はてなキーワード: 唐突とは
初めて風俗に行った。
風俗と言ってもピンサロと呼ばれるもので、本番はなしで、手や口で致してもらえる場所だ。
そのピンサロは学校をテーマにしたようなもので、古い雑居ビルの中を通って行った。
狭い階段をあがる途中で、他の風俗店舗のボーイが勧誘してきたが、適当にあしらい目的の店舗へ行った。
店舗へつくとトランスや日本語ラップの音楽が爆音で流れていた。
受付ではホストのような身なりをした金髪長髪のボーイが対応してくれた。
自分は初めて風俗に行ったので、かなり緊張していたがボーイの持ち前のしょうもなさで少しずつ緊張がほぐれていった。
40分コースを注文したところ70分程度必要があるとのことなので、整理券を受け取り店を出て、喫茶店で時間を潰した。
自分はせっかく風俗に行くのだから、何かそこでしか聞けないことを聞こうと思い、色々考えを巡らせていた。
「女性はどこが感じるのか」「今まで相手にしてきた男にどういう人がいたのか」などだ。
嬢の個人情報を聞くことは、失礼らしいとのことをネット上で見たのでそういうことは聞かないことにしようと思った。
また、実際に店に入って気が大きくなって禁止事項をして怖い人が出て来ることがないように自分に言い聞かせていた。
長い70分間が過ぎ、店舗へ向かう。
他の店舗の勧誘をあしらい、爆音の音楽が聞こえる方へ歩く。足取りは軽い。
受付で整理券を渡すと、ナンバープレートを首から下げて椅子で少し待ってほしいとの事だった。
この時対応してくれたのは、先ほどのホスト風の男ではなく。40代くらいの禿げかけた男だった。
こうはなりたくないと思いながら、静かに着席する。
受付には爪切りが何個か置いてあり、エチケットだということで爪を切らさせた。
禿げかけた男が、ナンバープレートを見て「69の方がよかったですかねww」としょうもないことを言ってくる。
こうはなりたくない。
階段をのぼると別の30代くらいのこれまた禿げかけた男が対応してくれる。
「この部屋の中に女の子が何人かいます。1人ずつお話をして誰か1人を決めて下さい。服の上からのおさわりはOKです。」とのことだった。
もうこの時点でおさわりOKなのかと驚いた。初対面の女の胸や尻が触れるということだがどうしたらよいかわからないと思った。
部屋にはいると6人位の嬢が学校の教室をイメージしたであろう部屋の椅子に着席している。
机にはネームプレートがおいてあり、部屋の一番前には大画面でAVが流れていた。
部屋の後ろに荷物と上着を置き、1人の嬢のところに行くように支持される。
自分はただされるがままにされていた。
嬢はなにかしゃべっているが何も頭に入ってこず、自分はただ気持ちの悪い愛想笑いをしていたように思う。
印象に残っている嬢は、140cmくらいで中学生のような風貌の嬢だ。
嬢は何も喋らずただ自分を抱きしめてきた。
2分位だろうか。自分は何も喋らず、何も感じずにただ目の前のAVを眺めていた。
だが、この指名制度はかなり良いと思った。
見た目を実際に選べるのはもちろん話してどういう人間か少しわかるということがあるからだ。
自分はいわゆるコミュ障と呼ばれる人種に分類されるので、できれば話を積極的にふってくれる嬢がよいと思っていた。
膝の上に女が乗って抱きしめてきたり、自分の股間を触ってきたりしているのに一度も勃起しなかった。
しかし、就活面接のドキドキ感を感じている時に勃起しろという方が無理なのかもしれない。
また、他の男が嬢といちゃついているのを見るのは気持ちが悪かった。
いかにも常連の気持ちの悪いおやじが先ほどの中学生風の嬢の小さい胸を必死にもんでいる姿は忘れられない。
自分はこの指名制度で一番股間が反応した、お姉さん基質な身長の高い嬢を選びその部屋を出た。
受付で誰にしたかを伝え、また別の部屋に行くように促される。
その部屋は漫画喫茶のような仕切りで分けられた薄暗い部屋で、JPOPが大音量で流れていた。
仕切りの高さは1mくらいで簡単に隣の仕切り内を見れるようになっていた。
その仕切りの中でしばらく待っていると、先ほどチョイスした嬢が入ってきた。
嬢は「指名してくれてありがとう」と言ってきた。
もうこの時点で緊張は振りきっており自分は混乱していた。
嬢に促されるまま、モンダミンでうがいをし、股間を出すように言われた。
自分のまだ勃起度0%の股間を嬢はボディソープとイソジンを混ぜたもので優しく洗った。
数々の男の股間を見てきたからなのか、包茎についてのコメントはなかった。
準備ができると、嬢がパイパンすき?と聞いてきた。
嫌いではないですとわけのわからない返答をすると、私パイパンなんだよねと言ってきた。
どう反応して良いのかわからない。
「パイパン初めて?」と聞かれ、うんと答えた。
初めて奪っちゃったねと言われ、複雑な気分になる。
こんなところで初めてのパイパンと出会ってしまった後悔と、純粋にパイパンだという喜びが入り交じっていた。
自分は何もできずに「ほー」と言っていた。
自分の彼女がパイパンでこんなふしだらな格好をしていたらもう我慢できないだろう。
だが、初対面の化粧の濃い女にこんな事をされても何も感じなかった。
触りたくなかった。なぜかは分からないが。
嬢はこちらの緊張を汲み取ったのか、抱きしめてキスをしてきた。
自分は驚いた。キスすることは追加料金を取られると思っていたからだ。
キスしながら嬢は口を開けてきた。
これは舌を入れても良いという合図なのだろうか。
自分は恐る恐る舌を入れると嬢も舌を絡ませてきた。
キスはあっさり系だった。
だが求めることもできなかった。
また、嬢のグロスが自分の口にべったりついて気持ちが悪かった。
もう早く終われと思っていた。
キスが終わると「嬢は何かしたいこと無い?」と聞いてきた。
自分は伊東ライフ先生の作品が大好きなので、膝枕をお願いした。
スカートだけでパンツは履いておらず、上半身は裸の女に膝枕をしてもらえ股間をいじってもらえるのだ。
また、自分は勃起していなかったので夢の「頑張れ♡頑張れ♡」が聞けるかも知れないと高ぶってきた。
結果から言うと頑張れ♡頑張れ♡は聞けなかった。これを経ても勃起度は10%にも満たなかった。
日頃女性に甘えることができないので、存分に甘えようと思い、胸に顔をうずめたりしたが全くダメだった。
このままでは射精できずに、はらった1万が無駄になると思い焦ってきた。
嬢は時間が近づいてきたのか、「口でしていい?」と聞いてきた。
うんと答えると自分の物を嬢が口に含んだ。
ここからがすごかった。
口に含みながら舌を激しく動かし、風俗嬢の意地が伝わってきた。
口に出すと追加料金を取る店もあると聞いていたので、怖かったが追加料金はなかった。
自分が放心状態になっていると、嬢は口に出されたものを吐き出し、そそくさと服を着始めた。
メッセージカードには「また甘えに来てね」と書いていたが、二度といかないだろう。
だが、心のつながりがないとあまりにも味気ないと思った。
メッセージカードと店の名刺は帰り道で寄った喫茶店に捨ててきた。
風俗店には通う常連や、働くボーイ、嬢などキャラの濃い人間が集めっていて、客観的に面白かったが、
こうはなりたくないという気持ちでいっぱいになった。
せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分のブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。
ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECのPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称が統一されていなかった時代でもある。記録媒体はカセットテープ。ゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとでロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。
市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。
当時はまだ、パソコンのメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーのパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だから、NECのパソコンのソフトがシャープのパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001はPC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者のプログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。
その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンはPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチのフロッピーディスクになり、一瞬でセーブやロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。
せっかくの新マシンではあったが、やはり用途はゲームだった。雑誌に掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。
なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANやアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響カプラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。
中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコンで受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤーは経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲームと勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである。
高校に入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまったからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。
ちなみに、ぼくとほぼ同年代の英国人ライター、スティーブン・プールには『トリガー・ハッピー』(2001年)というテレビゲームの歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代にゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。
しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPGの製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。
技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲームの目標を大学合格に切り替え、パソコンのメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムやイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3を受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである。
1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京の私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京の学生はポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通の学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。
入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京の進学校の出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。
いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生のあいだでポケベルが流行っているというのも別世界の話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。
その一方で、大学に入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話は重要なツールだったのではなかろうか。
あるとき、風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。
ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったから1994年のはずだ。日本でもインターネットの商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学のパソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。
大学2年生の終わりごろ、ゼミの選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。
しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話・PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。
当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモの携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。
他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年、ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口に膾炙していった。大学のパソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念を理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。
ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネットに接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットでホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブで自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである。
もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信の時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。
ぼくが参加していたのは朝日ネットのフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネット上からはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信のログに残っていることを主人公が発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。
その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネットの時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねる」である。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。
…と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。
「どうしよ 痴漢された」
Yからのメールは唐突で、明らかに説明不足で、でも私にダッシュさせるには十分な威力があった。
丁度大学帰りだった私は路線を変え、電車の中で無駄にも足踏みを繰り返し、「すぐ行く」とだけメールを送り、駅からは本気でダッシュしてYの家に向かった。
一分でも一秒でも速く、安心させたかった。むしろ私が安心したかった。
私は痴漢に遭ったことがない。
ちょっと大人しめの子の方がターゲットにされやすいようで、そういう子たちが青褪めた顔で登校してきたと思ったら、沸々と怒りのこもった呪詛をこぼすことがあった(「キモい」「マジキモい」「ひたすらにキモい」などなど)。
見ず知らずの男に、セクシュアルな手付きでカラダを撫で回される。一方的に。
声も出ない恐怖なのだと、友達は言っていた。そして圧倒的な不快感は、電車の揺れのせいではない強烈な吐き気を催すのだと。
Yは、割と中性的な顔立ちをしてるけど、立派に男だ。
男が男に痴漢されるのって、どんな気分なんだろう。すごく屈辱的なんじゃないだろうか。
人は「わけがわからないもの」が怖い。普通に電車に乗ってて、不意に見ず知らずの男から性的に接触されるのって、恐怖以外の何物でもないんじゃないだろうか。
いや待て、相手は男とは限らない。若い美青年を好む女かもしれない。うわーキモい! それはそれでキモい! 「若い男を好む女」ってもう得体が知れなさすぎて一種の妖怪じみてる、とにかくヤバい!
男でも女でも、どっちにしろ嫌だ。相手を許せない。許したくない。
一人暮らしを始めたYのアパートに着き、固い呼び鈴を何度もプッシュする。こんなに勢い良く他人の家の呼び鈴を押すのは、小学生の頃のピンポンダッシュ以来だからそりゃ白熱する。もうめっちゃ押す。
外にいるのが私だってことはわかってたんだろう、「どなたですか?」と言われることもなく扉が開く。
「大丈夫!?」は、100%大丈夫じゃない相手に向かって言う台詞としては、酷すぎるんだろうか。
でもきっと、もしかしたら当人以上に動揺してしまった私は、「大丈夫!?」なんて馬鹿な台詞を言ってしまっただろう。
ハタチ過ぎてるくせに学ランを着ているYを見なければ。
そりゃあ盛大な「ハァ?」でした。
「トシキ君(仮名)のことなんか全然好きじゃないよぉ」って可愛い顔して言ってたヨシコちゃん(仮名)が、数週間後に〈付き合って半年記念〉とか言うペアリングをトシキ君と付けてた時だって、こんな「ハァ?」は飛び出ませんでしたよ。
あんた、ハタチやろ。
ハタチ言うたら成人でっしゃろ。
ってかそれウチの制服じゃないですよね。何その学ラン見たことない。
脳内で燦然と輝く〈コスプレ〉の文字。歌舞伎町のネオン並みに、キラッキラ輝いてる。
Y「あー、とりあえず中入って」
私「何、それ。何、その学ラン、何しとんの」
Y「わかった、説明する、全部説明するから」
私「だって学ラン」
Y「借りたんだよ」
私「かりた」
Y「大学の友達にね。高校の時の制服、サイズぴったりだったから」
私「ともだち」
Y「いやー学ラン着てみるの、夢だったんだよねー。叶っちゃうもんだねー」
私「ゆめ」
お察しの通り、もう頭が混乱状態で山びこみたいになってる、私。
だってちょっと何を言ってるかわかんないし、この学ラン姿が直感によって痴漢騒動と結び付いてしまってるから、いやいやちょっと待てよと。まさかそんなハズないだろと。
まさか、その友達から借りたって言う学ランを着用して電車に乗ったら痴漢されたとか、そんなバカみたいな話なワケないだろと。
いやーまさかね。
まさかとは思いましたよ。
まさかでしたよね。
纏めると、学ラン借りた→大学で着たら「似合うじゃん」と大盛り上がり→身内の贔屓目じゃなくても通用するかどうか確かめたい→学ランのまま電車に乗ってみる→痴漢に遭う、って流れだった。
えっ、じゃあ何? 私がもらった「どうしよ 痴漢された」は、
「どうしよう……男なのに、痴漢とかされちゃった……マジ絶望……死のう……」
的な意味ではなく、
「どうしよー学ラン着たら痴漢されちった! 俺ってば食べ頃でイケてる男ーFOO!」
ってことだったの? ク ソ が ! ! !
でも。何だかんだでYとの付き合いも長くなってきた私は、もう怒るのがアホらしくなってしまってる。
そういや痴漢されたくらいで絶望感味わうようなヤワな男じゃなかったわ、こいつ……。
私が「すぐ行く」とメールを送ってから、わざわざ買ってきてくれたというイチゴアイスを二人で食べながら、どうせだからいろいろ質問してみた。
(何せ私は痴漢に遭ったことがない。その意味ではYは立派な経験者なのだ。経験者の意見は聞いておかねば……ぐぬぬ)
Q.1 痴漢してきたのは男・女?
☑男
□女
□性別不明
Q.2 推定何才くらい?
□うら若き未成年
□20-30才
☑30-40才
□40-50才
□50-60才
□いい年して何やってんだアンタ
Q.3 年齢がわかるってことは顔を見たんですか?
□去り際にチラっと
□何度か振り返って見てみたので
□鏡状になった窓ガラスで
Q.4 ……ご冗談でしょう、Yさん?
□アメリカンジョークさ、HAHAHA!
☑日本人は本気と書いてマジと読む
Q.5 ちょ、見せて、その写真見せて
□はい
□いいえ
☑いいよ
Q.6 ギャーッ割と鮮明に写っとるやないかーッ!
☑自画撮りモードで、なんか上手いこと撮れたよ
Q.7 えーと、その……どこを、触られたんですかね
☑臀部
☑腰部
☑陰部
Q.8 どのように?
□優しく
□激しく
☑いやらしく
□気持ち悪い
□死ね
□吐きそう
私「お前さぁ……」
Y「冗談だよ。まぁ思ったほど不快ではないし、俺は男だからそんなに怖いとは思わなかったけど、やっぱりいい気分じゃないね」
私「そうだよね」
Y「お前も気を付けなよ。痴漢」
つらそうな素振りはちっとも見せないけど、やっぱり嫌だったんだよな。私に気遣って茶化してくれたのかもしれない。
痴漢されたのは自分なのに「気を付けなよ」なんて、優しい台詞がレアすぎて、うるっときそうだ。
Y「夕飯、まだでしょ。外で食べようか」
私「うん、ピザ食べたい!」
Y「わかった」
財布だけ取って外に出ようとするYの腕を、私はそっと絡め取る。
待って。今、この場で君に言いたいことがあるの。
不思議そうに私を見つめてくるYに、私は震える声で告げた。
私「いいから、学ランは、脱げ」
Y「えぇ……ダメ?」
懲りてない。全然ちっとも、懲りてない。
友人のYは、ちょっと危ないなとは思ってた。仲間内の中でも「あいつはきっとホンモノのマゾヒストだ」って密かに噂されてた。
けど、さすがに「ちょっと布団で巻いて欲しいんだけど」と真剣に頼まれた時は、頭の中で盛大にパトランプが回ったよね。(これは! ガチで! ヤバいやつ!!)って。
私「え……何……布団……?」
Y「そう。それで俺をくるんで、縛って欲しい」
私「しば……?」
Y「ああ、何で縛ればいいんだろう……あ、延長コードとかでいいかな?」
私「え、私が? Yを? 縛るの?」
余程怪訝な顔をしてたと思う、いや、して当然だと思う。
いろはすをガブガブ飲んでいたYは、私の珍妙な顔を見てキョトンと返す。
Y「いや、何も本格的に筵(むしろ)でくるんでくれとは言ってないじゃん?」
私(え、簀巻きって筵でやるのが正式なの?)
断っておくけど、Yはただの友達だ。彼のプレイに協力する義理も必要も、一切無い。
気を付けの姿勢で横たわるY(ちなみに、暑いだろうからという理由でパンツ一丁だ)の首から下をくるんと布団で巻く。出来るだけ圧迫してくれと本人が強く希望するので、胸部・膝付近の二ヶ所を延長コードで強く縛る。ごわごわしてやりづらいし、女一人の力では足りない気がする。人を簀巻きにするのがあんなに大変だとは思わなかった。
延長コードはYが用意していた結束バンドとやらで固定した。あれ、便利だね。まさか人を巻く為に使うはめになるとは思わなかったけど。って言うか何で常備してるんだろう。
ジャジャーン。Yの簀巻き、一丁上がりー。
見るも無残な簀巻きっぷり! 手も足も出ないとはこのこと!
ひょっこり頭だけ布団から飛び出してて、かえって無力感が増してる。
私「で、後はどうするの?」
Y「何もしなくていい」
私「うぇ?」
Y「今から、そうだな……2時間。俺の上に座って、漫画でも読んでてくれればいい」
えっ、この簀巻き状態で放置プレイを敢行? しかも私を参加させるつもり?
簀巻きのYは当然身動きもロクに取れず、ただ力無くフローリングの床に転がるだけ。更に漬物石(=私)を上に乗せて2時間を茫漠と過ごすって、それ何が楽しいのよ。
丸太にまたがる時の要領で、友人である(はずの)Yを布団で巻いた何かにまたがる。胴の辺り。
Yの妹が愛読していると言う『君に届け』が揃っていたので、とりあえず手に取る。
『君に届け』がなかなかどうして面白くて、しばらくはYの上にまたがっていることを忘れて読んだ。
Yはすごく大人しくて、実に優秀な簀巻きだった。呼吸による微弱な動きも、モコモコな布団に吸収されるのかあまりこちらに伝わってこない。
3巻を読み終わりそうな頃だから、30分くらいかな。だんだんモゾモゾが目立つようになってきた。
そりゃあね、身動き一つするなって言われたって、生きてるんだもの。するよ。身体のどこかが痒くなったり、居心地悪く感じたり、絶対にする。動かしたくなる。
でもYは動けない。
Yの簀巻きが不快そうにモゾモゾ動く。「……んん」みたいな、吐息めいた声が微かに漏れ始める。ああ、気持ち悪くなってきたんだなって思った。でも私は何も言わないし、どいてもあげない。
2時間のゲームが始まる前、Yに念を押されたことが1つだけあった。
どういう意味かは後々よーくわかった。
モゾモゾが目立つようになってきて、7巻を読み出す頃、Yが明確な言葉を発した。
Y「ね、ちょっと解いて」
来たか、と思った。試されている。
私は「んー」とあからさまに上の空で答えた。
Y「脚がさ、痺れてきてて」
私「あー」
Y「攣りそうなんだよ、ほんとに」
私「そりゃ大変だ」
私「もうちょっと頑張ってみよっかー」
何してんだろ、私。とは思った。
脚が痺れてきたのはきっと嘘じゃないんだろう。1時間も重石を乗せて同じポーズでいたら、そりゃ身体のどこかしらが悲鳴を上げる。
彼がマゾヒズムを味わいたいと言うのなら、私はサディズムを発揮しなければならないのだ。目覚めよ、私の内なるサディストよ!
Yは聞いているこっちが可哀相になるほど、憐れな声を上げ始めた。おずおずとしたお願いが、徐々に鬼気迫ると言うか、迫真の嘆願へと変わっていく。
まるで本当に筵にくるまれて東京湾に落とされる寸前みたいなテンションで「解いてくれ!」って言ってくるから、(えっマジなの? マジでヤバいの?)ってヒヤヒヤしっぱなし。『君に届け』ってこんなに冷や汗が噴き出すようなホラーな漫画でしたっけ?
Y「漏れる」
私は戦慄した。そして唐突な記憶のフラッシュバックが脳裏を襲った。
まさかこれも計算なのか? 事前の水分摂取により、簀巻きプレイ中に圧倒的尿意を催すことを計算していたのか? そうまでして自分を限界へと追い込みたかったのか?
二十代男子が「おしっこ漏らす」のって、もう人としてアウトだろ。人として。
そこまでスレスレの状況を楽しめるのかこいつは、と私は心底愕然としていた。それとも私が知らないだけで、放尿プレイとかが紳士淑女の貞淑なお遊戯の一つとして流行ってたりするの?
漏れそうなYはモゾモゾどころか牡牛の如くのたうち回り始めて、上にまたがるどころではない。私はロデオなんて嗜んでないんだよ、悪かったな。
呆気なく振り落とされたカウボーイの私は、Yが苦悶の表情で「漏れる」「もう」「だめだ」と言った断片的なワードを唸るのを茫然と見ていた。あと15分もこれを観戦してろって言うのか。苦行かよ。
ハサミでパチンと結束バンドを切断し、布団から脱皮したYは酸欠なのだろう(そうだと思いたい)、紅潮した顔でぼーっとしていた。
早くトイレに、と言いかけたが、もうその必要は無くなっていた。
名誉の為に言っておくけど、彼は簀巻きにされている間、尿意に耐え続けた。人間である為に、ひたすら我慢して我慢して我慢した。
だから、簀巻き状態から解かれた瞬間に気が弛んだとしても、まぁ、何も可笑しい話じゃないのだ。
みな同じだと思うけど、テレビとかラジオに出るときって必ず「難しい話はやめてください」と言われる。それで工夫して話すと「だれでも言えることを偉そうに言ってる」とか非難されるんだから、やってられないよな。。と唐突に思った。— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 1月 29
第4話は……
1は良いんですよ。
空鍋状態の睦月が立ち直り、一歩大人へ成長する過程が自然に描かれています。
第3話における唐突な如月轟沈を、第4話の脚本家が必死にフォローしているように見えるのは気のせいです。
話がつまらないというか、雑なんですよ。
「艦これが流行っているからコピ本出してみるか」くらいの軽いノリで参加した島中サークルの同人誌レベル。
最低でも霧島は健常者にすべきでした。
1番艦金剛も「表向きはハッスルしてるけど根は繊細」というキャラ付けにしてバランスを取るべきだったでしょう。
例えば「如月轟沈で精神が轟沈している睦月を金剛が慰撫する」ような挿話を入れるべきだったと思います。
あと、深海棲艦からの砲弾を素手で弾き飛ばすのはよろしくないです。不沈艦かよ。
「僚艦への思いやりを持つ優しい金剛」を描きたかったのは分かります。
でも肉体言語じゃただマッチョな金剛ですよ。ジャマイカ金剛ですよ。
金剛「Meの装甲は分厚いデース(強気な言葉とは裏腹に足はわなわなと震え、目には涙が)」
吹雪「金剛さん! 絶対に……絶対に許しません!(深海棲艦撃破)」
みたいな展開が見たかったです。
第5話以降はどうなるんでしょうね。
分厚いファン層にあぐらをかく阪神みたいです。
ワレ頑張れや!
ですがそれは例えば句点と読点とそれに付随する改行たちとの織り成す三角関係であり地道な:とか;とか/にとってははなはだ迷惑な作業なので骨董品が日に日に人生を増していくことが我々人間の果たすべき責務であると考えた放送倫理協会会長の皇木渥州(すめるぎあくしゅう)はしかしながら爆死という凄惨な最期をとげたので皇木の遺志を継いだネス・カンボルダリュの痔頭割草(ぢあたまわるそう)やバイ・セクシャルの異名を持つ迎礼図夫(げいれずお)ならびに両性具有の金玉子(きんたまんこ)らによる政界をも巻き込む派閥争いが繰り広げられることを予想していたものは少なくあるいは併設された霊園のその不自由な濁点とレスポンスをピアノの流麗な喧騒により等式と為しそうだ何故気づかなかったのかと思えば隣に住む幼馴染の浩太郎は昨日ギロチンで首を切られ死んでいるのを山太子が見つけたのでG7の登場音楽と共に物騒を堅実に潜る現実感の無い様に人知れず拍手を送ろうと思いましたがトップランナーを破り捨てた平日の芸術は軽く流す程度に瑞々しく大量の激情を甚だ神戸和牛によって育てられたもののけ姫は乳房が膨らみきらぬ内にアイスクリームのへらでまんこをまんこまんコンマ37秒の世界に唐突に実際が現れその程度の時間で何もかもが青春の中に消えてしまった人間を幾人も見てきたが配当金を捨てることが最も不確かな正解であることをおぼろげながらでも知っていたのではないかあるいはですがしかしかつてともするとなぜかなのでもしも副詞節が半濁点とクエスチョンマークの間にあったならこのような争いは闘争は不自由は差別は贔屓は殺せと親父が言ったがおれにはとてもじゃないが出来る気が違っているのはアルバムを温泉に漬かった猿のみならず縄に封じられたアイスクリームとその添加算装置換気球に乗って空を飛ぶことが平生の夢であったのは間違いなく時として不自由な選択こそがそうお気づきのとおり話題はループザループを決めた澤野はエロ漫画をくすねたことにするとほらあの複雑な等式が一気に明朗快活なX=12という式に向かって痰を吐きつけた犬を食い散らかすカラスをひき殺したダンプの運転手の背中に張り付くヤモリのDNAに渦巻く3点リーダこそがこの世界のひとつの平和のあり方なのであった……
なんか見かけたので自分用も兼ねて訳してみた。良作映画と同時に良作小説も摂取できるすばらしいリストです。
ちなみに意訳多いので「許す」と「赦す」を正しく使い分けたい向きは原文にあたってください。あと個人的には『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』も結構楽しみにしてます。
元記事:
http://litreactor.com/columns/5-most-anticipated-book-adaptations-of-2015
毎年この時期になると、「今年期待できそうな新作映画のリスト」が各所でアップされますよね。そういうリストに載せられた作品のうち何本かは、小説本から脚色作品です。ところが、彼らが取り上げるのはなぜか『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』ばかり。アホか。誰がンなもん楽しみにしとるねん。というわけで、ここにあなたが本気で楽しみにできる小説原作作品のリストを用意してみました。
去年『アイ、フランケンシュタイン』観た人はわかると思いますが、まあフランケンシュタインものってどうしても現代の視聴者のお口にはバッド・テイストすぎますよね。しかしですよ、『クロニクル』の脚本家であるマックス・ランディスが脚色を担当した本作は、いい意味で予想を裏切ってくれるんではないのでしょうか。本作はフランケンシュタイン博士の助手であるイゴールの視点から、彼とまだ若き医学生だったころのヴィクター・フォン・フランケンシュタイン博士との馴れ初めを描いた、メアリー・シェリーの原作の前日譚的ストーリーです。
フランケンシュタイン博士を演じるのは『shameless/シェイムレス』、『X-Men:ファースト・ジェネレーション』のジェイムズ・マカヴォイ。イゴール役には『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフ。映画の公開は十月二日予定となっております。
訳者の雑感: せむしの助手イゴールは原作には登場しない人物で、出典はボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタインの復活』(1939)です。この時点で「本が原作」と言い張るのはどうなのかな。そもそも学生時代のフランケンシュタイン博士が題材ってどこに需要あるんだって思われそうですけど、なにせ『キル・ユア・ダーリン』のラドクリフと『X-MEN: FC』のマカヴォイですからね、濃厚なBLが期待できそうです。脚本家も『クロニクル』の人だし、なおさら……ねえ?
ちなみに、監督のマクギガンは『PUSH 光と闇の冒険』などいくつか映画も監督していますが、日本で有名なのはなんといってもドラマ『SHERLOCK』の「ベルグレービアの醜聞」と「バスカヴィルの犬」でしょう。
日本ではなぜかDVDスル―になりがちなマカヴォイ&ラドクリフコンビですが、今作はどーなるでしょうか。やっても単館系かな。
去年は『ゴーン・ガール』がやってくれました。いいことに本作の原作はですね、その『ゴーン・ガール』より面白いんですよ。良い映画にならないはずがない。原作者のギリアン・フリンはいまや犯罪小説界のトップランナー、映画化にもひっぱりだこです。『ゴーン・ガール』のファンは『冥闇』もきっと大好きになることでしょう。なぜなら、『ゴーン・ガール』よりイカれたお話だから。
これは子供のころに両親を殺されたある女性のお話です。彼女は自らの証言で実の兄を監獄送りにした過去を持っているんですね。で、それから二十五年が経って、「キルクラブ」と名乗る殺人狂同好会の助けを借りて、事件の真相を探ろうとします。
公開時期は未定ですが、二〇一五年のどこかにはなるはず。出演はシャーリーズ・セロン、クリスティーナ・ヘンドリクス、ニコラス・ホルト、クロエ・グレース・モレッツです。
訳者の雑感:原作の『冥闇』(小学館文庫)は、個人的には『ゴーン・ガール』には及ばないものの、上に書かれているとおり傑作ミステリです。いわゆるイヤミスです。捕捉しておくと、主人公がなんで「キルクラブ」の連中と絡むようになるかといえば、過去の事件によって人生を破壊された彼女が日々の生活費を得るために家族の遺品や体験談なんかを好事家に「切り売り」しているからです。そうです、クズ野郎です。『ヤング=アダルト』でいかんなくクズ女っぷりを発揮したシャーリーズ・セロンにはまさに適役なんじゃないでしょうか。
フランス資本で規模的は大作と言いづらいでしょうが、出演陣がかなり豪華なのでフツーに日本でも公開されそうです。
実質去年公開作なんですけど、ズルしてもぐりこませてみました。だって、映画祭でしか上映されてなくて、筆者はまだ観てないんだもん。っていうか、ほとんど誰も観てないし。原作は記憶喪失の化学者を題材にしたクレイグ・クレヴェンジャーのカルト小説です。
出演は『ヴァンパイア・ダイアリーズ』のジョセフ・モーガン、『Justified 俺の正義』のウォルトン・ゴギンズ、『ヘルボーイ』や『パシフィック・リム』のロン・パールマン。
まだ公開時期は公式にアナウンスされていませんが、推測するに、今年中には拝めるんじゃないでしょうか。っていうか、そうじゃなかったらキレる。
訳者の雑感: 未訳作品な上に原作者自体が数年前に一作ちょこっと訳されてそのままなカルト作家なんで、どうにも前情報がない。ある朝、記憶喪失の化学者が麻薬密造に関わった容疑で監獄にぶちこまれたと思ったらこれまた唐突に解放され、失われた記憶と失踪したガールフレンドを求めて彷徨う話らしいです。元記事に引用されてる画像がいかにもいつものロン・パールマンってふてぶてしさで好印象ですね。http://litreactor.com/sites/default/files/imagecache/header/images/column/headers/487195087_640.jpg
ロス・クラーク監督はドキュメンタリー中心に撮ってきた人で、本作が劇映画初監督。トレイラーをみるかぎり、なかなかシャープな画作りしてます。日本では公開されるかなあ……ロン・パールマン効果でDVDスルはギリギリ保証されそうではありますが。
J.G. バラードは難儀な小説家だ。『ハイ-ライズ』はおそらく彼の最高傑作でしょう。ちょっと前にこの小説が映画化されるって聞いて、マジビビりましたね。原作を読んだことのない人たちに説明しておくとですね、タイトルにもなってるハイ-ライズとは超豪華高層マンションの名前で、その内部では文字通り階層によって分断された住民たちによる血で血を洗う階級闘争が勃発しています。高層マンション版『蝿の王』みたいなもんです。とってもバイオレントでとってもクレイジーで、とってもワンダフル。映画もおんなじくらいクレイジーであってほしいですね。
主演は『アベンジャーズ』、『マイティ・ソー』でお馴染みトム・ヒドルストンと、『バットマン vs スーパーマン』でバットマンの執事役が決まっているジェレミー・アイアンズ。公開日の九月十七日をお楽しみに。
編集者のコメント: !!!!! ベン・ウィートリー監督作じゃん!!!! よっしゃあああああああああ!!!!!!
訳者雑感: ベン・ウィートリーは第二のデヴィッド・クローネンバーグの座を狙っているんでしょうか。せいぜいブランドン・クローネンバーグと争ってほしいものです。他に誰もそんなポジション欲しがらないでしょうけど、がんばれ、応援してるぞ。
ともかく、『キルリスト』や『サイトシアーズ』で日本でも熱狂的なファンを生み出した「奇妙系スリラー界の風雲児」ベン・ウィートリーが、あのバラードの、あの『ハイ-ライズ』を映画化する、これは期待しないわけにはいきませんよね。原作はおなじみハヤカワ文庫SFからですが、当然のごとく絶版なので、なんとか日本でも映画を劇場公開までもってって復刊の一助となっていただきたいものです。DVDスルー(『キルリスト』)→アートシアター系公開(『サイトシアーズ』)と順調? にステップアップしているので芽はありそう。
アンディ・ウィアーの『火星の人』は、二〇一四年に筆者が読んだ本のなかでもマイベストな一冊です。クソみてえな『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の記事を山ほど読んで損した時間の埋め合わせに、ちょっとこの映画化作品について調べてみましょう。ちなみに私は先月作った「今年のマイベストリスト」にも『火星の人』を選出しております。
概要はこうです。ある宇宙飛行士が火星で一人、遭難します。もしかすると、そこから永久に脱出できそうにないかもしれない。彼は生き延びるために「科学」と呼ばれるふしぎな力を行使することを強いられます。自らの命をかけて惑星に戦いを挑む男と、全力で彼をぶち殺しにくる惑星との、知的で、ユーモアに溢れたアツいバトルがはじまる!!!
映画はリドリー・スコットが監督予定で、主人公のマークを演じるのはマット・デイモン。十一月二十五日公開予定です。
訳者の雑感: 原作の『火星の人』はハヤカワ文庫SFから絶賛発売中。「ライトなハードSF」と称される軽妙な作風も相まってか、最近のSFにしてはめずらしく幅広い層から広範な支持を集めています。今年の「SFが読みたい!」のランキングでも票を集めるんじゃないんでしょうか。いっぽうで監督のリドスコは『悪の法則』、『エクソダス:神と王』と近作がこのところ立て続けに興行・批評両面で失敗してやや低調。『ブレードランナー』の続編を作ると宣言して即監督を降りたりと何かとケチがついてますが、『プロメテウス』以来のSF回帰作は吉と出るか凶と出るか。日本ではおそらく二〇一六年公開でしょうね。
さて、以上が私が最も期待している今年の小説原作映画作品です。ほんとは他にももっとあることはあるんでしょうが……でもまあぶっちゃけゴミばっかなんで語ったところで意味ないでしょう。上にあげた五作品は「すくなく見積もっても傑作になりそうなチャンスはある」作品です。とりわけ『ダーマフォリア』は僕達を導く希望の光なんで、今年公開してくれないと困る。
ところで、リストにあげた五作品の原作小説もぜひ読んでみてください。どれも一読の価値がある逸品ばかりです、たぶん映画もね。
小学校時代だとそこまで成績差とか出て無いし、中学とかに行っても差は出てきても普通に話したりした気がする。
でも、成人するまで歳を取ると結構変わるもんなんだよな。うちの例だと中学中退してるのが普通に居るし。
そもそも小学校すら来ずに今も生きてるか分からないようになってる奴も居る。成人式で聞いたらプーで世界中飛び回ってるらしい。
唐突だけど、昔虐められてた。
小学校時代はそこまで直接的な暴力は少なかった気がするけど、今で言う「消極的な虐め」って言うのかな。
無視やら明らかな逃避とかは当たり前のようにやられてた記憶がある。
時代的には、「いじめ」ってのが社会現象のようにニュースやらで取り上げられ始めたような時だった気がする。
んで、そんときにそういうのを指揮というか、「俺が気に入らないから従え」みたいな奴ってやっぱり居たんよな。
今もちょくちょく地元に戻った時に連絡入るけど、適当に弄る相手が欲しいんだろう。
自分の中では(完全に納得なんてしないけど)まあ折り合いがついてるし、適当に会って相手してる感覚だった。
成人式に行くと、そういう差にそろそろ気づいたんだろう。俺が他の大学行ったような奴と話してると、随分と居心地悪そうだった。
自分が他の人間と単位やら卒論の話やらしていると、「俺に大学の話はわからん」などと自分に言い捨てて適当に歩いてた。知ったこっちゃ無かったが。
そういうのもあったんじゃないかな、2次会の酒と飯の時、そいつの近い席に呼ばれた。
自分は煙草をやらない人間なんだけど、その席は小卒中卒高卒で就職して煙草吸ってる席だった。
そいつは「酒の飲み方教えてもらえよw」みたいな事を言ってた。
まああっちは酒煙草女薬みたいな世界で生きてる人間だし、酒にも慣れてたんだろう。よく飲みに行ってるみたいな話も聞いてた。
多分、自分を酔いつぶして遊ぶ気だったんじゃないかなあ。
自分は5月生まれなんだけど、成人してから随分先輩やら浪人同輩やらとよく酒に行ってたし、血縁的にも酒には強かった。
居酒屋の飲み放題で安い酒をガバガバ飲みまくったりもしたし、〇〇年モノの良い酒を先輩やら教員やらと一緒に買ってきて飲んだりしてた。
ホスト上がりやら土方の親分やら居る席でも普通に飲んでたし、むしろ「ペース早いし、しっかり酒の飲み方知ってるな」みたいな事言われた。
んでそいつはぶっ倒れた。悪酔いの部類だったし、吐いたりもしなかったけど、随分と周りの人間に絡み酒してたな。
その後はカラオケまで付き合ってたけど、ずっと寝てた。そりゃずっと虐めてて見下し続けてた人間が勉強で適わない所にいって、自分の得意分野である酒でも負けたんだから面目潰れだろう。ざまぁみろって感じだ。
その後自分に殴りかかってこなかっただけ良かったかもしれない。
まあ自分の感想とすれば、「勉強も酒も勝てなくてねぇ今どんな気持ち?wwww」って感じなんだが。あっちのがガタイ良いしこんなチラ裏でしか言わないけど。
Aラン大学の女子に絡んでたりしてたけど、流石に生きる世界が違いすぎるしとっとと諦めろって言いたかった。自分が言う前に他の奴(こっちもガタイが良い、自分には結構好意的に接してくれる)が言ってくれたけど。
「あの建物、俺が建てたんだぜ」って言って自慢してる気になってるかもしれんが、社会の誇りであると同時に社会の埃でもある事を自覚して欲しい。
ブコメを読んで:
「先に金入れてない」がトラブルの原因だと分かったのは店員の操作の後だからな。苦笑したのも唐突な攻撃的態度に対してであって、彼が知らなかった事に対するものではない。
私がもっと社交的でお節介焼きなら「お困りですか?」と声をかけても良かっただろう。だが、人が何か試行しているならそれはその人の探求の時間であって、私自身はそれを大切にしたい。だから害があったり請われない限りは教えない。プレッシャーにはならず声はかけられる程度の距離をとってたたずむ。
自販機のUIは面白い話題でそこに食いついたブコメも多かったけれども、主題はそこではない。ましてや先客が遅くて私が迷惑したという話でもない。考えたいのはトラバ先のやよい軒での話を書いた増田の解釈だ。一見理不尽に怒っているようだが、良く見るとシステムと不適合を起こして困惑しているだけかもしれない人が居ましたよ、と。それは決して切り捨てていい「細かいこと」ではないだろう。
「何があるだろうか」と結んだのは確かに正義面だろう。だが私もまた困惑しているのだ。
トラバより:
書き始めたら奇妙な文体が立ち上がってきたので、ねちっこい描写にしてみた。お褒めの言葉として受け取っておきます。ありがとう。なおラノベを読んだ事は無い。あと、こんな事考えてる俺かっけー、が無かったかと言うとそれは嘘になる。
そういう者はたいてい子供時代に厳しいしつけを受け、オモチャを買ってもらえなかったような人間だ。
僕もそうした大人の一人なのかもしれない。
以前から絵を描くのが好きだった……わけではない。発作的と形容しても良いほど唐突に、僕は筆を奔らせ始めた。
ペンタブ(Intuos Pro)を買った。液タブ(Cintiq)も買った。
2つも要らないが、何か頭のネジが、心の糸が切れてしまっていたのだろう。
心配することはない。と、僕は思っている。
離職票(原本)は履歴書・職務経歴書と一緒にワコムへ送った。採用は間違いない。
発作の原因をあえて挙げるなら、やはり『プリパラ』だろう。
プリパラの絵を描くことで、彼女たちを自分のモノにしたかったのだ。
悪寒、いや武者震いがする。
そのうちプリパラを視聴しながらでなければメシも食えなくなるかもしれない。
まぁいい。
今はとにかく絵を描きたいのだ。
■その1。
いやー、『ONE~輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。
「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか)
……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!
さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から、特定の感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。
そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常の崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。
しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくまで少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。
前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。
ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公のモノローグなどで、恋愛の予兆があらかじめ内在する。
ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚な描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛の予兆が排除された状態から、後半、一気にハードな恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写や少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。
さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊の暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオの手法としては、これは決して悪くない、と思う。
同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体は積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的な抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメの物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。
ラブコメというシステムは、その発生においては、過去の歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。
だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊を抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。
■その2。
【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメの定番パターンからの進化。しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーからは生理的嫌悪にも似た反発に遭った。
物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミスの音楽は正解だとしても、出演女優をフェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)。
つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合、必然的に、既存のパターンにはない微妙な感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式を否定していく作業になる。記号のイメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。
でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。
例えば、『ONE~輝く季節へ』の場合は、日常から非日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合、日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から、過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。
それから、感心したのは、父性&母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克がテーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克がテーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくまで自律的に運命を選択していく。
他人の犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。
そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だから、コールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去の記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。
だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。
しかし、あくまで自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやかな意志の方が、ゲームを終了し、物語がプレイヤーの現実に取り込まれた際に、有効に機能するのではないだろうか?
過去の日常と現実の日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語も再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。
■ちっとも終わらない近況。
仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアのキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明な仕事ばっかしているので、最近は「本業は編集者」とは言えなくなってきたですよ……。
あ、事務所のホームページに、このコラムのバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーのテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。
Qiitaで騒がせている彼の量子論の文章を読んでの感想だが,まず彼の文章には,特徴がある.それは,彼が考えた独自の前提が,何も断りも無しに出てくるということだ.
例えば,まず一つに「数学的事実」と「物質世界」という区分けなのだが,ここで「数学的事実」とは何か,「物質世界」とは何か,というのが読んでいて全く要領が得ない.
この区分け自体は珍しいことではない(例としてポパーの世界1,世界2,世界3という3論を参照せよ).
少なくとも理論で構成されるような何かと,私たちが接している「花が咲いている」とか,あるいは「鳥が飛んでいる」という風に分かるということを区別する,という考え方は珍しくない.ただし,この二元論は,哲学的な歴史からすると,余りにも「素朴」すぎる.少なくとも,この二つを構成する「意識」の問題というのは出てくるし,だからこそ「人工知能」を考えるときに,厄介な問題をはらんでいる.そして,この問題は決してプラトン自体は解決していない問題である.
例えば,プラトンのイデアを「実は数学的事実のことです」と言っている.これはプラトン思想の解釈の一つとして,このように仮説を唱えることは悪いことではない.しかし,現実問題として,例えば「1 + 1 = 2」ということ,つまり「1に対して1を足したら2になる」ということを「数学的事実」と呼ぶ場合,数学史的には体系的に矛盾が出るためにルールが調整されていっているわけだから,実際のところ「1 + 1」という式自体が,彼の言う所の「物質世界」の現れに過ぎない.
もちろん,これに対しても反論は出来る.「1 + 1はそれこそ数学的事実を物質世界に置き換えたに過ぎない.だから,『1 + 1』が表わそうとする数学的事実を変換しているだけである」と.そうすると今度は実は彼が語っている「数学的事実」というわけではなく,「物質世界」と「物質世界」の変換であるという風に考えることだって出来る.
あとから精神世界という問題が出てきていて,では上のような「何が・何を持ってして,数学的事実を物質世界に変換しているのか」という問題,これが上手く扱えないのは,このような曖昧さ故だと思う.彼は心脳モデルとして,精神世界をイデアの影だとしている.この立場は哲学的な問題としてありうる.しかし,ポイントとしては,そのように退けた「精神世界」というものを100%イデアの影だとして,そうすればすべては「イデア」の現れにすぎない,と解決できたかもしれないが,そうすると,物質世界に住んでいる我々がなんで「イデア」のことがわかるのか,というよりそもそも数学をイデアとして理解できるのか,という問題は出てくる.
ポイントとして,彼の文章の問題は世界がそのようになっているということと,世界をそのように理解できるのは何故なのかということをイコールにしているか,あるいは曖昧であるが故に,この種の混合がたびたび出てくる事だ.そして他のプログラミング記事に関しても,この種の混合が見受けられる.このような解決を行うためには,結果として形而上学的な理性というものを何処かで誤魔化して入れないといけない.
彼の文章を読むポイントとしては,恰も歴史的な経路を経て結論しているように見えて,細かく見れば全くそれらの歴史を参考にしていないため,凡ミスが結構多発している,という一点だけを理解しておけばよい..
ちなみに哲学史的には,基本的にはこのような「意識」「精神世界」というものを,あたかも「物質世界」に担保させるような哲学的な営みは何度も繰り返されて,そのたびに失敗しているか(唐突に神を持ち出さないと始原がわからなくなる),あるいは「それはそれとして,それを説明したことにはならない」ということが繰り返されていて,どうも切り分けたほうが良さそうだということにはなっているようだ[独自研究].彼も同じ二の轍を踏んでいるので,頑張って下さい.
http://anond.hatelabo.jp/20140917075035
私の身に実際に起きた、書き留めずにいられなかった出来事が
全く知らなかった有名サイトの人の物とされ
ネタとして消費されるのをただただ不思議に思いながら見ていた。
誰か他の人の物語になってしまうならそのほうがいい。それでいい。
あれから4ヶ月が過ぎて、季節はもう冬だ。
彼と歩いたあの通りもこの前の強い風で落ちた銀杏の黄色い葉で埋め尽くされていた。
時間はどんなときも正しく過ぎてゆくのだと思いながら、ブーツで葉をわざと踏んで歩いた。
そして、私はあのとき、ウエッジソールのサンダルを履いていたと唐突に思いだした。
きのこ帝国のクロノスタシスを聴いていると、あの夜のことを思い出す。
街灯の下で きみの髪が ゆらゆら揺れて 夢のようで ゆらゆら揺れて どうかしてる
たった4ヶ月前の出来事とは思えないほど、ほんとに他の誰かの物語なんじゃないかと思うほど
いまでは現実感がなく、遠くに感じる。
あの夜は確かにあったのに、どんどん輪郭が曖昧になって、どんどんぼんやりして
彼と行った店を、歩いた道を、食べたものを、聴いた曲を、話したことをひとつ残らず慎重に思い出す。
遊んでないで、早く結婚して、お父さんになれば。いいお父さんになりそうだよ?
会えば、互いに正しい答えのない、傷つけあうようなことを言って、何も言えなくなって
楽しいと苦しいのサンドウィッチを涙で飲み込むような時間も思い出す。
クロノスタシスって知ってる? 時計の針が止まって見える現象のことだよ
でも、私の気持ちはあの夜から止まってるみたいだ。
宮脇睦のメルマガに「転載ご自由に」と書かれているので転載します。
編集後記
かり活用していました。
を認めなければ、モータリゼーションの到来に気がつきませんし、
スマホの普及を知らなければ、「パズドラ」の売上高を信じること
はできません。
の解禁です。実際の所、いままでも「政治活動」として選挙活動は
黙認されていました。
会議員のポスターには「区政報告会」と告知がありますが、みな選
挙後の日程が刻まれ、その日時に実際に開催されるかは誰も知りま
せん。
想信条の自由から取り締まることが困難という理屈が、ポスターへ
と繋がります。
動画配信とやりたい放題。さらには「ニコ動」のイベントというリ
アルにまで党として進出しているのは各党同じ。
非難することの愚かさを知ります。昭和時代の学生が抜き打ち検査
で、校則で禁止されたグッズが摘発され、それを非難するような幼
稚さです。
き始めたようですが、不発を叫ぶのは、マスコミの不勉強に過ぎま
せん。
もうひとつの理由は、日本のネット有識者、Web業界人の傲慢さに
あります。
と政治ブログを立ち上げました。以前はこの人、「ゼゼヒヒ」なる
彼岸は「非自民政権」。彼の御尊父は社会党の偉いさんの秘書だっ
たようです。
もマイクロな。
ことはないでしょう。本家の朝日新聞の信用失墜は、致命傷になっ
たかもしれません。
ネットの専門家、オーソリティーで、仮に民主党を支持するなら、
党の内部に入り、宣伝文句を量産し、サイト運営のノウハウがある
ならこれを提供し、技術があるなら・・・あるならばですが・・・
自らソースコードをかくこと。すなわち
「自ら銃を手に取り戦う」
ことをどうしてしなのでしょうか。
「観客席からのヤジ」
党と支持する理由を表明ぐらいはしなければ。政治について何も語
らないのならそれもありですが、支持政党無しとは、言質を取られ
せんが。
より私の文章にかかる「バイアス」を読者は知ることができるから
です。
暇を取りボランティアとして陣営に参画します。銃のかわりに、マッ
クブックを片手に戦います。
あれば、すぐにサイト作り替え、時に新設します。著名人なら積極
的に賛意と支持を量産します。ファンの離反を招くとしても、リス
クを取らずに手に入れる果実がないことを、アメリカ人は知ってい
ます。
ネット選挙を語らせているので、「定着」しないと嘆いているだけ。
したより良い方向で。
(おわり)
最近ではどちらかというと悲しかったり窮地に追い込まれるような脅迫感の強いものが多い
そんな中ではありながら、その日の夢は仕事で同僚とドライブ気分で向かった地方のガソリンスタンドで給油をしているという比較的平和なシーンから始まった
のんびりとした風景の中、スタンドの屋根に有名牛丼チェーンのオレンジの看板が掲げられていたことに気が付き、ここで食事をしようという話になったのだ
見慣れたスタンドの建物に入るとこれまた見慣れたテーブルや自販機、レジと一緒にお惣菜コーナーが置かれ、そこにつながる入り口から牛丼店に入ることが出来た
すこし独特なつくりをした店内はスタンドというよりもSAのフードコートに近かったかもしれない
現実の有名チェーンとは違いそこでは先に食券を購入する必要があったのだが、券売機は小銭しか受け付けない作りで近くに両替機も見当たらなかった
あいにく手元には1000円札しかなく、しかたなく牛丼店の店員に両替してもらうと考え近づいていったのだ
突然その女性は、「うちはうどんはやってないよ!」とひどく不機嫌な様子で言葉を投げつけてきたのだ
そのあまりにも唐突であまりにも強い語調にひどく面を食らってしまったわたしは、逃げるように入り口の惣菜を手に取るとスタンドのレジで会計を済ませ隠れるように車へと戻ってしまった
それでも牛丼を食べ続けている同僚を残し、何かに怯えるかのように身動きが取れなくなったわたしは車内で一人その理由を考えていた
この辺りでうっすらと意識が戻ってきたわたしは、夢が終わってもそうして唐突に投げつけられた言葉をまだ噛み砕けないでいた
例えば今まで夢の中で突然襲われたり、目の前の崖を曲がりきれずに落ちてしまったりといった夢をみることは何度もあった
ただ、それらはある程度自分の中で起きては欲しくないこととして直前に予想されていることでもあった
しかし今回の夢の中で起こった出来事は、自分の中では全く予想のできなかったまさに突然投げつけられたものだったのだ
ここで気に掛かっていることは投げつけられた言葉の意味ではなく、夢の中でありながら全く予想が出来なかったことで本当に驚いてしまったということだ
いくら考えても自分の中のどういった心の流れでそんな言葉をかけられたのかがわからず、珍しい夢を見たという感覚だけでは処理することができなかった
そうして一体その言葉を発したのは誰だったのかということを考えていくうちに、自分の中に別人がいるような感覚に襲われるようになってしまった
もしまた眠りに落ちて同じようなことが起きてしまった時、自分は冷静のままでいられるのだろうか
夢を重ねるごとに自分のコントロールできない出来事が増えてきてしまったらどうしたらいいのだろう
いつの間にか夢の中だけで世界が作られ、その中で一切の自由が奪われる状態に陥ってしまったらどうしよう
今度夢の世界に足を踏み入れたら、もしかしたらわたしは殺されてしまうかもしれない
いや、この体を維持するために、二度とその世界から出してもらえないかもしれない
そうしてどれだけ眠れない日々を過ごしたかも、もう思い出せなくなってきてしまった
少しずつ意識が遠のいてきた
両親が離婚しているのは知っていた。私が幼稚園のときに離婚して、母親の実家に移り住んだことを、ちゃんと覚えている。
母の説明によると離婚の原因は「二人のウマが合わなかったから」らしい。「別に仲が悪いわけじゃないんだよ」とも言われた。実際、両親は離婚してからも仲が良く見えた。年に数回は三人で会って食事をしたし、ディズニーランドへ行ったし、母が父の実家へ行くこともあった。
それを見ていた幼い私は、離婚というものをあまり重く捉えていなかった。そもそも、愛という感情自体がよくわかっていなかったから、結婚や離婚というものの持つ重みを理解できていなかったのだ。クラスにも何人かは両親が離婚しているという子がいたのも、また自分の家庭をあまり特別だとは思わない原因だったかもしれない。実際、離婚というものはそう珍しくもないし。
そんな私が真実を知ったのは高校二年生のときだった。父方の祖母の家に母と二人で行った、夏の日だった。祖母は少しだけボケているようで、うっかり口を滑らせてしまったのだ。
「あの子(父)も幸せになっているんだし、貴女(私の母)だって、幸せになっていいのよ。◯◯ちゃん、お母さんが結婚するのが嫌だなんて言ったらだめよ」
何を言っているんだろうと思った。
あろうことか、父は再婚相手との間に子供がいるらしいことも暴露された(本人は暴露のつもりはなかったのかもしれない)。私は今まで、ずっと父も母も未婚だと思って生きていたのだ。一人っ子だと思って生きてきたのだ。私が幼いころから刷り込まれて受け入れられていたのは、『両親が離婚している』という事実だけだ。
泣きそうになるのを必死でこらえて、私は相槌をうった。お邪魔する前に、トイレを借りて必死で自分に泣いちゃダメだと言い聞かせた。
祖母の家を出て帰りのバスを待っている時、泣かないように私はうつむいてツイッターをしていた。母が「大丈夫?」と声をかけてきた。大丈夫なわけあるか。バスを降りた後、地下鉄のホームで唐突に母が離婚の真実を語り出した。
実は離婚の原因は父の浮気だった。父は再婚していて、私には腹違いの弟がいる。
大体そんな内容だった。それまでこらえていた涙がおさえきれなくなって、私は駅のホームで号泣した。家には一緒に帰りたくないといった。心配そうな母と別れて、ヤケ買いをした。初めて家に帰るのが嫌だと思った。これ以上この話を聞きたくなかった。LINEにたくさん通知がきて、家出の心配をされていて少し笑った。
家出する勇気も私にはなく、家に帰ると夕飯と母が待っていた。聞きたくないといっているのに、さっきの話を詳細にされた。
「でも、一人っ子だと将来誰にも頼れないけど、血縁者がいるっていうのはいいよね」
ふざけてんのかと思った。そういう問題じゃない。そういう問題じゃないのに。
この事件から一年半くらいたって、私はまだ気持ちを整理できていない。
両親が離婚しているのも、その両親が再婚しているのも、腹違いの兄妹がいるのも、そんなに珍しいことじゃないんだと思う。私だけが悲劇のヒロインみたいに泣くのはお門違いかもしれない。もっと辛い思いをしている人なんて、世の中にはたくさんいる。
そんなことは分かってる。
でも私はつらくてつらくてたまらないのだ。
『家族揃った暖かい家庭』も『家族で囲む食卓』も『家族旅行』も、全部全部仕方ないと諦めていたのに、それを奪った張本人である父親は、ぬけぬけと新しくその環境をつくっているのだ。
信じられない。
父と母は自分たちが悪いで済むかもしれない。でも私は違う。私はそんなの望んでいない。私だって、家族の生活が知りたかった。そんなにいいものじゃないかもしれない。でもそういう問題じゃない。友達の楽しそうな家族を見るたびに、胸が痛む。私だって、それを味わってみたかった。
私は結婚願望が微塵もない。こんな散々なめにあっていて、自分も結婚したいとは思えない。万が一、私も同じような状況で離婚をしたらと思うと恐ろしくてたまらない。
それなのに、母はよく「結婚するのも、子供ができるのも楽しいよ」と言う。「だから一度くらい結婚してみなよ」とも。
ふざけるなと。
よくそんなことが言えるなぁ、と私はいつも思う。あんたが楽しくても、こっちは全然楽しくない。自分は結構人生を楽しんでいると思うから、産んでくれたのには感謝してるけど、それとこれとは話が別だ。
結婚生活が楽しそうだなんて思えたことがない。結局ゴールは離婚だとしか思えない。
そろそろどうにか割り切りたいと思ってるけど、どうにも気持ちの整理ができない。これを書いているときも少し泣いた。せめて離婚と同時に再婚のことも教えてくれてれば、きっとこんなに辛くなかったのになぁ
それから母が時々「お父さんと普通に会えるようになったら〜」という類の話をふってくるのも理解できない。何考えてんだ?もしかしてもう私は割り切ったとでも思ってんのか?つくづくふざけてる