はてなキーワード: 眼鏡っ娘とは
仕事帰りに何となく歩きたくなって、遠回りして歩いてたら、家電大手の前を通りかかった。
「あ、そういやあの話題のやつ、実機をみたいんだよなー」と思い、「これこれ」と画面をシュッシュしてたら、店員の子が話しかけてきた。
「うーん、どう当たり障りなくセールスを断ろうか」と思っていたが、かけてくる声のイントネーションがどう聞いても日本人ではない。
それに可愛い。
面白くなって話してみたら、その眼鏡っ娘は中国からの留学生らしい。
「広州人は四つ脚のものは椅子以外は何でも食う、二つ脚のものは親以外何でも食う」と言う話は本当か?と聞いたら「聞いた事ないです!」爆笑した。
彼女は就活中であるようで、「慶応って学校のランクとしてはどうですか?(´・ω・`)」と聞いてきたので、
「いや、ぜんぜん良いと思うよ、いくつかうまく行かなくても、別に君自身に問題がある訳でなく、他の事情もあると思うし」
などと答えながら、「サイレントお祈りってやつか。エリートチャイナっ子も日本の就職事情に面食らうんだなぁ。」なんて思った。
彼女によると、日本の1万円札が大きな通貨としては便利らしく、
「人民元の最高額紙幣は100元なので、おなじ価値でも6枚必要になるんです。財布が厚くなっちゃう(´・ω・`)」
そういう個人の小さな生活情報って、ニュースじゃ分かんないなぁ。
「昔は日本と中国は仲良かったんですけど(´・ω・`)」というので
「いやー今も良いと思いますよ。あまり外国にいかない日本人にとっては、ニュースなどのオフィシャルな情報や政治の大きな話だけ入ってくるから、中国とは緊張があるみたいになるけど、実際個人と合うと、『絶対に許さない』なんてそうそうならないし。」
「たとえば台湾は親日、中国とは対立って言うけど、そんな単純じゃない。」
「広州って何が美味しいの?」
「全部美味しいです!」
深圳に興味があるんだけど、行きたくなったな
「近いですよ、ぜひ広州にも!」
化粧はしてない、服は微妙にダサい、髪型も切っただけーとかくくっただけーという感じ。
僕はロリコンではないが、この年代までの女子は皆一様に可愛いと思う。
しかし、18才に近づくにつれて、女は垢抜けようとしだす。
髪をウンコ色に染め、変なパーマをかけ、こだわった服を着て、化粧を覚える。
なんてもったいないことを…
世の中の女性に知ってほしい。
垢抜けない女が好きと言う男が大変多いということを。
たいていの女は、着飾ったり塗りたくったところで劇的に何か変わるものでもない。
普通の格好でいい(スカート推奨)し、化粧もあんまりしなくていい。髪はストレートのミディアムかロングなら間違いないから。
もちろん、これは
垢抜けない=従順そう、反抗してこない、言うこと聞いてくれそう
という構図があるので、それにイラっとくる女は多いかもしれない。
でも、騙されたと思って一度実践してほしい。周りの男の対応が変わると思う。
街で垢抜けない女に会うたび、
参考画像:
http://precure-diamond.tumblr.com/
http://www.pixiv.net/search.php?s_mode=s_tag&word=%E8%8F%B1%E5%B7%9D%E5%85%AD%E8%8A%B1
◯◯と見せかけて……残念! ××でしたー!は非常に邪悪である。だったら最初から××のままで出せばいいのだ。ギャップ萌え? 知ったことか。◯◯への期待を返せ。
イメチェンと称して以後コンタクトで固定。たいてい「こっちの方がかわいい」ということになる。言うまでもなく邪悪。風呂・就寝・眼鏡を拭く等で外すのは普通なので、問題はない。
手術のためとか農作業のためとかで切って、以後もショートで固定という……。あまり見ないが非常に邪悪。式典用にはかつらがあるからとかそういう問題じゃねーから! 最初からショートヘアで出せよ!
三次元のコスAVで本番で脱がせちゃうのが多いと言われているが、二次元ではコス破損が多い。特にストッキングは確実に破く。演技しづらかったり、コス汚れたりっていう三次の事情は分からんでもないが、二次元のストッキング破りの思考停止はなんなのだろうか。あと露出度低いコスで局部切るやつも謎。じゃあ最初から紐ビキニでも着せとけ。
用意しておいて付けない。もしくは無くなったからと生に移行。一番意味不明な小道具。じゃあ最初から出すな。コマや尺の無駄だ。
近年激増している邪悪。ギャル・ヤンキーと見せかけて真面目もこれに含む。処女相手ならマウントを取れるとか、独占とか、そういう需要があるのは分かる。だが経験豊富なお姉さんに翻弄されたり、ビッチにヤり捨てられたり、そっちを期待した俺のこの哀しみはどうしてくれる。処女厨マジ害悪だわ消えてくれ。でもちょぼらうにょぽみと麻衣は許す。
個人的には期待外れの号。
カラー。
童貞・粗チンいじりというコンセプトは◎。でも安易に女の子が裸を見せるのは……。
雑誌的にカラーページで女の子の裸が出ないのはマズいって判断なのかもだけど。
巨女? というか男がマイクローン的な小人になってる世界の話。
そっちの癖が無い上にロリの趣味も無いからピクリともしなかったごめん。
でもコンセプトが分かりやすくまとまっていて、読み易かった。他の作家も見習ってほしい。
あーG4Mって作家から描きたいって思われない変態性欲雑誌なんだなーしかも売れてねぇんだなー……って思わせてくれるクソページ。
永遠娘はなにこの妙に豪華な掲載陣。これくらいのメンツを毎回のG4Mにも連れてきてくださいよ。あれ? もしかしてM漫画描きたい作家ってロリババア描きたい作家より少ない?
高も独立創刊とか自慢かよ。G4Mより後から出たのになー! そりゃあみなさんお好きでしょうねぇ、女子高生。
いいですよねぇフツーの雑誌。売れるんでしょうねぇ。人気なんでしょうねぇ……あああああああああ!!!!!!!!!!!!!!
ぬるい。エロくはあるけど、ひたすらぬるい。もうちょっとハードなことやってもいいのよ?
話の筋が読めすぎるのと、主人公のモノローグで説明しすぎなのがダメ。
もうちょっと説明しないことで雰囲気とか出してもいいんじゃないかと。
あと往来でチンポ出して射精より、ズボンにじわぁの方が好みだった。
これ連載だったんだ。
個人的には男がモノ扱いされてる世界って設定がぶっとびすぎててノれなかった。
あと玉潰しもそこに込められる意味合いは買うけど、やっぱりプレイとしては一瞬で終わってしまうしオチにしか使えないので微妙。
バブみってなに……?
赤ちゃんプレイってコンセプトがハッキリしてるからまとまってはいると思う。
巻頭カラーの童貞いじりをここで完璧な形で出されてしまったので、カラー漫画はどうでもよくなってしまった。
セックスしたことがないってだけで、立場の逆転が不可能になるのいいよね。
脱いだ服や足コキの趣味がないから、前半のプレイは微妙だったけど、このくだりだけで超ポイント高い。
あと前の彼氏との経験がある設定もいい。エロ漫画ってなかなかそこに言及したがらないし。
ロリはともかくプレイがヌルいのもうちょっとどうにかなりません?
他にヌルい漫画があると、毎回絶対にヌルい丸居まるの居場所はだんだん消えてくるような……。
逆ヒロピンとでも言えばいいのかな……。この号でいちばん酷いまんが。酷い。あらゆる意味で酷い。
古賀亮一とか道満晴明とか緑山とかああいうポジションになりたかったのかなってくらいギャグ。
最初は笑っちゃってシコれなかった。ポイズンもパラライズも正義の名前じゃねーよ!?
でもこのおまんこ丸出し変身ヒロインに格闘戦でボコられるってシチュは使えるぞ!
……あ、これ前後編だったんだ。目次見て知った。
相変わらずコンセプトが見えねえ漫画だ。ただでさえヒロインが二人いて話の中心がぶれてるのに、被虐シチュが妹が好きなのに妹の友達に押し倒されて童貞卒業しちゃいましたって。やってるプレイが普通なのも含めて微妙。
毛深いキャラにするならケツ毛まで生やしたっていいのに。
ああ、思い出した。人に聞かれちゃうかもプレイがいいんだっけこの作者。
じゃあ妹を最初からフォーカスしとけや! 導入要員にしかなってねーぞ、これじゃ!
女の子が本番セックスでチャラ男の責めに何一つ感じてなさそうなのがいい。
しっかりツボを押えた秀作。
すたーきーがG4Mに帰ってきたぞおおおおおお!
ちょっとストーリー重視?な感じは、G4Mでは珍しい。眼鏡っ娘いい……。
ここで特に言及しておきたいのが、途中1ページだけ描かれた普通のセックス事後のゴム描写だ。
これがいい。この男、普段からゴム持ち歩くようなヤリチンだったんだなーってなる。
何がいいたいかというと、G4Mに限らず、エロ漫画ではコンドームの存在を軽視しすぎている。
せいぜい生本番の前座か、表紙で咥えさせたり周囲に使用済みを散乱させるが本編では未使用程度だ。
あのな、バカかテメーら! もうちょっとゴムを設定や演出に取り込めよ! エロ漫画家ならよ!
なんでもかんでも生が一番とは限らねーだろうが! ビールじゃねえんだぞ! 分かってんのか!?
ビッチキャラに付けさせて手慣れてる感出させるとか、女性側の同意と積極性を演出するとか、生殖行為という建前をスポイルして快楽だけ貪りたいことをアピールするとか! ヤる前に店頭に買いに行くのをプレイの一部にしてもいいよね!
G4M向けならもっとあるぞ。射精させられたあとに精液これしか出ないんだとか、ゴムのサイズという客観的な基準で粗チンであることを認識させられるとか、誰とも生でヤる女が俺にだけはゴム付けさせてあんたの精液でだけは妊娠したくないからとか!
なんでそういうプレイやらないかなぁ。そんなに不人気なのゴムセックス。それとも単に生最高で思考停止してるだけ?
それ自体は悪かないんだけど、犯されるってシチュのくせにご褒美感があるのが残念。
前作はショタが母親の命令による強制売春で孕ませって暗い設定でバランス取ってたけど、今回はそういうのもない。
ページ数考えると難しいのかもしれないけど、適度な悲壮感が欲しかった。
最後にお姉ちゃんが言ってたショタ円光設定で、仲よくしてくれてたお姉ちゃんの友達に知られてから、汚いものを見る目で見られて……。もしくは他に好きな子がいたのにレイプされて強制パパ化みたいな。
……でもこの人Mっていうよりブルマスク水ほかピッチリ系衣服フェチだよね。
前号あたりに載ってたやつの続き。
ピンとこないのは同じ。
ペニバン二本差しとか尿道パールとかプレイはハードになってるんだけどね。
おなじみ先輩シリーズなんだけど、G4M掲載作のヒロイン全員集合っていう単行本のため感丸出しの一本。
先輩シリーズと射精管理の関係/完全管理の関係の世界観繋がってるのは知ってたけど、ちょっと残念。
でも……この作品でえっちなことは先輩とだけが良かったなーというか。
いやほら、このシリーズってG4Mでは珍しいくらいに健全なカップルの話じゃん?
だからこう……一気に階段駆け上がられちゃった感じがしちゃって……。
単行本買います。単行本出た後も先輩シリーズかそうでないかによらず、こういうイチャラブプレイもの描いてほしい。理不尽な暴力こそ至高という雰囲気のあるG4Mで、純愛は貴重なので。
雑誌の中で目立つのが、甘々プレイの作品と、男はモノであり理不尽な扱いを受けるって世界観の作品。
まあ前者が入りやすいことは認めるけど、そればっかりってどうなのよ? 皆勤賞の丸居まるが一本あればいいだろ!?
その上前者にはイチャラブカップルがハードプレイしてるのか、それとも陵辱ものなのか、コンセプトのはっきりしない作品も多い。
陵辱なら陵辱らしく暗い雰囲気を出さないと、ただのご褒美。一般的なエロ漫画誌にもある女性上位プレイにしかならない。なんのためのG4Mだよ。編集もコントロールしろよ。
読者は加虐者による罰を求めているかもしれないけど、作中の登場人物がそうである必要は無いので、上手くやってほしい。
後者は……まあこれが編集の考える最高のM向け漫画なんだろうなぁ、と。大嘘のにも玉潰し入れてきたし。これは趣味じゃないけど、やりたいことハッキリしてる分読んでて楽しくはある。
上手い人はとことん上手いんだけど、それ以外の人は微妙っていうのが雑誌のカラーになりつつあって、そこは改善してほしい。
あと来年は季刊になってほしい。そりゃ売れてないから不定期刊なんでしょうけどね……描きたい人もいないから今年は年間3号しか出ないんでしょうけどね……一般性癖雑誌COMIC高のがいっぱい売れるんでしょうけどね……G4Mが6冊出る間に8冊も出て独立創刊ですからね……。
僕の彼女は眼鏡っ娘だ。ちょうど映画『私の男』の二階堂ふみ氏みたいに。
僕はそういうところが好みなのだけれど、彼女は分かってくれない。
「それは外面から見た場合の話でしょう? 眼鏡はとても不便なのよ」
ある日、そのことで言い争いになった時に「じゃ、眼球を交換してみる?」
と言って、彼女は僕のコメカミを押さえた。途端に視界が揺らぐ。
僕の視界は何ひとつとしてくっきりと見えない。
そう言って彼女は持っていた眼鏡を僕に手渡す。「これで世界を見なさいな」
僕は眼鏡を着用する。サイズが合っていないのでいささかきついけれど、
観てみると視界がくっきりと見える。部屋の片隅に置かれていた
そんな彼女が言うんだ。「あら、眼鏡を掛けた貴方って結構イケてるわね」
そう言われたので、僕は彼女の眼球をそのまま装着したままで
暮らしている。「メガネ男子って今トレンドなのよ」と言われたので
■その1。
いやー、『ONE~輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。
「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか)
……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!
さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から、特定の感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。
そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常の崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。
しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくまで少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。
前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。
ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公のモノローグなどで、恋愛の予兆があらかじめ内在する。
ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚な描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛の予兆が排除された状態から、後半、一気にハードな恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写や少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。
さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊の暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオの手法としては、これは決して悪くない、と思う。
同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体は積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的な抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメの物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。
ラブコメというシステムは、その発生においては、過去の歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。
だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊を抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。
■その2。
【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメの定番パターンからの進化。しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーからは生理的嫌悪にも似た反発に遭った。
物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミスの音楽は正解だとしても、出演女優をフェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)。
つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合、必然的に、既存のパターンにはない微妙な感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式を否定していく作業になる。記号のイメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。
でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。
例えば、『ONE~輝く季節へ』の場合は、日常から非日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合、日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から、過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。
それから、感心したのは、父性&母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克がテーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克がテーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくまで自律的に運命を選択していく。
他人の犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。
そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だから、コールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去の記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。
だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。
しかし、あくまで自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやかな意志の方が、ゲームを終了し、物語がプレイヤーの現実に取り込まれた際に、有効に機能するのではないだろうか?
過去の日常と現実の日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語も再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。
■ちっとも終わらない近況。
仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアのキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明な仕事ばっかしているので、最近は「本業は編集者」とは言えなくなってきたですよ……。
あ、事務所のホームページに、このコラムのバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーのテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。
■その1。
「やばい!太平洋だ!」……プレイした感想は、まさにこれだった。休業しているとはいえ、商業誌の編集者である筆者は、ゲームの題材として同人誌を扱うのは、やはり抵抗があったし、おたくである自分の状況を俯瞰的に扱うということを、美少女ゲームで表現するとは……という気持ちもあった。まあ、ありがちな先入観を抱いていたのだ。
で、実際にプレイしてみたら、「ゲームとして良くできている」のだ。確かに、題材の違和感は拭えないのだけど、『こみっくパーティー』はゲームだ。ゲームとして面白ければそれでいいのだ。その驚きが冒頭の台詞に現れているんだけど、まあ、元ネタは分かるまい(笑)。
さて、『こみっくパーティー』というゲームは、特別な思想性を見いだすことはできないけど、最大公約数の娯楽性を持った作品だと思う。実際、主人公に関する事柄以外は、かなりのバランス意識を持ってテキストが作られており、現在の同人誌状況のプラスもマイナスの両極を無難に取り込んでいる。これは、正月のオールスター映画を作るようなもので、それ故に「無難」というのは、この場合、最大限の褒め言葉なのだ。
そして、最大公約数故に、どのような批評も内部に取り込んでしまうというか、あらかじめ批評を予測された構造になっている。だから、ユーザーはゲーム中の事象にいちいちツッコミを入れつつ楽しんでいるし、批評にしても、思想的な根幹は特に存在しないので、どうしても些細な設定に帰着してしまう。そういう意味ではライター泣かせというか、誰もが批評家然として語ることで楽しむ作品でもあるし、このゲームを語るのは、筆者の場合、自分の半生を語るようなものでもあり、正直言って、気が重い。つまり、このゲームを語る事は、ユーザー自身の同人誌観を語るのと同じなのだ。これは非常に恥ずかしい。
■その2。
前号の「美少女絵師列伝」での、リーフ東京開発室インタビューにもあったけど、同人誌即売会という現象がそれほど普遍的なものになったのかと思うと、正直言って、また別の感情もある。筆者は同人誌の世界に足を踏み入れて8年、その半分はまんが雑誌の編集者として、絵に描いたように、おたくメディアと密着した生活を送ってきたけど、こうした俯瞰的に自己言及するメディアが発生するあたりは、言葉は悪いが、同人誌の世界が成熟し、おたくのイニシアチブを取る=経済的に勝利した状況になりつつあるのだな、と思い知らされた感がある。
あと、『こみっくパーティー』には思想性が無いと書いたが、特定の思想があったら、こんな広範な題材は取り扱わないし、結果として、一つの市場をめぐる噂話(都市伝説)の集合体という構成になるのも当然の事だろう。そして、このゲームは、善悪全てごちゃまぜにして、同人誌をめぐる状況を極力そのまま取り込んでいるし、登場人物がどれも清濁併せ呑む存在であることにも気づくだろう。特に、前半に関しては、主人公の視点があくまで素人として設定されているので、出会う人々がどれも過剰な存在に見えるのだ。また、冒頭で「主人公に関する事柄以外は~」と書いたのは、同人作家として成長するスピードと素人の視点が、後半になるにつれ、やや噛み合わなくなってくる為で、この辺で違和感を感じた人はいると思う。
ところが、みつみ美里氏や甘露樹氏といった作画陣の流麗な絵柄のフィルターを通すと、清濁併せ呑んだ部分が届かなくなるという現象が起こってしまう。最近のユーザーの傾向として、ビジュアル的な構成要素だけで全体を判断するので、本来、皮肉になるべき箇所が皮肉として通じないのだ。ユーザーはフィルター上の表層(ビジュアル)しか見ないので、キャラクターの内面まで踏み込むことはない。この微妙なズレというか、奇妙な皮膜が形成された結果として、特に何の問題もなく『こみっくパーティー』は、美少女ゲームという商品として成立している。本当は、もう少し微妙な立場にあるはずのゲームなのだけど。
古参のユーザーは、シナリオも含めたトータルを見た結果として、自分の同人誌観を語るのだが、最近のユーザーはビジュアル的な要素だけで判断するので、必然的に「キャラ萌え」といったベクトルへ向かう事になる。まさに、パソコン用語の「オブジェクト指向」ならぬ、「オブジェクト嗜好」といった所か。また、このタイプのユーザーには、全肯定と全否定という二つの判断しかない為、批評という概念自体が成立しなくなる傾向もある。
批評の介在しない、言論の一定化という状況で、他人との差異を何処に求めるかとなると、信仰心の強さを競う、という一点に帰着していく。信仰対象への愛情がイコールで消費した金額に換算される為に、トレーディングカードが流行したりもする。けれども、その信仰の強さが物語性を妨げる弊害も起きる。物語は信仰対象を疑うことから生まれるものというか、強烈な信仰は、自己の内面を相対化する心理機制を内包していないので、内面の葛藤の結果としての物語は生まれにくいのだ。
そして、信仰対象を次々と消費する現在のおたく産業に於ける経済システムは、物語よりも情報を重視している為、物語の需要は失われていく傾向にある。
【ネコミミ】【ロリぷに】【眼鏡っ娘】【妹】【メイド】といった、快楽原則に忠実な根本要素に、作画技術(画力・技法)や、ブランド(描き手のネームバリュー)が絡みあった結果、萌えられるかどうかを判断する……このように、価値の基準を情報単位で捉えていくパターンが、先に述べた「オブジェクト嗜好」なのだが、そういった表層的な要素のみで判断すると、物語や思想性は余計な要素=ノイズ以外の何物でもなくなってしまう。
例えば、とあるゲームのタイアップまんがで、元々、オリジナルの作品を描いていた作家を起用したりすると、アンケートは絶好調で、単行本もバカ売れしているのに、巷にはそのまんがに対するブーイングが溢れるという、パラドックスな状況が起こったりもする。
これは、「ゲームの関連商品」として単行本を買ったんだけど、描いている作家の作家性がノイズと判断されたからだろう。いわく「ゲームのイメージを壊す」と。この場合、その作家の絵柄(ビジュアル)だけで起用するから、そんな事態になるのであって、ゲームやアニメが主導する形でタイアップまんがを作るときは、キャラクターグッズに徹する、思想性の無い作家を選ぶ必要があるだろう。実際、最近のまんが業界周辺にはこういった、メディアミックスの悲劇といえる現象が、日常茶飯事になりつつあるのだが……話がずれた。
筆者は古いユーザーなので、エロの含有率で美少女ゲームを判断する癖がどうも抜けないのだが、現在の美少女ゲームユーザーは大きく二つの属性に分けられると思う。「キャラ萌えできるか」「心の琴線に触れられるか」……しかし、両者は結局、コインの裏表で、どちらも表層の情報、つまり、あらかじめメディアによって価値判断処理が施された情報だけを消費しているという点では五十歩百歩に過ぎない。
おそらく『こみっくパーティー』は、前者に属するのだろう。だが、萌え~なキャラがいるからプレイする、感動できないからプレイしない、というレベルでは割り切れない懐の広さも、このゲームが持っていることは知っておいて欲しい。
……筆者は、ゲーム(物語)の内部と自分の内部を相対化できるゲームが、良いゲームと考えているのだが、『こみっくパーティー』は十分、その条件を満たしている。題材が良いのか悪いのかに関しては、未だに判断し難いのだけど、ゲームとしては、まさに予想外というか、嬉しい誤算だったと言えよう。
■連載のはじめに。
コンシューマー系のギャルゲーバブルも、そろそろはじけかけている今日この頃ですが、アリスソフトというメーカーは、良くも悪くもマイペースで、ギャルゲー(非18禁)とエロゲー(18禁)の境界線を、自由気ままに闊歩しているという印象があります。そして、その分、バランス感覚に気を配っているメーカーでもあると思います。ただ、ギャルゲーもエロゲーも、バブル的な市場の拡大が起こってしまった現在は、同時に多くの価値観が提示されてしまった世界でもあると思うのです。まあ、エロゲーの世界は元々、無秩序・無軌道・反社会的で『仁義なき戦い』のような世界ではあるんですけど、それにしても価値観が乱立し過ぎてねえか、というか、既にレーベル数を、本職の美少女ゲーム誌の編集者が把握しきれない、そんな状況の中で、今後のアリスソフトを占う上でも、『ぱすてるチャイム』は興味深い作品だと思ったのですよ。ええ。
■全体を俯瞰して。
さて、そんな昨今の状況に対して、うっかり中出ししてその後始末を考えるような、ちっともタイムリーで無い、珍妙な美少女ゲームコラムの第一回のお題は、アリスソフト久々のRPG『ぱすてるチャイム』でございます。
もう、発売してから結構経っているので、改めて説明しなくてもいいと思うんだけど、『ぱすてるチャイム』は、育成ものと恋愛SLGの要素を加えた、ダンジョン探索型のRPGです。4人の女の子達と協力して冒険していくうちに、喜怒哀楽がで悲喜こもごもなイベントがあって……というのが、美少女ゲームとしての、一番メインの要素なのだけども、心配していたのは、これらの要素が、一つのゲームとして、まとまっているかどうかという点だった。とりあえず、その辺からゲームを俯瞰していくことにしましょう。
まず、RPG部分に関しては、アリスソフトの伝統的な操作体系を継承していて、かなりプレイしやすいシステムになっている。ただ、作り込んではあるんだけど、昔ながらの経験値稼ぎ系のゲームなので、特に、最近のコンシューマー系のRPGに慣れてしまっている人には、戦闘シーンが、システムに慣れてくるとすぐに単純作業になってしまうあたり、ちと辛いかも知れない。
戦闘シーンのビジュアルが基本的には静止画だけで、キャラクターの台詞でメリハリをつけるというのは、作業の効率という点では好感が持てるんだけど、淡泊というか、単純作業という点を強調してしまった面も。例えば、『ファーランドストーリー』や、アリスソフトだと、『かえるにょぱにょーん』の戦闘シーンにもあった、チビキャラアニメみたいなものがあっても良かったかも知れない。まあ、筆者はそういうのがうざったい、かなりせっかちな人なので、OFFにしてしまいますが、多分。
むしろ、気になった点としては、恋愛SLG部分の方で、ゲーム時間と比較して、イベント数が少ないのだ。一つ一つのイベントは台詞回しなども含めて、よく練り込まれているのだが、一学期から二学期にかけて、シナリオが分岐するまでのイベントが少ない。これは、キャラ固有イベントに比べて、共通イベントが少ないからだと思うし、週末のデートイベントがテキストだけで、しかも、数パターンしか無いってのも、ちょっと寂しかったな。しかも、キャラ固有のイベントは、見逃したら次のイベントに繋がらない……というものもあるので、フラグ立てをしくじると、本当に味気ないプレイになってしまう。まあ、普通は途中で気がついて、途中のセーブデータでやり直すのだろうけど……。
正直、『ぱすてるチャイム』というゲームは、かなりストイックなゲームだと思いました。そして、アリスソフトというメーカーもまた、ストイックなのだと、改めて思いました。確かに、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』といった、一見ロマンティックな美少女ゲームに見せかけておきながら、しっかり心にはドスが突き狂っている凶暴な名作群に比べれば、その獰猛さは幾分抑えられています。でも、アリスソフトの濃厚な持ち味は『ぱすてるチャイム』のような、ライトな娯楽作品でもきちんと健在です。深作映画に例えるなら、『闘神都市Ⅱ』や『デアボリカ』が、『仁義なき戦い』『仁義の墓場』で、『ぱすてるチャイム』は『資金源強奪』ですかね?(ますます分かりません)
ただ、プレイする側の考え方は、時代に合わせて変わるのだろうし、独自のスタンスというものが、乱立する価値観の中に埋もれてしまうかも知れない……そんな懸念はあれど、筆者は、昔と変わらない毅然とした態度を維持している、このメーカーをこれからも支持していきたいと思ったのですよ。
ボーイッシュを通り越して、豪快な漢気と魅力を発散する沙耶と主人公の関係は、盃を交わした男同士の友情すら感じさせるのだけど、少しずつその関係性が崩れていくというか、主人公以上に、沙耶の方が、芽生えた感情を制御できなくなっていくあたりの描写が、なんともいじらしくて良い良い良い。
ミュウとコレットのシナリオは割と恋のさや当て的な感じなんだけど、沙耶とセレスのシナリオは、グローイングアップ的な展開が強調されている。特に、H以降の関係性の描写に重きを置いている点は、好みもあるだろうけど、個人的には好感が持てる。Hが最終目的ではなく、Hも含めて、他人との関係性の中で真の強さを見つけていく描写は、アリスソフトの得意とする所でもあります。まあ、『闘神都市2』みたいな、キツイ一発……いや、ハードな展開は無いですけどね。あっても困るけど。
天然ボケで内気で弱気で眼鏡っ娘エルフで、しかも巨乳という、このゲームで一番えろーすなボディのナオン。おまけに、陰湿ないじめに遭っていた所を助けたのがきっかけでパーティーを組むという、まるで、おおばやしみゆきのまんがのような出会いだったりもするのだ(分かりません)。どこか人生を諦め、現実から目を背けていた自分を再び見つめ直す……というのが、この娘のシナリオの特徴。得意技能はスカウトで弓使い。スカウト技能が無いと、探索の時にロクに扉も開けられないので、セレスと組むにしても、組まないにしても、、主人公が1レベルだけでもスキルを取っておくとプレイが楽ですよ。
沙耶
タイマンでは負け知らずな武闘派の戦士で、剣の腕は赤銅鈴之助や隠密剣士以上(予想)、主人公に着替えを見られてもへっちゃらちゃらーな、漢気溢れる美少女である。褐色の肌にスポーツブラが眩しいよ! ただ、時々男勝りな自分への不信感が見え隠れしたりもするのがやはり女の子。そんな沙耶のシナリオは、男勝りで凄腕の戦士というパプリックイメージと、一人の女の子である自分の気持ちの間で揺れ動く、というもの。展開が一番筆者のツボにストライクしたのは、別項の通り。あと、スポーツ少女なので、やっぱり引き締まったいい足してます(どこを見てますかあなたは)。実家はそば屋らしい。
赤いランドセルとスパッツがマニアックでタマランチ会長なロリっ子ハーフエルフ。主人公とは因縁めいたものがあるらしく、転校初日の初対面からフレイムアローでマトにかけるヒットマンぶりを見せる。元気いっぱいで、騒々しさと気の強さでは『仁義なき戦い』の大友勝利にも匹敵する武闘派魔法使いでもある(言い過ぎ)。戦闘時にはキリングマシーンと化して、攻撃呪文を撃ちまくるが、MPの消費も早いので気を付けよう。先の因縁と空白の時間という二つの引っかかりを少しずつ踏み越えていくのがシナリオの主題で、ラストの展開は色々な意味で驚かされます。NPCのステータスが回復できなかったのも驚いたけど。
ミューゼル
ヒロインなので赤毛の犬系キャラ……という訳でも無いんだろうけど、やっぱり幼なじみなのですよ。面倒見はいいし、神術が得意で、詠唱では全国2位。まさに非の打ち所のない正統派ヒロインなのだけど、持ち前の人当たりの良さは、自己主張が控えめでおとなしいということでもあるので、それが時々裏目に出たりもする。でも、武装した生徒で溢れ返っている舞弦学園が『熱笑!花沢高校』にならないのはこの娘のおかげ(かも)。やっぱりヒロインなので、シナリオはきっちり手堅くまとめられてます。主人公との関係性はもちろんだけど、コレットとの友情が、描写として印象的な所が多いのだ。
■あとがき。
なーんか偉そうなことを延々と書いていますけど、元々は某美少女まんが誌のゲームコラム用に買ったという名目はあれど、動機は完全にキャラ萌えなので世の中そんなものです。沙耶沙耶沙耶。『かえるにょ・ぱにょーん』だって、しっかりクリアしたさ!
おまけに、このゲームのレビューを書こうと思っていた、某美少女まんが誌のゲームコラムの方は、書く直前に打ち切られてしまって、危うくお蔵入りになるかと思っていたんだけども、捨てる神あれば拾う神あり。というか、やらんと収入が(中略)。さて、次回の『N.C.P』(←略称)のお題は……えーと、今回の原稿を書いていたら、調子に乗り過ぎて規定の字数を大幅オーバーしてしまったので、『ぱすてるチャイム』の続きと、もう一本は、待望の『ベストプレープロ野球Win版』かな……すいません、うそです。まだ決めてません。では、また。[更科修一郎(FAKEOFFICE)]
元増田です。
本件に関しては、その場に居た全員(Aさん、彼氏さん、友人たち)の期待を裏切ってでも、自分のポリシーを貫いたと言えると思います。それが正しかったのかどうかは判りませんが。
触ってしまうことで、自分が崇拝の対象としているAさんの美脚が自分と同レベルにまで堕ちてしまうということを恐れていたのかもしれません。
一方で、「据え膳に箸を付けなかった」ということは、私にとってAさんの脚が触るに値しないものであったと解釈される可能性もあります。或る意味、私からAさんに対しての侮辱です。
この件の後Aさんとは特に連絡はしていませんが、「ヘタレ」と思われる程度であればともかく(現実にヘタレな訳ですし)、「彼氏や友達の前で恥をかかせられた」と思われると厳しいです…
自分の行為は、自分自身の何を守って何を損ねたのか、そしてAさんの何を守って何を損ねたのか、まだわかりません…
twitter等各所の反応も眺めてみました。
http://b.hatena.ne.jp/entry?mode=more&url=http%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20120826210020
https://twitter.com/#!/search/realtime/http%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F20120826210020
等から
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心配しなくても、触れないだろうことは見透かされてるよ。
なんだこのカップルむかつく
気の利いたリアクションができればコミュ障脱却の糸口になると思うが、実際にはテンパって何もできないだろうな。眼鏡っ娘好きだが眼鏡触って良いといわれても多分何もしない。別に眼鏡が好きって訳じゃない(キリッ)
むしろ舐めようぜ。ぺろぺろ
「その場にはAさんの彼氏も居り」メロスばりに激怒してもいい場面。
「彼女に対して失礼ではなかったか」お互いに失礼なので問題ないかと
「はい、あーん」とかもある。
本当に触ってたら最悪逮捕沙汰になるような地獄絵図になる所だったかもしれないので触らなくてよかったね!
それは何かの罠だったと思います。
やなカップルだな
戒を込めて、おちょくるという行為の罪の話。|誰もあなたを嫌ってはいない。が、どこか蔑まれていることはあなたも気付いているはず。乗る必要は全くないと思う。
コメントといい増田主といい、繊細or魔法使い予備軍がようけ集まっとる。 / だがそれがいい
その美人は何もわかっとらんな。真の脚フェチは、踏まれる欲望を持っているものだ。
それって「"人間おとなのオモチャ"になってもいいよ?」ってことでしょ?増田は人としての尊厳をギリギリで守ったなw>「その場にはAさんの彼氏も居り」
こういうのは北方謙三に人生相談すれば良い答えを貰えると思うの。
増田氏は良く耐えたな。自分はこの手のAさんみたいな人間は嫌いです。
「なんぼや?」
人畜無害認定されてるのに勘違いしてるところが非モテあるある。
「それでは失礼します」と言って『彼氏』の脚を触ってこそ真のフェチと呼べる(美脚美人の脚を眺めつつ美脚美人の彼氏の脚を触って美脚美人の脚を触ってるつもり)のではないか。まだまだ修行が足りないといえる
これは据え膳ではなくて画餅では。。彼氏なしで二人のときに触らせて貰いなさい。
この据え膳は喰わないのが正解.
女性のほうは飲み会の小ネタぐらいの感覚だったんだろうし、そんな大袈裟に考えなくてもw
こういう女嫌い
ばかにされてるみたいでやだな~
童貞にネタで脚を触らせようとするような女のひとを「汚れる」とか「失礼」とか「据え膳」とか女性として意識してしまっている所にそこはかとない非モテの非モテたる所以を見た。相手は反応を楽しんでるだけだよ。
揃いも揃ってロールプレイが下手なので一度化けの皮を剥がす必要があると思います。
「そのマカロン食べてもいいんですよ」という銭ゲバ(ドラマ版)的な何か。
ヘタレすぎるwが、触らないで正解。触ったら、奴らのセックス時の枕話のネタにされるだけ。
この、行動前に考えすぎる、その後も考えすぎる感が非モテあるある。
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私の行為に対する賛否以外に、Aさんと彼氏に対する批判的な意見が意外に多いということに驚きます…
私にとっては二人とも友人として信頼でき、そして楽しい人達であると考えています。
ちなみに私自身は30代後半・彼女いない歴=年齢・真性童貞(つまり魔法使い)、Aさんは20代後半、彼氏さんは30代前半です。
なんか結婚についての話を読んでいたら、書きたくなった。
結果から書くと、今は結婚どころか一人暮らしをしてる。こうなったのも止むなし、という気もするけど。
当時39才。男のオタクでこの年まで恋人がいたことはなし。女性経験も無し。でも二次の妄想で十分事足りてるので、特に問題もなし。
結婚しようと思ったのは、そろそろ親に孫の一つも見せてやろうかなぁ、と思ったから。別に親は嫌いじゃなかったし、結婚しないの? という追求も厳しくなってきたので。
年収は7M円位、貯金・貯蓄は30M円位。普通の事務系のサラリーマン。課長とかそんな感じ。
煙草は吸わず、賭け事はやらず、車も持たず。酒はつきあい程度。二ヶ月に一本程度、ゲームをアマゾンから買うくらい。
両親と一軒家に同居。色々と事情があって。
婚活、というとパーティとかがまず考えられますが、自分は地道に、結婚相談所とかに登録して、見合い相手を見繕って見合いしていきました。
もう自分も結構な年なので、あまり高望みをするつもりはありませんでした。趣味自体を理解して欲しい、というつもりもなく、ただ、考え方というか感性というか、そういう部分が合っている人がいればいいなぁ、などと考えていました。
年齢が近い方がよいかなぁ、と三十後半の人と何人も会ってみてたわけですが……いや、すごかった。なんていうか、「この目の前の男は、自分の自由と交換にこの後の人生を養ってもらうに値するか」って目で、ずーっと見られてるわけです。いや、本当にこんなことを考えていたかは分かりませんが、観察されていたことには違いないですね。
お前も女の方を観察してたんだろう? と言われそうですが、まあ、そうですね。ただ、自分の場合「この後の人生を共に過ごすことができる程に、感性が一致しているか」という観点でした。だから色々と質問したり話を振ってみたりするわけですが……反応があるのは、お金とか、資産とか、親の面倒はどうする、とかそういう話ばかり。
中にはその上、「いかにこの男の持っている金を自分の物にするか」って考えてるような人もいましたが。考えてた、っていうか口に出てましたからね。「結婚したら財布は私が管理します」とか言っちゃう人。外見もかなりアレでしたが……ああ、醜女とかそういうんじゃなくて、見合いだというのに髪がボサボサとか。ありえん。
他にも、化粧のしすぎで顔面真っ白になってる人とかもいましたね。その下がどうなってるのか、恐ろしくて想像も出来ません。
あと困ったところとして、「あなたとの見合いは会社で会議をしているみたいでおもしろくない」と言われたこともあります。何でも、最初に会合のゴールを決めてそのゴール目指して話し合いをする、ということが会社の会議みたいで嫌だ、というのです。見合いをタダで飲食できて男と話が出来る席、とでも考えてるんですかね。今後の人生を決める重要な決断につながる場だというのに。
十人くらいは会いましたかね。一人、まあこの人なら、って感じの人がいました。あんまり金金って感じじゃなかったし、話をしていても受け答えがおもしろい。何度かデートして、互いの意志も確認して、悪くないかな、って感じまでなりました。二次元の萌えキャラ属性風に言えば、眼鏡っ娘で、ちびっ子で、貧乳。頭の回転も悪くなく、ツッコミが独特。良い感じです。
でまあ、話を先に進めるか、と、互いの両親に会うことを計画しました。この家族と今後付き合って行けそうか確認しようというわけです。
まずは彼女を自分の両親に会わせてみたのですが、なんかそれ以降彼女の反応が悪くなった。ある日メールを送っても返答が無くなってしまったので、結婚相談所経由で問い合わせてもらったら、話を無かったことにして欲しい、と返ってきました。どうも、親が合わなかったらしい。何が合わなかったのか、まではわかりませんが。もしくはそれはただの言い訳で、今まで嫌々付き合っていたのか。(一応顔を合わせてもらった後に直接話を聞いたところでは、特に問題無い、とは言ってたんですが……直接そういうことは言いずらいでしょう)
まあ残念ですがしかたがない。そういうこともあるさ、と自分は思っていました。
上記の別れから四ヶ月程が経ちましたか。その間に色々あり、実家を離れて一人暮しを始めていました。実家近くの結婚相談所に登録していたのでそこも解約していたんですが、突然その結婚相談所から電話がありました。
この一方的に連絡を切った彼女が、自分とやり直したい、と言ってる、というんです。何でも、自分と別れた後、他の人と見合いをしてみたがどうも良い感じの人がいない。これだったら自分の方がよいので、またやり直せないか、ということらしく。
思わず、「ハァ?」とかリアルで言っちゃいましたよ。相手は結婚相談所の人でしたが。
何か理由があるから別れたというのに、それを忘れたんでしょうか? 自分と付き合うということは、そのことと再度向き合わないといけないというのに。
それとも、とりあえず自分と付き合っておいて、もっと良さそうな人が現れたら、また都合良く別れると言い出すんでしょうか。
一言で言えば、ふざけんな、と。結局この女性も、自分の金が目当てだったのかと、そう思ったわけです。
さらに馬鹿げたことに、結婚相談所がこれを勧めてくるのです。せっかく忘れられない、と言ってくれているのだから、もう一度くらい会ってみたら、とか。あの時(付き合ってた頃は)いい人だって言ってたでしょ? とか。
これでもう、結婚する気は一切失せました。少なくとも、結婚紹介所を使って積極的に結婚相手を探すつもりは。
ネット上で云々言われている婚活している女性について、実態がよくわかりました。あんなのは特別な一部なんだろう、と思っていましたが、大半があんな感じでした。寄生されるのは毛頭ごめんです。
それに結婚紹介所、口先では色々あなたのためを思って相手を探して云々言ってますが、結局適当な二人をくっつけて成功報酬が欲しいだけなのだ、ということが、上のことでよく分かりました。まあ、商売だから仕方がないのでしょうが、その商売に乗ってやる義理もないわけです。
色々あって、両親に孫の顔を見せてあげよう、という気もすっかりなくなっていますし、まあこれからは結婚もせずに生きていくのでしょう。
とかも書いてみたけど、論点がずれるのでコメントアウト
最近生まれた造語である「ガチホモ」のイメージにぴったりな、30代、ボウズ、髭、バルク系筋肉質なホモである自分が、「ガチホモ」の一サンプルとしての自分の情報を10の質問にまとめたよ。
自分一人のすごく偏った例でしかないんだけど、みんなの持ってる「ガチホモ」のイメージと、どこが違って、どこが当たってるかを見てみてね!
同性愛の話になると、こういう反応をする人いますが、残念ながら、、、ご安心ください。
ガチホモどうしの間でさえ、自分のタイプに遭遇することは難しいので、たまたま目の前にいるあなたがかわいいと思われている確率は限りなく低いです。
例えて言うなら、虎子レベルの女が、「やだー、○○君、私に気があるみたい〜」と言っているかのような滑稽さがあります。
ラグビー部とか柔道部とか陸上部(投擲系限定)とかなら間違いではない。でもこういう反応しないほうがもっとかわいいよ。
しません。二丁目とかそういう系のバーの多いエリアに通いつめる人には多いのかもしれないけど、そこ以外ではそんなに主流ではないと思う。
自分の交友関係は偏っているんだけど、自分の友達にはそういうの大嫌いな人ばかりです。
「オネエMANS」に出てるような頭の芯からおばさんみたいな人たちとは、同じ空気を吸う事すらつらいよ。
どちらも外来語であまり実感ない。別にって感じ。
「『ニグロ』は差別用語だから『アフロアメリカン』って言うべきですよね。」っていう感じの情報と同じで、知識として知っていても実感はない。
ふだんの友達同士の会話でも「ホモ」って言うしね。
「ザ・ゲイ」というどぎついゲイ雑誌が昔存在していたので、「ゲイ」っていう用語のほうが自分としては気持ち悪い感がある。
全くの迷信だと思います。ゲイの服飾評論家、映画評論家、その他芸術家も多数いますが、たまたま目立ってるだけじゃないかと。
ゲイ自身にもこういうことを口走る人々が多数存在する。あたかも「自分もそうだ」と言わんばかりに。恥ずかしい事だと思う。
そういう人に限って、その舌の根も乾かぬうちに、血液型性格診断のような全く繊細さに欠けた会話を本気で楽しんだりしてるものです。
そんな単純な感覚で芸術の価値とか、ほんとにわかってんのかよ、、、と個人的には思います。(自分はそうとうに人を見下した性格ですね。)
会社には最近ばれてきてるんじゃないかと思う。でも、ばれつつあっても、あまりプライベートにつっこんでこない良い環境です。感謝してます。
基本的にしません。
兄弟だけには言ってる。兄に「お前は彼女いないのか?」としょっちゅう聞かれてて、めんどくさくなってバラしてしまった。
最初はびびってたけど、数年かけて今は大丈夫になったみたい。
親に言うつもりはない。自分は10代の頃の10年間を悩んで過ごした。同じ苦しみを、老い先短い両親に強いるわけにはいかない。
全くない。無理。
おっぱいとかほんとうにどうでもいい。ただの「皮膚と肉」っていう感じ。
女性器とかさらに無理。稲中で女性生殖器を「内臓?」って表現してたけど、まさにそういう感覚しか持てない。もしくはエイリアン。
人格的にすばらしいと思う事とか、話が合って楽しいという感覚はある。
でも宴会で「あまり近寄ったり、酔ってもたれかかったりしないでくれー!」と思うよ。「髪長っ!うざっ!」とかね。
思わない。最初はかわいかった。ある時期に自分のかわいさを彼らが自覚した頃から魅力がなくなった。
これは例えて言うなら、クラスの眼鏡っ娘で黒髪で図書委員の激萌な女子が、自分が眼鏡で図書委員であることが自分の魅力にとってプラスであることを自覚し、ある時期から「わたし眼鏡だし、図書委員だし、、、」などとあからさまに吹聴しだしたら、萌えるだろうか?ということのアナロジーで理解していただきたい。(この例えがいいのかも自信ないけど、通じるだろうか?)
今はケンドーコバヤシがかわいい。頼むからこのまま自覚しないでくれと思うよ。
一言で言うなら暗黒時代。自分は数万人に一人のレベルの異常者だと思っていました。
中学の性教育で「異性を好きになるのは自然なこと」という教育が追い打ちをかけた。あの性教育は自分にとってただの害悪。
親友(もちろん俺がホモとは知らない)と雑談中に目の前で「ホモなんか全員殺すべき」と言われたこともあって、きつかった。
今の若い連中はネットで情報が入るからこういう悩みはないだろうけど。
どうなるんだろうね?
子供は作れないし、妻がいるわけでもないし、そんなに財力があるほうでもないし。
いい男と同棲できて、長年連れ添えたとしても、どちらか片方は先に死に、もう片方が一人になってしまうんだし。
体力も衰えて、孤独死まっしぐらかもしれない。
ただ、ノンケに生まれて、妻がいて、子供がいて、財力があれば幸せかというと、じつはそれは十分条件ではないというのは、いろんなノンケ家族の話を聞いたり見たりで明らかになった。
なんらかの種類の、「前向きなあきらめ」が必要なんだろうと思います。それが何かはわからないけど。
どういう形であろうと、たとえ孤独になっても、ホームレスになっても、一人で死を迎えようとも、「それでもいい人生でした」と思えるかどうかが鍵なんだろうなあ。
読んでいただき、ありがとうございました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070918034401
mizukik ネタ, 増田 努力して悪事を働くうちは幸せにはなれません。心の底から無自覚に、相手の為を思って倒れている相手を踏みつける事ができるくらいでないと本物の幸せはやってこないのです。
ochame-cool 損失押し付け, カインの末裔 マジレスすると、幸せの定義がわからない。 / まじめに考えると、そもそも生命が生き残るということは代わりに死ぬ個体、あるいは絶滅する種がいるってことやからね。世界は有限だし。
dokotonaku ネタ, 増田 これで幸せになる人は無意識にこれらのことをやってる。俺にとっての幸せではないし、意識して書いている以上増田の中の人の幸せでもないかな。たぶん。
bolivia 本気だとしたら幸せ感がセコすぎる、ネタだとしたら悪い事の例が浅すぎ。いずれにせよ書いた子が超小物ってことだ。こんな雑魚じゃなくてもっと悪い奴が気合いを入れて書いてくれないと読む方も面白くねえよ。
kiku-chan ネタ 下に表示されるGoogle AdSenseの広告を皮肉ったネタのような気がするのはオイラだけかい?
p_shirokuma ヤンが卿ならそう思う, かわいそうです こういうのは悪いこととは言わないんだよ。これはただの阿呆厨房。悪いことっていうのはね、もっと凝ったやりかたでやるもんなんだよ。君がダークサイドにあこがれるなら、まず笑顔の練習からはじめなさい。
ここあたりのレスポンスは予想していました。anond:20070918034401の記事は、こういうのを見てニヤニヤしたかったから書いたものです。精々数個のトラックバックがあるだけだと思っていて、沢山ブックマークされたのは予想外でしたが。僕はただの卑屈なゴミ山の糞虫です。ネタ宣言。
ただ、
こういうのを見て自分に対してやり切れない何かや、鬱蒼としたものを感じました。ニヤニヤしてスッキリしたかったのに何故か今ではどう見ても鬱状態です。本当にありがとうございました。