はてなキーワード: 重石とは
世の中色んな話があり、世の中の人々は聞きかじった情報だけで安易に善悪を判断して、叩いたり、持ち上げたりする。
その渦中にいる人たちや、専門的な知識を持っている人たちは「あーあ、アイツラリテラシーねーな、きちんと勉強してりゃそんな的はずれな批判起こらないのにねー」とか言うのだが、全く持って同意できない。
新聞に書かれたこと、ツイッターで流れてくること、なんか声のでかいやつが言っていること、を「ひとまず無批判に受け入れて脊髄反射的に物を言う」というのは一つの権利だ。「なんか燃え上がってるけど原典読んだの?」とか言われて、「確かにそういうの良くないなあ」と思って本屋で原典を探すと、もう英語ですら無い言語で書かれた何百ページとかのほんと呼ぶにはあまりにも厚く、重く、それは一つのドンキのようであった、と言いたくなるくらいの重石が見つかってきて、なにそんな野無理ゲーだろとなる。
よく考えてほしいんだが、リテラシーがないのは、アウトプットする側で、人類は人類が考えるより遥かに安易に判断して、遥かに雰囲気で誰かを殺す。
であるがゆえにアウトプットする側には「読んだものを脊髄反射で判断していい」くらいのものにする責任がある。
一方で、読みては「アイツラオレらのこと釣るためならどんなデタラメでも書いてくる」くらいのリテラシーは持っておいたほうが良い。それ以上のリテラシーを持つ必要はない。
※ド自分語りです
分かりやすく言えば「好きになるのに性別なんて関係ない」と思っている、人間だ。
どう繋がんのか、って話だよね。
ある意味情勢が理由になるのかな、とも思うが、匿名でない限り、友達にも、ましてや恋人にも言えないことだから、この匿名で言わせてほしい。
自分にとっては言わないとあまりにも辛いが、誰に言えたことでもないから。
ちょっと引っ張るとあるある言いたい〜みたいな感じになってくるからそろそろ本題に入ろう。
言ってしまえば、今は実家暮らしに近いものだ。というか、母方の実家に暮らしている。祖母と私の二人暮らし。生活に必要な金は、医療費以外は祖母が出してくれるような、そんなぬるい環境だった。とあるところから逃げ帰ってきて今までおおよそ一年間、それにずっと甘えてきた。
私は祖母が大好きで、ここに来た当初は支えていこうとすら思っていた。
しかし結論から言えば、その意思が無くなってしまった。今ではもうどうでもいいとすら思っている。
何故か?
受話器を持ちながらそう言われた。
んで、びっくりした私はこう答える。
朝だよ? 何なら寝起き。返答の判断なんてつかないじゃんと思って聞いてほしい。それにしても不注意だったなとは思うけど。
前提として私自身は女であり、この時には女の子の恋人がいて、それをうっかり言ってしまった。一般人には理解がないから、なるべく言わないようにしていたのに。
それと、前々そういう題材を取り上げている番組とかを観て、そういう時代だよね〜とか言ってた祖母を見て、私もうっかり大丈夫なんだと、無意識に大丈夫だと思っていたのかもしれない。
ただ、それが一番の間違いだった。
それ以降、祖母からその話をされることは無くなったんだが、ある日、受け入れられてると思い、とある話題で、「私にも守りたい人くらいいる〜」みたいなことを言った訳さ。
笑いながら、そう言われた。
頭に重石が乗っかったみたいな感覚、目頭が熱くなっていく。悔しさのせいで。ここまで悔しかったのは一生でこれ以上ないかもしれないってくらい、悔しかった。
うっかりカムみたいなことになってしまった自分が一番悪いかもしれないけど、その時ばかりは普段から直球な物言いしか出来ない祖母に苛立ちを感じてしまった。
けど、その時の私は何故か、一晩だけでどうにかこの気持ちをおさめようとして、次の日からは明るく振舞おうと思ったわけ。で、実際そう振舞ったと。
問題はその次の日から、定期的に電話で出された見合いの話を言われるようになったこと。
それと度々「○○ちゃんなら素敵な人に出会えるよ」って言われるようになったこと。
日々ふざけんな、と思いながら苦笑いで済ませてきたけど、後者は朝ドラのいいシーンが来る度に行われたから、さすがの私も気が狂いそうになった。故に朝ドラがちょっと苦手になった。作品に罪はないんだけどね。
あと覚えてる語録で言えば、ちょっとお高めのアクセサリー買った時に、
「それを買ってくれるような人がきっとできるよ」
とか、
世の中でBLが流行ってると(タイミング悪く)テレビで流れた時に、
こんなん、いくら悪気がないと言えど、言葉の暴力だと思うんですよね。
ここまで言われた私は当たり前に辛くて、もう耐えられないと思った訳よ。
だからつい2,3ヶ月くらい前に、ちゃんとセクシュアリティも含めた、この日記の冒頭みたいな説明をしっかりした訳ですよ。全性愛者であること、(言い方はアレだが)好きでこうなった訳ではないこと。
だから偏見みたいなことは言わないでほしいし、結婚の話ももうやめてほしい、と言った。普段から都合の悪い話を聞かない祖母に、度々「話を聞いて」と声を上げながら、伝えた。
でも、もう、多分1ヶ月くらい経った頃には忘れられたのか、以前と同じ頻度で言われるようになった。
それでいて、私が自主的に、生活費のほぼを支えてくれているからという理由でやっていた家事も、徐々に要望が上がっていき、最近では夜に突然「これ買ってきたから煮てほしい」とか、そんな急なレベルで頼まれるようになった。
ルーティーンに縛られる生活があまりにも嫌な自分の性格のおかげで、その辺の歯車も段々と狂いつつあった。
あとは、在宅で仕事をしているから、密接になりすぎて嫌になった、とか、そんなところもあるのかもしれない。
で、耐えられなくなったのが、年の瀬、大晦日前日。この日もイマイチやる気が起きない上に「唐揚げの下準備を〜」と言われていた日。
ただどうしてもその日に下準備をしたくなくて
「明日の朝とかでも良くね?」
って言ったら、
「唐揚げは一晩つけなきゃダメだから、今日風呂入る前にやらなきゃね」
何か、その一言で急に耐えられなくなった。
今まで色々散々に言われた上、そいつの手伝いどころかほぼをやって、それで風呂の時間までそれに縛られて……?
私は一体、誰の時間を生きているのだろう。
そう思った瞬間にはもう無理で、気がついたらあのクソ寒い夜に、河川敷を歩いていた。風がすごく強かった。
間近で水面を見ながら、ぶっちゃけ波にさらわれてもいいとすら思った。
それから渋々祖母の言う通り、唐揚げの下準備をしていると、母親から折り返しの電話がかかってきた。
もう、わんわん泣いたよな。
母親の前で泣くとか何年ぶりだよってくらい、泣いた。もう20代も半ばに差し掛かるのにぼろっぼろ泣きながら、もう頼まれるのが辛い、無理だ、って訴えた。
当たり前だが、恋人のくだりは伏せた。なんもねーのに結婚だの、素敵な人が〜の話されるのが辛いって話はしたが。
したら母親は、
「辛いなら帰ってくれば?」
この一言で、また泣いた。
だから私は、皆が我慢している中すまない、と思いながら、今年も実家に帰った。
もちろん、混んでいない早朝を狙って、実家へと向かった。大晦日でこのご時世ということもあり、人はほぼ、誰もいなかった。
まあ帰省の話は長くなるから割愛するが、家族が全員食卓に揃った瞬間にも泣きそうになったとだけ……(ひたすらに涙もろい)
で、また祖母宅に帰る時も、うだうだ言っている私に対して母が「あの人は身近にいる人をすぐ使うから、たまには嫌だって言うしかない」「もうある程度諦めるしかない」と助言をいただいた。
でも、それって同居しててほしいっていう母親の気持ちの表れじゃん? いや分かるよ。いくら近くに親族がいると言えど高齢者を一人で住まわせたくない気持ちは。私もそうだったからこの家にいたわけだしね。
けど、誰だったかはもう分からないが、こんな名言を残した人がいた。
「辛い時は、逃げてもいいんだよ」
うん、すまんが、逃げるわ。
ってことで、家に帰ってからすーぐ祖母に「最近よく頭働かないし、その理由は多分頼まれるのしんどいからだと思うので家を出る」と説明。
「私が邪魔なのね」
とか言ってきたが、知らねー。それより私は色々嫌なことされてきてんだ知らねー! と遅れてきた反抗期みたいなことを思いながら部屋に帰った。
そこからの私の行動は早かった。言ったその日のうちに物件を探して、その内見を近い日付で取り付けた。
まだ見れていないが、余程悪くない限り、そこで決めたいと思っている。
と、現状がここまでなんですが、最後に
何となく始めたオープンチャットグループが、ちょっとずつ人が増えて3桁くらいのメンバーと
常在する20人くらいのコミュニティになってきた。
趣味系のことなので、暇な人の雑談と関連するニュースが出るとそのニューストピックについて情報交換できる割といい情報源だと思う。
と思っていた。
趣味系のことに限らず、どこでもコミュニティで雰囲気を作る人は数人なんだと思う。
透明な液体に数滴のインクを垂らすことで全体が染まってしまうように。
雑談をしている常駐メンバーの中に、結構強いマウントをとろうとする人がいる。
例えば何かネタ発言をすると、関連するネタをドヤ顔で出してきたり、
例えば相談事を軽い感じで書くと、真剣に考えた長文を送ってきたり、
コミュニティが小さいうちは、活発に活動してくれるメンバーとして見れてたんだけど、
人数が増えてくると、どうしたって合わない人同士が出てくる。
そうすると、一本のタイムラインの中で複数の会話が同時並行に語られて、派閥化と自治や自警団が生まれてしまう。
どちらにもバランスをとった発言をする社交性の高い人は、現実のコミュニティでは重宝されると思うけど、
趣味系の顔の見えないコミュニティだと、主目的から外れたような自治をとるのは、情報源にもならず発言にブレーキをかけるような
そうして、アクティブなメンバーが減っていき、類似のオープンチャットに人が流れていき、
偏った話題だけで足りてしまう雑談マウントのコミュニティ自治好きメンバだけが残る。
いやはや、世のサークル活動や団体活動を運営されているみなさんは、大なり小なりこのよう精神的な負荷に晒されているのですね。
また、それを仕事として会社として事業として数百、数千、数万という人員を束ねている人たちには頭が下がる思いがします。
当初の目的だけを達成する楽しいだけのコミュニティに戻ることはもうできないのですね。新たにまた小さく作っていくしか。
小さいところから盛り上げて、大きくなったら他に移る。
そんな上澄みだけを楽しむようなスタイルはたくさんのエネルギーと情報網が必要で、かつ浪費されていくのでしょうね。長くできるものじゃない。
そもそもTinderで会った仲だからたいした期待はしちゃいけなかったのさ
初めて会った時はテンションが上がったから「好き」とかなんとか言っちゃったけど、冷静に考えると違ったんだって
彼自身の状況とか将来のこと考えると女性と付き合えない状況なんだって
まあ、まだ将来まで考えて直接彼自身の言葉で伝えてくれたことに感謝した方がいいのかもしれんわな
それは【どんな自分でも受け入れてくれる人と一緒になりたい】って気持ちが自分に強くあること
私は見た目が強くてスマートな感じに見えるんだけど、実際は結構凹みやすいしガサツだし気も利かない
けど彼は「いいと思うよ」「どんな髪型してても可愛いと思うな」「どんな気持ちでいてもいいんだよ」って言ってくれたから、どんな環境にいようと一緒にいられるし、一緒にいたいなと思ってしまった
それはすごく一生懸命に伝えたんだけど、彼の環境とか状況にそれは勝てなかった
自分なりにベストを尽くしてダメだったからもうこれは受け入れるしかないんだと思った
きょう以降も連絡取れるようにすると彼の決断にも失礼だから「もう連絡取らないから」と宣言してLINEもブロックした、Tinderはとっくにやめてある
それでもうこれっきりの関係にできるから、今回のことはまだ楽だなと思う
歳が歳なのもあって、最近フラれる時は毎度「あなたは結婚したいだろうけど、俺はそうじゃないと気づいたから」みたいな理由なんだけど、なんでみんなそこを最初に考えないんだろうか
というか、彼らの「結婚できない理由」に勝てない私ってなんなんだろうか
相手に考えさせ過ぎちゃうのが良くないのかもしれないな、と最近は思ってる
でも、(出会いはTinderだけど)真面目な人にまともにフラれたからこそすごい考えちゃう
結婚するために手放さなきゃいけないもの、すっごい多い気がして辛い
自分の物事の捉え方とかキャリアとか見た目へのこだわりとか交友関係とかをレーダーチャートで示すとめちゃくちゃ歪で、普通の男性が受け入れるのは確かに難しいと思う
そしたら何を捨てたらいい?捨てても自分のままでいられる??
寂しさを抱えながら自分らしく生きるのと、自分らしさと引き換えに誰かと生きるのと、どっちが幸せなんだろうって思った
自分らしく誰かと生きるのがベストなんだけど、それは誰にもアグリーされたことがない
私は相手のトロフィーワイフになりたくなければ人生の重石として生きたいわけでもないし、一緒にいることを申し訳なく思いながら生きて欲しいわけでもない
そう私に罪を被せず言ってくれる人としか出会ってないことは、幸せかもしれないし不幸せかもしれない
「自分らしく誰かと生きる」のハードルってめちゃ高いし、自分らしさを得るために自分を高めたり稼ぎを増やしたりするとさらに敬遠されたりするし、なんか人生ハードモードじゃね??私が高望みなのかね??
でももうしばらくは限界までショートカットにするし男ウケの服は着ないしキャリアもバリバリかちこむわ 男に何かを望むより自分を好きでいるためにいろいろ高める方がまだ楽だから
いろいろ理由があって、肩関節周囲炎になったのに放置していた。コロナ禍で病院に通いにくい雰囲気があったし、ようやく決心して8月の中旬に。炎症期というか急性期は、とっくに終わっていて拘縮が始まっているのだって診断。そのあとは、肩関節拘縮の理学療法。約一か月半が経過したか?マッスルメモリというか終末神経の数が減ってしまっているので、それを呼び起こす必要があった。最近はレジスタンスバンドを用いた低負荷筋トレ中心になった。少し痛い。ダンベルの代わりに石か重石を詰めた小さいカバンも使ってる。あれは可愛い。妻に作ってもらおうかな?もう通院必要なさそう。アウターの大筋だけでなくいろいろな部位を鍛える(刺激する)ようにこれからは気を付けよぅ。
ずっと物理的な暴力だけがDVだと思っていたけど、当事者になって改めてインターネットを見てたら自分が受けていたのはモラハラという名前のDVの形のひとつだったことが分かって、何故かほっとした。相手からの物理的なDVがなければ別れるのはおかしいと思って延々と我慢していたけど、結局最後まで暴力はなかったので、別れる覚悟が決まるまで5年かかった。別れたあとも「モラハラはDV」という認知を得るまで、ずっと自分は相手からの大したことない言動に耐えられる逃げた弱くて酷いやつなのでは、という重石を抱えていた。いまはその相手を見捨てたということはもちろん変わらないとは思うが、でもこっちもモラハラDVを受けていたしお互い様だよね、という考え方ができるようになって幾分楽になった。
結婚しなければ真人間ではない、という謎の古い考え方に囚われていたけど、結婚は手段であって目的ではないということに気づいた。
一人で生きていくのは少し寂しいが、よほどのことがなければ結婚するための活動はしないと思う。
もう絞り取られて生きていくのはこりごりだ。
この前までは、GoToキャンペーンは別にやればいいと考えていた。なぜならば、感染者数と経済を両端に測る天秤をイメージして、今までは感染者数側に振れていたのを釣り合わせるのがGoToキャンペーンで、経済を回すために多少の犠牲はやむを得ない、もしくは未来永劫コロナが収束することはありえないのだから現在の自粛をあと1年も2年も続けていたら経済、特に観光業飲食業その他諸々の産業が退廃する、退廃すれば日本の一大輸出産業となった観光が失われてV字回復も難しくなると考えていたからだ。
また、補償についてもスピード最優先であった10万円でさえまだ届いていない人がいるのに、特定の業種に選別して補償することにどれだけの時間と労力がかかるのか未知数である以上、安易に自粛と補償がセットだと謳う偽善者に納得がいかなかったのもある。
だがその見方は間違っていた。ブラジルやスウェーデン、アメリカの例を見て、政府は今回のGoToキャンペーンで経済の方に重石を置いて、釣り合わせようとしていること自体が不可能であると気づいたのだ。具体的には、①感染者数の方に重石を置く、②経済の方に重石を置くと「勝手に感染者数の方に重石が出現する」、の2択しかないので、経済に天秤を振って釣り合わせることが不可能ということだ。
①については今まで通りの自粛生活がその例と言える。これは問題ない。問題は②だ。GoToキャンペーンのように、経済を復興させようとすると確かに経済の方に重石が置かれるので釣り合うような挙動をする。しかし、その挙動に従って感染者数が増加すると国民は自粛を勝手に強めるようになる(もちろん日本特有の挙動かもしれないが)。だから、政府というプレイヤーの意図とは関係なく、感染者側に勝手に重石が出現し、結果的に釣り合うことがない、そういうことだ。
したがって、この問題はリアルトロッコ問題のように見せかけて実際は最初から分岐点のレバーは固定されている。犠牲になるのは観光業飲食業その他諸々の産業の人々である。つまり、コロナ後に不適切な業界の方々には申し訳ないが滅びてもらう以外道はない。日本のGDPは間違いなく相対的に衰退するだろう。だが仕方ない。それが運命づけられた神による決定なのだから。
(余談)
GoToキャンペーンの批判に対して、今ではないという批判がある。じゃあ具体的にいつならいいのか?仮に今この瞬間にワクチンの技術と量産技術がどーんと現れて、1日10万人単位で年中無休でワクチンを打ち続けたとする。それでも日本人の過半数が打ち終わるのに1年半以上はかかる。ましてや、一回だけの摂取とは限らないし毎年打つようなものかもしれない。で、いきなり現れる前提は当たり前だがあり得ないので、今であるというタイミングは少なく見積もっても2年半から3年だろう。その時には滅んでいる。だから、そのような偽善的な批判をするのではなく、滅びる運命にあるから滅べというべきなのだ。
また、大阪府知事が地域レベルで、そして順を追って全国的にという発言をしたが、これも懐疑的である。なぜならば、日本の人口の1/3は関東圏に住んでいて、京都や九州など、外国人観光客によるインバウンド消費が観光業の主力顧客となっていた。だから地方限定でやったところで産業が経済的恩恵を受けるパイはごくわずかであるし、やはり感染拡大を恐れて全国レベルの拡大も行われるはずがない。であるから、やはりその類の発言は偽善的で、滅びる運命にあるから滅べというべきなのだ。
元増田です。
あんなにコメント貰えると思ってなかったのでびっくりしました。
姉だけじゃなくて親からも距離を取れ、という声が多く見られて、またそれは毒親だというコメントもあり驚きました。
だって今まで毒親だなんて思ったこともなかったから。毒親ってフィクションや、画面の向こうの存在だと思っていたから。自分には関係のないことだと思っていたから。
会話をする時はキツい物言いをされることや声を荒げられるのが普通だと思っていたから。普通じゃないんですか。納豆餅がメジャーな食べ物じゃないって知った時くらい驚きました。納豆餅おいしいので食べてください。
仕事もやめてしまおうかとも考えているのですが、父から「今の仕事辞めて次の仕事見つかるなんて思うな」やら「その職種やめるなんて人格に問題があると思われてどこも雇ってくれない」と言われ、辞められずにここまできてしまいました。でもたしかに高卒で雇ってくれるところなんてあるのでしょうか。
もういっそ東京の方に行ってしまおうかとも考えたのですが、仕事が見つかるか、こんな田舎でしか暮らしたことのない人間が生きていけるのか、と考えると尻込みしてしまう。
そこで生きていくのに失敗したら、実家に連れ戻されてもっとひどい目に遭うのでは、と悪い方に悪い方に考えてしまう。
そして恥ずかしながら一人暮らしを始めるにあたって何をすればいいのかわからなくて怖いのです。まず不動産屋に行けばいいのでしょうか?
いい大人なんだから、と笑われるかもしれませんが怖くて怖くて仕方ないのです。お前は何もできないから一人暮らしなんてできるはずがない、と言われたことがずっと重石のように心の中から消えてくれないのです。
おはようございます。リングフィットアドベンチャー2ヶ月のデブです。略してRFAデブです。
昨日の日記への反響がすごくてブクマが増えるのを見てはニヤニヤしていました。ありがとうございます。
なんだか後に引けなくなったので、これからも毎日頑張って動いて食べます。
毎日とは行きませんが、RFAの記録とデブの半生でも書いていこうと思います。
今回は使用している道具について後半に載せておきました。
昨日は準備から片付けまで35分、ゲーム内記録で15分と少し。
消費カロリーは80と少し。大体雪見だいふく一つ分である。もちろん二つとも食べた。
この消費カロリーは設定された体重に比例して増えるので、デブであればあるほど数字が大きくなるのでなんだか得した気持ちになる。
得した分はもちろん食べた。デブなので。
RFAデブは何故こんなウェイトをキープできるのか。未だ謎である。
増えた理由は単純に菓子類の食べ過ぎなので、キープできているのも菓子類の食べ過ぎだとなんとなく頭では理解しても気持ちが必死で否定している。
軽く昨日を振り返ると、前述の雪見だいふくの他にオールレーズン小袋ふたつ、森永チョコチップクッキー小袋ひとつ、ストロベリーコーラ500mLと書き出したら心が痛んできたのでやめる。
レコーディングダイエットなんて生粋のデブにできるはずもなかった。
コメントでも多数指摘されていたように、このタイプのデブは間食やめたらおそらくすごく痩せるのだと思う。
しかし食べるのをやめるイコール死なのでやはり動く方に持っていきたい。基礎代謝爆上げでどうにか対応できないものだろうか。
ちなみに糖尿も血糖値も問題ない。ただ肥満なだけの至って健康なデブである。逆に何故。
リングフィットアドベンチャーをプレイするにあたって、Switch本体とソフトの他にいくつか準備しておくといいもの、よかったと思うものを記しておく。
まずはヨガマット。
走る動作があるため、これがあるとないとでは足裏への負荷が段違いである。
アドベンチャーモードではコース内を走って移動する。プレイヤーの動作に応じてキャラクターの走る速度も変化する。
この走る動作と一部エクササイズが足裏にかなり負担をかけるのと、座った状態でのエクササイズやヨガがかなりの数登場するので、床でやるのはシンプルに辛い。
ヨガマットは8〜10mm厚をオススメしたい。激しい動作もあるためできれば滑り止めもあるとよい。
丸めてケースに突っ込むタイプだと準備片付けが面倒くさくなくて良い。準備が面倒だと途端に継続できなくなるので大事なポイントだ。継続できることが何より大切。
ちなみに本ゲームではサイレントモードと称した修行僧モードが実装されているため、集合住宅や2階住まいなど足音の気になる方はこちらを選択。
サイレントモードはすべての移動が屈伸になる。要はスクワットだ。
ジョギングは軽い屈伸、ダッシュはそこそこの屈伸、階段などの腿上げ動作はがっつりスクワット。昭和の野球部でもみないくらいのスパルタである。
基本的にサイレントモードの方が負荷が大きいのではないだろうか。修行僧の皆様、ぜひ頑張ってみてください。
デブ女性は特にそうだが、走る動作で胸部が動くと痛みと息切れでまともに走れなくなる。
乳揺れ防止バンド、バストサポートなどで検索するとすぐ見つかると思う。
これは確実に要る。というかこの存在を知っていたらもう少し運動が好きになっていただろう。そのくらい効果がある。
デブの胸は本人にとっては柔らかい重石なのである。ひたすら邪魔なのだ。それを邪魔でなくしてくれるありがたい存在である。
余談というか単純に疑問、男性は走る時局部が痛まないのだろうか?ブリーフタイプでもない限り下着で押さえつけてはいないと思うのだが、スウェットやジャージの時なんかはそれなりに自由な状態なのではなかろうか。
大昔のオリンピックでは紐で縛っていたとも聞くし、男女共にもう少し邪魔にならないよう設計してほしいものである。
他に用意するべきものとしては、テレビやモニタ、それも最低でも20インチ以上がいいと思う。
Switchの強みとして画面が独立しているというのはあるが、1〜2メートル離れて走りながらのプレイとなると、小さすぎる。
アドベンチャーモードの道中にはアイテムが出るので見逃しがちだし、ミニゲームの得点コインも視認しづらい。
普段観ているテレビに繋ぐのがベストだが、間取りによってはヨガマットが置けなかったり周りに物があったりと運動に適さない場合もあると思う。
そういう人は中古の安いモニタをひとつ買うのも手だ。最近のものなら大体はHDMI端子がついているので大丈夫だと思う。いらなくなったらまた売っぱらえばいい。
あとは昔FitBoxingのために買ったプロテインがあるので、まずは朝食を置き換えてみようと思う。
丼いっぱいのシリアルや食パン半斤のトーストにバター塗って食べるよりはいいだろう。デブとしては腹持ちが不安ではある。
念のためというか配偶者名誉のために書いておくが、実は彼はデブ専ではないのだ。入籍してから30キロ太ったので詐欺に近い。
どころか痩せ型が好みだそうなので、それも含めて頑張りたいと思う。
ちなみに今回のエントリは何も食べず、どころかなんとヨガマットの上でながらエクササイズしながら書いている。さあこれがいつまで続くのか。
学歴ってこの社会を生きるには便利になるもんだと思って勉強して大学入ったけど、地頭の追いついてない、分不相応な大学に努力して入ったところで、その努力を続けられないと、大学を出た後に重石になったりするんだな
大学入学までは頑張って勉強したけど、入った途端に遊びまくってろくに授業も出ず適当にやり過ごして卒業したから、何も身についてないわけ
身についてないどころか、頭を使うってどうするのか忘れた。何にしても思考するのが面倒になってしまった。
でも会社のやつは○○大出てるから頭良いんだよねみたいな感じで俺を見てくる。
国立理系大卒って肩書きは世間的に良く見えるだろうし、俺もそう思うけど、俺自身はその肩書きに見合った能力はないんだわ。
まあそんな無能俺だけど、この学歴のおかげで盆明けには昇進してしまうんだよな
学歴って辛いな
よくある話だ。
数々の希望の話を見ながら、ぼくは輝かしいと思うと同時に、いつも少しだけ、
ほんの少しだけ恐怖していた。
ぼくは希望が持てない
優しい父と母に守られ、愛されてきた。
幼少期は少しいじめられたりもしたものの、人との関わり方を覚え、そのいじめっ子とも仲良くなれたほどだった。
というのも、ぼくがいじめられたと思っていたことも、その子に言わせてみればじゃれ合いの範疇だったことがのちにわかったからだ。
そんな幸せな世界にいながら、ぼくはどうしてもフィクションの世界の彼らのように、希望を持って生きることができなかった。
そんな時、いつもぼくの心に表れるのは
羨望の念だった。
きっと延命治療なんてしない。
できるだけ少ない苦痛の中で、放置していたゲームをやり切り、行きたい観光スポットに赴き、美味しいご飯を食べて、半年後に満足して死ぬ。
皆が家族の元で最期のときを過ごそうとして、人がいなくなった渋谷のスクランブル交差点に、堂々と大量のチョークを携えて立ち、地球最後の落書きをしよう。
描き終わったら、地面に描いたでっかい落書きの中央に寝転んで、そこから落ちてくる隕石を眺めながら昼寝でもしよう。
きっと最高に楽しい眠りにつけるだろう。
「終わり」について考えたときのぼくの中にあるのはいつだって喜びだ。
きっとなんの脈絡もなく交通事故で死んだところで、明日の部屋の掃除をしなくても良くなることを喜ぶ自分がいるのだ。
明日が来ないこと、それこそが僕の救いだ。
だらだらと毎日が続いてしまったら、きっと放置していたゲームをやり切ることなく、行きたい観光スポットにも一生行かず、独り暮らしの節約だけを考えた特に美味しくもないご飯を食べる生活が続く。
人の迷惑を一番に考え、スクランブル交差点で地面に落書きなんて絶対にできない。
「終わり」を考えると恐ろしいと、友人は言った。
隕石で、地震で、地球温暖化で、何かしらの大きな力で、無慈悲に人の今までの営みが消されていくのが恐ろしいと。
話を聞きながら、そうだねと相槌を打ちながら、人の営みが消されることに恐怖を覚えると言うことを、どうしても理解できずにいた。
人間は高度な文明を持ちすぎたせいで、自分が地球上に生まれた動物のひとつだということを忘れがちである。
「動物」と「人」を分け、動物を無意識に見下し下等生物だと思っている節がある。しかし、人間はただの動物に過ぎないと、神《ここでは生物が支配できない天候、運命等を言う》になることはできないのだと、ぼくは常々思う。
むしろ動物を超えてしまった何かになっていたのだとしたら、ぼくは僕の心臓が動いていることすら恐ろしく感じる。
たくさんの動物がこれまで絶滅してきた。隕石で、地震で、地球温暖化で。
人間がそれらの神の力によって死に絶えることが出来るなら、ぼくは人間が地上に存在して良い生き物であったと、やっと安心することができるだろう。
ぼくはきっと、希望の戦士から見たら倒すべき思想を持っている人間だろう。
きっと倒されて光の力に圧倒され、希望を持てるようにされるのだろう。
でも僕は、希望を持つことが何よりも恐ろしいのだ。
希望を持った人が、その希望が続くと信じて、その希望が失われた時、その先にあるのは深い悲しみと絶望だろう。
でも、希望に触れた人が、いずれこの希望は消えると思っていたら、いざ本当に消えてしまったとき、たしかに悲しいけれど、心の準備ができていた分苦しまずに済む。
後ろ向きなことを言っていることは百も承知だ。
でも、これはぼくなりの心の防衛術なのだ。期待せず、希望を持たず、諦める。
もちろん100%後ろ向きな訳ではないが、心のどこかで諦観を持っておく。
希望を持つということは体が浮いてしまうような漠然とした恐ろしさを感じる。
諦観を持っておくことで心に重石ができて、地に足を付けることができる。
「死」は、「終わり」は、僕にとってはエンドではなくフィニッシュだ。
終わりではなく完成なのだ。
どうせならヨボヨボの状態でなく、現在の最高点でフィニッシュさせてしまいたい。
忘れじの 行く末までは 難ければ
今日を限りの 命ともがな
(「忘れない」と言ったあなたの言葉が最後まで変わらないのは難しいだろうから、私はその言葉を聞けた今日死んでしまいたい)
この和歌を歌ったのは儀同三司母という人であり、この歌は恋のうたであるが、ぼくはこの人の気持ちがよくわかる。
きっとこの人も、この幸福な状態のまま自分の人生を完成させてしまいたいと思ったのだろう。
希望を持つことは素晴らしい。それは同感だ。
ぼくも希望に憧れるし希望に向かって進む姿はかっこいいと思う。
しかし、ぼくがそれをやれと言われたら、きっと迷子の子どものように前に進むことができず立ち尽くしてしまうに違いない。
フィクションの世界の悪役のように、人々を絶望に染めてやろうとは思わない。
でも、ぼくにとってぼくのネガティブ思考は、長年連れ添った相棒であり、ぼくの心を守ってくれた騎士でもある。
ぼくはきっと一生こいつを手放すことができない。
体力的には比較的回復したとは思うし一時的には会社に行ける気もするが、
また頑張るぞ~というような意欲がない。
生活のため以外の働く意義が見いだせない。
別に今の会社が嫌いというわけではないが、しかし平日中ほぼプライベートがないも同然なのはなかなか厳しいものがある。
もうちょっとやってみてやっぱり厳しそうなら転職するのかなぁ。
転職活動に必要なバイタルがある気もしない。別にそこまで転職したいというわけでもないし。
家族とかみたいに守るものがあればまた変わったりするんだろうか。
今の自分にはあまりに何もない。薄っぺらい紙の蓋に重石を乗せれば当然落ちるし穴もあくかもしれない。
なんか何もしていないのに気疲れしてきた。
私はモンスターが描けない。ドラゴンやオーガ、ロボットのような複雑なものも、ゴブリンや妖精のような比較的簡単なものでもとにかく描けない。ただでさえ人並み以下の絵しか描けないのにそれらを描こうとしたら尚更だ。普通なら「でも別に無理して描くものでもなくない?」と思われるだろうし実際そのように考える方が大多数だろう。もし絵で仕事をしたい、と考えるならなるべく描けないものは無い方が良いだろうけれど、別に趣味の範囲なら本当に気が向いたら…で良いんじゃないかという事を何度か友人に言われた。これから描くことは多かれ少なかれ他の人も感じているかもしれないしただ単に下手な奴の被害妄想かもしれないので話半分程度に流し読みするくらいの気持ちで読んで欲しい。
あるカードゲーム系のジャンルにいた頃だ。そのジャンルにハマった当初は登場人物の絵しか描いておらず、周りと比べて描けないことに凹む日もあったけれど別にそれが重石になるようなことは無かった。少しはあったかもしれないが、無視できる程度だった。しかし、交友範囲が広がるにつれ、何となく「あれ、もしかして人物よりモンスター描いた方がウケるのかな?」と感じる時が増え、やがてその気持ちがどんどん大きくなり毎日のように「私はモンスターが描けないから他の人と距離を置かれているんだ」「モンスターの絵を描かない奴に価値なんて無いんだ」と考えるようになった。今考えれば普通にモンスターの絵を描かなくても評価されている人はいたし別にそういった人達を無価値に思う人なんていなかった。しかし当時の私は進路のことでとても不安定な時期だったこともあり、どんどん悪い方へ考えてしまうようになった。そう思い込んだまま何とか進学し、細々と絵を書き続けた。何度かモンスターを練習したことはあったけれど、大抵は嫌になって投げ出してしまう事が殆どだった。花形のドラゴンを描きたい。ロボットを描きたい。そんな鬱々とした思いを抱えていた。
その頃はさらに交友関係が広がり、悪い方の考えの中に「皆出来ているのにどうして私だけ出来ないんだろう」という考えも追加された。知人にその話をした時、「考えすぎだよ」と言われた後「でもあたし変なモンスター絵描きに絡まれてからああいう人達もその人達を持ち上げる人も嫌いなんだよね」と言われて自分の気持ちがわからなくなった時もあった。何度もこんなジャンルにハマらなければ、いいやジャンルは悪くない、私が悪いんだと毎日ノイローゼのようになりながら絵を描いていた。そしてとうとう7月の末に一度絵が全く描けなくなり、しばらくリハビリをした後今は何とかまた描けるようになった。
何度か別のジャンルを経由して、結果としてまたジャンルに戻ってきた。ロボアニメにハマって資料集の三面図を模写してそれなりに苦手意識は無くなった。動物も何度か描いてそれなりに自分の手に馴染んだ(とはいえ両者ともまだ資料と首っ引きではある)。でも、もうモンスターは描かない。描けないということではなくて、描きたいと思わなくなった。人によっては「酸っぱいブドウじゃん」と思う人もいるし、「ふーん、それでいいんじゃない」と思う人もいるだろう。それは個々人の考えだから別に私はどうとも思わない。
もし、同じような事で悩んでいる人がいたらこれでも読んで気晴らしにしてほしいと思うし、何だったら「しょーもな」と笑ってほしい。
基地反対派の市長って、今回の名護市長戦でもそうだけど経済政策がむっちゃ弱いよね。
地方の自治体に雇用や経済情勢を何とかしろと言うつもりは全く無いけど、例えばゴミの分別や下水の問題を、2期やってきて解決していない。
金が無いのかと思ったけど、マンホールカードとかフタとかはやってるんだよ
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/181176
2期やる中で止めて下水事業に回そうとは思わなかったのだろうか?
http://www.city.nago.okinawa.jp/5/4731.html
厳しすぎだろ。。。
反基地運動と経済政策は同時進行出来るはずだよね?なんでやらないの?
政府に睨まれて出来ませんとか言っちゃうのかもしれないけど、市長2期やってゴミの分別や下水垂れ流しを解決出来ないってヤバいでしょ。
どの面下げて「辺野古の海を守れ」とか言ってるの?お前が流したウンコ混じりの下水がすでに汚してるっつーの。
けど、解決出来る所に手を付けずに騒いでも仕方ないよね?
出来る所をやっていく積み上げをしない理由がマジでわからないのだけど、何でなの?
総選挙で負けた時もそうなのだが、反政府を標榜する方々ってイデオロギー優先で市民の生活を無視するよね。
とりあえずメシが食えて生活が出来なきゃ、政治やデモに興味持ちようも無いのだが。
あとさ~。
出口調査と全然違う結果が出たわけだけど、一部報道では出口調査を監視する反基地派が居たって話だった。
調査の表見るまではウソだろと思っていたけど、ここまで乖離すると疑わざるをえない。
本当にやっているのなら、何の得にもならないのでさっさとやめて欲しい。
独自検問とか、工事用トラックの下に潜り込む様子とか動画で見てると、一部暴走した運動家がやってるのでは?という疑いを拭いきれん。
家族も支えてくれた人もありがとう。優しくなりすぎて、別人かと思った。
特に父。
中学のときは薬全然効かなくてウゲェーってなってたけど、今は薬飲みだして2週間くらいで良くなったなーって感じるぐらい薬進化してる。
大人の今のうつは体に重石、頭の中がブラックホールみたいな感じ。
年齢によって辛さの種類が変わるんだね。
もともと臨床心理士目指してたので、うつになったときの自分の状態を知ることが何かに役にたつかなーっと思って、うつになってきたなーと感じたときから手書きで日記つけました。読み返すと調子の悪いときと良いときの差がハッキリしてて面白い。自分は~と理由で生きてられないから死にたいって書いてるときは字が大きくてまっすぐ書けてない。今日は~でハッピーとか書いてあるときは字が小さくて文字が詰めこんである。同じ人が、というか自分が書いたとは思えなくてウケる。
いろんな治療法があると思うけど、自分はとにかく人との関わりをめちゃくちゃ最小限にして、家族にもほっといてもらって、ひたすら寝てました。LINE返すのも話すのもしんどかった。
根がかまってちゃんだから、3ヶ月くらいほっといてもらうと、自分から家族とか友人とかにすり寄るエネルギーがでてきた。
こんな駄文を書けるぐらいには元気になりました。
本当にありがとう。
財務省がサラリーマン控除の大幅削減に動き始めたと聞いて、とうとう政府はフリーランスを本格的に増やす方向に舵を切り始めたか、と思った。
経営者にとっても、政府にとっても、正社員や非正規雇用よりもフリーランスのほうが扱い易いのは言うまでもない。
正社員やバイト、派遣は労働基準法や社会保険などの加護があり、経営者にとっては重石になっているが、フリーランスは下請法しかない。
下請法さえ破らなければ、何をやってもいい。
いや、下請法もかなりのザル法で、実際は強引な下請単価や発注金額の値引き要請を年中やっている。
下請法違反で告発されないための交渉テクニックが元請けとなる大企業で普及してるから、告発されることもない。
下請法がフリーランスを保証してくれるのは、検収後の売上が確実に支払われることだけである。もちろん検収にもかなりのハードルがあるのは言うまでもない。
話がやや逸れたが、経営者にとっては、正社員10人よりもフリーランス15人のほうがいろいろやりやすいのである。
また、国民の平均年収を上げたい政府にとっても、フリーランス増加は都合がよい。
フリーランスは社会保険や経費が自腹となる分、収入の額面だけはサラリーマンより多くなる。
だから、フリーランスを増やすことで、国民の平均年収は100万単位でアップする。
そのような、経営者と政府の両方に都合が良いフリーランスブームを、これから政府と広告代理店が仕掛ける。