はてなキーワード: 心の糸とは
大学の時、中井君は「自分は岡村孝子のファンで、アルバムは全部買っている。
だけど、今度新しいアルバムが出るけど、最近のは買っても聞いてない。
今は早く引退してほしいと思ってる」と言った。そのアルバムとはmistralのことだった。
それのワイの場合は渡辺美里だった。アルバムは最初から買っていて、
ribbonかtokyoが人生でいちばんよく聴いたアルバムだ。
同じ頃、ワイもBIG WAVEは買ったが通しで聞いた覚えはない。
Baby Faith、Spirits、ハダカノココロ、Love?Go Go!!は買ったけど聞いてない。
それ以降は買ってない。ベストのSweet 15th Diamondは買ったけど、オリジナル音源がいい。
久しぶりのアルバムは発売日に丸を付けて買って帰って聞いたけど、(あーあ)と思った。
そして19年ぶりのシングルで(わかりゃあいいんだよ)とゆう気持ちになった。
歳も50歳になると、20歳のときの歌詞が書けなくなるのはどうしてだろうか。
経験してわかって当たり前のことをわざわざ詞に書くことに意味を見いだせないからだろうか。
それとも歳を取ると望遠鏡を担いで天体観測に行くこともないからだろうか。
立ち止まる時には
あなたにも届け
そういう者はたいてい子供時代に厳しいしつけを受け、オモチャを買ってもらえなかったような人間だ。
僕もそうした大人の一人なのかもしれない。
以前から絵を描くのが好きだった……わけではない。発作的と形容しても良いほど唐突に、僕は筆を奔らせ始めた。
ペンタブ(Intuos Pro)を買った。液タブ(Cintiq)も買った。
2つも要らないが、何か頭のネジが、心の糸が切れてしまっていたのだろう。
心配することはない。と、僕は思っている。
離職票(原本)は履歴書・職務経歴書と一緒にワコムへ送った。採用は間違いない。
発作の原因をあえて挙げるなら、やはり『プリパラ』だろう。
プリパラの絵を描くことで、彼女たちを自分のモノにしたかったのだ。
悪寒、いや武者震いがする。
そのうちプリパラを視聴しながらでなければメシも食えなくなるかもしれない。
まぁいい。
今はとにかく絵を描きたいのだ。