はてなキーワード: 弊害とは
7割超のコンビニ客がレジ袋辞退…大手3社、有料化の売り上げへの影響みられず
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20200814-OYT1T50258/
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62514220R10C20A8HE6A00/
しかし百貨店にしろコンビニにしろ売り上げ低下は長雨やコロナ禍の影響、レジ袋有料化は売り上げへの影響は見られない(キリッとか言い出しているのが面白い。
そもそも売り上げだけではなく案の定、先に行い海外の事例としてあった万引きが日本でも問題化し始め、前々から指摘されていたクレーム問題等が起こり始めたりしているからね。
それに普通に減収に関与している可能性があるのは現場が指摘しているじゃん。
コンビニに関しても現場と上層部だと視点の剥離が酷いのだろうなと読んでて思えるよね。
それに万引きに関してはその対策費用の方がヤバくなる指摘も当時あったし、今回に関してはコロナのドサクサと言う衛生面でも最悪なタイミング且つ、温暖化方面については当時から否定され、今回彼等が盾にしているウミガメシールドも0.3%に過ぎないとか色々ボロが出始めている上に消費者自体が不便さを強要され、一般人から見れば、その環境問題への対策とやらそのものに対しての印象最悪と化しているので、この一件は今後の彼等の環境対策(笑)とやらにも足を引っ張り続ける事になるだろうね。
それに小泉進次郎大臣はこの時期にも空気が読めずにマイボトルとか言い出す様だし、環境省自体、動物愛護とかその手のとも絡んで、おかしな方向に行っているし、日本に関しても色々な面でもうこの手の運動の終わりが見えだしたよね。
前々から判っているけどもこの大臣もただ世間に良いポーズをしたいだけの人だと言う事がこの一件でも良く判る。
しかしgotoと言い、この件と言い、やる事なす事全て、逆回りになって、政府自体へとヘイトが向かっているのだから面白いなぁ…。
旅行会社や遊園地等にしてもコロナ禍以前から小学校の夏休み短縮等の影響から稼ぎ時が減っていたのは事実だし、今回のgotoは世間の印象も最悪で旅行関係はガチでヘイトを買う事になったからねぇ…。
コロナ禍以前の夏休みの短縮は日本の学業や学力が低下したからとあの人達がやらかした結果だけど、そもそも学習時間自体無駄に増やしてもきちんと理解できる環境と教育をしなければ意味がないんだけどね。
その上教員への負担が更に増えて、人員も増やさないから余計に弊害が出ている格好。
それにあの人達が我欲優先で金も出さないケチ臭さの癖に良いポーズをしたいだけで深く考えずにやらかし、更に余計に事態を悪化させるのは今回のコロナ禍でも発揮されたからね。
広島で生まれ育って子供の頃から偏った平和学習をさせられた弊害で、ひねくれた人間になってしまった
原爆の悲惨さを語られるたびに「でも通常の兵器と何が違うの?なんで原爆だけ特別扱いするの?原爆に反対するならすべての武器や兵器に反対しなよ」と考えてしまう
例えるなら「ショットガンは危険だから規制しましょう」って叫んでるようなもの ショットガンの他にもライフルとかマシンガンとか危険な武器いくらでもあるじゃん
爆撃を受けた都市だって広島以外にもいくらでもあるでしょう バグダッドとか最近でも空爆受けてたぞ
そういうのを無視して「ノーモアヒロシマ」とか言われるとなんか無性に腹が立つ
本八幡です。
言及いただいた通り、自分も感動した部分も、きっと他者もまた感動しうるであろうと考えることはとても大切なことだと思います。
けれども、それについて自分の感情の揺れ幅という棍棒を振り回すだけで語って良いものか、その棍棒の振り回しが尊いものである/常套手段とするべきであるという発想はどこから来るのか、あるいはそうしたことから来る弊害があるのではないか、とも感じています。
別枝の共感のコメントを読んで、現代は共感の時代と改めて思います。
共感する際に、「自分が強く突き動かされた」「相手を神と思った」ことを主軸に語ることは本当に共感の感覚に行き着くのでしょうか。
このことは最後に書いていただいた他人との感情の差異や距離感を考えること、そうしたことから惹起する孤独や寂寥なんかを考えるときにも大切になってくると感じます。
10人くらいの任意団体のトップを、6年間やらせてもらってきた。
元々、トップの立場になるとは思っていなかったのだけれど、なんとなく自分がやることになるかもしれないというのは、その二年前くらいから感じていた。そして結局、前任者から引き継ぎ、ここまで走り続けてきた。
最初は前任者のやり方と同じようにやっていたけど、2年目くらいから自分のやり方を少し混ぜていった。
この組織を「チーム」として機能している状態にしたかった。共通の目的を共有し、自律的に動くメンバー、協力しあえるチーム、実行力のあるチームを作りたかった。
この6年間チームマネジメントの理論は学んだ。メンバーが活躍できるチームを作るための手法、事例も学んだ。チームビルディングにつながるはずのワークショップも何度かか開催した。自分なりに取り組んでいるつもりだった。
しかしながら、今の組織は自分が理想としている「チーム」にはほど遠い。どうして自分の理想とする、共通の目的を達成するためにメンバーが自律的に協力しあえるチームになれないのか。自分は、こんなにも理想的なチームを作りたいと願っているのに。
この6年間、メンバーの入れ替えもあったけれど目指すチームを作りあげられなかったのは、自分に組織のトップとしての器がなかったと言わざるを得ない。自分自身の足りないところは、自分の思いをメンバーに伝えきれていないことだと思っている。自分自身が思っている以上に、メンバーに自分の思いを伝えきれていないのだと思う。
理想的なチームを作るためには、リーダーも含めて、チームメンバー全員の自律的な取り組みが欠かせないと思っている。だからこそ、強制力を伴う具体的な指示を敢えて避けてきた。しかしそれでは、自分の思いが他のメンバーに伝わっていなかったのだ。
そして今、組織の存在が危ぶまれるくらい人員不足に陥っている。多くのメンバーは仕事が忙しくて、この組織の活動に割く時間が取りにくくなっていて、4人がこれ以上は続けられないから今月で辞めると言っている。新しいメンバーがひとり決まっているけれど、その他に加わってくれるメンバーが決まっていない。
ここまで来ると、この組織でやれる活動なんで、たかが知れたものにしかならない。こうなると、どうせ任意団体なんだから解散してしまうのもありかもしれないと思ったことは何度もある。それでもそうしないのは、なくしてはいけない、本来はかなり重要な役割を担う組織なんだ、と考えているからだ。先達たちが作り上げてきた歴史があるのだ。
結局、自分がトップにいるのが一番の弊害なのかもしれない。老害になってしまっているのかもしれない。それなのに、トップになってくれる人がいないのだ。
まずはもう1年、新しい体制でイチから組織づくりに取り組むつもりだ。どんなにかっこ悪くたって、自分の思いをがむしゃらにメンバーに伝えたい。そして本当の意味で、この組織を「チーム」として機能させたい。
だから今度の会議では、みんなにこう言うつもりだ。「みなさんと一緒に良いチームを作りたいと思っています。みなさんの力を貸してください。」
自転車で1.6キロあおり運転? 傷害容疑で男を逮捕:朝日新聞デジタル
[B! 自転車] 自転車で1.6キロあおり運転? 傷害容疑で男を逮捕:朝日新聞デジタル
はてなに限らんが、ロードバイクという乗り物に対して、「速度が簡単に出て、乗り手は走り出すとヒャッハー!な感じで暴走してる」という前提で批判を始める人は多い。
よく考えてほしい。一般的なロードの速度である20~35km/hくらいの速度はママチャリでもそこそこ出せるが、その速度で走っている時に何も考えずヒャッハー!な頭でいられるだろうか。
これに「イエス」と答えるならあんたはイカれている。とまでは言わないが、批判している筈のロード乗りのイメージと何ら変わらない人間だと言える。
交差点がなく路面状態の良い場所ならまた話は変わるが、みんなが批判している街中というのは自転車にとってそんなに恵まれた環境ではない。
まず車がいる。
交差点の度に「前の車が左折する可能性」や「対向車が右折する可能性」を念頭におかなければならないし、駐車場から車道に入ってくる車も予見しなければならない。
後続の車が自分を抜かし難そうにしているならもう少し左に寄ったり、避難出来る場所か歩道に入り道を譲る場合もある。
間隔を空けず真横ギリギリで抜かしていく車もいるし、抜かした瞬間に幅寄せする車も結構いる。
目の前を走っていて路駐する体勢に入る車がいれば後方を確認しつつ無理そうならこちらも止まるし、そういう車を追い抜く際にはドアが開く可能性も考えなきゃいかん。
マナーの悪い車の中には窓を開けてゴミを捨てて、それがこっちに衝突する事だって極稀にはある。俺が経験した最悪の例はボトラーなトラックの運ちゃんが窓から小便を振りまいてくれた事だが、当たっただけで転倒するものが落ちてくる事だって考えられる。
なんか全部書くと長くなりすぎるんでここで切り上げるが、車との関係性だけでこういう懸念事項を考えながらロードは走る。と言うか、ロードに限らず車道を走っている乗り物はみんなそうだろう。
これは平地の話だが自転車の場合は上りや下りでも色々と不安が出てくる。
ここから更に他の自転車やバイク、歩行者、路面状況や体調、天候や時間帯、そういうものを加味しながら、決して息が上がったり心拍数が高くならないよう、冷静な頭で走らなくてはならない。
抜かされてキレると言うよりは、こちらがこれだけ気を付けて走ってるのに他の自転車は好き勝手に走っていて辛い、という様な悩みを持つ者が多く、今回の爺さんはその辺で正義感拗らせたタイプではないかと個人的には思う。まあそれにしても短気で決して擁護出来る話ではないとは思うが。
(こういう話に「じゃあ歩道走れよ」と言う人がいるが、本来は歩道だってこれくらい神経質に走るべき場所だ。死角が多く路面は悪く幅も狭く左側通行という概念もない。正面衝突の可能性なら車道よりずっと高い。歩道の方がマシと思っている人は本質的にロード乗りより安全なわけではない。反対に、車道をもっとゆっくり走れと言う人も、その弊害を理解していない)
当たり前だが、こういう諸々を考えずヒャッハー!な頭で走っている奴はいる。それは否定しない。
あるいは、普段はある程度冷静でも、定番の田舎のコースなどに行くと、あたかもクローズドなレースであるかの様に走る馬鹿はいる。
しかし「街中で走っているロード乗り」の大半はそうじゃないと俺は思う(と言っても俺は都民じゃないんで、本当の都会ではそういう連中が蔓延っている可能性を必ずしも否定は出来ないが)。
と言うか、俺が一番怖いと感じるのは歩道をメインに走っているクロスバイクやMTB勢なんだが、まあその辺の対立を煽るのも嫌なんで割愛するとして。
ロード乗りへの批判ってみんな、「ロード乗りは速く走ってるんだから無理して息上がってて冷静じゃないんだろ」みたいな考えが背景にあると思うんだよな。あんなに速いんだから、その時点でおかしいだろ、みたいな。
しかしながらロードの利点というのは「速く・楽に・長時間」走れるから万能なわけで、一般的な自転車より速く走っているからと言って冷静さを欠いているわけではない。ぶっちゃけジョギングしてる時やバイク乗ってる時より視界も頭もクリアだ。長時間走る時には小まめな給水・補給・休憩を心がけ疲労がたまらないように気を遣う。
最近は乗り心地を重視したフレームや幅広タイヤ、制動力の高いディスクブレーキなんかが普及してるんで昔より更にそういう傾向にある。
みんながレーサー気取りだと思ってるレーパンやジャージだって俺達一般の乗り手にとっては快適性を上げるためのアイテムだ。
だがどうも、みんなの中ではロードというのは「速く」だけで「楽に・長時間」という要素が抜けて周知されているのではないかと感じている。
ロード乗りの頭の中を指して批判するなら、先にも言ったイカれた連中に限定するか、ロングライドの帰りで本当に疲れている時なんかが妥当なのだが。
以下、追記。
id:kae1990 停車時のロスが大きいからか赤信号無視のローディーはよく見るし、横断歩道で何度か轢かれかけたわ。極端な前傾姿勢、ビンディングペダル、ゴーグルで視界が狭いなど、普通のチャリより危険だろ
赤信号無視なあ…。
いるいるとは聞くしそれを許せないのは同感だが、自分の身を無駄な危険に晒してるし、一つ無視しても街中じゃその次の信号で止まればママチャリにだって容易に追いつかれるのにという理解出来ないものがあって困る。
前傾姿勢が危ないのは慣れてない初心者なら確かにそうで、それに関しては細心の注意が必要なのだが、腰自体は起きてるんで一定以上に乗ってる人なら別にハンドル位置が低いから下を向くというものでもないし、乗ってない人には分からんだろうけど肉体的なストレスもない。疲労をためず上半身や体重を使い足を回す為にはママチャリやフラットバーよりあの姿勢が理にかなっている(勿論ドロップバー握るのは駄目だが)。極度に疲れた時に下を向くのはどの自転車でも同じだし、心がけてればそれは避けられる。
と言うか、俺はクロスバイクもMTBも乗るんで言うんだが、この二種もポジションが適切なら実はそこそこ前傾で、更にハンドルがフラットで幅広だからロードよりそれほど前が見易いという事はないんじゃないかと個人的には感じている。
ビンディングとゴーグル(と言うかサングラス)は安全上のメリットとデメリット両方があるので何とも言えんな。足の固定が外れる可能性のあるフラットペダルは車道を走る上ではどうしても不安が残るし、ゴーグルは砂などの異物から目を守るというかなり重要な役割がある。仮に停車時にビンディングに不具合があり外れなくても基本的には左側にコケるから致命的な失敗にはなりにくく、ゴーグルによって視界が悪くなると言ってもバイクのフルフェイスヘルメットよりはマシだし、ほぼフレームのないゴーグルが多いんで対策はされている。
レジ袋の有料化「汚染克服」の一歩となるか 海洋学者が出した答えとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/3da24d73a9d6fdd4de6f8ff9ab3d9e8ca45f5697
こんなある種の自己弁護みたいな事を海洋学者だのが言い出した時点でやはり世間の批判が多いのは事実なのだろうね。
この人達から見ればレジ袋の消費が減った!成功だ!とか思っているのだろうけど、世間から見れば単にお金を払いたくないから、レジ袋を貰わないだけであり、より不便さを感じるようになっただけだからね。
そもそも今までも一般人はレジ袋自体無駄にせず、ゴミ袋として利用していた人がニュースを見ていても多かったみたいだし、この例からも一般人の方がモノを無駄にしていない人も多く、それこそ海にポイ捨てする人なんてそれこそ極一部の例でしかないからね。
その極一部の事象を規制したいが為に多方面に多大な迷惑をかけているのだから呆れるしかない。
それに上記の言い分では以前はレジ袋以外にもペットボトル、発泡スチロール片、食品容器の空き箱等が見つかっていたけど、有料化以降たった150m見ただけでレジ袋はなかった!効果があった!とかある種の詭弁とも屁理屈とも言えるような事を言い出しているのを見ても何だかなと思うよね。
そもそも海洋汚染についても環境学に関しては長期的スパンで見ないと効果があるかどうかどうこう言えないのにたった1か月でこんな事言い出している時点で環境云々言うのはどうかと思う。
普通に100年、1000年、10000年スパンで物事を見る様な事象だからね。
それにこのレジ袋有料化に関しては環境関係の人からも規制自体が意味の無さから逆に嫌味を言われていた位だから。
最も政府とかが温暖化云々ではなく、海洋汚染に切り替えたのはその辺からもあるだろうね(笑)
また以前から指摘されていた様に案の定海外でも起こっていた万引きの増加を招いたみたいだし、そして衛生上の問題からマイバッグがどうこうとか矛盾した事も相も変わらず言い出しているのも笑える点。
店員の方もクレーマーの対処で大変とかやはり以前から懸念された問題も起きたみたいだしね。
そりゃただでさえ嫌われる様な政策をこのコロナの時期にやれば当たり前だけど批判が出るのは当たり前だよ。
それに実際ドサクサ紛れに有料化した紙袋に対しても批判的な人も割といるのは事実だし、どう見ても企業側からしたら経費削減の言い訳に使っているのも事実だからね。
恐らく今後、海外でも実際起こった売り上げ減少等の事態も起こりだすだろうし、ただでさえコロナ禍でダメージが大きい経済に対して負の影響を与えるでしょう。
実際今ですら揚げ物とかの売り上げとかは落ち込みだしたみたいだからねぇ…。
何にしろ世間の人間からすれば、寄りにもよってこのコロナ禍にしでかした事もあり、環境対策=不潔で不便な代物と言う認識を植え付けたのは事実だろうね。
今までのLEDの強制にしろ自動車やバイクの環境制限にしろ消費者に弊害を押し付ける様な傾向はあった訳だけど、今回に関してはそれが顕著なまでに出てしまったわけ。
本来ならば環境対策と言うのはどうエネルギー効率を上げて、尚且つできうる限り利便性を失わない様にするかと言う事も考慮しないといけないのだけど、この人達はと言えば、ただ単にゴミ減らし=消費活動の減少のみの視点でしか環境対策と言う物を見ていないからね。
そりゃ消費活動が減少すれば、経済活動の低下を招くのも当たり前だし、結果、日本の国力をも低下させているのだから笑えるよね。
しかしgotoと言い、このレジ袋有料化と言い、今の政府や官庁のしている政策が悉くその失策が自身に跳ね返り、自身の世間での評価を下げ、自身の首を絞めているのも笑えるね。
最もこのコロナ禍にどう考えても弊害しかない政策を強行したからこそ世間からの批判が大きい訳だけど。
それに今は少なくとも平時ではないのに政府与党こそ危機感が全くないのはこのコロナ禍を見ていても判る事だしねぇ…。
最も臨時国会の早期開催を求めた野党は野党で5月当時、自民と一緒にコロナ対策に関係ない法案を優先し、元法相の話題ばかりしていたりと危機感の欠片もなかったのは事実だけど。
麻薬とかなら悪いものだから抜け出さなきゃってなるからいいんだけど
そこまで世の中的に悪いものだと言われていないものだと、中毒から抜け出すのは難しいと思う
これでもし健康を害したら抜け出すべきとなるかもしれないが、体質的にそうでもないなら100%抜け出そうとならない
弊害を除去したいからけど、中毒から抜け出そうとするモチベーションが足りないんだ
じゃあ筋トレ中毒とか、健康中毒とかどうだろう、きれい好き中毒とか、世話焼き中毒とか
本人にとっていくつかの弊害が出るからわかるから、「もう少しだけ普通になりたい」ということがあるだろうけど
中々それは難しい
モチベーションが足りない、だってその中毒になってる行為はだいたい好きなんだから
いっそ中毒でも許される状況に陥ってしまいたいと思うかもしれない
そもそも抜け出したいのか
あたまおかしくなりそう
ただささくれや甘皮が気になるから剥いていただけで、いわゆるリストカットみたいに死にたいからとか寂しいから剥いているわけではないため重要視していなかった。
しかし、ここ数年間その影響で爪の表面が凸凹してしまい他人にも指摘されることが増えたためどうにかこの癖をやめたいと思いネットで調べた。
この癖が自傷であること、そして強迫性障害の一種であることをこの時初めて知った。
ただそうは言っても自分でも無意識にやっているものだからいざ病気ですと言われても実感が湧かない。実際やめたくてもやめれない点では困っているが、何かきっかけがあってやっているわけではないためリストカットと一緒にされたくないという気持ちがあるのだろう。
そして困ったことに、私は精神科に通いたくないという気持ちが人よりも強い。普通でありたいと強く思いすぎる故の弊害だ。精神科に通うことが悪いと言っているわけではなく、ここはもう自分のこだわりで行きたくないだけだ。
どうにかしてこの癖をやめられないだろうか。
綺麗な指を数年ぶりに見てみたいものだ。
どうやら最近MAD文化というものがなくなったのだと考えている人が多い。
MAD文化がなくなったということは、もうMADの作り手がほとんどいなくなってしまったということが考えられるがそれは大きな誤解である。
ニコニコで「音MAD」をタグ検索すると、5年前の2015年から2019年まで投稿件数は減っていないどころか大幅な増加をしているのだ。
2020年はすでに9545件もの音MADが投稿されており、すでに2019年の投稿件数を超えそうなペースで増加している。
少なくとも作り手がほとんどいなくなってしまったということはない。しかしMADがたまに伸びたり、Twitterでバズると「こういう動画減ったな〜」というコメントが必ずつく。これは一般視聴者がMADを見なくなってしまったということである。
私はMADを見なくなってしまったという人が多いのは皆が知ってる共通認識のネタが減ったのが原因であると考えている。
一昔前はオタクならほぼ全員が知っているコンテンツが見られていた(咲、禁書、らき☆すたのようなアニメやゲームなら艦これ等)
しかし昨今はオタクの趣味がソシャゲ、Vtuber等に細分化され、かつては多くのMADが作られていたアニメ自体視聴者は日常系、なろう等の多ジャンルに分散化された。
Vtuberも四天王が出てきた2018年頃にはネット全体がVtuberというジャンルに注目しており、そのころは多くのダンスロボットダンス等のMADが作られていたが、その後にVtuberの主流が配信者となり、VtuberのMADの視聴者層がほぼそのVtuberのファンのみとなったため再生数自体は減った。
しかし今でもMAD、特に音MADは良作が作られ続けているのは事実である。昨年11月に平成に投稿された全音MADから各人10個選び順位づけ、それらを集計したうえでランキングにしたイベントが行われた。このランキングには大体の人がMAD全盛期をイメージしている2009,2010年頃だけではなく、最近の動画特に2018年の動画が多くランキング入りしている。
https://www.youtube.com/watch?v=0fbikIWDKIU
長いと感じる人は10位からの動画(59:48~)がフルで見れるのでそこから見てほしい。
https://www.nicovideo.jp/mylist/67036747
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1q0oKdIh5AV8-2biDY8KYd_5uEB0-Im8EXShlf-z0I0Q/
話は変わり、ニコニコにおいては動画を発掘する手段としてタグ検索とランキングに上がっている動画を見るというのが主流であるが、タグ検索はその素材がよっぽど好きな人しかやらず、ニコニコのランキングページはそもそも見る人が減りつつある。
今でも良いMADが作られていると言われても、これでは探しようがないと言う人におすすめするものがある。それは、毎年行われている「音MAD10選」である。
こちらのホームページで毎年投票式によりその年ごとの良かった音MADを選び集計結果が発表されている。
http://oto10.s602.xrea.com/10sen/
1年おきではなく最新の動画群の中から良作を見つけ出したいという方は音MADの作り手の中に最新の動画をマイリストに入れてニコレポに放流している人もいるのでそれをチェックしてみるのもよいだろう。
かつては創作の場において2ch(現5ch)が主流で多数の面白い人が集まりコピペ、FLASH、AA等多くのネット発文化が生まれた。その後に人の集まる場所はTwitterに移ったが、最近異なる思想の人が一つに集まりすぎることの弊害からか、強い口調で煽り合ったり他人の意見を否定することが増えつつある。動画投稿で生計を立てるという新しい職業を生み出したYoutubeも、最近の急上昇は芸能人が席巻し、新規に素人が出る幕がなくなってきた。しかし、ニコニコにおけるMADの作り手は当然のことではあるが一切の見返りにもならずとも動画を作り続け、技術の向上を目的にしたり、純粋に面白い動画を投稿したりし続けている。その姿はニコニコ、いや大きな資本が投入され続ける前の楽しかったころのインターネット文化を継承している最後の砦といえるのかもしれない。
【21新卒SWE】 私はこうしてGoogleに落ちた ~Googleに挑んだ120日~
https://note.com/grouse324/n/n1f329de5ee50
Google特定じゃなくてこの業界の一般的な流れなんですが。
もともとコーディング面接って、特定の技術分野に強い人じゃなくて、何でもできるポテンシャルの高い人を採用するための手段として使われてきたんですよね。
それが機能していた時代(10年くらい前?)は、競技プログラミングやそれに類する経験のない人のほうが多数で、そういう人たちが競プロ的な課題をその場で解いたり議論してたりしてたんですよ。
ところがその後、競技プログラミング勢が増えてきたことによる弊害が明らかになります。というのも、彼らの競技プログラミング勢の入社後のパフォーマンスが明らかに低い。そりゃそうですよね、予習なしで面接課題を解ける人たちと、予習込みでないと解けなかった人たちとでは、前者のほうが優秀に決まってる。
しかし、時既に遅し。それが明らかになった頃には、いろんなソフトを書いてきた優秀なプログラマではなく、競技プログラミングに特化したアスリートばかりが入社するようになってしまっていました(というのは言い過ぎで、超超優秀な人たちはソフトも書けるし競技プログラミングでも優秀だから、そういう人たちは入社後も活躍している)。
事態を更に悪化させたのが、LeetCodeやモックインタビュー等によるコーディング面接対策サービスの勃興でした。コーディング面接に特化した訓練を積んだ面接者が激増した結果、エンジニアとしては十分優秀なのに面接訓練を積んでこなかった人が面接に非常に通りにくくなるという現状が生まれてしまいました。
もちろん各社この状況は十分認識していて、さまざまな試行錯誤が行われている状況です。ですが、これといった対策は未だに生み出されていないようです。
どうすればいいんでしょうね?
もちろんすべてが成功するとは限らないけれど、自分や周囲ではこういうことをして脱出したり状況が変わったって話を聞くよ。
「証拠集めて警察に」みたいなのは残念ながら自分の周囲にはいなかったかな。証拠集めしてる、みたいな話は聞いたことはあるけど、結局警察に提出する前に退職するか、そもそもそこまでしなきゃならんようなタイプの上司は勝手に自爆するケースも多い。
会議に呼ばないとかそういう増田が受けているようなタイプのパワハラに嫌気がさして相談窓口にメールを送ったら即座に調査チームが立ち上げられて、パワハラした上司が左遷された。
ただ、これは外資系勤務の友人のケースなので、日本企業では少ないかもしれん(少なくとも俺がいるようなド零細ではありえない気がする)。
なんだかんだコロナ禍の中でも求人活動はしているところがあって、そういうところってITに力を入れてるところが多いので、IT志す人にとっては逆に就職しやすい、みたいな環境だってのは聞いたことがある。
ただ、「パワハラ辛いんで転職します」みたいな、前の会社のネガティブ情報を転職活動で語っても良いことはないので、そうするとそれっぽい理由をでっちあげなきゃいけないので、精神状態が不安定な時に転職を考えるならちゃんとこの辺相談できる人を頼らないと辛いと思う。
なんだかんだパワハラって周囲の同僚がフォローするしかないわけじゃん。
例えば仕事に必要な指示をしない等のタイプだったら、代わりに情報を伝える人か、ソイツの仕事を代わりにこなすヤツが必要。
大声出すようなタイプのパワハラだって純粋に職場環境によって最悪だし。
そういうところから、実際にパワハラのターゲットになってない同僚も迷惑を被っているので、「こういう業務上の弊害があるので何とかしてほしい」ってのを同僚たちが相談窓口にメールを送ることで解決したケースもあった。
某中小企業では、専務だかなんだかの身内として縁故採用した人がパワハラしてたケースがある。
この場合、相談しても「専務の身内だから」って理由で取り合ってもらえないことも多くて、なかなか解決しない。
ところがある日、その上司の不倫が発覚して、専務から「もう守れないから」って言われてクビになったって言う事件があった。
ほかにも警察沙汰になるケースとかあるね、ニュースでたまに40代/50代のオッサンが痴漢等のわいせつ行為を働こうとして逮捕、みたいなニュースやってたりするあれ。
社内のパワハラを無視するような会社って、会社の外側で起きた問題には無駄に迅速に対応することが多い。
某中小企業ではある日中途で入ってきた部長がめちゃくちゃパワハラして、当該部署だけ離職率が他に比べて倍近いという時期があった。
ただ、そいつが部長になってからは年々売上が上がっていたため、会社としては見過ごされていたこともあって、部内には結構鬱屈した空気が漂ってた。
そんなころ、なんかの流れでうちの部署専属の営業として色々頑張ってた営業課のAさん(女性)をうちの部署の忘年会に呼ぼうって話になったんだけど、その忘年会で部長がぐでぐでに酔っぱらって、ここに書くのも憚られるようなセクハラを大声でそのAさんにやってAさんが泣き出してしまった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/982b5fc84378dc3b8f921d86c93a88f547c09e56
しかしこのコロナが大方世間の予想通り悪化してきたにも関わらず、未だこの手の事を言い出すのだから、政府や官庁の環境関係の人達は余程脳内が幸せなお花畑の人達が多いのだろうなと思う。
どう見ても今はそんなことをしている場合ではないし、普通にレジ袋有料化以降より衛生面でも悪化したとみるのが感染者数の増加を見ても自然としか言いようがないのにね。
色々な意味で普段から思想や権利等とやらを前面に謳っている人達程、こう言う時にも空気が読めない人が多いと思う。
それに今もペットボトルだのプラだののコレ自体、大方の行政及び企業が回収できるシステムが構築出来ており、それでゴミ回収自体は問題はないのにわざわざ絡もうとする事自体、どうみても環境省や経産省が小銭稼ぎをしようとしているからだと言う事だよねとしか思えないんだけど。
そもそもそのプラやペットボトルのリサイクルとやら自体今やこの人達が嫌っていた中国が引き取ってくれなくなったから、国内で飽和状態になり、システムそのものが破綻し始めている訳だしね。
昨今この手のは温暖化では言い訳が出来なくなってきたからか、やたら海洋汚染を強調しだしたけど、これに関しても当時から周辺諸国と一緒になって行わないと意味がない事は散々指摘されてきたし、海洋汚染対策ならば、それこそ海岸沿いにゴミ箱の設置数を増やして、回収していく方が余程対策になるでしょ。
今も回収しているごみならばそれこそ埋め立てなり焼却なりリサイクルなりで処分できている訳だからね。
そう言えば最近エコバッグと言う単語よりもマイバッグとか言う単語を使い出したのもその辺が関係あるのかもね。
しかし関連記事を見てもこの手の似非環境活動家っぽい人達程、象だのペンギンだのの写真を使って、同情を飼いたがる手法を好むよなと思う。
地球の為と言うならば人類が絶滅する事が一番の環境対策だと言うのは当時から環境学者にも皮肉的に言われ続けている事なのに。
今は環境保護が先行しすぎて、経済活動の抑制や生活への弊害まで出ているのだから色々な意味で本末転倒な結果すら招いているよ。
しかも排出権とやら以降更に明後日な意味不明な方向に向いているのも事実だからね。
こう言うのを見ていても自民はよく経済だとか言っているのにこの手の経済抑制や減退しか招かない政策をしだしたりと本当に何がしたいのかが良く判らないよね。
はっきり言ってこの辺はまだ一貫性のあるトランプ大統領の方がマシだよ。
でも今なんて平時ですらない、病気が覆っている時期にも関わらず、計画で決まった事だからと言いこの手の政策を進め、融通が利かないのだから色々な意味で日本の政府ならず官庁も先がないだろうと十分に予測させてくれるよね。
政府は政府でgotoをどうにかして印象操作しようとしたけど、覆せず言い訳をし始めたり、キャンセル補償とか言い出す本末転倒な行動をし始めて面白い事になっているしね。