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2022-03-01

1945年日本敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国大陸から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府官僚軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目台湾行政を引き継いでいた。

当初、少なから本省人台湾の「祖国復帰」を喜び[要出典]、中国大陸から来た国民党政府官僚軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人官僚は、当時の国共内戦の影響で(人格的にも能力的にも精鋭と呼べる人材大陸前線に送られており)質が悪く、強姦強盗殺人を犯す者も多かったが、犯人処罰されぬことがしばしばあった。

もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収横領され、上海市の国際市場競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的物価は高騰、インフレーションによって企業倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。

日本統治時代の台湾では、厳しい同化政策皇民化教育)などはあったが、不正は少なく、帝国大学も創設され、インフラストラクチャも整備した台湾経済は、日本内地地方都市を超えて東京市と同じ水準だった[2]。日本統治体験した台湾人にとって、治安の悪化役人の著しい汚職軍人兵士などの狼藉さら経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。

当時の台湾人たちは、「何日君再来」を歌ったり、「犬去りて、豚来たる」(意味:犬〔日本人〕が去れば、今度は豚〔中国人〕が来た。)と揶揄した(犬〔日本人〕はうるさくても番犬として役に立つが、豚〔中国人〕はただ貪り食うのみで、役に立たないという意味が込められている[3])。

 
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