せないでください 優しくなんてしないで
ごめんね喉仏なくて 髭も薄くて じゃあ相当嫌だったよね俺なんかに好かれて 俺が謙遜で言ってたセリフじゃなくて本当に嫌だったんじゃん そうならそうと早く言って 私の何年間が無駄になったってこと? 目合って微笑んでくれたのも全部上辺だったの?
↑HAHAHAめっちゃ嫌なファンで草 でもそう思わせる隙があなたにはあった、なんて思ってしまうよ インスタで誰の目にも付かずにメンションして文句垂れることも考えた こういう風に悪用するべきではないんだろうけど。メンションするべきなのか自分で飲み込むべきなのかも分かりません 錯乱しています
例えばスティック頂戴〜!って野次したらくれるんだろうな 実際にそう叫んでた男の子に上げてたから でも自分がやるにはちょっと烏滸がましいかなって思って天命を、選ばれるのを待ってたんだよ でもそしたらあなた何、男の子にしか渡さないじゃん グータッチし終わって端の子に渡すのは別にいいよ俺が選んで真ん中に居るわけだし、端っこだとステージ見えにくいかもしれないからそのお詫びと言っては大袈裟かもしれないけど優しいなって思えるよ でもじゃあなんで男の子だけに渡すのかな 男オタを大事にしたいの?じゃあ俺はいくら通っても大事にされないファンってこと?俺は好きにこの身体に性別に生まれた訳じゃないじゃん 選ばれる余地もないんですか?とすら思ってしまうよその態度は
別に目合わせろとか私を選んでスティック渡せとか言ってる訳じゃないよ あなたが好きな人を選んで渡したらいいよ でも性別偏らせるのはただ普通にシンプル差別じゃないですか? 私が考えすぎなだけで統計上の偏りですか?4-5回連続で男の子にスティック手渡すのが? オタクのこと、ただオタクとして見てはくれないんですか?女オタ・男オタに区切って考えてるんだ 別に女オタクのことを下に見ているわけではないんだろうなそこまで区別してるわけではなさそうだなとは思えるけど、いくら性別が同じだからって男オタばっか贔屓するんですか。それが無意識にしろ意図的にせよ、およそファンに対して真摯な方とは見えなくなってしまいました。いいですね生まれ持った性別に違和感持ったことが無い人は 呑気に生きることができて 今更男になりたいとは思わないけど、生まれ持った自分を愛する人に否定された私の気持ちは。
ああ確かに居場所だと思っていた、信じていた、やはり期待をしすぎたのか。その蟠りはどこにもいかずただその場で沈んでいく、海の底で掘り返されるのを待っている。瓶詰めされてきっと流されることも風化することも無いでしょう。貴方が男女の間に白線を引くというのなら、もうお側に居ることは叶いませんね 私は線を超えて貴方の側にはいけないのですから そうやって内輪に愛想振りまいていれば、傷つく必要もありませんから。そうして傷のないダイヤモンドで居てください、俺の知らない知りえない世界でどうぞ末永くお幸せに
いくら使ったとか考えるのは下世話だね 別に楽しかったから無駄とも思わないし見返りはもう貰ってるから計上した所で意味無いかな、100は普通に飛んでそう、でもお金は客観的な愛の指標だよ掛けてきた熱量は分かるよね 一生分好きだったんだよ 確かに ねぇ 嘘であってよ 気をつけるって言って 言わなくてもいいけどこれから気をつけて 宇宙一好きだった人がまさか男女で区別するような人だと信じたくないから 差別と呼ぶほど酷くないけど、でも差別くらいショックはあった 信じられない なんで、よりにもよって私の愛した人が ただ奥手なだけであって欲しい ああ見る目なかったかなぁ俺 あなたの好きに振舞った結果がこれなら、なんだかな、あまりにノリが合わなさすぎるというか どんな行動も貴方が好きに振舞った結果ならきっとなんでも好きだろうと思ってたけど、生まれ持ったもの・自分じゃどうしようもできないものを物差しにしてファンに優劣を付けるならそれは許すとかいう次元にはないです 到底看過できたものではない ただ悲しい
グータッチも背の高い男の人にばっかすることで有名だった 私以外にも数人「〇〇さんって男の人にしかファンサしないよね」って言ってるのを聞く。別に私自身が運が悪くてグータッチできないこともスティック貰えないことも不満じゃないです しなくても楽しかったから でも観客を性別で見るのは違うじゃん あくまで同じファンとして見てよ なんでよ なんでよ 君は研究も仕事もバンドも全部取ったのに、なんでファンは全部拾わないの 男女の前に人間だろうファンだろう 1人残らず大切にしてよ愛してよ、私そんなに変なこと言ってるかな 大切にされてると思えてたのに、死ぬまで一生愛されてると思ってたのに。愛していたのは居心地の良い同性ファンだけだったんだ。
そんなに女の人苦手なら一生独り身のままでいたらいいんじゃないですか笑
髪の毛伸ばしたのなんでなんだろう結局聞けてないな、そんなに男オタが好きならそのうざったい髪も無理して伸ばす必要なかったと思いますけど笑(←私が長髪を褒めたから伸ばし始めた!と思ってないと言えない発言だw)
ドルオタの子に「期待したら負けです」って言われちゃった、いや期待もするよそりゃ 大阪城ホール埋めてんだもん まぁ確かにnanoとかPangeaからのファンではないけど、(曲名)から脱退からクアトロにメジャデもコロナも見守ってきたよ 冷静に私が負けな訳なくないか?男にしかファンサしてないの向こうなんだけど??
こっちは他人が見たら引くような熱量をかけてるの 、お金だって分かりやすいけど時間だってもう5年も応援してて(歴を誇るんじゃなくて)、それだけ掛けた時間がある
それなのに支払ってきたエネルギーじゃなくて生まれ持ったもので理不尽にジャッジされて、そこに居ないかのような扱いされちゃあ泣きもするよ ごめんなさい黙って消えるべきだと思います 嫌でしたよね沢山手紙書いて 累計は多分10万文字とかいってるはずです、ごめんねとてつもない分量書いてて 嫌な奴から貰ってて苦しかったでしょう 〇〇さん関連で書いた文章のまとめ本だけ作って消えたいなと思っています 最後の恨みで送り付けようか
これからどうなるかな、曲は聞くかもしれないけど今はライブ行く気がしない、少なくともこれまでのようにライブは見れないと思う 今チケットある分が終わったら、もうどうなるかわかんない 諦めきれずに応援してる未来も見えるし全く情報を入れなくなってる自分もありえる。 でも1度猜疑心を抱いてしまったらおしまいだ、元のような生活は戻って来ない そういう確信に至っている。私が居なくなっても(バンド名)はなんの不自由もなく続いていくから、老兵は去るのみだ。私が錯乱しているだけで変なことを言っているかもしれない、これを伝えたって〇〇さんは別に聞かないかもしれない、むしろ変わらないのが〇〇さんだろうという気がしている。私は何があろうと離れてしまうだろうし、〇〇さんも何があろうと変わらないんじゃないかな。ただ1個だけいじわるを言っていいかな。ねぇ〇〇さん、私よりあなたの事好きな人いた? こうして愛の総量なんかで推し量るのではなくって、それでもやっぱり同性のファンが良いと思うなら、これは本当にただ底意地の悪い質問だ(そして誰も幸せにならない)。ごめんね たかがいちファンが出しゃばって、認知もしてないよね、全部自意識過剰だ 愛が凄かったらランキング1位とかって訳じゃないしそのファンの意見が大切にされるわけでもないのは分かってる だからいじわるな質問。少なくとも行動力があるという面で1番好きを名乗って良いか?だからお願い私の言うことが書くことが貴方の芯に刺さって欲しい。今までに貴方に見せたことのない尖り方で訴えかけようとしている、どうか私のこの悲痛な叫びを聞いて、あわよくば思い直して欲しいと思ってしまっている。思い直してくれたとしても私はもうそこには、ライブハウスには戻らないけど。貴方は素敵な人だから私が居なくても私以外の沢山の人に愛されていることだろう。でもよく考えたら元々それが私の望んでいた世界なのかも。啓蒙活動は功を奏したらしい、もうおしまいにしよう。さようなら、これが最後のファンレター。ファン辞めますって本人に見えるように言うことほど意味の無い無駄な行為はないことを分かっている、立つ鳥跡を濁しまくりでダッサいなぁって自分でも思ってる
でもね、こんなウジウジしてる私よりも、男ファンばっか優遇してる貴方はもっとダサいかもしれない
今まで感想とか私情とか手当り次第なんでも〇〇さんに伝えて来たけど、「私性格悪いから」この最後の恨み言は言わないでおこうかな あの子の悪口絶対言わないでおこうかな ははは なんてね
(それでも、なんでかな、やっぱり私の世界であなたより素敵な人は居ない もう暫くきっと現れない ひょっとしたら未来永劫出会えないかもしれない それくらい貴方は素敵な人だった 嫌いになりたくないよ なりたくなかったよ)
好きだった、一生分好きだった。所詮私も演者の幻の中で夢を見ていたのだろうか。「好きだったなぁ」と零しながら涙目で新潟の夜を徘徊した、私の夜道は当分憂鬱で彩られることだろう。翌日の快晴はあまりに物語として美しい。私は主人公で、そして彼は登場人物に過ぎなかった。あくまで登場しただけで、私の隣には来ないのが定めだった。それでも、確かにちゃんと好きだった。また新しいアルバムが出たら1枚は買うかもしれない、武道館は行きたいしまた新しいホールでやるなら行くかもしれない、でももう私の生活の、人生の中心には置いておけない。時は薔薇の5月か匕首の6月か、今日も山手線は回り環状線は回る。目を回しても垂れてくる涙の分だけ君を愛していました。手を伸ばしても届かないのは私と貴方がステージの下の人と上の人だったからじゃないんですね、私と貴方の染色体が違うからだったんですね。
返事が欲しいと思ってしまっている 思い直して欲しいと思っているから、きっと私は返事の文章を通して謝って欲しいんだろう 弁明でもいい でもあなたはたかだか私の言葉なんて響かないところで深く息をしているから、きっと今回も返事は無い 私の住所は書いているから返事は出そうと思えば出せる そうしないのは面倒臭いからだろう 構わない 私の言葉は威力を持たない そのように無意味だからこそ何万文字も紡ぐことが出来ていたのだ。終止符を打とう。この手紙に、生きてきたこの人生に、この物語に、そしてこの愛に。愛していました。大好きでした。今まで沢山迷惑かけてごめんなさい、黙って見守ってくれていてありがとうございました。それなのに私は黙って離れられなくてごめんなさい、最後までうるさくてごめんなさい。眠れない夜を数えて、この恋を忘れようと思います。さようなら、私の愛した人。どうかお元気で。
第一章、第二章とホラー過ぎて怖かった。韓国映画なら祈祷師が呼ばれて悪魔祓いすることになりそう。
予告の映像だとクラス全体、学校全体が何か秘密を隠してる!それは何なんだ!ってスケールが大きそうな話に思えるけど、そんなことなく隠し事してるのは少年2人でこじんまりした物語だった。
で、問題のラストシーン。親と教師が探しにきた時は大雨だったのに、2人が脱出して出てきた時はめちゃめちゃ快晴。これだけなら台風一過かなと思うが、2人が出てきた場所は秘密基地がすぐ見える場所なのに近くにいるはずの親や教師の気配はない。最後は妄想・霊体で駆け回るのかなとも考えられる。火垂るの墓で最後に兄弟が駅をうろつくシーンみたいなことをしているのかなと。
昨年亡くなった親類のマンションの部屋をわたしの父が受け継ぎ維持している
親類の部屋は8階にある
ときおり管理のためにわたしや父が交代で出かけて掃除や整理などする
昨日はわたしが赴いたが、体調が悪くなりそのままひとりで泊まることにした
突然のことで歯磨きをするすべがなかったので仕方なくそこに残してあった介護用の使い捨て口腔用スポンジで代用する ふにゃふにゃと柔らかく隙間が磨けない
歯磨き粉の味は1年ちかく経っても変質しないようだ
夜中悪夢を見て目が覚める その部屋で亡くなった親類の太い両腕がわたしの肩を枕の真上から押さえている 夢の中でこれは夢であると気づきそれで安堵する
自分のこれまでの身の上のふがいないことを親しかったその親類に叱咤されているような情けない気持ちでそのままうとうとと起きていた
朝になって鳥の声がよくきこえ、快晴、そのまま穏やかな午後になり、サンダルを玄関から持ち出して居間の窓を開けベランダに出る
そこからの景色をみればはるか遠くまで澄んで美しい 風のぬるい暑い日
隣の部屋のベランダには美しく手入れの行き届いた鉢植えがある ラベンダー、セダム、名前を知らない小さな白い花、黄色い花、白茶けた低木
明けきらない早朝恐怖心にまみれたまどろみの中で隣の柔和な笑顔の住人がそれらを静かに動かす音や水をやる音を聞いていた
ベランダから真下を見おろすと一階の庭もタイル張りに美しく整えられて美しく掃除されている ばらの木、ヤマボウシの木を真上から見る
規則正しい隣や真下の生活、それらはベランダから見渡す限りどこまでもどこまでも続いているが
しかしそのどれもがわたしの人生に明らかにひとつもかかわりがないのだと思うともうここで終わりにしてもいいのではという気持ちが突如として湧きあがる
だがこの部屋で短期間に人死にを出すわけにもいかず見つける人のことを考える
そのくらいの世間体を気にする感覚は残っており何よりその前にも準備がある 恥ずかしいものを隠したり消したり
その懸念があるうちはなにか衝動的な誘惑に負けたまま早まらずも鬼籍の親類をふたたびもみたびも落胆させずにも済むだろうと思うがそれは美しい午後にこそ口を開けているものなのだと今日わかった
なるべくならここには一人で来ない方がいいだろうと考えながらカーテンをしめ、電気、換気扇、ガスの元栓、すべてよし、最後に鍵もよし、と口に出しながら鍵をかけてその部屋を夕方に去った
2016年5月8日の昼ごろ、我が家の裏手にスズメのヒナが2羽落ちてきた。隣の家の軒下にでも営巣してたんだろう。
うち1羽は成熟しており「巣立ち」の最中なのか余裕があって、しばらくすると自力で飛び立っていったが、もう1羽はまだ羽も生えそろっておらず、飛行もジャンプもできない様子。ういのキッチン横の室外機の下に自主的に避難し、縮こまって親を呼んでいた。ネットで軽く調べてみると、スズメのヒナは巣から落ちるのが普通で、落ちたら落ちたで、その落ちた先で親は育児を続けるらしい。まわりを探してみると、両親と思われるスズメがとなりの家の屋根の上から見下ろしており、ヒナとさかんに鳴き交わしていたので、そこに退避したことには気づいているらしい。きっとその場で育児を続けるだろうと思い放置。ちなみに巣立ちヒナのほうは気づいたらいなくなっていた。飛べるので、もう親離れしたのか、あるいは両親が別の場所で世話し始めたのか。
夕方が過ぎ、そして夜になるが、両親はヒナから離れていってしまった。人間を警戒して、室外機の下に入り込めなかったのだろうか。小さな箱に布を詰めて、その中にヒナを移動させ、上から視える位置に移動させるが、結局ダメ。落下してから8時間くらいが経ち、エサも貰えず、気温の低下で体温も下がり、ヒナはどんどん弱っていった。
母は助けてやりたいと言うが、私はこれが野生の摂理だから仕方ないよ、と首を振った。夕食後、ひとりでヒナを見に行ったが、死んでたら埋めてやろうくらいにしか思っていなかった。
ヒナは箱のなかで横倒しになり、目を閉じ、脚をぴくぴくと痙攣させていた。もうだめだ、あと数分で死ぬな、と思ったそのとき、ヒナが私の気配を察して口を開けた。なにか食わせてくれ、という風だった。私はショックを受けた。「助けて」と懇願された気がした。
今考えたら「じゃあ気取ってないで最初から助けろ」と思うのだが、その瞬間、私の心に「守ってやらなきゃ」という炎が燃え上がった。ほぼ衝動的に、ヒナを抱えて家の中に入り、玄関に避難。まず40度ほどのぬるいお湯を注射器で与えてみた。誰かが自分を助けようとしていることに気づいたのか、声が出ないほど衰弱しきっているのに「ピイ」と鳴いてくちばしを開く姿に涙が出た。ぬるいお湯を与えたあと、足温器をタンスから引っ張り出してきて電源をつけ、その中にヒナを突っ込んだ。たまに水を舐めさせ、足温器で暖めながらじっと見守っていると、30分ほどして突然目を開き、大音量で鳴き始めた。体温が上がったこと、水を飲んだことで体力が戻ったらしい。その後、私は夜通しヒナに寄り添い、砂糖水を飲ませたり、きな粉を混ぜた卵の黄身(なんかググったら出てきた)などを与えて、なんとか夜を越させた。相手が人間だと分かっているようだが、平気でエサをねだってくるし、注射器相手にもくちばしを開いてくれた。
9日、日の出とともに親鳥と思われる2羽がウチのまわりを飛んでいた。目の細かい籠に足温器ごとヒナを入れ、昨日ヒナが落ちていたあたりに置いてみると、2羽はヒナの声を頼りに右往左往し始め、やがてヒナの位置を確認したのか、虫らしきものを咥えて飛んで来るようになった。給餌をしてくれているらしい。昼ごろ、何かあった時のために、スズメ用のエサの市販品と、鳥類に給餌するための道具を買ってきた。やっと一安心といったところだが、午後から雨が降り始めた。ヒナや足温器が濡れるといけないのでダンボールで覆う。ところが、雨のせいか、あるいはダンボールのせいか、親鳥は給餌をやめ、立ち去ってしまい、結局夕方以降、ヒナはエサを貰えなかったようだった。
足温器に入っているとはいえ、外は寒いので、中に入れてやることにした。結局この日の夜も、私は夜通しヒナを見守ることになった。ただ、ヒナは本能的に夜は眠るので、特に何もしないで寝かせてやればいいらしいのだが、ネットの情報に惑わされて、ヒナを叩き起こしてエサ(買ってきた擂餌)を無理やり食わせたりしていた。このとき、ヒナは既に人間への警戒心を思い出しており、私たちからエサを差し出されても、お腹は減っているだろうにあまり食べてくれなかった。差し出される注射器から後ずさって逃げて、イヤイヤと首をふるのがとてもカワイイ。
当時、私は就職活動中で、この日の夕方に今働いている会社から内定をもらったのだが、スズメのことで頭がいっぱいで全然喜ぶどころじゃなかった。
10日、天気はくもり。夜明け前にヒナが腹減ったと主張し始めたので、擂餌と砂糖水をちょっとだけやり、そのあと外に出した。日の出と同時に親鳥が飛んできたが、ヒナはさっきので腹が膨れたのか、あるいは寝ぼけてるのか、親の呼びかけに返事をしない。少し焦ったが、しばらくするとちゃんとエサをねだり始め、両親の給餌が始まった。片親が屋根の上で周囲を見張り、もう片方がエサを取ってきて与える、という役割分担が美しい。
朝10時頃にハプニングがあった。近所の野良ネコがヒナを見つけたのだ。母が気づいて、外に出て追い払った。その野良ネコはよく見かける子で、すごく人懐っこく、近所の夫婦に世話を焼かれているので野鳥なんぞ食わんだろうが、ちょっと怖い。ヒナに対して敵意はなく、単に箱を覗き込んでいただけだったようだが(追い払ってごめんね)、とにかく地上にヒナを置くのは、野良猫から守れず危ないという結論になった。
そして、ヒナの引っ越しを決行。親鳥が見守る中、箱ごと持ち上げて2階のベランダへ。ベランダの壁際の室外機の上に乗せた。ここならヒサシがあって雨も防げて、ネコも来れないし完璧じゃん!と思ったが、引っ越しが済んだ昼から夕方まで、親鳥は遠くからヒナを見つめるだけだった。さすがに窓際は人間が怖く、近寄れなかったようだ。日の入り前、片親がギーギーと大声で威嚇音を鳴らして人間を牽制し、もう片方の親がエサを持ってヒナに近寄ろうとにじりよっていたが、やっぱり無理、怖い!という感じで諦めてしまう。そういうわけで、室外機の上よりもっとベランダの外側にアウトドア用の机を置き、その上にヒナを移動させたが、両親はそれを見届けたかどうか分からないうちに姿を消してしまった。とても残念だった。暗くなったのでヒナを私の部屋の中へ移動させ、一晩静かに寝かせた。
置き場は本当にベランダでもいいのか?親鳥は明日ヒナを見つけてくれるか?明日の天気はけっこう酷いけど大丈夫だろうか……など色々と心配事が重なってとても辛かった。私と同じ部屋で眠るヒナは、不安になるほど静かに眠っていた。
11日、天気は一日中雨という予報だったが運良く外れ、朝のみの降雨となった。しかし低気圧のアレで風が強く、人間でも怯えるような突風が朝から晩まで吹き続けた。こんな天気だとヒナは外に出しづらいし、親鳥も来てくれないんじゃないかと心配したが、親鳥は変わらず日の出と共にやってきた。風に煽られ、雨に濡れてもお構いなし。
さてヒナだが、足温器ごと外に出すと突風で吹っ飛ばされそうで、傘とかダンボールとか、いろいろ策を考えたが、レインコートをキツめに足温器に巻いて、ガムテープを駆使して机に固定してみた。親鳥がレインコートに怯えて近寄ってこないのでは……と心配だったが、あっという間に親鳥は欄干まで近寄ってきた。しかし「ヒナの声は聞こえるが、ヒナがどこにいるか分からない」というふうに右往左往するので、少し場所をズラしてわかりやすい位置に。私の部屋の窓からよく見える位置だが………? 少し経つと、どちらかともなくヒナを見つけ、暴風雨の中の餌付けが始まった。一体どこにいるのか、虫をしっかり見つけてきて与えている。天気こそ酷いが、足温器の中は暖かく風もなく快適で、ヒナは健康そのもの、親鳥も献身的で、ネコの心配もない。この日、今までで初めて「誰も家にいない時間」が3時間ほど発生したが、なんのハプニングもなく、親子ともども普通そうだった。雨もやみ、あとは強めの風だけが難点だった。
帰宅後、ベッドで寝っ転がって、親鳥の給餌をぼんやりバードウォッチングしていると、ヒナと片親が、かなり大きな声で鳴き交わし始めた。それはまるで餅つきのように、ピイ、チュン、ピイ、チュンと交互にテンポが良い。ネットで調べると、互いの位置と安否を確認するためのコミュニケーションだと書いてあった。心配になった母が見に来るが、私はそのネットの情報を伝えて、会話してるだけだと思うよ、となだめる。
しかし、母が立ち去った十数分後、突然スズメたちが叫び声を上げ、私が見ている中、ベランダの床にカラスが1羽降り立った!いじっていたスマホを放り投げ、窓にとびつき、開いて、怒鳴り声を上げてカラスを追い払う。カラスはふわふわと飛んで、すぐ近くの電線の上にとまった。逃げたというより距離をとったという感じで、ベランダからは2メートルも離れていないが、人間では手出しできない位置だ。なんて狡猾な…!と、歯噛みした次の瞬間、親鳥2羽がファンネルのように屋根から飛んできてカラスに襲いかかった。カラスが飛び立つ。するとどこからともなく別のスズメやツバメ(近所で育児をしてる別の夫婦たちのようだ)も飛んできて、空中戦がはじまった。カラスは遠くへ逃げ、スズメたちはそれを執拗に追いかけて、追い払おうとしている。私はヒナの無事を確認したあと、ベランダで放心していた。あの鳴き交わしは、遠くにいたカラスを警戒するための点呼のようなものだったのだ。そして、私が見ていなかったら、カラスはヒナにどこまで近寄っていただろうかと考えると恐ろしかった。カラスもこの時期は子育て中で、スズメのヒナは「ごちそう」なんだそうだ。
母が駆けつけたので、事情を説明すると、カラス除けが必要ではないか、と言う。人間が見張っていれば追い払えるが、ずっと見ていられるわけじゃないし、なにより今週日曜日は家はずっと無人になる。賛成だった。母は手芸が得意なので、雨除けのために用意していたダンボールをひとつ持ってきて細工を施し、「巣箱」のようなデザインに仕上げた。中に足温器カゴを入れ、コンセントはそのために開けた穴から外へ通す。もう雨は降ってないのでレインコートはひっぺがした。そして出入り口は上側に。幅5センチくらいの細長い広さにとどめ、スズメは通れるがカラスは通れないようにした。かなりゴツい見た目になってしまったが、両親は受け入れてくれるだろうか、と心配で、2時間ほど窓辺に座って観察。カラス撃退戦から帰ってきた両親がダンボールを見てギョっとしたが、片親はすんなりと入り口の存在に気づき、中のヒナの安否を確認した。受け入れてくれたらしい。もう片方は入り口に気づかず、何度か箱のまわりをうろついていたが、しばらくすると気づいてくれた。本当に良かった。これで安心である。
日の入り前、それまで見張りと餌探しで手分けしていた両親が、両方とも餌探しを始めた。ヒナが寝る前の食いだめのためだろう。父が庭に撒いた米粒を拾い、ベランダといったりきたり上下運動しながら次々とヒナに与えていく。ヒナは生米は消化できないとネットに書いてあったが、そんなことないのか……? 日が沈むと両親は帰って行き、私はヒナを机ごと部屋の中へ。その晩はチョッカイを出さずに、ずっと眠らせていた。
12日、私が寝坊して夜明けに微妙に間に合わなかったが、慌てて机ごとヒナをベランダに出すと、早速両親が給餌を始めた。部屋から観察してみると、両親とも巣箱に慣れ、給餌以外の用事でも箱のなかに入り、ヒナの世話を焼くほどになっていた。何度かカラスが近所に現れたが、そういうときは両親とも餌探しをやめ、巣箱に背を向けて欄干に並んで立つのがかっこよかった。
この日は天気がとってもよく初夏並に暑かったので、日中は足温器をOFFにしていた。まったく問題が無さそうだったので、私は巣箱ガン無視で普通に勉強していたのだが、1時頃、突然様子がおかしくなり、窓の外を覗き込む。欄干に3羽のスズメが止まっていた。は?と呆然。しかも穏やかじゃない雰囲気。ベランダに飛び出すと、2羽は右隣の家の屋根に、1羽は電線に飛び退った。2羽のほうが両親だろうが、あの1羽はなんなの?
1雇われベビーシッター 2親戚 3両親が世話してる他の子供 4この界隈で子育てしてる友人 5赤の他人(縄張り争いに来た) とかそこらへん? 昼ごろからゲーゲー鳴いてたし、縄張り争いかもしれない、と思った。巣箱を覗き込むと、ヒナと目が合い、ヒナが怯えて後ずさったが、元気そうだ。とりあえず部屋の中へ戻り、心配で巣箱を眺めていると、両親が来なくなった。たまに飛来しても、穏やかじゃない雰囲気。道路に出てみて、家を遠巻きに眺めても誰もいない。育児放棄? 縄張り争いで追い出された? とか色々考えるが答えは出ない。それから2時間ほど窓辺で観察していたが、
・青虫を咥えた親鳥がやってきて、箱のなかのヒナが鳴くが、なぜか親鳥は餌付けせず、咥えたまま箱から出てきて困り顔で飛び立つ(2回)
・エサを咥えていないスズメがやってきて、欄干を歩きまわって立ち去る
・スズメが欄干にとまってカチカチと警戒音を鳴らし、アウトドアテーブルの中を歩きまわって隅々までチェック
・巣箱の上に立ってダンボールをつつき、ぐるぐると歩きまわる。そこにもう1羽のスズメがやってきて、威嚇音とともに飛び立つ
など、不可解な行動が続いてますます混乱。登場人物が親鳥だけなのか、それとも他のスズメが混じっているのか、さっぱり分からない(見分けがつかない)。
ヒナの安否を確認しに行くと、足温器の端っこの端っこで布にくるまって縮こまっていた。怖いらしい。心配だし謎だらけだったが、大学へ行く時間になってしまったので、今起こっている状況を母に説明して外出。そして授業中に、ハッと思い至った。もしかして、ヒナが足温器の隅っこから動かないから、親鳥が箱のなかに入ってもヒナが見つけられず、ヒナがどっか行ったと思って混乱していたのではないか? そう考えると、あの謎の3羽目以外のすべての現象に説明がつく。巣箱からヒナのおねだり声は聞こえるのに、中にはいっても、どこにも見当たらない。それで両親は巣立ったのか?とか食われた?とか考えてあちこち探しまわっていたのだろう。そのことを母にメールすると、大正解だった。母の実験と観察の結果、ヒナは給餌にきた親鳥のために姿を見せることをせず、いつまでも隅っこでヌクヌクしていたというのだ。母は足温器の隅っこを折りたたんでめりこめないようにし、両親に突き出した。やがて両親がヒナの存在に気づき、給餌を再開するが、もう夕方。2羽総動員でエサをかき集めて与えていたそう。その間にも、また布の隙間に隠れてしまったヒナを見失って両親が右往左往し、母がアシストするという出来事が繰り返されたとか。私が帰宅したときには日没後だったので、ヒナは家の中で寝ていた。まったく人騒がせな奴。
13日、快晴。足温器のはじを折りたたむことでヒナの隠れ場所を無くしたつもりだったが、もうありとあらゆるスキマにめりこんでしまい、何度も親から姿を消してしまう。しょうがないので巣箱を外し、足温器+カゴの状態で外に出すと、数時間見失いっぱなしだった親鳥がやっとヒナと再会し、今まで聞いたこともないくらい優しく「ピヨピヨ」と鳴いて、エサを取りに飛び立った。ヒナは足温器から出てきてカゴの端に止まり、親の帰りを文字通り首を長くして待っていた…が、次の瞬間バサバサと飛んで落ちた!上へ上昇する力は無いらしく、ベランダの隅に落下。ああ、こうやって巣から落ちるのか、と感心しつつ、私はバッタを捕まえるようにヒナを手で捕まえて、カゴに戻す。しばらくして両親が2羽でやってきてヒナの安否を確認し、飛び立つと、またヒナがカゴの端に立ってしまう。落っこちそうだ。そろそろ巣立ちかな、と思うが、朝からカラスがうちのヒナをずっと見ていることには気づいていた。親鳥が屋根から見守る中、戻って戻って、と叫びながらベランダでヒナににじり寄ると、ヒナは足温器の中に戻っていった。それと同時に、カラスがものすごい近くを飛行して通り過ぎていった。やっぱり狙っていたか。
こうなってしまうと、親鳥が餌付け&発見しやすいようにカゴを外に出すよりも、カラスから身を守らせたほうがいいな、と思ってまたダンボール巣箱の中に戻した。すると、驚くことに、箱のなかでヒナが羽をばたつかせ、自力でよじのぼって外に出てきた。もう彼の巣立ちを止めることは誰にもできないようだ、と静観を決めるが、またベランダの隅に落ちてピーピー文句を言うので、もう一度捕まえに行った。捕まえる時、母親が屋根の上からアブラゼミのようなすさまじい声で威嚇してきて殺されるかと思った。箱の上にヒナを戻して早々に立ち去る。その後、箱の上で「どうやったら飛べるの?」といった感じでモジモジするヒナの元へ両親がやってきて、となりに並んで早口でさえずり、まるで飛ぶコツを教えているような様子が見れた。ヒナが「ピ!」と元気よく返事をしているのも可愛くて、思わず録画した。しかしその後また飛ぼうとして落下。調べたところによると、スズメの巣立ちというのは他の鳥と違って、このように「飛ぶ力はないが羽ばたけるっちゃ羽ばたける」状態になった頃にするのが正しいのだとか。そうして巣から落ちて、地面で暮らし始めるらしい。というわけで、もう箱に戻すのはやめた。それから夜まで、ヒナはベランダの床で過ごすことになった。ピョンピョンと跳ねて歩くのは完璧にできるようになったが、飛ぶ力がなさすぎる。羽ばたいても10cmがせいぜい。親鳥の後を追って、ベランダの手すりに飛び乗ろうと試みるのだが、まったくできない。ただ、その壁を飛び越えるくらいのスキルがないと、カラスや野良猫や自動車の渦巻く外界では生きていけないわけでして。親鳥はヒナが四苦八苦しているのを上から眺めるだけ。やがてヒナは疲れ果て、尻もちをついて座り込んでしまった。脚を前に投げ出してショボンと肩を落とした姿が可愛すぎてまた写真を撮った。すると親鳥がエサを与えに来て、励まし、また飛び去っていく。少し元気が出たヒナが親鳥のあとを追おうとして失敗。こんな調子で夕方になってしまった。日が暮れるとヒナは室外機の下に引きこもり、親鳥が夕飯をたくさん与えて、この日は解散。野生の巣立ち雛は、ひとりで茂みなどに隠れてこうして夜を越すそうだが、さすがに寒いしかわいそうということで、室外機の下に腕を突っ込んでヒナをむんずと掴まえ、足温器の中に入れておいた。過保護過干渉かもしれないが、ここまでやったんだ、こんなところで凍死してほしくない。結局そのあと机ごと部屋の中にいれて夜を越させた。
14日、15日はヒナがダンボールの上やホットカーペットの箱の淵に立って風を浴び、たまに親からエサをもらう日々が続いた。天気はずっと良かった。ヒナがたまに飛ぼうとして落ちて、ダンボールのところまで戻れない~と悲しそうにしてるので、15日には机の上のダンボールまで自力で戻れるように、DIYで余った板や、プラスチックの箱を組み合わせて、スロープみたいなものを設けた。アスレチック場みたいになった。15日は家族全員が日中ずっとでかけてたので、そのスロープが役に立ったかは分からなかったが、帰ってきたらヒナは無事に足温器の箱にいたので良かった。夜は寒いので家の中へ入れてやる。
16日。風が強く、カラスもよく目立つ日だった。近くにカラスがいるとき、ヒナはダンボールと欄干のスキマに隠れ、親が並んで欄干に立ってヒナを背中に守ってたのがかっこよかった。
そして昼ごろ、親鳥1羽とヒナの2羽が段ボール箱の上にいて、私がそれをなんとなく横目に見た瞬間、目の前で2羽が飛び立った。えええ!飛んでった!と1階にいる母に向かって叫び、ベランダに出た。2羽は隣家の庭におちていた。直後、隣の家の奥さんが出てきて、どうするかなと思ったら、2羽ともちゃんと飛んで逃げた。しかもヒナは電線まで飛び上がっていた!地上から電線まで飛べる力をいつの間にかつけていたとは。その後、姿見えなくなったが、数分後うちの庭に家族3人できた。母親?のうしろをテコテコついていくヒナがかわいすぎる。
このあと、ヒナがうちに現れることは二度となかった。ネットの情報によると、飛べるようになったヒナは親のテリトリーから出て行き、同じような年齢の若いヒナとグループを組んで暮らすらしい。17日・18日あたりは、親鳥らしき2羽がウチにきてベランダを覗き込み、うちの子来てます?って感じにピヨピヨ鳴いていたが、また見失ったのだろうか。母によると、スズメに米粒をあげると、たまに飲み込まずに咥えて飛んで行くやつがいるから、もしかしたら餌付けしてるかもしれない、と言っていたがどうだろう。ヒナと親で飛んできて、親が米を拾ってヒナにあげるシーンが見たかったけど残念。
野鳥の保護って条例だかなんかで罰則の対象な気がしてて、ネット上で言いふらしていいことじゃないと思ってたから。今もそう思っているが、9年前だし時効だろ