はてなキーワード: 西寺実とは
高校に入学したとき一番がっかりしたのは、クラスに可愛い子が一人もいなくて
うちのクラス、ブスばっかだな。。とクラスの男子も同意見だった。
ブスだなと男子同士ではいっていても、クラスの女の子と気軽に口を聞く習慣も勇気もなかった。
共学なのに、ただ一緒にいるだけ。
でも性への関心だけは異常なくらいあったので、好きなアイドルの写真をみては
こんな子、うちの学校におらんかな、いたら告白するのになー、と嘆いていた。
そして3年生の修了式前、最後の授業が終わったときのこと。チャイムが鳴って
ふと、隣の席をみると、隣の女の子も満面の笑顔で、自然に目があった。
ばんざーいって感じだよ、と
返事をした。
あっという間だったね。高校。なんか終わっちゃうとさみしいね。
その子が続けた。
んーそうなんだ。
と返したあたりで、ふと気が付いた。
初めて隣の子としゃべったということを。
そして、しゃべって初めて、その子の表情、瞳の輝き、目じりの、口元の動き、そして言葉が、
すべて一体となって形作る笑顔のさわやかさに気が付いた。
背が低くて、太目で汗っかきで、鼻がまるまっちくて、ボブっぽい髪型の女の子だった。
8月13日記。品定めなんかして、やーね男子はこれだから!クラス女子代表より!みたいなブコメがトップにきていたのをみて、さらに台無しにするような蛇足を記してみたいと思った。男子は、クラス女子全員NGみたいな感覚をそのままもって大人になっていくわけじゃない。俺のその後の物語にも何か伝えられるものがあるような気がした。壁に突き当たって苦しんでいるそのときは、切実な問題でも、時間が経って振り返ってみると、それはいつの間にか物語の一部になっていて、そのタイムカプセルに入ったいい思いもつらい思いも全部をひっくるめていとおしく思い出すことはあるんだろうと思う。
こっそり、その後を追記するので誰も見ていなくていいと思う。なお上記の文章は、トラバしたティーンの甘酸っぱい一瞬を切り取った元記事に、男子側に存在した感受性を返したところで完結している。以下は、そこからは完全にスピンアウトした俺の物語。
学校最後の日に隣の子の可愛さに気が付いた話の後日談から始める。
最期の授業のあと、あっという間だったね、という、あの子の言葉がずっと心に残っていた。帰りの電車のなか、あの子の仕草や笑顔が思い出された。
なぜもっと早く気が付けなかったんだろう。気が付いた時には、もう会えないのだ、という意味では、あっという間だったんだ、確かに。
それに引き換え、「んーそうなんだ」としか返せなかった俺。それは鮮烈な喪失感だった。
卒業式の夜、卒アルを手にした俺は、最後の日の記憶を重ね合わせながら、あの子で一発抜いた。
あとから辻褄を合わせれば、このときの喪失感は知らず知らずに憧憬へと結びついていったのかもしれない。
時は流れ、すっかりそんなことは忘れていた。もうすぐ大学生活3年目になろうかという頃。
俺はどちらかといえばブサメンの部類だったが、なぜかその子がなついてきた。
バイト先のいい感じのイケメン男子たちは、さくっと他の可愛い子を捕まえていた。ということで、余り者同士っていうのかな。。
ぽ っちゃり体形で外見コンプレックスを抱えた子だった。
私なんかブスだしデブだから、誰も相手にしてもらえないんだよね、
という彼女の体重は見た目、小柄ながら80キロくらいは有りそうだった。鼻の下にある大きなほくろが目立ってしまい、どうしても人の目線がいく。そんな他人の視線をこれまでの人生でいやというほど浴びてきたのだろう。小学生男子だったら、やーい鼻くそデブ、くらいのことは軽いノリでいってしまいそうだ。
「いやーそんなことない、男子は結構、女の子のいいところに後から気が付くってことも多いんだよ、昔さ、高校の最後の授業のときに、今までほとんど喋ったことのない子とさ、初めて笑い合ったことがあって」と思い出話をした。
「増田君もさ、あなたのよさって見た目のカッコよさとかじゃないから、なかなか気が付かれないと思うんだよね、私は気が付いていたけど」
俺のいいところをしっかり見守ってくれていて、俺の生き方に干渉しない、そういう彼女の接し方は居心地のいいものだった。
言い換えれば自分は努力しないで、いいところだけ褒めてくれる、都合のいい女だった。居心地の良さを「好き」と言い換えていいのかは微妙だった。
それからというもの、その子からは電話が増え、手紙が増え、あたかも俺の彼女のようにふるまうようになっていった。
デートするときは、バイト先からは遠くかけ離れた場所を選んで待ち合わせた。街を歩くときはちょっと離れて歩いたりした。
しかし、彼女の俺に対するふるまいが目に見えてハッピーになるにつれ、バイト先の同僚たちにバレないようにするのが、いよいよ難しくなってきた。
正直、俺は、笑い者にされるのが怖かった。お前、あのブスと付き合ってんのかよwwwwという同僚の声が呪いをかけていた。そういって笑われるのがオチなので、彼女との関係をひらすら隠していた。
びしっと決めた男の子が可愛い子を連れて歩く―これが憧れの大学生活だったが、現実の俺は、何を着ても似合わず、ダサいファッションセンスで、地方都市の無名大学。
しかもつぶしの効かない文系。就職にも不安を抱えていた。いざとなったら、実家の食堂を継ぐかな、と甘ったれたようなことを考える、しょうもない大学生だった。
最悪、こいつと一緒になって家業を継げば親も喜ぶかな、それともデブの嫁は嫌がるかな。
俺たちの関係は、周りにうすうすバレていて、陰できっと笑い物にしているんだろうと思うと、あえて耳をふさいでいた。
でも、内心、そいつが好きでたまらなかったので、ホテルに入っては、外で離れていた距離を取り戻すかのように、何度も何度もエッチをした。
次第に、周りの目線が気にならなくなり、いつしか人前で手をつないで歩くようになっていた。
まだ正式じゃないんだけどね、と前置きしつつ、東京にある大手の企業に就職が決まりそうだという。
え!!!何それ。お前、4年だったの?というか、年上だったのかよ!?
愕然とした。ということは来年の春には、お前は東京。離れ離れになっちゃうってわけ?
彼女はむくんだ人差し指で、鼻の下の汗をぬぐいながら言った。デブの汗は半端ない。
「わたしね、こんな見てくれでしょ。ずっと独りで生きていけるようにならなきゃって、覚悟して生きてきたんだよね。」
恐る恐る聞いた企業名は、海外にも名の知れ渡る大企業。しかも事務職ではなく総合職採用だった。さすが旧帝大の子は違う。身分の違いを思い知らされた。
ねえ、増田君、ちょっと先の話だけどさ、卒業したら、一緒に東京で暮らさない?
俺はフリーズしたデスクトップ画面で固まるマウスを動かそうとするように言葉を探したが、出なかった。
「お給料ももらえるようになるし、今よりおいしいもの食べれるよ。東京のオシャレなレストランで食事とか、楽しそうじゃない?」はつらつとした声だった。
いいな、お前は意気揚々としてて。俺みたいな三流文系、雇ってくれる東京の会社なんかねーよ。そう思うと、くやしさと情けなさで胸がいっぱいになった。
と同時に、デブ女の稼ぎで、東京の下町でパチンコしながらヒモみたいに暮らしている自分の姿が脳内再生された。
お前さえよければ、実家の食堂一緒にやるか、と思っていたけれど、俺の勘違いだったみたいだな、そんな言葉も出かかったが、何も言えないまま。
まいったな。一流大手かよ。こんな俺に人生預けられやしないよな。。
俺自身の甘さを突き付けられていた。
何もかも。ただ、俺になついてきているだけにみえた彼女は、しっかりとした人生設計を持っていたのだ。年上だったことも何も知らず、いい気になってた。
そして、ゴメン、俺ちょっと帰るわ、唐突にそういって、彼女と別れた。
その夜、彼女から電話が鳴ったが、俺は出なかった。翌日から、手紙が何通もきたが、未読が積み重なっていった。
彼女の電話を無視している大人げない自分を恥ずかしく思いながらも、一方で根本的に自分の人生を考えなければいけないという焦りが強まった。
デブ女を連れて歩くのがカッコ悪い、なんて思っていた自分を恥じた。何様だったんだろう。人前で手をつないだって一体何を克服した気になっていたんだろう俺。
彼女のほうがよっぽど堂々としていたし、しっかりしていた。
年上だって知ったときに、瞬間的に、俺は見くだされた、と錯覚した。見守られているというのは、錯覚じゃなかったかもしれないが、余り者同士というのは、俺が勝手に思い込んでいただけだった。それとも何、学生時代最後の思い出に年下の子と遊んでたってことかよ。つり合いがとれてない。俺、ダメだわ。絶望的な学歴コンプレックスに苛まれた。
彼女とは気まずくなって連絡をこちらから返せないまま、それっきりになった。
今思えば、彼女はものすごく傷ついていたと思う。今だから想像できることだけど、当時はバカだった。バカにしやがってよ、と思っていた俺が心底バカだった。
俺は翌春、休学申請を出した。バイトでためたカネで、アジア、アフリカ、中南米を回った。
彼女が知らせてくれた東京の住所をたよりに、時折、現地から絵葉書を書いた。今、ここにいる、とだけ知らせるために。自分から去ったくせに、どこまでも未練がましい俺だった。
ブラジルでは、現地で意気投合した女の子とその日のうちにセックスした。そんな風に、成り行きでセックスした人数は、アジア、中南米で4,5人くらいになった。
人種も外見も本当に多種多様で、外見コンプレックスって、日本だけの話じゃないかと思うほど、日本にいた時の美的感覚がすべてリセットされるかのような経験だった。隣の子にも無関心で口もきけなかったあの高校時代、ブサイクな女の子の基準って一体なんだったんだろう。
言葉は、現地でバイトをすると、驚くほどのスピードで身についた。
世界の人々の多様性を実感したという意味では、よい経験だったが、多様性などくそくらえな日本社会に順応するには、自分探しの旅は、却って迷わせるきっかけとなった。
日本社会は窮屈で生きづらい、という思いを却って強くしてしまった。変われた気がしたのに、ある意味で、何も変われていないことに気が付く。適応障害だった。
卒業してもふらふらと実家にいるのも気まずく、東京へ出た。6畳風呂なしのアパートで、バイトで食いつなぐ日々。
就職氷河期の真っただ中、夢を追いかけ、機会があれば海外へ出て2年ほど戻ってこなかった。自分の人生を考え直すといっては自分探しをはじめ、却ってますます人生に迷っていた。
気が付くと、7年が経っていた。30にもなるのに、無職だった。昔、付き合ったデブの彼女のもとでヒモしていたら今頃どうなっていたかな、と夢想した。俺自身が変われない限り同じ結果か。
7年もたつと、彼女が同じ東京にいる、という確信すらなかった。総合職だし、今頃バリバリのキャリアウーマンなのかな。想像できないけど。
当然、連絡もない。いい男をみつけたかもしれない。いや、あいつじゃ無理かな。。。なんてね。
片や、俺は野垂れ死に寸前の極貧生活。この頃の稼ぎは年90万~150万くらいだったと思う。一キロ178円のパスタと閉店間際に200円になった弁当だけが頼りだった。
自分のみじめな境遇を恥じて、実家へは5年以上戻っていない。心配する母からは時折セーターなどの荷物が届いた。こんな手紙を添えて。
「食堂をやったって全然構わないんだから。ただし一人じゃできない仕事なんだからね。伴侶を見つけなさい」
婚活のスタートラインにすら立っていない俺は何もかも惨めだった。
そんなある日、バイト先の会社に事業拡大の話が持ち上がった。扱っている商品の海外展開らしい。
「英語はNYのレストランでバイトしてましたから少しは。あと、スペイン語とポルトガル語を少々。挨拶だけならスワヒリ語、アラビア語、ピロートークならタイ語もOKです、口説けますww」
というと、とりあえずTOEICを受けといてくれ、という。俺は営業社員として採用され、俺の7年間の極貧生活に終止符が打たれた。
英語は得意だと胸を張ったものの、TOEICを受験してみたら490点だった。最悪だ。バカであることがバレないよう、点数を隠したが、すぐにバレた。
しかし、毎回受け続けた。翌々年、まぐれで出した890点で頭打ちとなり、その後850前後で停滞。これで限界かな。さすがにTOEIC受験に飽きた。
点数などどうでもよく、仕事が猛烈に楽しくなった。慣れない英語の契約文書と格闘した。会社は数年後、外資に買収された。
お金がない頃はいけなかった都会の風俗にも少し足を運んだ。30代になってお金ができて初めて風俗に関心を持った。
東京にはマニアックな風俗が山ほどあって、ぽっちゃり専門店というのも立派なジャンルの一つだということを知った。昔、抱いた女を思い出した。
昔、付き合って別れた彼女が心の痛みになってときどきチクチクとした。
気が付くと、34歳になっていた。社会人になると、時間が経つのが早い。遅咲きの新人だった日々はあっという間に過ぎ、いつの間にか、下をみれば部下がいた。
今もあいつは、東京にいるんだろうか。これだけ広いとどこかで偶然にすれ違っても気が付かないよな。気が付くと彼女のことを思い出すことが増えた。
ある日、酔っぱらって帰ってきた夜、昔の写真やら手紙が無造作に突っ込まれた段ボール箱をひっくり返した。確かあいつのメールアドレスがどこかに書いてあったはず、と思い出したからだ。
酔った勢いで、メールした。「久しぶり。まだ東京にいるの?俺も今東京で働いているよ」とたった一行。
俺は一体、あいつに何を期待しているのか。。俺のことなんかとっくに忘れてるに違いない。今頃ひとりで何を思い出にひたって、恥ずかしい俺、と。
翌朝、返信が来た。
かなり長いメールだった。
送信のタイムスタンプをみると、4時12分。夜更けまでかけてしたためたメールだったことが伺えた。
今、東京には住んでおらず、地元に戻っていること。最初に総合職として入社した大手企業は、課長補佐の試験を受ける前に、心身の不調で諦めたこと。
そのあと関連会社へ出向、そして転職したが体調を崩して心療内科に通院していたこと、今は小さな会社の事務職をしていると。
今ハマっている趣味のこと。15年間の人生がつづられていた。総合職、やっぱり男社会は厳しかったのだろうか、つらい挫折を経験したことが行間に読み取れた。
ちなみに体重はちょっとだけ増えちゃったの、という。男関係は何も文面に触れられていないが、独身と確信した。
「増田君は今どこ?何してるの?」
「会いたいよ」
ほぼ15年ぶりに会う彼女は、ちょっと太ったどころではなかった。巨漢に成長したというべきだった。
36歳。20代のつややかさとハリは、やや失われていて、いよいよ年増の兆しが顔のたるみ具合にうかがえた。
10年前、親にお見合い写真を作ってもらったの、ほら。この時がベスト体形だったわ、彼女はそういってみせて笑った。
その写真には鼻の下のほくろが写っていた。それは目の前の今の彼女には、美容整形の痕跡だけがわずかに残っているだけだった。
「増田君、”新人”としてがんばってるんだね。社会人としては私のほうが先輩ね」
人のいいところを相変わらずよくみている。俺が今の仕事の話をすると、彼女はフフっと年上の表情をのぞかせて笑った。
翌朝、朝一の新幹線。別れ際、俺は言った。
なあ、今すぐ返事しなくていいんだけど、一緒に東京で俺と一緒に暮らさない?
東京のオシャレなレストランで一緒にメシ食いたいって、以前、お前言ってたよな。事実上のプロポーズだった。
「いっとくけど、15年の間、ずっと健気にあなたのこと待っていたわけじゃないからね!」これが彼女の返事だった。
そういわれて、俺は15年間、彼女の面影を探していた気がした。それは学生の頃のように、「いいところだけみてくれる」女に甘えたかったからなのか。でも、新幹線に飛び乗って会いに行った俺はそれだけでは説明がつかない。それとも、経済的に自立して、やっとつり合いがとれるようになったという自信なのか。同じ人生を歩みたい。それは、どこからわいてきた思いなのか。
大手から内定もらって意気揚々としていたあの頃のあいつと、心に包帯をまいて必死に生きてきた今のあいつと。
それから1か月後、彼女を連れて実家へ行った。100キロ近い巨漢を前に、母親がのけ反りそうになっていたのが可笑しかった。
「お前、こういうのが趣味だったの。。。。」母親がつぶやいたのを、今でも忘れない。
俺たちの結婚後、まもなく父が急逝した。家業はついに店じまいとなった。一方、嫁姑問題は杞憂で、俺たちが結婚して、つい先年に母が他界するまで良好な関係だった。