はてなキーワード: 部活とは
都内大学の職員だけど公式には来年度から対面授業やるって公表してるが、正直できると思ってない
授業内で感染することはおそらく無いと思うが、課外活動(部活・サークル)や学食等の授業外での感染がまず間違いなく発生する
https://anond.hatelabo.jp/20190617121454
以前、
「喪女が死にものぐるいで恋活してホステスになった」という死ぬほど長い自分語りをしました。(たくさんの人に読んでもらえて嬉しかったです)
一応リンク貼ったけど、要は
「喪女克服のためにスナック的なところで働いてコミュ力アップさせたら彼氏できたよ」という話です。
その後なんですが、当時の彼氏とは3年持たずして別れました。今後他の人とお付き合いしたときに反省を活かしたいです。
当時大学4年生だったんですが、社会人になってからものすごくスナックでの経験が役に立っています。
・目上の人に物怖じせずに話しかけられるようになった
・飲み会で気がきくようになった
・よく人をほめることで敵を作りにくくなった
といったメリットがありました。
あと恋活するにあたって整形しなかったのはなんで?っていうコメントがありましたが、
当時の自分は毎日部活に明け暮れていて、整形のダウンタイムで休みを取るのが許さない雰囲気だったからです。
今は埋没だけやりました。整形した件については当時の部活仲間からは死ぬほどいじられています。
あと最近転職することになったのですが、「仕事のスキルは足りてないけど圧倒的に愛嬌があるから採用した」と人事の人に言われたので本当にホステスやってて良かったです。
だいぶ前になるが、21卒としての就活を終えた。
意外に就活の顛末を主観で書いた記事が無いなと感じていたので、今の就活こんなんやったで、というのを記録がてら共有したい。
もちろん、量産型(地方)文系大学生とはいえサンプル数1であり、むしろ大いに偏った人間な気もするので、そんなんじゃねーよという突っ込みや質問もたくさんほしい。
この時期自分は『就活はリクルート・マイナビ等の企業群が作り上げた虚構であり、滅ぼすべき邪悪』という思想を持っており、大枠は就活終了まで変わらず過ごすことになる。(就活を理由に4年生の初恋の相手に振られたことが切っ掛けかもしれないが、元から割とこういう思想をしていた)
それでも部活の先輩から「インターンは一応行っといたほうがええで」とのお言葉をいただき、一応就活らしい行動を始めることにする。
インターンは、企業名で検索して出てきた新卒採用ページからそのまま応募するか、リクナビ・マイナビ系のサイトに飛ばされてそこから応募する、という形がほとんど。
少し調べると、都心の学生は意識高く給料が出るようなインターンに参加し半年くらい切磋琢磨しているらしい。だが、田舎の大学生にはそんなこと土台無理なので早々に諦め、部活の合宿の都合も考慮して1day~1週間程度のインターンから見繕うことにした。地方の大学に居るだけで入れなくなる差別主義企業なんてこっちから願い下げじゃボケ、とか思ってたような気がする。
この程度の短いインターンだと優遇もクソもないらしいので、とりあえず交通費・宿泊費が出て、何となく入れたら面白そうだな~という企業に適当に応募。たまたま受かった2、3社に参加することに。
インフラの裏側を探検したり、アナウンサー体験をしたり、所有する不動産のスイートルームを見学したり、どれも会社のお金で見学ツアーみたいなことをさせてもらえてたのしかった(小学生)。同時にGD(グループディスカッション)みたいなことも延々やらされたが、どれも学生からマトモな案出ると思ってなさそうな内容ばかりで、ハナから"積極的に参加してる感"だけ適当に醸し出してたらまあまあ良い評価をもらえた。就活は茶番、という八つ当たりが確信に変わりつつあった。
研究で忙しくなり、現実逃避のためポケモン・あつ森に没頭し就活せず。普通の就活生は冬インターンに参加したり、外資・コンサル・マスコミ(民放)の本選考を受けている時期(らしい)。インターンに行った1社の本選考があり、一応受けるも余裕で落ちた。一か月人と喋っていない状態で面接を受けるのはやめたほうがいい。
3月の就活解禁から一か月以上遅れ、そろそろヤバいかもと重い腰を上げる。先に就活を終え就職した高校時代の友人(現役入学、自分は浪人)にアドバイスを貰い、とにかく数を出してみることに。業界を絞らず、適当に行けたらいいなという企業を片っ端からスプレッドシートに並べ、締め切りが近い順に心を無にしてESを投げまくった。ESの内容は一応部活と研究で頑張ったこと(いわゆるガクチカ)に加え、日経とES投稿サイトを検索して出てきたウケがよさそうなワードを散りばめることで、意識高い感じの文章を生成した(よかったのかはわからない)。書類はなんだかんだ半分くらい通り、その後面接一つ進むごとに半分落ち、また面接、という作業を延々とループさせていた。
印象的だった点は2つ。コロナへの対応と、Webテストの無意味っぷり。
コロナについては、各企業の採用担当者さんたちもかなり手探りだったようで、面接中も何を基準に選べばいいのか戸惑っているような雰囲気さえあった。自分はいわゆる大企業ばかり受けていたため(?)ほぼ全てリモートでの面接となったが、明らかに会社側の通信状況が悪く途切れ途切れのまま面接が終わったり(みん就を覗いたら阿鼻叫喚だった)、逆に3次面接が対面だったのに最終面接が急にリモートに変更になったりと、真剣に就活に向き合っていた人はかなり翻弄されてつらかったんじゃないかなと感じた。
2つ目はコロナと全然関係ないが、Webテスト(SPI-Web,玉手箱,TG-Web,CAB,GABみたいなやつ)がガチでしょうもなかった。これらのテスト、端的に言うと答えが出回っていて、その答えを見ながらポチポチするだけでだいたい切り抜けられるゴミみたいな仕組みになっている。先輩秘伝のexcelシートを貰う、とかならまだ良いほうで、なんか『自称リクルート社員を名乗る人物が売る有料回答集付きnote』みたいな魑魅魍魎が平気で跋扈しており、かつその怪しい有料excelシートで普通に答えられてしまう(らしい)。一応意味があるのは試験会場があるSPIのテストセンターくらい、といった有様。自分は答えは使わなかったが、そういう現状があってもなおこれらのテストが選考に使われ、また不正できないようにテスト制作会社側(リクルートキャリア・日本SHL・ヒューマネージ…etc)が改良するわけでも無い理由は、単にやってる感を出すためのプロダクトでしかないから、もしくは単に人事が無能だから、の二択しかないのではと思っている。
そんなこんなで、最初のほうは惨憺たる有様だった面接も回数を重ねるごとに徐々にマシになっていき、6月ごろに第一志望群に入れていた数社から内定をもらった。どれも一度も対面で面接せず、本社を直接見たことすらない企業で、コロナ渦っぽい就職活動だったな~と一瞬思ったがそんなことはどうでもよく、さっさとやめたかった就活を終えることにした。
インターンのところでも書いたが、就活関連サイトの記事(ワンキャリ・就活会議・外資就活とか)では、そもそも地方にいたら到底無理な行動が平気で求められおり、学生を煽って稼ぐゴミアフィサイトはよ死ね潰れろと思っていた、が、実際就活してみるとまともな企業であればその差はある程度認識してくれていて、むしろ地方ならしゃーない的なお目こぼしを得られることのほうが多かった気がする。逆にその下駄を履かせてもらえないのにアクセスの良さも活かせなかった今年の都心の就活生は大変な思いをしたのかもしれない。
よくわからないブラックっぽい企業から無差別爆撃のようなオファーが届くだけだった。優秀な学生にはいい企業からのオファーがあるのかもしれないが、そういう学生は更に高いレベルの企業を求めて普通に選考に応募してるだろうし、気休めの内定が得られる以外の意味はなさそう。そもそもいい企業ならオファーなんてしなくてもいい学生来るやろ。
就活をやればこの就活垢を作っている人たちの動機もわかるかも、と思っていたが最後まで分からなかった。twitterなんて就職にとってノイズでしかないと思うんだけどそうでもない空間があるんだろうか(実際外銀とかコンサル目指してた人にはまあまあ意味あったらしい)。
ちなみに「NNT」でtwitterやyoutubeを検索すると路頭に迷った就活生の亡骸を閲覧できる。自分がたまたま見かけたのは、何故か公園で小声で歌いながらリクルートスーツ姿で踊っている就活生の動画。その次の面接後の動画では、観覧車の中で自分を責めながら泣いていた。なんもかんもリクルートが悪いんや……。
小学5年の終わりに転入した小学校から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。
もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループもクラスカーストも全部持ち上がり。
けど、中学に上がる少し前に、カースト上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくカースト上位の子たちと仲良くなれた。
カースト最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。
途中でクラスに入った私立からの転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラスはカーストが崩れかけていた。
そして、同じクラスになったカースト上位の子から無視されるようになったし、小学校から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。
家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。
私は一気にカースト最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。
そして、部活と塾にもその余波はやってくる。
小学校からカースト上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学校から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女の親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。
C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。
いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。
しばらくして、C子は別室登校を始めた。
同じクラスの元仲良しグループのメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。
私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後、彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。
けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちらが必死になって勉強してる間、ずっと保健室で手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。
つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。
あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。
E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険の先生だったかは覚えてないけど。
一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。
中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。
大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からはカーストが見えなくなった。
卒業間際に私は色んな人に謝られた。
「助けてあげられなくてごめんね」
「ひどいことしてごめんね」
中には、私が音楽の先生に推して採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。
けど、私が本当に謝って、理由を説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。
A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。
私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。
育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。
けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。
傍から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。カースト意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。
①中学1年生の4月、学校のトイレに行くことをなぜかためらい部活中に失禁。
②中学2年生の3月、自宅まであと300mの場所で脱糞。汚れたズボンを母親に見つかるまで自室の中で隠す。
③中学3年生の時、同じ女に数ヶ月おきに3回告って3回振られる。
④高校1年生の時、自分が脚本を書いた劇を全校の前で披露しドン滑りする。
⑤高校2年生の時、再び劇の脚本を書くが練習段階で滑りまくったせいで本番数日前に他の人が書いた物へと差し替えられる。「でしゃばりたかったのなら、途中で自由にしゃべる時間あげるからなんかやれよ」と言われるも、本番時固まり何もできず何もなかったことに。
⑥大学1年目の時、コミュニケーションができなさすぎて卒業に必要な英語と第2外国語の単位計16単位の内、4単位しか取れず。残り12単位は大学生活6年を通して極力他人とコミュニケーションを取らないタイプの授業を選びながらチビチビと取ることになる。
⑦大学1年目の冬、親から授業料をもらっていたにもかかわらず自動車学校を不登校になる。(※免許は数年後地元の自動車学校に入り直し取得することになる)
⑧大学2年目の夏、サークル宛に外部での発表依頼が来てメインを俺が貼ることになったものの、大失敗し、発表終了後依頼主から「もっと真面目に練習すれば?(笑)」と失笑される
⑨大学3年目の春、某資格を取るための授業料約20万円を親からもらっておきながら、この頃から大学すら不登校になりバイトも全くせず、授業料を支払う行為だけしてパーにする。
⑩大学3年目の夏、携帯を放置しアパートには鍵をかけ居留守し続け失踪騒動を起こす。アパートの中での自殺は失敗しました。
⑪大学5年目の夏、全く大学に行っておらず卒業できる状況でもないのに親に就活はしていると嘘を付き続け、「就活でそっち戻るから迎えに来て」となぜか嘘を付き、その後また漠然と自殺を試みるも、もう嘘を付き続けられないなと判断し母親に「全て嘘でした」と吐き出す。
⑫大学3年目の春時点で配属され本来であれば大学4年目の最後まで所属し卒論もその中で書くことになっていたゼミ(※結局2回くらいしか行ってない)の単位を取らないと卒業できないのでどうなっていたか大学5年目の秋に確認したところ、ゼミの単位が取れた扱いになっていた。担当教授に確認したところ「温情で単位を上げた。残りの卒業に必要な単位を取れ。卒論なんてお前に書けるわけがない。」と言われる。もちろん書きませんでした。
⑬6年間となった大学生活の中で、結局バイトは全くやらなかったし、彼女もできなかったし、童貞も卒業できなかった。
⑭就職してから3年目、さっさと処理できるような書類を溜め込み放置してしまうことが常態化しクレームが入りまくるようになり、戒告処分を受ける。
⑮現在、普通に誰でもやれそうなルーティンワークや電話をかけることやメールを返すことなどがまるで人並みにできなくなり、休職寸前に。
あー、書いたらなんかスッキリした
2月になったにも関わらず埼玉の「滑り止めの星」についての情報をご覧の方には、他の中学とご縁がなかった際に進学する価値のある学校か、という点がひとつ気になるところと思います。私共は入学して過ごしてきたものの、これはちょっと・・・と判断し高校から外に出る親子です。ありがたいことに次のステップに目途が立ち、子ども本人からもこれを共有してほしいということで書いてみました。2月に志望中学の合格を確保された方、おめでとうございます。こちらに上位の志望で合格された方、以下は読む必要のない文章です。在校生の皆さん、人間の評価軸は試験の点数だけではありません。どうかうまく生き延びて。
強調しておきたいのは、今在籍している多くの生徒さんたちは本当に賢い、良い子たちで、ここの大学受験勉強至上主義の教育にさらしておくのはもったいない子たちです。もう少し良質な教育を与えてあげればきっと様々な面でもっと伸びるはずだった子たちだと感じます。おそらく、宣伝が上手ということに加えて、首都圏の中学受験が過熱し受験者数がかなり増えた結果こちらにまで比較的質の高いお子さんが回ってくるようになったのかもしれません。
「学業以外も充実した時間を過ごして」「大学進学実績も悪くない」というのがその最大公約数でしょうか。これらを満たすかのように外部向けにアピールされている内容と、実際の状況とは実感として乖離している印象です。
中高一貫校に対して一般的に想起されるイメージとは異なります。
・ 教師の中には生徒を点数でしか評価しない方が少なくありません(婉曲表現です)。
・ 部活についても本当は推奨していないことを生徒に対して明言する方もいらっしゃいます。
・ 文化祭等の学校行事についても準備はミニマムで、時間をかけることは歓迎されません。
・ 学校生活全般の余裕が、1日の生活でも、年間のスケジュールでも、かなり少ないです。また、試験の結果が悪い子は、質が微妙な補習・追試の繰り返し(追追試もあります)で、気がついたら次の定期試験が始まってしまい準備が追い付かない、ということもあるようで低学年からとにかく試験に追われます。中高一貫の、高校入試がないメリットを生かしていない印象です。
これほど試験対策的な勉強ばかりさせられているのにこの程度の進学実績なのか、と感じます。また、(いろいろなところで他の方も書いてらっしゃいますが)東大クラスのさらにごく一部の進学実績がその数字のメインで、それ以外は実質「ベット」扱いです。平均的な進学先はMARCH未満です。そもそも東大や国公立の医学部に行きたいならもっと効率の良い王道の学習法があります。
・ 与えられる宿題・課題が精選されておらず量ばかり膨大で、生徒たちは悪い意味で「慣れて」しまって解答を写したり、アプリで数学の問題を解いたりしています。また、提出した課題の教師側のチェックがザルです。正誤や意味の理解は無視してとにかくこなす、埋める、という悪習が身に付いてしまいます。
・ 教師にはトップ校のリタイヤ教員もいるにはいますが、モチベーションが低いのか、微妙です。先生方は朝の駅からの誘導(ガードマンがわりに使われています)や、膨大な補習授業で疲弊しており、本務のはずの授業の創意工夫の質やパフォーマンスは高いものではありません。また、教師間のいじめに似たことも生じているようです。
・ 定期試験や模試のクラス平均が芳しくない場合、クラスの連帯責任としてクラス全体に非常に厳しい言葉・指導がかけられます。これは本当によくないことで、平均を超えている子供たちのやる気をそぎ落とします。なお、中学での成績が悪いと高校進学時に「野球の強いグループ校」への転出を強く薦められるとのことですが実態は不明です。
・ アルファベット3文字の略称の、夜遅くまでやる校内の予備校的なシステムがありますが、質は高くなく、受講はお勧めできません。せめて良質な教育を、と中高一貫校向けの都内の塾まで通おうにも開始時間に間に合わないのが実情で、大宮あたりのマスプロ系の大学受験予備校に通うのがせいぜいです。それでも根性で都内の塾に通っている子もいますが。
ちなみに、見切って高校から転出する際もバトルしなくてはいけないのが実情です(内申も期待できません)。それでも敢えて出る方が少なくないのは他の中高一貫校とは一線を画すのではないでしょうか。東大クラス以外はあっさり放流されるという話も聞きましたが分かりません。
ただ、たまたま私自身も中等教育に深く関わり、他校の最新の状況も知る立場であり、かつ縁があって同学年・他学年の生徒さんや親御さんたちの話をたくさん聴取した実感からも、ある程度の方が同じように抱く感想では、とも思います。また、学校側はかなりかたくなで、インターエデュで学校側への改善提言のスレッドを立てた方が、結局高校から外部に出た気持ち、今ならとてもよく分かります。
私共もまさかそれはないだろう、学校の宣伝するような良い点もしっかりあるのでは、せっかく合格した学校なわけだし、と思って我が子を進学させたのですが実際に子供と共に実情を体験して、教材や指導内容、授業の実際を精査してきて非常に身に沁みました。
通学時間がdoor-to-doorで1時間未満で(駅から重い重いリュックをしょって歩くと晴れた日でも15分はかかります)、かつ6年間受験勉強至上主義で質より量のスパルタ式教育を好まれる親御さん、お子さんでしたら合うはずです。類似のスタイルの学校は関西に一部ありますが、都内近辺ではこちらだけのスタイルと思います。それ以外であれば落ち着いた地域の公立中学から高受する方が心身の発達には良いと感じます。麻布蹴りでこちらに来た子がいる、と学校はおっしゃってましたがその子のメンタルが本当に心配です。与える教育が真逆も真逆です。また、都内どころか神奈川や千葉から通っている方もいらっしゃいますが、そこまですると長時間拘束されるこちらの学校では通学で1日が終わってしまいます。もちろん各ご家庭の価値観によるとは思いますが。
なお、1時間未満、と書いたのは授業時間がルーズな傾向があり、例えばホームルームを終えた土曜の下校も13時過ぎということはざらで、14時ごろになることもあるためです。また、前出の「校内の予備校的なシステム」を利用するためにも遠すぎるのは厳しいです。学校から駅までで寄り道が禁止されているために、地元からみると単なる「駅と歩道の混雑の原因」扱いで、地元住民の方や商店から敵視されているのは生徒の皆さんがちょっとかわいそうです。
学校最寄り駅から「教室まで」は20分から25分だそうです。なお、今春から快速が最寄り駅に停まることをポジティブにとっているのは学校側だけで(宣伝材料になるからでしょうか)、生徒からすると電車が来る間隔が広がるのでかえって迷惑、だそうです。試験の点数を基軸に教師先導で東大クラスv.s.その他のクラス、教師v.s.生徒、といちいち分断をあおる仕掛けが組み込まれているわりに、ほとんどの生徒は肩を寄せ合うモルカ―のように健気に頑張っていますが、中にはその仕掛けを真に受けてガチで見下す生徒が出てしまっているのは残念なことでした。極端な例ですが、卒業生による職業紹介の際にその卒業生が某旧帝出身と聞いて素で「ザコじゃん」と卒業生本人に言ってしまった子がいたそうです。毎朝唱和させられる内容(Wikipedia学校紹介ページ参照)には意味が無いようです。
【追記 2021/02/03】
半月ほど前、初の匿名ダイアリーを書きましたところ、様々なコメントをいただきました。誠にありがとうございます。本当の自分を客観的に評価していただく機会は少なく、肯定的な意見・批判的な意見、全て嬉しかったです。全て読ませていただいており、こちらで簡単に返信させていただきます。
自分の現状を詳細に記したかっただけで、自慢の様に受け取られる書き方になってしまった点は大変申し訳ないです。
しかし、私の勤め先は大企業ではあるものの成果主義で、出来る人と出来ない人とで年収差が非常に大きいです。更に、深夜まで残業必須、土日は休日出勤や業務の勉強で潰れます。そして、私自身まだ若手なのでそこまで年収は高くなく、近年業績が伸び悩んでいる事もあり、私がこのまま働いて平均年齢に差し掛かっても、1000万貰える可能性は限りなく低いです。
②「筋トレしろ」「髪型変えろ」「整形・脱毛しろ」というコメントについて
筋トレに関してですが、実はSNSのインフルエンサーに触発され、数ヶ月ではありますが週6で1時間ジムに通っていた事がありました。しかし、身体が少し大きなコミュ障になっただけで、自分に自信がつく事は無く、ある日突然布団から身体が動かなくなってしまいました(1度目の鬱発症時の事です)。ジムは、コロナと人目が怖いので、ひとまず先日から、勉強の合間に朝ランと夜の宅トレを軽く始めてみました。
髪型に関しては、仕事の関係上、髪色含め奇抜には出来ませんし、「そもそも変えてもイケメンになれるわけでも無し、意味なくね?」って考え方で完全に諦めてました。奮発して少し高めの美容院へ行って、相談して来ようと思います。
整形や脱毛については、「遺伝子や性格がゴミだし、料金高いし、そんな事やっても仕方なくね?」といった考え方だったのですが、コンプレックスである歯の治療も含め、勇気を出してまずは一度相談だけでも行ってみようと思います。
どれも、今後の人生にどう影響してくるかは分かりませんが、空っぽな自分の人生が少しでも豊かになる可能性があると信じ、頑張ってみます。
心理学については、何か宗教っぽい気持ち悪さがあって(失礼)、これまで全く手を付けていませんでした。読書は挫折する事が多いですが、まずはアドラー心理学(?)に関する軽めの本を、図書館や本屋で軽く立ち読みでもしてみようと思います。
④文章を褒めていただいた方へ
恐らく、会社で報告書を書いたり、学生時代SNSにのめり込んでいたおかげだと思います。ありがとうございます。
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【以下本文】
20代半ば。男。
起床。枕と布団が臭い。抜け毛あり。身体が怠い。朝日を眺めながら、軽く絶望。
眼鏡を探り当て、何とか装着。目がとても悪い。自分の家はゲーム禁止家庭だった。皆の話題についていけない事がコンプレックスで、親の金を盗んでゲーム購入。夜に電気もつけず、隠れてやっていたら3か月で視力が0.1以下になった。
散らかった部屋をかき分ける。片付けが出来ない。幼少期は極端な潔癖で、好いていた姉の机まで片付けていたら怒鳴られた事がある。良かれと思ってやっていたのだが、完全な有難迷惑だった。それ以来、片付け=悪と刷り込まれてしまった。言い訳ですかね、はい。
洗面台へ。毛深く醜い容姿と対面。「気持ち悪い...」。そう、ポツリと呟く。この容姿で、学生時代はよく虐められた。整形や脱毛を考えたが、金が無いのと遺伝子は変える事が出来ない事実に打ちひしがれた。歯は虫歯だらけ。裏には小4から無理やり通わされていた矯正歯科の器具。大事に磨いてきた歯を、何本も抜歯させられた。痛い。怖い。苦しい。矯正をしてくれた両親に本来は感謝すべきなんだろうけど、結局自分で全て無駄にしてしまった。歯並びが絶望的な家庭に生まれた自分を呪った。もう5年は行っていないか。他人に歯を見せるのが怖い。
軽くシャワーを浴びて、新聞とニュースを見る。何を言っているのか、さっぱり分からない。
着替え。体型もファッションセンスもダメダメだ。「チビでガリガリで顔もキモい。ファッションなんて雀の涙。あんな布切れに何前何万も出したって無駄だ。努力したところで自分はダメなんだ」と全て放棄してしまった。
会社に到着。平均年収1000万超えの大企業だ。何故、こんな所にいるのだろう。自分でも不思議だ。学生時代、極度の学歴コンプレックスで、結局院でロンダリング。学部からいなかった事と、周りとの実力差で更にコンプレックスは悪化。教授やラボメンバーには裏で悪口を言われ、研究も苦しくて2度の鬱発症。仕事で続ける気は無くなった。就活は、これまで馬鹿にしてきた奴らを見返したくて、色んな業界の大手だけ受けた。合計90社近く落ちたが、この会社には就活面接で適当な嘘や綺麗事を吐いていたら内定を貰えた内の1社だった。
学歴ロンダリングや大手企業へ入社した理由は、異性にモテたいといった理由も大きかった。でも、これからもし自分に寄ってくる異性がいたとしても年収狙いは確実。自分の中身まで見てくれる方はいないだろう。そして、これまで、イケメンでコミュ強で気の効く強そうな男を愛し抱かれていたのだろう。そんな過去の男達と自分は比べられるのだ。怖い。果てしなく怖い。それに、無理やり年収だけ上げても、そこでは更なるハイスペ達が競争相手だ。勿論、容姿端麗コミュ力抜群みたいな上位互換はゴロゴロいる。そんなことを考えていたら、もう疲れてしまった。
仕事、開始。自分は無能だ。作業が遅い。よく怒られる。まともなコミュニケーションが取れない。人が怖い。かといって、人と関わらなくて良い職業には、当然ながら実力不足で就けない。頭がキレ、他者と良好な関係を保ち、仕事が出来る社員たちはどんどん成果を出していく。上司も、雑用以外で自分を頼る事は無くなった。きっと、裏で自分は馬鹿にされているに違いない。針の筵だ。最近は資格取得を推奨されているが、どうせ落ちるし、無能な自分と向き合わなくて済むから、何も手をつけていない。
昼休み。当然ながら、友達は0。デスクで1人の昼食。学生時代からそうだった。必死になって部活やサークルに入った事もあったが、皆の話題についていけず、周囲との溝を感じて苦しくなって、結局何処も続かなかった。そんな中、自分に優しくしてくれる人もいたが、関係が深まると、自分すら認識していなかった醜い性格や行動が出現した。そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて自分から距離を取るか、相手が愛想を尽かして去っていった。
LINE交換してくれた人達もいたが、卒業する度にアカウントを削除し、中途半端な縁を断ち切ってきた。巷では、これを人間関係リセット癖と呼ぶらしい。
そんなこんなで、仕事終わり。今日も何の進捗も無し。「お疲れ様です」と呟いて、退社。誰からも返事は無い。「無能は疲れなくて良いな」とでも思われているのだろう。
帰宅途中。街を歩くカップル。楽しそうな親子連れ。いいなぁ。自分は、一度も恋人というものが出来た事が無い。学生時代、マッチングアプリに2年程度手を出した事もあったが、誰とも会話が続かなかった。相手の話はある程度聞き出せても、肝心な自分自身にアピールできる事が無かったから。3回ほど、女性と会う機会があったが、全員が「たくさんの男からアプローチされる」と言っていた。「無料で、色んな男から誘いを受け、ご飯やプレゼントを奢ってもらえる。何て羨ましいんだ」と思っていたが、彼女らは彼女らで何かしら悩みを抱えているのだろう。
帰宅。自己研鑽はしない。自分がやったところで、どうせ無意味だから。成功した試しが無いから。何もかも、中途半端に放棄して逃げてきたから。
コンビニで買ってきたご飯を食べ、服を脱いで布団に潜り込む。最近、脂っこいものがキツく、食も細くなってきた。無能のまま、立派に歳だけは着実に重ねている。
SNSを閲覧。陰キャ御用達、Twitter。同じ業界のインフルエンサーや海外のニュースアカウントをフォローしているが、自分の知識不足で、何を言っているのかサッパリ分からない。また、これまで色んな界隈にいたが、結局誰かとイザコザを起こし、アカウント削除。しかし、依存症から何度もアカウントを作り直し、現在に至る。時たま、Instagram。同級生をフォローだけしている。皆、幸せそうなキラキラした写真をアップしている。友達や恋人との旅行、煌びやかな料理、結婚している人たちもいる。幸せそうだ。
YouTubeを閲覧。最近は、ひろゆきさんの生放送編集版や、外国人が編集したであろうタイトルやカット割りのアニメを脳死状態で眺めている。時たま、イケメンや美人の実況がおすすめで流れてくると、凄く悲しくなる。何て神様は残酷なんだろう。人間は、生まれながらに不平等だ。
SNSの影響で、他人と比べる事がより増えた気がする。凄く辛い。止めれば良いのにと自分でも思うが、依存していて止めれない。昔から、リアルでは社会と繋がっていないに等しいから、拠り所を求めて居座ってしまうのだろう。
そんなこんなで深夜。電池が切れるかの様に、いつも勝手に眠っている。薄れゆく意識の中で思う。「誰か寝ている間に殺してくれないかな」。「パッと存在ごと消えないかな」。皆、何をモチベーションに生きているか不思議だった。自分が消えたところで、誰も悲しむ人なんていない。むしろ、Co2排出が抑えられて、感謝されるだろう。これまで、何度も自殺しようと思った事があったが、結局自分1人で実行出来なかった。森の奥の木にくくった縄。果てしない大海原が広がった断崖絶壁。いざ目の前にすると、無様に生にしがみついて涙を流した。
こんなくそったれ人生を送っている自分にも、2つの夢がある。1つ目は、同窓会で、自分を虐めたり馬鹿にした奴らに、「どうだ!自分はこんなに立派になったぞ!」と見せつけてやる事だ。相手は覚えていないだろうけど。
2つ目は、「普通を享受して幸せになる事」だ。"普通"とは、自分の目に映る同世代の上位50%が体験するイベントと定義している。これがまあ難しい。凄く難しい。凄まじい量のコンプレックスを持っている反動で、他人の良い所を見抜く癖があり、それらを逐一比べて。どんなコミュニティに属していも、自分は最底辺だと感じている。一生、幸せに何てなれないだろうな、自分は。
人生初の匿名ダイアリー、3,000字超え。こんな感情任せに書いた歪で長く乱れた文章など、どうせ誰も読んではくれず、山のような記事の内の1つとなって消えるのだろう。それでも、良いんだ。こんな寂しい夜は酒を飲みながら、何か書きたかった。何事も中途半端で、何も成しえた事が無かった自分が、自分の気持ちを文章にして書き終えた。凄く小さな、誰でも出来る事かもしれないけれど、1つの物事を完結させる事が出来た。見ている皆さんには、「こんな事で(笑)」と笑われるかもしれないが、ちょっとだけ誇らしい。
長い間総務をやってきたのでこういう人はよく見ている
そういう書類手続きが苦手な人は概ね次のどれかに分けられると思う(もちろん複合している人も多々いる
(1)は、手続きして、郵送を待ち、その後郵送物に記入してもう一度窓口に行くようなことが苦手
大抵の場合、郵送されてきた時点で何をすべきだったか忘れていたり、優先度が(本当は高いはずなのに)低く見積もったりしてしまってそのまま放置してしまう
本人側の対策:手帳なりにきちんと大まかな流れ「1/5手続き、1/25郵送来てるはず、2/5手続き2回め、2/12手続き締切」など書いておき、見る
(2)は、目の前の仕事を処理するのは得意だが、全体を見て要不要の選択をするなどが苦手
決断が苦手というより、書類や手続き全体の構造を把握して自分にとって不要な部分を頭から追い出すのが苦手なことが多いように感じる
本人側の対策:手続きなら自分なりに紙に簡単に書き出して、自分にとって不要な部分を枝刈りして捉えてみる
書類の場合は、自分に関係ない部分(例:銀行振込なら郵便振替は不要、自分だけの話なら家族の欄は不要)を鉛筆で薄くバツを付けてしまう
そうすると書くべきところがはっきりして取り組みやすくなる
受付側の対策:紙の書類で全部入りになるのは仕方ないので、代わりに記入例をパターン別で充実させる
理想は、Webやスマホ入力の直前アンケート式(例えば支払いはクレカ・銀行振込・郵便局・コンビニ、と選ばせて選んだ項目に沿った入力欄しか出ないやつ)にすること
(3)は、単純に難しい文章を読むのが苦手なパターン
また難しい上に文脈によって意味が違うもの(所得控除と税額控除など)は辞書を引いても理解できない
ただこの手の人は長い文章も苦手なので、言葉を簡単にした代わりに文章が長くなると読んでもらえないので難しい
本人側の対策:出来るだけ言葉の意味は調べ、それでもわからなければ人に聞いたりYoutubeを探したりする
まずは一度自分で考えるのが大事で、いきなり聞いても理解した気にしかなれない
あと聞いたら自分なりにまとめる
受付側の対策:窓口受付の人はこの手の人への直接説明は得意なはず
書類作成側は使える文字数に限りがあるのでどうしても難しいと思うが、例えば昨今の社会保険なんかは結構頑張って書類を簡素化しているので、あのへんを参考に頑張って欲しい
なお、この手の話でよく「義務教育でやるべき」みたいな話が出るけど、日本人が苦手と聞く「論理文章読解力」はまさに(2)(3)に効いてくるんだよね
頭の中で場合分けしながら自分の知らないことを理解していく読解術なので
同じく全体を理解してパターンを分類していくようなことは理系科目ではよく出てくる
(1)の段取り力は教育自体ではやってないけど、例えば部活の率いる側や委員会活動などをやってると鍛えられるかな
その他、受験でも旅行でも仕事でもなんでもいいけど、何かするときにきちんと段取りをするようにしてると自然とできるようになってくると思う
昨日久しぶりにYouTubeのオススメに出てきた林先生の動画を見た。受験生に一ヶ月前に必ず話すことというもの。
林先生の話の内容はざっくり言うと
一ヶ月頑張れなかった奴は受かろうが落ちようが自分は一ヶ月も頑張れない人間なんだという思いを持って生きてかなきゃいけない
一ヶ月頑張れる奴は一年頑張れるしそうゆう奴は10年、一生頑張れる
こんな感じ
自分は努力しているのだろうか、他人より努力しているのだろうかみたいな事をよく考えるのだけれど、一つの答えに辿り着く
ここまではよく考える事なのだけど、昨日は新しく考えることがあったから残しておきたい
そもそも自分は短期集中みたいなのが苦手だ。テスト前日に寝ないで詰め込むみたいな事は出来ない。コツコツとやっていくタイプで、身につくまでに時間がかかる。現役の時も4月からセンター直前まで半年以上成績が全く動かなかった。(伸びなかった理由は勉強方法だったり他にも沢山あるのだが) 努力なんて自分のものさしでしか計れないものだけど、目盛が狂ってる気は前からしてる。そういった自分の性質を理解し、言い訳にして生きてゆく。出来ない事を諦めて熱量を変えずに勉強する。現役でセンター試験後e判定で突っ込むと決めても、死に物狂いで勉強するなんて1日もしていなかったと思う。
いつからか自分の限界を勝手に低く決めつけて、本気で取り組むことが出来なくなってしまった。だからあと一ヶ月も必死で勉強なんてできずのんびり今までの積み重ねを信じてやってくしかない
と思ってた
多分自分はこれ以上傷つく事を異様に恐れている
短い人生の中でも失敗はよくあった。自分のせいで負けて終わった部活のこととか、死ぬほどくだらないミスをして落ちた受験の事とか、もっと小さな事でも、他人に話せばそんな事かよと言われるようなものをバカみたいに重く引きずる癖があった。そしてそういった経験の裏には自分なりの努力があった。親は自分を良くも悪くも努力する人間に育てた。
ただ、努力すればするほど「失敗」「敗北」を強く感じるだけだった。そうした経験を嫌というほど重ね、それでも高望みをして、大した才能も無いことに気付かないフリをして努力する。結局最後に満足するような結果は残らず、とは言っても自分で考えてやってきた行動への後悔はあまり無く、変えられない過去からひたすら何が悪かったのかを探し続ける。無闇に過去を掘り下げても、その過去は悪いイメージにしかならない。
そうやって過去をどんどん腐らせて、消えなくなっていく。努力→失敗という法則が出来上がってしまって良いイメージが湧かない。未来の良い想像をすることはしょっちゅうあるんだけれども、むしろイメージすることでそれは絶対叶わなくなるのではないかとさえ思い始めた。
そうして段々努力を薄めるようになってきた。今年は自分で「頑張っている」と思わないようにしようと行動してた。ストレスを与えないように日曜はゆっくり休み、予備校が閉まる時間までは勉強しない。帰りの電車は勉強せずにスマホをいじってる。そうした妥協をすることで「自分はまだ勉強出来る」という余裕を作り出し、辛さを軽減していた。そうやってきたことで正直今年の一年は精神的には安定していた。去年以上勉強に時間を割いてきたが、辛くはなかった。
しかし、残り一ヶ月になった今、受験の終わりが見えてきて、その先を想像した時に何も残らない気がしている。よくネットだったり合格体験記なんかに「浪人は地獄だったけど良い人生経験になった」とか「あの一年で自分は人間として凄く成長した」みたいなことが書かれている。それは上手くいったからから言えることなのでは?なんて思いつつ、一ヶ月先を想像したときに、自分がそんな達成感や成長を感じているとは思えなかった。
去年から志望は変えず、模試はずっとa判定。家族の中でも今年は受かるだろうというムードが流れる。一年かけて定着させたその雰囲気は、合格という自分にとってハードルの低い目標を薄れさせていったし、合格の喜びもきっとないだろう。そのあと推薦入試に落ちる。なんとか切り替えて勉強、判定が良く出ている自分は共通テストのボーダーなんて全く意識しなかった。自分で目標を決め、その目標に本気で達成できると思っていた。だが本番終わってみれば、大ミスはするしもっと取れると思っていた教科の点数も低い。おまけにボーダーがセンターと全然変わらない。頭のいい大学を目指しているわけではないので、第一志望は受験出来そうだが、問題はそこじゃない
今自分の中では
推薦、共通テストのミスという下らない過ちで自分の力を発揮できないまま終わったことからの不完全燃焼感
ミスをする人間などもはや受験生としてどころでは無く社会に出ていく人間として致命的なのではないかという将来への不安
難化すると言われていた共通テストで点数が伸びず、判定も悪い。でもボーダーは模試と比べてだいぶ上がっている。周りは伸びている。結局自分はこの一年で対して学力が伸びていないのではないかという絶望感
何度も落とされた(明らかに自分が悪いが)大学への(超個人的な)イメージは今のところ圧倒的にマイナスであり、もうあのキャンパスに行きたくないとまで思っている。やりたいこと、学びたいことを考えても答えはその大学としか出てこないのに、今年せっかく戦えるレベルまで来たのに、何故かあの大学に行きたくない
だからもし今年受かることが出来ても、自分は喜べない気がする。落ちたとしても、何も感じないだろう。そして今年一年への思いも何もない。空白の一年。ただ社会に出ていく上での何か大きな問題点が表面化してきた一年。
そうやって考えているうちに先が見えなくなってしまった。今シンプルに何の迷いもなく目指す先がない。
あと一ヶ月頑張って、というか頑張る意識を持つべきなのか。努力は必ず精神をすり減らす。そして合格しようがしまいが達成感はない。それでも努力するべきなのか、将来「あの時は頑張ったな」と美化できる日が来るのだろうか
思った事をひたすら書き殴っただけの芯の通ってない文章になっているが別に読む人間もいないし問題ないと思う。こんな事を話す相手もいるわけがないからなんとなく呟きたかっただけ
もし読んだ人間がいるなら意見だったり批判だったり残していってほしい。自分の言いたいことがこの文章から伝わっているとは思えないが、自分を客観視できてない気がするからしてほしい。自分がどれほど馬鹿で無意味で浅はかで下らない事を考えてるのか分からせて欲しい
「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。
けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。
この本の主人公あかりは、推しに出会った時の私そのものだった。
部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。
けれど、幾ら推しを推している時間が楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。
気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイトは自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。
けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。
「折角、良い高校に入ったのに。」
気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。
推しに出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分はダメな人間なんだろう、と自分で自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。
推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会の歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。
苦しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議なもので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。
結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)
こんなにも自分は怠惰で堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分に出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分が詐欺師にでもなったかのような気分だった。
未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。
大学生になった。
詐欺師から普通の人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。
推し、燃ゆ。
こうなっていたかもしれない私の、話。
私の推しは今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。
心室中隔欠損症とは、文字通り心臓の右心室と左心室を隔てる壁の一部が欠損している、先天性の心臓病だ。手術さえ成功すれば予後は良いらしい。
私の場合、心室中隔欠損症の合併症らしき肺高血圧症も患い、あとなんか動脈に異常があって手術したっぽいけど忘れた。心室中隔欠損症という病名がインパクトでかすぎるのが悪いな。
幼稚園で同じクラスだったガキ大将と共に、就学前健診で引っ掛かり、以来、健診のたびに皆とは別に二人で心電図を受けることになった。低学年の頃は男女一緒の場所で受けさせられたので、タコ吸盤と巨大洗濯ばさみに拘束されている間、退屈しのぎに見詰め合ってへらへら笑ったりなどした。
昔はテレビで見た有名人とか、学校の先生とか、部活の先輩とか、それなりの数の人に対して尊敬とか憧れの気持ちがあった。
「こうなりたい」「こう在りたい」っていう思いがけっこうあった。
つらい時でも「こういう時、○○さんならどうやって乗り越えるだろうか」と考えて乗り越えることができたし
どうしていいかわからない時も「こういう時、△△さんならどうするだろう」って考えていろいろこなしていった。
この人みたいに生きてゆきたいと思える人がいなくなったのか、
なんだか寂しいです。
高校の部活合宿で布団の上で友達とうつぶせになってしゃべってたんだけど、OBの先輩が俺らの目の前にあったチョコチップスナック(俺らのものではない誰かの)を袋の上からつま先で半分に割って足で袋からその割ったチョコチップスナックをひろい上げて立ち去って行った。
小中不登校で当然部活に参加したことがないので後輩という存在を知らないまま中卒で親戚の会社に入って細々と経理事務やってるけど俺が入社した当時の社員がおじさんとといとことパートさん3人と俺で23年経ってもいまだにこの顔ぶれは変わらず後輩社員がいない。
手に職があるわけではないし、今の働き方に最適化されてしまったので会社が続いている限り能動的に転職するつもりもない。というか、手に職もないし頭の出来もフツーである自分なんか転職とか絶対に無理。
このまま一生後輩できない人生で終わるんだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20160110142936 |
https://anond.hatelabo.jp/20160131185333
これらを書いて5年が経った。自分はあいかわらず大学教員をやっている。
もっとも、10歳も20歳も年の離れた男性が、同世代の男子学生が及ばないであろう経済力(と女性あしらいの経験値)を背景に、先週告白してきただけの女子学生に手を出すなんて事象は自由恋愛なのだろうか、チート恋愛なんじゃないの、という疑問もなくはないのだが、当職はそのようなトラブルを処理する立場にないので、この疑問はしばらくのそのままとしておきたい。 |
その後、教員組織における管理職として経験を積み、学生-教員間の恋愛・セクハラ系のトラブルに対応する立場になった。
5年前の自分へのアンサーブログとしてここにメモを残しておきたい。
その頻度は、1つ目の記事に書いた数値とそう離れていない。
つまり、30代までの男性教員は、自分が担当する女子学生のうち、0~2%から好意(恋愛感情)を持たれる。「0%~」という下限は、教員本人がその種のことに疎くて気づかないか、教員が持つ心理的安全感が低い(むやみに怒る、清潔感に欠ける、不審なほど暗い等)かであり、大学事務と一般的なコミュニケーションがとれる教員であれば、2%が妥当だ。
そして、40代に入ると2%→0.5%ほどに激減する。
30代まではまだ世代が近いため、冗談やおどけが通じ、親近感を持たれやすいが、40代以降では人間としての重み(または老化)が現れる上、彼女らの父親と年齢が近づくため、恋愛対象から急速に外れることが大きいようである。
次に、男性教員がずいぶん年の離れた女子学生と交際することが自由恋愛なのか、チート恋愛なのかという問いについては、やはり後者であろう、という意見が大勢となりつつある。
学生と教員の両方を管理する立ち位置にある私自身の経験もあるかもしれないが、ここ5年での世間の変化がもっとも大きいように思われる。
上司と部下、業界のカリスマと新規参入者、業務発注者と受注者、部活の指導者と指導を受ける者といった権力勾配のある関係性における性的な行為は、セクハラその他の違法行為として認識されることが多くなった。
その実例は報道されたものだけでも多く思い出されるであろうし、MeTooという世界的な用語もここ5年で登場した。
学生の意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的に拒否しない場合は、教員が権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。
つまり、自分から積極的に迫ったわけではなく学生側がアプローチしてきただけだという言い分は認められなくなってきている。
そこらへんのおっさん・おばさんが親子ほども年の離れた学生から交際を迫られるのはなろう小説の世界だけであり、現実社会でそれが起こるということはやはり何らかのチート(今回は権力勾配)があると考えるのが自然であろう。
(なお、この記事は女子学生→男性教員を中心的に書いているが、自分が見聞きした最悪の教員セクハラは、男性同性愛者である男性教授が好みの男子学生を(おそらく不当に)期末試験不合格とし、口頭試問と称する再試験をその地域の花火大会がある午後に設定し、当該学生を花火大会へ誘った上で自宅へ泊めようとした事案である。非常に悪質と感じたが、自宅へ誘った以外は状況証拠であり、教員本人が同性愛の指向を公的には否定したこともあり、懲戒には至らなかった。周囲の監視の目は厳しくなったが。)
大学教員が年の離れた学生と交際し、時には結婚までする話は、内田某氏が行ったとき(2009年)には著名人たちから無条件に祝福されたが、今ではかなり厳しい視線にさらされるように感じられる。
最初に書いたように、そのような時代変化を経た現在でも「0~2%」は変わっていないため、教員側が積極的に断る力を発揮する必要があるだろう。
大学教員が学生と交際する話がごろごろしており、温かく祝福さえされていた2000年代までを知る立場からすると、時代は変わるものだと思う。
小学生の時、サッカーやドッジボールが下手で仲間に入れてもらえなくて悔しかった。
中学生の時、わけもなく殴ってくる奴がいて悔しかった。友達がモテて、僕は何もなかったのが悔しかった。
高校生の時、成績優秀者は学校案内のパンフレットに掲載する話があったが、僕は対象だったのに掲載されず、悔しかった。
大学2年の時、部活がんばったけど結局、記録伸びなくて悔しかった。資格試験で2点足りなくて不合格になって悔しかった。
大学3年の時、彼女ができたが手も繋がず、三週間で振られてしまって悔しかった。
就職活動して、何度も通って人事にも顔を覚えられた第一志望の企業に書類選考で落とされて悔しかった。
26歳の時、街コンにいったらマルチの勧誘だったので悔しかった。
誰にも表明せず勝手に行きゃあ良いのにわざわざお伺い立てるんなら
お前の心の内は決まってるんだろ。釣りか?
大人なら自分で判断しろ。いつまでガキのつもりだよ。少なくとも医療従事者が旅行してんの見た事ねーぞ
お前みたいな奴が部活優先した結果がこれだろうが。
友達が1人もいなくてつらい。
小1のころからずっと吃音。暴力や嫌がらせはされなかったもののずっと腫れ物扱いで浮いてきた。プークスクスされることはしょっちゅうあったからいじめられてたといえばいじめられてたのかも知れない。
友達は
保育園1
小学校0
中学校0
高校2
大学0
保育園の友達も子供特有の正義感で遊んでもらっていただけで、向こうからしたら沢山いる遊び相手の1人でしかなかった。(その証拠に小学校に進んでからは遠ざけられるようになった)
高校の友達2人は、勇気を振り絞って入った部活で奇跡的に出来た2人。でも、3人組の中でも俺は浮いていた(道幅が狭くなると1人後ろに追いやられる役だった)。部活の引退後、クラスが違うからなかなか3人で会えないが受験が終わったら思いっきり遊ぼうと思っていた。が、俺抜きで2人は普通に仲良くしていたことを2次試験の不合格発表の後で知った。しかも2人は同じ大学に進学していた。
それから一年宅浪して大学に進んだ。サークルにも入った。高校の時の成功を活かして、人数の少ないこじんまりしたサークルを選んだ(ちなみに中学はサッカー部で3年ぼっち&ベンチだった)。
初めはなんとか仲良くしようとしていた。吃音はあったけど、自分なりに明るく振る舞えて上手くいっていると思ってた。しかし、3ヶ月ぐらいする頃にはいつのまにか同期が距離を縮めあっていて、自分の居場所はなくなっていた。
就職してからも、案の定同期に馴染めなかった(就活は集団面接で吃音を披露する地獄だった)。同期の女性で、優しい人がいてよく話しかけてくれたのだが、ある時から急に避けられるようになった。アプローチなどはしていない。同期として親切に扱ってもらえるだけで十分だったからだ。
半年ほど後に、優子さん凄く怒ってたぞと別の同期から言われた。俺は何やら無神経な発言をしたらしかった。
上司は俺のことを嫌っている。露骨には表さないがわかってしまう。すごく申し訳なく思う。後輩には見下されている。
会社以外で知り合いを作ろうと、22〜今までで社会人サークルに5つトライしたが、馴染めなかった。ネットでの交流もうまくいかない。
Twitterのアカウントは3つあるが、人の輪に入ることができない。いつのまにかやんわり距離を置かれるようになる。ネトゲはソロプレイをしばらくした後嫌になってやめてしまった。
キャバクラに行ったこともあるが、違う席の酔っ払いのグループに吃音を笑われていや思い出しかない。
家族とも上手く行っていない。