レイプ犯が被害者に排泄物をかけるような悪質な辱めをするのは本当に稀なことなのか?
そもそもレイプしている時点で被害者の感情など考えていないだろうし、そんなに稀なことなのだろうか。稀であるとすればどの程度稀なのか?
本当に近年稀なのかどうかはわからないし、どの程度稀なのかもわからないので「近年稀に見る」で形容されても悪質さの程度がわからない。
それを得ようと頑張っても(追うても)
齢を重ねて手に入れようとして(老うても)
その業を、期待を、力を、志向という名の動機を背負うことが出来ない(負いつかない)
全ては象徴性の奥にあり、圧縮されており、自己も他者もそれに気付かない
ちょっとした男性恐怖症なんだけど、久々に好きな人ができたんだ。
赤面しそうになっちゃった。
好きな人に絡んでもらえるの、ドキドキするよね。(オボコいのは仕様です)
恐怖で緊張してもドキドキするよね。
嬉しいのか、怖いのかわからなくなった。 → どうしよう。。どっちなの?
もしかして、両方のベクトルが混ざってる? → そんな気がする。。
まさか、片方だけならドキドキしないの? → それはないと信じたい。。
いや、だからね。
情状酌量で軽くなったり、悪質なら重くなったりするよ。
でもじゃあ2割増しにしよう、とかその程度の範囲で充分なわけでさ。
つまりね。
裁くのが自分の感情や感覚な人は、そもそも議論の余地がないんですよ。
それと同様に違う感覚で量刑の妥当性を主張する人がいるでしょ?
そうなったら、そこに話し合いの余地なんかないんだよ。
”稀に見るとまで言わしめるほどに悪質さの程度が著しいこと”
悪質さの程度自体を条件にしているなら「近年稀に見る悪質さ」はあまりに表現が悪い。単に「極めて悪質」でよい。
量刑の程度なら結局は具体的に刑をどうするかで話をするわけだから「跳ね上げる」「羽のように」など、どう表現しようがさしたる問題は生じないが、量刑の判断理由にどうとでも取れる形容語を付加するのはあまりに不都合が多い。
「稀に見る悪質さ」と書けば「稀である」が条件に含まれると解釈されても仕方ないし、「近年稀に見る悪質さ」であればその時代に稀であることを条件にしていると解釈されるのもやむなし。
http://anond.hatelabo.jp/20121005144205
http://anond.hatelabo.jp/20121005150358
細かいトコが良くなってるけどやっぱマップでじわじわ来るのかぁ、なるほど。
修正点見つけ終わってからがキツそうだな。
教えてくれてありがとう。
>悪質さの程度そのものというより"近年ではこれは稀である"を条件にして量刑が跳ね上がったのだから、稀でなくなったら軽くならなければおかしいだろう。
いや、頻度というより”稀に見るとまで言わしめるほどに悪質さの程度が著しいこと”を条件にして量刑が跳ね上がったのだから、たとえ頻発したとしても同程度に悪質なら量刑は軽くならないしなってはいけないだろ。
それこそ単なる形容語だよ。あたりめーだろ。
何を根拠に。
悪質さの程度そのものというより"近年ではこれは稀である"を条件にして量刑が跳ね上がったのだから、稀でなくなったら軽くならなければおかしいだろう。
「近年稀に見る」を理由とするというのは、つまりその犯罪、あるいはその程度の悪質さの犯罪がその時代に多いかどうかを量刑の基準に使うということだよ。
羽のように軽くwwwねーよwww
>模倣の類似犯罪が増えたとき「最近似たような事件多いから」という理由で量刑が羽のように軽くなる
何を根拠に。
つーかむしろ一旦前例が立っちゃったら「判例に則って」でほぼ同じ量刑みたいな感じになるんじゃね?
羽のように軽くwwwねーよwww
何だかんだで相場がありそうなのが怖いが、敢えてそれを無視して「近年稀に見る悪質さ」「被害者を著しく傷つけるもの」と評価して刑を跳ね上げることが何故悪い?
"近年稀に見る"という理由で量刑が跳ね上がるなら、模倣の類似犯罪が増えたとき「最近似たような事件多いから」という理由で量刑が羽のように軽くなることになるわけだが
>つまりさ、裁くのは俺の感情だ、ってことになると思うんだ、その回答だと。
そう、俺は最終的には俺の感覚で裁くだろう。
むろん実際はそう単純な話のわけがない。裁判員は何人かでチーム組んで量刑を話し合うもののはずだしプロの裁判官だって同席してあれこれ教えたり意見くれたりするはずだろう。
しかし様々な情報を取り入れて最後に俺の決定を行うのはどこまでも俺自身だ。
だからチームで話し合った結果酌んでもらえるか却下されるかとは別に、俺は俺が納得できるだけの理屈を組み上げなければならない。
仮に被害者やその家族や加害者やその家族に詰め寄られたときに、自分はどう考えてその量刑にしたのかを説明できるようにしなければならない。
本当に考え抜いて「過去の例ではこれこれこういう状況に対してこういう評価で懲役何年だったから、今回も鑑みてプラマイこれくらいで、最終的に何年」という結論に達せたならそれはそれでいいが、「そもそも過去例からしておかしくね?この要素判定に入れてなくね?入れるともっと懲役多い/少ないんじゃね?」とか思うことって普通にありえるっしょ。
そういう風に疑問もつのって、日本の司法制度が相当ヤバいってことになっちゃうんスか?
逆に、直近の類似の事件の相場に沿ってというのは危険なことじゃないと言えるか?
直近に類似の事件が無かったら何をもって相場の範囲の中から適切な量刑を拾い上げるんだ?
俺が出したような事件なら、怪我をさせてるのでまずは傷害で、ここ最近の相場なら何年プラス、レイプしてるので相場から何年プラス、集団なので何年プラス、飲んでるので(判断能力低下で)何年マイナスみたいな具合になるわけか?
明らかに被害者を徹底的に貶める行為として排泄物をかけるという真似をしているわけだがそんなものに直近相場なんてありうるのか?立ち小便の飛沫が風に乗って通行人に引っかかったのとはわけが違うぜ。
何だかんだで相場がありそうなのが怖いが、敢えてそれを無視して「近年稀に見る悪質さ」「被害者を著しく傷つけるもの」と評価して刑を跳ね上げることが何故悪い?
あの例では幸いにも被害者は(今読み返したらアバラも折ってたが)命を取り留めた。
だがたとえ被害者が死んでいたとしてもたぶん死刑には問えない。強姦致死の最高刑は無期懲役だからだ。
どう考えても生命同然に尊重されるべきものが明らかな害意をもって損なわれているのに、その報いは生命が損なわれた場合と等しくない(例えその犯罪の結果被害者が死に至っても!)というと物凄い不公平感がする。
逆に「生命同然に尊重されるべきものとは生命そのものとは別物なのだから死をもって購うのは不適当」とか言えちゃうのはわかるんだけど、じゃあ懲役が妥当かっていうと全然そう思えないしそこで懲役で妥当と結論付けることでセカンドレイプを行ってしまうことが避けられないのが痛すぎる。
自分の住む部屋があって、その周りには他人が住んでいる。
それはとても当たり前のことで自分にとって無害な隣人もいれば有害な隣人もいる。
有害な人と言えども、接点がなければギリギリ自分の住んでいる場所を侵すようなことはあまりない。
接点があったらどうだろう?それも拒絶できない接点。
今私は社宅に住んでいる。住宅事情を考えると止むを得ないという理由で入ったが、
社宅というのは四六時中捨て置けない住民がそこかしこにいることになる。
放っておけばいいなんてもってのほか。同じ企業に勤める人がいるのだから
そこでの繋がりに腐敗がないように円滑な関係を維持しておきたい。
そうやって、最低限の気配りをしていたのだが
ここ1週間体調が悪く付き合い悪くしていたら、今日電話がかかってきて
嫌な剣幕でまくしたてられた。そして、引越ししてそれ程時間の経っていない私は
その人が誰なのかも分からない。更に、私はその人に対して特に悪いことは
していない。つながりが本当にない。なのにも関わらず社宅の連絡網を探ったのか
電話してきた。
「もう随分体調悪いですよね?まだ悪いんですか?」
と嫌味っぽく聞いてきたので、更にあれこれ言われるのも耐えられなかったので
あと少しで元気になるといった旨を伝えて電話は終わった。
喋りはすべてに渡って悪意に満ちていたが、伝えようとしていたことは
それほど悪いことではなかったので、私は「すいません」と「ありがとうございます」
を言うだけだった。
接点のある人ならばいい。
無い人間に、生活圏を脅かされるのは初めてでどうして良いか困っている。
こんな生活が続くなら一刻も早く出ていきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20121005162011
犯行の全ては男性が当たり前のように悪いけど、一方で男を誘うような格好してた女にも原因がある。
先日起こったルーマニアレイプ殺人事件でもブカレストは危険地帯だから行くなと言われてたのに聞かずに行って実際にレイプ、酷いのは現金も盗られた上殺害されてる。彼女が最後に残したツイートも非常に興味深い。あれはレイプ犯も悪いけど、危険意識がまるでない女にも原因があるんだけど、マスメディアや世論はそういった原因には目を瞑りがちだよね。ま、桶川ストーカー事件の例もあるから仕方ないのだろうけど。
昨今は男性優遇社会というより女性優遇の方が顕著じゃないかな。
例えば、痴漢撲滅のために女性専用車両なんてのが設けられた。このせいで一車両当たりの人口密度は明らかに増加した。特にラッシュアワー帯はね。
あと、女性車両の中でも平気で化粧したり弁当食べたりといった光景を見かけるようになった。一応電車内なわけだからああいう女性優遇みたいな事は逆に辞めて欲しかったり。
そうかと思えば、最近はそういうのが嫌なのか一般車両への女性占有率が増えてる気がする。女性専用車両って結局自意識過剰な一部の女性団体が自己満足のために作ったんじゃないかと思う今日この頃。
希死念慮について少し調べてみましたが、自分はまだ死にたいという気持ちはそれ程強くないかな、と思います。
近いうちに死ぬ事があってもそれはそれで良いかな、って思ったり、
死にたくない、と言う気持ちが前よりは弱くなった、みたいな感じだと思います。
何となく死にたい、みたいに軽い感じで思う事が少しあったので、気になって書きこませてもらった次第です。
本気で強く考えた事はまだ無いと思います。
あと、大学院入学後に急にそう思う様になった訳ではないと思います。
色々ありがとうございます。
ベルトランの『夜のガスパール』の最初の部分とバルザックの『あら皮』のラストの言い回しが
似てるのを発見してニマニマする暇も無く、今週と来週の仕事の資料検索しないといけないとゆー
シューの『さまよえるユダヤ人』も図書館から借りてきて読みたいが、13日まで多分このまま
マルチタスクの作業は2個並行作業がせいぜいって所かな
追記『農民』『ド・カディニャン公妃の秘密』14日まで読めない