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はてなキーワード: 盲目とは

2024-10-03

自己増殖型ワクチン・レプリコンの謎

自己増殖するmRNAって、それはもう、RNAウイルスのものではないか

なぜ、開発元のアメリカや、先行して治験を行っていたベトナムでは認可されなかったのか。

日本国内では僅か8000人の治験だけで、どうして安全確認されたと言い切れるのか。

日本看護倫理学会の声明はなんなの。

https://www.jnea.net/wp-content/uploads/20240806kinkyuseimei.pdf


シェディングするかはさておき、ブクマカ盲目的にワクチン安全と言い続けるのが怖いよ。

2024-10-02

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

https://anond.hatelabo.jp/20241002005552

一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-10-01

愛の夢とか

僕が人を殺している時、一番最初に殺すのはもちろん僕自身だ。自覚的である時もあれば、そうでない時もある。朝、目が覚めたあとにすべき事の全てが面倒くさい。洗面所の窓からメジロの鳴き声が聞こえる時もある。たまに(本当にたまに)、恋人のことを考える。それから好きな人のことを考える。綺麗に重ね合わせようとしても、いつもわずかにずれてしまう。その差異さえも愛せてしまえたし、それが心底嫌だった。三日坊主をどうにかしようとする試みは三日で終わる。時々、近くの川でキジが羽を休ませている。君の好きな人のことを考える。君が吐き出すみじめな嘘は僕をバターのように簡単に切り裂く。泣きたくなるほど美しいと思うこともある。しかし、君は僕が涙を流すのを許さなかった。恋人否定されると悲しくなる。君の悪事を見ているだけの僕は言葉を上手く話すことができない。君は気まぐれに誰かを僕のところに引きずり込もうとする。しかし結局逃げられる。あるいは自ら放り出す。僕はそれを黙って見ている。勝手再生された曲は思いのほか耳触りがよくて、なんだか負けた気分になった。屋上カラスが鳴く。うまく出来ている、と強がってしまう。芸術には必ず嘘が含まれる。しかし、チラシの裏は君の落書きで埋まっている。僕が死角足音に怯えている間に先に行ってしまった人がいた。待っていてくれた人もいた。僕はこびりついた恐怖心を払拭することができない。弱っていると、普段は嫌っているものにも縋ってしまう。一つのベッドで二人の別々の人間眠ることもある。そこに必然的に生まれ孤独を僕は当然のこととして認めてしまう。まるでそんなものは無いかのように振る舞うあなたがよく分からない。同時に、この断絶に気付かれた時のことを思うとひどく恐ろしい。恋人否定されると悲しくなる。そして少し安心する。ずっと君の嘘のせいだと思っていたのに、君は黙って僕を指さした。僕の好きな人のことを考える。それは幼稚で盲目的で一方通行偏愛だ。与えられてばかりの僕が彼(彼ら?)にだけは一方的に与えることが出来る。何故なら彼には名前がないから。それが許されていることがたまらなく嬉しい。彼に身を委ねるのは心地がいい。こうして僕は沈んでいく。洗面所の窓からメジロの鳴き声が聞こえる。

愛の夢とか

僕が人を殺している時、一番最初に殺すのはもちろん僕自身だ。自覚的である時もあれば、そうでない時もある。朝、目が覚めたあとにすべき事の全てが面倒くさい。洗面所の窓からメジロの鳴き声が聞こえる時もある。たまに(本当にたまに)、恋人のことを考える。それから好きな人のことを考える。綺麗に重ね合わせようとしても、いつもわずかにずれてしまう。その差異さえも愛せてしまえたし、それが心底嫌だった。三日坊主をどうにかしようとする試みは三日で終わる。時々、近くの川でキジが羽を休ませている。君の好きな人のことを考える。君が吐き出すみじめな嘘は僕をバターのように簡単に切り裂く。泣きたくなるほど美しいと思うこともある。しかし、君は僕が涙を流すのを許さなかった。恋人否定されると悲しくなる。君の悪事を見ているだけの僕は言葉を上手く話すことができない。君は気まぐれに誰かを僕のところに引きずり込もうとする。しかし結局逃げられる。あるいは自ら放り出す。僕はそれを黙って見ている。勝手再生された曲は思いのほか耳触りがよくて、なんだか負けた気分になった。屋上カラスが鳴く。うまく出来ている、と強がってしまう。芸術には必ず嘘が含まれる。しかし、チラシの裏は君の落書きで埋まっている。僕が死角足音に怯えている間に先に行ってしまった人がいた。待っていてくれた人もいた。僕はこびりついた恐怖心を払拭することができない。弱っていると、普段は嫌っているものにも縋ってしまう。一つのベッドで二人の別々の人間眠ることもある。そこに必然的に生まれ孤独を僕は当然のこととして認めてしまう。まるでそんなものは無いかのように振る舞うあなたがよく分からない。同時に、この断絶に気付かれた時のことを思うとひどく恐ろしい。恋人否定されると悲しくなる。そして少し安心する。ずっと君の嘘のせいだと思っていたのに、君は黙って僕を指さした。僕の好きな人のことを考える。それは幼稚で盲目的で一方通行偏愛だ。与えられてばかりの僕が彼(彼ら?)にだけは一方的に与えることが出来る。何故なら彼には名前がないから。それが許されていることがたまらなく嬉しい。彼に身を委ねるのは心地がいい。こうして僕は沈んでいく。洗面所の窓からメジロの鳴き声が聞こえる。

2024-09-28

anond:20240928022926

恋愛経験がない奴は「この人の前では無様な格好はできない」と本気で考えたことがないから駄目

恋愛したことがある人間は多かれ少なかれ背伸びして自分をよく見せようとした経験を持っているものだ。

それは個人的自己顕示欲による「どうだ。俺はカッコイイだろう」という中二病じみたナルシズムではなく、相手本位で考えて「この人に好かれるには、嫌われないためにはどうしたらいいのだろうか」と考えた経験があるということだ。

なるほど、「この人の前では無様な格好はできない」という気持ち暴走した結果、当事者の2名以外の人々に対して迷惑をかけても構わないという発想・行動になるのか。

まさに、恋は盲目

2024-09-27

日本は「行き詰ったら最後一家心中」の国。

真珠湾攻撃バンザイ突撃も根源は同じ。

行き詰って身動きがとれなくなるまで何も対応策をとらず、ただただ「神風が吹く」のを待つだけ。

神風が吹かずに行き詰まると、最後は「親が責任取って死んだら、生き残った子供が可哀そう」

盲目的家父長主義(パターナリズム)で「全員でハラキリ(切腹)=特攻」の選択をする。

2024-09-23

盲目キャラ視力を失って聴力が3000倍になった」←こういう人よくいるけど

逆に聴力失って視力良くなったみたいな例あんまないよな

2024-09-21

推し活は馬鹿の発想

現代社会において蔓延する「推し活」という愚行は、人間の知性を著しく貶める行為であり、その愚かさは計り知れない。自らの人生主人公たるべき者が、他者盲目的に崇拝し、その存在に心酔するさまは、まさに愚者の極みと言わざるを得ない。

自己喪失の極み

推し活に没頭する者たちは、自らの存在意義を完全に見失っている。彼らは自身人生という舞台で、主役を演じるべき立場にありながら、その座を他人に明け渡し、脇役どころか、単なる観客として自らを位置づけている。これほど悲惨自己放棄はない。自分人生主人公は他ならぬ自分自身であるという、この至極当然の事実を忘れ去った彼らの姿は、まさに現代阿呆絵図と言えよう。

盲目的崇拝の愚かさ

推し活に熱中する者たちは、特定人物キャラクター神格化し、盲目的に崇拝する。この行為は、理性的思考を完全に放棄した証左であり、知性の欠如を如実に示している。彼らは自らの判断力批評能力を捨て去り、ただひたすらに「推し」と呼ばれる対象を賛美し続ける。この姿勢は、まるで中世狂信的な宗教崇拝者のようであり、現代教育を受けた人間のすることとは思えない。

時間と金銭の無駄遣い

推し活に費やされる膨大な時間と金銭は、まさに愚行の極みである人生の貴重な時間を、他人の姿を眺めることに費やし、稼いだ金の大半を「推し」のグッズや関連商品に注ぎ込む。この行為は、自己投資や自己啓発の機会を完全に無視し、自らの成長や発展を放棄するものだ。時間と金銭という限りある資源を、このような無意味活動に浪費することは、まさに愚者所業と言わざるを得ない。

現実逃避病理

推し活は、現実逃避の一形態に過ぎない。自らの人生に向き合うことを恐れ、現実世界での挫折や困難から目を背け、架空世界他人人生に没頭する。これは精神的な弱さの表れであり、社会人としての責任放棄する行為だ。現実世界での自己実現や人間関係の構築を避け、空想世界に逃げ込むことは、人格成熟を著しく阻害する。

社会的影響力の低下

推し活に没頭する者は、社会的な影響力を持つ機会を自ら放棄している。自らの意見や考えを持つことなく、「推し」の言動をただ模倣し、その価値観を無批判に受け入れる。これでは、社会を変革する力を持つことは不可能だ。真に社会に貢献し、影響を与えるためには、自らの思考と行動が不可欠である推し活は、この可能性を完全に潰してしまう。

結論

推し活は、人間尊厳を著しく損なう愚かな行為である。自らの人生主人公であることを放棄し、他者盲目的に崇拝することは、知性と理性を持つ人間として、あってはならない行為だ。真に賢明な者は、自らの人生真摯に向き合い、自己実現と社会貢献を目指すべきである推し活に溺れることなく、自らの人生の舵を自らの手で取り、主体的に生きることこそが、人間としての真の価値を示すのだ。

2024-09-16

シナリオライター仕事が取れてる秘密の1つ

今は魚拓しか残ってないが、あるシナリオライター

「出した作品ほぼ全部赤字なのに、仕事自体はある」

仕事自体があることで、そのノウハウを有料販売してる」

みたいなことを1ヶ月ぐらい前に紹介した。

この人のやり方というのが

「そこそこの声優さんと仲良くなって、宣伝してもらう」

という方法であることがわかってきた。

はてなというテキスト畑に入ればわかると思うけど…テキストというのは、オタク文化ヒエラルキーが一番低いわけ。

それはシナリオライターとて例外ではないのですよ。

そこで、「ヒエラルキーの高い人に宣伝してもらえるような恩を売ったり、交友関係を構築する」ことで、うまーく声優さんに食い込んだわけです。

この方法のいいところは、「自分が出演してない作品でさえ知り合いだからゲスト出演したり、宣伝してくれる」というところ。

声優さんアカウントというのは特殊

大手ではないので、)そこまでバズったりしないし、フォロワーも言うほど多くない。

ただ、「有名な人と知り合い」なことで仕事獲得の取っ掛かりにしやすい。

何よりも「その声優さんファンすぎて、どんなものでも声優さんが勧めたものはなんでも手に取る」というファンが一人ぐらいはいる。(演者として認知されてるレベルの人なら、盲目的な人が一人ぐらいはいる)

そのため、ここについて言えば

「これ本人の営業力みたいに言うてるけど、声優さんパワーだ」

と正直思った。

そして、ノウハウを売ることに対する眉唾ポイント

「そのライターさんが女性から、やりやすい(男でも私的な付き合いまで行くことはできなくないが、人やクラスタによってはハードルが上がって誰でもできることじゃない)」

声優さんは売れてるというよりもむしろ私的な付き合いで、そのシナリオライターについてつぶやいているが、事情を知らない人は業界のすごい人と錯覚する」

というところ。

雰囲気仕事を回して、「関わった作品ほぼ赤字」という話になってるから

雰囲気を作ることを営業力というのは、ちょっとどうなんだ?」

と正直思ってる。

この人について知ってから、音声界隈のXにありがちな

「いいもの作品についてちゃんと紹介してるわけじゃなくて、自分営業活動いか相手無自覚に快くやってもらうか」

という腹のさぐりあいみたいにみえて、なんだか疲れてしまった。

声優さんの中でも、ビジネス感覚のある人はことごとく自分サークル作って、それでうまく行ってる。

そして、Xでの腹のさぐりあい(告知のためのRTや、仲間内ネタ)ではなく、自分作品YouTubeなどの話がメインになってる。(声優同士でキャッキャするにもコラボ動画の中でやってて、Xではそんなにしてない)

ここは好き嫌い可能性もあるけど…

「腹のさぐりあいに長けた人が営業力がある」

というのは…なんか違うと思う。

いや、営業力はあるのかもしれない。

ただ…「関わった作品ほぼ赤字」となると、それ営業力問題なのかな?

どんな製品も、制作間内で回収できてないと、次の製品が作られるまでに伸びてしまう。

これはどんなものを作るにしても「期間内黒字にしないと持ち出せる資金力次第では、活動停止になる」「そういう状態では、その時点でプロだとしても、どんなに声優さん宣伝しても、リピートできない」という理解はあるのだろうか?

いや、自覚があるから例の増田魚拓しかないのか。

痛いところ突いたから、増田でも置いておけない記事なっちゃったんだろうなぁ…。

歌舞伎の末摘花

歌舞伎演目に末摘花がある。

この末摘花は顔は醜いが賢くて心が美しい、盲目受領宮家の姫なのに身分の低い受領に別け隔てなく接してくれ、賢く心の美しい末摘花に惚れてプロポーズするが、末摘花は源氏を待つ為に断る。

その後源氏から引き取って世話すると手紙を送られたのに、花散里宛を間違えたと言われ、その後会いに来たけど花散里の所に行くついで等々、度重なる仕打ちを受けた末摘花は、受領の元へ行く決意をする。

歌舞伎結構キャラ崩壊をしている。

原作のようにどこまでも愚かで醜く一途な末摘花のままで幸せにしてやれなかったのか。

賢くキャラを盛っても、かなり身分差がある盲目男じゃないと無理だろって男目線リアルな改変を感じる。

2024-09-14

ソープに行け

かくいう自分ソープ童貞を捨てた。

なので、非モテを叩くつもりなんかないので、冷静に聞いてほしい。

ソープに行け」これはセックスがしたいならば、ソープに行けと言う意味ではない。

SEX別に特別ものじゃないと気づけということだ。

ソープ童貞を捨てたのは、26歳の頃だった。それまではというと、オナニーで十分だった。風俗を知らずに二十代後半まで過ごした。

童貞を捨てたのは、知人が自殺して、葬式に出るために地方都市に出かけた時のことだ。なんとなく、このタイミング経験しとこうと思った。その年は、2人も知人が死んだ。

オナニーで十分と書いたとおり、それほどこだわりはなかったのだけど、人間はい死ぬかわからないものだし、高いもんじゃいか経験しておくかという軽い気持ちだった。

感想はと言うと、気持ちよかったが感動は別になかった。

それからしばらくあと、片思いして破れた。

今思えば、思わせぶりな態度に舞い上がっただけだ。

SEXを知るまでは、SEXをなんか意識したことなかったのに、たいしたもんじゃないSEXさえできなかったということが、すごく惨めに思えた。

そこで、立ち直るために使ったのも風俗だった。SEXドラマなんかない。金で買えるサービスってことを再認識するために風俗にいった。それから、嫌なことがあると、風俗にいくようになった。

大金持ちの遊びだって、結局は高い酒と女に行き着く。底辺でも大金持ちでも変わらない。いくら美味い酒って言っても、100倍の値段で満足度が100倍になるわけじゃない。

みんなが羨む場所で、みんなが羨む酒を飲むことが楽しいだけでだ。

コンビニつまみと缶ビールで満足できないのは、ビールの質のせいじゃなく、心の問題しかない。目の前のビール感謝すれば、四畳半和室で飲むビールだって美味いのだ。幸せになれるかどうかは、何を食べる、何をするじゃなく、幸せを感じる自分問題

酒だとわかりにくいかもしれない。講釈を垂れる俺が六本木銀座で飲んだことがないので酸っぱい葡萄みたいだし。例えを変えよう。

グリコパピコは、氷菓なのに驚くほど食感滑らかで、チョココーヒーフレーバー絶妙設計されつくした味だと思う。一方で、スターバックスコーヒーフラペチーノパピコと4倍くらいの価格差があるが、氷は粗く、生クリームヌルヌルと氷のジャリジャリが喧嘩してる。でも、人々はスターバックスコーヒーフラペチーノを求める。

考えをかえれば、パピコで満足できるということ。SEXSEXしかない。

金で買ったSEXも金のやり取りがないSEXも、美人とのSEXも不美人とのSEXも、気持ちよさとは関係ない。好きな人と心を通わせることが人生の喜びでその証がSEX、と思っていたら、そんな考えは捨てていい。

存在しないものに憧れて盲目になってるから、道端に咲く花もコンビニパピコ自分を想ってくれる異性も目に入らないんだ。

童貞を捨ててから17年、ソープデリヘル出会い系、あれからいろんなところで女を買った。金で買う関係初体験だったけど、ひょんなことで普通彼女を作れたし、なぜか

既婚女性関係を結んだ時期もある。結婚もした。

何人の女性SEXして、通算何回SEXしたのか、今となっては覚えていない。

記憶に残るSEXは、数えるほどしかない。しかも、美人とのSEXでも好きな人とのSEXでもない。

SEXなんかそんなもんでしかない。嘘だと思うなら、ソープに行ってくるといい。好きな相手じゃなくても勃起できて、射精できるはずだ。それて、感動は別にない。

愛というのは、過程なのだと思う。愛してるからこれこれする、プレゼントをする、優しい言葉をかける、労わる、デートに誘う、SEXする、結婚するというのは虚構

相手優しい言葉をかけた、助けた、愚痴を聞いてあげた、そういう行為を後から振り返って、名前をつけた時に愛と呼ぶだけだ。愛してるから行動するということだと、先に愛がないといけないし、愛が生まれるためには相手に先になにかを与えて貰わなければならない。エサを待つ雛みたいにしてるうちは、愛なんて与えてもらえないし、そもそも愛なんて虚構

恋愛をして結婚しても離婚するとき離婚するし、好きでもない相手結婚しても一生添い遂げること大半。愛は動機じゃなくて、与えるものであり、行動の過程未来から過去に振り返って名づけるもの。行動しているときに愛はない。

なので、他人に優しくすることに理由なんかいらないのと同じように、デートに誘うことに恋愛感情なんかいらない。匂いに誘われてラーメン屋に入るように、一緒にいたかったらデートに誘う。そのくらい気楽に行動するといいと思う。そういう雰囲気になればSEXすることもある。

話は逸れるが、他人に優しくすることに理由は要らないと言ったものの、いい人戦略はやめなさい。いつか自分の良さがわかってもらえる的な話はドラマのなかだけだから。人として、親切であれというだけの話。いいなと思ったらデートに誘うこと。

気負わず生きてれば、いつか女性とそういうことになるから

そういうわけで、ソープに行け。

SEXへの幻想は捨てろ。

追記

高齢童貞には、なんでもいいか経験しろと書いたものの、高齢処女適当に捨てるのはやめたほうがいいと思う。

こんなことをいうと叩かれるけど、最初関係を結ぶまでは女性からぐいぐい来ることはないけど、2度目から女性のほうが積極的だ。女性は好きな相手SEXするのではなく、SEXした相手を好きになる仕組みがあるらしい。処女だってセカンドバージンだってあっという間にSEXの虜になった。恋愛経験がないままのめり込むと、ろくでもない男に惚れ込む可能性がある。

かと言って高望しろとも言えないし。難しい。

追記2

どうしても、付き合った先のSEXに拘るなら、マッチングアプリとかでもいいんじゃないかな。

彼女は俺を好いてくれたのか?俺の収入をみて結婚相手として狙われただけなのか?みたいなことを悩んで二の足を踏むのだろうけど、自意識問題しかないよ。

既婚女性と一回、同性と一回、付き合った経験がある。いうまでもなく、結婚可能性はゼロで、その2回は最初からバッドエンドしかないことがわかりきってた。

もしも、「俺の収入社会的地位学歴じゃなく、ありのままの俺自身を愛してほしい」と願うなら、既婚女性や同性と付き合うといい。苦しいだけだよ。

相手自分のどこに惹かれてるかを気にするのは不毛だよ。

相手より、自分気持ちと向き合うことが大事

2024-09-12

他人は大体気持ち悪い

価値観のズレが気持ち悪いんだから他人はだいたい気持ち悪くなる。

価値観が同じと言っていいほど似通った人の方が珍しい。

ただ価値観のズレを許容できる範囲は人ぞれぞれ幅に差があるし、当事者同士の関係性にも左右される。

「恋は盲目」じゃないが、元々好意的に見ていた人に対しては自分価値観とズレた行動や言動もある程度許容してしまう事、割と多いと思う。

逆に言えば元々嫌いな人、自分よりも下に見ている人に対しては許容範囲が狭くなりがちだ。

個々人の価値観に基づく許容範囲関係性、社会的評価に左右されやすい以上、気持ち悪さを表現規制など個人の行動を制限する基準に用いるのは無理があるんじゃないかと思う。

繰り返しになるが他人は大体気持ち悪い。

大の犬嫌いにとって犬の散歩してる人は気持ち悪いし、死ぬほど肉が嫌いな人にとって焼き肉広告ステーキ食ってる人を見せられるのは苦痛だ。

自分問題ない、心地よいとさえ思う表現でもそれを気持ち悪いと感じる人は必ずいる。

もちろん配慮はあった方がいいだろう。

だが配慮強要すべきとは思わない。

配慮強要はあからさまな人権侵害からだ。

2024-09-09

anond:20240909124505

最近言われてる杜撰痴漢冤罪事件って時系列でいうとTwitter痴漢冤罪逃げられない危険だって大炎上したあとに起きてんだよね

その前の痴漢冤罪サンプルは映画モデルになったケースくらいで、一つは犯人再犯して捕まってたり、15年も前のことで真実がわからなかったりと結局はっきりしなかった

ネット論調不道徳になることでむしろ現場人間がより盲目に、感情的になって冤罪が起きてるから、今のAED議論も何か男性不利益が起こってると思う、何が起きてるかまでは予想できないけど

2024-09-03

IT業界は辞めてもマクロとかの知識が残るからどこでも潰しが聞くよ」が大嘘だったことが判明した

まず、事務職に中途で入るのが無理。

事務職という世界はこの世界において最も過酷レッドオーシャン総合力が求められるから、半端なトガリ評価するようなIT業界人間が食い込むスキはない。

営業とかで入ってもマクロ時間短縮できるのは全体の1割り程度。

そして営業職の仕事の大部分は飛び込み的な部分と新規開拓だけど、IT業界営業は既に完成されたあとの下請けリーだったり、ランサーズを利用したばら撒きだったりなので、他の業界における営業技術が違いすぎて役に立たない。

最もヤバイのが飛び込み系の営業で、IT業界にいたような変に頭でっかち人間はここが全く駄目なので営業採用におけるブラックリストみたいになってる会社もある。

そして肉体労働IT系の最も苦手とする所。

筋トレブームだなんだでイキった所で、基準が学年最下位もやしっ子の中ではマシな方かどうかという状態では一般社会肉体労働では下の下。

学生時代運動経験の少なさからマッスルメモリーが足りておらず、鍛えても鍛えても全然強くなれず、同期で入った「学生時代運動バリバリだったけどサボっててめっちゃ筋肉落ちた」って人がメモリーでムキムキ育っていくのと比較されて「コイツ成長率も低いのかよ~~~」という扱いに。

最も適正がないのが公務員

ルールが厳密だし、そもそも組織ITオンチすぎるのでイライラすること請け合い

そしてITを全く活用しない仕事の仕方についていけずに「コイツこの年までなにやってたの?」みたいな状態に。

片目の国では両目開きは王になれるかもだが、盲目の国では耳も肌も軟弱すぎてコミュニケーション不能障害者扱いになる感じ。

ぶっちゃけいける場所は、タクシー運送塾講師ライターのような経歴もクソも関係ない残業耐性理不尽耐性だけが重要業界のみ。

理不尽耐性が低いかIT業界から零れ落ちた人達の行き先はありません。

人生、詰みです。

2024-09-02

4年ぶりにイラストを描いた

学生時代から4年前までは毎日1枚描くとか即売会に出てたりしてたんだけど、PCゲーム始めたらあっという間に絵を描く時間エイ練習時間に変換された。

ゲームジャンルあるあるゲーム中は絵が描けない、両立が難しい、ゲーム本家が楽しすぎる。

Xも鍵つけてゲーム技術向上に勤しんでたんだけど、そろそろ自分みたいな凡人の限界かなと感じる境地までは至れた。

配信中のプロゲーマーやVと味方になったり敵になったりできたのはい経験だった。配信コメントで私を褒めてくれた人もありがとう


ゲームクリアした感があって(まだやるけど)心に余裕ができて、そしたら久々に絵が描きたくなった。

オタクから足を洗ったわけではないのでゲームを中心にしながら漫画は手広く読んでた。

色んな作品に触れる中で「うわ~~いいな~~イイ!!」って気持ちが沸き上がることや、頭の中が情景でいっぱいになるってことはたくさんあったけど、出力するだけの気力がゲームに取られてた。

この4年間は完全にインプット(見る専)だけで、イラストソフト更新やらで技術的なことは相当遅れてる。

流行の絵柄や塗りも分からない。見る専になると完全受け身になるから意識しないんだよね。

まあ描くだけ描くかと思って埃だらけになってた液タブを拭いて電源をいれた。

4年分下手になっただろうな、自分がっかりするんだろうなと思いながら、とりあえず今好きな作品イラストを描いた。


自分の絵、最高すぎる。


描いてる最中って絵に盲目になってるから、しばらくしたら正気に戻るかもしれないけど。

こんなすごいの出力できるのになんで4年も封印していたんだ?

から自画自賛しながら描くタイプだったけどこんなに上手かった?って思って4年前の絵と見比べたけど明らかに今の方が上手い。

上手いというか、自分理想の90%くらいを出力できてる。変な癖が抜けたのか。エイムみたいな話だ。まあ元から線画はほぼエイム力だけど。

粗も見えてて、顔と髪に全力すぎて身体構造が貧弱。体に興味がなさすぎる。

今になってもまだ成長できるところがあるってことだし、目標を見つけられたのはいいことだ。

勢いで投稿用のXアカウントも作った。

フォロワー0。気分は新しいゲームを買った時のわくわく感に近い。

やっぱり、自分の思ってることを形にするのってすごくいい。

頭の中でぐるぐるに煮詰まってたものが整理される。

やっぱり考えてることは定期的に出力しておかないと頭の回転が落ちる気がする。

「これが好きだ」って気持ちを難なく出力できるくらいには戻して、さらにもう一段階レベルを引き上げたいな。

対戦ゲーム他人と比べられてランク付けされるから、それがストレスでもあり刺激でもあり、上に立つ達成感がある。

絵は自分自分を褒めていくだけのすごい趣味だ。好きなもの以外描かないし。だから体が貧弱な絵ばっかりなんだけどさ…。

これから更に上手くなる見込みしかない。

楽しみ。

2024-08-31

私が追ってきた兼業漫画家ピエール手塚さん

ピエール手塚さんとは

会社員をしながら連載をしている兼業漫画家

現在少年画報社漫画雑誌ヤングキングで、ひとでなしのエチカという漫画を連載している


作風

モラル利害関係対立する人物口喧嘩し合う。

基本的にそれだけだ。少なくとも私にとっては。スパイスとして暴力巨乳が少し。

絵としての画面構成アクション推してる感じではない。

絵よりも話の運び方を重んじている作風私自身は感じる。

ではその話の内容とは?


彼の作品ファンになる

私にとって彼の漫画の魅力のほとんどは、

普段から気になっていたが議論したことはない、そういう議題をかなりの頻度で提示してくれることだ

議題に興味が持てて娯楽性が高いと思えばいいねを押します。

議題に興味が持てても説教臭いと思えばいいねを押しません。

議題に興味が持てなけれければ読書を中断します。

私はファンだが盲目的ではない

キャラピエール手塚さんの普段思っていることを代弁しているだけに思う。

よってキャラ立ちや物語の大きな流れやその場その場の演出特に優れているとは思わない。

彼の優れている点は議題のチョイスそのものにある。

からと言って社会的に答えの出ない問題に対して、彼の漫画完璧な答えを出してくれるわけではないが、

キャラクター同士の口喧嘩を通して各々の視野垣間見せてくれる

その視野自分の知らないものが多くて好き

ピエール手塚さんはネット上にたくさんの作品無料公開しており、私は読めるものは全て読んだ

彼の全ての作品を好きになったわけではないが、多くの作品ファンになった

特に暴力存在テーマにしつつも笑わせてくれる暴力太郎という作品が大好き

好きと愛してるの違いをテーマにした恋のニノウチも最高。恋のニノウチは彼の作品には珍しくアクション作画も楽しかった!


自身ファンになる

私はTwitterに流れて来た読み切り漫画で彼を知った

その作品がなんだったのかはもう覚えていない

面白かったことは覚えている

公開されている無料漫画、連載されている有料漫画漫画皇国という彼のブログ人生思考囲いというネットラジオ

この辺りを中心に彼を追いかけた

彼の関わっているコンテンツで一番好きなのはネットラジオ人生思考囲い

なんと漫画が一番ではない!

私にとって刺激的でエキサイティングなのは彼の問題提起力と視野の広さに触れること。

ラジオ漫画よりもその力を発揮する

連載作品説教臭くて読むのをやめてしまったが(ほんとごめん。悲劇だ。でも合わないものは合わない)彼の考えに触れることが大好きだ。

ラジオを通してたまに彼の人生に触れることができる

裕福ではなかった子供時代

会社員になった後も兄弟のために仕送りをする

漫画が好きで描こうとしたが若い頃は一作品も描きあげることができなかった

30代中盤にして初めて作品を描き上げ、同人活動開始。

スカウトを受け多くの読み切り掲載し連載を勝ち取り現在に至る…

私は彼の人生を美しいと思った!とても強く!!

逆境に負けず、社会人として自立し、家族を助けつつ自分の好きな漫画を連載する!

本当に憧れたし尊敬した

彼のように強く美しく生きたいと思った

彼の読み切り漫画が好きだし彼のトークが好きだし彼の生き方が好きだ

こうして私は彼の作品ファンから自身ファンになった


ピエール手塚さんとネット批判

私がピエール手塚さんをネットで耳にするとき、大抵は作品ではなく彼自身ライフスタイル話題になっている。

通勤退勤電車iPad漫画制作友達カラオケしながらiPad漫画制作会社役員昇進、少し前は連載も2本で読み切りもちょくちょく載せていた。

凄まじい生産力。

どうすれば彼みたいになれるのか?ヒントはないかネットラジオを聞いただけでは全てはわからない

そしてついに直接的なインタビューが行われ、記事掲載された。

これをきっかけに彼の元には少なくない批判が寄せられたことがネットラジオで彼自身から語られた

ラジオにおけるピエール手塚さんの反論と、私自身がネットで探した彼に対する批判を要約すると以下。

批判者「彼のパフォーマンスは彼が体力があるから可能なのだ管理能力云々はその次。しかも本当に体力があるかも疑問。健康犠牲にした愚かなスタイルなのでは?(以下人格攻撃するものも少数ながらいた)」

ピエールさん「私は善意インタビューに応じたのだし、仮に不健康だったとして私の勝手である。だが健康診断は良好だ。あなた方の批判は主に口調が失礼だ。」

この時の収録でピエール手塚さんはかなり感情的になっていたが言っていることはまともだと思った。

だが共演者に噛み付いたのはハッスルしすぎと思った。

普段ピエール手塚は冷静で多角的視野をくれる人物だ。

彼は一時的に不調に陥っているのかもしれない。

……

でもこのインタビュー記事批判だけでここまで怒るだろうか?

人格批判不快だろうけど、普段冷静で多角的視野を持つ彼がここまで怒っていることを私はとても不思議に思った

こういうふうに捉えられる記事内容だったかもねと軽くあしらうのが、私が思うピエール手塚

まりピエール手塚に対する私の認識不正なのだろう。

ネットラジオは毎週放送されている。

答えを求めて私はネットラジオ過去放送を再聴取した。

一方ピエール手塚さんはラジオパーソナリティから自ら降りてしまった!!


かなり前から怒っていたことが判明

ラジオ脱退が2024年8月30日

インタビュー記事掲載2024年8月8日

私は8月8日インタビュー記事批判を皮切りに彼が怒っていたのだろうと思っていたがそうではないようだ

これを裏付けトーク2024年7月19日ラジオ第371回で行われていた

ファンから投稿を読み上げ、それに対しピエールさん含む三人のパーソナリティが話を展開するのがこのラジオの基本形式

この回の私の注目した投稿の内容を要約すると

ピエール手塚さんは2024年初頭から元気がないようである。加えてここしばらく自身ブログに対する批判に怒っており、このネットラジオでその怒りを発散するのはやめてほしい」

この指摘を受けたパーソナリティたちは、自分たちの身に降りかかった出来事を振り返って笑っていた。

身に降りかかった、という表現をしていたので良いことではないのだろう

彼らは投稿者の洞察に驚きつつ笑っていた。大筋で疲弊していたことを認めていた

7月19日の時点で彼はすでにブログ上で批判を受けていたようだ。インタビュー8月8日なのに。

加えて異常な繁忙期だったとも言っていた。

まりインタビュー記事以前に、忙しく弱っており泣きっつらに蜂でブログ批判に晒されていたということか。

では、インタビュー記事関係ないこの批判とは一体。

答えを求めて私はブログ過去記事査読した


私はあまりブログを読んでいなかったことが判明

結論としてどれが批判されてるのかよくわからなかった

2024年の傾向としては会社員としての気づきに関する記事が多かったので、繁忙期だというのは間違いないと思う

ブログへの批判こちからは見えないダイレクトメールなどで行われていたのかもしれない

加えてブログの定期更新が中止されていることもわかった

これは時期から見てインタビュー記事の影響かも

さらに中止の発表から新規で2件の映画漫画に対する普通感想記事投稿されていることもわかった

????????

定期更新ではない臨時更新だろうか

それまで会社員としての記事が多い中娯楽に関する感想記事に内容が移っている

うーん

元気なのか弱っているのかよくわからない


ピエール手塚さんの状況の結論

ピエール手塚さんのことがよくわからなくなった

直接会ったことが一度もないのだから当然なのだ

推理ゲームで彼の心の機微に触れようとした私の行動はそもそも良くないですね

客観的に確かなことは

インタビュー関係なく彼は仕事疲弊していた

インタビュー関係なくブログ批判に晒されさら疲弊していた

インタビューさらなる批判に晒されさらさらに弱っていた

ラジオ収録で激務についてのトピックが出て爆発した

の4点

爆発するのも自然に思えます

私は①②を認識してなかったオタンナスだったようだ

爆発も自発的にしたわけではなく投稿者のメッセージきっかけだった

この回のテーマ過酷作画環境の美化とされていた

メッセージ自体ピエールさんを傷つける内容ではなかったが弱った体には少々厳しいトピックだったかもしれない

ブログを読むに彼は会社過酷労働環境改善したいと普段から努力している側だが

しか自分生活過酷であり、さらにその点が世間から評価されインタビューまで受けているのだ

すごく矛盾している生活だし、単純に体力的にきついのだ

その生活を生き抜く工夫はもはや工夫ではなく彼の作品だと私は思う

それを善意で公開して批判されたら傷つくのは自然ことなのかも

だが批判者の視点理解できるんだよなー…

その手法賞賛される社会に単純になって欲しくないと私は思う。

ピエールさんは個人の頑張りとして話しているのだから強制なんてしてないけど

その方向に舵を切っているように記事内容を捉えてしま

褒めるな止めろということだが、そんなことしたから本人は鬱陶しがってるわけだ

ラジオ共演者たちも彼の疲弊には気づけていても、彼の怒りには気づいていなかったのだと思う

メッセージを選ぶ立場パーソナリティは爆発回のアーカイブでこう言っていた

手塚さんがこんなに傷ついているなんて知らなかった」

身近にいても気づけないのはピエール手塚さんが自分の不機嫌をある程度隠せる我慢強さを持っていたからだろう

私もラジオを聞き返してここまで真剣に怒っているとは最後の爆発回まで気づけなかった

かば定番ネタのように扱って良いものとさえ思っていた

他の過去回を遡ると、忙しすぎてやばいので会社をさっさと辞めろと言われている回もある

これは半分冗談のように聞こえたが半分本気で心配していることでもある

批判から見ても共演者から見ても無理のある生活を続けているように見えるのだろう

私も無理だろうなと思う

健康診断が大丈夫なら肉体は大丈夫なんだろうが、精神面での無理が爆発を招いたのだろうか


観測するもの観測される。私側の状況の結論

以上の結論

ピエール手塚さんのように強くなれない脆弱な私が、ピエール手塚さんの強さを封じ込めようとした呪いだと思う

その側面は間違いなくある!

ファンを自認している私ですらこれだ!

認めたくない汚い部分!

認めたくはないが、彼のスタイルがもしスタンダードになった場合、私は間違いなく社会から落第する体力しかない…

そして私のような人が多数いたから彼は批判されたのだろう

彼は強く私は弱い

しか弱者の方が数が多かった

から彼は批判されたのだ

出る杭は打たれる

私と批判者の間にある違いは、杭を打つ力を心配と呼ぶか批判と呼ぶかだけだ

彼は強さの秘訣弱者に開示しようと努めてインタビューに応じてくれたのだろう

でも弱者のいる後ろを振り返らずに高いところまで走って逃げるべきかも

その力も強さも持ち合わせているように思う


私はピエール手塚さんみたいになりたい

でもきっとなれないと自分でわかってる

その弱い自分自覚的になりつつ、強い人へのやっかみをしないようにしたい

それをもって自分の強さとするのが、弱者の慰めなのだ

能力のないもの最後に頼るのはいだって道徳

かっこわる

おわり

なぜあなた方は人と関わることについて無頓着不勉強でいられるのかという、一番の疑念はそこなのである

なぜコーチングを学ばずに人を指導しようと思うのか。

なぜ対人術を学ばずに人を呼ぼうとするのか。

さんざん言及され尽くしている悪手を堂々と打ってくる人々を見るにつけ、残念でならないのである

そんなことをいまさら勉強する必要はない、なぜならこれまでこうして生きてこれたのだから、これからもそうやって生きていけると、そういうことなのだろうか。

日々の生存バイアスによって培われた傲慢さが人を盲目にさせるのだろうか。

2024-08-30

anond:20240830052405

正義』とされているもの盲目的にあり処にしてる人間ほど操りやすい。オウムもそんな感じだったか

2024-08-27

anond:20240827114110

盲目的に外国への憧れを絡めてきた時点でもうダメ

醜くくってみっともなくって見ちゃあいられない

2024-08-25

anond:20240825155054

ブログの「にわか」も、誰も聞いていないのに「俺は中卒だけど」「大学大先生なのに」みたいなこと書いてたね。北村権威主義的なんじゃなく、にわかやお前が学歴コンプレックス持ってるだけでしょ。

権威主義ってのは権威盲目的に信仰することであって、先行研究をしっかり調査するのは学問常識だよね。それをいちいち権威主義だとか言われてもな。

北村も言ってるけど、先行研究ではこう言ってるけど俺はこう思う、って単に独自見解を述べるだけなら良かったんじゃない?でも「北村はめちゃくちゃ言っている嘘つきだ」とまで攻撃するからには、最低限先行研究事実関係は調べなきゃいけないよね

2024-08-24

推しと繋がった者の末路

もし推しと繋がったら…一度も考えたことのない人は少ないんじゃ無いだろうか

もう数年前の話だけど、もし推しと繋がったらどうなるのか、行き着く先は天国なのか はたまた地獄なのか。

墓場まで持って行こうかと思ったが、誰かに聞いて欲しいと思ったので当時の全てを書いてみようと思う。

フェイクやぼかした部分も少しあります

アーティストとそのファンという関係の始まりは、数年前。私が高校1年生の頃

その界隈にいる人しか知らないような、世間誰も知らないグループファンになった。

当時でSNSフォロワーは4~6000人程度だったと思う(メンバーによって多少の差はある)

私はそのグループの1,2番人気のメンバーを好きになった。

初日から認知されている、他のメンバーにもその次の月には全員に認知されている

これだけでどの程度の規模なのか、お分かりいただけるかと思う。

当時の私はとにかく会いたくて、沢山会いたくて勉強を疎かにしつつバイトに勤しんだ。

サイン会撮影会などのインストアイベントライブを含め月に2~5回は顔を出していたと思う。

これまでジャニーズしか知らなかった私にとって、この小さな世界は夢のような世界だった。

推しが私の顔を知っている 名前も知っている ステージから目が合う

双眼鏡を使わなくても青ひげまで見えるような距離

反対に、目をつけられやすくもあった。このグループはコンセプト柄、中高年層のファンが多かった。

当時高校1年生の私は、異端中の異端であったのだ。数年経っても、私が最年少という状態が続くほどに、年齢層の高いファンが集まっていた。

ライブ会場で悪口を言われる、掲示板であることないことを書かれる。こんなことは日常茶飯事であった。

それでも、私は世界で1番何よりも推しが好きだった。

月日は流れ高校3年生の夏、私は進路を決める時期が来た。

母子家庭だった上、下に2人のきょうだいがいる私に進学の選択肢は無かった。

もっとライブに、推し会いたかった私は迷うことな上京を決めた。

割愛するが、当時東京に推しと同業の彼氏がいた。その後分かったのだが、彼氏は私の推しの後輩であった。

母親とも折り合いが悪かったため、地元に住み続ける選択肢が無かった私は、卒業式の2日後には当時の彼氏が住んでいた東京アパートへ転がり込んだ。

少しして、彼氏が私の推し自分の先輩であることを知るやいなや、もう絶対ライブには行くなと釘を刺されてしまった

当時の彼氏からすれば、自分の先輩のファンである私にライブには行かないでくれというのは至極真っ当な願いだったと思う。

東京に身よりのない私は、彼氏の言うことを飲んだ。

共依存の始まりだったと思う。

少しして私の母程の築年数 、六畳一間のボロボロアパートに住み始めた。

1年以上ライブに行かない日々が続いた。推しという拠り所を無くした私はどんどん彼氏依存した。

モラハラDV浮気を繰り返す最低な男に縋るしか無かった。

しかし、この日々は、警察の介入によって終わりを告げた。

いつものように殴り合い怒鳴り合いの喧嘩をしていたある日、彼が玄関のドア・手に取れる電子機器家電全てを破壊した。

この瞬間、洗脳から覚めたような感覚に陥った

私は被害者なのだ。そう自覚した私は震える手で警察電話をした。

現場検証被害届の提出を終え、警察彼氏の帰りを待つために張り込んだ。当たり前のように朝帰りをした彼氏が、警察に連れていかれる様をただただ眺めることしか出来なかった。

しばらくの拘留の末、彼は数日から数週間で拘留を解かれたらしい。当時の私はまだ19歳。未成年のため、示談のやり取りは親が行った。

なので、彼が捕まった日以降のことは詳しくは分からない。何の罪で拘留されたのかもよく分かっていない

一度彼の父親が見舞金を持って謝りに来たことを覚えている。

家や家電の修理費の負担と、接近禁止命令が言い渡され、彼と別れ晴れて独り身となった

彼と別れた私は、久しぶりにライブチケットを取った。1年の空白期間社会人になって初めてのライブだったこともあり一層推しが好きになっていたし、ライブが楽しくて仕方がなかった。

高校生の頃とは違い、昼と夜を掛け持ちしていた私はお金に余裕があった。遠征もたくさん出来たし、推しにかけられる時間お金が増えた私は幸せ絶頂であった。

その後、ツアーが発表された。そのグッズの中にガチャガチャがあり、写真やアクスタが景品となっている。特賞は推しと生電話だった。意味が分からなかった。推しと、生電話…?

私は、決して推しと生電話がしたかった訳ではない。アクスタやタオルのグッズが欲しく2回回した。

緑色の玉、その次に金色の玉 金玉が出た。

推しと生電話をする権利を得たのだ。

奇しくもその日は私の誕生日であった。

数日後、メールが届いた。

"生電話のため、電話番号と都合の良い時間を選んで記入し返信してください。

後日、指定した時間に、指定メンバーから非通知にて電話がきます。"

この時、合法で教えた電話番号が幸せな夢と、地獄への入口となる。

季節を2つほど遡り、ライブにまた行き始めた私は、ライブ感想等はTwitterリプライに送っていた。

だが、社会人になり今までクソガキとしか思っていなかった私が、メキメキと存在感を表し始めたことが気に食わなかった推し被りのおばさんたちも多かったようだ。

まりにも叩かれ、誹謗中傷をされ怖くなった私は、誰にも見られないDMライブ感想や曲の感想を送っていた。一方通行DMがしばらく続いたある日、推しからの返事が届いたのだ。

一通の返事をきっかけに、ライブ感想以外の他愛もないやり取りを推しとするようになった。

好きな人からメールがきていないかサーバーに問い合わせを続けたあの頃のような日々が続いていた。

少なからず、他の推し被りへの優越感もあった。というより、ほぼ全ての感情優越感だったと思う。

「生電話が当たりました。最高の誕生日プレゼントです。お手数をおかけしますが、お話できることを楽しみにしています」そんな内容のDMを送った。

その返事はボイスメッセージだった。何やら楽しげに自分たちの曲をカラオケで歌う音声が入っていた。

「○○と飲んでる」

楽しい

「楽しそうですね」

あんまり飲み過ぎないように」

そんなやり取りをして、眠りについた。

早朝、仕事に行く準備をしていた私の元に電話がかかってきた。発信者は通知されている。生電話の予定も数日後。心当たりが無い。

恐る恐る電話を取った

もしもし

「…俺。今から行くから住所送って」

「は???

間違いなく推しの声だった。飲みすぎたのか、かすれてこそいたものの、大好きな推しの声だ。

頭の中をどう整理しても、今から推しが家に来るという話のように思う。

動悸と思考が止まらなかった。

嬉しい!でもこれってつまり繋がるってことでは???

繋がったあとは???ライブに行けなくなる????素知らぬ顔をして行けばいいか

そもそも断ったところで、プライド傷付けられた推しに干されて、ライブに行けなくなるくないか???ライブに行けなくなるのだけは無理

思考の末、選択肢は1つだった。推しと繋がったとしても、ワンナイトだとしても素知らぬ顔でライブに行く

その後のことはとりあえずどうでもよかった。なるようになれ

急いで会社電話した。

頭が痛いので今日はお休みさせていただきます

それから2時間ほどしてピンポンがなる

髪を少し整え、震えが止まらない手でドアノブを回した。推しが立っていた。

「懐かしい〜俺も最初はこんな六畳一間の家住んでた。たばこ吸ってもいい?」

はい、どうぞ」

私も喫煙者なので、灰皿はある。推したばこレギュラー。私のタバコメンソール

「○○さんと同じたばこにしようかな」

「一緒にする?(笑)

「それより俺疲れた。お風呂入れてきてくれない?」

「…はい

この後はお察しの通り。初めての夜 いや朝だった

初めて吸ったレギュラーたばこはとても苦かった。それでも、私は彼と同じたばこを吸いたかった。

後日、他のメンバー喫煙所にいた所を目撃されたことがある。イベントで、その時のことについて何(の銘柄たばこを)吸ってるの?と聞かれたが、あまりにもマイナーなそのたばこ名前を答えることは出来なかった。

その後も、長電話をしたり、他愛もない話をした。一度きりの関係で終わらなかった

「今度さ、埼玉公演来れるんだっけ?」

「その日予定あって、そこだけ行けないんです」

誕生日プレゼントがある」

「??調整します!」

無理に予定を切り上げ、譲ってもらった後方のチケットライブに行った。

終盤、大好きと言い続けていたもう滅多に聞けないレア曲と化した曲のイントロが流れた。あぁ誕生日プレゼントってこれか。

本当に幸せで口角の緩みが止まらなかった

私は浮かれていた。大好きな推しが、繋がりたくて通ってた訳ではなかったけれど、何かの間違いで手に届いてしまった。

これを知ってしまってはもう後戻りは出来なかった。こんな世界知らなければよかった。あの時電話に出なければ 生電話が当たっていなければ

私が叩かれていなければ…

その後も、お互いの都合がつけば月に1度同じホテル時間を過ごした。

ホテル代は私が持っていた。頑なに譲らなかった。

こんなにリスクがある私に会ってもらってるから、せめてホテル代だけは何がなんでも出させて下さいと言った。代わりに彼が奢ってくれたラーメンは、とても美味しかった。

色々な話をした。通っていなかった間のこと、あの曲の歌詞のこと。学生時代のこと…

ホテルでも、私たちファンアーティスト関係を崩せなかった

ファンアーティスト (たまにセックスする)

背徳感と優越感でどうにかなりそうだった。あの数ヶ月は、私がたとえ老婆になって認知症になったとしても、覚えてるだろうと思う。

彼はずいぶん歳上だが、可愛いところもあった。

風呂に入るために服を脱がせてもらっていた。下着が顕になった途端、手を止め彼が布団に潜り込む。

「それはダメだって、反則だわ。意外すぎ」

「え?なにが?○○さん、出てきてください。お風呂行きますよ」

布団をはがすと、嘘かと思うくらいにそそり立てたそれを隠す彼がいた。パンツちょっとセクシー意図せずバキバキになってしまったらしい。可愛い

↑これでハマらん女おらんだろ…まんまと彼の沼に落ちたのだ

また2つ季節が変わった。

掲示板を眺めていると、爆弾が投下された

晒しますファンに手を出すクソ男です」

この投稿に私は怒り狂った。

浮かれていた私は、他の遊び相手がいる可能性も、そもそも彼女がいる可能性も忘れて1人、恥ずかしいくらいに毎日浮かれていたからだ。

他の女がいる

これが可視化された途端、私は一気に地獄に叩き落とされた。

「私も繋がってました。ファンなので迷惑をかけたくなかったんですけど。晒すための写真とかも撮ってなくて弱いかもですけど。DMとか見てもらえれば繋がってたって分かると思います。」

怒りと、これまでに叩いてきた推し被りをぶちのめしてやろう。この一時の感情晒しに加担した。

とある書き込みで流れが変わった

「これさ、○○じゃね?(笑)

「うわ、確かに文章そっくり

「えーあいつ○○に手出してたのかよ」

「だからか、なんか色々合点がいった」

バレたのだ。匿名掲示板なのに、私であることが他のファンにバレた。

推しの繋がりも、ファンである資格も失われた瞬間だった。

その後のことは、口外を禁止されているため書けないが結論だけ伝えると出禁になった。

当初は、曲も、ライブも大好きだった。メンバー皆の人柄も大好きだった。嘘偽りなく、ただのファンの1人だった。

このグループが終わるまで、ファンで居続けたいだけだった。

一通のDMから電話から、欲をかいた結果最後まで彼らの勇姿を見届けることは叶わなかった。

自業自得 この一言に尽きる。

彼が誘わなければ。こんなことにはならなかった

私が叩かれていなければ、他の推し被りへの当てつけのために晒すようなことはしていなかった。

これも間違ってはいないが、彼と繋がり、晒す選択をしたのは紛れもない私だ。

やはり、推しと繋がった先は地獄だった。途中は甘い甘い夢を見せてもらったが、行き着く先は地獄

推しと繋がりたい そう思うファンはどのくらいいるのだろうか?

私のような失敗作をみてもなお、幸せな結末はそこに本当にあるのでしょうか?

推し推しても押し倒されるな

この言葉だけは覚えておいて欲しいです。

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8/26 気になるコメントがあったので追記しま

彼氏編はその行状に耐えといてからそんなあっさり正気になる?って思ったけど

コメントくださり、ありがとうございました。全ての出来事をかなりあっさり書いているので、そう思われるのも仕方ないかと思いますが、目が覚めたら早いのです。

ただ、目が覚めるまでにかなり時間がかかり、何もかも失ってから気付く人も多いのです。私は全てを失う前に、目が覚めるタイミングがあって良かったと思っています

モラハラDV不倫なんかもそうだと思いますが渦中にいる人間は、洗脳されているような状態に近いと思っています

私にはこの人しかいない。この人には私しかいない。この人は変わってくれる。彼をそうさせる自分が悪い。本気でそう思ってるわけです。

いくら友達家族がやめなさいと力説しようが聞く耳を持つどころか、敵判定をくだしたりします。それで縁が切れていく

友達家族立場として、心当たりのある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

私自身、お前のせいだ、お前が悪いと言われ続け、本気でそう思っていました。

私はただ、朝帰りはやめて欲しい。するなら連絡をして欲しい。浮気をしないでほしい。

そんな当たり前なことを言っただけでした。

今思うと、どの角度から見ても元カレ擁護出来る点はないのですが、当時の私は本気で私のせいで彼は殴るんだ。彼はきっと変わってくれる 今日こそ真っ直ぐ帰ってきてくれる そう思っていました。

なめられてたんですよね。年下で田舎からでてきた頭の弱い女としか思われていなかったわけです。

自分が殴られるくらいでは気付けませんでした。母親から暴力を受けていたので、麻痺していたんでしょうね

けれど、物を壊されて初めて気づいた。物に罪はなく、壊れる度に買い直すわけです。

え、誰が買い直すのこれ。私?いや私の物だけど。これやったのあいつなのに?おかしくない?

↑これでやっと目が覚めたわけです。実際に警察拘留されているのですから、彼が悪いんでしょうね。

渦中にいる者は、外野の声に耳を傾けません。盲目になっているから。いくら言っても無駄

身を持って体験しました。なぜ気付けなかったのか、気づくタイミングはいくらでもあったじゃないかと今となってやっと思うのです。

自分きっかけを掴めない限り、DVモラハラ不倫の沼からは抜け出せないと思います

けれど、きっかけさえあれば、そのきっかけを元に勇気をだして行動さえすれば、行政が手を貸してくれます家族が、手を貸してくれます

それまでにあなた無礼があったのであれば、誠心誠意謝罪をすることも必要です。それで離れた人が戻ってくるかは分かりませんが、それでも、どんな結果でも受け入れなければいけません。

それでも、あなたは誰かに理不尽に消費されていい存在では絶対にないです。諭す側にいる人たちもそうです。

理不尽あなたが消耗されるような人間からはすぐに距離を置いてください。

自分を大切にしてあげてください。

まとめ方が分からなくなってしまいましたが、目が覚めるまでに時間がかかるだけで、目が覚めてからは早いんです。沢山の人に迷惑をかけた自覚があります

沢山の人に心配をかけた自覚もあります警察の方も親身になって聞いて下さり、すぐに行動に移してくださったので本当に感謝しているし、運が良かったなと思います。心強かったです。

この増田を読んだ方の中にこういったことに心当たりがあり、悩んでいる方に届くといいなと思い追記しました。蛇足すみません…。

ウクライナ人Alex Kさんの思い出と、キリスト教の話

ゼロ年代インターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語ウィキペディアで、ウクライナに関する有益記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。

しかし、Alex Kさんウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナ歴史上の人物や、都市や、教会についての記事執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事修正しようとした。それが問題のはじまりだった。

話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由キリスト教布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自日本語聖書を作った。正教会宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめし文体日本語聖書を作った。カトリックプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。

正教会カトリック
主教司教
顕栄変容
生神女聖母
至聖三者三位一体
イイスス・ハリストスイエス・キリスト

これがいいかいかは、その人の価値観によるだろう。他の教会共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利日本人の正教徒しかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。

このようにキリスト教各派が使っている用語バラバラなので、日本語ウィキペディアでは、「各派の独自用語尊重する」というデファクトスタンダード確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自呼称である教皇」が採用された。カトリック教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。

ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。

  1. 日本語ウィキペディアでは、各派の用語尊重することになっている。正教会事物は、日本語ウィキペディアでは日本正教会用語に従って書かれるべきだ。
  2. 日本正教会があえて違う訳語を使っているのではない。歴史的経緯から各派がバラバラ訳語を使っているだけである日本正教会用語だけ特殊扱いするのはおかしい。
  3. キリスト教徒は日本において人口の1%程度しかいない。したがってキリスト教用語の多くは国語辞典に載っていないかキリスト教用語としての意味が書かれていないので、国語辞典基準にしてしまうとウィキペディアにおけるキリスト教関係記事の多くが成り立たない。実際に、Alex Kさんが参照している国語辞典の「変容」の項には「キリストの変容」という意味は書かれていない。国語辞典基準にするなら、まずAlex Kさんが推す「変容」からしてアウトではないか
  4. 仮に「一般通用しているか」を判断基準にするなら、ウクライナ固有名詞の多くはロシア語読みで書くべきということになるはずだ。Alex Kさんウクライナに関しては慣用表記ではなく当事者呼び方を優先すべきだと主張するのに、日本正教会に関しては当事者呼び方ではなく慣用表記を使うべきだというのはおかしい。
  5. Alex Kさんが振り回す辞典の「顕栄」の項には、「立身出世」のほかに「名があらわれ、身のさかえること」という語義も書かれている。キリストの「名があらわれ、身がさかえる」というのは教義的におかし表現とはいえないだろう。そもそも顕栄は漢語であり、「えある姿をす」と解釈できる言葉だ。Alex Kさん漢文を読めないのか?

このような反論Alex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ投票に参加しなかったにもかかわらず勝手記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさん日本語ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。

Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会ロシア正教会の一部なのである

それの何が問題なのだろうか。日本カトリック教会は、全世界信徒を統べるカトリック教会地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会ロシア正教会支部であって何か問題があるのか? カトリック正教会組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界組織ピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだコンスタンティノポリスの全地総主教あくまで同輩中の首席にすぎない)。

正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会ブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自組織存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的日本人信徒神品聖職者)で決めているが、教会トップモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会ロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジア独立教会がない。中国正教会ロシア正教会の傘下だし、韓国香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。

まりウクライナ民族主義であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会尊重せよ」というのは、「ロシア正教会尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会カトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリック差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたこからウクライナ民族主義の核になっている)。

しかAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会日本人によって運営されている教会、という点である。確かに教会設立ロシア人によるものだし、ある時期まではトップロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒自分たち教会組織運営するようになり、ここ半世紀は教会トップ日本人が務めている。しかも、日露戦争ロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話であるロシア正教会が気に食わないというウクライナ人気持ち理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。

ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人あいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロコロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会用語法を意図的無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会管轄である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイート公然としている。まあ、こういうツイートウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教精神双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。

そもそもウクライナ正教会日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒基本的日本正教会聖堂に通うべきだからだ。とはいえ移民移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワ許可必要なんだ?」と嘯いたそうだ)

さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教日本正教会自治権を認めておらず、韓国派遣したギリシャ人神品日本正教会トップに任命しているのだ。彼は韓国正教会トップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情理解できる。だがそこでも、日本正教会日本人運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人日本正教会トップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?

ロシアウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンプーチン盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人特にウクライナ正教会関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。

ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。

На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].

この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナル記述である

Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».

Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法モスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<

2024-08-18

盲目の人にSOUL'd OUT聴かせて、歌詞を言わせたらどんな歌詞が出てくるか気になる

2024-08-15

anond:20240814210640

気の毒すぎる…

エビデンス論文をなんて話は通じないんだろうな…

目を覚ましてくれることを切に祈る……

情報収集からそれを盲目的に信じてしまう間に何があったんだろうな。

反〇〇とかスピリチュアル系にハマる人の気持ちがさっぱりわからいから話をしてみたさがある。

家族環境学歴、読んできた本、影響を受けた人、、どんな背景でそうなってしまうんだろう。

その時の不安や心の隙間みたいなものを突かれているのはわかるが、同じ状況でもハマる人とそうじゃない人がいる。

遅く来た厨二病みたいなもんなんだろうか…?

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