はてなキーワード: 主教とは
ゼロ年代のインターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語版ウィキペディアで、ウクライナに関する有益な記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。
しかし、Alex Kさんはウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナの歴史上の人物や、都市や、教会についての記事を執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事を修正しようとした。それが問題のはじまりだった。
話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由にキリスト教を布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師を日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書が必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自の日本語版聖書を作った。正教会の宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめしい文体の日本語訳聖書を作った。カトリックやプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会の聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会の聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。
正教会 | カトリック |
---|---|
主教 | 司教 |
顕栄 | 変容 |
生神女 | 聖母 |
至聖三者 | 三位一体 |
イイスス・ハリストス | イエス・キリスト |
これがいいか悪いかは、その人の価値観によるだろう。他の教会と共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自の伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利は日本人の正教徒にしかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。
このようにキリスト教各派が使っている用語がバラバラなので、日本語版ウィキペディアでは、「各派の独自用語を尊重する」というデファクトスタンダードが確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自の呼称である「教皇」が採用された。カトリックの教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。
ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別は存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自の用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。
このような反論にAlex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ、投票に参加しなかったにもかかわらず勝手に記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさんは日本語版ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。
Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会の立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会はロシア正教会の一部なのである。
それの何が問題なのだろうか。日本のカトリック教会は、全世界の信徒を統べるカトリック教会の地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会がロシア正教会の支部であって何か問題があるのか? カトリックと正教会の組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界の組織がピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだ(コンスタンティノポリスの全地総主教はあくまで同輩中の首席にすぎない)。
正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会やブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自の組織が存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的に日本人の信徒や神品(聖職者)で決めているが、教会トップはモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省の統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会はロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジアに独立教会がない。中国正教会もロシア正教会の傘下だし、韓国や香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。
つまり、ウクライナ民族主義者であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会を尊重せよ」というのは、「ロシア正教会を尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会とカトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリックと差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会が存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたことから、ウクライナ民族主義の核になっている)。
しかしAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会は日本人によって運営されている教会だ、という点である。確かに教会の設立はロシア人によるものだし、ある時期まではトップがロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒は自分たちで教会組織を運営するようになり、ここ半世紀は教会のトップも日本人が務めている。しかも、日露戦争やロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話である。ロシア正教会が気に食わないというウクライナ人の気持ちは理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。
ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人のあいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロ・コロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会の用語法を意図的に無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会の管轄地である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイートを公然としている。まあ、こういうツイートでウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教の精神的双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。
(そもそも、ウクライナ正教会が日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒は基本的に日本正教会の聖堂に通うべきだからだ。とはいえ、移民が移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本に支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会が独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワの許可が必要なんだ?」と嘯いたそうだ)
さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本の総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教は日本正教会の自治権を認めておらず、韓国に派遣したギリシャ人の神品を日本の正教会のトップに任命しているのだ。彼は韓国の正教会のトップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情は理解できる。だがそこでも、日本正教会が日本人の運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人の神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人が日本の正教会のトップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?
ロシアのウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンとプーチンを盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教は腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本の教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人、特にウクライナ正教会の関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会の信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統は尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。
ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。
На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].
この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナルの記述である。
Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».
Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的な解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに「第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者の勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界の言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法はモスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<
https://anond.hatelabo.jp/20240505030127
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、この区別もできないガチのバカがいるのに驚愕したのでいちおう書いておく
この程度は分かっているよ馬鹿ッ、と言いたげな増田の多数派の智者には申し訳ない。 一番最初に書いておくが、この区別がつかない奴はさすがにバカすぎるので反省したほうがいいぞ。 まず最初に出てきたのがユダヤ教で、これは旧約聖書を聖典としています。 主役はノアの箱舟で有名なノア。 ノアが神様から十戒の石板として戒律を与えられ、それを元にユダヤ人を導き、約束の地エルサレムに到達するお話。 これは民族主教としての色合いが濃く、ユダヤ人以外はだいたいクズとして扱っています。 神様が愛したのは敬虔なノアとそれに繋がるユダヤ人だけ。 それ以外は異教徒なんで適当に地獄ぶち込みコースです。 基本的には、ノアが授かった戒律を重視する宗教なんですね。 アダムとイブから始まる「原罪」を人間は背負っているから、その罪の意識と共に戒律を守って生きましょう、という宗教。 当然、いろいろ制限が多い。 それに対するカウンターと
MK✝️ほんものだよ
@Mari21Sofi
LGBTがゲイセックスを低学年の子供に話すかどうかの議論の前に、片親家庭の子供の成長をもっと気にする必要があると思う。
以下宗教的な内容ですので、興味ない人は読まないで下さい。
「祈りは、最も平凡なものによって妨げられる。最も平凡で思いがけないこと。例えば、父親不在(妊娠することに成功しただけで、家族に残って育てなかった父親がいない中、非常に多くの人々が成長し、今も成長し続けるでしょう)。
あるいは、家庭内専制君主や暴力をふるう父親を持ったことによる魂の深い傷。
彼は彼女に答えた:「それはとても簡単なことです。私たちの父です!」
それに対して、女性は叫んだ:「それは絶対に嫌!それは絶対にいや!」
主教はこの反応に驚き、調べてみようと思った。その女性の父親は本当にひどい人だったのです。
母親を殴ったとか、浮気をしたとか、中絶を強要したとか、子供たちをパニックに陥れるような恐怖を与えたとか、そういう細かいことは置いておいて。細かいことはどうでもいいのです。ただ酷い人だった。
の女性にとって、神聖な「父親」という言葉が、恐ろしい連想と結びついてしまい、神が父親であることを想像できなくなったということです。
主教アンソニー自身は逆の経験をしています。彼の父親は賢くて思いやりのある人物で、息子の魂に深い足跡を残していた。
アントニーにとって、地上の父のイメージを天上の父のイメージに移すことは、何の問題もなかった。
しかし、この幸せは誰にでも与えられるものではないことがわかった。
だから、私たちは、自分にとって当たり前のことを、一般の人たちにとっても当たり前のことだと信じて、気楽に話してしまう。
そして、私たちは大変驚きながら、私たちにとって当たり前のことが、ある人にとっては疑問であり、ある人にとっては受け入れがたいことであることを知るのです。
もし父親が不適格であったり、取るに足らない存在であったりしたら、その子供はその後どのように祈ればいいのでしょうか。
地上の仮の父を見ることもできないのに、どうして天上に永遠の父がいると信じられるでしょうか」
https://twitter.com/Mari21Sofi/status/1669217777889185793?s=20
勉強開始時は、プログラミング初学者。今はPandasやNumpyで遊んでいる。
この記事は自分のために書くが、今後受ける誰かのためになるなら幸いです。
https://www.pythonic-exam.com/exam
はじめにPythonチュートリアルを読みプログラミングを写経してみたものの、正直プログラミング初学者の自分にはチンプンカンプン。
(後ほどわかったけど、写経だとインデントミスがあったり、日本語誤訳や誤字が多かったりして、基礎力がない自分だと一人でカバーしきれなかった)
そこで、プログラミング初学者でも読めそうなPythonの本を読むことにした。
本をじっくり読むよりは、プログラミングって、Pythonってこんなものだよってことがわかって、Pythonチュートリアルを一人で読めたらいいかなと思い、基礎試験の範囲はカバーしていてあまり厚くない本を一読することにし、Amazon unlimited見つけたこのPython基の本を読んだ。
https://book.impress.co.jp/books/1115101060
本にあるプログラミングを写経しつつ読み、練習問題は一人でやってということを1週間ほどでやった。
この本はプログラミング初学者の自分でも一人で読み切ることはできたし、この本の練習問題くらいのコードなら一人でかけるようになった。
オブジェクト指向を意識して書かれた本らしいが、ぶっちゃけそのへんについてはわからない。
読み終わった後、Pythonチュートリアルを特に4章5章を一読。
すると、Pythonチュートリアルにはあるけど初学者向け本には載ってないことが結構あることに気づいた。
このチュートリアルを全部読んで把握するにはお上に言われている期間じゃとてもじゃないけど足りないし、
期間内試験に受かることが勉強する一番のモチベーションだしという事情と、
合格率高いし、「Python3エンジニア認定基礎試験はチョロい」みたいな記事が多いし、そんなに細かいこと聞かれないでしょという油断とで、
もう模試を受けてみた。
模擬試験は、おそらくランダムで40問選ばれていたので、サイトにある出題範囲通りでなかった。
模試を受けてわかったことは、当たり前かもしれないが本に載ってないこと結構聞かれる。
例えば、普段NumpyやPandasなどなどに甘えているせいかもしれないが、見たことないモジュールが出題されているなど。
謎訳が個人的に読みにくく、Pythonチュートリアルを英語で読んでいたが、試験はその日本語で出るので、日本語版を読むべき。
あと、主教材であるオライリー・ジャパン「Pythonチュートリアル 第3版」には載っているけれど、Pythonチュートリアルには載っていないこともあることに模試で気づいた。
模試の点数はあまり参考にせず不安だった箇所の復習に使い、再受験を3回行った。
模擬試験の問題バリエーションは多くないのか、かなりダブる問題があり、3回とも90点は超えたので本番受験してみることに。
サクッと解ける問題もあったけど、わからないなっていう問題が模試に比べると多かった。
例えば模試に比べると少し複雑な構造をしたプログラミング、など。
そして単純に覚えてない知識を問われてた部分も多々ある。
(オライリー・ジャパンの本を確認したところ、この本独自の言い回しかもしれない)
結果出た後Pythonプログラマーに聞いたら、何について聞かれているのかパッとわからないと言われた。
本番は細かいことを聞かれ、難易度1.5倍くらいになるので、Pythonチュートリアルは細かいところまで読み込むべし。
せめてメインの出題範囲である4章、5章はチュートリアルにあるプログラミングまで追うべき。
そして、どうしたらエラーが出て、どうしたらすべて実行されるのか、まで確認すべき。
正しい処理ばかりでなくて、たまにはわざとエラーを起こしてみた方がよかった。
エラーをあまり経験しておらず、どういうときにこのプログラムはつまるのかという想像力が欠けていて、そこがないと試験はつらかった。
過去問ほしいなと思うけど、試験側の問題の種類が多くないんだろうな。
(落ちた分際で偉そうに言うが、流行りの言語Pythonとはいえ、この試験逆に通って何が嬉しいのかわからない。)
https://docs.python.org/ja/3.5/tutorial/index.html
https://diver.diveintocode.jp/exam
東京23区内のはじっこに在住。
月に夫16万、妻17万を出しあい月に33万をやりくりしています。
当初は夫も月に17万を出していたけど、奨学金の返済を生活費から捻出することになり実質家計費が1万減りました。
毎月33万で生活できてなくてボーナスのときに家計に入れた分が目減りしていっています。
内訳
家賃月150000円。
保育料月31000円。(3歳児クラスになり減った)
食費はだいたい月に5万円。妻であるわたしが担当していて、平日昼は週末にまとめておかずを作り2人分のお弁当を毎日用意して持っていってます。夜はパナソニックが運営してるウィークックナビとOisixのkit oisixを併用してます。食材はネットスーパーと近所のスーパー併用して週一でまとめ買いしてます。
二人ともフルタイムで献立を考えるのがきついのでウィークックナビは助かってます。数ヶ月記録していたけどいつも月に5万円くらいとなっています。さっき食費3万て人を見たんだけどスーパーの特売品見てその日の献立を決めるタイプに変えたらそのくらいになるのだろうか。
だいたいお弁当はおかず三種、夜は一汁二菜くらいでやってます。朝ごはんはごはん納豆味噌汁で固定。子どもだけ朝はほとんど食べないので食パン半分。
消耗品2万。
犬費用月2万。
光熱費が35000くらい。夏は犬のために24時間エアコンつけてるのでもっといきます。
これで細々した必要なものを買ったり少し外食したりちょっと遊びにいったりしたらすぐに33万超えてしまいます。
一時期は目を皿のようにしてネットで「都内 家計 3人家族」を検索してました。
みんなどうやって生活しているのか…
と思ったらなんか家賃が安いんですよね。7万円台の3DKとかに住んでる。どこにあるの?
勤務地が都心でこれ以上離れるのはキツいです。
家を買えばローン負担が家賃より減るとは思うけど、賃貸の身軽さも捨てがたいし定住の地を決めかねているのでまだ買わないつもりです。今めちゃくちゃに地価高騰してるし。
都内で子どもいて犬も飼ってっていうのが贅沢なのがよくわかります…。犬だけのときはそんなこと微塵も思わなかったんだけど。犬はわたしが辛かったときにいつもそばにいてくれて精神的にすごく助けられたので(もちろんそれだけが理由ではなく)看取るまで一緒にいるつもりです。
手取りが17と16じゃなくて出し合ってるのが17と16なのでもっと増やせばいいんだろうとわかってはいるんだけど、夫がこれ以上家計に出せないと言うので、こうなっています。
私の方が年収は夫の半分くらいです。
本当は包括的に年収と年間総支出で見たほうがいいらしいんだけど(ネット情報)事実上それが難しいです。夫の年収は知っているけど各々の収入は各々が管理しているのと、夫が自分が自由に使えるお金を確保したいタイプ(お小遣い制は反対)のため。
なので月33万で生活したいんだけどできてない。という状況です。
コメントたくさんありがとうございます。私の想定の外からのアドバイスをくださる方もいていろいろ参考になりました。
まず第一に犬は結婚前から飼っていて精神的につらかったのは結婚前のことです。犬は家族…贅沢品だけど…
あとちゃんと書いてなくてすみません。貯金してないみたいなことを言われていますが収入のなかから一部を生活に充てているので自分でもしっかり貯蓄してますよ…一部は運用もしてます。夫が貯金してるかは知らないですけど。月に33万でやりくりしたいという話です。
夫婦仲はかなりいいです。
夫は年収はまあまあなんですがボーナス一回三ヶ月分×2とかで、月々の手取りは多くないみたいです。またボーナス分は半分くらいちゃんと家計費に入れてくれています。それを少しずつ食い潰してるみたいな状況です。
夫ヤバイみたいな意見が散見されて面白かったですが上記の理由でヤバくはないです。いつでも連絡取れるし毎日9時には帰ってくるので女を囲ってはいないと思います。多分ですが。
朝起きて見たらびっくりしました。いつもは二つくらいしかコメントがつかないので…。
参考になる部分もあり反論もあり…タイトル釣りでしたかね?すみません。33万でやりくりしたい、にすればよかったかな。
生活に詰んではいないんだけど、他の人が3人家族20万で生活!とかブログなどで書いてるので、なんでこんなにうちはかかってしまうのだろう?と思ってこのエントリを書いたんですけどこんなに反応いただけるとは。
・FP相談あげてくれた人ありがとうございます。FP相談はやってみたいです。夫の意識を変えたいはちょっとありました。夫は副業をしていてそちらの収入が増えれば月々の家に入れる金額を増やせると言っています。(ちなみに年収は副業含めての年収です)
また貯金を家計口座だけでなくそれぞれの口座でもしたいというのが夫の言い分です。なので貯金はしていると思うんですが、いくらなのかはわかっていません。
・音楽教室がぜいたくという意見がありましたが、これには理由があって、高校受験の際、東京都立の副教科の内申が主教科の二倍なんですよ。体育はまたこれから考えればいいし美術もこれから先必要とあらば学んだりしても良いと思いますが、音楽だけは幼少期からの慣れ親しみが必要だと判断しての入会です。もちろん続けるかどうか、子どもの意見は尊重していきます。
・転職については、考えてた時期もありましたが少し給与が上がったので保留にしてます。
・保育料から年収計算した人すごいですね…当たらずとも遠からずです。1000万は行ってないです。
・引っ越しもたまに検討していますが、賃貸でペット可物件はなかなかないです。あと認可保育園を引っ越す前に決めとかないとなのでなかなか難しいところがあり…
購入はちょっと及び腰になる事情があります(借金関係ではないです)
・世田谷区ではないです。
読みました。宗教にはまった、って…かなりフツーのことをしていると思うんだけど。
キリスト教に触れて、日曜日にミサ・礼拝に行くのはかなり普通。ただし、収入の十分の一を献金しろ、になると異常。
客観的に言うと、
仏教徒や無意識に六曜を信じたりしてる人を「宗教にはまっている」と思う?
たぶんノーだと思う。
信仰を持ったことを何故そんなに恥ずかしいように書いているのかわからない。
元々親がキリスト教徒という人から人生につまづいてキリスト教の扉を開く人まで見ることができるから。
もちろんいいことばっかじゃなく、トラブルにもぶつかるかもしれませんが、
教会の司教・主教、神父・牧師、そういった方々はあなたの話を聞いてくれると思いますよ。
この世の中で、自分を優先させて主張できないと、もっと自己主張の強い他人や身内の人に飲み込まれます。
ただ、もし受洗、の時には、自分に何かあった時に教会や牧師に連絡してくれる人がいるといいのは事実だけど。
もっと自信を持って!
教会に信頼や自信が置けないんなら、キリスト教の中でも最も古い正教の教会に行ってみてはどうかな。
一番古いだけあって、信頼度は最強だと思う。ただ、文語に慣れるかどうかが問題だけど。
近くにはないかもだけど、まあ勉強ついでに。
ちなみにわたしはカト。文語が無理だった…
ブコメの方。
カトリックなのに何故正教を勧めるかって?
第二バチカン公会議の前後ではカトリックも大きな変化が起きたんですよ。
森、安倍両元首相に「違法なカネ」と指摘された輿石氏の選挙資金
ttp://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/948644/
輿石氏を支援してきた山梨県教組の政治団体である県民主教育政治連盟(県政連)は、産経新聞が疑惑を指摘するまで平成15年末から輿石氏の参院選挙が行われた16年初頭にかけて教員らから半強制的に集めた輿石氏の選挙資金カンパについて、政治資金収支報告書に一切記載していませんでした。そのため、18年1月には、山梨県教組の財政部長と県政連会長が政治資金規正法違反(虚偽記載)で略式起訴され、罰金刑を受けています。違法なカネ集めとその処理は、だれも否定できません。
ただ、それだけではないのです。安倍氏が「実はそれまでもずっと同じことをやってきている」と述べたように、山梨県では輿石氏の選挙の年や、山梨県教組の組織内候補がいる県議選、あるいは知事選、市長選などがある年(つまりひっくるめるとほとんど毎年)、教員のボーナス時に「校長3万円、教頭2万円、一般教員1万円」(教員OB5千円)の闘争資金カンパを行ってきました。山梨県教組の組織率は95%以上といわれ、実際は4500人前後いる教員のほとんどと、教員OBがそれに応じてきたのが実態です。ですから、県政連は毎年、数千万円の寄付収入があったはずなのです。
ところが、この資金カンパには領収書は発行されず、使途も明らかにされてないことをいいことにして、県政連は長年にわたって政治資金収支報告書にこの寄付金のことを記載せずに誤魔化してきました。政治資金収支報告書をもとに、それを簡単な表にしてみます(万単位以下は切り捨て)。
・ 3年 寄付金 0
・ 4年 寄付金 0
・ 6年 寄付金 0
・ 7年 寄付金 0
・ 9年 寄付金 0
・ 11年 寄付金 0
・ 12年 寄付金 0
・ 13年 寄付金 0
・ 14年 寄付金 0
・ 15年 寄付金 0 ※問題発覚後、1021万円に修正
…これを見ていただければ一目瞭然だと思います。輿石氏の選挙があった平成8年と10年に、申し訳程度に寄付収入を記載していますが、もちろん、実態がそんなものであったわけがありません。16年の参院選に向けての資金カンパでは、表に出ているだけで6163万円ものカンパを集めている(このうち、輿石氏の後援会と支援組織に3300万円が寄付されています)のですから、その他の年のゼロや数百万という数字が、いかに信憑性が薄いか分かってもらえるでしょう。立件されたのは15年の不記載分でしたが、長年にわたって政治資金規正法違反を続けてきたことはほぼ断言できると思います。累計したら、一体どれだけのお金が闇に消えたのか。
これは、産経の報道、追及キャンペーンがなければずっと不記載のままだったことでしょう。収支報告書を閲覧した県民も、資金カンパに応じた教員もあざむく行為だと思います。小沢氏の資金管理団体、陸山会の迂回献金問題より悪質だという気すらします。
喉に熱い球がつかえて塞がっているようなヒステリーが表現の原動力であっていいと思うんですけどね
と
M君事件のときにホラービデオ規制論を作文で書いてクラス中の顰蹙を買ったかつての中学生が言ってみる
このタカ派の論は先生の意を汲んだものではないかと当時疑われたのだがまったくそういう意図はなかった。うちのヒステリックな母親の影響は大きかったのだろう。彼女がM君についてことさら批評した記憶もないのだが
ついでにいえば中高一貫の天主教の男子校だった。さあ晒せ叩け(といって要するに自分に対するヘイトをあつめている、まるでタンクのごとく)
こうやって荒らすだけ荒らしてぼこぼこにされるというのが自分のいじめられ体験の本質なんだというのをいまさら他人をみていてうんざりするほど理解するこのつまらなさ‥