はてなキーワード: 大友とは
最初に流れる他の映画の予告編で真っ先にプリキュアやってて「こういうファン層(大友)向けなんだなあ」って思ったし、
危機感のない関係閣僚会議にイライラしたしやっぱり閣僚は無能ぽさガンガン出てたし、
ゴジラの幼体みたいのめっちゃ誰?感あって気持ち悪くて怖かったし、
指示が後手後手でどんどん浸食されていくのリアルで笑えたけど笑ってる場合じゃなくて、
そのあと再上陸した時にゴジラ対策マニュアルみたいなのできてて対応速い!すごい!ってなったし、
緊急対策チームみたいなのの曲者、モブっぽさ凄くてこれこれ!これを待ってたんだよ!ってなったし、
てか高橋一生とあの女の子(石原さとみでない)めっちゃ萌えたし、
鎌倉に上陸したって聞いてほっとしてたら()こっちに来てうわわってなるし、
ていうかそういう感覚って、ハリウッドの超大作パニックとか、昔のゴジラでは味わえない、いま日本で見るからこそ感じられるリアルな怖さだと思うし、
閣僚もやるやんけ、ってなったとたん…ってなったし、
石原さとみはまんまヱヴァのアスカみたいで実写だこれ!ってなったし、
平泉の狸かんとか、田口の動けるデブ感とか、マツダの有能な二世っぽさとかいとおしいし、
「無人在来線爆弾(うろ覚え)」のネーミングのシュールさとプラレール感に笑ったし、
邦画はクソだと思ってるやつ、映画は監督で見ろよ。配給で見るな!
ネット社会でアレはダメだったから邦画がダメになった、みたいに言ってるやつは見てる映画が悪い!
大体、「みんな」が見る東宝映画は金かかってるぶん、スポンサーに気を遣ってCMを入れる民放ドラマみたいになってる状態で(NHKは視聴者と国に気を遣いまくってる)
邦画漫画実写はダメだとかいうヤツもいるけど、じゃあ漫画映画一切見んなっつーの!と言いたい(「みんな」見るから売れる、だからやる。摂理)
あと批評家の宣伝方法がどうのとか言っても、今更批評家で興行は決まらないし……(インターネット時代になって批評家時代は終わったのだ)
この時代の日本にもしっかりした作品を作る映画監督が居ることを、ハッキリと言っていたい。
オリジナルで良作連発。漫画実写だけどミニシアター系でよくできてるのもたくさんだ。
そういうのが認められるようになったら、邦画はまともなものが売れるようになるんだ。
わりと認められてる漫画実写の「ピンポン」や「青い春」だって今みたいに大規模公開の分類ではなかったんだぞ。小規模の名作だ(ていうか、どっちも松本大洋だった)
商業監督の三池や堤を見てこいつらダメになった……って言うのは勝手だけど、あれは金稼ぎの中で十作に1作くらい好きな風に作ってる監督なわけだよ。
その1作が良作か駄作かで、その監督の価値が業界で決まってるわけ。
でもそんなの映画好きしか当たり引けないって。そんなに映画見ない人は、駄作見たくなきゃ避けるべき監督だ。
海外映画祭をとるような園子温は、とてもじゃないがおすすめできない。サブカルで奇抜なのが好きで、邦画に見飽きたくらいで見る監督だ。
(間違ってもクドカン監督作品は見るなとか言いたいけど、最新作は見に行く予定だ。大友監督は、ちょっとまともなのとってくれないと分かりません)
だから、最近のおすすめの映画監督をここに書く。我々「みんな」は良作を作る監督を学び広めるべきなんだ。
邦画ファンならみんな知ってる名前だろうけど、興行を支えているのが邦画ファン以外の東宝やワーナーファン(宣伝ブランド力)というのが虚しいではないか。
電通・マスコミによる印象操作で映画を語っているのは、悔しいと思わないか?
条件として。
傑作を作る監督も居る。だけど、そんなの邦画全体を見て年に1作2作あるか無いかなんだから、手っ取り早く傑作を求めても仕方がない。
「約9割の確率で駄作を作らない監督。マイナー過ぎず、佳作、良作を量産できている監督」を以下に書くので是非「ジャケ買い」ではなく「監督買い」してくれ。
代表作に「アヒルと鴨のコインロッカー」「ゴールデンスランバー」「ちょんまげぷりん」「残穢-住んではいけない部屋-」など
ミニシアター系でロングランになったアヒルと鴨の監督。どんどん規模の大きい映画を多く撮るようになった。
ただ、まだ三池や堤のように適当に撮ってないし、商業監督に寄っては無い。邦画ファンも認める『佳作』を『量産』してくれる。
知れ渡る知名度と合わせて、見た目がくまさんみたいに大きくなっているのが気になっている。
代表作に「舟を編む」「川の底からこんにちは」「ぼくたちの家族」
満島ひかりの旦那。嫉妬をするな、彼女は才能に惚れたのだ。日本の映画界を背負って立つ予定の監督。
堅実で丁寧で突っ込みどころがない、かつユーモアあふれる作風が特徴。若干32歳で舟を編む。賞をとりまくった。
淡々とした演出がTHE邦画といったところか。これからメジャーに寄っていくのか分からないが「舟を編む」だけは見ておくんだ。いいな、わかったか。絶対だ。
正直推していいのか迷ったけど、代表作に「モテキ」と「バクマン。」漫画実写で二つそろったとこだし、駄作を作らないという観点からラインナップ。
ポップでメジャーでサブカルでミュージック。ドラマ監督ならではの作風。ただ一つ、原作ファンには手厳しい(まほろ番外地だって、原作ファン的にどうなのか)。
しかし原作通り映画にするってどうなの?議論を使うと、彼の実写方針は正しいのだと思う。
映画そこまで好きじゃなーい邦画くらーいってヤツを連れて行くなら、大根監督一本だ。(エロには気をつけろ!)
堤化しないことを祈る。
代表作「リンダ リンダ リンダ」「天然コケッコー」「もらとりあむタマ子」「味園ユニバース」
邦画ファンなら必須チェック監督になっている気がする。自らの作風をつかみ始めたのか、近年、油が乗ってきたように思う。
画が良い。キャラが良い。2時間、監督のノスタルジックでファンタジーな世界に浸れたら幸せ。
代表作「純喫茶磯辺」「さんかく」「ばしゃ馬さんとビッグマウス」
「銀の匙 Silver Spoon」という人気原作で華麗に滑った印象があるのだけれど、あんなもんで消えてたまるか!映画自体は良作なんだ!
いきなり任されたってのは、映画業界の期待の現れでもあったはず。
人間のどうしようもないところをポップに描く監督の映画活動が途切れないことを祈ってます。才能は消えない。
飯テロ映画「南極料理人」が好きな人は多いかもしれない。キツツキや横道を経て、最新作モヒカンを見て確信した。この人は天才。
単調なのが味わいでもあるが、作品によってはストーリーも効いているし、王道を嫌っているのか泣かしにこないでコメディに走るので気楽に見てほしい。
今まで長編映画は6作あるが、全部良作なので、いつでも安心して見てくれ。
安定してる人ってそんなに居ないので、これくらいは覚えられるはず。
何人か漏れている気がしないでもないが、他にもおすすめの監督が居る。ただ、良作率が6割程度に下がる他、発表間隔が長かったり、まだ出始めの新人監督なども居るので、そのへんは容赦してほしい。
まぁ他にもいろいろ居るんだけど、好きな監督は自分で「宣伝」してください。
SNS時代なんだから、今更企業宣伝に踊らされてる時代でもないでしょう。
追記・ブコメ返信:
内田けんじ追加命令が多いので追加します。新作撮る気はないんでしょうか?あと入江悠、大森立嗣、いいですね。好みではないけど良いです。あとは規模と宣伝ができるバックがついた監督も多いので、その辺はスルーしてます。矢口さん滝田さんとか、テレビ局がついてるので監督買いする人も一定数居るでしょう。とくに好みではないですが、悪くない監督だと思ってます。え、岩井俊二はもうみんな知ってるでしょう?堤さんや三池さんの映画にも好きなものはあります。堤さんは、最近丁寧になってきました。見てますよ。ただたまに許せない時があるだけです。橋口亮輔監督はいいけど、量産してくれるんだろうか?今後の監督として薦めにくいんすよ~過去作のレンタルおすすめ。30分も映画見てられないとか義務教育でつまらない授業45分からやりなおすべき。あともうなんか、ここに入ってないから気に食わないとか言われてもね。そんなに好きなら、あとは自分で宣伝してください。それがすべてと言っているでしょう。そういうお話をしたかったんです。邦画好きはもっとオシャベリになるべき。
そうそう、これ入門編なのです。人それぞれだなって思うような監督は、このリストではおすすめしにくいんで。別のときに別の方法で勝手に宣伝します。リストは好みの監督なんだなって思われるかもしれませんが、もうちょっとカオスなのも結構好きです。好みとか抜きにして良いのは良い、でまとめてます。どうせ、このリストから見るのなんて1人の監督から1作くらいでしょ?カオス作に当たったら責任とれない><個人的に大好きな映画は映画通に批判されるだろうから入れてないですよ三池監督…自分だけの宝物にしたい気持ちわかりますよね。
映画批評家(死語)や映画好きの漫画家(じゃあ貶してないで自分でフォロワーに宣伝すれば)に守ってるとか言われても知りません。一増田になにを求めるの?増田はテラフォをdisってないよ。
あと洋画見ないのかって言われたけど、こんだけ書いてて洋画見てない増田に見えますか?映画館でやる洋画なんて絶対面白いんだから、日本公開されない洋画を見てから洋画ファンは洋画ファンと名乗ってくださいね。邦画が楽しくてそこまで手を伸ばしてる余裕ないので、増田は邦画好きと名乗ります。邦画と似た洋画名作もたっくさんあるんだけどなぁ?洋画イコールドンパチCGって認識もどうなの?洋画にたいする侮辱じゃない?
アニメはあんまり詳しくないです。ごめんなさいね。言われてる監督は一通り見てるけど、アニヲタ様からしましたら色々あると思うのでなにも言いません。ただ日本のアニメは作風がとても邦画寄りですよね。D映画より好みに合います。
あと、あともなにも追記がうざいな。ブログ教えろって言われたけど、絶対嫌です。もうちょっと丁寧にインテリジェンスに、文章見なおしながら普通に書いて楽しんでます。そもそも感想文が上手くないんで、もっぱらツイッターだけど。これは思ってること一気に書いたので、読みにくいという指摘は「だよね」って思ってますよ。すごい共感した。
この映画監督リストが気に食わない人は自分で好きな映画宣伝してくださいよー邦画も洋画もどっちも日本じゃ下火なんだから、こういうところでどうでもいい議論して、じゃあいっちょ見るかくらいの熱が欲しいんですよ。駄作を批判した分、同じ熱度で良作紹介するのは映画ファンのマナーとしてきっと必要ですからね。今は批判したらしっぱなしだから…。
NHKで特集の再放送があったんでまとめて見たら、けっこう面白いのを見逃してたよな気がしたんで書いとく。
http://animatorexpo.com/titlelist/
ちなみに1/31で一度だいたいの公開が一度止まるらしい。赤字プロジェクトのままらしいし、ちょっともったいないので感想を書いてみた。
エヴァ資料ちょいだし系とモヨコ(のマンガ紹介)は外した。正直わかんなくて項目を立てなかったのは「電光超人グリッドマン」「月影のトキオ」「偶像戦域」「ブブとブブリーナ」「ザ・ウルトラマン」「世界の国からこんにちは」「カセットガール」。エロい人解説よろ。
アニヲタってほど詳しくない、作画ヲタでもないので、なんか間違いがあったらツッコミ歓迎。
http://animatorexpo.com/thedragondentist/
冒頭の湯浴みシーンの水の質感がちょっと懐かしい。キャラの動き方も世代的には旧エヴァよりちょっと前、ナディアとか好きだった世代には嬉しい感じ。サントラの中に「雲龍」ってのが入ってるのは、出てきた軍艦は雲龍型ってこと?ミリヲタの人に聞きたいわ。あと和物ガジェットを少しずつ重ねていくことで和物ファンタジーにうまく繋げてるのがいいかな。
NHKで紹介されてた吉崎響×井関修一の監督×作監コンビだったのでこれも見た。前半は単にエロでしょと思ったんだけど女体が非エロなものとしてゲシュタルト崩壊していくのがいい。そのくせ幾何学模様もエロを連想させやすい形を維持しているのは、わかりやすく狙ってるんだろね。そこに至るまでを含めて見ると、どぎついコンセプトとは別にキャラの描線も美しいのが感じられてくる。早い段階で女の身体が襲ってくるモチーフが出てきたことで、序盤のエロが単なるエロではなくなった。その辺の流れの作りこみがうまい。
後半エヴァ風スーツで一人称シューターする感じとか、デザインそのものが新しいわけじゃないけどマイナーアップデート感があるね。最近の映像作品全般でもわりと出てきてる手法だけどね。
幾何学模様もエロというのは、その後に同じコンビで出た「GIRL」も同じ。あの舟を見下ろしてるのはコレだよねってのが分かりやすい。百合をクリオネみたいに生やすのはなんでだろって思ってたんだけど、終盤に対応するシーンがあったかな。
再編集で出た「ME!ME!ME! CHRONIC」はさほどでもなかった。だから「ME!ME!ME!」と「GIRL」さえ見ればいい。
女主人公の西部劇短編なんだけど画面に古いフィルム映画風のヨゴシを含めたカメラワークが特徴。隻腕ガンマンのアクションを網羅してるのも(・∀・)イイ!!
鉛筆書き風のは「かぐや姫の物語」があったけど、それで「南くんの恋人」をやるとスマホが意外と面白い表現手段になるんだなと思った。感情に応じた描線のゆがみもよいけど、最後の表情の微妙な変遷がかなりよかった。
見本市にはMusicClip的なつくりのものが結構あるけど、その中でも都市の描写がいい。おしゃれアニメって言葉は濫用され過ぎてるきらいがあるけど、こういう「都市に在りそうな物体」配慮の行き届いたのをオシャレって言ってほしいかな。
トップ推し。大型のなんかについての鈍重さの表現が、エヴァ周辺のあれこれだけでなくて、ここ数年の怪獣映画が気をつけつつあることとも呼応してるよね。『パシフィック・リム』とかね。
声優にハイテンションで喋ってもらう。こーゆーの好き。風刺モノっていうのは要点をわかってるほど基本付き合うのがタルいので、タルくない速度でやるならこのくらい早回しで作る必要がある、ということを確認させてくれる。これから見る人に言っておくと、英語字幕つきで見たほうが会話のリズムがわかっていい。
ここまで完全に言い忘れてたけど、「見本市」作品の男役はみんな山寺宏一、女性系の役はみんな林原めぐみ。この二人の声優が全作品で演じ分けてる。そういう契約なんだろうか、確認してないけど。作品は好き好きだろうけどこのことがわかるとヲタ的に楽しみ方が広がって、いいよな。
今石監督作品。「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」とか「キルラキル」とかにあったうち一部の部分をさらにどストレートな方向に圧縮したようなやつ。煮詰め方は凄いけど、推せるかっていうとわからないな。
わかりそうでわからない。中毒になる人はなるんでは。それはそれとして細かい演出が結構凄いんじゃないか。だって「イカ娘」と「日常」と「九井諒子短編集」が全部入りな上でエヴァ系の知財を使えたら、まあこうなるよなって。今更めぐ姉でそういう企画できるってのはつくづく良いプロジェクトだよこれは。おかわりいただけるだろうか。「そうそう、艦これの雪風二次創作を消費してる時の俺らってこういうの見たかったよね」みたいな。おかわりいただけるだろうか。
ミステリと時間SFとをショートショートでやったってところ。筋がさほど捻られているわけではないけど、男の指の滑らせ方の演出が殺人と性欲(と愛情?)の狭間を漂っている。オチが文字通りの文脈依存なまま終わるのもショートショートとして(・∀・)イイネ!!
安野モヨコのデザインしたキャラで四季を表すコマ撮りアニメを実演してる。コマ撮り用の素材のチョイスもいい。
すしお絵でこういうのやるの、かわいいに決まってんじゃん(ももクロZのもそうだったよ)、というのがファーストインプレッションだけど、まあ密度が高い。押し合いへし合い口撃戦のところとか良くね?良くね?
さかき漣「顔のない独裁者」って小説が元らしい。エヴァやジブリってよりは大友アニメや押井アニメの大きな流れで見た方がいいのかな。政治を扱ってることそのものよりは政治と性的不能とを安易に直結してしまうところに「いまどきこれはないでしょー」な筋悪さを感じる。原作をみてないからアニメスタッフにどこまで責任があるのかわかんないけどね。でもねこういうの好きだよなみたいな共感もあるよね。
クレジットを見ると監督が平松禎史さんってことで。彼の関わってる寄生獣アニメ化は全体的に良かったし、こういう方向でももう少し長いのをやってくれるのかなという期待を持った。
俺屍をやってた当時の俺の頭ン中は終始こんな感じだったな。スキスキダイスキ。ただ他の人にとっても良いかどうかはわからん。
盛々のグロ要素に対する薄暗い欲望と、あと昨今の劇場版アメコミ映画で金払って数時間座らされて「なんだこれっぽっちかよ」、みたいな気分にさせられがちなイライラの、どっちも手短に上手に昇華してくれてありがとう。
中盤くらいからカウボーイビバップ直撃世代が泣く展開になってるんだよ。わかってくれるか。老害ですまんな。マジで。
校舎内で上條淳士絵の美少年が空想のフィギュアスケートで踊りそのまま成長して表舞台に、というだけでもう楽しいでしょ〜。
ただ幾つかフィギュア素人なりに疑問に思うところもあったかな。男子シングルの練習をしている主人公が妄想にしてもいきなりペアの技を繰り出せるのかとか、ジャンプ後の着地がイマイチそれっぽく見えない瞬間があるとか、そういうトコね。ただ今後フィギュアスケートのアニメとかが出てきた時にこの短編はなにかと作例として見直されるんじゃないかな。
感心の方向としては「坂道のアポロン」の運指にちょっと近いものがあるね。
作品それ自体の好みを抜きにしてネタのゴリ押しで大爆笑させてもらえたのはこれが一番だった。B級映画を見慣れてる人ほど笑いとして刺さるんじゃないかな。「エヴァのTVシリーズは前半でしょ」と言いたがるタイプのアニメファンにもどうぞ。
冗談はさておき、他の作品も広い意味ではエヴァその他のIPを使ってるのに一番半端な知財の使い方で、やらなくてよかったことなんじゃないのこれっていうのが残念。最後の数十秒の良さも音響のおかげというところがあるし、これの目指すエモさは本当はエヴァじゃなくてよかったんじゃないの。
これ自体がそこまで悪いってわけじゃないんだけど、パロディを取り混ぜた知財の使い方でとりわけ上手だったのは「おばけちゃん」だったから、比べてしまうね。
どうしようもない好色のロボの話ではあるので最初は見かけた時不愉快だった。だけど見直すと、作画の良さが際立ってることは間違いない。それだけ取り出して褒められるかどうかというのが、こういう好色バカを扱う作品の難しさだね。
この作品に限った話じゃないけど、そーゆーポリコレ関係(ジェンダー論とか差別とかどうこうってやつね)がクリアできてないのは「見本市」にはむしろ多くて、さすがにこの貧相さで大丈夫かなと思わなくもない(映画もそうじゃん、とか言ってる人はごく最近の映画を見てない不勉強な人間なので無視するよ)。もっともね、そーゆーポリコレのズサンな点が気になりだして作画や造形が評価できなくなるのはよくある落とし穴なんだけどね。ハマるよね。
ジェンダー論ガン無視していい作品作ろうと思ってる作り手と、ジェンダー論だけやっておけばそれだけでいい作品語りができると思い込んでる語り手と、どっちも怠惰さで言やどっちもどっちだけど、四分六で後者の方がやや罪が重いかな。映像の良さをしっかり語れる作り手と語り手がジェンダー論にも手を抜かないくらいがちょうどいいね。
結論としては「POWER PLANT No.33」「おばけちゃん」「イブセキヨルニ」が推し。次いで「ME!ME!ME!」「I can Friday by day!」「ENDLESS NIGHT」「ヒストリー機関」あたりが良かった。異論は認める。
☆(007)ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹
なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル
33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマン
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司
☆儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一
サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバーグ
陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ
排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング
☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ
父が子に語る世界歴史〈2〉中世の世界 ジャワーハルラール ネルー
☆クリエイティブ喧嘩術 (NHK出版新書 408) 大友 啓史
コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平
竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン
子どもの難問 野矢 茂樹
☓つねに結果を出す人の「勉強脳」のつくり方 イ シヒョン
☆アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) ドナルド・B・クレイビル
この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子
統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ
☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子
☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子
林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二
フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤 隆
オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン
コミュニケーション力を引き出す (PHP新書) 平田 オリザ
話し下手でも7割聞くだけで相手を惹きつけられる会話のコツ46 野本 ゆうき
Rules of Attraction Bret Easton Ellis
生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴
△ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書) 波戸岡 景太
俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 坂本 孝
まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 (徳間文庫) アンドレ バーナード
足代小フューチャースクールのキセキ 徳島県東みよし町立足代小学校
ホテルはメイドでできている(1) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
ホスピめし みんなのごはん(2) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ
りはめより100倍恐ろしい 木堂 椎
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森 達也
「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた 内田 勝
ファンタジーを読む (岩波現代文庫 〈子どもとファンタジー〉コレクション 2) 河合 隼雄
メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2) 川上 量生
(003)世界の美しさをひとつでも多くみつけたい (ポプラ新書) 石井 光太
☆☆津波の墓標 石井光太
鳥貴族「280円均一」の経営哲学 大倉 忠司
☆OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書) 小笠原 祐子
「金縛り]の謎を解く 夢魔・幽体離脱・宇宙人による誘拐 (PHPサイエンス・ワールド新書) 福田 一彦
「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程 寺沢 拓敬
秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし (小学館101新書 19) 五十嵐 幸子
「町おこし」の経営学―ケーススタディー・地域経済活性化 官と民の新たな関係 三井物産業務部「ニューふぁ~む21」チーム
☆なぜ富士宮やきそばはB-1グランプリの覇者となりしか? B級ご当地グルメで500億円の町おこし 渡辺英彦
中小都市の「B級グルメ」戦略―新たな価値の創造に挑む10地域 関 満博
習慣の力 The Power of Habit チャールズ・デュヒッグ
一部知っている(キュア →アニメ
一部知っている(リズ →パラ転生
知ってる(パラ →アニメ、筐体
知らない(ラ! →ソシャゲ
---------
ヲタク:アイドルブームが二次元にも影響を与え「かわいい女の子が歌って踊る」という媚に媚びたコンテンツが誕生する。
草分けはアイドルマスターであり、今年で10周年を迎え、近年ではソーシャルゲームとの連携で一大コンテンツとなった。
それと対になる存在と言われているのがラブライブである。若者を中心に急激なブームとなり流行語候補にまで上がる。
三すくみになると思われたWugは見え見えのエイベックスの後ろ盾や、東北、アニメは映画の続きなどの要素が新規を避けそこまで人気が出なかった。が、スクショは任期である。
このように二次元アイドルブームは熱を上げ、その火は女児アニメにも燃え移るが....
その黎明期にプリリズ(3期も続いた)はアイカツに殺された。
プリキュアはちょっと離れた存在。大友に媚びたりクオリティを急に下げたりと調整されていた。
サンリオ群(ジュエルペット)等のキチガイアニメもそっとされていた。
その狂気とアイドルブームを引っ提げて現れたのが、対アイカツコンテンツ--プリパラである。
一方アイカツは初期主人公の変更などで弱りつつも、新規の歌手の募集、「初音ミク」とのコラボなどを行った。
ラ!の展開が気になる。(追記。解散やらいろいろありましたが、新しくサンシャインとしてやるそうです。)
以外なほどはてブしてもらったてレスポンスもあったのでその返信書いておきます亀ですが。
====
というかオタク向けアイドルコンテンツの隆盛と、女児向けアイドルコンテンツの隆盛はまったくの別物で、
後者はそれこそひみつのアッコちゃんにまで遡る大御所ジャンルなのでは。
アイドルの定義を私は知らないのですがオタク向けアイドルコンテンツと女児向けアイドルコンテンツは別物であるとは実は思いました。
ひみつのアッコちゃんは源流のような気がします。アイドルとしてしっかり明記されたのはクリィミーマミ、えり子」あたりでしょうか。
アイドルコンテンツは女児も潜在的におっちゃんも楽しんでいることが多いと勝手に仮定させてもらいました。
草分けって
あと、アイカツが初音ミクコラボとか言ってるけど、プリパラはハッカドールとコラボだぞ?
そして女児向け筐体ならオレカバトルの女児向け版のオトカドールも外せない
楽しもうぜ女児ゲー!
オシャレ魔女に関しては書いておくべきだったのですが私がプレイしていた時は『オシャレ対決』がメインだったのであえて省きました。
正直悩みました。ぴちぴちピッチは知名度で省いたのですが、個人的に大好きだったので深く訂正させていただきます。
アイマスは『二次アイドルコンテンツ』として息が長いコンテンツとだけ言いたいです。
プリパラのハッカドールコラボはタカラトミーはあんまり押し出してなかったと思います。宝富だからか。
一方初音ミクコラボはカードを配布したり結構見かけました。個人感ですが。
最後の一言『楽しもうぜ女児ゲー』にやさしさを感じます。貴重な意見ありがとうございました。
萌えアニメなら両親共働きとか海外在住とかいくらでもあるやん。単に親がいたら邪魔だからってだけだけど。
家族アニメなのに両親ともいなかったら家族アニメにならない、ってだけでは?
大体主人公は小学生だろうし、共働きだと放課後も学童だから子供の自由度なくなるし。
「友達と一緒に帰る」「友達の家で遊ぶ」「公園で遊ぶ」とかすら描写できなくなる。
じじばばと同居させりゃOKだけど、出て来るのがじじばばばかりってのも不自然だ。
母が働き父が専業ってのも、まどマギみたいな大友アニメならともかく子供向けだと子供が共感できないだろうし。
そういや妖怪ウォッチのカンチの親が共働きだったな。スネ夫の現代風なちょい金持ちぼっちゃんだけど。
でも「実は親が共働きで放置子状態で寂しがってる」というむしろ共働き親が怒りそうな描写されてたけど、
あとちびまる子は父ヒロシも働いている描写ないぞ。昼から家にいる。母も専業主婦と明言されていたっけ?
ちびまる子のモデルである作者の実家は八百屋だが、漫画では八百屋の描写は削除した、という裏設定があり、
一般的に個人商店は家族経営である事も考えると、「夫婦両方(八百屋として)働いているけど描写されてない」んじゃ?
ついでにブコメに一個つっこみ
それみみりんじゃなくてにゃっきいだよ。ついでに兄もいるから4人家族だ。
母親はスーツ着てる。貧乏母子家庭じゃないと主張したいらしい。家もでかい。
アニメで仕事中じゃないのにスーツ着てるのも見たな。お前普段着ないのかと思った。
(こどもちゃれんじの教材ではちゃんと普段着着てる描写もあった。アニメはスーツ以外の衣装設定無いのか?)
カンチのような「母が働いているから寂しい」なんて描写もない。働く母も大事な顧客だから当然か。
つかしまじろうのお友達は3人いるんだが、上記のにゃっきい以外は
しまじろう(父郵便局員、母専業)、みみりん(父花屋経営、母専業)、とりっぴい(父大工、母専業、婆専業)と、共働き家庭はいない。
にゃっきいを母子家庭にして半端にPC配慮するくらいならついでにみみりんを共働きにすりゃいいのに。自営だし。弟妹もいないし。
とりっぴいは3つ子の弟妹がいる「大家族」設定なので、母婆両方専業は納得できる。3人の未就園児を婆1人で見るのは厳しいだろう。
いや最近中高生くらいの子供が深夜アニメを見るために夜更かししてるって話題になったのね。
そういえば中高生を中心にラブライブなどのアイドルアニメが隆盛してるじゃない。
そこで思ったのだけど、深夜アニメは本来大きなお友達向けに放送時間を遅くしてるものだと定義されてた気がする。
つまり元々深夜アニメは大友向けだったのだけど、それが今では中高生も小さなお友達として視聴している事になる。
現にラブライバーは中高生中心だ。
深夜アニメは大友の為にあるというのをそろそろ見直すべき時でないかと思う。
要は深夜の3時4時にアニメを放送する局なんかもあるけど、その時間まで中高生が起きなきゃいけなくなるでしょ。
彼らは寝る間も惜しんで深夜アニメを視聴する。
だけどそのせいで国民の三大義務である教育の義務が疎かになってしまう。
そこで深夜アニメは3時以降放送しないようにするべきだと思う。
そろそろ大人向けという認識を改めなければいけない時じゃないのか、と思う。
http://prehyou.blog.so-net.ne.jp/hapiness
ハピネスチャージプリキュアは視聴率は悪くないのにキャラクター商品の売り上げも映画動員数も激減、って話だけど、
元々コレシカナイ需要で売れてたのに、アイカツだのアナ雪だの妖怪だのそれ以外の選択肢が出てきたら客が減って当たり前。
「アンパンマンは赤ちゃんみたいで恥ずかしい」という幼稚園児が対象で、小学生になると「小学生にもなってプリキュアなんて恥ずかしい」と卒業する。
(http://b.hatena.ne.jp/gurutakezawa/20150217#bookmark-241901704なんかは恐らく小学生の話だろうから、元々プリキュアなんて出てくる訳がない)。
んでこの年齢層の女児向けってのは、少し前まで事実上プリキュア一択だった。
というと「トイザらスでも行けば他の女児向けおもちゃも山ほど売ってるだろ」と言い出す人がいるかもしれないが、
キャラクター商品と言うのはクリスマスか誕生日にしか買わないような高額玩具だけじゃない。食品だの日用品だの文房具だの衣類だのそういうものもある。
一つ一つの金額は低いかもしれないが、何せ日常的に買うものなのでこちらの利益も相当多いと思われる。
そしてこういうものは玩具屋と違い元々棚(置き場)が少ないスーパーで売られることが多いものだから種類が少ない。
それでも男児向けであれば同じアサイチでも特撮が二種類あるし他にもポケモンなんかもあったけど、女児だとほぼプリキュアしかなかった。
だから女児は「子供向けのかわいいキャラもの商品」が欲しければプリキュアを買うしかなかった。一昨年までは。
でも今やこの手の商品はどこもかしこも妖怪だらけ。それまでキャラものの商品なんて無かった商品にも妖怪が採用されている。皆流行りものに乗っかり過ぎだろ。
妖怪以外に女児向け棚がある場合も、アイカツだのアナ雪だのに棚を取られてプリキュアが無い場合も多い。
あっても他に選択肢があればプリキュアを選ばない子も当然多いだろう。
視聴率はそうでもないのに映画の動員数が激減ってのも当たり前。
自宅のテレビでタダで見せられて、その間子供を放置して親は他の用事をこなせるテレビアニメと
わざわざ子を休日に連れて行き、親と子の二人分&兄弟がいればその分の金を払って親も付き合って見なければならない映画は全く違う。
女児持ちかつ子供を映画に連れていく気のある家庭の殆どは、昨年は春~夏の間にアナ雪見てるし、
冬に妖怪を見に行く予定もあったら更に10月にプリキュアなんて行かないよ。年3回も行ってられない。
そもそも子よりむしろ親が行きたがるパターンも多かったアナ雪と違い、プリキュアは大多数の親からしたら別に金払ってまで見たいもんじゃないわけで。
ちなみに大友は「ストーリーがつまらなかったから」と言いたがるけど、恐らくそれは関係ない。
妖怪の狙いの一つとして「子供の集中力理解力は30分も続かないから、30分で1話ではなく2,3話の短編を組み合わせた」というのを聞いたけど
(そして実際成功したし、ドラやサザエなど昔からある子供アニメもそういう構成だよね)
妖怪より年齢の低い子対象なのに30分1話のプリキュアは、そもそも制作側もストーリーを理解させようなんて思ってないんだろう。
特撮見る男児の大半が変身とバトルしか見てないように、プリキュア見る女児の大半も変身とEDのダンスしか見てないと思われる。
内容でマズかったのは精々絵柄くらいじゃないかな。絵が古臭くて可愛くないから。
アナ雪はそろそろオワコンだし妖怪ブームもひと段落するだろうから、次のプリキュアは多少は盛り返すかもしれない(でもあれも絵可愛くないよな…)
でもアイカツは定番化しつつある上にプリパラも出てきた事だし、コレシカナイ状態には今更戻らないだろうから最盛期並みにはもうならないと思われる。
それでもだらだら続けるのか、仕切り直しするのかは知らんけど。
■連載のはじめに。
コンシューマー系のギャルゲーバブルも、そろそろはじけかけている今日この頃ですが、アリスソフトというメーカーは、良くも悪くもマイペースで、ギャルゲー(非18禁)とエロゲー(18禁)の境界線を、自由気ままに闊歩しているという印象があります。そして、その分、バランス感覚に気を配っているメーカーでもあると思います。ただ、ギャルゲーもエロゲーも、バブル的な市場の拡大が起こってしまった現在は、同時に多くの価値観が提示されてしまった世界でもあると思うのです。まあ、エロゲーの世界は元々、無秩序・無軌道・反社会的で『仁義なき戦い』のような世界ではあるんですけど、それにしても価値観が乱立し過ぎてねえか、というか、既にレーベル数を、本職の美少女ゲーム誌の編集者が把握しきれない、そんな状況の中で、今後のアリスソフトを占う上でも、『ぱすてるチャイム』は興味深い作品だと思ったのですよ。ええ。
■全体を俯瞰して。
さて、そんな昨今の状況に対して、うっかり中出ししてその後始末を考えるような、ちっともタイムリーで無い、珍妙な美少女ゲームコラムの第一回のお題は、アリスソフト久々のRPG『ぱすてるチャイム』でございます。
もう、発売してから結構経っているので、改めて説明しなくてもいいと思うんだけど、『ぱすてるチャイム』は、育成ものと恋愛SLGの要素を加えた、ダンジョン探索型のRPGです。4人の女の子達と協力して冒険していくうちに、喜怒哀楽がで悲喜こもごもなイベントがあって……というのが、美少女ゲームとしての、一番メインの要素なのだけども、心配していたのは、これらの要素が、一つのゲームとして、まとまっているかどうかという点だった。とりあえず、その辺からゲームを俯瞰していくことにしましょう。
まず、RPG部分に関しては、アリスソフトの伝統的な操作体系を継承していて、かなりプレイしやすいシステムになっている。ただ、作り込んではあるんだけど、昔ながらの経験値稼ぎ系のゲームなので、特に、最近のコンシューマー系のRPGに慣れてしまっている人には、戦闘シーンが、システムに慣れてくるとすぐに単純作業になってしまうあたり、ちと辛いかも知れない。
戦闘シーンのビジュアルが基本的には静止画だけで、キャラクターの台詞でメリハリをつけるというのは、作業の効率という点では好感が持てるんだけど、淡泊というか、単純作業という点を強調してしまった面も。例えば、『ファーランドストーリー』や、アリスソフトだと、『かえるにょぱにょーん』の戦闘シーンにもあった、チビキャラアニメみたいなものがあっても良かったかも知れない。まあ、筆者はそういうのがうざったい、かなりせっかちな人なので、OFFにしてしまいますが、多分。
むしろ、気になった点としては、恋愛SLG部分の方で、ゲーム時間と比較して、イベント数が少ないのだ。一つ一つのイベントは台詞回しなども含めて、よく練り込まれているのだが、一学期から二学期にかけて、シナリオが分岐するまでのイベントが少ない。これは、キャラ固有イベントに比べて、共通イベントが少ないからだと思うし、週末のデートイベントがテキストだけで、しかも、数パターンしか無いってのも、ちょっと寂しかったな。しかも、キャラ固有のイベントは、見逃したら次のイベントに繋がらない……というものもあるので、フラグ立てをしくじると、本当に味気ないプレイになってしまう。まあ、普通は途中で気がついて、途中のセーブデータでやり直すのだろうけど……。
正直、『ぱすてるチャイム』というゲームは、かなりストイックなゲームだと思いました。そして、アリスソフトというメーカーもまた、ストイックなのだと、改めて思いました。確かに、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』といった、一見ロマンティックな美少女ゲームに見せかけておきながら、しっかり心にはドスが突き狂っている凶暴な名作群に比べれば、その獰猛さは幾分抑えられています。でも、アリスソフトの濃厚な持ち味は『ぱすてるチャイム』のような、ライトな娯楽作品でもきちんと健在です。深作映画に例えるなら、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』が、『仁義なき戦い』『仁義の墓場』で、『ぱすてるチャイム』は『資金源強奪』ですかね?(ますます分かりません)
ただ、プレイする側の考え方は、時代に合わせて変わるのだろうし、独自のスタンスというものが、乱立する価値観の中に埋もれてしまうかも知れない……そんな懸念はあれど、筆者は、昔と変わらない毅然とした態度を維持している、このメーカーをこれからも支持していきたいと思ったのですよ。
ボーイッシュを通り越して、豪快な漢気と魅力を発散する沙耶と主人公の関係は、盃を交わした男同士の友情すら感じさせるのだけど、少しずつその関係性が崩れていくというか、主人公以上に、沙耶の方が、芽生えた感情を制御できなくなっていくあたりの描写が、なんともいじらしくて良い良い良い。
ミュウとコレットのシナリオは割と恋のさや当て的な感じなんだけど、沙耶とセレスのシナリオは、グローイングアップ的な展開が強調されている。特に、H以降の関係性の描写に重きを置いている点は、好みもあるだろうけど、個人的には好感が持てる。Hが最終目的ではなく、Hも含めて、他人との関係性の中で真の強さを見つけていく描写は、アリスソフトの得意とする所でもあります。まあ、『闘神都市2』みたいな、キツイ一発……いや、ハードな展開は無いですけどね。あっても困るけど。
天然ボケで内気で弱気で眼鏡っ娘エルフで、しかも巨乳という、このゲームで一番えろーすなボディのナオン。おまけに、陰湿ないじめに遭っていた所を助けたのがきっかけでパーティーを組むという、まるで、おおばやしみゆきのまんがのような出会いだったりもするのだ(分かりません)。どこか人生を諦め、現実から目を背けていた自分を再び見つめ直す……というのが、この娘のシナリオの特徴。得意技能はスカウトで弓使い。スカウト技能が無いと、探索の時にロクに扉も開けられないので、セレスと組むにしても、組まないにしても、、主人公が1レベルだけでもスキルを取っておくとプレイが楽ですよ。
沙耶
タイマンでは負け知らずな武闘派の戦士で、剣の腕は赤銅鈴之助や隠密剣士以上(予想)、主人公に着替えを見られてもへっちゃらちゃらーな、漢気溢れる美少女である。褐色の肌にスポーツブラが眩しいよ! ただ、時々男勝りな自分への不信感が見え隠れしたりもするのがやはり女の子。そんな沙耶のシナリオは、男勝りで凄腕の戦士というパプリックイメージと、一人の女の子である自分の気持ちの間で揺れ動く、というもの。展開が一番筆者のツボにストライクしたのは、別項の通り。あと、スポーツ少女なので、やっぱり引き締まったいい足してます(どこを見てますかあなたは)。実家はそば屋らしい。
赤いランドセルとスパッツがマニアックでタマランチ会長なロリっ子ハーフエルフ。主人公とは因縁めいたものがあるらしく、転校初日の初対面からフレイムアローでマトにかけるヒットマンぶりを見せる。元気いっぱいで、騒々しさと気の強さでは『仁義なき戦い』の大友勝利にも匹敵する武闘派魔法使いでもある(言い過ぎ)。戦闘時にはキリングマシーンと化して、攻撃呪文を撃ちまくるが、MPの消費も早いので気を付けよう。先の因縁と空白の時間という二つの引っかかりを少しずつ踏み越えていくのがシナリオの主題で、ラストの展開は色々な意味で驚かされます。NPCのステータスが回復できなかったのも驚いたけど。
ミューゼル
ヒロインなので赤毛の犬系キャラ……という訳でも無いんだろうけど、やっぱり幼なじみなのですよ。面倒見はいいし、神術が得意で、詠唱では全国2位。まさに非の打ち所のない正統派ヒロインなのだけど、持ち前の人当たりの良さは、自己主張が控えめでおとなしいということでもあるので、それが時々裏目に出たりもする。でも、武装した生徒で溢れ返っている舞弦学園が『熱笑!花沢高校』にならないのはこの娘のおかげ(かも)。やっぱりヒロインなので、シナリオはきっちり手堅くまとめられてます。主人公との関係性はもちろんだけど、コレットとの友情が、描写として印象的な所が多いのだ。
■あとがき。
なーんか偉そうなことを延々と書いていますけど、元々は某美少女まんが誌のゲームコラム用に買ったという名目はあれど、動機は完全にキャラ萌えなので世の中そんなものです。沙耶沙耶沙耶。『かえるにょ・ぱにょーん』だって、しっかりクリアしたさ!
おまけに、このゲームのレビューを書こうと思っていた、某美少女まんが誌のゲームコラムの方は、書く直前に打ち切られてしまって、危うくお蔵入りになるかと思っていたんだけども、捨てる神あれば拾う神あり。というか、やらんと収入が(中略)。さて、次回の『N.C.P』(←略称)のお題は……えーと、今回の原稿を書いていたら、調子に乗り過ぎて規定の字数を大幅オーバーしてしまったので、『ぱすてるチャイム』の続きと、もう一本は、待望の『ベストプレープロ野球Win版』かな……すいません、うそです。まだ決めてません。では、また。[更科修一郎(FAKEOFFICE)]
絵における「動き」とは一体何なのか?という話 - pal-9999の日記
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1
について。
まず、マンガにおける「動いてない絵」については、BSマンガ夜話のスラムダンクの回で一条ゆかりといしかわじゅんが指摘した言い方が一番わかり易いと思う。曰く、「スラムダンクの絵はどちら向きに動いているのかわからない時がある」と。
自分も、ルカワがスピンターンをするような場面で、右回りに回っているのか左回りに回っているのかわからず、前のページと往復しながら位置関係を把握しようとした記憶がある。
それを、デフォルメとコマ割りの創意工夫で読者に伝える、というのがいしかわのいう「動き」なのだと思う。
マンガのページはただの静止画で、本来そこには時間の動きはない。一方、読者は基本的に右上から左下に向けて読んでいくという意味で、仮想的な時間の流れがある。
この相反する要素の組み合わせを使い、止まっている絵を動かしてみせる、読者に動いていると思い込ませるという技術こそが、写真や映画、アニメにもできない、マンガだけにしかできない「動き」だ、というのがいしかわの主張なのではないかと思う。
それといしかわじゅん関連の話しておくと、「動きと画質の間のトレードオフ」に関して、AKIRAの大友センセは画質重視の作画をしており、動きの情報を示すモーションブラーはあまり使ってません。なんで、あの漫画の場合、1コマ内では、動きはそれほどありません。僕は、AKIRAの作画を見て、「動きのある漫画」とは呼びません。画質は素晴らしいですが、動きの情報は極端に切り捨てた漫画になっています。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1
単純な一枚絵について言えば指摘通り「動き」と「画質」はトレードオフの関係にあるのだろう。だが、マンガにおいては前述のとおり、静止画であることと時間が動いていることが共存している。
AKIRAのシーンでは、右のコマの背景の流線の方向と視線の(イコール読者の時間の)方向を使って、パンチの動きを表現している。どちらのコマも画自体はピントがはっきりしている(写真としては止まっている)のに、右から左に向けてパンチの力が働いたということが表現されている。
いしかわはこれを、「動き」と「画質」をトレードオフの関係から開放し、両立させたものとして見ているのだと思う。ブラーがないから動いていないのではなく、ブラーがないのに動いていることが凄いのだ。
デフォルメについても重要で、AKIRAのシーンでの、殴られた側の派手な首の伸び方、ねじれ方が殴られた感を出している。元記事で対比に使われているドラゴンボールのコマも、着目すべきなのは殴られたピッコロの描き方で、非常にデフォルメが効いている。触覚の残された感など感動すら覚える。
大友以前のマンガでは、こういった動きを表現するために多くの記号を使っていた。動きを表す流線(ブラーと似ているが同じではない)や、よくわからないトゲトゲ → Σ(゚Д゚) 、オノマトペなど。
元記事で動きがある画の例として挙げているワンピースやはじめの一歩のシーンに、余計なものがたくさん書かれていることに気づく。ワンピースは言うに及ばず、一歩のシーンでもパンチの撃ち出しの軌道上、会長のミットに向かって突き抜けている"気"のような何かが描かれている。単純にシャッタースピードを長くしてもあの軌道をあの距離動いているものはないはずで、あれはブラーではなく記号なのだ。
これらの記号に頼らず、純粋に画力とコマ割りの力で動きを表現した、というところに大友の凄さがあるのだと、いしかわは評しているのではないだろうか。
いしかわじゅんはマンガを見る目は確かだと思うが口が悪い(失礼)ので本当に主張を汲み取れているかは分からないが。
id:kanose 大友克洋氏は漫画独自の記号を使わずに動きを表現するのがすごいというのがいしかわじゅん氏の主張だと解説。ただ大友氏は流線を多用しているよね
そうですね。流線や集中線をつかったコマが異常に多いです。が、あれ背景なんですよね。従来だったらモノ(例のパンチシーンなら、アゴの右手)についていただろう流線が、背景全面に置き換わってます。そうやって、モノよりも読者の視線や意識の方向をコマごとにコントロールしてるのだと思います。
とあるゲームの「プレイすることで投票できる人気投票」のシステムを見て、これはよくできたシステムだなと思った。
子ども向けでありながら大友人気もある(この書き方でだいたい何のゲームか予想できそう)ゲームなのだけど、
大人の財力にモノを言わせた票操作が難しくなるわけで、非常にフェアなルールではないか。でも票数が開示されない怪しさ。
そこで、一般向けの似たようなシステムは何かと思い、カラオケランキングが思い浮かんだ。
http://joysound.com/ex/ranking/karaoke/total/weekly.htm
アイドルはほとんどいない。AKBですらトップ10に1曲入るのみ。ジャニーズはどこ行ったのという感じ。
アニソンやニコニコ発の曲も強い。奏はアニメカバーのおかげかと思いきや元々定番化している模様。
ただしアニソンでもCDランキングに入ってくるようなものではなく、やはり定番が決まっている。
アニメを含めた新しいアイドル曲は歌われないのか? そう結論づける前に年間アーティストランキングを見てみた。
http://joysound.com/ex/st/special/feature/2013year_ranking/index.htm
やっぱりアイドルは強かった。ここに来てEXILEや浜崎あゆみ、倖田來未なども食い込んでくる。
いわゆるマイルドヤンキーからの支持か。この概念あんまり好きじゃないんだけどさ。
「アイドルなんて特典つけなきゃこんなもんなんだよ!」と言おうとして調べたわりには、それを否定も皇帝もしない中途半端な結果が出た。
AKBの新曲が来週配信なのでもうちょっと後に調べた方が「やっぱりアイドルって人気だね」という感じが強くなったかもしれない。
2013の年間ランキングでフライングゲットの下にいた恋する~が今では週間で2位にいるのを見ると、アイドル曲の中でも定番の新陳代謝があるよう。
考えてみればカラオケはその場にいる人に聞かせるものなので(実際に聞いているかとか、本当に聞かせたいつもりかはともかく)、
定番に流れやすいのは当然だった。がっつりマイナーなアイドル曲はドルオタだって歌いにくい。
もちろん「歌いたいものを歌いたい」気持ちもあるので流行も存在する。let it go以外のアナ雪曲は映画見てない人からしたら聞き覚えのない曲だ。
そんな流行と定番の狭間にある日本人の空気の読み方と個性の出し方が見えてくる、それがカラオケランキングであると無理やり締めることにした。
剛力彩芽がビブリア古書堂の事件手帖の主演をしたとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分はそこまで原作ファンでなかった。だからなにも行動にでなかった。次に剛力彩芽はプリキュア劇場版に出演した。自分はさらに不安を感じたが、TV版でなかったから何も行動にでなかった。
それから剛力彩芽は子供向けアニメ、深夜アニメにまでどんどん出演し、自分はそのたびにいつも不安を感じましたが、それでもなお行動にでることはなかった。それから剛力彩芽はプリキュアTV版にレギュラー出演した。自分はプリキュアTV版原理主義者であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。
日本のアニメが文化として足りない点は、オールタイムベストが成立しないことだと思っている。
名作ランクでもキャラクター人気投票でも、ゴールデンの懐かしのアニメ番組はともかくファン投票をしたらここ5年以内の作品が大半を占めると思う。
なぜそうなってしまうのか考えると、アニメはたくさん見るのに長すぎる、というのが理由ではないかと思った。
1クールアニメでさえ、一話23分として4時間かかってしまう。
名作とされている、例えば初代ガンダムのTV版を見るには43話なので約16時間半(ガンダムは劇場版があるけど)。
自分はかつて富野アニメフリークだったのでザンボットとかイデオンとか色々見たけど、ふつうの人はそんなことしない。
それに新作アニメをチェックしていたら旧作を漁る時間なんてないだろう。
そんな、どの作品もやたらと長いアニメというのは、小説で言うとグイン・サーガとかペリー・ローダンに似ている。
熱狂的なファンはいるが、万人に受けないどころか、そのジャンルの愛好者でも相手にしない者は多い。
その流れでマクロスやメガゾーン、ぴえろ魔法少女や首藤剛志脚本作品など80年代アニメを追ったのだが、
大学のアニメーション愛好会に行ったら、アイドル天使ようこそようこと言って誰にも通じなかった。
文学愛好家なら必ず抑える小説があるし、映画愛好家だって、自称するならば押さえたい作品はあるだろう。
はじめにオールタイムベストが成立しないことが問題と書いたが、
アニメの問題は愛好家に、時代を追う、批評家意識がないことだと言い換えても良い。
アニメ オールタイムベスト で検索して出てきた2011年のTIME誌掲載ランキングでは、
http://www.allcinema.net/prog/news_details.php?NsNum=6003
まあ、劇場用長編を前提で考えると、宮崎・押井・大友・今敏、あとは今後細田くらいだろう。
日本のアニメがこれまでテレビアニメを前提で来てしまった以上、
五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html
1.質が高い作品を複数、残している。
を条件とした場合、
手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。
尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。
鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本の漫画の原稿に和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。
水木しげるは天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚を凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋や横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。
そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーローの群像劇、そのキャラクターの性格づけはもとより、マーチャンダイジングの手法においてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析をマンガに持ち込んだのも石ノ森である。
漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現をいかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面のセリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年が少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現は文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女は自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法の確立は萩尾望都を代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女の存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるかに凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。
と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、
藤子・F・不二雄を挙げる。
[補足]
まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。
「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズの武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス。
レスが挙げているような御大たち、高橋留美子、大友克洋、白土三平、水木しげる、赤塚不二夫、永井豪、いしいひさいち、つげ義春、大島弓子、大和和紀、三原順、梶原一騎、吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。
あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。
[補足の補足]
ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思います。ありがとうね。
オリンピック関連の番組でバレーボールの大友選手がTVにうつった。
この選手は出産後復帰してオリンピック出てるんだけど、母親が「メダルとれてよかった。子供ほったらかしてオリンピック出たかいがあったわね」とか言ってえーって思った。
すぐに、父親もいるんだし他にサポートを得てるだろうし、そういう言い方はどうなの的なことを言ったら
でも強化合宿とか行ってんでしょ?ほったらかしじゃないって取り合ってもらえなかった。
それで、これが父親の方だったらどうよ?と返した。生まれてまもない子どもがいる父親がオリンピックで活躍してたらどうなの?
合宿とか練習でまともに家に帰れなかったとして、それでお母さんはその選手に同じ事を言うわけ?と言ったら、キレられた。これは屁理屈じゃないよ、ママン……
確か801ちゃんの作者だったか赤ちゃんいるのにコミケだかに参加するのは母親としてどうなのみたいなバッシングをtwitter経由でされたとかも言ってたな
この赤ちゃんのいる母親は誰であろうと四六時中赤ちゃんと一緒にいなきゃいけないみたいなノリはなんだ。そうしないやつをバッシングする空気もなんだよ。
万全な体制でやってるかもしれないし永遠に離れてるわけでもないのにな。コミケなんてたった3日なのになー。
同じ事を父親がやっても何も言われないのもどうなんだ。
マリッサ・メイヤーみたいな大金持ちにも同じバッシングしてる人も見かけたけど、雑務をすべて外注できる人に何言ってんだって思った。
でもまたそれはそれで、育児を外注とか愛情不足ガーとか言うんだろうな。育児における雑務のストレスで病んでいく方が危険だと思うがな。
くわばたりえのブログでそういうエントリーあったよな。はてブでもすげえことになってたわ。
マリッサが男性なら何も言わないんだろうな。生まれたばかりの子どもがいるのに社長に就任とか親としてどうなのって男性にいう人は少ないんだろうな。
昨今騒がしい風営法である。昨日は大友良英さんが話題にして http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/20120516 、ちょっとした議論になっている。
ただし、すでに高橋健太郎さんが指摘しているけど、大友さんが言うように「単に古い法律が今でも自分たちを縛っている」というのはちょっと素朴すぎる議論だ。趣旨も新聞の記事そのもので、この点では大友さんが踊らされていると言っても良い。
実際、今までクラブの周辺で悪いことは行われてきた。既に指摘のあるディスコ殺人事件 http://www2.atwiki.jp/onthecorner/pages/183.html もそうだし、たとえば悪名高きスーパーフリーもダンスイベントを開催して悪事を行った口だ。自分はクラブにそこそこ行ったことある(渋谷のオルガン・バー、Womb、代官山Air、六本木の小さいヤツ、新宿にあった頃のリッキッドルームなど)し、たいていは悪事なんかやる場所もないくらいのところだけど、数回黒いスーツの兄ちゃんの集団を見たこともある。売春や麻薬だって取引されてきただろう。だから、「クラブは悪いところではない」というのは「道路は悪いところではない」くらいのものだと理解している。じゃあ、これが、「野球場で人が死んだ」とか「テニスコートで殺人事件があった」のと何が違うのか。
ここで箱としてのクラブの特徴を考えてみる。
要するに、一般の店舗の営業形態と違うことが多く、理解を得にくいのだ。
一方で、 http://1st.geocities.jp/metelgiar/dance_law.html のページにあるように、本来対象だったはずの社交ダンスが「理解を得て」対象外になったことがある。だから、今クラブを支えるには、「どうしたら一般に理解を得られるか」に尽きる。
そこで思うことが、パフュームである。パフュームは今や武道館が瞬殺と言われるほどの人気グループである。そしてその音楽を支える中田ヤスタカも、プロデューサーとしては非常に高い知名度を誇る。ところが、その中田がどこでDJしているかといえば代官山や渋谷の小さなクラブだ。多くても1000人も入らないような場所だ。あれだけ有名ながら、知名度と動員が連動していないのだ(中田にとってはそっちの方が良いだろうけど)。そうでなくても、一般にクラブっぽい音楽はあふれているのに、いまだにその演奏場所が理解を得られてないというのは、不思議なことだ。
さすがにAKB商法が参考になるとは思わないけど、音楽の販売とクラブの動員はもっと積極的に結びつけられていい。なんのお咎めもないものを違法にするのは簡単だけど、一度違法になったものを合法にするのは大変だ。上に挙げた社交ダンスの例だって、90年代まで風営法の適用内だったことが、今となっては笑い話のようだが、事実でもあるのだ。