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はてなキーワード: 酷薄とは

2021-08-30

幼少期のメンタリストDaiGoを虐めた奴等が許せない

WikipediaによるとDaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。

彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存倫理観に対してかなり挑戦的だ。

彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。

幼少期、彼は不幸にもいじめの標的になってしまったという。

いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。

道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手人格問題があったとしても、暴言暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。

しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。

理不尽に晒されると、人間は歪む。

社会適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会和解すればいいだけのことかもしれない。

しかいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?

ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応不正義への降伏に過ぎない。

彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である

周りの大人先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。

無条件の承認社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。

これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間自分非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。

私は、彼の信じられないほど酷薄発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。

納税者蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。

別に私はDaiGo被害者から哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言したこと批判されてしかるべきである

しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤燃えている人は、自身正義などではなく、気に入らない人間積極的排除しようとする側、いじめっ子気質人間であることを認識した方がいい。

自分の非を認めていない人間に数の暴力サンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。

DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitter支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラス空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。

DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。

逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件犯人のように社会の敵になる。

これらは元いじめられっ子の中でも極端な例であるしかし私には、帰属意識喪失社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。

いじめの無い社会の到来を切に願う。

暴力によらない意思表示の訓練を普及させる。

学校内であっても犯罪に対しては警察を介入させる。

いじめから逃げられない構造是正する。

いじめて/いじめられてしまう子をケア対象とする。

手立ては色々ある筈だ。

これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。

しかDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済いじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。

DaiGoいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。

お前らが歪めたんだ。

2021-07-01

うら若き女性が、一部の異常者のために仕事を諦めざるを得なくなる

そんな状況であっても、その女性に対して酷薄コメントがいくつも飛び交う

まったく、この国は女性が生きにくい国になってしまったものである

https://anond.hatelabo.jp/20210701020356

2021-06-29

雑誌映画秘宝』の記憶臨時復活

 高齢男性コンビニで148円相当のお菓子を盗んで逮捕されたという、佐賀県で起きた窃盗事件報道に対して、町山智浩が「コンビニ店員自分ポケットマネーで代金を立て替えて、犯人逮捕されないようにするべきだった」と店員批判して、物議を醸していることをご存知の方も多いと思います

 事件のものに関する意見として傾聴に値するようなものは、他の方々によって既に概ね出尽くしていると思いますので、それについて浅学非才の私が今さら付け加えることは、特に有りません。

 ここで私が一時的に復活したのは、勿論、町山智浩について書くためです。

 かつて、某有名国際映画祭取材した町山智浩は、その様子を『映画秘宝』に記事として書きました。スピーチをするために招かれて登壇した某有名女優が、彼女自身の出演作品とは丸っきり無関係なことを喋り出して、挙句の果てに「世界平和を!」等のアジテーションを繰り広げた有り様について、面白おかしく書いた記事でした。その場に居合わせ海外メディア関係者町山智浩が「アレは●●をやってハイになってるねw」「●●をやってる奴って、何故か突然『世界平和』とか上から目線説教したがるよねw」と笑い合って、話が盛り上がったというようなことも書いていたと記憶しています

 ここで私が言いたいのは、今の町山智浩自身が、件の『映画秘宝記事の中で揶揄していた「御高説を垂れていた某女優」と五十歩百歩の状態に在るのではないか?ということです。町山智浩が●●をやっていると言いたいのではなく、現在の町山は他人から嗤われているということです。

 地方在住者の方には実感してもらえると思うのですが、佐賀県という土地を考えると、当該のコンビニで働く店員の時給は高々数百円と思料されます。そのような待遇で働くコンビニ店員にとって、自腹で148円を立て替えて払うということは、並大抵のことではなく、相当な痛みを伴う行為と言っても過言ではありません。コンビニで働く店員仕事が、如何に(時給に見合わないほど!)大変なものかを、町山智浩理解していないのでしょう。低賃金労働者の苦境には思いを巡らせず「ポケットマネーによる自己犠牲を払え」と彼らに説く、町山智浩の高邁な精神は甚だ見上げたものです。見上げたもんだよ屋根のフンドシ、見下げたもんだよ蛙のションベン(※ここは『寅さん』の渥美清の口調でお願いします)。

 そんなに自己犠牲精神を説くのが好きならば、高橋ヨシキから「町山さんのこと大好きだから、俺の妻の胸を揉んでも良いですよ」と言われた時、なぜ町山智浩は、高橋に対して「奥さん負担押し付けるな!俺の機嫌を取りたいなら、お前が身体を張れ!お前の身体を俺に差し出せ!」と説教しなかったのでしょうか?そうすれば少なくとも、高橋の元・妻の女性だけは被害を免れることができたでしょう。ホモソーシャル大好き男たちの自己満足のために、女性一方的犠牲を払わねばならない道理が有るでしょうか?

 現在町山智浩が、アメリカ西海岸の、それなりに治安環境が良い地域や家で生活していることは、皆様もご存知のとおりです。しかし、その町山のアメリカ生活可能なのはアメリカ企業バリバリ働いている町山智浩奥さんの稼ぎに依るところが大きいのです。これは、町山智浩自身公言している、周知の事実です。そうです。ここでも、犠牲になっているのは女性なのです。

 そのような、女性(この場合町山智浩奥さん)の犠牲の下に成り立つ、恵まれ環境生活している町山智浩が、低賃金労働者に対して「自己犠牲を払え」と偉そうに説教するとは、一体何の冗談でしょうか?自己犠牲を払って弱者を救済する人は、確かに称賛と尊敬に値すると私も思いますしかし、そのような尊い行為は、自分が率先して行うならまだしも、他人に対して行えと強制することではありません。ましてや、それが出来ない他人非難することもできません。そんなことも考えず、自己を省みず偉そうな御高説を垂れていれば、某女優と同じく他人から嗤われても仕方が無いでしょう。町山智浩奥さんからすれば「アンタこそ私達(妻子)に苦労ばっかり掛けずに、私達の為に自己犠牲精神を発揮したら?」と、嫌味の一つや二つを町山に言っても許されるのではないかと私は思います

 ギンティ小林パトリック・マシアス等に対して行ったパワハラ高橋ヨシキの元・妻である女性に対して行った性的搾取、長年に渡って繰り返し同性愛者に対して行ってきた差別発言他者尊厳を露ほども顧みない町山智浩所業については、これまで何度も書きました。そんな町山が高邁な自己犠牲論を説く姿は、はっきり言えば「醜悪」の一語に尽きます。例えば、心にも無い愛国心を唱えながら、庶民に対しては酷薄政策を執る、自称保守政治家のように。例えば、自分自身が陰では黄色人種差別発言をしていたにも関わらず、訳知り顔でドナルド・トランプ非難していた、ビリーアイリッシュのように。私が挙げた以外にも、これを読んでいる人たち各自が思い浮かべることの出来る「偽善者」がいることと思います。耳に心地良く響く、良い言葉を唱えることで、己を実際の己よりも大きく高く他人に見せようとする偽善者が。そういう偽善者たちと同じく、町山智浩は「醜悪」です。

 最近は、一部の町山ウォッチャーたちが「近頃、言うことがオカシイぞ。町山は●●でもやってるのか?」と揶揄するという場面をネットでは見かけます。某女優揶揄した因果が巡り巡ってという感じですが、しかし、現在町山智浩が高説を垂れるのを説明するのに「●●をやってるから」と●●原因説を立てる必要は有りません。

 近頃になってから急にオカシクなったのではなく、ずっと昔から町山智浩の言う事やる事はオカシカッタのです。ただ昔とは異なり、オカシイことはオカシイ気づき忖度せずにそれを指摘するように、町山智浩の周囲が変化しただけのことなのです。その変化の一つは、町山が脚本担当した実写版進撃の巨人』が駄作に終わったこと、映画に関する町山の過去著作発言が掘り起こされて複数のガセ情報的外れ批評が含まれると指摘されたことなどにより、一般人町山智浩能力に対して疑問符を付けるようになったことです。別の変化としては、恫喝DM事件対応失敗で『映画秘宝』を追われたこから、町山に忖度してくれる子分たちが存在するような、町山智浩にとって居心地の良い聖域が失われたことです。

 こうして町山智浩に向けられる第三者から評価は、以前よりも低く、厳しくなりました。しかし、町山智浩自己評価どうでしょうか?

 『映画秘宝』読者ならば知ってのとおり、町山智浩は、自身ダメさ加減を自嘲的なポーズと共に語るという手法を取り続けてきました。しかし、そういう語り口とは裏腹に、実際の町山智浩には「あくまでもポーズだよ、ポーズ!本当の俺はダメじゃないよ!」という自意識自己評価が有るであろうことは、誰の目にも明らかでした。それを如実に示すのが「若い女は物を知らないから、大人の男であるオレが教えてやるよ」という、町山智浩マンスプレイニング体質でした。要するに、町山智浩自己評価は「本当のオレは凄い」というものでした。

 しかし、このように町山智浩自身は高い自己評価を持つにも関わらず、現在の町山に対して現実一般人から寄せられる評価は大方「映画脚本ダメ映画について語ること書くこともダメ町山智浩の言うことは信頼性の無い眉唾で、マジメに聞くに値しない」といった低いものです。とすれば、町山智浩の内部で「高い自己評価」と「第三者による辛い評価」が齟齬を来し始めているのは想像に難くありません。そのような齟齬を埋め合わせる為に、今からでも堅実に努力を始めれば良いのですが、実際に町山がしていることといえば、Twitterを通じて何かしら社会派ぶった発言を繰り返すことです。それによって、手っ取り早く世間の注目を集めたいのでしょう。それと共に「さすが町山さん!」と言われて高い評価を得て、有識者的な何かにポジションチェンジする一発逆転を狙っているのでしょう。とはいえ本業映画関連の仕事でさえも「いい加減で信用ならない」と思われている人間が、幾ら社会派ぶった発言をしたところで、如何ほどの価値が有るものでしょうか。

 社会派発言に何らかの説得力を持たせることが出来る人がいるとすれば、それなりに時間と手間を掛けて学びを重ねて、知性を真摯に地道に積み上げてきた人でしょう。町山智浩がそんな真摯人間だと思いますか?知性に限らず、人間が何かを地道に積み上げようとするならば、己自身ダメさと真剣に向き合う必要があります。けれども、何かあれば「オイラボンクラからさあ」を言い訳女性立場が弱い人間に甘えて、負担他者押し付け続けて生きてきた町山智浩が、己のダメさと真剣に向き合ってきたとはお世辞にも言えません。つまり町山智浩社会派ぶったつもりの発言が頓珍漢なものになってしまうのも、これまでの町山が他人に甘えて己自身ダメさと真剣に向き合ってこなかったこと、何も積み上げてこなかったこと、それなのに付け焼き刃で何とかしようと手抜きをしていることの帰結に過ぎません。分かり易く言えば、かつての唐沢俊一と同じく、町山智浩も中身はカラッポだったということです。

 現在の御高説を垂れるTwitter芸人町山智浩説明するために「●●の影響でハイになっているから」と考える必要は有りません。高邁な御高説を垂れる町山智浩は「ハイになっている」と言うよりも、むしろ「甘えが通じなくなって追い詰められて、切羽詰まっている」という状態なのです。

 町山智浩は、ツケを払う時が来ました。

 とりあえず今回は以上です。ヘイル・サタン

2021-06-10

古典教育否定論を見て思ったこ

もしも「シェークスピアバイロンシェリーブレイクコールリッジ、ワーズワーステニスンの詩なんか学校教育で教えるのは無意味」とか言う英国人がいたとして、それを見たら、英国人じゃない自分でも「うわ……」と感じるだろう。上の例でピンとこない人は、ホメロスなり、ダンテなり、ゲーテなり何なり、適当人名に入れ替えて下さい。

実際は、欧米政府首脳や政治家は、演説聖書の一節、ギリシャ/ローマ古典、有名な詩人の詩から引用することが珍しく無い。そういう場面を見ていると「風雪に耐えて残った古典」の価値を見抜ける/理解できるような頭の持ち主でなければ、国家百年の計と云う長期的なプランを建てる重職を任せられないと云うコンセンサスが、政治家有権者の間に有るように見える。

また、古典宗教その他の思想バックボーンを反映しているものなので、良かれ悪しかれ国民性を反映している。政(まつりごと)をするには民の心を理解して掴まねばならない。したがって、為政者は和漢の古典を読み、よく人の心を学ぶべしと云う旨を、江戸学者は説いていた。昔の中国でも、知識人は同じ旨を説いていたと思う。それらは理想論に過ぎなかったのかもしれないけれど、理想を失くしたら人間は御仕舞だと私は思う。

自民党政治家もそうだし野党政治家もそうだけど、日本の政治家は古典引用した演説をしない(できない)。それを見ると、この人たちは、行き当たりばったりで長期的に物事を見る能力に欠けている、その場凌ぎ思考人間ばかりなんだなと私は思う。五十年〜百年経ったら、後は野となれ山となれと云う考え方の持ち主なのだろう。

虚偽答弁をする政治家に対して、対立政治家が「いつはりの無き世なりせば如何ばかり人の言の葉しからまし」とか知的洒落皮肉を言えたら、グッとくると思う。しかし、現実日本の政治家は、バラエティ番組的な物言いをする人間ばかりである

古典に関する教養は、即物的意味で役立つ訳ではないのは確かである。けれども、頭の中身や心が貧しい人間か否かを見抜くためのバロメーターにはなり得ると思う。心が貧しい人間政治家をすると、人間に対して酷薄政治をすると思う。例えば、麻生太郎言動を見ると、そう思わないだろうか?まあ、野党政治家も五十歩百歩なのだけれども。

少なくとも、口先だけは愛国心を説くくせに日本古典に対する教養を持たないような政治家を、私は信用できない。そして、それを国民が見抜ける状態でいるためには、やはり古典に対する教育必要なのだと私は思う。

2020-12-07

中国コロナ賠償金を支払わせろと強硬なことを主張する一部右翼がいるが、

今の日本の政治家、官僚国民への酷薄さをみると、

仮に中国と揉めて戦争になった場合予算がないからとか言い訳して兵站を削減、

マスク手洗いの徹底のような金のかからない精神論マナー一辺倒で戦争を乗り切ろうとするのが目に見えているので、

絶対戦争になるような、中国を脅すようなマネを行ってはならない

2020-11-16

イズムとつく服を着て

 〇〇イズムとかismとかそういう服を着るとちょっと強くなったような気がする。でもそれは服である時点でどこかしら過去性を帯びていて、つまり現在進行系で変化していく思考の変遷から零れ落ちているということでもあるのです。

 それは服なんだけど、着たら最後過去なっちゃうのだ。

 なので、僕から勧めたいことは基本的に、思想の上では服に頼ることを最低限に抑えることです。思想の上では裸でいること。これもまた一つの思想であるかと言えばそうではなく、柔軟に反省し柔軟に理解し、理解できていないことを認めること、それらの行為バランスよく行うことで、人間は違った風景を見ることができるようになります。同じ服を着たままなら、あるいは少しでも服に頼る姿勢に甘えているのであれば、その風景は固定されたままなので、少しでいいので、服を脱いで裸でいるという気持ちを味わうべきだと思います

 そして、基本的に服とかイズムというもの自分経験から編み出されるものです。「こういう経験をしたんだけれど、上手く整理できない」「こういう体験の中から、何か新しい発想を生み出せそうなのだけれど、自分には少し力不足だ」そういう時に服を着ることは間違ったことではありません。あくまで、その服は貴方が温かさを求めている時に、あるいは現状を凌ぐべき時に必要なのです。時には、却ってその服が重荷となることも、知っておくべきでしょう。


 主義とか思想とかismというもの基本的に人にとって、なければそれで良いものです。勿論、初めて袖を通したその心地よさをずっと味わっていたい気持ちは分かるのですけれど、基本的には人は思想に頼らなくても生きていけます。例えば、本当に自分にとって大事記憶とか想い出とか、そういうものがあれば、人は思想がなくても生きていけるのです。会話し、美しいものに触れ、そしてその記憶を誰かと共有することさえできれば、我々が思想必要とすることは本来ありません。

 とは言え、我々は常に美しい体験をのみ選び取ることはできません。時に、体験酷薄であり、それは冷たく薄い刃のように心の襞を裂きます。我々は、時にその刃によって自己を断ち切られさえします。切り裂かれ、本来状態に保っておくことのできない時だってあります

 そんな時、貴方は何かの服を着るべきなのかもしれません。ただ、貴方にとって何か美しい記憶とか、あるいは思い出すことで落ち着くことのできる体験とか、そういうものがあるならば、それは服に増して大切なものです。まずは、そういったものを取り戻しましょう。

 その上で肌寒さを感じられるのであれば、その時は服を着て下さい。でも、その服はずっと着ていると恐らく貴方背中を痒くしたり、あるいは初めて袖を通した時とは違った、苛々した気分にさせるかもしれません。そういう時は服を脱いで、何か想い出に触れて下さい。あるいは、美しいものに触れて下さい。そういう時には、服を脱いで身軽な心地でだらりとするのが一番なのです。

2020-08-03

なんで愛情って有限なんだろうな?

俺とか自分でも少し引くぐらいめっちゃ酷薄で、家族とか友達とか恋人とか全然大事にしない。優しくしないし、優しくされてもなんかいまいち芯食ってないっていうか、まあありがたいんだけど、「うん、まあ、ありがとう」みたいな感じで、でも本当はもっと全霊で感謝するべきだし、もらってる分の10倍くらいは相手に返してもいい気がするんだよな。感覚的に。

別に、周りに優しくしないことで特にしたことがあったわけじゃないし、なんなんだろうな。

他の人の優しさの分量がバケツ一杯分だとしたら俺だけ雨粒一滴分っていうか、そんなんだからもっと愛情を示せって言われても「いや、俺なりにこれが限界で…」って感じで、罪悪感とかはないんだけど、別にもっと無尽蔵に愛情があったっていいし、みんなだって俺よりははるかに多いけどやっぱり限界はあって、もっと意味わかんないぐらいお互いに優しくたっていいのにな。そうしたら死なないで済んだ人、もっと幸せ人生をたためた人も大勢たかもしれないよな。

もちろん愛情限界があるのは生物的にも社会的にも当然のことで、生命は基本が独善的設計されているものだし、世の中を生きてわたっていくだけで体も心もすり減っていく。なんなら宗教的にも愛情MAXちゃん認識されていて、キリスト教原罪もそうだし、仏教だってたぶんそういう概念があるはずだ。

から愛情が有限であることには合理的に考えるとどこにもおかしいところはなくて、「なんで有限なんだろう」って考えが出てくること自体とんちんかんなんだけど、それでも不思議なんだよな。

なんなんだろうな。なんなんだろうな、って感覚が、愛情限界があることにかかってるのか、そんなことを不思議がる自分にかかってるのか俺にもわかんないけど、なんなんだろう、ってすごい思うわ。

2020-07-19

インターステラーラスト脱力した

インターステラークライマックスラストに全く共感できなかった

序盤の無人探索機を追いかけるシーン、先細りしていく荒廃した世界。そして中盤の時間空間想像を絶するほどに隔絶した別の惑星、そんな極限状況で人類の命運を託されてさえエゴ支配される人間のちっぽけさ… そこまでの積み重ねがあまりにも圧倒的だからこそ… 最後が… あまりにも

宇宙の果のワームホールから重力を介して過去の娘と交信…?

愛の力で数万光年だか分からないけど離れた時空とつながる…?

人間意思心理論…?

それまで嫌というほどに残酷酷薄宇宙の途方もなさをぶつけておきながら

最後最後人間の愛で全てが解決されるの…?

それとも見落としてただけで、実は神様的な超越銀河文明があって

その人たちが思いを汲んで助けてくれたんだろうか…?

こんな遠くまでよく来た頑張った!ご褒美!みたいな

愛がなければ全て無意味だとは思う

でも、愛は現実世界には何も影響を及ぼさないからこそ、

人の心において、存在しえない存在理由を生み出す

親子の愛は素晴らしいものだと思うが

それで現実の難問が解決!というのは

しろ愛のあり方を貶めていると思う


追記

そういえば銀河文明的なの出てたね、そういえば

とするとむしろ愛が全て、ではなくて

超越銀河文明科学力すごい!なのか

初めて接触した生命体の心理を的確に読み取って

ワームホールをその生命体に操作させる…

追記2】

コメントありがとう

ラストも含めて好きな人もいれば、途中までは…という自分みたいな人もいるんだな

ラスト好きな人意見も知れて良かった

あと銀河文明は完全に自分勘違いで、未来人類だね

正直すまんかった

2020-05-17

anond:20200515175802

マルクス史観の影響だな

レーニンたちにさんざん苦汁を嘗めさせたロシア帝国ドイツ帝国が最も酷薄支配体制とされ、これらを悪者とする見方が広まった。

また、日本事情として戦前日本が建前だけでもアジア民族自立を謳う上で目の敵にされたのが大英帝国(とフランス

さらには大日本帝国敗戦擁護すら許されない絶対悪となった

これらの事情から昭和後期~平成初期の創作物では「帝国」は悪の象徴とされたんだよ

当時は共産圏無茶苦茶さもまだバレてなかったしな

2020-04-03

ふだん酷薄ジャップ大企業ですらコロナ対策で激甘になってるというのに

田舎中小企業平常運転

本当に救いようがない

2020-03-02

正義」はバカの決まり文句

普通の日本人」はとにかく正義が嫌いらしい

https://vergil.hateblo.jp/entry/2020/03/02/082415

これが酷い。

酷さを丁寧めに解説する。



1.まず例えが色々おかし

「イートイン脱税」の例が示しているように、本来意味での「正義マン」とは、もともと理不尽な「村の掟」レベルルールや、独りよがりな「俺様ルール」を強引に押し付け人間のことだ。彼らが無理強いするものが実際には正義などではないかこそ、「正義マン」と揶揄されているのだ。

まずなんかおかしいのが、この人の「イートイン脱税」に対する認識である

村の掟?俺様ルール

いやいや、「イートイン脱税」は文字通りのど真ん中の脱税行為であるから、許されるものではない。

そしてそれをする客以上にそれを黙認する店側が許されない。

税務署にこの件で脱税を指摘されるのも間違いなく店側だ)


店に対してそれを指摘するのは客についてのチクリと言うよりも

「店内で脱税行為が横行しているが店側はどういうつもりなのだ

確認する意義がある。

…とまあ要するにこのブログ主は話の例えに持ち出して得々と語るほど当該税制理解してはいない。

見下しているらしい世間一般有象無象以下のもの知らずである


また上記のことを理解すれば、

イートイン脱税を指摘することが断じて

理不尽な「村の掟」レベルルールや、独りよがりな「俺様ルール」を強引に押し付け

などではないこともわかるだろう。

法律違反だっつうの。

免税で買った食べ物国内で貪り食うようなものだ。

(勿論それは出来ないように免税品は専用の袋に入れて空港開封されてないかチェックされる。)




2.論理展開もがガバガバ

おわかりだろうか。

イートイン脱税の指摘は法令に忠実なものであり、

「イートイン脱税を指摘する人間」(のイメージ)が広く嫌悪される理由があるとすれば

その理由は彼等が振りかざすルールが「村の掟」や「俺様ルール」だから、ではないわけだ。

ブログ主考察は前提から成り立たない。


そんなはた迷惑な人たちと、危機的な状況の中、危険を省みず正しいと信じる行動をとった勇気ある人々を同一視してしまうのはなぜなのか。

彼らには、「村の掟」レベル理不尽ルール普遍的正義区別がついていないのではないか

さらに続くブログ主論理展開は、

・イートイン脱税指摘は「迷惑俺様ルールを掲げる人」(上記の通り無残なまでの事実誤認だ)であるからこれは嫌われても仕方ない。

・だがそれと同じ感じに「普遍的正義を掲げる人」が嫌われており、これは不当である

・この不当さと混乱の原因は、日本人に「理不尽ルール」と「普遍的正義」の区別がつけられないかである

となっていく。


脳の健常な人にはこの論理展開の怪しさがすぐピンとくるだろう。

というよりこのガバガバした文章にまさに「正義マン」が嫌われがちな理由が余すことなく現れている。


そう、ブログ主は、

どのルールが不当でどのルールが正当かという肝心な所の基準が極めて曖昧で、

明白な法律違反すら「村の掟」呼ばわりする一方、自分気持ち普遍的正義と呼んでいるのである


土台がこれではどのような論理的思考不可能だし他者との疎通も無理である

同じレベルに脳がぼんやりしつつたまたま似たような気分を持っている者と声を合わせて鳴くのが精一杯だろう。

こういうレベル現実認識思考をする人間俗語ではバカと呼ぶ。


3.正義マンが嫌われている本当の理由

イートイン脱税を注意するような人間が嫌われる理由が「俺様ルールから」は成り立たないことはすでに述べた。

法令という相当に客観的社会的コンセンサスの高い掟に基づいて注意しても嫌われることがあるのだ。


では逆恨みケース以外のどういう理由で嫌われるのか。

自分が正しさに立ったと感じたとたん興奮しだす人間

自分の方が立場がいいと感じたとたん攻撃的・侮辱的になるような下品人間

そういう連中が嫌われるのではないだろうか。

その種の人間はどこにでもいるし必ず見覚えがある筈だ。


実際にイートイン脱税の注意でトラブルが続出したと言うよりは

「そういうことで嵩にかかって張り切って攻撃する人間」のイメージが既に世間では共有されており、

イートインをきっかけに「正義マン」という名がついた、というのが実際のところではないのか。


ネット炎上だってそうだし、はてなブックマークなどはサービス自体がそれだ。

正義立場に立ったつもりの人間攻撃性の醜悪さは毎日のように見ることが出来るために

それに参加経験のある人間ですらもはや辟易としてきていると言うのが現代社会ではないのか。




4.正義のろくでもなさ

正義とは何かというと、


戦時中なら隣人のちょっとした敗北主義者性や非国民性を嬉々としてあげつらっていたようなあの性格である

己の下品さやせせこましさを正当化する理路はもちろんお国の為という絶対の「正義」なのである

戦後山小屋で仲間のちょっとした反革命性をあげつらってはいじめ殺していったようなあの性格である

己の行動の馬鹿らしさや残忍さを糊塗する理屈ももちろん世界革命という絶対の「正義」なのである


自分道徳側だとか正義の側だとか感じた時に興奮して攻撃的になる下品さは、別に特殊な異常者のものではない。

しろ人間基本的仕様であるから意識して克服の努力を重ねなければ死ぬまで下品なままなのである


自覚する、意識する、ということが重要だ。

自分思考や行動を努力して客観的検討し続けなければならない。

であるから普遍的正義などという怪しさ満点の言葉ジョーク以外で使える人間というのは

客観性論理性が極度に欠損している。


普遍的正義だの明白な使命だのいう仰々しくも内容空疎有害寝言

本来は脳の麻痺しきった宗教右翼あたりが好む語彙だったもの

現代では知能の退行しきったリベラルが喜んで使うのである


彼等はもはや宗教右翼並に頭が悪い知的底辺でありながら、自分では一般より頭が良いと思っているのだ。


5.正義の魅力は問答無用絶対

この例で言えば、そもそもコンビニのように購入した食品を持ち帰ることも店内で食べることもできる業態の店が街にあふれている中で、持ち帰るか食べるかでいちいち税率を変えるなどという馬鹿げたルールが混乱を招いているのであって、頼まれてもいないのにそんな謎ルールへの「違反」を監視して「摘発」する、独りよがりな「正義」の押し付けが笑われていたのだ。

法律であろうと自分が不合理であると思えば破ってよい、

けれども自分の独特で論理すら検討していない気持ち価値観は「普遍的正義であるから誰も破ることはまかりならん、

これはワイズガイとかマフィオーゾとか呼ばれる人種の考え方である


とはいえもちろんブログ主はそのような酷薄アウトロー覚悟人生観を持っていってるわけではない。

ひたすらぼや~~~っとした意識レベル思考何となく自分気持ちだけは正しい、他のルールは軽視してよい、

という感情があるだけなのだ


お前の言ってることこそまさに「俺ルール押し付け」に他ならない。

でも自覚はないのだ。

バカからね。


こんな奴のいう「普遍的正義」なんて怖くて仕方ないだろ。

そもそも当人の中でもぼんやりしていて「普遍的正義」のコンテンツをきちんと説明することなどできないだろうが。

まり頭が悪いのだ。


この思考力の絶望的な鈍さ、

頭の悪い人間特有自己肯定力の高さ、

これこそが「正義マン」が嫌われる理由のものである

正義とは頭の悪い人間安易自己肯定しつつ誰かを殴るためのおもちゃなのだ



6.余談

そもそも

正義」という言葉を好む人間は必ず頭が悪い

個別にきちんきちんと論理的に検討するということについて強いストレスを持っているからこそ

正義」のような問答無用の御威光に引かれていく。

心底自分の頭に自信がある人間は「正義」のような意味不明な言葉ディベートが決着することを嫌悪する。


野球星野君の件にしても、バカ好みの単純明快な答えがスパッと出る話ではない。

指示に逆らってバット振って結果的に勝てた件のデメリットなどいくらでも挙げられる。


・失敗していたらその責めが監督作戦ではなく星野くんの独断に帰してしまう。

・チーム内トラブルいじめの原因にもなりうる。

・不規則に動かれてしまえばその試合全体の作戦の出来不出来もわからなくなる。

・周りも星野君の真似をしだせばチームの統率が崩壊する。


運動部指導者の間でも「自分考える力」の養成が叫ばれるようになって数十年、しかしそれは練習生活への取り組み方の話だ。

打席星野君が「打てそうな気がしたから振りました」というのは局所直感丁半博打の話である

正義だとか自分が正しいと思える行動を貫くだとかの話ではない。

これを

星野君の二塁打」のように、自ら考えて正しいと思える行動を取るのでなく、上位者の言うことに黙って従え、という奴隷思想が「道徳教育」と称して注入されている。

とまとめてしまうやつの知能は完全にアレなのである


頭が悪い奴等は保守右翼宗教信者をやっていればよいのである

お前らは正義原理正義根本法則普遍正義に従って大勝利しながら生きていけばよろしい。


一方、リベラルだの進歩派だのを志向する人間正義伝統に頼れない。

どこまでの己の思考力頼みのウルトラマッチョ空中戦世界なのだ

お前らのように脳のスペックが足りない連中が挑むべき競技ではない。

お前らはバカなんだから右翼宗教をやっておけ。

2019-12-20

JKが考える

私はどこにでもいるJKなのだが、最近マックで級友から興味深い話を聞いた。現代日本には「キモくて金の無いオッサン」という一群が棲息しているらしいのである

キモくて金の無いオッサン。なんという悲しい呼称であろうか。属性がそのまま呼び名になっている。いくらなんでも投げやり過ぎやしまいか。我々がJKと呼ばれるように、頭文字を取ってKKNOと呼んであげることは出来ないものか。それだけでずいぶんポップになるではないか。PPAPのように。

そんなことはともかく、私はキモくて金の無いオッサンという生物に興味を持ち、色々と調べてみたのだが、どうやら彼らは概ね37才以上で、家賃六万円以下のアパートに独りで暮らしていることが多いようだ。特段、人生に不真面目であるわけではなく、むしろ性格は小心で、毎日、与えられた仕事粛々となすものが多い印象である。ただ、様々な能力が平均より少しずつ劣っていたり、運が悪かったりすることで、劣悪な労働環境適応せざるをえず、そういった暮らしの果てに「キモくて金の無いオッサン」に成ってしまったと言えそうなのである。私はJKなので詳しいことはわからないのだが、これはなかなか厳しい人生と言えそうである

キモくて金の無いオッサンは、現代労働市場において、最も弱い存在と言って良いだろう。知識経験を蓄える機会を持たないまま生きてきたので、自然最低賃金での単純労働従事せざるを得ない。また、体力や脳の働きなど、個体としての衰弱も進行している為、集団内部でも下位に位置付けられてしまう。自分の息子であってもおかしくないような、髪を金色に染めた暴走族上がりの青年に、顎で使われたり、脇腹を蹴られたりすることもあるようなのだ

キモくて金の無いオッサンは、労働後の歓楽に興じる機会も奪われている。周囲の年若い集団から基本的に疎まれている為、酒席に誘われるようなことはまず無いのである。結果、発泡酒と値引きの惣菜を買い込み、帰宅してインターネット動画を漁りながら、明日労働に備えることになる。 JKの私には信じがたいライフスタイルである

キモくて金の無いオッサンは、人生の全てがバカらしくなり、大暴れして周囲に迷惑をかけるようなことはない。夜中にいそいそと自慰を行い、翌朝にはまた働きに出るのである。私はJKなので、これらはすべて想像に過ぎないのだが、なんだか泣きそうになってきた次第である

キモくて金の無いオッサンは、時に恋に落ちたりもする。職場で一回り以上年下の女性に気安く話しかけられたり、笑顔を向けられたりすると、てきめんに恋をしてしまう。そして、これらの恋が成就した例は、有史以来、ただのひとつもない。それどころか、大抵は、悲劇に発展する。キモくて金の無いオッサンは、恋をすると、とんでもない間違いを繰り返し、キモさが数倍、時には数百倍にまで膨れ上がり、全身がヌメヌメと湿り気を帯び、激しい異臭を放ち始める。そうすると、いよいよ駆除対象とされてしまうのである

恋に落ちたキモくて金の無いオッサンは、職場を追われ、アパート家賃も払えなくなり、親の年金寄生するしかなくなる。一度寄生してしまったら、もう自立することは出来ない。社会酷薄さを知ってしまたかである。それでどうするかというと、一日中オンライン将棋に没頭するか、近所の図書館ソファー瞑想に耽るか、いずれかである

では、寄生先を持たないものはどうなるのだろうか。それはJKである私の口からは何とも言えない。いずれにしても、チョベリバである

こんな想像をしてみる。ある朝、気がかりな夢から目ざめると、ベッドの上でキモくて金の無いオッサンに変ってしまっていることに気づくのである。私は昆虫のように固い背中を下にして、寝そべっている。ほんの少し首を上げると、無数の弓形の筋が刻まれ茶色の腹が見える。私の腹である。たくさんの細い足が生えている。私の足であるしかし、それらの足はあまりにか細く、力が弱いため、どうしても立ち上がることができないのである

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-07-12

走れタヌキックマスター

タヌキチは激怒した。

必ず、かの邪智暴虐の王、カポエイライオンオーを除かなければならぬと決意した。

タヌキチには政治がわからぬ。

けれども、邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。


タヌキチは駆け出した。

必ず、かの酒池肉林王宮ピィアールへと向かわねばならぬと決心した。

タヌキチには道順がわからぬ。

けれども、タヌキチが道を尋ねた人々は、人一倍に親切であった。


タヌキチは苦悩した。

必ず、かの悪逆無道の王を倒すと決意したのに。

タヌキチは、門番カタハライタチノスケにすらかなわぬ。

けれども、タヌキチは、強くなることには、人一倍貪欲であった。


タヌキチは奔走した。

必ず、かの深山幽谷に住む伝説武術家に教えを請わねばならぬと思案した。

タヌキチは、その武術家サイキックマスターの居場所もわからぬ。

けれども、王を倒すためには、人一倍修行必要だった。


タヌキチは修行した。

必ず、艱難辛苦を耐えて強くならねばならぬと我慢した。

タヌキチの全身は、タヌキ血に塗れ、もはや時間感覚もわからぬ。

けれども、師匠指導に対しては、人一倍努力したのであった。


タヌキチは疾走した。

まずは残忍酷薄の部下を倒さねばならぬと疾駆した。

強くなったタヌキチには、メスイタチ門番をはじめ、部下は誰もかなわぬ。

けれども、王は、人一倍に強いと言われていた。


タヌキチは対峙した。

必ずや、この剛力無双の王を倒さねばならぬと改めて決意した。

タヌキチは、修行の際、何度サイキックマスターに蹴られたかからぬ。

王が蹴れども蹴れども、その攻撃は、人一倍に敏捷なタヌキチには当たらなかった。


タヌキチは退治した。

乾坤一擲の蹴りが当たり、もはや王は立ち上がらぬと確信した。

王は二度と民衆を虐げられぬ。

けれども、人一倍に繊細なタヌキチの心中には、一抹の不安が残った。


タヌキチは失踪した。

以暴易暴のタヌキチが、過度に賞賛されてはならぬと熟慮したのだ。

人々は、タヌキチの名前も居場所もわからぬ。

けれども、その姿と蹴りの力強さ、美しさは、人一倍記憶に残った。


人々は、名も知らぬ英雄をこう呼んだ。

「タヌキックマスター」と。

2018-05-03

第一回 ゴールデンカムイ

ゴールデンカムイ」見てますか? 面白いですよね! 原作全部読んじゃって「もっと・・・状態

そんなあなた明治維新前後(18世紀20世紀前半)の北海道舞台にした伝奇/アクション作品を紹介してみようと思います

1)

「地の果ての獄」

 言わずと知れた山田風太郎大先生明治もの

 ”北海道一般の人にとって地の果ての島だった明治19年。薩摩出身青年有馬四郎助は月形の樺戸集治監の看守に着任した。そこは刑期12年以上の凶徒を集めた人間運命の吹きだまりであった。正義感あふれる四郎助は、個性的囚人たちが起こす奇怪な事件に厳しく対しようとする。だが、元与力キリスト教教誨師・原胤昭との出会いがその運命を変え始め...。明治に生きる人々の姿をつぶさに拾い上げた圧巻の人間ドラマ。”

 原さんは『明治十手架』にも出てきます

2)

「旋風(レラ=シウ)伝」

 北海道出身朝松健先生作品。本作はクトゥルーネタあんまりない。

 ”明治二年、箱館五稜郭は陥落し、戊辰戦争最後の戦いは終わった。南部藩出身の若き遊撃隊士・志波新之介は、古参兵士たちのはからいで死をまぬかれ、榎本武揚から手渡されたスペンサー・カービン銃を手に北へ向かう。前途に広がるのは、コロポックル邪悪な罠を仕掛け、犬神が姿をあらわし、淫魔が歌声を響かせる、いまなお伝説が息づく蝦夷の大地。残虐きわまりない北海道開拓使・仙頭左馬之介が率いる討伐隊と死闘を繰り広げながら、新之介は自由の地を目指して歩を進める。” 

 現代北海道ものでは「魔犬召喚」「凶獣幻野」がお勧めです。北海道こわい!

3)

五稜郭残党伝 」「婢伝五稜郭

 こちらも北海道出身佐々木譲氏の作品

 ”戊辰戦争もあと二日を残し、五稜郭で幕を閉じようとしていた。「降伏はせぬ。」と、陥落前夜、自由を求めて脱出した旧幕府軍の凄腕狙撃兵、蘇武と名木野。逃げのびる二人は、アイヌ土地を蹂躪する新政府の画策を知り義憤燃えた。だがその背後に迫る、新政府軍残党狩り部隊足音酷薄執拗な追撃戦が開始された…。広大な北海道を血にそめて追われる者と追う者が、男の誇りを賭けて戦う冒険小説。”

 佐々木氏北海道舞台キング風の現代ホラー「白い殺戮者」で「アイヌ・ライケ・ウパシ」=「人を殺す雪」というアイヌ民話について登場人物に語らせていたりします。

4)

蝦夷地別件」

 船戸与一氏の作品

 ”十八世紀末蝦夷と呼ばれるアイヌ民族は和人の横暴に喘いでいた。商人による苛烈搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人との戦いを決意した国後の脇長人ツキノエは、ロシア人船長に密かに鉄砲三〇〇挺を依頼する。しかし、そこにはポーランド貴族マホウスキの策略があった。祖国を狙うロシア南下政策を阻止するべく、極東に関心を向けさせるための紛争の創出。一方で、蝦夷地を直轄地にしようと目論む幕府と、権益を死守しようとする松前藩の思惑も入り乱れていた。アイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描きだす超大作。”

  脇長人て何?って思って検索したら 夷酋列像 が はてなキーワード登録されていました。

5)

天動説

 山田正紀作品山田氏の北海道舞台作品というと「謀略のチェスゲーム」「人喰いの時代」なんかがすぐ思い浮かぶけど、昭和なんですよ。時代を合わせると「ツングース特命隊」「崑崙遊撃隊」あたりになるんですが…

 本作は第一部が江戸編(ザ・”江戸時代”)、第二部が蝦夷編の伝奇小説ラストはむりくり明治維新期まで到達。あんまりアイヌは出てきません。

6)

カムイの剣

 矢野徹作品アニメもある。

7)

王道の狗」

 安彦良和のまんが 全編北海道ってわけではない。

 ”明治時代中期、北海道開拓使役させられていた若い囚人二人は脱獄し、それぞれの道を歩み始めた……。壮大なスケールで描く歴史長篇漫画

どうでしたか? アフィサイト並みに読んでない作品も挙げてみました。

ちなみに「ゴールデンカムイ」読んでません! ごめんなさい!!

2018-04-29

女性セクハラ問題、「コミュ力」か「気にしない」かのどちらかで頑

ニュースではなく、私の姉の話をしてみたい。

姉は勤め人で、私や実家とは離れて暮らしている。

姉の上司(既婚者の男性らしい)に当たる方から、ある腐女子需要があるアニメに「興味がある」と話を振られたそう。

それからというもの、二人きりでそのアニメ関係している場所に二人きりで旅行していたらしい。

姉は土壇場で勘のいい方で、宿泊先で同じ部屋で、という話になった時に「さすがにちょっと」と断り、事なきを得たらしい。

上司としてはその日に関係を持ちたかったらしく、姉にとっては致命的な過ちを犯さずに済んだようだ。(まあ、その上司ストーカーまがいになって転勤する羽目になったようだが)


私としては、そもそも異性が都合よく自分好きな物を好きになる可能性あるか?とかまず疑問に出てきた。そこから色恋沙汰には疎いとみて、こういう時の男の心理を教え、厄介事がまた降り積もらなくする程度の協力はした。

我が姉は悲しいことに、乙女ゲーム自然気持ちでやると、なぜか誰からも振り向かれない系のバッドエンドに行き着いてしまうらしい。(筆者でも好感度調整という発想ぐらいは出てくるぞ…)

思ったこととして、世の女性は、父、他の家族、あるいは元カレなどから、どういう男がマズいか、男がいかケダモノか、正しい知識を身に着けているのか?

わかりやすく極端な例を挙げてみよう。

不動産投資営業に対するあなたイメージはどうだ?銀行の窓口で勧められる定期や投資信託あなたの為を思っての銀行の厚意か?

あなたの僅かな銭を増やす為に、なぜ彼らはあなたに大真面目に勧めるのか?

あえて答えは挙げない。

もし男性からのそういった行為に拒絶するなら、ラグビー部テニス部主催する飲み会に参加するべきでもないし、二人きりになりたがる男と一緒になってはならない。

なんか危なそうな空気になったら、なりそうなら逃げ道を確保しておくのも重要だ。

万が一そんな男の絶滅を望むのであれば、それはオタクの5000兆円欲しい!ぐらいの態度で日々に臨んでいた方があなたのためだ。

必然的に、社会とはラグビー部相撲協会のようなメンタリティーの男性を望むので、彼らの絶滅ゴキブリ絶滅並みに絶望的だ。)



レイプとかではなく、より身近な、結婚しろとかケツ触られるとか、こういうのが嫌な場合もあるだろうが、これは気にしない方がいい。

しろなぜいちいち腹を立ててしまうのか、私には理解しがたい。

私も歳が歳なのもあって、しょっちゅう結婚彼女について聞かれるようになった。

そういう時には、私は決まって「なかなかいい人がいないんですよー。誰か紹介してくれませんかー?」と答えることにしている。

大抵はそこまで深くは突っ込まれないし、もしお見合いにでもなれば儲けものだ。

(お前を見る限り、今結婚できなきゃ一生結婚できないぞ、と暗に注意されていることには申し訳ない気持ちでいっぱいになる。)

ケツを触られることについては、男である私が語るのは僭越なのだが、会社内ではワンタッチ100円、みたいな割り切りで済ました方がいいのでは?と思ってしまう。

耐え難いなら、私の家系プロテスタントでうんたらかんたら、みたいなめんどくさいこと言っとけばいい。

いちいちお冠にならず、相手は天気を聞くつもりでやってる、程度の認識でいい。


総括すると、まずはコミュ力を身に着けた方がいい。

危なそうな空気、とか、情報共有とかを含めてのコミュ力だ。

後は、もっと人の悪性を学んだ方がいい。

あなただってDQN一般ヤンキー)やキモオタマナーのなっていない老人やリア充など、あなたにとって腹立たしい存在に向ける眼は、きっとあなたの悪を象徴しうるほど酷薄ものだ。

その悪性をどうして時と場合に応じて活かせないのか、内省すべきだ。

2018-02-05

お金こそがコンテンツ創作者を支援する方法って話だけど

岡崎体育とかソシャゲとか漫画家小説家とかで「結局お金支援になるんだし、支援した人がメリットを受けられるのは当たり前。がんばって稼いだお金を、がんばって注いだ人が報われるのは道理」みたいな話を最近よく見る。

理屈としてはそうだけどなんか頷けねーなあと考えてた。

私としては、金を稼げてる稼げてない、生活に余裕があるないっていうのは運だと思うんだよね。

たまたまラッキーで、稼げる職、頑張れる環境、十分な能力健康な心身などなどが揃った結果として稼げてるだけ。

お金ある人もない人もそれぞれ頑張ってて、ただその頑張りがお金に結びつく幸運がどれだけ味方してくれたかが稼ぎの差になってる。

裕福さなんてそんな運で決まってる序列しかないのに、「金を払える奴、稼げてる奴が善。金が払えないのはそいつ無能さが悪い」っていう意見が主流っぽいことに納得できない。

せめてビジネス提供者側としてはその理屈で動くのが妥当だとしても、ネット大勢の人たちの意見までが、お金のない層は冷遇する・切り捨てることが当然ってなってんのは、酷薄すぎるんじゃないの。

2018-01-25

彼氏の顔がとにかく好み

世界で一番好きな顔。もちろん、中身や雰囲気などからにじみ出るかっこよさから来る好きもあるけど、単純に顔の造形が好み。切れ長な目、冷たそうな(言いすぎると酷薄そうな)顔つき、顎のライン、色白な所など…。顔が好みな人とするセックスもたまらない。

2017-11-11

anond:20171111201902

女はお気に入り以外の格下には酷薄から

おう、男はそうじゃないとでもおっしゃるおつもりか

anond:20171111201156

上で書いたけど、女はお気に入り以外の格下には酷薄からネオリベには親和的だと思うよ

おっさん既得権益を貪っている」というのもまさにポピュリズムの発想だし

もちろん個々の女性に対して決めつけてはいけないけど、そういう傾向はあると思っている

anond:20171111194511

政策解決する気もないんじゃないか? というのを警戒してるんだよ

お気に入り以外の格下の存在に対する女性酷薄さというのを見聞きしていると、

女性権力を握った時こそ社会ネオリベ化すると割と本気で考えている

2017-06-19

JKが考える

私はどこにでもいるJKなのだが、最近マックで級友から興味深い話を聞いた。現代日本には「キモくて金の無いオッサン」という一群が棲息しているらしいのである

キモくて金の無いオッサン。なんという悲しい呼称であろうか。属性がそのまま呼び名になっている。いくらなんでも投げやり過ぎやしまいか。我々がJKと呼ばれるように、頭文字を取ってKKOと呼んであげることは出来ないものか。それだけでずいぶんポップになるではないか。PPAPのように。

そんなことはともかく、私はキモくて金の無いオッサンという生物に興味を持ち、色々と調べてみたのだが、どうやら彼らは概ね37才以上で、家賃六万円以下のアパートに独りで暮らしていることが多いようだ。特段、人生に不真面目であるわけではなく、むしろ性格は小心で、毎日、与えられた仕事粛々となすものが多い印象である。ただ、様々な能力が平均より少しずつ劣っていたり、運が悪かったりすることで、劣悪な労働環境適応せざるをえず、そういった暮らしの果てに「キモくて金の無いオッサン」に成ってしまったと言えそうなのである。私はJKなので詳しいことはわからないのだが、これはなかなか厳しい人生と言えそうである

キモくて金の無いオッサンは、現代労働市場において、最も弱い存在と言って良いだろう。知識経験を蓄える機会を持たないまま生きてきたので、自然最低賃金での単純労働従事せざるを得ない。また、体力や脳の働きなど、個体としての衰弱も進行している為、集団内部でも下位に位置付けられてしまう。自分の息子であってもおかしくないような、髪を金色に染めた暴走族上がりの青年に、顎で使われたり、脇腹を蹴られたりすることもあるようなのだ

キモくて金の無いオッサンは、労働後の歓楽に興じる機会も奪われている。周囲の年若い集団から基本的に疎まれている為、酒席に誘われるようなことはまず無いのである。結果、発泡酒と値引きの惣菜を買い込み、帰宅してインターネット動画を漁りながら、明日労働に備えることになる。 JKの私には信じがたいライフスタイルである

キモくて金の無いオッサンは、人生の全てがバカらしくなり、大暴れして周囲に迷惑をかけるようなことはない。夜中にいそいそと自慰を行い、翌朝にはまた働きに出るのである。私はJKなので、これらはすべて想像に過ぎないのだが、なんだか泣きそうになってきた次第である

キモくて金の無いオッサンは、時に恋に落ちたりもする。職場で一回り以上年下の女性に気安く話しかけられたり、笑顔を向けられたりすると、てきめんに恋をしてしまう。そして、これらの恋が成就した例は、有史以来、ただのひとつもない。それどころか、大抵は、悲劇に発展する。キモくて金の無いオッサンは、恋をすると、とんでもない間違いを繰り返し、キモさが数倍、時には数百倍にまで膨れ上がり、全身がヌメヌメと湿り気を帯び、激しい異臭を放ち始める。そうすると、いよいよ駆除対象とされてしまうのである

恋に落ちたキモくて金の無いオッサンは、職場を追われ、アパート家賃も払えなくなり、親の年金寄生するしかなくなる。一度寄生してしまったら、もう自立することは出来ない。社会酷薄さを知ってしまたかである。それでどうするかというと、一日中オンライン将棋に没頭するか、近所の図書館ソファー瞑想に耽るか、いずれかである

では、寄生先を持たないものはどうなるのだろうか。それはJKである私の口からは何とも言えない。いずれにしても、チョベリバである

こんな想像をしてみる。ある朝、気がかりな夢から目ざめると、ベッドの上でキモくて金の無いオッサンに変ってしまっていることに気づくのである。私は昆虫のように固い背中を下にして、寝そべっている。ほんの少し首を上げると、無数の弓形の筋が刻まれ茶色の腹が見える。私の腹である。たくさんの細い足が生えている。私の足であるしかし、それらの足はあまりにか細く、力が弱いため、どうしても立ち上がることができないのである

2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170322233747

これについてるブコメを見てて思うんだけど

合理性を持つ余裕がない人間に対して「合理的になれよ、なれないなら知ったこっちゃない」って切り捨てるの、酷薄すぎる。

そういうコメが多いあたりが、はてなー搾取側って言われる理由なんじゃないか

搾取側というよりはマッチョいじめっ子って表現の方が俺はしっくりくるが、まあどれでもいい。

こういう弱ってる人間に対して、実際に身元を突き止めて環境を変えてあげろとか、養ってあげろとか、駆け寄って抱きしめてあげろとまでは言わんけど(強引な身元割出以外はできるならやってほしいが)、

せめて慰めや共感言葉をかけて一息つかせてあげる、くらいの優しさを向けてもいいじゃん。

弱ってる奴をさら合理的正論理想論で殴って痛めつけることないでしょ。

まあでも、正論で殴ってる側も余裕がなくって、そのせいで他人に優しさなんて向けてられないのかもだけどね……。

2017-03-10

お願い。ADHDの人と残業原則反対派は一呼吸置こう

今、ADHDの人と残業反対派で、話が噛み合っていないことが問題になっている。まだやってんのかと思うころかもしれない。手斧スター手裏剣の投げ合いを見ていると疲れてそこから離れたくなるよな。

だがもう少し聞いてほしい。続く過労死運輸業界の疲弊を経て、今ようやく「さすがに労働環境について検討し直さないとまずい」という認識が広まってきたところだ。すぐには解決するわけがないので焦らず妥協案を探る話し合いをゆっくりとでも続けてほしい。

今回主語が大きくてすまない。二者択一ではないということは承知している。

ただ、本来労働者会社」という枠組みで協力し合っていいはずの労働者同士が、現在弱者強者」もう少し正確には「ADHDに多様な働き方を派 対 それでも残業ダメ派」が争点となっている。どうしてこうなった

と、せっかくの話題が膠着してしまったことが悲しかったので、一連の流れを見返してみたら原因が分かった。

この問題残業禁止派は

個人責任を論じても効果はない。会社社会全体を変えなければ解決しない問題であるという認識を皆が持つ必要がある

と考える。他方、

普通の人を守るためならマイノリティ黙殺しても仕方がない、それが労働規則だ」という多数意見を見るとは思わなかった

発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメ酷薄さが恐ろしい。「残業禁止強者ルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。

ADHD側に主眼を置いたコメントにも多くのスターがついており、「交渉決裂」の様相を呈している。が、そうではない。単にハテブが100文字しか記入できないからお互い齟齬が発生しているだけなのだ。ここで諦めずに折衷案を探していけば、仕事ができる人もできない人も今よりずっと働きやす環境になるので、長くなるが聞いてほしい。

一連のトピックを追う。昨年10月頭の長谷川秀夫教授残業100時間超で過労死は情けない」等の話題を通過した後、このあたりから始まる。

2016-10-16「長時間労働撲滅運動」には賛成できない http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/16/120846

という内容だ。同時に

人を奴隷のように扱うような企業には反対

とも書いており、お?分かってる人か?と一瞬思わせるが、この人はその少し前に、

問題105時間という残業量それ自体にあるわけではないのです。自分が心から打ち込め、周りともいい関係を築き、素晴らしい人に囲まれているような環境であれば、残業を何十時間しても苦にはなりません。http://www.outward-matrix.com/entry/2016/10/08/113552

という言葉を残している。ワタミ等多くの例があるが、このような人は「自分ができることは人にもできる(できない奴は無能)」と考える傾向がある。疲弊している人や弱者に寄り添う方針とは相容れないように思う。そこでブコメ欄は次のようなものとなる。

このエントリ言及して、同日に次のエントリが上がる。

2016-10-16 会社員には「長時間労働をする自由」など必要ない http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2016/10/16/173609

これらは先のブコメを追認しており、残業反対派の言いたいことをうまくまとめてくれている。

そして先日、上記を引きとる形で次のエントリが書かれた。

2017-02-24 残業禁止強者ルールなのでは、という話 http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170224/1487937935

ここで幾つかの食い違いが出てくる。
  • どうも、効率の悪い人です。それ、効率良く働けるマンしか生き残らないよな。
  • 「え、職場についていけないなら辞めればいいじゃん。無能なんでしょ?」そういう声も聞こえてくる気がします。

まず「無能はやめろという方向のブックマークコメント」はごく少数でしかない。先の2エントリ計、約750コメントの内7つ前後判断が難しいコメントがあるので)。獲得★スター合計、TOP10の1,800個に対し10前後

時間を区切って生産性上げろよ」「効率上げろ」と仰る皆さん

同様に先の2エントリ中にこの方向のブコメは同750中24前後。獲得★スター合計、TOP10 同じく計1,800個に対し16個前後

ここで『残業禁止強者ルール』という重要言葉が出たわけだけど、上に書いたように「無能は辞めろ」「効率上げろ」といった個々人の弱さを責めるコメントはごくわずかだった。

(「残業をしないということは弱者はクビにされる。つまり無能はやめろと言っているのと同義ではないか」という方向から意見かもしれない。しかし私はこの前提が正しくないと考えている。理由は最下部に書く)

前の方のエントリで書きましたけど、効率よく仕事する皆さんにボッコボコにされた悲しい経験があります

とあるように、このエントリには自身の別記事のやり取りでの経験が尾を引いているようだ。(あの記事かな?と思うものはあったが特定できなかった)

であれば当該記事との関連をもう少し明確にしないと、やはり「何の話をしている?」となりついて行きにくい。

このエントリには次のようなハテブコメントが付いた。

これらのコメントを受けて

発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメ酷薄さが恐ろしい。「残業禁止強者ルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。

とのコメントが付く。これは大事な一文なので、続くエントリのあとで合わせて追記する。

2017-2-26 ADHDと「残業禁止ルール」の相性の悪さについて http://menhera.jp/2064

前提が間違っている。

先に記載された通り「労働ダンピングは許せない」は一連の流れにおいて主内容ではない。ダンピング言及したコメントは先の2エントリ12前後/約750コメント。獲得★スター合計、50個前後/TOP10計1,800個。

「噛み合っていないんですよ」と言うのであれば、まず自身が噛み合わせてから話し始める必要がある。

「"仕事が遅いからといって労働ダンピングは許せない"というコメントに対する反論」とするならば正しい。だが、その一部分を主題とせず「一律の残業禁止は是か否か」という大元の流れを自身で呼び寄せたにも関わらず「(全体の話は置いておいて)私は今回ADHD特性をより詳細にお伝えすることで"労働ダンピングは許せない"という人への反論します」という内容でしかないのであれば、そちらがズレている。

はてなで”普通”の人を守るためならマイノリティ黙殺しても仕方がない、それが労働規則だ。という多数意見を見るとは思わなかったね。

残業禁止強者ルール」でのブコメ発達障害者の切実な状況について気を遣いながら書かれたエントリに対して、定時帰りを絶対善視する人たちのブコメ酷薄さが恐ろしい。「残業禁止強者ルール」というのが図らずも証明されてしまってるのでは。

マイノリティーにも多様な働き方を」という主張は正しい。だがここで使うのはズレている。システムとしての安全策を構築するのではなく"弱者自己努力でなんとかしよう(時間はあげるから)"と言っているようなものなのだから

ADHD側の話題が徐々にずれてきているから「主題残業例外を認めるか否かだよな?答えは、ADHDでも例外は認めない。個人責任を負わせてはいけないから」と主題への返答をしたのに「私は全体のことについて話しているのではない。私自身のことに目を向けてほしいのだ」「マイノリティーを黙殺するのか」という方向にもっていっている。

全体の流れを追って話をしている人たちからすると、いきなりポンと話を支流へ飛ばされてしまうと面食らうんです。えっと…今急にその話題に飛ぶの?その話も確かに大切だけど、主題をもう少し詰めてからでないとややこしくなるよ、と考える。

なぜ話が飛んだんだろうか?カドカワさんに「めっちゃいっぱいPV集めたら書籍化」って言われたから無理やり話題を引き入れたのかな?と一瞬勘繰ったが、いや違う、思い出した。

ADHDの人って「途中から話に割って入ってしまう。今言わないと忘れるからという傾向があることを。ああそうか、と自分の中では納得がいって、別に喧嘩するほどのことじゃないなと安心できたんですが、どうでしょうか。

そうでなくても、いちいち全体の流れなんか把握してらんないのでちょっとずれたこと書いてしまうということは誰しも思い当たるふしがあると思う。だから自分の話も聞いてほしい」と思ったり、話がポンと飛んでしまったりすることがあるのは仕方がないけど、同時に、いきなり話題が飛んだことについていけない人がいるのもまた仕方のないことであり、そのことをもって「心無い人たちだ」と思うのは間違い。

このポンと飛んだ話から「言いたいことは発達障害者の切実な状況についてである」を第一に考えられた人はえらい。一方で、他の人がそのことを本当に理解できていなかったかというとそれもまた違うと思う。

話がずれているな、と感じるとき人がすることは二手に分かれる。話題を元に戻すか、一旦主題は置いておいて副題へ移るかだ。しかしこの時点では主題煮詰まっているとは言い難く、このタイミングで副題へ移ってしまうのは主題が疎かになる可能性があった。こうした理由とハテブの100字制限もあり、「ADHDの置かれた立場という副検討課題」よりも主題に対してのコメントが多くなってしまったのだと思う。

残業禁止個人仕事の進め方の話をしてるんじゃなくて、「赤信号は止まりましょう」位のルールの話で。赤信号で止まるのは視覚障害者に厳しいから止まらなくても良いことにしてくれという事にはならないだろう。

そう。視覚障碍者への対応を考えなければいけないのは明らかだが、まずは主題「赤信号は止まる必要がある」という原則を皆が共有する必要がある。しかし「全員が止まるなんて無理」という意見が出ているので「いや、やはり赤信号では全員が止まらなければいけない。なぜなら」という話を進めていく必要がある。

ADHD側が阻害されたと思うのと同様に、根幹の話し合いを疎かにすると以前から話を進めていた残業反対派も進行を阻害されたと感じてしまう。

ADHD管理職をやっている者なんだが http://anond.hatelabo.jp/20170227161628

このエントリでせっかく素晴らしい知見が得られているのに

  • なんかなあ。別に誰も「定常的に一定効率を出せないやつは死ね」なんて言ってないと思うんだけど。問題は「残業規制するのはADHD疎外だ」って主張だよ。それはまちがってる
  • 最初の話は多様性を認めろじゃなくてサビ残認めろだったよな。サビ残と戦おうとしてる人を強者扱いしてかわいそうなADHD物語作ってたよな。多様性認めなかったのどっちだよ。俺は雑な話をしたくないだけだ。

と、内容に直接触れたものではないコメントが最多の支持を得ることになってしまった。この反応は、率直に言うと「"過労死を防ぐ"という核心部分のために残業規制を話し合っていたのにADHDの人に全部持っていかれてしまった……」という"悔しさ"みたいなものかもしれない。そして「ADHDの人にも関係あること話してるのに黙殺だって言わないでよ」と。なぜなら、その残業問題主題にはADHD仕事ができない人も当然内包されているから。どういう意味だろうか?

まり、こう。

仕事ができない人はクビになる」と怖がってるけど逆だよ。現状「周囲に助ける時間的余裕がないから、仕事ができない人に厳しい」んだよ。全体の残業が減って時間的余裕がある世の中の方ができない人へも優しいよ。

夢のある予想だが、しょせん理想に過ぎないだろうか?

ここで一度話を切ります。次の増田では、上記理想論を含め当初から出ている多くの疑問点について一つ一つ答えてみる形で進めます。続けて読んでもらえたらうれしいです。→http://anond.hatelabo.jp/20170310204122

もうひとつ

一番最後エントリ1000ブクマを超えている。ハテナ民がブクマをする理由はこうだ。「うわー長文だしなんか難しそうだな…でも"知らないままで置いておくわけにはいかない"。ポチっとな(後で読む)」。そう、後で読まない。ともかく、皆発達障害の人を見ないことにしてれば良いなんて考えてないんだよ。知っておかなければいけないと分かってるんだよ。

残業規制問題の盛り上がりはまだ始まったばかりで、発達障害、その他沢山の課題順次考える必要がある。そのときADHDについて日々書いてくれている人たちが強力な助っ人になるので、どうか焦らず、でも止まらず書き続けてほしい。

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