はてなキーワード: さん付けとは
逮捕されずに書類送検されたがまだ起訴されていない状態は法令用語で被疑者、被疑者と被害者を間違えないように報道機関の考慮で被疑者を容疑者と呼んでるだけ。
だから宙ぶらりんでも何でもないんだよな。決してジャニーズ事務所への忖度ではありませんよみたいな言い訳じみた記事を見た気がするが、書類送検の段階で容疑者呼ばわりしてるニュース探せばあると思う。
容疑者呼ばわりだとイメージ悪くなるから容疑者を使うなって圧かけられて、容疑者って言葉自体は厳密な定義があるわけじゃないから使わなかったんだろうけど、報道機関の矜持としてさん付けは避けたんだろうな。
その結果生まれたメンバーというあの珍妙な敬称は苦肉の策なのかささやかな抵抗なのかはよく分からん。でも芸能事務所とメディアの悪辣な絆のシンボルみたいになって結果オーライだよね。
昨日の朝、推しがX上で私をブロックしていることに気がついた。
推しの周囲にいるスタッフさんが引用リポストした引用元が見えなくて、推しのアカウントに飛んだところ
「〇〇(推しの名前)はあなたをブロックしています。」と表示され、目玉が飛び出るかと思った。
このエントリはその人たちが「推し ブロックされた」で検索した時、その心に寄り添いたくて書く。長くなります。
ブロックに気づいたあと、私はすぐに
②自分のどのポストがブロックの原因になったのか を確認した。
まず、サブ垢からは推しのポストを見ることができた。最新のポストのいくつかに見覚えがない。10日ほど前のポストをタイムライン上で見た覚えがあった。
推しが私をブロックしたのはここ10日間ほどの間に起こった出来事らしい。
誤操作?とも思いたかったが、誤フォローと違って誤ブロックでは手順が多すぎる。推しが意図的に私をブロックしたのはほぼ間違いない。
次に私は直近の自分のポストを見直した。その時はまだ信じられないと思っていた。
というのも、ポスト内容には注意を払っている方だと自分では思っていたからだ。
ブロックされた推し活用に使っていた。100人を少し超えるFFがいて、日々推しが出ているコンテンツの感想を書いたり、FFと交流したりしていた。
感想ポストをする時はハッシュタグをつけていたし、推しがエゴサやパブサをしていることは知っていたので、以下のようなことに気をつけていた。
(必ず「今日の動画の〇〇さん、最高だった」というようにさん付けで書いていた)
・極端な愛情表現を含むポストをしない(ガチ恋を思わせるようなものなど)
※箱推しで、〇〇が推しメンというわけでもなく、リアコとかでもなかった。
なぜ自分はブロックされたのだろうか?その思いで自分のポストを振り返るが、どれが推しの地雷を踏んでしまったのかわからない。
というかこうなると逆に、全部が可能性があるように思える。
メンバーのうち1人だけ(〇〇ではない)最近仕事が忙しそうだと書いたことか?
タイムライン上でバズった話題について「この件について〇〇はどう思うかな?」と書いたことか?
〇〇が童謡を歌っていたのに対し、「幼少期〇〇がこれ歌ってたのかと思うと愛おしいな」と書いたことか?
〇〇が自分のラジオ番組で大暴れしているのに対して、「あいかわらず情緒安定してないw」と書いたことだろうか?
わからない。。。
正直「ブロックされるほどの内容か…?」と思っている自分がいて、ハッとする。
どのサイトでも「ブロックされるようなことはしていないと思っていても、大抵の場合あなたが何かしてしまっているのです。」と書かれていた。
今回はこっちが先に推しの気分を害しているのだ。推しは自分自身のタイムラインを清浄に保っただけ。
自分はむしろ加害者であり、その上自分のなにが推しを不快にしたのかもわかっていない。最悪だ。
このアカウントでは推し界隈で繋がったFFさんたちと楽しく交流してきた。
でも今は、私だけが、推しから「お前はいらない」と拒絶を突き付けられている。
いや、「お前はいらない」は言い過ぎなのかもしれない。
以前から〇〇は自分のタイムラインを清浄に保つためにわりと気軽にブロックをしていることを話していた。
その時はまさか自分に関係する話だとは思っていなかったのだけど。
今でも他のメンバーはフォローできているし、番組の公式Xなどもフォローできている。
スタッフさんたちが私の感想ポストにいいねをくれることもある。
コンテンツは今まで同様に楽しむことができるし、FFたちとの交流もできる。
できなくなったのは「〇〇のポストを見ること」と「〇〇が私のポストを見ること」の2つだけだ。
前者は、別アカウントで〇〇をフォローして、通知を入れておけばいい。
後者は、別に元々見てほしいと思っていたわけではない。ハッシュタグをつけている時は「もしかしたら本人に届くかな」くらいの気持ちはあったが、
メンションしたりリプを送ったり、DMを送ったりしたことはなかった。
つまり、失ったものは極めて小さく、ほとんど今までと変わらないのだ。
でも。と、どうしても思ってしまう。
私は推しとの間にある境界線を踏み越えたことはないと思っていた。
「番組の感想はハッシュタグをつけてどんどん呟いてください」のアナウンス通りに応援の気持ちをこめたポストを書いて、イベントに参加したりしていた。
でもそれだけだ。
DMで凸ったこともリプライで凸ったこともなければ、動画のスクショを載せるなどのグレーとされることもしていない。
彼が「ここからここまでが公の自分。これ以上は踏み込まないで」と、線を引いているのを想像し、その線を越えようとしたことはなかった。
でも、私は他のファンと違って彼の「タレントとして公にしている」Xのポストをもう見ることができない。
なぜだ。不当では?
私のポストの内容の何が彼を不快にさせたかわからないが、むしろ彼の方が境界線を踏み越えてブロックという手段に出ているのでは?
「悲しみ」が「怒り」に近い感情に徐々に移るのを自覚して、またハッとする。
また被害者ヅラしているな、私は。私は被害者じゃない。加害者のはずなのだ。
ブロックされたことで推しとの距離が急に遠くなったかのように感じたが、実際は違う。
元々この距離だったのだ。元々私が推しのことを見ていただけで、推しは私のことなど何も知らない。
〇〇の視界に私が入り、〇〇が不快に感じたら、私が覗き込んでくる窓を閉じることが彼にはできる。彼は自分のためにそうしただけだ。
もしかしたら同じ状況になった人がいるかもしれないので言っておくが、以下の行動は悪手すぎるのでやめた方がいい。
①サブ垢などを使い、本人に対して
〇〇からブロックされた件について、代わりに話をしてほしいと頼む。
③現場などで直接会えた時に、ブロック解除してもらうよう頼む。
私はこれらの行動を実際に起こさない程度には冷静だが、理性を脱ぎ去った本心ではこれらの行動を取りたがっている。
だから今そうしたいと思っているあなたの気持ちが私はわかると思う。でもその上で、やめた方がいいと言える。
まず、ブロックした本人は「もうあなたの存在を視界に入れたくない」と思っている。
私たちにとっては一大事である。毎日当たり前にあった大好きな存在から、突然理由もわからず完全無視宣言をされてしまった。嫌われてしまったのだ。
でも、インターネットを利用する以上、入ってくる情報を健全で清浄に保つ責任を人はそれぞれ自分で負わねばいけないのだ。
なぜブロックされたのか、理由がわからなくて困惑しているだろう。私もそうだ。
「こういうことする人はブロックします」とあらかじめ明示しているタレントさんもいるだろう。誠実なことだ。
でも、本来ブロックなんて、本人が嫌だと思ったり不都合だと思ったら好きにしていいのだ。
つまり、〇〇は何ひとつ悪いことをしていない、と私は思う。これは本当にそう思う。
何ひとつ悪いことはしていないが、その結果ただ私が傷ついただけだ。
彼にとっては何十万人もいるフォロワーの中の1人が、ただ理由も理解せずに悲しんでいるだけだ。
サブ垢で凸るのは、変装した上で待ち伏せして突撃するのと同じだ。
そんなことされたら警察を呼ぶしかないのと同じで、ただ静かに距離を置かれている今の状態より関係が悪化するのは明らかだ。
推しの周りの人にDMで相談するのもなんの意味もない。そもそも〇〇の周りの人は友人や仕事仲間であって、親でも保育士でもないのだ。
周囲の人が〇〇とそのフォロワーの人間関係の面倒を見てあげる義理などない。
「この子が〇〇にブロックされたって言ってるんだけど、なんでブロックしたの?ブロック解除してあげたら?」なんて
わざわざ世話を焼きにくるようなやつは「お節介」以外の何者でもないし、そんな助言でブロック解除するような人なら、最初からあなたをブロックなんてしない。
この行動によってブロックが解除されることはないし、なんなら相談した周囲の人からも「この子は変な子だな」と思われてブロックされる可能性すらある。
直接会えた時にブロック解除をお願いするのも良い結果になるわけがない。ライブやイベントは楽しむために行くところだ。
そこでもし、推し本人と話す時間を得られるとしよう。その限られた時間に「ブロック解除してください」と言ってみていい空気に転じるわけがない。
「解除するね」となるわけがないだろう。楽しい空気が台無しになるだけだ。
結論、〇〇からブロックされたことに関して私にできることは何もないのだ。
私が今できること、それは一つしかないし、頭ではちゃんとわかっている。
彼らのことをこれまで通り応援することだ。Xアカウントが見えなくなったからといって、それは彼らの活動のほんの一部にすぎない。
今まで通り公開されるコンテンツを楽しめばいいし、なんならポストはサブ垢で追えばいいし、ほとんど全部今まで通りだ。
これまで以上に発言に気をつけて、これまで通り応援のポストを書き込む。
もしかしたら〇〇には届かなくても、〇〇の周囲の人が私のポストを目にしてくれることがあるかもしれない。
〇〇と話すときに「Xでこんなこと言ってくれる人いたよ」と話題になることがあるかもしれない。
その時に〇〇が「なんで俺にはそのポストが見えてないんだろう?」と思って私のアカウントを探して、
「あ、俺この人ブロックしてたんだ。なんでだっけ」と、軽い気持ちでブロック解除してくれることがあるかもしれない。
薄い薄い限りなくゼロに近い望みだが、将来的にブロック解除される可能性があるとしたら、そんなことしか思いつかない。
というか、そんな夢想をすることにしか、気持ちの置き所がない。
だけど。
ブロックされる前と今とでは全くちがう。私の心が。
いつもはただ楽しみにしていた動画も、〇〇が映ると心がチクリと痛む。
この人は私には自分を見てほしくないと思っている人なのだ。なのに私は彼を見ている。
見るなと言われていながらチラチラ覗いているような、居心地の悪さが襲う。
〇〇のポストについてFFさんたちがキャッキャと沸いているのを見て、今まで自分もその輪に加わっていただろうけど、今は違う。
私1人だけ、サブ垢に切り替えてこそこそポストを見に行かなければいけないし、リアクションなんてとてもできない。
〇〇の周囲の人が引用リポストをしている。そこに現れる「このポストは表示できません」の文字。〇〇が私をブロックしているという事実がまた突きつけられる。
同じ界隈の仲のいい人たちは、これがどんなに辛いことで、私が悲しんでいるか理解してくれるだろうが、彼らの中には今でも「大好きな〇〇」がいるのだ。
彼らの中にある〇〇像を不用意に壊したくはない。だって私も〇〇が好きだから。
FFさんから「現地でお会いしましょう」と優しい言葉が送られてくる。
私は〇〇からブロックされている。そのことを忘れて、悲しみを混ぜずに楽しみたい。
でもどうしても悲しい。
最後に、〇〇本人や、タレント活動をしてファンをブロックしたことのある人がこの文章を読んでくれているとしたら、その人に向けて。
これまで楽しませてくれてありがとう。これからもあなたたちの見せてくれるコンテンツを楽しんでいいのだと思ってた。応援していていいんだと思ってた。
あなたたちが見せてくれるコンテンツが好きなのは本当だから、これからもファンでいさせてほしい。
イベントのチケットを買ってしまっているし、イベントにも行きたい。
Xでの発言は怖いから、今までのようにはしないかもしれないけど、せっかく繋がったFFさんたちもいるし、続けたいと思っている。
でも、これから先、あなたたちを見ている時、私が悲しいと感じるのが変わらなかったら、
その時はもうあなたたちを見ないようにする。
私がファンを離れるのは、私があなたを嫌いになったからじゃない。
あなたは私のことなんて知らないし、たぶん本当は好きでも嫌いでもない。
でも、「あなたは俺の視界に入らないで。俺のこともこれ以上見ないで」ってやっておいて「好きでも嫌いでもない」わけないよね。
私は直接お話したこともないあなたに突きつけられたよ、「お前は嫌い」って。
「お前は嫌い」って言われたら「それでも好き」って言い続けるより、
「そっか、ごめんなさい。」って立ち去る方がよっぽど健全だよね。 あなたも本当はそうしてほしいと思ってるよね。
女子アナの炎上発言が話題になったころから、夫が病的なまでに体臭を気にするようになった。
・一日3回シャワーを浴びるようになった。毎朝シャワーを浴び、帰宅後もシャワー、寝る直前にもシャワー
・仕事の日は朝出社して肌気を着替え、昼休みと帰宅後にも着替えている。おかげで1日で3日分の洗濯物が出る。
・肉や魚を食べなくなった。私に同じ食生活を強要するわけではないので問題はないが、外食でもサラダしか食べない。主食は豆腐になった。
・一緒にいるとき数十分おきに「俺って臭くない?大丈夫?」と執拗に聞いてくる。体臭はないが香水をたくさん付けたり匂いのきつい柔軟剤を(自分だけ)使うようになってその匂いがキツい。
これは自己臭症というメンタルの病気なのでは?と思い、メンタルクリニックの受診を勧めたが「臭いのケアはやって当たり前!世の中の中年はみんなこれぐらいやってるよ」と取り合ってくれない。
婚活女「いい人だけどなんかちょっと…」の内訳(anond:20240611133540)の追記です。
自分自身について、理想の相手について、自覚している課題・私自身の「なんかちょっと…」ポイントについて。
アプリのプロフィールは「ささやかな幸せを共有できるパートナーがほしい」というメッセージが伝わるように、という意図で書いた。
現実的なメリットとしては仕事もしているし家事も一通りできるし、在宅勤務で残業がないのでなにかと融通がきく。晴れたら洗濯機を回して雨が降ったら取り込んで、料理をつくってパートナーの帰りを待つ、みたいなことに幸せを感じる。梅の季節だから漬け込んでシロップ作ろう、とか、スーパーの帰り道に猫がいて前を歩いてる人がめっちゃ嬉しそうにしてたよ、とか、そういうことを共有したい。
ささやかな幸せを共有したい、という方向性に共感してくれて、上に書いた洗濯とか料理とかをメリットだと感じてくれる人(じゃなくてもいいけど、日常的に他になにを提供できるかわからない。苦じゃなく対応できる範囲で幸せでいてくれる人がいい)。私も彼を喜ばせたい・幸せにしたいと思うし、相手にも同じように思ってほしい。知的な人(言語化能力が高い、教養がある、オタクっぽい、論理的、いろんな観点で)、自分の考えがある人に惹かれる傾向にある。心身ともに健康で、長期的なお付き合いを前提に考えてくれる人がいい。
自分と同じくらいの年収・学歴を求めると男性の高年収・高学歴(というほどでもないが)の方が需要が高いので高望みになり、その好条件にも関わらず私の相手をしてくれる=なにかしらの難がある、という傾向にある?
→同じくらいの方がなにかと価値観が合いやすいというだけで必須条件ではないので、と思って範囲を広げてみた結果が元記事の2人目。
特にアプリだとテンプレなプロフィールを書いている男性が多くて、なにかしら個性のある人、と思ってマッチングする=悪い意味でも癖のある人を選んでいる?
→気になるところのない人、という観点でマッチングしてみた結果が元記事の4人目。
送りたい相手がほぼいない(本当にテンプレなプロフィールの人が多い)のと、「いいねしてくれたから」という理由で相手をしてもらえるリスク(?)が怖い。マッチングしたら話題を振ったりお店探したりお金出したりと自分なりに努力するつもりでいるので、最初のアプローチまでこちらからだと都合がいいから・楽だから相手してくれてるのかな…?と不安になってしまう。その不安を打ち消すくらいの積極性を相手に期待するとハードルが上がりすぎてしまってうまくいくものもいかなくなりそう、と思っているけれどどうなんだろう。
やり取りできる人数には限界があるのでもらったいいねから相手を選ぶ(偉そうな表現…)ことになり、個性があって刺さるプロフィールは滅多にないので、それほど個性のないプロフィールからも選ぶ。そうするとスペックや顔などが判断に影響してきて、その好条件にも関わらず私の相手をしてくれる=なにかしらの難がある傾向?
とはいえ年収や学歴が高い人ほど話していておもしろい割合が高いのも事実で(逆にすごく変わった人も多いけれどそれはすぐにわかることなので別にいい)、他にどういう基準で選べばいいのかわからない。(めちゃくちゃキラキラした人は「ささやかな日常の共有」の軸から外れることが多くて今もマッチングしていない。)
自分がお酒飲めない・スポーツに興味がない・ベーシックな格好が好き・インドア派なので、一緒にお酒を飲みたい・一緒にスポーツがしたい・おしゃれな人が好き・ものすごくアクティブ、という人を避けているのだけど(彼ら自身の趣味としてそれらが好きなのは気にしない)、社会性がある?明るい?バランスが取れた?人たちはそういうのが好き?で、結果的にいい人を避けてしまっている?
平均的なユーザーより努力していると思う。プロフィール文や写真について一般的に気を付けるべきとされていることはほぼカバーした上で複数の異性にアドバイスを求めたし、自分から足跡をたくさん付けて、そこから私のプロフィールを見にきていいねしてくれる、というパターンが多い。
アクティブなユーザーとしてアプリに認識される→アルゴリズムが優遇してくれる→画面に表示されたから・無料でいいねを送れる相手だったから、というような理由でいいねしてくれる異性が増える、気がする。マッチングしてもメッセージのやり取りに発展しないケースも結構あって、いいね数が増えるほどいいなと思う相手の数も増えはするけど、体感としては500いいねもらえたからといって100いいねのときの5倍には全然ならないし、男性の10いいねの50倍では全くないと思う。