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地方自治体の独裁者
独裁者が存在するのは必ずしも国家だけではなく、地方公共団体等国の内部の組織でも独裁者ないしはそれに準じる権力者が出現する事例も存在する。例えば近年では日本の兵庫県の知事である斎藤元彦はしばしば独裁者であると批判される。斎藤は以前からパワハラ等で批判され、内部告発を受けて彼に対する百条委員会が設置される等議会との対立を深めていたが、当人は告発内容が事実ではないとして受け入れず、告発した者を停職3ヶ月の懲戒処分を下すといった強権的な手法で応じた。しかし本来は公益通報者保護法で告発者への不利益な扱いは禁じられており、同時に真実と信じるに足りる相当の理由等がある場合には報道機関等外部への通報も保護の対象となる。そのような事を踏まえ、斎藤のこの対応は事実を確かめない拙速過ぎるものであり、独裁者が反対者を粛清するのと同じ、や、斎藤にとって耳の痛い都合の悪い話でも告発者を責めず、利害関係のない第三者や有識者による精査を行うべきだった、またそもそも告発文書には前述のように法的に保護されるべき公益通報が含まれている可能性があり、それを一部だけ取り上げて否定した斎藤やその政権高官らの対応は公益通報者保護法に違反している、といったように批判され、自分への告発者を「公務員失格」等と呼んだ事はいわば公開パワハラであるとの意見もある[9]。なおこのような事例は決して日本や斎藤に限った事ではなく、内部告発をされた側が告発者に対して示す反応の一つの典型的なパターンである。その内容としては特に本質的で重要な不正を告発した告発者に対して一部虚偽や誇張を織り交ぜた人格攻撃を加え、同人を悪魔化して悲惨な末路を押し付け、見せしめにするのである。これはまさに独裁者に立ち向かう事は自身の破滅に繋がるという運命をでっち上げる事で告発を抑止する典型的な恐怖政治であり、これは前述したように独裁者の粛清の構図であり[10]、実際に斎藤を告発した職員が2人自殺に追い込まれており、これらも斎藤のパワハラが原因だと言われているためこれが事実ならば彼らは斎藤によって粛清されたに等しい[11]。
結局斎藤は百条委員会の不信任決議により失職。しかしその後の2024年兵庫県知事選挙では再当選を果たした。その理由としてはSNSでの斎藤の人気があげられ、兵庫県議会への敵意を煽る斎藤の主張が拡散され、街頭演説では斎藤支持者による「斎藤」コールも発生。その中には自殺した告発者を非難する発言や、斎藤は議会に嵌められた、斎藤の対立候補であった稲村和美は外国人参政権を推進している等と言った陰謀論も数多く存在した[12]。このように対立者や外国人・他民族をスケープゴートにして敵意を煽り、権力者の独裁を確固たるものとする手法はかつてのナチス・ドイツの独裁者であったアドルフ・ヒトラーが用いた手法と同じである[13]。また斎藤当選後には涙を流して喜ぶ高校生等の有権者もおり[14]、これは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の独裁者金正日が死亡した時に同国国民が号泣したのと似ており、個人崇拝が行われている事を示している[15]。
日本の外為法については既に報道されている通り、重要な社会インフラ等に対する買収で、結果国益を損ねると判断すれば国が差し止めを求めることが出来るというもの。
米国独禁法については、クシュタールが全米で展開するサークルKとセブン&アイが合計シェアの点で反トラスト法にかかるのではないかという恐れ。
前提として、この規模のM&Aともなれば、関係当局との合意形成無しに物事が進むはずもなく、当然クシュタールとしては既に日米双方に対し擦り合わせを行っているとは思う。
Jパワーのような明確なエネルギー・インフラ企業ではないセブン&アイに外為法を適用できる合理的な論拠があるのかについては疑問はある。
米独禁法については適切な規模の店舗統廃合、売却によってこちらはクリアできる可能性が高い。
どの道、セブン&アイとの合意形成と日米政府の合意形成は車の両輪のような認識で相違は無いと思う。
同じ西側諸国である日米間のやり取りとなるため、中国独禁法のような国家の論理によってズルズル引き延ばされる可能性は低い。
どちらかの結果が食い違うような見切り発車を政府が許すはずが無いし、抑々そうなった時点で実現可能性は限りなく低くなるので、敵対的買収に発展する可能性は低いと見てる。
個人的な所感としては、時間はかかるが同盟国同士の擦り合わせによりクリアできなくは無いという感想。
いくらセブン&アイの経営陣がクシュタールの提案に異論を唱えても、経営陣の言う「適切な企業評価」に株価が全く追いついていないのは事実で、その論理だけでクシュタール提案を蹴るのは株主の利益を明確に損ねる行動であり、ある種の背任行為に近い。
それを前提とした落としどころを作るには、必然的にクシュタール提案を上回る「対案」を出さねばいけない。
現時点で具体的な金額やをあえてアナウンスしているのも、「我々の提案はクシュタール案を超える条件です」ということを明示するためのアナウンスメントだと個人的には解釈してる。
何よりも、この絵描いてるのは創業家ではなく、政府の意向も多分に入ってるんじゃないの?と思ってる。
通常、創業家の持つ5,000億円の株券に対するLBOとして8兆円という規模が適切なのか?という議論もあろうが、国策TOBの名の元にそこはおっつけてくるのではないかと。
次に、時期の問題だが、昨日飛ばしニュースのあったNHKの内容を基にするなら、今年度末(勘違いしている人も居るが、年度末は3末の事で12末じゃない)をターゲットにするのは非常に説得力が強い。
セブン&アイは多くの3末決算企業と違い、2末決算なので、遅くとも2末までには配当を出すのか、M&Aを前提とした無配とするのかを決定しないといけない。
同時に、上場廃止を前提とした国内M&Aの場合、TOB開始からクローズまで通常一ヶ月は空けるのが通例なので、3末に買収を終えるのであれば、セブン&アイの決算期である2末までにはTOBを開始する必要がある。
この2点を合算して考えると、仮に3末をターゲットとした創業家によるTOBが実行されるのであれば、2末までには具体的なアナウンスメントを出さないといけない。
通常ターゲットの期日に近づくにつれて株価はTOB期待でジリ高になる。
言い換えれば2末までにアナウンスメントが無い場合、TOB期待は急速にしぼむor失望売りが出ると考えて良いとは思う。
纏めると、クシュタール案に対し超えなければいけないハードルが極端に低い分、実現可能性は高いという印象。
最後に、NHKのリークについてだが、大前提としてNHKが何の事前調整も意味もなく、19時台の「国営TV」であれだけ具体的な内容国策M&Aという重大ニュースを報じるとは到底考えられない。
恐らくだが、あれはクシュタールに対する「これ以上条件上げた叩き合いするなよ?」という牽制球なのではないかと個人的には捉えている。
IR出た後のドカ売りに関しては正直私も良く分からないし、何名かの投資家が指摘しているようにインサイダーチックなフロントランニングである可能性も否定はできない。
反面、先述の通り、既にクシュタールの買収提案ラインには近づいており、実現可能性と時間的価値を割り引いた結果、市場での売却を選んでいる可能性はある。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
普通にやれば圧勝間違い無しの戦いでゼロ打ちの惨敗を喫した反斎藤派と稲村陣営の手落ちについていくつか指摘したい。
ここが今回の一番間違ったポイント。
普通にやればパワハラ他、不適切な行為が認定されたという錦の御旗を持って正式に追い出せた。
マスコミその他の過剰な叩き(不確かな誹謗中傷めいたもの多々有り)にのって、意外と手強い斎藤知事相手に手間を惜しみナメてしまった。
事実認定無しでもいける「だろう。」
全会一致で潰してしまえば立ち直れない「だろう。」
甘い見込みは時にしっぺ返しを招く。
油断大敵
獲物を前に舌なめずり
歯茎を見せる
パワハラ、おねだり、そんな言葉が乱舞しているが、正式に認定されたものが一つも無い。
https://x.com/nittaryo/status/1857773037917196687
一般的な感覚としてのパワハラと、正式に認定されるレベルのパワハラは異なる。
勘違いしないでほしいのだが、斎藤氏の行動に問題が無いとは思わない。
そもそもが百条委員会で結論が出るまで待てばよかっただけの話。
然るべき場所で、第三者委員会にて正式に決定した後に正当な批判をせよという事。
更には百条委員会の情報が流出して、不品行な公務員と、発言を遮り隠蔽しようとする委員長という最悪の構図を生み出してしまった。
そして一般的な感覚としてのパワハラが問題だと言うのであれば、22人の市長を代表して喋った相生市長谷口芳紀氏も批判されなくてはならない。
https://x.com/makkinze/status/1858126392850063489
彼を批判する者が選挙中に稲村陣営から出てこなかった。身内に甘いと言われて反論できまい。
3 無能な味方は敵よりタチが悪い
いかつい顔をした中年や老人がよってたかって若い斎藤氏をボコボコにする構図はダメだ。
パワハラが悪いと言う席で机をぶん殴りながら主張するあの爺さん。お前の方がパワハラやってると思われるよ(偏見)
ちなみに最年少の芦屋市長である髙島崚輔氏は22人のアレに参加していない。よくわかってるね。
そして揉めると出てくるしばき隊他の左っぽい皆さん。都知事選で蓮舫氏に致命的なダメージを与えた件を忘れているのだろうか。
N党立花氏がヤカラのような人員を相手陣営に差し向けて揉めたとの不確定情報が有るが、揉め事の半分くらいはしばき隊の関連じゃないの(半分は立花氏関連だと思う)
今回は水に落ちた犬を叩けとばかりにマスコミ、政治家、各市長、活動家が一斉に殴りかかった。
終盤こそ大勢の聴衆が集まった斎藤氏の選挙演説だが、序盤の集まらない様子を嘲笑う人も多かった。
そんな事をする必要は無かった。
彼にも主張は有るだろう、聞いてあげなさいくらいの余裕を持って戦うべきだった。
選挙の自由は憲法で保証された権利である。彼は知事に向かないと思うが、彼が主張する自由は全力で守る。
斎藤氏の再選はとても危うい。また、N党の立花氏に影響力を与えた結果も憂いている。
その危うさをなくす為に全力で叩き潰そうとした気持ちはわかる。
しかしそれではダメなのである。お題目や綺麗事は手足を縛るかもしれないが、そのラインを超える事は自分の身を危うくする。
パワハラ許すまじと怒り心頭だった皆さん、ご自身の行為もパワハラかもしれないと振り返る勇気は有りますか?
少なくとも、パワハラと決めつけた方は決定前の不確定情報に踊らされている。
おねだりと嗤った人はデマ混じりのワインや家具に釣られていませんか?
あれだけ叩かれた斎藤氏は、辞職直後から辻立ちを開始するわけです。
普通なら家から出られず、年単位で無為な日々を過ごすしかないでしょう。
誰も足を止めず、かけられる言葉は罵声のみ。普通は耐えられませんね。
work996 今時どこの国の誰々に気に入られただのはエンタメでしかなく、安倍ちゃんも仲良くして得るものあったかと言われれば別に無い。そんな個人的でくだらない些事で現代の国家は運営されてない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.ntv.co.jp/category/politics/bb2ef09a197143239c366b8f2b80016d
これは違う。
そのエンタメが政治のあるべき姿として国民に受け入れられている国は存在する。
日本にはその友達ごっこを「本物の外交」として評価してしまう有権者が一定数、いや多数存在する。
つまりトランプと友達ごっこする事の外交上の意味は無いが、彼らへのアピールという政権維持の意味では効果的で、石破もその為にトランプと会おうとしている。
安倍が得たものもそれだ。現に「安倍を失ったのは痛い」「どこかのテロリストが安倍氏を殺害しなければ」とかいうエンタメ脳なブコメであふれている。これはいわばまさに友達ごっこの成果であります。
お話を伺う限り、これはまさに陰謀論の典型的な特徴を持っています。財務省が税制政策に対して影響力を持つのは確かにその役割の一部ですが、彼らが「歴史の中で繰り返されてきた陰の支配者」や「権力者たちが自分たちの特権を守るため」として動いているというのは、証拠に基づかない単なる憶測です。
まず、減税には経済全体に対する多様な影響があり、これを慎重に検討することは政府の重要な責務です。単なる「口先の財政健全化」などという表現は、財政支出の管理や国家の負債削減の必要性を軽視しています。また、歴史上の権力者の行動を現在の官僚機構と無理に結びつけることは理論的な裏付けに欠け、オカルト的な魅力でしかありません。
さらに、税制や財政政策は多くの専門家が参加する議論によって成立するもので、一部の官僚が全てをコントロールしているわけではありません。「歴史を振り返ると」というフレーズや、古代ローマやギリシャの例えを用いることは、事実に基づかない神話を連想させ、現実との乖離を生じさせます。
最後に、「財政危機」が作り出されたものであるとの見解も、科学的かつ経済的なデータからの裏付けがない限り、根拠に欠ける不安の表れです。そのような見方は、人々を恐怖や懐疑に駆り立て、かえって理性的な議論を遠ざけてしまいます。
お前さ、そんなことで悩んでる暇があったら、歴史をちょっと調べてみろって。Sid Meier's Civilization VI はただのゲームじゃねえ、文明の進化そのものなんだよ。
まず、これを理解するためには「文明とは何か?」を考えなきゃいけない。文明っていうのは、ただ技術や文化が積み重なっていくものじゃない。それは国家の歴史そのものであり、経済、政治、戦争、文化が絡み合って形成される複雑なシステムだってことだ。これを理解するには、少なくともアレクサンダー大王やナポレオン・ボナパルトみたいな歴史の巨人たちがどんな選択をして、どういう結果を生んだのかを知る必要がある。
例えば、ナポレオンなんて「戦争を制する者は国家を制する」って信じて、無謀とも言える戦争を繰り返したけど、結果的にヨーロッパの地図を一変させた。文明 VI の中での選択も、まさにこのような形で現実の歴史を再現するわけだよ。
そして、「何をどうすれば楽しいか」がわからないって言ってるけど、これはちょっと甘いな。そもそも、ゲームを「楽しむ」っていうのは、ただ「勝つ」ことだけじゃないんだよ。**「挑戦」があって、「失敗から学ぶ」**過程にこそ面白さがあるんだ。それこそが、古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルの言葉にある「勝者はすべてを支配する」じゃなくて、「失敗からこそ学べ」って考えに繋がってくる。
「ハマる要素が見えない」?それはお前が「成長」って概念を理解していないからだよ。文明 VI は、最初はどうしても戸惑うかもしれない。でも、まるでアルキメデスが「ユークリッドの定理」に気づいた瞬間みたいに、ゲームの中での小さな発見が積み重なることで、あなたの視野が広がるんだ。その瞬間が「ハマる」ってことなんだ。
つまらないって言ってる時点でお前はまだ、文明の「生み出し方」「育て方」ってものを分かっていない。それはまるでアトランティスの遺跡に足を踏み入れたような感覚だぞ。最初は何も見えないけど、じっくり掘り下げていけば、必ずその奥に隠された壮大なものが見えてくる。そこで「やっと面白い!」って思えるわけだ。
お前に足りないのは、忍耐力と好奇心だな。時間をかけて、あれこれ試行錯誤しながらプレイしてみろ。最初から答えを求めすぎるな。歴史的にも、アリストテレスやデカルトのような偉人たちだって、最初から全てを理解していたわけじゃない。時間をかけて、失敗しながら、少しずつ「真理」にたどり着いたんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20241115200210
自分もそんなに経済に詳しくないけどさ。減税で手取り増えてラッキーってそんな単純な話なの?
自分はどちらかというと高所得で、株とか不動産を持っている。だから資産が増えるのは単純に嬉しい。でも国家全体の話を考えたら、岸田の単年度の節税とは違う、基礎控除を大幅にあげるような節税政策はつまりインフレ加速政策じゃないの?
現状の物価高やインフレに対応して、ある程度基礎控除を変動させるべきなのはわかる。ただ、178万まであげるのは妥当なのか?
国民民主の掲げる節税政策や高圧経済で得をするのは誰なのか?これ以上不動産や物価が上昇して普通の市民は困らないのか?それを考えて支持してるんだろうか。
もちろん全ての政策はトレードオフ。小さい政府で続けて行くべきって考えならいいんだけど。そのときに喜ぶのは富裕層や持てる者だけなのでは。
たとえば台湾は別に日本の領土ではないけど、日本とは比較的良好な関係を築いているよね。
沖縄についても、別に「独立国家」にすべきだとは思わないけれども、一般に「日本も道州制を導入すべき」とか「連邦制にすべき」みたいな議論もあるように、沖縄県の独立性を高めた上で、国家と対等に近い形で取引出来るようにした方が、結果的に中国に対する牽制にもなると思うんだよな。