はてなキーワード: 弊害とは
連合がずーっとどっちつかずに両方面倒見てたから、組合(せいじ)活動に熱心だった人たちは今年度の早いうちから知ってたんじゃないかなぁ。
合流自体はまぁ、これからは今までの失敗を反省しつつ頑張って。というところだけど、個人的にここは頼むわ!という点を書き記しておきたい。
まず、当時、民進党が割れたとき、枝野に何を期待したかだけれども、最初の頃の枝野の演説に現れていると思う。
民主党の悪い所を切り捨てて、正道な政治を主張しながら党勢を拡大してもらいたかった。
それが結局、旧民主党の幹部や、顔、保身の為に希望の党に走った有象無象を合流させて、旧民主党と同じく目指す方向がわからない党イメージになってしまった。
また、枝野本人の調整手腕の問題なのか、元々中道左派の性質だからなのかはわからないが、種々の問題に科学的ではないように感じる的外れな批判や、思ってたのと違う経済政策の主張が行われるようになってきた。
このあたり、先鋒となっていた蓮舫にこびりついたイメージ(あえてイメージと表現する)の問題も足を引っ張ったと思う。
この辺も変な層を吸収した弊害だろう。小池の排除の理論議論にさえ巻き込まれなければ切り捨てられただろうに。
なお、最近の経済に関する玉木の主張は極めて真っ当であり、政治とはなかなか難しいものと思う。
枝野も以前、支え合う社会という主張をしていて、お題目は良かったんだけどね。
結局、私は尖った中道の政党が欲しかったわけで、連合の傀儡が欲しかったわけではないんだわ。
そういったところを民主党にはわかった上で、内ゲバしてもいいので、真っ当な政治を目指してもらいたい。
がんばって。
「下級国民なんぞ1匹死のうが100兆匹死のうが知ったことか、負け組なんぞ血税で助けてやらずに放置して餓死させとけ、その代わり神に選ばれし我々勝ち組上級国民である我々高級官僚や政治家は、国の舵取りをするんだから税金を好きに収奪して使っていい」みたいな旧日本軍の大本営とかナチス党の幹部から飛び出てきたような、頭のおかしい攻撃的なエリート狂人みたいな人たちなんてものは、全然いなくて
ただ単に、行政や業務の処理能力がパンクしていて、助けられる人たちに限りがあったり、縦割り行政による弊害で、情報共有がなされないままに各々が最善と思ってやったことが、市井の人間や個人には国による白色テロとしかいいようがないような仕打ちに結果的になってしまうってだけなんだろうなと思う
そういう意味ではユリウス・カエサルが 「All bad precedents begin as justifiable measures.(どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は善意であった)」っていうのは、いつまでもなくならない難しい命題なんだろうな
まぁ、貰えるもん貰って仕事も決まったからこそ落ち着いてこう考えられるんだけど、ほんとに俺が一番最初に書いたような、絵にかいたような選民思想のエリートなんてホントに日本にいるんだろうかね?と不思議に思う
妄想を考察っていう文化?の弊害か、大学の文学科にいたときなんちゃって文豪オタクの「考察」腐女子が何人か後輩として入ってきて、演習発表の授業で考察と称して文学作品のBL妄想(根拠はこじつけ)繰り広げたことがあってぞっとした。
2015年に一期が始まり、2017年に分割で放送された二期が完結した、まあ色々と賛否両論な作品で放送終了から3年経った今でも話題になる事が多いタイトルである
正直に言うと僕はこの作品の一期が好きではなかった。主人公の三日月・オーガスを始めとした主役組織鉄華団の面々が好きではなく、逆に悪役である治安維持組織ギャラルホルンの側に肩入れしていたのが原因だと思う。
三日月はそれまでのガンダムにも中々居ない割り切ったドライな性格で、敵兵士を無表情で射殺する、初対面の相手を絞殺しかける、戦う事への迷いや敵への容赦が殆ど無いガンダムには比較的珍しいタイプの主人公だった。
鉄血のオルフェンズの一期はその三日月くんの所属する民間軍事組織「鉄華団」が、地球の植民地である火星の貧困問題解決を求めるクーデリアお嬢様を貿易交渉のために地球に送り届けるための護衛を務める話だったのだが、
鉄華団は保有するMS三機と、彼らの後ろ盾である木星圏のマフィア「テイワズ」から派遣してもらったMS二機を合わせた計MS五機の戦力で、ギャラルホルンを統べる七大氏族の一人「イズナリオ・ファリド公」が動かせる私兵と、地球軌道上に接近した勢力から地球を防衛する艦隊「地球外縁軌道統制統合艦隊」から差し向けられたMSを撃退し、ついにクーデリアを火星を分割統治する地球の経済圏の一つ「アーブラウ」へ無事送り届ける事に成功する。
それは良い。00のように一度主役達が敗れてからまた再結成、という展開にでもならないと主役組織が物語半ばで体制に敗れて壊滅する展開なんて中々描けない。負けてたまるか、と鉄華団の少年達は大人達に勝利した。
気になるのは、鉄華団のような極小規模な武装組織が、あの世界における唯一の軍隊であるギャラルホルンに正面から戦いを仕掛け、勝利するにしてもそのために払った犠牲が戦いの規模に割にあまりにも少ない気がする事だった。
地球外縁軌道統制統合艦隊との戦いで鉄華団は組織の古株であり参謀を務めていたビスケット・グリフォンを失った。名もない多くの団員達も戦いの中で散った。だが、作中で鉄華団が勝利と引き換えに失った物はそれだけ。
最後まで戦い抜いた五機のMSのパイロットも、鉄華団に所属する名前のある団員も、ビスケット一人を除いて誰一人として失われなかった。最終回もグッドエンドのような流れだったし、一期は完全勝利だったと考えても良いと思う。
ギャラルホルンは鉄華団との戦いに投入された多くの兵士の命と、七大氏族の党首が一人、七大氏族の後継ぎが一人、そして300年間揺らぐ事が無かった治安維持組織としての面子を失った。
アイン・ダルトンという一人の兵士が居た。彼は恩人と慕っていた上司を三日月に殺害され、その怨恨から鉄華団との戦いに志願し、戦いの中で半身を失った。その後非人道的な処置を受け、MSと完全に融合した異形の姿で蘇る。
そして最後の敵として三日月の前に立ち塞がるのだが…彼の活躍は思ったよりしょっぱい。瞬く間に鉄華団のMSを三機倒し衝撃的な登場を果たした…かと思いきや、その撃墜したMSのパイロットは怪我を負っただけで無事だった。
アインは主人公三日月を上回る圧倒的な反応速度で主役機ガンダム・バルバトスを苦戦させるのだが、彼がバルバトスに与えた損傷は片方のアンテナを折った事くらいだった。バルバトスが追加装甲を付けていたとはいえ、辛い。
逆に彼は機体の性能でもパイロットの反応速度でも勝っていた筈の三日月が親友オルガ・イツカの激励により本領を発揮した途端に圧倒され、辞世の言葉を言い切る間もなくコクピットを潰されて今度こそ本当に死んでしまった。
鉄華団は主役だから勝つにしても、これではあまりに双方の戦果と被害に差がありすぎじゃないか?と僕は思った。勿論これを言うと、鉄華団の勝利を喜んでいたファンからは作品のアンチ扱いされた。水を差してるから仕方ないけど。
こういう事があって僕は正直鉄血のオルフェンズに良い印象を持っていなかったし、嫌いになってもいたけど、そういう気持ちを吐き出せる場所もなかった。僕のこの作品の評価が変わったのは半年後の二期が始まってからだった。
鉄血のオルフェンズ二期の舞台は一期から2年後。鉄華団という小規模な武装勢力がMSという戦力を有効に扱い、ギャラルホルンという巨大な組織に土をつけた事で社会情勢に様々な変化が訪れた世界だった
鉄華団の活躍により少年兵とMSの有用性が広まり人身売買は益々横行し、MSを所有する犯罪組織も増えた。一応秩序の番人であった治安維持組織の権威が地に落ちた結果、各地で犯罪行為や暴動も増える事になった。
火星は経済的に一期より少し豊かになり、鉄華団はテイワズに正式な直系組織として認められ急速に組織の規模を拡大。アーブラウの代表と強い繋がりを持つ事で地球に支部も設立し、順風満帆に会社経営は進んでいた。
組織が大きくなった弊害として同じ組織の先輩に睨まれたり、政争を繰り広げる偉い人達に目を付けられて敵視されたり利用されたり、組織が請け負える以上の規模の仕事を受けてしまって会社の経営が傾いてしまうんだけど
僕は二期のこういう展開が「ああ、本当にありそう…」と思えて大好きである。一期が若者達の夢のある栄光の物語だとすると、二期は現実は辛い所を見せられる転落の物語なんだろうか?栄光と転落は大体セットだけど。
結局鉄華団はギャラルホルン内の権力闘争に巻き込まれて地球支部の経営に失敗し、テイワズのNo.2に睨まれた結果組織を追い出され後ろ盾を失い、失脚したイズナリオ公に変わりファリド家を継いだ「マクギリス・ファリド准将」に肩入れし、ギャラルホルンでも最大最強の戦力を誇る大規模艦隊「月外縁軌道統合艦隊アリアンロッド」と矛を交えた結果大敗し、組織のNo.1とNo.2であったオルガと三日月が死亡した事で壊滅してしまった。
この二期を通してじわじわ、じわじわと一期で鉄華団が積み重ねた成功が崩れていく様は本当に凄いと思う。成功物語ならよくあるけど、その成功からの破滅を描いたアニメはあんまり見ない…無い事も無いんだろうけど、多分少ない。
主人公が敗北し、死亡する所まで描いた長編ガンダムも閃光のハサウェイ以来じゃないだろうか。パラレルが有りならファーストとゼータも小説版では…だけど、映像作品のTVシリーズでは間違いなくこれが初めてだと思う。
僕はこの二期の顛末にとても興奮した。完全勝利すぎて好きじゃないな…と思っていた一期の結末が、二期のこの完全敗北な結末に至るまでの逆算から描かれた物だったのだ、と勝手に思った。成功した人間はいつか破滅する。
ところが、一期の結末を大絶賛していた人達はこの結末を「雑すぎる」などと批判する。二期の結末が好きな僕が一期の結末が気に入らなかったように、一期の結末が好きだった人達は二期の結末が気に入らないようだった。
「鉄血は一期は良かったが、二期は…」という人もよく見かけるけど、じゃあ何故貴方達は一期でシノやラフタやアジーさんが不自然に生き残った事には文句を言わなかったんですか?と言いたくなる。言ったら喧嘩になるけど。
僕は鉄血のオルフェンズの一期に色々と不満があり嫌いだったけど二期で好きになった。逆に二期に色々と不満があって嫌いになったけど今でも一期は好きな人もきっと居る。どちらもこの作品が好きだった事に変わりはないと思う。
完結してから3年経って好きな気持ちも嫌いな気持ちももう大分薄れていた気がしたけど、結構作品について書いてしまった。悪く言われている所を嫌な気持ちになるし、きっと僕は今でもこの作品の事を好きなんだろうな。
鉄血のオルフェンズの次回作であるビルドダイバーズとその続編リライズは今のところ特に内容で荒れる事は無く、平和に語られている。逆にこの作品は今でも最新作であるかのように叩かれているし、話題に挙がるとよく荒れる。
この作品の話題が荒れる事で人が集まって新作の話題で荒れる事が少なくなるのなら、それはそれで良い事なのかもしれないな、と思った。今でも叩かれてるのを見るとつらいけど、きっといつかは落ち着いて語れる日が来ると良いな。
【追記】
僕は鉄華団の面々が好きでなくギャラルホルンに肩入れしていたので一期は好きではなかった、と言ったけれど鉄華団に好きなキャラクターが居なかった訳では無い。パイロットなら天才肌のミカより努力家の明弘の方が好きだったかな?
テイワズから鉄華団に監査役として派遣された「メリビット・ステープルトン」という医術の心得のあるキャラクターが僕は好きだった。少しオルガと良い雰囲気になっていた?ような気もするけど、二期を見る分にはどうも勘繰りだったみたい。
彼女は団員が負傷した際に応急医療が出来る医療要員が鉄華団に居ない事について団長であるオルガを諫める事が出来たし、ビスケットが戦死した際血気に逸りギャラルホルンを皆殺しにしてやると猛る団員達を前に「こんな事は間違っている、ビスケット君はこんな事を望んでいない」と涙ながらに訴えた事もあった。大人の目線から危なっかしい子供達を見守る、ビスケット亡き後の鉄華団のブレーキ役を務める存在だったような気がしている。
結局一期はメリビットさんが諫めるまでもなく鉄華団は勝利したので彼女の心配は杞憂に終わったのだけど、二期の末路を見ると…戦いから抜け出せない鉄華団は戦いの果てに滅びる事が決まっていたのかもしれないな、と思った。
経済学というか、社会の基本原則があるんだけど新自由主義が全体としては誤りなんだよ。
内容としては一度企業が大規模経済危機を迎えて保身に入ったら、金を溜め込んで景気を落とし、設備研究投資をしなくなることにより産業がズルズル弱まっていく。それなのに政府が何もしないほうが良いと景気悪化と産業劣化を放置する。
本来は産業空洞化とリストラを防ぐために、財政出動をし、そして企業を低貯蓄・高設備研究投資に導くことをしないとならないのに、むしろ首切りを加速し景気悪化を一層加速させた。痛みに耐えたあとの成長なんてなかった。
成長はどんどん落ちた。氷河期世代は小泉竹中の時代に社会に出た人間たちであり、氷河期世代を生んだ元凶。その象徴があのおっさん。
また財政破綻は外貨借金によるものであり、自国通貨建ての借金では直接は起きない。それなのに無理に自国通貨建ての財政均衡を狙って不景気を一層深める。
それから経済学は新自由主義一つではない。ケインズ社会主義やマルクス社会主義もある。
1990年までの日本が強い時代の経済学はケインズ社会主義であって新自由主義ではない。
大きく言うとまず国自身が日本の金の流れを調整する必要があるということ。そして民間の競争に委ねられず、独占で弊害が起きるものはやっぱり国が制御する必要があるということ。
水道なんか完全に値段好きに付けられるし、品質も最低限でいいからね。図書館や博物館なんか顕著だけど、競争がない民間なんて品質考えずに風俗本や数年前の旅行本を図書館に入れようとしたり社員は超低賃金労働でやりがい搾取するだけよ。
売るべき国営財産と言われてるのも果たして本当に売るのが正しいのかということはある。
けど競争がない民間ってのはその事業者になることができれば濡れでに泡の商売なんだわ。社会には害悪なんだけど。そこにとにかく収まって大儲けして害悪なことをしまくるというのがあのおっさん。
https://asagei.biz/excerpt/17942
誰でも判る事だけど、こんなものペットボトルがそれまで主流だったガラス瓶に比べて軽量且つ割れにくいからだよとしか言えない。
しかしこの手の短絡的な規制論こそ経済社会活動全ての衰退を招く事にいい加減気づいてほしいもの。
そもそも海洋汚染に関してならば、ペットボトルに対してならば、ゴミ箱なり回収箱を増やす方が余程対策になる。
これら短絡的な規制論自体が、経済、社会、場合によっては技術の発展や文化活動すらの衰退すら招き、逆に業務自体への弊害をも与えるのは事実だしねぇ…。
それはこの手の環境問題に限らず、ドローン規制やダガーナイフ規制、そして当時の児童ポルノ禁止法や青少年条例等の創作物規制またはネットカフェ規制やネット規制、著作権問題におけるネット規制、それこそ民間においてはフェミニストや特定の団体が行ったコンビニに対するエロ本の販売規制や近い所では赤十字やJAに対する業務妨害とかバイク界隈に対する3ない運動等々例をあげればキリがないものだからね。
それと少し前に問題になった、農家に対して規制をしようとしている種子法とかの問題もある意味ではその規制による弊害そのものの問題だしね。
本当、特定の団体や業界、議員や官庁とか自身のプライドや利権関係だけを見て、その後の弊害があると言う声すら聴く耳を持たずに短絡的に規制し続けていたらそりゃ日本もここまで落ちるのは必然だよねと思う。
何にしても今回のレジ袋有料化自体悪手であり、最悪なタイミングでやらかした事は間違いなく、これは世間一般に対して、環境対策と言うもの自体、消費者に不利益や負担をもたらし、不潔で、消費活動を停滞させた結果、経済的衰退をも招く碌でもない代物であると言う認識を一層強めさせただけの結果に終わる事だろうね。
これまでも環境性能を謳った余り、価格は上がったけど自動車やバイクの性能を落としたり、電球や蛍光灯の廃止を強行しLEDを強引に普及させた結果、少なくない人達に多大なる迷惑ばかりかけ続けたのは事実なのだから。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/06/3e864d496ae32141.html
普通にトランプ大統領が経済的視点からパリ条約の離脱を決め、環境問題から距離を置いたのはある意味正解だと昨今の状況を見ていて思うよ。
昨今の環境問題とやら自体、やっている事は消費抑制ばかりであり、結果、国家そのものに対して、経済的衰退や社会活動の停滞を招くだけの代物であったのは明白だったし、排出権辺りから本気でおかしな方向に向かい始めたからね。
少なくとも国家の経済活動を重視するのならば離脱するのは正解であったとは思うよ。
何しろ今の俗にあの方々の言う環境問題に対する活動自体、生産、消費抑制から来る経済衰退活動でしかなかったから。
こう言うのを見ていても消費社会は豊かさの象徴であるのに対し、環境問題は国家を貧しくする象徴であるよなと思う。
それから日本は経済云々言いながら、コロナの流行っている時期にも関わらず、この手のレジ袋有料化と言う経済衰退策を平然とやらかしたり、普段は偉そうに言っているくせにいざコロナ禍においては企業に対しての支援もまともにしなかったせいで多くの倒産を招く結果になったりと色々な意味でかっこいいポーズだけがしたい口先だけの人達しかいない中途半端な人達ばかりだなと見ていて思うよね。
事実これにしてもタイミング的にどう見ても五輪のポーズでしかないのは明白だったしね。
確かにトランプ大統領自体おかしな側面も少なからずあるけど、最近はそれ以上にあの界隈が黒人デモ以降世間に対して、自らの権利を盾にして、逆に表現や言論の抑圧をしだしたり、環境問題にしてもグレタ氏以降、あの手の団体の方々が更におかしなことをしでかしたりした結果、相対的にまだまともに見えだしているのも皮肉だとしか言えないよね。
※免責:4つとも自己の体験です(書く&無個性にはなれたことはないけど)ので「アンタ失礼な」って怒らないでね。自省の文とおもってください。
<書く&個性>
二次で個性ってのは結局注目してる部分だけ念入りに書くということだとおもう。
初心者は多かれ少なかれそうだ。小学生の似顔絵だってゆがんだ黄色い輪郭に5個の黒い部品をかいて「ピ●チュウ」ってタイトルつけてドヤ顔して「ねえねえ似てる?」って同級生に聞いてまわるやつ。おまえにはこの目にあたる黒い点が特に美しくみえたのだな、しっぽはわりとどうでもよかったんだな、ってのがひと目でわかる。タイトルがなければひまわりやキリンにもみえるとかあるある。
原作の知名度や、デザインの美しさを奥底まで噛み砕けず記号的に借りられる部分だけを借りて自分の願望を開放することになる。
(仕方ない部分もある。原作はキャラデザと塗りと動画と声優と脚本がわかれてるようなチームワークの商業作品だ。個人がちょっとやそっとで真似できるわけはない。)
それって結局作品をとおした承認欲求にしかならないのでは?となる。承認欲求が鼻につくうちはおいしく見えない。
ただ下手絵、下手文の時点でも運良く褒めてくれる赤の他人がみつかれば、その人とは原作のどこに注目しているかが同じ確率が高い。趣味があうのでけっこう長続きする気がする。(余談だが人生での友達の作り方もそんなとこある。社会人になって自分をとりつくろえるようになってからだとやっぱ外面が好きなの?自分の本性じゃないんだけどな、ってなりそう)
ただし、それはグーグル使ってタグごとうまく探せる場合に限る。ナマモノなどは違法(著作権じゃないぞ)だから検索がきかない(ようにしなければいけない)。
検索されないと趣味範囲が狭い上にリターンが少ない。となれば活動期間が少なくなりがち。
ぶっちゃけ、探し当てたときにはもう活動していなかった。あるいは疲れて離脱しそうなタイミングだった。というケースが増えてしまう。
というわけで書く&個性&あまりうまくもないってのは自由ではあるがいばらっぽい道であるといえる。
作風をさっさと人生の早い段階で固定できて、なんでも自分なりにじっくり読んで正しく噛み砕け、速攻で次の本を出せる本物の個性技巧派は、それにあった原作が次々みつけられそうならそうしているようにみえる。たぶんそれはいばらではなく自分の道だろう。
底力があって技巧やネタの引き出しがたくわえられた上で個性がエロ方面に振れてたり、純愛方面にフレてたり、恋愛テーマに沿って万人受けしてたりすると意外と化けてデビューして売れっ子になる人も。(男性向けだとそういう人が多い)
たとえば「素材」といえばAさん、「インモラル小説」はBさん、って看板さげていろんなジャンルを渡り歩き、悪くても島中誕席~オンリーでは壁サー、といったサークルさんがこのタイプに見える。
<書く&無個性技巧>
うまくなるのって癖を抜きながら技巧でひとをひきつけられるということなんだろうとおもう。自分の個性である癖を完全に抜いて良い技巧だけのこすのって、手間暇もかかるしなにより辛いことなので、めちゃくちゃ努力家さんが多い気がする。
というか、後天的にそうならざるを得ない場合もある。二次で「逆カプ」にドーンとはまった場合だ。評価を受けにくい(アンチを招きやすい)ので、「このカプの魅力が伝わらないのは私が悪いのだ」と思いこんでしまって地味な努力、癖を抜きつつ絵を磨く努力にいってしまう。
あなたの絵もお話もすごくいいですよっていいたい。けど1人で100人分の感想を書くことはできないのでいかんともしがたい。私は私のフィルターでしかものがみられないし一面的にしか褒められない。ラブレター代筆感想やさんを雇いたくなるのはこの人。
そのうち技巧派さんはジャンルに見切りをつけてあっさりオリジナルBLジャンルの商業デビューしたりする。しかしデビュー後にオリジナルやるとなんとなく埋没しがち。あれだけ上手い人が酷評ばっかりかよ!ってびっくり。
それはおそらく元ジャンルでの活躍を知ってた人が逆カプにアンチしたい一心で「受けの行動がおかしい、好みに合わない」と酷評していたり。または、元ジャンルでの活躍を知らない人がゆっくりつみあげてドンデンするのが上手な人の試読部分だけ読んで「絵が上手いだけの人」と思い込んでいまいちな評価だったりする。
または、とことん癖を抜かされすぎてしまっている(編集ェ!)。
「ねえその人、元●●ジャンルの人だからその無表情サド攻めは実は純情って展開ガチきますよ。このカシオミニを賭けてもいい。」っていいたい。言ってみたい。ああ~せっかく自由に羽を伸ばせるできる新天地でがんばってらっしゃるんだからどんどん売れてくれぇ。みつけたら応援票は入れる。努力家なんて絶対幸せになるしかない。
<読む&雑食>
雑な舌をしているので何を食べても幸せ。この人には個性はいらない。というか見えてない。
原作から二次抽出により共通化された記号がある程度とらえられていればそれで原作の感動をかぶせて満足できちゃう。
サビは何百回くりかえされてもいい。供給がどんどん出てくる。ドキドキしっぱなし。幸せ同人マン。
ひどいことになると逆カプでも絵柄やハンドルネームが似ていれば同一人物とおもいこむ。
感想送ったのに怒られたのなんで?っておもってるやつ。
間違うと怒られるよ。ほんとに。
さっきのたとえ感想で「純情」といってるのも書いてる本人は純情とはおもってない確率が高いのに本人に言っちゃう。
逆カプを褒めるにも「最大手カプに負けず劣らず良い」という言い方をしてかえって傷つけたり。
ワーディング一つで深い認識断絶が露わになる。
つまり舌が雑なくせに好みがあるとおもいこんで1人だけターゲティングして粘着するなよ。
「2位ではだめなんですか? どこが駄目ですか?」ってよく自分の好みを掘り下げてから発言したほうがいいとおもう。
<読む&偏食>
みつけられたら天国。出会わなければ普通の人でいられる。仕事を通して社会に貢献しよう。
はまったら自分の口にあう料理ができるまでつくるほうにはまらないといけないんだからそれだって幸せだ。
追記:ただ勝手に神扱いしてエモ感動ポルノ手紙送ると怖がられるから気をつけよう・・。相手もヒトだから信仰するのはやりすぎ
anond.hatelabo.jp/20200703185426 みたいになるぞ
※4つとも自己の体験です(書く&無個性にはなれたことがないけど)ので「アンタ失礼な」って怒らないでね。自省の文とおもってください。
トリプルチェックの弊害ってエビデンスもあって、例えば、トリプルチェックをするとシングルチェックとエラー検出率が変わらないので、時間ロスするだけなんだよね。 pic.twitter.com/nezesOfZZR— さとう㌠ (@sato_p6) December 2, 2019
まあ言いたいことはこれ。
基本的に伝記やドキュメンタリーって、監督側の意図が入りにくいんだよね。
メッセージ性を込めようとしても、どうしてもそいつ人生特有のノイズが入る。
こないだのフレディ・マーキュリーのやつもそう。
LGBTの勝利と歌を掛けてるのは理解できても、フレディの人生自体がLGBTで大きく勝利したわけではない。
LGBTから転じてみんな人生の勝利者だ、と言いたいのだろう。
しかしピントがぼやけてるし一般化できる事項ではないので伝わらない。
何より歌手として大成したのは彼らの才能と時代と努力であって、LGBTと何ら関係がない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcb4d22d8a35537e2e1d19cfb1d1d62943f7b322
しかしただでさえ黒人デモの一件ではあれでコロナを拡散させて黒人や反差別界隈に対して逆に世間はこの反差別界隈の人達に対してイメージの悪化をし続けているのに未だあの人達は何を勘違いしているのか、暴走し続けて、またポリコレ棒でアニメ界隈を殴り掛かっているのね。
それとツイッターで話題になって、問題視されたからか、黒塗りの表現が問題だとか言い訳し出しているのも最高にダサい。
しかしマジで今後黒人を彷彿とさせる表現やキャラクター自体が嫌悪されて、一切登場する事がなくなりそうだな(笑)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab58feafd19e90d71f3e6ee9dc894bacb77ceb51
これに関しても逆に白人の方々に対する職業選択の自由を奪う結果を招いているよね。
これを見ていても反差別やリベラルのあの手の方々は自身の権利や自由は殊更主張する癖に他者に対しては異常なまでに不寛容で他者の権利に関しては異常なまでに抑圧する事に執着するよね。
また近いうちにサウスパークでこの辺もネタにされそうだよなと見ていて思うわ(笑)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73447
まず初めにフェミニスト自体、当時キリスト系団体や与党等と一緒に児童ポルノ禁止法や都条例でネット規制や表現規制を声高に喚き散らし、推し進めたりしていた事。
そしてその後もリベラル系の野党と手を組んだりして、ゾーニングと称してコンビニの販売規制を推し進める様な動きや表現の抑圧をする行動ばかりしていた事。
何よりそれが行き過ぎて寄りによって最近では増長しすぎた結果、赤十字やJAの営業にも妨害をして、弊害をもたらした事。
これ等の事実の積み重ねがあるからこそ、フェミニストと称される方々が世間から問題視され始め、事実上反社会的集団と認識されつつあるのにいざ自身の風向きが悪くなるや否や急に誤解だとか被害者面をし始めるのは本当の意味でどうかと思うよ。
またコロナ禍においても世間が大変なのにこの人達はJAの一件や岡村氏の一件で大暴れをして、逆に世間から嫌われる様な行動ばかりし続けたのだから、フェミさん達が世間から毛嫌いされるのは残念でもないし当然であるとしか言いようがないのだけどね。
ここ最近漫画家や一部のオタクの方々は勘違いして、著作権でDL違法化拡大等を棒に先鋭化して、一般人やネット住人に対して殴り掛かって、嫌われ出す兆候が出始めているけどもこの人達フェミニストや反差別界隈は安定して、先鋭化し続けて、自身の権利や自由を盾に一般人を棒で殴り続けているのだから呆れ果てるよね。
そもそもフェミさんに多い腐フェミに対してはオタクよりも真の意味で腐女子の方々の方が実害受けていた分より敵視していたりするからね。
腐フェミの行動のせいで腐女子の方々が大迷惑をしていたのは事実だから。
何にしてもこのコロナ禍の一件以降フェミニストや人権ゴロと称される様な反差別界隈の人達はより空気の読めない行動ばかりし続け、世間からより問題視されているし、彼ら自身も先鋭化し続けて、順調に崩壊し始めているよなと思う。
はじめに
地方分権とは、戦後日本の憲法に定められた重要な項目の一つです。
国政と分けて、地方の事は地方の住民が決める。それは政府では対応しきれない全国津々浦々の問題を、その地方で独自に解決していくという道筋でもあります。
そしてそれは生活水準の向上と生活や社会そのもののあり方の多様化にも対応の道筋を残す、希望の憲法と言っても過言ではありません。
歴史を紐解けば、民主主義上での独裁政権の誕生では、地方自治体の選挙から勢力を拡大するという構図もありました。
また戦時中においては、地方自治という枠組みをなくし、政府の一括した管理化に置かれるという場面もありました。
そして現代においては、国政の議院内閣制の弊害である議席確保のため支持団体の利益誘導に奔る政治家の姿を生むに至りました。
政治の学問の世界でも、それは古くから指摘されている問題点です。
では国政政党とはどこまでをその意志の範囲とすべきなのでしょうか。
その自治体に住む住民一人ひとりの意志を一票で証明して、そして未来を決めていくものです。
選挙権は人権です。住民の意志で決めるを定めているのは憲法です。
その人権と憲法よりも国政政党の思惑は優越するものなのでしょうか。
「政党の意志」とはあくまで政治思想であり、地域住民の個々の意志判断よりそれを優先させようとする現代の通念は、
戦争や独裁政治の歴史的な反省に真っ向から対立する、異様な思い込みなのです。
現在、私達の日本国は、徹底して若者を未来への希望を抱かせない低賃金労働の社会へと追いやりました。
政党と連動する利益誘導を目的とする団体の思惑が優先されるようになりました。
その問題に途中で都知事や都議が気付き止めればよかったものを、取り返しの付かない社会問題になるまで放置されたのです。
それは国政の政権争いに付随する利益誘導を当たり前のものとする政治を、切り離されて然るべき地方自治体にまで及ばせてしまっているのが原因です。
国が悪い政治を行えば、その盾となるのは地方の自治体の政治ではないですか。
しかし国政政党の思惑に沿うばかりの政治家達は、その基本的な問題に対して取り組む事は無かったのです。
そうして最後に追い詰められるのは、利益誘導のために駆けずり回らされそして世間に問題が発覚した時にひたすら謝罪させられ責任を負わされる都の職員と、
多額の税金を払い続ける私達なのです。
結果として、オリンピックも多額の税金が投入されましたが、不透明な金銭の流れを追求する政治家は皆無で、国民は無給のボランティアで働かせられる事になりました。
若者を企業にとってひたすら都合の良いように低賃金で働かせる社会になった現在は、毎年50万人以上の戦時中のような人口減少を引き起こす日本となりました。
それでも政治家は、地方行政を利益誘導と国政の政権争いの踏み台にする事をやめないのです。
そしてそれは、この問題構造に気づこうともせず、政治家に利益誘導をしろと言い続ける有権者の責任でもあるのです。
私は若者が子供達が。これ以上自分のしている事に気づかない大人達の犠牲になる事は見過ごしていられません。
今こそ当たり前の事を当たり前に行う、私達の政治を行うべき時なのです。
それはシンプルに、憲法に則り人権の理念に沿った指針で動く、そうした立候補と政治の事です。
この問題解決の鍵は地方自治体の選挙である東京都知事選であり、思い込みの中で逃れられない大人達と子供達の未来を救うためのただ一つのチャンスでもあるのです。
東京都における公的資金を受けた事業に対し、その資金の流れを監視します。
対象は国また地方自治体に限らず、多重請負、不透明且つ複層化した外注などを行っていないか確認し評価します。
IOCと日本のオリンピック運営委員会に関わる利権構造を調査し、全て公開します。
東京オリンピックを機に、オリンピックそのものの健全化の実現を目指します。
(開催期間中に停戦を呼びかけるオリンピックの、権威性を後押しし支えるものです)
東京オリンピック以前以後と評価されるよう、オリンピックそのものを改革し、その名誉を東京都民のものとします。
コロナの影響下にあるオリンピック・パラリンピックは、なるべく選手達の希望を叶える方向として、実現に向けた動きをします。
感染拡大を防ぐため無観客や期間の変更を伴う計画設計に併せ、5GやVR等の技術を駆使した全世界へのネット配信等、放送収入の新しい形を提起します。
多様化と複雑化を続ける社会に沿った、新しい議会の形を提起します。
(常時発生し続けると言っても過言ではない社会問題のリアルタイムの可視化と各議員との情報伝達。議会での解決量の増加、二十四時間体制での情報収集と分析するシステムの構築)
全世界の思想良心身体表現の自由と尊厳を侵害されている人々が、東京であれば自由を謳歌出来る。そうした都市にします。
基本的に政治思想的ムーブメントには賛同や批判を行わない方針を取ります。なぜなら、行政とは問題に対する評価へのアプローチではなく問題の原因そのものに取り組むものと認識するからです。
動物愛護について
ペットショップにおける、保護動物の販売枠の取り決めを行います。関連した動物達へのケアや従事者との連携の拡充を行います。
殺処分を減らす取り組みと同時に、必ず件数を計上し政治的アピールのために実情を覆い隠さないようにします。
行政サービスを受ける上での簡略化(必要な書類等の確認や予約等を行えるアプリ)を目指します。
行政サービスを受ける上でハードルのある障害の方(発達障害を含む)に対するサポートの制度を設けます。
都議会の動き、各議員の動きなどを逐次そのアプリで追えるようにします。
東京都という自治体から国に対する要望の提出に付帯する、署名の投稿機能を設けます。
(スマートフォンとの連携で音声による予定の表示や、ゴミ捨て日、また納税等の手続きの予定や方法などを表示し、生活をサポートする機器です)
研修を受けた学生達が地方に帰った後、行政や議会に携わる際に応用できる基礎的な経験を養うのを目的とします。
氷河期世代の救済
全国の自治体と協調し実現する、失われつつある技術の保護を目的とした雇用の創設します。
都知事直下に氷河期世代以降の若者の救済を兼ねた、災害時、大規模イベント時の補助、その他必要に応じた対応を行う職員の枠を設けます。
当初は数名から始まり、目標としては五千人以上(上記の全国規模での雇用の創設に関連する、都の事業の従事者として)を目指します。
明確な人権侵害である。高齢化する引きこもり問題に対しては行政としての対応が拡充されるべきであり、人権侵害を平然と行う連れ出し監禁行為に対する徹底的な撲滅を図ります。
(東京都で働く方々をつらい状況に置いておく訳にはいきません)
海外からの渡航者に対する、性風俗利用時の性病検査証明書の提示義務を設けます。
少子高齢化の進む中、民営化は生活基盤の破壊に繋がりかねません。
30年から50年先の社会動向を見据えた、地方自治体の存続性の強靭化を図ります。
女性に関して
性に関する概念が多様化する社会における、女性が成人するまでの情報の複雑化への配慮として、女性に対する行政の相談機関や窓口を一元的に示す冊子を発行します。
貧困の救済
段階的な回復(カフカの階段を参照)を登る、住宅から就労までの一貫性を持った支援を行います。
徹底的な若者に対する低賃金化と繰り返される増税で、疲弊する都民国民の生活を守るため求めていきます。
交付された際の使い道
・妊娠出産から一定年齢に至るまでの支援予算(保育等に関連するものも含む)
・女性用シェルター、ホームレス支援など困窮者に対する緊急支援施策予算
原則公開。各議員に対する要望は同時に都に対しても文章で提出を義務化し、透明性を確保させます。
要望自体に対する評価は行わず、事実確認の資料としてのみ扱います。
同時に東京都知事に対して告発しなさい。推移を見守り、場合によっては声明発表や職場を用意し救済を行います。
コロナの現状と以降について
コロナ対策として各企業で実施された、労働時間短縮、リモートワーク、付随して発生した電車の混雑状況の軽減の維持を強く進めていきます。
流行が落ち着いた後の都内における経済活動の復調のための、都内観光業、飲食娯楽関連の支援と国内外に向けての宣伝を行います。
事務所の分散移転(西東京、多摩地区、近隣各県への事務所移転を促す)
満員電車問題の解決と同時に、感染対策と通勤時間等の労働環境の改善を目的とするものです。
全国の自治体と協調したスギ花粉対策。切って切って切りまくって、無花粉スギや環境に適した森林への転換に向け植えて植えて植えまくります。
国の協力が得られない場合、東京都民に向け(アプリを使用し)署名と個々人の要望の提出を呼びかけます。
クリエイター(アニメーター等)の生活支援。低賃金労働の構造的実態調査。
世界各国のアニメ、ジャパンエキスポ等への東京都としての出展。
東京都のふるさと納税の返礼としてのアニメ、漫画作品の作成(未完や続編が出ない作品など全国の市民に対する要望を集める)
表現に対するハードルのある国との、表現の自由の実現のための交渉。留学事業の実現。
有害図書指定に関連して発生した作者、出版社に対する損害の調査と、実質的な成果に対する見直し。
行政としての公正公平さについて
特定の人種あるいは国籍を掲げたキャンペーンに対しては中立の立場をとります。
転じて、地方行政特に東京という都市は人種国籍に左右されず「都民」として行政サービスを提供する事を宣言します。
性別、人種、階級等の制限を受けない人権の理念を参照する方針です。
性に関して
同性愛等の性的少数者などの枠組みに左右されない、人生のパートナーあるいは家庭のあり方に対する行政としてのあり方を模索します。
文化、法律、社会動静、哲学、宗教等、あらゆる性を規定する概念に対し行政は中立です。
市民がそれらの概念に関する闘争に、明け暮れ巻き込まれ人生を費やしてしまう事の無いよう、政治行政の制度設計や指針の提示などその役割を全うします。
選挙に関して
東京都内で行われるあらゆる選挙に関する、候補者に対する差別的な報道姿勢に対する規制条例を制定します。
あるのかね。仕事が出来る、イケてる男ってのは大体良いセックスをしまくってるもんだ。SUGIZOもそう言ってたし、統計でも年収と相関があるらしい。俺は稼げるようになりたいね。
でもな、セックスすれば稼げるって訳でもないんだよな。優秀な奴が結果的にセックスしてるだけな気もするんだよな。もしくはそいつがセックス及びハンティングによって何かを得ているのかもしれんが、少なくとも「〜だから〇〇」みたいな一方的なもんじゃないだろうな。
俺?筋金入りの童貞さ。清い。なんせそれらしい雰囲気を察すると全力で回避するレベルの清さだ。でもなあ、俺が本当に守ってるのは童貞じゃあない気がするんだよな。プライドともちょっと違う。
なんつーの?対人恐怖症?とにかく絆っつーもんが怖いんだわ。他人なんてとても信用できないね。いやセックスはしたいんだがね。穴に突っ込んでどばぁ〜っだけじゃセックスにはならんのと思うんだね。
何の話だっけ?まあいいや。
自分も差別に対する反発は人並みにあるので、基本的なスタンスは反差別のつもりだし、「黒人の命は大切だ」という主張自体には賛同できる。
賛同はできるけど、個人的にBLMの運動に関しては賛同よりも困惑の気持ちが強い。BLMの運動が誰に対して何を要求していて、何を達成すればゴールとしているのかがよくわからないからだ。
「Black Lives Matter」は優れた標語だけど、政治的な要求として見た場合、あまりにも抽象的すぎると思う。
「Black Lives Matter」というワードが持て囃されて、有名企業や著名人が賛同を表明するメッセージをSNSに投稿している光景は、幅広い連帯を感じられて感動的ではあるけど、実務的な問題を無視していて、無責任で浮ついた雰囲気を感じてしまう。
もちろん最終目標は黒人差別・人種差別の根絶ということになるんだろうけど、いきなり一発でそれを完全に解決するというのはどう考えても無理なわけで、当面のゴールとして今回はここを目指しましょう、具体的にこれを要求しましょう、みたいな現実的な目標設定が必要なんじゃないか。
かつての公民権運動では、白人専用とされる施設や場所で起きた事件を争点として、そこに対する座り込みなどの手法で段階的に運動が行われていって、最終的に合衆国全体における人種隔離法の廃止と公民権法の制定が焦点になって、それを達成したという流れだったと記憶している。
一方で今回の運動では、(日本国内にまでその手の話が流れてきていないだけかもしれないけど、)反差別意識の共有と連帯を掲げる宣言や、そこから逸脱した人物や企業などへの非難などが個別に行われているばかりな印象が強く、運動の具体的な争点やゴールの話はほとんど聞かれない。
社会運動が成功裏に終息するためには、法の改正・制定とか、何らかの計画の実施・廃止とか、そういう具体的な目標を決めた上で、そこを目指して声を上げることで政治家を動かして、最終的に明確な成果を獲得する、というような流れが必要だと思うんだけど、現状のBLMはそういう部分がハッキリしないまま、運動の規模だけがどんどん大きくなっている。
このままだと、政府や政治家や警察の側も、運動に参加している人々を納得させるために何をどうすれば良いか、と言った方針が立てられないので、交渉や妥協を行う余地がなくなってしまって、出口の見えない混乱が悪化する一方に思える。
また、運動としての方針やゴールが見えないままにBLMが広まっていくことの別の弊害として、「BLM」の指す範囲を明確に定義できなくなってしまっていることもあると思う。
その範囲の中には、店舗の略奪や放火を行うような連中や、かなり極端な反政府主義者、あるいは別種の差別主義者などが含まれている。
現状で明確な方針が無い以上、「BLMの方針はこれと定まっているので、そこからかけ離れた言動をしている(過激な)人間はBLMとは無関係である」というような振り分けをすることは難しい。
結果として現状では一部の層がBLM運動の中で悪目立ちしていて、中立的・穏健的な立場から見たBLMへのイメージには悪影響をもたらしているし、一部反BLM的な主張のタネにもなっている。
こういった層が、せっかく強まっている運動の勢いを殺す原因となるようなことをそのうちやらかしてしまう可能性は高いんじゃないか。
とはいえ、BLM運動自体、明確に組織化されているわけでも、誰か特定のリーダーが存在するわけでもないようだから、全体としての方針を定めるとか政治家に働きかけるとか、そういう動きを取ること自体がそもそも難しそうな印象はある。
インターネットやSNSの普及で個人の発言力や影響力が大きくなったことは、この手の問題の認知が早まり、運動の規模を大きくなりやすくした反面、運動そのものを率いるような強いリーダーが存在しづらくなって、統率が取れず無秩序な集団にしてしまう側面があるように思える。
あるいは、SNSの普及以前にはリーダーとなりうるような人物が先に存在していなければそもそも大規模な運動にまで発展できなかったという生存バイアスみたいな話なのかもしれないが。
何にせよ、現在のBLM運動はゴールの不明確さによって不安定で好ましくない状態になってしまっているように感じる。
「今現在人種差別が存在していて、それは解決する必要のある問題である」ということは間違いない事実ではあるわけだから、どうにか妥当なゴールを見つけて前進できればいいなとは思うけど、まあ結局日本在住の一般人に何かできるというものではないんだよな。
こんだけ頑張って書いたんだからちょっとくらいイキってもいいですか?いいよ。
昨今のインフルエンサー概念の興隆に伴って、SNSや動画配信サイトで情報発信、啓蒙活動を行う人々は増えてきており、上っ面だけキラッキラさせた目を引くようなサムネイルや視聴者の下世話な感情に訴えかけるどぎついタイトルのコンテンツをバンバン打ってPV数フォロワー数リツイート数チャンネル登録者数再生回数稼いで私たちソーシャルメディアプロモーションドクターズは世の中をより良くしていってます!みんな応援してね!あっどうもどうもホニャララ医さん、ご無沙汰してますぅ↑↑↑↑↑いや〜あの動画めちゃくちゃよかったっすねぇ〜、なかなかバズっちゃってるんじゃないですか?そうだ、今度一緒にコラボ企画やりましょうよ、えっ!ホニャララ医さんってナンタラ医さんと繋がりあるんですか!?私あの人の隠れファンで、ええ、今度飲む時に紹介してくださいよぉ、ガハハハハワハハハハ、みたいな、大学卒業したのに部活動サークル活動の内輪ノリが抜けきってないまま人前に出ちゃってますけど本当にそれでええのんかと思わされる医者も目立ってきていますよね。
もちろんこの人たちも半分趣味でやっているところがあるのでしょうし、予防衛生の概念はますます重要視されてきています。華々しいエンタメの裏側じゃないですけど、依然として厳しい状況におかれている病院の現場では熱心に診療活動をされているのだと思います。しかし、どうも私には、彼らとrei氏のやっていることにあまり差異がないように思われるのです。(念のため付け加えておくと、こうした情報発信は私の領域ではない、私には私にしか解決できない他の問題があるという信念のもとに働いておられる方もいることは充分承知しております。)
理解能力に大きなばらつきがあるたくさんの人たちに向けて情報を送り届けるときに必ず立ち現れてくる、分かりやすさと厳密さのどちらに重きをおくか問題は、永遠にして普遍的課題でありますが、おもしろおかしくて覚えやすいキャッチーなコンテンツは瞬間的な消費には耐えたとしても長期的には多くの面で弊害を生じさせるのではないか、と私個人は考えています。ただでさえ医者は人々に対して権威的上流知識階級であるという印象を持たれているのですから、あんまりにもあんまりな情報発信を批判しこそすれ、発信する側に加担してしまうのは、職業倫理上よろしくないと思います。医療従事者は自身の潜在的なパターナリズムに意識的であるべきだ。迂遠な言い方になってしまいましたが、つまり、本職の医者が積極的に糾弾していくべきrei氏の文章をなんでただの医学生の俺が糾弾しているんだよ、おかしいだろ。だって2018年から存在しているrei氏のツイッターアカウントは6万フォロワー超えてんだよ、何個も何個もツイートをバズらせてて、しかも今流行りの発達障害に関するライフハック本をKADOKAWAから出そうとしていて、それで日本全国に30万人近くいる医者の誰も知りませんでした今初めて存在を知りましたって、んなわけあるか。6万フォロワーのあるある芸人なんて全然有名人じゃねーよとおっしゃるのであれば俺は振り上げた握りこぶしをそっと下ろすしかないが。そりゃインターネット論客みたいな、能力が及ばなくてアカデミアにも進めずかといって地域に根付くこともできなかったしょっぺえしょっぺえ小物を相手にするのは常識を備えたまともな大人がやることじゃないかもしれないけどさ、時代は少しずつしかし確実に変わりつつあって、インターネットに居場所を持つ人はどんどん増えてきてるわけ。そういう状況下で、いい加減なことを無責任に言い散らかすような存在を無視しちゃいけなくなってきてるんだよ。自分が医者として働いてて、患者が「僕チー牛顔なんで〜、モテないんすよね〜、やっぱ先進国の女はチー牛顔を求めてないし〜」なんて言ってきた場合、どっから説明したらいいか頭抱えちゃうでしょ?増田キレすぎワロタとか草生やしたり冷笑する暇あったらその廃用症の脳細胞に鞭打ってちょっとくらいは想像してくださいよ。こんだけ俺のパーソナリティを開示してるんだからさ。今のうちに意味不明な言説の芽は叩き潰す。そういう感じのモチベーションで書きました。ここまで言えばわかってくれますか?今のインターネットの、目も当てられないくらいの、情報汚染、リテラシーの欠如、質の悪いコンテンツの氾濫、尊き価値創造の営為へのリスペクトを失った盲目的消費者。絶望ですよ、絶望。あぁ、もうさ、これ書き始めたの土曜日で、そっからほぼぶっ続けで書いてたらもう日曜日が終わっちゃいそうなんだよ。このnote以外にも、頻繁にrei氏は論文を紹介するnoteを書いていたり他のアカウントにこんな論文もありますってリプライを送っててさ、もうやってらんないよ。どうしたらいいの?誰か教えて。
あーあ、柄にもなくID真っ赤にして怒鳴り散らしてしまった。もっと優しく温和な人間になりたいナ。そろそろ試験勉強に戻らないといけないので、それでは。
まず言っとくと俺はドラハラ(ドラゴンボールハラスメント)を受けたわけでもないし
むしろド直球のDB世代ではあるがそれでもドラゴンボールが嫌いだ。
ドラゴンボールという作品の説明は流石に不要だろうからここは飛ばすが国民的人気を得ているのは別に不満はない。
むしろ国民的人気を得てしまっているからこそどうしても申し出たい事があるのだ。
ドラゴンボールの世界においてはとにかく戦闘力が全てである。途中から数値化するのは止めてもそこは揺るがない事実である。
そんな戦闘力のインフレはフリーザ戦から始まったと言ってもいいのだが俺はそのフリーザ戦を大きく評価している。
ノーマル状態の悟空がフリーザと良い戦いしていると思いきや裏で界王拳で10倍も引き上げていたと分かった時の絶望感は未だに覚えている。
そして初めて超サイヤ人になった場面のカタルシスは凄まじく少年漫画史の頂点に飾れるといっても過言ではない。
しかし超サイヤ人の登場と同時にドラゴンボールという物語は終わってしまった。
これから始まるのはサイヤ人の為のサイヤ人によるサイヤ人の物語だからだ。
本来はフリーザ編で終わる予定だったものを引き延ばして人造人間編(セル編)なんてものを出したから狂ってしまった。
宇宙一の強さを誇っていたはずのフリーザを倒した超サイヤ人がなぜスカウターすら作れない地球の科学者の開発に負けるのか
ドクターゲロの科学力は宇宙一と言われれば身も蓋もないが、やはり匹敵もしくはそれ以上の力を持つ敵が現れないと話が始まらないのだろう。
超サイヤ人が負ける姿も見たくはなかったがそれよりそれ以上に戦闘力のインフレの弊害を受けているのがサイヤ人でもないZ戦士達だ。
セル編でZ戦士が活躍した場面なんてピッコロがスッキリしない戦いしたのと天津飯がセルを足止めしたぐらいだろう。
あとはサイヤ人達が超サイヤ人の壁を越えようとしている別次元のスケールを腕を組んでただただ眺めてるだけだ。
セルゲームの時の彼らはもうセルジュニアに一方的に蹂躙される為だけの存在となってしまった。
ブウ編はもう説明不要だろう。Z戦士達はブルマと変わらぬモブとなってしまった。ピッコロだけは保護者として頑張ったとは思うが。
そもそもクリリン除くZ戦士は界王様の所に行ってんのに界王拳を覚えなかったのが最大の失敗と思える。
もしZ戦士が界王拳を取得していればサイヤ人は超サイヤ人を極めたように界王拳を極めていくという生きる道があったはずだ。
しかしそれはもう今となっては時すでに遅しでピッコロなんか界王拳覚えてないのにドラゴンボール使ってまで自信満々でナメック星に行ったのも未だに納得いってない。
それはともかく戦闘力こそ全ての世界とはいえ国民的人気を得てしまっている作品がこんなにも超実力至上主義というのはどうなんだろうか。