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はてなキーワード: やまとことばとは

2019-11-16

anond:20191114122611

「達する」は「日本語やまとことば)」ではないよね。どーでもいいけど。

2019-11-15

anond:20191115101822

科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。

これすき

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-09-29

anond:20190924031443

だったらおまえもやまとことばだけでくらせば?

日本語」とすらいえなくなるけどな。

2019-02-03

anond:20190203175803

日本語って不利だよな

英語翻訳してもだいたい漢字中国語)だし

やまとことばだけで書いた技術書とか読んでみたいよ

2017-08-25

アルトコインじゃなくてオルトコインだろ

本当にどうでもいいんだが、仮想通貨界隈で、イーサリアムやリップルのようなビットコイン以外の仮想通貨を「アルトコイン」と呼ぶのが気になってしょうがない。「アルトコイン」の「アルト」って alternative の alt だよね? alternative = オールタナティブなんだからオルトコイン」と呼ぶべきじゃないの?

日本人英語力なさすぎ。そのくせ、英語から借用語が増えすぎて、ワケワカになっている。もういい加減、日本人英語をきちんと勉強して、もう少しまともな形で英語由来の語彙を日本語の中に導入するか、あるいは、英語由来語をそのまま使わずに、漢字語またはやまとことばにきちんと翻訳すればいいのに。

2017-07-18

バブル日本語で言うと泡沫?

バブル流行っているというけど、日本語で言えば泡沫だと思う

いや正確に言えば漢語からやまとことばでいえば「うたかた」というべきか

から800年ほど前こう書き残した人がいた

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることな

バブル」という言葉を「好景気」の意味で使うケースが増えているように思うが、それでいいのか?

いずれリセッションを迎えることも織り込み済みなのか?

泡沫候補と呼ばれて喜ぶ御仁はいないと思うが・・・

まあ刹那的にこの世の春を謳歌するのもひとつ生き方から

個人が目くじら立てる筋合いのものではないが、

バブルで稼いでもそれが文字通りあぶく銭であることは理解しておいてほしい

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170315183049

ギガ外来語だし「ご機嫌」の「ご」と「具」は漢語じゃないのか?

やまとことば漢語外来語をごちゃ混ぜにして法則を主張されても、偶然としか言えないだろう。

2017-02-22

必要とする」とは言わない

必要とする」ってどこのことばなんだろうか。もともとそんな言い方は無い。おそらく、"need" の逐語訳としての奇怪な言い回しが、今や異和感すら覚えられずに流行してしまったんだろう

「要する」でしょ。字数のムダ。資源無駄遣い。「〜が要る」のように自動詞型でもよい

動詞である漢語に「す」(する)を付けると、日本語としても動詞になる。「信ず」、「愛す」、「請求す」などなど、漢語+「す」による動詞

今の日本人というものは、まともな言語教育を受けていないんだ。「信じる」とか「愛する」とかいうのは漢語由来でもともと話し言葉ではないんだけど、こうした言葉を話したり歌ったりすることに異和感を覚えないみたいね

同時に、話し言葉であるやまとことば和語)の語彙が忘れ去られてしまっている。「信ず」は「たのむ」とか「たよる」とか、「愛す」は「めでる」とか「もとむ」とか「こう」(乞う)とかいうようにニュアンス次第でさまざまな言い方があるのに、今の人々はこういう言い方をやれない。語彙をもたず、どっかの猿真似みたい

「恋と愛の違いはなに?」という問いがあるけれど、まずはじめに、「恋」(こい)はやまとことば、「愛」(アイ)は漢語

2017-02-05

1文字大和言葉同音異義語

日本語同音異義語が多い」という風説に挙げられるのが漢語ばかりなので、大和言葉の例を調べてみた。

やまとことば古語or現代漢字英訳現代複合語地名に残る例備考と個人的感想
footあし足掻く、足立(埼玉県東京都) 
thatあれ 
weわれ吾妻(群馬県) 
five五十路 
五十fiftyゴジュウ五十鈴(三重県) 
youてめえこき下ろすときに使う二人称とのこと
sleepねる 
cormorant 
rabbitうさぎ 
handle 
older brotherあに中大兄皇子 
inletいりえ江戸 
deulkkaeゴマ荏原(東京都) 
foodえさ餌付けジビエ」はフランス語
branchえだ梅ヶ枝餅 
Chinese hackberryえのき榎町[なみえまち](群馬県) 
mosquito 
thatあれ彼方 
鹿deerしか鹿島(茨城県)(佐賀県) 
placeバショありか 
tree 
pestleきね杵築(大分県) 
tuskきば象牙[きさのき] 
sakeさけ神酒 
fortとりで茨城(茨城県)
leekねぎ分葱 
hair 
mealショクジ朝餉、昼餉、夕餉 
daysダン 「ハレとケ」のケもこれではないか
becauseゆえに 
child 
powder削り粉、薄力粉 
silkwormかい春蚕 
basketかご伏せ籠 
tree木立、木漏れ日 
thisこれ此方 
バショあそこ 
そう「さもありなん」 
arrow 
nest 
鬆立つ 
blindすだれ 
shoalなかす天王洲アイル(東京都) 
簀巻き、すだれ 
back 
fordあさせ「立つ瀬がない」 
husbandおっと 
dressおめしもの 
backせなかそむく 
thatそれ 
name 
greens 
side dishおかず酒の肴 
Iわたし 
baggage 
red earthあか 
ballたま八尺瓊勾玉 
ballたま 
marshぬま 
field 
sound 
price 
root 
peakみね筑波嶺[つくばね](茨城県雅称)
field 
1幅は37.9センチメートル 
tooth 
edge 
leaf 
edgeはし 
the Sun 1日を表す場合、「は」は単数形複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」
fire 
shuttleシャトル 
iceこおり氷室氷川神社(埼玉県) 
gutterとい 
brown bearひぐま 
Japanese cypressひのき檜原(東京都) 
fart 
tier二重まぶた 
directionあたり水辺、海辺、古[いにしえ] 
houseいえ一戸九戸(岩手県青森県) 
upsideうえ 
earthenware potかめ鍋[なべ] 
prowへさき 
kitchen rangeかまど 
directionホウコウ行方[ゆくえ] 
sail 
spike 
true 
opening 
eye眼(まなこ)、まつげ 
body 
fruit 
winnowing basket 
spiritかみ海神[わたつみ] 
waterみず水戸(茨城県) 
eye 
bud 
womanおんな 
海藻seaweedカイソウわかめ「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
algae 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
bottomsボトムス 
mostもっと最中、最寄り 
valley《備考参照》渋谷(東京都)(神奈川県)、谷津(千葉県)「やと」「やつ」「やな」「やち」など。
homeいえ 
more and moreいよいよ弥生 
spokeスポーク 
circle 
weわれ 
wellいど 
rushいぐさ 
cord 
manおとこ牡牛 
ridgeおね 
tailしっぽ枯れ尾花 
現代語だけに絞った表
やまとことば古語/現代漢字英訳現代複合語地名に残る例備考と個人的感想
cormorant 
handle 
mosquito 
tree 
hair 
child 
powder削り粉、薄力粉 
nest 
鬆立つ 
back 
name 
greens 
baggage 
sound 
price 
root 
field 
tooth 
edge 
leaf 
the Sun 1日を表す場合、「は」は単数形複数形は「か」。「ひとひ」→「ふつか」
fire 
fart 
sail 
spike 
true 
opening 
body 
fruit 
winnowing basket 
eye 
bud 
algae 「め」は食べられるもの、「も」は食べられないもの
circle 
cord 
ことわりがき

2016-12-11

冗談では済まない語彙をコピペ脊髄反射的に言う日本人

最近どころかかなり以前から、〇〇テロかいスラング流行っています流行りというよりももはや、定着してしまっているみたいですね。例えば「飯テロ」とか「バイトテロ」とかです。TwitterとかSNSとかでスラングとして広まりしましたが、マスメディア広告代理店流行らせたのとどちらが先か、私にはよく判りません。

テロ」という語彙は冗談では済みません

そもそもテロリズムというのは、テラー・イズムだからテロリズムなのですから、つまり目的のために恐怖を与える手法のことをテロリズム、略して「テロ」といいます。こうした語彙の意味もおそらく解っていない人が、〇〇テロかい造語安易に用いているのでしょうね。

ゲリラ的」と言っていた場面でさえも「テロ的」とか言う人が出てくるようになって、意味が全く判りません。そのうち、「緊急企画」などという大げさな表現がありますが、それも「テロ企画」って言うようになるかもしれませんね。

世界的に見てもおそらく通じない、恥ずかしいことだと思います冗談では済まないんです。テロというのは、大量殺戮と恐怖なんですから

からそうなのでしょうけれど、今の日本人さらに、言語の扱い方を解っていないと思います。昔から、字はせっせと教えられ、習字、言い換えれば「かきかた」は執拗にやりますよね。

けれど、修辞をやらないんですよね。

国語教育」とか「日本語」とかいう語彙が明治期以降なのでしょうが、広められ定着させられました。けれど、古来の言語は「やまとことば」(和語)で、中国から漢語を書きことばとして受容し、やまとことばを書くためにも漢字をあてるようになったものです。だから、「古文」(「古語」)と「漢文」という各教科が、意識的に設定されていました。しかし今って、ほとんどの人は、「日本語」と称するものがいったい何なのかを解るのではなくて、むしろ単に「コピペ」で話したり書いたりしています

ゆとり」とかいう以前から、丸暗記、思考停止コピペ教育なんですよ日本って。

何が変わったかというと、戦後から今にかけてずっと、都会へ引っ越してきた世帯が増え、いわゆる核家族化もし、同時に会社人間化(社畜化)、学歴という階級差別で親が教育をやらなくなり、さらに(貧困への退行による)共働きが増えたわけですね。だから、親や祖父母が教えなくなった、そもそもの教える能力もなくなった。本に書いてあること、新聞テレビにあること、学校や塾や予備校でやることばかりが、皆に刷り込まれるようになりました。

我々は戦後から今に至るまで、食べ物にしても人為的大量生産されたものを食べることが多くなり、生きたもの調達して最初から調理することは減りましたし、「外食」のように他人が作るもの、それもチェーンやフランチャイズの均一規格品を食べることが多くなりましたよね。

実は、野菜ですら、人為的に交配・生殖されて共通遺伝形質をもつ第1世代交配雑種F1種)が多くなっていて、遺伝子組み換えでなくたってもう、均一規格品化が進んでしまっています。ましてや、霜降り牛肉とかブロイラーとか、言わずもがなです。そして我々の肉体は、そうしたものを食べたり(飲料を)飲んだり(気体を)吸ったりしたものから形作られています。ですからもう、肉体の共通規格化や、生物としての異変が、そのことに気がつくか否かを問わず進んでいます

同じように、精神人格も、共通規格化が進んでしまったわけです。教わることも、人生経験も、ワンパターンになっていきました。そうして我々は、大量生産共通規格品になっていったわけです。

それが生物として、人として異常だから本能的あるいは意識的に、抗おう、闘おうとする情動が沸いてくることもありはしますが……。おそらくたぶん、その多くは本能的なものにすぎないのではないかと思います

ともかく、考えずにコピペで言うようになりましたから、その社会通念がたとえ間違いであったとしても、差別ヘイトであったとしても、自覚なく平然と言う社会になります。間違っているという自覚が起こらないんですよね。固定観念なんだ、偏見なんだという自覚がないままに、皆が平然と酷いことを言うんです。

実際には、人それぞれ異なるわけですから、どうやっても完全には共通規格化しません。もしもかりに皆完璧に同じになったとしたらパンデミックで滅ぶんでしょうけれどね。完璧に同じではなくとも、皆同じことしか考えられない世の中は創造性がなく、トラブル解決能力もなくなります、既にそうなっています

完璧には同じになりえないのに、社会全体に広まっている偏見を我々全員に適用しようとするから、うまくいくわけがありませんし、間違っていますし、軋轢も起こります。その軋轢に耐えることを事実上強制されるのは大概、権力や数の圧力をもたない方。

それで事件が起こることもありますし、人が死ぬこともあります。かりにそこまでいかなかったとしても、人というものは、大半を言語思考する生物ですから言語が荒廃していると精神人格も荒廃します。そして社会とは人々で構成されていますから、荒廃した人々で構成されている社会は荒廃しています

そしてそれで、そんな日本人世界通用すると思っているとしたらおかしいでしょう。己の母語もまともに扱えない者が、他人とどうやって対話するのでしょうか。それどころか、欧米論理ですらも全人類には通用しません。人類自己中心的論理地球宇宙には通用しません。だから日本人と称するものは救いようのない低レベルだと思うんですよ。

2010-10-29

日の丸」があらわす日本人の道

僕には、日本の歴史文化伝統や国柄といった文脈で「日の丸」というシンボルを見たとき、自然と思い浮かんでくる事がある。

ひょっとすると、別に当たり前のことで、誰かがどこかで同じようなことを書いているかもしれないが、とりあえず今まで見たことがないので、

それを自分言葉でまとめてみようと思った。

日の丸は、白地に赤の丸を真ん中に描くと出来上がる。

この真中の赤丸は何かというと、小学生に聞いても簡単に返事がかえってくると思うが、「太陽」「お日様」。

昔ながらの言い方で言うならば、「お天道様」とも言う。

ヒノモト、日本国旗だからお日様が真ん中というのはシンプルでわかりやすい。

清明心」という言葉がある。聞いたことがある人は少ないかもしれないが、神道武士道で聞く言葉であると思う。

これをやまとことばで言えば、「きよきあかきこころ」と読めると思う。これも昔からある言葉らしい。

「きよきこころ」とは、真っ白な純真無垢なこころもち。

「あかきこころ」は、明か(あか)、あきらかで偽りのないこころもち。正直など?

つまり、日の丸の白地は「きよきこころ」、赤は「あかきこころ」と解釈できるのではないだろうか。

日本では、純真無垢な、子供のような心はとてもよいものだという価値観があるが、これは神道からくるものだと思う。

西洋では、子供は未発達な、未熟なもので、理性的や秩序的でないのであまり良いとされないものだと思うが、日本ではそういう考え方は

あまり馴染みがないように思う。

善でもなく、悪でもなく、清らかさや無垢さがいいという価値観神道的だが、しかし僕にはかえってしっくりくるものがあるのは、日本人だからだろう。

それから日の丸の真ん中に描いてある「お天道様」はどういう意味だろうか。

天道様の天道とは天の道。「誠は天の道なり。之れを誠にするは、人の道なり。」という中国のことわざがあるそうだ。

これを勝手に訳すると・・・

誠(まごころ?)は、天(宇宙?)の道(道理)である。これを実際に行うのが、人の道である。

といった感じだろうか?

でも天の道ってなんだろうか。

たぶんそれは単純な話、昔から言われているように、「お天道様に恥ずかしくない生き方」じゃないかとおもう。

普段の生活の中で、事あるごとに、じぶんの心に問いかける。これはお天道様に恥ずかしくない生き方か?きよきあかきこころで問いかけると、

天の道が指針となって、すべきことがわかる。そうやって行ったことがまごころなのなのではないかと。

つまり、きよいあきらかなこころでお天道様にはずかしくない生き方、天の道を行うというのが日本人自然なまごころの道ではないかと思う。

日の丸の、白地はきよいこころ、赤丸はあきらかなこころ、お天道様は天の道。

何が言いたかったかというと、ようするに日の丸というのは、日本人のありようをあらわしているんじゃないかと思ったのです。

日の丸がいつからあったのか、ヒノモトという名前がいつからあるのかしらないけど、日の丸日本神様メッセージじゃないかと思う。

世の中の仕事学校や家庭、人間関係やその他でいろんな試練があると思うが、その時々に、きよきあかきこころで天の道を行ったらどうなるだろうか。

天の道を行って悔やむことはあるのだろうか。

僕は、神社に行って、もしくはお天道様の前で自分を誇れるようになれたら素晴らしいだろうなと思う。

だから、神社に行って神様の前にちゃんと立てるか、定期的にお参りしたらどうだろうかと思っている。そしてご神体の鏡にうつるのは自分

あなたは神です。ちゃんと神できてますか?あなたの神の道と差があるようだったら、その差をとってください。さとってください(笑)

神道っていうのはこういうことなのかな?そう思いました。そのうちきよきあかきこころで行う天の道、実践編を書けたら面白いだろうか。

2008-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20080505150308

イタリア語スペイン語フランス語ドイツ語 +英語

は共通する語彙が多いから互いに学習するのは楽だよね??

そこにドイツ語を入れるか、あんた。ドイツ語フランス語の語彙って悲しいほど重ならないぞ。ドイツ語フランス語言語に対して純潔思想が強く、外来語はできるかぎり祖語の語彙から作る(日本語で言えば、漢語やカタカナ語を全部やまとことばで置き換えるということ)。だから、ドイツ語ゲルマン系の言葉だらけだしフランス語ラテン系言葉だらけ。英語日本語みたいに外来語を無節操に取り込んだりはしないんだよ。

ちょいとはみ出る北欧言葉トルコ語辺りになるとちょっと敷居が高くなってきて程度で

あのさあ、ノルウェー語とかデンマーク語とか眺めたことある?ドイツ語英語を知ってれば気合いで読めなくもないような言葉だよ、こいつら。

で、フィンランド語トルコ語は印欧語系じゃないから、ラテンゲルマンスラブ系の諸語とは似ても似つかないんだがそのことは理解してるか?

 
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