はてなキーワード: 眼鏡っ娘とは
ディズニーやピクサー映画の主人公が美少女じゃないのもポリコレのせい(冴えない見た目の主人公のディズニー、ピクサー映画なんか昔から山程あるわ)
主人公が白人じゃないのもポリコレのせい(非白人が主人公のry)
ガンダム新作の主人公が女で黒人(というほどでもない褐色)なのはポリコレのせい
バズ・ライトイヤーの映画に同性愛要素があるのは当然ポリコレのせい
14カ国で上映禁止になったら、表現の自由という建前を投げ捨てて「ポリコレざまぁ!」
こういう「ポリコレガー」勢は欧米を「偉そうにポリコレを押し付けてくる悪の手先」と憎み、欧米の文化を蔑視している
「アメコミやハリウッドはポリコレのせいで人気なくなってる!日本の漫画アニメゲームが売れてる!」とドヤる
だからしばしば「アメコミは日本の漫画アニメと違って多様性がないドヤァ」という雑語りが起きる
もへもへが「ディズニー様はデブでブスのヒロインは描いてもハゲでデブのおっさんヒーローは描かないあたり限界を感じる」
「マーブル(マーベルといいたいらしい)ではキラキラフワフワヒラヒラで戦う女がいなくて多様性がない」
突っ込まれても訂正しない
もへ信者は「プリキュアの方が多様性がある!」と日本ageホルホルしていた
眼鏡のディズニープリンセスがいないという話でも、プリキュアの眼鏡っ娘集を(コラ画像で)出してこんなに我が国のプリキュアの方が多様性なんだぞ!とドヤってホルホルしていた
だが、一方でそんなプリキュアですら叩くのが「ポリコレガー」勢だ
ヒープリで敵を見捨てるのはポリコレでフェミだからクソだの騒いでた
ことポリコレの話になると、奴らはお得意の「嫌なら見るな」を守れなくなるらしい
そのくせ、フェミ的な批判にはすぐに「規制派ダァー!!表現の自由!!」と騒ぐ
そんなにポリコレが鬱陶しくて憎いポリコレが頭から離れなくてなんでもかんでもポリコレに見えるのなら、自分達でポリコレじゃない作品を作ればいいのに
終わってみれば、いくつかの伏線があった。
まず、自転車のロードレースは名目上は個人競技だが、実質的にはチーム競技である。エースとなる選手をチーム内の他選手がサポートする。しかしながら、今回オーストリアからは優勝した眼鏡っ娘数学者ただひとりだけの出場で、名実ともに個人の力だけの戦いをせざるを得なかった。これが第1の伏線。
空気抵抗は速度に比例する。速いけどすぐ終わる陸上短距離や、時間は長いけどゆっくりのマラソンとは異なり、車なみの速度で長時間長距離を走る自転車ロードはとりわけ空気抵抗の影響が大きい。そのため、空気抵抗を減らすための工夫が必要になる。それが集団走行。先頭となる数人が風を受け、大多数はその背後に隠れることで空気抵抗を減らす。先日のツールドフランスにおける大落車事故も、風よけのために意図して密集して走っていたからこそ起きたのであり、離れていれば巻き込まれずに済んだのになどというのは単なる妄言でしかない。
つまり、集団(プロトンと呼ぶ)のメリットを捨てて序盤から飛び出すというのは、本来なら無謀な戦略である。しかしながら、たとえプロトンにいても、誰からのサポートも受けられない孤独の選手がエースとサポートで分業できる他チームと張り合って勝てる見込みはない。万が一でも勝機を見出すのであれば、プロトンの中で埋没するのではなく、逃げて逃げて逃げまくって、後方のプロトンで何らかのトラブルが発生するのを期待するしかなかった。そしてそれが起きた。
第2の伏線はオリンピックのルール。通常のプロのレースでは、選手は無線機を装着し、それを使ってレース全体の状況や戦略が伝達される。しかし、オリンピックでは無線連絡は不可。詳しい状況を知るには、プロトンの後方を走っているチームカーのいるところまで下がって聞く必要があった。序盤から中盤にはできただろうが、終盤になってくるとそんな余裕はない。チームカーだけでなく、プロトンの前を先導している車両からも逃げ集団とのタイム差が随時伝達されていたはずだが、キーセンホーファー以外の逃げ選手が吸収された少し前ぐらいに伝達されたのがおそらく最後だったのではないだろうか(推測)。そのためプロトンをコントロールしていたオランダチームはすべての逃げを捕えたと判断してしまい、前方に注意を向けるのをやめてしまった。キーセンホーファーがどのプロチームにも所属しないほとんど無名の選手だったことも幸いした。有力選手だったらプロトンにいないことが気づかれないはずがない。誰も知らない選手だったから、集団にいないことが不自然に思われなかった。実は3位になったイタリアチームはまだ前で逃げていることを認識していたらしいが、プロトン内での争いになったと誤認していたオランダチームが先頭を追うことを許さず、差を詰められなかった。
そして何より、優勝したキーセンホーファーは強かった。プロではないが過去にはプロチームに1年だけだが所属していたことはある実力で、また、集団ではなく個人で走る種目であるタイムトライアルを得意としており、かなりの実績があった。また、今回は上り坂の多いコースだったが、キーセンホーファーはまさにヒルクライマーだった。つまり、上り坂の多いコースを集団ではなく自分の力だけで走るのは実は得意中の得意だったのだ。スタート直後から逃げるという戦略を選んだのはキーセンホーファーだけではない。彼女を含めて5人いた。この5人でかわるがわる先頭交代しながら逃げたが、他の4人はけっきょく脱落した。数人でもひとりよりは圧倒的に風よけの効果はあるが、それでも数十人の大集団に比べればたいしたものではない。体力の消耗は激しく、逃げ続けるなんて到底無理である。しかしキーセンホーファーは最後まで逃げ続けた。これはただの尋常の力ではできない。
こうやって後から振り返ってみると、偶然の要素はあったものの、ただ幸運なだけで掴んだ結果ではなかったことがわかる。ちなみにオーストリアが自転車競技で金メダルを取ったのは1896年アテネの12時間耐久レース以来だそうで。昔はそんなとんでもない種目があったんだ…。