はてなキーワード: 自分探しとは
なんかほしいなって思って作っただけだし
増田でこの手のことを聞く人は何人かいたけどさ、理由を知りたいってのは実際は自分を肯定する意見を欲しているだけなんだよ
子供がいると幸せって家庭像を前に自分の現在をいかに正当化して魅力的に見せたいかってことで、一人でいていい理由探しが子供を欲しがる確固たる理由に変わっているだけ
自分の中に子供を必要とする理由がわかないとあれば自己肯定感強くなるだろうしね
わかりやすくいうとだ
車を持たず関心のない人が車を自慢してくる人に対して「どうして車を持ちたいと思ったの」と聞くようなもの
興味関心があってのことではなく、自分には関係のないことだし相手に理由を語らせて大した理由じゃなかったり自分には理解できないってことを確認して、「やっぱり自分に車は必要なさそうだ」と確信を得たいって感じ
関心がないけど知りたいってのはたいていこういう理由
思春期〜大学生くらいの若者がさあ、人生の意味とか己は何者なのかとか、そういうことで迷ってんの見るじゃん
若いな〜、俺にもそんな時期あったな〜と思うじゃん
でも、俺、実は、全然分かってないんだよな
いや、実際のところ、「人生は完全に無意味で、無意味なので俺が何者かとかそういうのはまったくどうでもよくて、結局マジで全てに何の意味もないんで、自分が満足できるのがいちばん!」みたいな、程度の低い紋切り型の結論に至ってんだけどさ
でも俺、それでいくと、今すぐにでも首くくって死ぬのがいちばん満足感あるんだよな
労働とか義務とか全部嫌いで、ホント何もしたくないからさ 死ぬ瞬間にはかなりの高揚感があるだろうと思う
俺がたどり着いてる「生きている理由」って、実際のところ、「自殺してる途中に感じる苦痛が怖いし、うまくいかなくて晒し者になるのが怖い」ってだけなんだよな
こんなゴミみたいな結論しか持ってないのに、「若いな〜」じゃねえんだよ、って話じゃないすか?
だいたい、この結論自体、それこそ中学2年生くらいのときから動いてないんだ
どう考えても人生って無意味で、無意味であるということ自体も無意味で、自我がある以上とにかく楽しまないと損だけど、この世って俺にとって根本的に全然趣味に合わなくてまったく楽しくないから、死ぬのがいちばん!
どうすんだよこれ
どうしてくれんだよって話だよな実際
そして、皆さんどうしてるんだ
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
きっとケンタッキーフライドチキンは
ケンタッキーボイルドクラブってお店になっている世界線があってもいいわよね。
強いて言うなら
容易に養蟹できるって前提だけど。
そうなったらクリスマスは蟹よね。
あのさ、
12月に入ったとたん堰を切ったように12月クリスマスソングシャンシャン感醸し出してくれるじゃない?
なんだか本当にもう12月なんだなぁって
街のイルミネーション、
みかんの花咲く丘公園前駅前の商店街はもとよりロータリーにある噴水の真ん中の時計の鉄塔からツリー状に円錐を描くようにオレンジ色のモールのイルミネーションの電球が灯っているのよね。
これをみると
もう12月だなぁって感じるのよ。
だからって
何も変わらないソワソワして忙しい感じを醸し出すかも知れないのよ。
いい加減もう何度も言ってっけど、
今年のレシートとか領収書とかカードの明細とかはチェックしまくりまくりまくりすてぃーで
あとの残りの12月どんぐらい経費使えるかって大丈夫か見定めないと、
これからの増税ラッシュよろしくラッシュ前に確認しておきたいところだわ。
もうこまめにやればいいのにっていつも思う12月ね。
うかうかしてられないわ。
まあ私は年末年始も事務所に出たり入ったりはしそうな気がする予感なんだけど、
それはともかく、
とにかく12月は忙しそうにしておくべきだわ。
そうそう、
貯まっていた朝ドラが今やってる回まで追いついたわよ。
夜ドラもなんか面白いもの始まった飯テロドラマがテヘペロだって噂だわ。
そうなると、
たぶん、
今やってる『舞いあがれ!』ってトップガンが新しいの新作出るよ!って頃に同時に考えられたようなものでもあるので、
なんか観ていて
トップガン要素がどこかに隠れてるんじゃないかしら?って思うんだけど、
別に酒場で盛り上がったり海辺でビーチバレーしたりしないところが
なんか別に領空侵犯を犯した戦闘機を発見して追いかけろ!って展開も絶対無いだろうし、
不可能なミッションを誰もできないぜ!って生徒たちは言ってるところで、
教官がぶっちぎり不可能なミッションを達成可能だと証明するシーンもあるわけなさそうだし、
どう見てもあれはギャグとしかもう見れない一番最初に一番面白かったマッハ10を目指して機体が空中分解して黒焦げになっても死なずレストランに入ってここはどこだ?地球だよってところで水を飲み干すところまでがセットの吉川晃司さんも教官そんな記録を挑戦するわけじゃないのよね。
どうあがいてもそんな展開ないだろうって、
そうはならんだろ!って言いたいところよ。
だから逆に今思ったら、
毎週毎週ドタバタ劇の『ちむどんどん』の方がよっぽど毎週事件が起こって面白かったのかも知れないわ。
『舞いあがれ!』はなんか毎週何も起こらないところがいいのかも知れないし、
自分探しに出掛けた舞ちゃんの幼なじみの貴司くんもいきなり漁師になっていたり、
同じく幼なじみの久留美ちゃんのお父さんのカスっぷりもなんか中途半端だし
あれ何かの伏線なのかしら?って疑ってかかっちゃいそうなんだけど、
あれはあれで結局何も最後まで触れられなかったら面白いわ逆に。
そんでね、
いや、
でも他の入浴剤の香りが「潮騒の香り」とか「湯けむりの香り」とかって書いてあるんだけど
消去法でカボスを選んだんだけど
他の概念を謳っている香りの入浴剤の方が良い香りだったのかも知れないことはもう後の祭りの時すでにお鮨よ。
つぎ入浴剤が無くなったら
でも考えようによっちゃー
そう思いながらカボスを感じよう!って集中しても
なんかフレッシュな柑橘のカボス的な要素がなくてちょっと今回のカボス入浴剤はハズしたかなぁーって思っちゃったわ。
急に本当に暦の通りにディッセンバーになって寒くなってきたから、
寒くなってきたからほんと皆も気を付けてね。
うふふ。
タマゴにしようかと思ったけど、
悩むわー。
カツ系にもしようと思ったけど
うーん、
朝がめちゃくちゃ寒かったので、
結構熱々のをふーふーしながら飲むホッツが温まるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
すずめの戸締り
登校時にすれ違ったイケメンの草太に一目ぼれ
草太はこの世と常世(あの世)を繋ぐ扉を閉じて回る「閉じ師」だった
扉(裏戸)が開けばあふれ出たミミズが災害(地震)を起こしてしまう
様々な出来事に遭遇し成長していくが
みたいな話で
扉から溢れたみみずが暴れると現実では地震が起こりアラートがなる
このアラートにスズメは全く反応しないし、地震が起こっても怖がらない
一つ一つのパーツ(塗りつぶされた日記)とかはクルものがあるんだが
(全米が泣いたみたいにならない)
震災の描写があってもすずめは一切ひるむこともなく突き進んでいく
で、最後4歳の自分に高校生の自分が常世であっていたという描写が入るのだが
震災で親を失った4歳の子供に、超然とした今の自分がメッセージを送るシーンを見ながら
それじゃ救えんだろう?という描写で終わってしまうのだ(個人の感想です)
と、疑問符を付けざるを得ない出来
叔母との確執も、震災に纏わるアレコレも、東北への旅も、徹頭徹尾、「ための演出」舞台装置としか感じられない
思春期の少女が惚れた腫れたをしながら自分探しの冒険活劇とした方が全然よかった
親は交通事故かなんかで死んでればいいのだし
あれでPTSDとか繊細過ぎって感じだし
( ゚Д゚)ハァ? って感じ
そういうのを、自分探しというんやで
十代女子は馬鹿だから、という、わかりやすい言葉を選んだだけにみえる。
むずがゆいだけでばっさり否定したところで、わかった気になりたいだけというかね。
動機づけなくして、動機に付け込む構造も存在しない、という点では対なんで
どちらかを否定すれば、何か解法がみつかるというわけじゃないし。どちらかに焦点をあてるのが正解というわけでもない。
その十代が大人になって欲望をコントロールできるようになったとして、
職場で居場所を見失い、昇進も頭打ち。結婚含め、あらゆる自分探しをはじめ、
やがておばさんになって、最後はキラキラ起業なんかにはまっていくわけだから。
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
高校に入学したとき一番がっかりしたのは、クラスに可愛い子が一人もいなくて
うちのクラス、ブスばっかだな。。とクラスの男子も同意見だった。
ブスだなと男子同士ではいっていても、クラスの女の子と気軽に口を聞く習慣も勇気もなかった。
共学なのに、ただ一緒にいるだけ。
でも性への関心だけは異常なくらいあったので、好きなアイドルの写真をみては
こんな子、うちの学校におらんかな、いたら告白するのになー、と嘆いていた。
そして3年生の修了式前、最後の授業が終わったときのこと。チャイムが鳴って
ふと、隣の席をみると、隣の女の子も満面の笑顔で、自然に目があった。
ばんざーいって感じだよ、と
返事をした。
あっという間だったね。高校。なんか終わっちゃうとさみしいね。
その子が続けた。
んーそうなんだ。
と返したあたりで、ふと気が付いた。
初めて隣の子としゃべったということを。
そして、しゃべって初めて、その子の表情、瞳の輝き、目じりの、口元の動き、そして言葉が、
すべて一体となって形作る笑顔のさわやかさに気が付いた。
背が低くて、太目で汗っかきで、鼻がまるまっちくて、ボブっぽい髪型の女の子だった。
8月13日記。品定めなんかして、やーね男子はこれだから!クラス女子代表より!みたいなブコメがトップにきていたのをみて、さらに台無しにするような蛇足を記してみたいと思った。男子は、クラス女子全員NGみたいな感覚をそのままもって大人になっていくわけじゃない。俺のその後の物語にも何か伝えられるものがあるような気がした。壁に突き当たって苦しんでいるそのときは、切実な問題でも、時間が経って振り返ってみると、それはいつの間にか物語の一部になっていて、そのタイムカプセルに入ったいい思いもつらい思いも全部をひっくるめていとおしく思い出すことはあるんだろうと思う。
こっそり、その後を追記するので誰も見ていなくていいと思う。なお上記の文章は、トラバしたティーンの甘酸っぱい一瞬を切り取った元記事に、男子側に存在した感受性を返したところで完結している。以下は、そこからは完全にスピンアウトした俺の物語。
学校最後の日に隣の子の可愛さに気が付いた話の後日談から始める。
最期の授業のあと、あっという間だったね、という、あの子の言葉がずっと心に残っていた。帰りの電車のなか、あの子の仕草や笑顔が思い出された。
なぜもっと早く気が付けなかったんだろう。気が付いた時には、もう会えないのだ、という意味では、あっという間だったんだ、確かに。
それに引き換え、「んーそうなんだ」としか返せなかった俺。それは鮮烈な喪失感だった。
卒業式の夜、卒アルを手にした俺は、最後の日の記憶を重ね合わせながら、あの子で一発抜いた。
あとから辻褄を合わせれば、このときの喪失感は知らず知らずに憧憬へと結びついていったのかもしれない。
時は流れ、すっかりそんなことは忘れていた。もうすぐ大学生活3年目になろうかという頃。
俺はどちらかといえばブサメンの部類だったが、なぜかその子がなついてきた。
バイト先のいい感じのイケメン男子たちは、さくっと他の可愛い子を捕まえていた。ということで、余り者同士っていうのかな。。
ぽ っちゃり体形で外見コンプレックスを抱えた子だった。
私なんかブスだしデブだから、誰も相手にしてもらえないんだよね、
という彼女の体重は見た目、小柄ながら80キロくらいは有りそうだった。鼻の下にある大きなほくろが目立ってしまい、どうしても人の目線がいく。そんな他人の視線をこれまでの人生でいやというほど浴びてきたのだろう。小学生男子だったら、やーい鼻くそデブ、くらいのことは軽いノリでいってしまいそうだ。
「いやーそんなことない、男子は結構、女の子のいいところに後から気が付くってことも多いんだよ、昔さ、高校の最後の授業のときに、今までほとんど喋ったことのない子とさ、初めて笑い合ったことがあって」と思い出話をした。
「増田君もさ、あなたのよさって見た目のカッコよさとかじゃないから、なかなか気が付かれないと思うんだよね、私は気が付いていたけど」
俺のいいところをしっかり見守ってくれていて、俺の生き方に干渉しない、そういう彼女の接し方は居心地のいいものだった。
言い換えれば自分は努力しないで、いいところだけ褒めてくれる、都合のいい女だった。居心地の良さを「好き」と言い換えていいのかは微妙だった。
それからというもの、その子からは電話が増え、手紙が増え、あたかも俺の彼女のようにふるまうようになっていった。
デートするときは、バイト先からは遠くかけ離れた場所を選んで待ち合わせた。街を歩くときはちょっと離れて歩いたりした。
しかし、彼女の俺に対するふるまいが目に見えてハッピーになるにつれ、バイト先の同僚たちにバレないようにするのが、いよいよ難しくなってきた。
正直、俺は、笑い者にされるのが怖かった。お前、あのブスと付き合ってんのかよwwwwという同僚の声が呪いをかけていた。そういって笑われるのがオチなので、彼女との関係をひらすら隠していた。
びしっと決めた男の子が可愛い子を連れて歩く―これが憧れの大学生活だったが、現実の俺は、何を着ても似合わず、ダサいファッションセンスで、地方都市の無名大学。
しかもつぶしの効かない文系。就職にも不安を抱えていた。いざとなったら、実家の食堂を継ぐかな、と甘ったれたようなことを考える、しょうもない大学生だった。
最悪、こいつと一緒になって家業を継げば親も喜ぶかな、それともデブの嫁は嫌がるかな。
俺たちの関係は、周りにうすうすバレていて、陰できっと笑い物にしているんだろうと思うと、あえて耳をふさいでいた。
でも、内心、そいつが好きでたまらなかったので、ホテルに入っては、外で離れていた距離を取り戻すかのように、何度も何度もエッチをした。
次第に、周りの目線が気にならなくなり、いつしか人前で手をつないで歩くようになっていた。
まだ正式じゃないんだけどね、と前置きしつつ、東京にある大手の企業に就職が決まりそうだという。
え!!!何それ。お前、4年だったの?というか、年上だったのかよ!?
愕然とした。ということは来年の春には、お前は東京。離れ離れになっちゃうってわけ?
彼女はむくんだ人差し指で、鼻の下の汗をぬぐいながら言った。デブの汗は半端ない。
「わたしね、こんな見てくれでしょ。ずっと独りで生きていけるようにならなきゃって、覚悟して生きてきたんだよね。」
恐る恐る聞いた企業名は、海外にも名の知れ渡る大企業。しかも事務職ではなく総合職採用だった。さすが旧帝大の子は違う。身分の違いを思い知らされた。
ねえ、増田君、ちょっと先の話だけどさ、卒業したら、一緒に東京で暮らさない?
俺はフリーズしたデスクトップ画面で固まるマウスを動かそうとするように言葉を探したが、出なかった。
「お給料ももらえるようになるし、今よりおいしいもの食べれるよ。東京のオシャレなレストランで食事とか、楽しそうじゃない?」はつらつとした声だった。
いいな、お前は意気揚々としてて。俺みたいな三流文系、雇ってくれる東京の会社なんかねーよ。そう思うと、くやしさと情けなさで胸がいっぱいになった。
と同時に、デブ女の稼ぎで、東京の下町でパチンコしながらヒモみたいに暮らしている自分の姿が脳内再生された。
お前さえよければ、実家の食堂一緒にやるか、と思っていたけれど、俺の勘違いだったみたいだな、そんな言葉も出かかったが、何も言えないまま。
まいったな。一流大手かよ。こんな俺に人生預けられやしないよな。。
俺自身の甘さを突き付けられていた。
何もかも。ただ、俺になついてきているだけにみえた彼女は、しっかりとした人生設計を持っていたのだ。年上だったことも何も知らず、いい気になってた。
そして、ゴメン、俺ちょっと帰るわ、唐突にそういって、彼女と別れた。
その夜、彼女から電話が鳴ったが、俺は出なかった。翌日から、手紙が何通もきたが、未読が積み重なっていった。
彼女の電話を無視している大人げない自分を恥ずかしく思いながらも、一方で根本的に自分の人生を考えなければいけないという焦りが強まった。
デブ女を連れて歩くのがカッコ悪い、なんて思っていた自分を恥じた。何様だったんだろう。人前で手をつないだって一体何を克服した気になっていたんだろう俺。
彼女のほうがよっぽど堂々としていたし、しっかりしていた。
年上だって知ったときに、瞬間的に、俺は見くだされた、と錯覚した。見守られているというのは、錯覚じゃなかったかもしれないが、余り者同士というのは、俺が勝手に思い込んでいただけだった。それとも何、学生時代最後の思い出に年下の子と遊んでたってことかよ。つり合いがとれてない。俺、ダメだわ。絶望的な学歴コンプレックスに苛まれた。
彼女とは気まずくなって連絡をこちらから返せないまま、それっきりになった。
今思えば、彼女はものすごく傷ついていたと思う。今だから想像できることだけど、当時はバカだった。バカにしやがってよ、と思っていた俺が心底バカだった。
俺は翌春、休学申請を出した。バイトでためたカネで、アジア、アフリカ、中南米を回った。
彼女が知らせてくれた東京の住所をたよりに、時折、現地から絵葉書を書いた。今、ここにいる、とだけ知らせるために。自分から去ったくせに、どこまでも未練がましい俺だった。
ブラジルでは、現地で意気投合した女の子とその日のうちにセックスした。そんな風に、成り行きでセックスした人数は、アジア、中南米で4,5人くらいになった。
人種も外見も本当に多種多様で、外見コンプレックスって、日本だけの話じゃないかと思うほど、日本にいた時の美的感覚がすべてリセットされるかのような経験だった。隣の子にも無関心で口もきけなかったあの高校時代、ブサイクな女の子の基準って一体なんだったんだろう。
言葉は、現地でバイトをすると、驚くほどのスピードで身についた。
世界の人々の多様性を実感したという意味では、よい経験だったが、多様性などくそくらえな日本社会に順応するには、自分探しの旅は、却って迷わせるきっかけとなった。
日本社会は窮屈で生きづらい、という思いを却って強くしてしまった。変われた気がしたのに、ある意味で、何も変われていないことに気が付く。適応障害だった。
卒業してもふらふらと実家にいるのも気まずく、東京へ出た。6畳風呂なしのアパートで、バイトで食いつなぐ日々。
就職氷河期の真っただ中、夢を追いかけ、機会があれば海外へ出て2年ほど戻ってこなかった。自分の人生を考え直すといっては自分探しをはじめ、却ってますます人生に迷っていた。
気が付くと、7年が経っていた。30にもなるのに、無職だった。昔、付き合ったデブの彼女のもとでヒモしていたら今頃どうなっていたかな、と夢想した。俺自身が変われない限り同じ結果か。
7年もたつと、彼女が同じ東京にいる、という確信すらなかった。総合職だし、今頃バリバリのキャリアウーマンなのかな。想像できないけど。
当然、連絡もない。いい男をみつけたかもしれない。いや、あいつじゃ無理かな。。。なんてね。
片や、俺は野垂れ死に寸前の極貧生活。この頃の稼ぎは年90万~150万くらいだったと思う。一キロ178円のパスタと閉店間際に200円になった弁当だけが頼りだった。
自分のみじめな境遇を恥じて、実家へは5年以上戻っていない。心配する母からは時折セーターなどの荷物が届いた。こんな手紙を添えて。
「食堂をやったって全然構わないんだから。ただし一人じゃできない仕事なんだからね。伴侶を見つけなさい」
婚活のスタートラインにすら立っていない俺は何もかも惨めだった。
そんなある日、バイト先の会社に事業拡大の話が持ち上がった。扱っている商品の海外展開らしい。
「英語はNYのレストランでバイトしてましたから少しは。あと、スペイン語とポルトガル語を少々。挨拶だけならスワヒリ語、アラビア語、ピロートークならタイ語もOKです、口説けますww」
というと、とりあえずTOEICを受けといてくれ、という。俺は営業社員として採用され、俺の7年間の極貧生活に終止符が打たれた。
英語は得意だと胸を張ったものの、TOEICを受験してみたら490点だった。最悪だ。バカであることがバレないよう、点数を隠したが、すぐにバレた。
しかし、毎回受け続けた。翌々年、まぐれで出した890点で頭打ちとなり、その後850前後で停滞。これで限界かな。さすがにTOEIC受験に飽きた。
点数などどうでもよく、仕事が猛烈に楽しくなった。慣れない英語の契約文書と格闘した。会社は数年後、外資に買収された。
お金がない頃はいけなかった都会の風俗にも少し足を運んだ。30代になってお金ができて初めて風俗に関心を持った。
東京にはマニアックな風俗が山ほどあって、ぽっちゃり専門店というのも立派なジャンルの一つだということを知った。昔、抱いた女を思い出した。
昔、付き合って別れた彼女が心の痛みになってときどきチクチクとした。
気が付くと、34歳になっていた。社会人になると、時間が経つのが早い。遅咲きの新人だった日々はあっという間に過ぎ、いつの間にか、下をみれば部下がいた。
今もあいつは、東京にいるんだろうか。これだけ広いとどこかで偶然にすれ違っても気が付かないよな。気が付くと彼女のことを思い出すことが増えた。
ある日、酔っぱらって帰ってきた夜、昔の写真やら手紙が無造作に突っ込まれた段ボール箱をひっくり返した。確かあいつのメールアドレスがどこかに書いてあったはず、と思い出したからだ。
酔った勢いで、メールした。「久しぶり。まだ東京にいるの?俺も今東京で働いているよ」とたった一行。
俺は一体、あいつに何を期待しているのか。。俺のことなんかとっくに忘れてるに違いない。今頃ひとりで何を思い出にひたって、恥ずかしい俺、と。
翌朝、返信が来た。
かなり長いメールだった。
送信のタイムスタンプをみると、4時12分。夜更けまでかけてしたためたメールだったことが伺えた。
今、東京には住んでおらず、地元に戻っていること。最初に総合職として入社した大手企業は、課長補佐の試験を受ける前に、心身の不調で諦めたこと。
そのあと関連会社へ出向、そして転職したが体調を崩して心療内科に通院していたこと、今は小さな会社の事務職をしていると。
今ハマっている趣味のこと。15年間の人生がつづられていた。総合職、やっぱり男社会は厳しかったのだろうか、つらい挫折を経験したことが行間に読み取れた。
ちなみに体重はちょっとだけ増えちゃったの、という。男関係は何も文面に触れられていないが、独身と確信した。
「増田君は今どこ?何してるの?」
「会いたいよ」
ほぼ15年ぶりに会う彼女は、ちょっと太ったどころではなかった。巨漢に成長したというべきだった。
36歳。20代のつややかさとハリは、やや失われていて、いよいよ年増の兆しが顔のたるみ具合にうかがえた。
10年前、親にお見合い写真を作ってもらったの、ほら。この時がベスト体形だったわ、彼女はそういってみせて笑った。
その写真には鼻の下のほくろが写っていた。それは目の前の今の彼女には、美容整形の痕跡だけがわずかに残っているだけだった。
「増田君、”新人”としてがんばってるんだね。社会人としては私のほうが先輩ね」
人のいいところを相変わらずよくみている。俺が今の仕事の話をすると、彼女はフフっと年上の表情をのぞかせて笑った。
翌朝、朝一の新幹線。別れ際、俺は言った。
なあ、今すぐ返事しなくていいんだけど、一緒に東京で俺と一緒に暮らさない?
東京のオシャレなレストランで一緒にメシ食いたいって、以前、お前言ってたよな。事実上のプロポーズだった。
「いっとくけど、15年の間、ずっと健気にあなたのこと待っていたわけじゃないからね!」これが彼女の返事だった。
そういわれて、俺は15年間、彼女の面影を探していた気がした。それは学生の頃のように、「いいところだけみてくれる」女に甘えたかったからなのか。でも、新幹線に飛び乗って会いに行った俺はそれだけでは説明がつかない。それとも、経済的に自立して、やっとつり合いがとれるようになったという自信なのか。同じ人生を歩みたい。それは、どこからわいてきた思いなのか。
大手から内定もらって意気揚々としていたあの頃のあいつと、心に包帯をまいて必死に生きてきた今のあいつと。
それから1か月後、彼女を連れて実家へ行った。100キロ近い巨漢を前に、母親がのけ反りそうになっていたのが可笑しかった。
「お前、こういうのが趣味だったの。。。。」母親がつぶやいたのを、今でも忘れない。
俺たちの結婚後、まもなく父が急逝した。家業はついに店じまいとなった。一方、嫁姑問題は杞憂で、俺たちが結婚して、つい先年に母が他界するまで良好な関係だった。