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2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-01-20

世の中しらんことが多いなと感じる

sin(x)の導関数cos(x)であることを証明できる日本人は何人いるであろうか。30%いるだろうか。

その中で、サティジムノペディと聞いてピンとくる人は何人いるであろうか。

その中で、確定申告のやり方を人に教えられる人は何人いるだろうか。

その中で、冷蔵庫ロードラインという言葉を正しく説明できる人は何人いるだろうか。

その中で、タイ語アルファベットを読める人は何人いるだろうか。

その中で、LD50説明できる人は何人いるだろうか。

その中で、エディプスコンプレックスという言葉が初耳でない人は何人いるだろうか。

その中で、ミクロ経済学での無差別曲線説明できる人は何人いるだろうか。

その中で、膠着語孤立語の違いについて説明できる人は何人いるだろうか。

その中で、圏論モナドを正しく理解している人は何人いるだろうか。

その中で、今月アフリカのどこでどのような経緯でテロが起こったか解説できる人は何人いるだろうか。

その中で、行書と草書の違いを説明できる人は何人いるだろうか。

その中で、黒澤明映画を知っている人は何人いるだろうか。

その中で、悪魔の喉笛がどこにあるか知っている人は何人いるだろうか。

その中で、中国で言われている世界三大美女をすべて言える人は何人いるだろうか。

その中で、ブリネル硬さ有用性を語れる人は何人いるだろうか。

その中で、ロールケーキレシピを知っている人は何人いるだろうか。

その中で、中央選挙管理会はどのように組織され何をしているのかわかる人は何人いるだろうか。

その中で、脳神経の12対を知っている人は何人いるだろうか。

その中で、CIAOちゅ〜るが何か知っている人は何人いるだろうか。

その中で、特別送達がどうすればできるか知っている人は何人いるだろうか。

その中で、パレットとは何に使うものか知っている人は何人いるだろうか。

その中で、アーガイル柄とは何を指すか知っている人は何人いるだろうか。

その中で、外傷性刺青とは何か知っている人は何人いるだろうか。

その中で、廿日市市がどこにあるか知っている人は何人いるだろうか。

その中で、日本専売公社がどのような経緯で設立されたか知っている人は何人いるだろうか。

その中で、三心四修とは何か説明できる人は何人いるだろうか。

その中で、フォッコ英語名を言える人は何人いるだろうか。

ひとつひとつは知ればググることができる。しかひとつひとつは平易である。ただすべてを知っている人は多くない。

こうした言葉1つで知らない世界があったことを知れる。これらの知識雑学と似ているが、少し趣が違っていて、その言葉の裏に膨大な情報があることを知って圧倒されるというものだ。たとえばアーガイル柄をひとつとってもそうで、その言葉からは服飾の世界には膨大な情報があり、ミシンや染料があり繊維があり生地があり針がありファッションがありモデルがあり流通があり……そういうことについて何の疑問もなく「服を買っていた」ということに戦慄を覚えた。それで世の中頭のいい人が多いなとすごく感じている。自分の知らない言葉観念論理が世の中にあふれているというのはおそろしいことだ。

2018-02-05

anond:20180205095647

日本他者にpersonality(個人)じゃなくてrole(役割)を見るからな。

たとえば、先輩とかお兄様みたいな呼び名って、英語では普通に個人名で呼ぶからうまく訳せない。

日本では肩書なしには他者と、かかわりを持てない。

告白して恋人という肩書を得ないと付き合いが始まらない。

(ちなみに、この告白もうまく訳せない)

さらに、話者自身役割を演じるために言葉を変える。

言葉、女言葉お姉さま言葉博士言葉など、

膠着語特性を生かして語尾にいろいろ着けることで、いろんな役割を演じる。

つうわけで、ボクっこという概念自体英語には無いんじゃないですかね。

言葉役割表現できるという点では日本語英語より優れてると思うし、

フィクションに使う言語として有利だね!

2011-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20110901005934

技術関係の文書だと専門用語英語のままの方が解釈しやすく、おかしな訳にもなりにくく、見慣れてるのでそのまま読んだ方が早い。政治時事関係は、自動翻訳だととても大事な所のニュアンスおかしくなって下手すると逆の意味になることもあるので、結局一度は英語の方を通読することになる。

って感じで自動翻訳使えてもあくまで補助なんだよなー。

Wikipediaの記事なんかだと自動翻訳でもあまり問題にならないけど。

まぁ、アラビア語英語中国語英語翻訳には自動翻訳ないとやってらんねってくらい世話になってる。

中国語中国語日本語自動翻訳がモノによってはカオスすぎるので中国語英語読んだほうが早い始末。

韓国語←→日本語翻訳精度だけはマジ神がかってるw

アルタイ系で膠着語でSOVとかあんだろうけど。

2008-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20080905205233

膠着語でなくても敬語にしてる具体例は英語で「would like」つけて敬語にするとかでは?

あと長子相続中世ヨーロッパとかでも普通に行われてたし、長子相続になるのは儒教のせいだとも膠着語敬語発達に結びつくとも思えない。

http://anond.hatelabo.jp/20080905205233

「される」とつけるだけが敬語じゃないし、目上か目下かで使う言葉を変えるのは膠着語じゃなくてもできる。

日本語敬語が発達してるとか言われてしまうのは、日本語ぐらいしか知らないからそう思ってしまうんじゃなかろうか。逆に外国語は全部英語みたいなものばかりと思い込んでたりとか。

http://anond.hatelabo.jp/20080905204704

膠着語だと動詞のあとに「??される」など敬意をあらわす語をつけられるじゃん。

あと、日本語朝鮮語敬語の発達した言語というのは常識の範疇じゃない?(もちろん、常識にも間違いは多いが)

http://anond.hatelabo.jp/20080905203851

敬語の発達と膠着語にどういう関係があるのかわからない。そもそも日本語朝鮮語敬語発達してるかどうかも怪しいはず。

http://anond.hatelabo.jp/20080905203210

あとは言語の違いかな?

膠着語である朝鮮語日本語敬語を発達させやすかった、とか。

…いや、これは違うか。敬意を向ける対象があったからこそ、敬語表現が生まれたんだよな。

2008-06-14

横だけど

日本語世界でもまれに見る孤立語と説明があったり

本にこう書いてあったの?言語学では「孤立語」って動詞が変化しないことばのことで、中国語などを指すんだけどね。

日本語膠着語という分類になる。

http://anond.hatelabo.jp/20080614133143

横だけど、多分この著者はそういう専門用語も知らずに、「周辺の諸語との影響関係が少ない」ということを言うために無邪気に「孤立」という言葉使用しているのでしょう。

それにしても、知り合いの某出版社編集さんが「今新書一冊作るのは、雑誌の特集記事一本書くぐらいの感覚で、正直作り捨て同然ですよ」と苦々しげに言ってましたが、文春ですらそのレベルですか…。専門分野に関わる下調べくらいしないものなんですね。

http://anond.hatelabo.jp/20080614131549

日本語世界でもまれに見る孤立語と説明があったり

本にこう書いてあったの?言語学では「孤立語」って動詞が変化しないことばのことで、中国語などを指すんだけどね。

日本語膠着語という分類になる。

2008-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20080504203433

 なるほど。参考になるな。

 

>だから「日本語の弱点」って何よ。

ごめんよく考えずに書いてた。前述の「国語学概説」の話であって、元スレの弱点の話とは関係なかった。

その本では、膠着語屈折語孤立語の三つを考えて、膠着語が最も合理的であることは疑いようがないとしてる。

そして他の言語膠着語になるのが合理的なんだけど、実際の変化を考察すると、

日本語膠着語)が英語屈折語)化し、英語屈折語)が中国語孤立語)に、中国語孤立語)が日本語膠着語)に変化しつつある。

こんな風に合理的に進化していかないところが面白いっていう話。

 

だからここでいう日本語の弱点は膠着語の弱点っていうことなんだけど、

膠着語は一番合理的って上で書いたから、その点から見る限りやっぱり弱点なかったわw

http://anond.hatelabo.jp/20080504184519

個人的感想をいえばたぶん世界のひとが最もコミュニケーションをとるのに適した言語スペイン語

なにがいいって母音の数が日本と同じ5つしかない。

ハワイ語とか琉球語とかアラビア語とかなら3つしかないけどね。

日本語も話し言葉としては確かにかなり簡単につかえる言葉だけどいかんせん文法が特殊すぎる。

全然特殊じゃないよ。何をもって特殊と言ってる?語順とか格構造だったらドイツ語とかラテン語だって似たようなもんだし、膠着語ということなら韓国語??トルコ語までシルクロード沿いの言語はだいたいそうだ。

 
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