はてなキーワード: 可憐とは
それでもやめられないから恥じらいだけは捨てないように気をつけてる。
セーラー服に似合うよう男らしくない細くて高い声で喘ぐ自分に気がついた時
人の信念とは乙女のような純朴さとひたむきさ。
だからそれを掘り起こして愛でていたい、ただそれだけなんだよ。
それでも涙が頬を伝う日もある。何が何かわからないけど泣けてきて余計に淋しくなる。
出すものすべて出し切っても淋しい。
でも一通りのことやり遂げた達成感から気も大きくなってだんだん心は回復していく気もする。
肝が座っていて男らしいとさえ思うときすらある。
要は乙女の可憐さと野郎の屈強さを一瞬でも兼ね揃えることができるよう精進せえ
ということなのだ。
人は皆心に美少女を宿す。
さあブルマよ。我を包みたまえ!
つらつらと書く。
かたや私は、資格取って職が決まりゃ後はもう一生勉強しなくていい仕事。
私が職場で居眠りしたりネットサーフしたりと公務員的な多忙を極める日々を送る一方で、
彼女は仕事外の時間に自宅で勉強しているらしく、「大変ですね、すごいですねー」みたいな持ち上げ方をしているが
もちろん内心では(ラクして生活費を得られる仕事が一番)としか思っていない。
こちとら別に好きな仕事をして好きに生きているわけではない。生活費を稼がないと餓えて死ぬから仕方なく好きでもない仕事につき、好きでもない連中と毎日顔あわせて、全く興味のない業務に精励しているわけだ。
興味を向けるのすら大変な業務に集中するのは大変な精神的苦痛なので、業務中にネットサーフしたり居眠りしたりしないとやってられん。
まあ私の話はどうでもいい。
彼女は、容姿の割に似合わない婚活なんぞ始めたのは何故かと思っていたが
まずそっけない。メールとか自分から絶対してこない。またメールも短い。
あと女の子扱いを避ける。エスコート的行為は遠慮してくる。全体的に可愛げがない。
これらが砦となって縁遠くなっているようだ、と推測する。
まあ要するに。男なのである。
まあこういう人は結婚なんてシステムに頼る必要など一生出てこないだろう。
それこそ、周囲の友人が結婚したり、親にいつ嫁ぐのかせかされたり、職場で独身に対する視線を感じたりしない限りは。
さて。
当面の私のミッションは、この雄々しき精神を天に突き立てる美貌のお嬢さんを、必要と情の両面から訴えかけ、何とか結婚を前提とした交際関係に移行させることである。
若い頃ならば達成した事もあるミッションであり、実際に実績もある。だがこうして今現在、独身の私が居るのだから、世の中とは本当にわからないものである。
すべてはみじめな失敗であり、大いなる徒労であり、果て無き無力感であり、多額の金銭損失であり、貴重な時間の損失であり、そしてなによりも全精力を注いで邁進してきたはずの結婚の機会の損失である。
麦は踏まれて強くなる。心は折られて固くなる。私のモチベは底を突く。
というわけで、彼女の資格試験終了にかこつけてお祝いをする事になった。
いつも通り。段取りも場所決めも支払いも全部私。まあそれはいい。
どのみち仕事が楽な方があれこれ段取った方が後で揉めずに済む。
今回は特殊なケースなので見合いを申し込んだ側はどちらとも言えない(たまたまお互いがお互いを見合い候補として挙げた為)のだが、まあやる気がある方と言えば私の方、という印象を世話人も受けているだろうし、また彼女もそう思っているだろうから、私が段取りや手筈を決めるのが筋というものだろう。年上でもあるし。
実際は、モチベ不足に苦しんでいるというのが正直なところだ。
外見の良いお嬢さんと男女交際ごっこをするのは楽しいかもしれないが、それがすべて徒労に終わるという経験を何度も何度も積み重ねていると普通に時間の価値を疑い始める。
前向きになろうにも、失う事を恐れすぎて、「まあダメ元で楽しもうか」くらいのどこかヤケクソなポジティブさしか持てなくなる。
それを態度に表さないようにしつつ、逆に「全身全霊であなたと一緒に居る時間を楽しんでいますよ!」というメッセージを表情や態度や言葉で表していかなければいけない。
でもまあ、普通の既婚者はこんな経験もしてきたか、あるいは現在進行形でしているのだろうと思うので、大変なのは私一人ではない。
世の中に夫婦はありふれているが、夫婦の数だけ達成困難な奇蹟が存在しているようにすら見えてくる。
さて、西尾維新ばりの遠回りをしたが、要するに、試験勉強と試験で疲れただろう彼女の慰労をする機会にありつけたが、まったく案が湧かない。
というかモチベーションが湧かない。
店を調べようという気が起きない。どんなおもてなしをするべきか具体案が見えてこない。店を下見に行く気が起きない。店を下見に行く為に外に出る為に着ていく為の服がない、くらいのモチベーションの枯渇具合である。
なのでこうして文章にして考えを構成していこうとしている。いや考えようとしている。
勉強で疲れてるから甘いものがいいのだろう、と思うがそもそも彼女には謎の「絶対に家で夕食をとらなければいけない」という縛りがある為(たぶん親に何か言われるっぽい)、あまりガッツリは食えない。
となると喫茶店でスイーツでも軽くつつく程度で駄弁るくらいがちょうどいいのだろうが、夜遅くまで空いてる喫茶店となると限られる。
ファミレスに行くのも味気ないし、折角ならあまり知らない店に連れて行ってやりたい。
(会う場所は彼女の地元に近いが、彼女は理由があり地元の店をほぼ知らない状態)
遅くまで空いている地元密着型的なスイーツカフェみたいなものがあればいいのだが、そもそも私も彼女もど田舎に住んでいるので小洒落た店などあまり期待できない。
あと彼女の縛りの関係と休みが合わない都合上から、夜に喫茶店で会う機会というのもかなり回数を重ねているので、そろそろちょっと違う趣向も入れてみたい。
メールしてこないし文面もそっけないし夕食も一緒に取らないものの、なぜか彼女は普通の男女交際的なものを望む意見をよく口にし、また実際に付き合いもいいし、口にした約束は必ず守る。
非常に男らしい。悲しい。
顔がかわいいのに男らしい。悲しい。
男として付き合いやすいので、女として付き合いにくい気がする。
私がお見合い的な交際を求める一方で、彼女は通常の男女交際的なものを求めるのだが、若干チョイスが乙女っぽい気がする。
30過ぎて乙女とかwwwウケるwwwとか爆笑してみたら顔面パンチが飛んでくるのかしらと思いながらいつもの笑顔でデートスポットの提案をしているが、何というか、型どおりのデートコースを好む。
堅い趣味を持っているのだが、そちらに寄ると自分一人で楽しんでしまうという理由で、自分の趣味に寄せない。
型通りのデートを重ねて距離が縮まるケースはあまり無いと経験上思うが、まあ婚活歴も長いといかに相手に合わせるかしか考えなくなってくるので、彼女の意向に従うのみだ。
敷かれたレールの上で私が努力すればいいだけの話だ。
彼女の事をこんなに書けるのに、いつもモチベが一向にわかないのは、一体何故だろうと考えた。
おそらく、新しく知り合ったばかりの彼女との新しい交際に、私がまったく新鮮味を感じていないからだろうと考える。といっても彼女が悪いわけではない。私が悪い。
ずっとずっと昔。将来の指針を定めるべき時期、長く付き合っていた交際相手にプロポーズをし、熟考ののちOKを貰った。
その時はそれでハッピーエンドだと思っていた。
それ以後はもはや何ひとつ信じられなくなったし、十年は交際相手すら持てなかったし、その後の異性との交際にも否応なく失望交じりの未来予測が混じるようになり、世の中の全ては新鮮味を失ったように感じられた。
私とその女性の結びつきよりも、女性とその男との結びつきの方が強かったんだと思い込もうにも、私との婚約を破棄した彼女が、その三華族だか言う家柄のいい男の嫁に収まるはずだった彼女が、就職後男に浮気されて簡単に別れていた。それも堪えた。
もちろん、今の彼女にはこれっぽっちも関係ない話なのだが、それでもどこかに「全力を尽くすまい」「保険をかけよう」「裏切られた時に備えよう」とする私がいる。
こんな些事に限らず、世の中の残酷さってのは色々な形で我々に襲い掛かってくるのが普通なのであって、その理不尽さに慣れてなければ社会で生きてなどいけない。
でも、ここで全力を尽くさず、保険をかけ、裏切られた時に備えるのは違う気がする。一番信頼するようになりたいと考えて付き合っている相手を全く信頼しないのと同じ気がする。
でもできない。そうは思ってもできない。
だらだらと書いていたらある程度の方針は固まった。
具体的なイメージが少しは湧いたから、想像も楽になって、店を探す気にもなってきた。
よし。店を探す。
どうも増田です。
クラウドソーシングでライトノベルを書いてもらったらどんな感じになるのかなって。それで募集かけたら心躍る作品が寄せられたので、ここで紹介したいと思います。
利用したのはランサーズ。有名どころで。簡単なテンプレプロットだけを用意して「これを参考にして」って感じで依頼を出しました。
そして、いただたいた作品はこちら。
……暑い。暑すぎる。
もうどれだけ砂漠の中を歩いただろうか。朝と夜が何度巡ったか数えるのを止めてから、日付の感覚が無くなってしまった。それでも、重い足を引き摺って、俺は歩き続ける。しかし、太陽は容赦なく俺を照り付ける。
もう、限界かもしれない。
と、諦めそうになったそのとき、揺らぐ視界の先に、ひとりの少女が見えた。
美しい。この手で、触れたい。
朦朧とする意識の中で、俺はそう強く思った。とうの昔に動かなくなっていてもおかしくない俺の足は、その少女に向かってよろよろと歩を進めた。
しかし、少女が俺の存在に気付き、視線を交わしたと思ったそのとき、どうやら俺の体に限界が来たらしく、そこで俺の記憶は途切れてしまった。
* * *
「あら、目を覚ましたわ。マルジャーナ!いらっしゃい!見て、目を覚ましたの」
薄く目を開けると、そこには途切れる直前の記憶の中にいる、あの美しい少女が、興味深いものを見るような目で俺を見つめながら、大声で人を呼んでいた。
マルジャーナと呼ばれた少女が慌しくやってきて、目を覚ました俺の姿を認めると、急いで水差しを持ってきてコップに水を注ぎ、俺に差し出した。
喉がカラカラに渇いていた俺は、思わずそれを奪って飲み干すと、「おかわり!」と叫んでいた。
「まぁ、野蛮ですこと。マルジャーナ、甕にいっぱい水を持ってきなさいな」
「かしこまりました」
マルジャーナは二つ返事で踵を返すと、部屋を後にした。
「お……お前は、誰だ?」
「あら失礼、申し遅れました。わたくしの名はシャハラザード。この国……セルジューク帝国の皇女ですわ」
「セル、ジューク……セルジューク!?ここがあの、セルジュークなのか!?ということは、お前は……!」
俺は飛び起きた。が、何日も寝ていたらしく、凝り固まった体を急に動かしたためか、腰からビキッと嫌な音がして、激痛が走った。
「いっ………てぇ!」
「大人しくなさい、野蛮人!」
「野蛮人じゃねぇ……俺の名はアリババ。アリババ・ディアーブだ」
「ディアーブ……?どこかで聞いた姓ねぇ。どこだったかしら……」
「ふざけるな……3年前にてめぇが無残に処刑した、大盗賊ガラン・ディアーブの名を忘れたのか!」
「あぁ、あの盗人ね!わたくしの飼っている可愛い“ペット”のエサにしたのよ」
数年前まで、アラビア中を恐怖に陥れた大盗賊ガラン・ディアーブは、他でもない俺の父親だ。父親、と言っても血は繋がっていない。娼婦だった母親がどこの誰だかわからねえ男と勝手に作って勝手に生んで、名前も付けないまま捨てられた俺を、父・ガランは拾ってくれて、立派な盗賊に育ててくれた。俺はガランを心から尊敬し、親父と呼んで慕っていた。
しかし、近年急激に勢力を伸ばし、遂にアラビアを征服したセルジューク帝国は、あんなに大盗賊と恐れられていた親父を、いとも簡単に捕らえてしまったのだ。
俺はすぐに帝国へ復讐しようと40人の盗賊仲間をけしかけた。しかし、最長老の爺さんが、俺を止めた。
長老が言うには、セルジュークはアラビアにはいなかった魔法使いの勢力で、親父もまたその魔法の餌食になり捕まってしまったらしい。
また、セルジューク帝の一族、特に処刑を実行した皇女シャハラザードは化物のような魔法生物を何百・何千と子飼いにしていて、王宮に忍び込もうにもそんな化物たちを何匹も倒さなければいけない。そのため、復讐にも準備が必要なのだ、と。
復讐のために俺達は、セルジュークの魔法のことを徹底的に調べ上げた。主義には反したが、自分たちでも身に付けることにした。そうした中で、親父は処刑として皇女子飼いの化物に食い殺されたこと、その処刑は王族のためのショーとして披露されていたことを知った。
そして3年。俺の40人の仲間達は復讐を企てる過程で、ある者は逃げ出し、ある者は野垂れ死に、ある者は殺され、そうこうするうちに、また俺はひとりぼっちになってしまった。
だが、子供の頃とは違う。俺には親父に貰った「アリババ」という立派な名がある。仲間達との思い出がある。だからこそ、ここまで来られたんだ。
「だから俺は絶対にこいつを殺し、この国を潰してやるんだ……」
「何をひとりで語ってらっしゃるの?」
「え!?」
どうやら声に出ていたらしい。俺としたことが……。
「っ、痛……!」
「あら、やはり体が痛むようね。マルジャーナはもう少々時間がかかるようですし、わたくしが応急処置をいたしますわ」
そう言うと、シャハラザードは踏み台に乗り、背伸びをして棚の上を探り始めた。と、その時。
「キャッ…・・・!」
踏み台がぐらつき、シャハラザードは無様に床へ落ちてしまった。
「お、おい!慣れねぇことはする、な……っ!?」
痛む体を押して身を起こすと、そこには筒状の装束を無様に捲れ上がらせ、こちらに尻を向けて床に倒れ込むシャハラザードの、
「ぱっ、ぱん………」
「い、イヤーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
絹を裂くような悲鳴が、王宮に響き渡る。
「う、うるせえ!静かにしろ!」
俺の制止も空しく、シャハラザードが叫び続けると、先ほどのマルジャーナが猪突の如き勢いで部屋へと戻ってきた。
「シャハラザード様、どういたしまし……こ、このお姿は……まさか、貴様ッ!」
「おおお俺じゃねえ!こいつが勝手に……!」
と、その時、シャハラザードが装束を調えながらユラリと立ち上がり、
「マルジャーナ、ごめんなさいね。わたくしとしたことが、取り乱しました」
「分かっているわ、マル。セルジュークの女傑にとって、婚前の娘が許婚以外の殿方に下着を見られることは、すなわち死を意味します。この屈辱は、わたくしが、みずからの手で晴らします」
「……!!!おい貴様、まずい、逃げろ……!」
「え、え!?」
敵意を剥き出していたマルジャーナに突如「逃げろ」と言われ、俺は面食らった。
と、次の瞬間には赤い閃光が部屋を包み、気付くと俺の体は宙に浮いていた。
「花よ、鳥よ、風よ、月よ。セルジューク第三皇女・シャハラザードの名の下に、大罪人に死のダンスを」
シャハラザードが呪文を唱えると、部屋の四方から魔方陣が浮かび上がり、俺の四肢を固定して引き裂こうとした。
が、しかし。
「ハァッ!」
「な……ッ!?どうして、蛮族が魔法を……?」
俺は3年間の復讐生活の中で、かなり複雑な魔法まで理解でき、分解できるようになっていた。セルジューク国民以外が自分の魔法を分解出来ることに、シャハラザードはかなり驚いているようだった。
「……なるほど、あなたの実力は分かりましたわ」
「分かったか!だったらこの場は一旦……」
「わたくしの持てる全ての魔力を、次の魔法に注ぎ込ませていただきます」
「シャ、シャハラザード様!いけません、ご自分を見失っては……!」
「はぁぁあ……………」
マルジャーナの忠告に耳を傾けることなく、シャハラザードは全身に魔力を漲らせた。
魔力が赤い光となってシャハラザードの体の回りに揺らめくと、地面が強烈に振動し始めた。
「い、いけません!このままでは王宮が崩れて……キャァッ!」
振動で倒れてきた棚が、マルジャーナのすぐ近くを掠めて倒れた。
いけない、このままでは無関係な召使たちまで巻き込んでしまう。
かくなる上は、いちかばちか……
「やめろォォォオオオオ!」
そう叫びながら、俺は皇女に飛び掛った。
俺は3年間の修行の中で、自分の手に触れた魔法を分解する能力を手に入れた。だから、術者であるシャハラザードの体に触れれば、あるいは彼女の大魔法をも沈静できるかもしれない。
「…………………………止まったか……?」
無我夢中でシャハラザードに掴み掛かり、床へ倒れこんだ俺は、状況が上手く把握できなかった。しかし、振動は止んでいる。どうやら俺の作戦は成功したらしい。
が、何故だ?マルジャーナが俺を蛆虫でも見つめるかのような目で見下ろしている。
というか、何だ、この柔らかい床は。
「………ぅ、ひっく、ひぐ…うぇーーーーーーーーん」
突如、俺の体の下から泣き声が聞こえてきた。
床から体を離すと、俺の腕の中に入るような形でシャハラザードが横たわっていた。
そして、俺の右手は、しっかりとシャハラザードの左の乳房を掴んでいた。
「っうああああああああああ悪い!本当に済まねえ!!違うんだ、俺はこの手に触れた魔法を分解できるから、その、違うんだ!断じて!そんな!つもり!でh」
俺の息も絶え絶えの弁解は空しく、俺の右頬に物凄いスピードでシャハラザードの平手が飛んできた。あまりの衝撃に、脳が揺れる。
「そこは魔法じゃねえのな……」
そこで再び、俺の記憶は途切れたのだった。
── 『アリババと40人の盗賊と史上最凶の姫君と!?』 Øさんの作品でした。
まだその原因が風だったら、彼女がこんなに怒り狂うこともなかったかもしれない。あるいは水たまりに映ったのを偶然、たまたま、思いがけず見てしまったとしたら、こんなことにはならなかったかもしれない。白にピンクのリボンが付いていたなんて、一瞬にしてこうも細部まで把握してしまう自分の性が誇らしい……じゃなくて、今は憎らしい。
「そこの男、待ちなさーい!」
烈火のごとく、この表現が最適だ。なんて考えている場合じゃなかった。彼女はおっとり清楚系の容姿からは想像もつかないようなスピードで追いかけてくる。
「わざとじゃないんだー」
いや、まさか、あのタイミングで傍に女の子が立っているなんて気付かなかったんだ。
数分前、胸ポケットに入れていたペンを街で落とした。ぼく以外の人間はこれを使って魔法を自在に操るんだけど、ぼくにはなぜか魔法の素質がない。普通の人は命の次くらいにこのペンを大事にしているらしいが、ぼくにとってはいたって平凡なペンぐらいの存在でしかないので、外出時に胸ポケットに放り込むくらいにはぞんざいに扱っていた。
「なんだよ、まったく」
こけはしなかったが、小さい段差につまずいた途端、学校で支給されたこのペンがポケットから飛び出たのだ。ぼくはそれを、何の躊躇もなくしゃがんで拾った。そして、何の考えもなしに空を見上げた。その瞬間が、彼女との、いや、彼女の下着との出会いだった。
「許さないんだから、許さないんだから、許さないんだから、許さなーい!」
だって、飛行機が飛ぶ音がしたと思ったんだ。昔、人間は飛行機とやらの飛ぶ羽のついた列車に乗ってあちこちを旅したという。でも現在は魔法を使って自分でどこにでも行けるので、飛行機はめったに見られない。何かのイベントでもない限り、事故の原因になるので披露されない。
魔力も体力もほとんどないぼくだが、真っ赤になって飛んでくる彼女から逃げるため、必死に走る。
彼女はものすごい形相で追いかけてくる。もし今、彼女を横から見ることができれば、なびく腰まである長い髪はとてつもなく美しいだろう。けれど、真正面からしか今のぼくにはとうてい無理な話だ。
なんでぼくがこんな目に。ただペンを落としただけなのに。ペンのバカ野郎。たいして役にも立たないくせに。飛行機のバカ野郎。結局見れなかったし。
人をかきわけ、大通りを突っ走る。ぼくは魔力が極めて少ないので飛ぶことはできない。飛べたらとっくに逃げ切っている。
後ろを向くと、まだ彼女はあきらめない。なんて日だ。ピンクのリボンが付いて、あっさりとしたレースのある白いパンツを見てしまったばっかりに……。
でも、もう限界。息がつづかない。ぼくは足を止めた。
振り返ると、彼女はペンを高々と振り上げていた。そして、頌栄を始めた。もしかして、魔法を使うの? あきらかに虚弱なぼくに?
「滅びよ! ゴルゴダのイカヅチ!」
やっぱりー! って、関心している場合じゃない。思わずぼくはペンを取り出し、落ちてくる雷を受け止めた。
辺りにまばゆい光が広がり、すぐに消えた。
「えー、なんでー!?」
あれ? たしかに持てる魔力の全てを込めてペンをにぎりはしたけれど、まさか無効化できるなんて。しかも、ぼくの学校でもできる人が少ないゴルゴダの魔法を……。
「あなた! 今、何をしたの! 私の魔法を無効化できるなんて、できるなんて生意気よ!」
彼女の髪が舞い上がっているのは、目の錯覚ではないだろう。そして、きっと漫画的な怒りを表す効果でもないだろう。これは、人が持てる全魔力を一度に使おうとした時に現れる、女性特有の……。
ものすごい魔力だ。髪どころか、さっき覗いてしまったスカートまではためいている。
「許さないんだから、許さないんだから、許さないんだから、許さなーい!」
彼女はまばたき一つなしに、また頌栄を始めた。いや、まさか。さっきのゴルゴダのイカヅチだって、人に向けちゃいけない魔法の一つだって、教わっただろ?
天国から地獄にたたき落とされるほどの衝撃だというこの世界最大級の大魔法。どうせぼくには使うことも、ましてや受けることも絶対ないだろうと、教科書には乗っていてもその存在くらいしか知らなかった魔法。
「だったら、なにー?」
頌栄と共に、彼女の足元に魔法陣が完成していく。見回すと、ぼく以上に街の人たちはパニックになっていた。それもそうだ、この街一つ消し飛ぶくらいの魔法なんだから。
「やめろ、やめろ。や、やめてください!」
「よくも私のパンツ見たわねー! それに、私の魔法を消すなんて、消すなんてー!」
このままでは、ぼくの人生どころか、ぼくの街も終わる。
あのペンさえ、彼女のペンさえ奪えれば、どんなに頌栄をつづけても魔法陣は消える。どうにかしなきゃ。どうにかして彼女から取り上げなきゃ。
ぼくは走っていた。もうヘトヘトで足がもつれて仕方ない。けれど、彼女の方へと走った。もう時間がない。
頌栄は最後のフレーズに入った。ヘブントゥーヘル、発動まで後五秒……。急げ、ぼく。
残り、四秒……。やっと魔法陣の中まで入った。すさまじい魔力に、全身の毛穴から汗が沸騰したかのように吹き出る。
残り、三秒……。
「やめるんだ。ぼくが悪かったから!」
「そんなの当たり前でしょ!」
残り、二秒……。
彼女の握るペンに手をのばす。けれど彼女はそれを避けるように腕を振り上げた。
「ペンを離せ!」
「いやよ! 私に命令しないで!」
一秒……。
彼女が自分の胸の前でペンを抱きしめるように握り締めた。よし。そこなら届く! ぼくはペンに力いっぱい腕を伸ばした……
あれ?
ペンじゃない。
でも、ヘブントゥーヘルは発動していない。おかしいな。ペンを奪わずに魔法が止まるなんて。
足元の魔法陣は、きれいさっぱり消えていた。
「あー、よかった。ヘブントゥーヘルなんて発動したら、どうなってたか……」
目の前の彼女は、ぽかんと口を開けて微妙だにしない。魔力を使いすぎたのかな。もしかして、もう気が済んだとか?
でも、あれ?
なんだ、この手のやわらかな感触は……。思わずたしかめるように、指先を動かしてみる。
みるみる真っ赤になる彼女の顔。
「キャーー!」
バシーーーン!
「許さないんだから、許さないんだから、許さないんだから、許さなーい!」
脳みそが、揺れる。なぜかこんな時に、ピンクのリボンの付いた白いレースの下着を思い出す。素材はそう、綿じゃなくて、ツルツルした感じのサテンだった……。
── 『ぼくと彼女のペンの誤り』 春野かなたさんの作品でした。
いかがでしたでしょうか。みなさん普段使いの場所で構えずに感想を書いていただければなと思います。
さて、依頼してみて分かったことをさも知っていたかのような素振りで書いていきます。そんなに長くないので、ご参考まで。
「タスク方式」で依頼したため、応募は早い者勝ち。執筆時間に制限を掛けなかったので、とにかく名乗りさえ上げてもらえば、じっくりと時間をかけて執筆していただたける。無用な制限はよくないね。低単価と短納期と高品質は、小学校の算数でやった「はじきの法則」に似ている。金と時間をケチるなら品質はそれなりよ。とか言いながらもやっぱムリな場合、応募後に難癖をつけて受け取りを拒否することもできるけど、3,000字も書いてもらって後から無碍にするのはゲスい。
メッセージやファイルのやり取りで、うまいこと交渉しつつ修正を掛けてもらうこともできるので、そうゆう事態のために単価はチョイ増しするのがよろしい。
今回の依頼件数は1件だけだったけれど、実は1人目の方の執筆中に書き上げてくださった方がいたので、そちらも買い取らせていただきました。その書き上がりが依頼登録から2時間後のこと。その後1人目の方がキャンセル、そして3人目の方が原稿をアップロードして募集終了になったので、もしかすると他にも構想を練っていた方がいらっしゃったのかも。選手層ぶあつい。募集条件外の取引なら新しい依頼を立てればいいだけだし、特定の人だけに直接依頼することもできるんです。ランサーズはユーザー間の合意が全て(すいません利用規約もあります)。お互いに得をするなら(金銭授受さえランサーズでやれば)取引方法は自由なんです。
でも今回はつつがなく終わりました。お二人共ありがとうございました。
欲しい点だけ指示して、後をぜんぶ丸投げするならランサーズおすすすめ。依頼者がこだわると、どこまでももつれるからね。
今回とは違う「コンペ方式」で依頼すれば、大勢の作品から1つ選んで「あとは要らない」って言っちゃうこともできる。でもガッツリ書いてもらってから無碍にするのはやっぱりゲスいので、ほんの一部ややや詳しいプロットを出してもらうのがいい。本格的に書いてもらうのはこの人と決めたひとりだけ。変則的な募集方法でも事前に明示していれば問題なし。(ただし規約違反っぽい記述があると、誰かがランサーズ事務局に通報しただけで中断させられることに。説明を求められちゃうので注意)
また合意さえあればいいので、どんなに低単価・短納期でもやる人間がいればおk。ありえない報酬でも実際に成約しているから現在の相場ができた、というわけなのです。公式サイトじゃないけどこの情報によると月25万円稼ぐ人は現在100人しかいないらしい。毎月収入がある人でも1,000人。まー請負には法定最低賃金とかないんで。むきゅー。なにやらその1,000人を1万人に増やしてかつ食べていけるまで増額するのが今年の目標だ、とも書かれているけどね。一方で総務省によると「右肩上がりの成長市場」らしいっすわ。安倍政権の「一億総活躍社会」の基盤になるかもと俺に期待されてるのがランサーズのシステムなんです。いやいいんですよ一億総活躍社会には労働力人口の確保が必要なんだから。まっとうな額にするのは二の次。いやいや成長市場なんだから心配無用。
あと依頼する側として気になるのは剽窃? 400字100円の原稿を何百件も募集するようなケースだとコピペチェックが問題になってくるらしい。超限界価格によって試されるのはスピード感(マイルドに言うと生産性)だからね、ダメ元でコピペぶち込んで来る人もいる(という先入観がある)わけで。そこで法人にはランサーズ開発部謹製の「コピーコンテンツチェック」が提供されている。どんなデータに基づくのかは秘密だけど、コピペはこれで見つかる(という幻想を見せる)スグレモノだ。これで著作権侵害からの損害賠償リスクを無くすことができる(と思われている)。実際に問題になってるのはデザイン方面や依頼側の著作権侵害なんだけど。
件の記事についたブコメを読むと「ラノベも書いてもらえるんだ!」と思った方は多いらしい。でもなんでもアリなんですよ。ふふふ。こっち系の小説執筆依頼なら他にもありました。それに抱き枕の作画を依頼する人もいるんですよ。こちらは当方注目のクライアント様っす(完全受注生産でカバーの販売もしているみたいっす)。あとは二次創作イラストをポートフォリオとして公開している絵師さんもいるので、みなさんも2万円くらい用意して何か考えてみるといいですよ。相場の現実感を上げてください。
あのと*科*超*の設定で落第騎士か精霊使いの筋書きをなぞったようなテンプレプロットから、全く世界観の異なる2作品を作って頂きました。原稿をもらった後にも作者名掲載のお願いをしたりして、ちょっと日常には無い経験ができました。もし自分が受注側としてモノ書きをしていたら参考にしたいし「レクチャー」を依頼することもあったかも。実際「Skypeなどでアレコレ教えてほしい」という依頼はあるみたい(でもかなりの高ハードルなため、相応のハイジャンパーしか応募しない)。
久しぶりに見てみるとココナラも賑わってる様子。こちらは受注側が露店開いて待ち構えている(イメージの)サイト。「金払えばはてブ付けます」サービスは一掃されてしまっていた。今回お世話になろうと思っていたのに。
(この記事本文はクラウドワークスで執筆依頼させていただきました)
改訂履歴
http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/sum_E1448932351189.html
このポスターの是非について論じることはしない。ここでは、この一件にも見られる、萌え絵というだけで女性差別とみなしバッシングしているように見える人々の背景と、そのような態度の妥当性について検討する。
戦後なお女性蔑視的な風潮が続いた日本において、女性性*1をメディア上で描く=男性が自らの欲望を満たすための娯楽(あるいは男性による女性の支配を追認・再生産させる手段)という側面が非常に強かった時期があり、そのような表現がおおっぴらに流通していた*2経緯がある。最近でこそそのような空気は薄れてきてはいるが、その時代を生きてきた人々にとって、女性性を前面に打ち出した表現は、子細を精査するよりも前に「女性蔑視ではないか」と身構え疑ってしまうほどには、女性性の表現を巡る当時の状況は酷かったと言える。
このような、女性性の表現に対する条件反射じみた反感を植え付けられてしまっている人々が、いわゆる萌え絵を見た時、「これを描いた男性イラストレータ*3は、彼自身または受け手たる男性*4の、女性蔑視の感情=女性全般を支配下に置かんとする欲求を満たす意図で、このような表現をしたに違いない」という予断を持ってしまっても、無理からぬことだろう。件のポスターに対する反発に限らず、萌え絵に対してしばしば起こるバッシングは、こういった人々の心性 ― 萌え絵フォビアとでも呼ぶべき感情傾向がその土壌となっているのではないだろうか。
問題は、このような女性性の表現に対する感情的反発が、時代の移り変わりによって、表現に対する批判としては失当になりつつあり、場合によっては女性に対する抑圧として作用してしまうことにある。
今や、女性が自発的な意思によって自身の女性性をアピールしアイデンティティとしている時代である*5。女性性は、男性が一方的に支配下に置いて楽しむものではなく、数多ある美的尺度の1つとして、誰もが臆面なく表明できる選好という地位に納まりつつある*6。
このような状況に至るまでの過程において、80年代から90年代、若い女性が肌を露出したファッションをすることに、多くの年配者が「はしたない」「ふしだらだ」などといった反応をした。この現象は、フェミニズムの正道からすると「男性優位な社会において女性性の発露は男性がコントロールすべきとされていたところ、女性たち自らがその発露の自由を取り戻そうとしたため、男性優位な社会を是とする保守勢力の反感を買った」という理解になる*7。ブルカ着用の義務がしばしば批判されるのも、同様に、女性性の発露を男性がコントロールし続けようとする制度として理解されるからだ。
そういう過程を経て、現在では、女性性を強調したファッションや言動に対して苦言を呈することが、逆に差別や抑圧とみなされうる。このことは、女性解放*8の流れの中で達成された一定の成果だと考えるべきだろう。
これと同じような変化が、オタク文化やオタク個々人にも起きている*9はずで、実際、女性性を前面に押し出したイラストすなわち萌え絵を自分の意思で描いている(自身の娯楽として同人活動などを通じ発表している)女性イラストレータなどは枚挙に暇がない。送り手がそれだけいるなら受け手も同じで、萌え絵を肯定的に受容している若い女性オタクも多かろう。
放送当時はナデシコを評して「女を知らない連中が作ったアニメ」と面と向かって女性から言われたけれど、今はむしろ、女性から「ユリカ可愛い」と言われたりする。世の流れは不思議なもの。
以上のような事情を踏まえれば、ある表現が女性性を強調していることのみをもって即座に女性差別的と断ずるのは誤りだということがわかるだろう。送り手も受け手も、女性性を1つの美的尺度として称揚しているだけで、ことさらに特定の女性ないし女性全般の人権を軽く見る意図は(意識的にも無意識的にも)無しに当該表現を楽しんでいるという可能性は、今の時代においては非常に高い。そのような実態を踏まえずに「このような表現まかりならん」とするのは、露出の多いファッションを楽しむ女性にブルカを強制するのと何が違うのだろうか。
もちろん、日本の社会から女性差別が消え去ったなどと主張するつもりはない。公職・要職にある人物の差別的発言は今なお頻繁に報じられるし、女性差別的な広告がメディアを騒がせることすらまだまだある。
しかし、であるならば、個々の事例において女性差別に当たる箇所を具体的に挙げて糾弾すべきなのだ。それを怠り、女性性を強調する表現は即アウトという論に終始することは、その表現を支持しているかもしれない女性たちに対する抑圧として機能しかねないし、ようやく叶いつつある女性性の男性支配からの解放という成果を毀損し、さらには女性差別の観点からの表現批判という立場全体の信頼を失墜させてしまう。現に、はてなにおいてすらフェミニズムを軽蔑する風潮が生まれつつあるのは、この手の幼稚な言説が蔓延ったことの影響が大きいように思う。
なお余談だが、ミスコンを巡る議論についても類似の問題として考えることができる。女性性が数多ある美的尺度の1つに過ぎないのなら、その尺度の高さを称揚するかぎりにおいては(その尺度で低いものを侮蔑するのでなければ)、身体能力を称揚する各種スポーツ大会や知的能力を称揚する数学オリンピックなどと同様に、問題ないものとして受け入れられるべきだろう。要は、男性の視線が女性を一方的に値踏みしてはいまいか、という匂いが疑われているのである。例えば、審査員が男性ばかりで固められていたり、女性以外(MtoFや女装趣味の男性)の参加を拒んだり、入賞経歴がTV局アナウンサーとしての採用において最重要視されたりするようなことがあれば、このような匂いはよりいっそう強く感じられるだろう。
繰り返しになるが、ある表現が女性性を強調していることのみをもって女性差別的と断ずるのは、かえって女性に対する抑圧として機能しうる。かつて当たり前のように女性性が男性の支配下に置かれていた時代ならば妥当だったかもしれないその反応も、女性性が女性たち自身の手へと取り戻されつつある現状では、女性性の発露そのものをタブー化し、結果として女性性を男性の支配下へと送り返しかねない危険すらあることに常に注意しなければならない。ある表現に女性性が見受けられたなら、そのことだけで感情的反発を起こすのではなく、それが女性蔑視の価値観から生まれたものなのかどうかを丁寧に検証したうえで慎重に論じるべきだ。
端的に言うなら、萌え絵フォビアを動機としただけの主張は(女性たちにとってかえって有害なほどに)表現批判として雑すぎる、ということに尽きる。
*1 ここでは大まかに、少女的な可憐さや熟女的な色気といった要素を含む、女性ジェンダーに特有と見做される性質全体を指す概念としてひとまず定義する
*2 ポルノメディアのようにゾーニングされた表現ではなく、広告など公的なメディアにおいてさえそのような表現がしばしば見られたし、そもそも当時はポルノメディアのゾーニング自体が今よりもずっと緩かった
*4 その絵を楽しむ女性がいる可能性を想定できない
*5 ファッションなどはもちろん、女子力という価値観が肯定的に捉えられ浸透していることもその一環として考えられる
*6 LGBT・女装男性に対する若者たちの寛容さや、前述女子力が男性にも適用しうる肯定的評価と見做されていることも、選択可能な多様な価値観の1つとしてジェンダーを捉えるこのような大きな流れの一部だろう
*7 「女性が扇情的な格好をするのは、そのほうが男性優位な社会において有利に立ち回れるからor女性蔑視的な価値観を内面化してるからだ」などと主張する者もいるが、実際にそのようなファッションを楽しんでいる女性たちにとっては言いがかりでしかないだろう
*8 あるいはジェンダーフリー
*9 一般社会における女性解放の価値観が、オタク周辺に関してだけは反映されず今なお男性優位な価値観が支配的である、と無根拠に主張するなら、それこそオタクに対する差別に他ならない
あまりにけなげで泣けてくる。
これだけ協力すればいざという時助けてくれるはずだって、可憐すぎでしょう。
言うべきなのは「安保法案を通せばアメリカは尖閣に中国が攻めてきたときには必ず宣戦布告してくれる」じゃないの。
まあ尖閣有事の際には(安保法案が成立した後でも)アメリカがコミットするかははっきりしないので、そういうことは言えないだろうけどね。
アメリカにとって中国を敵に回すのと日本に我慢させるのととはどっちが簡単かということだし。
今回日本はアメリカの忠実なポチであり、何を要求しても一切文句を言わず従う国であることを明らかにしたので(せめて維新の修正案を呑んでいれば… )アメリカがコミットしない可能性がより高まったとも言える。
安保法案は、北朝鮮が暴発して韓国に進攻・日本にミサイルを撃ち込む可能性がある以上必要なものであるとは考えているが、現状の法案では自衛隊の血が最初に流れるのは極東以外の地域になるだろうね。
その時にけなげな人々は「これで対等なパートナーになったのだから地位協定撤廃・思いやり予算減額させろ」とアメリカに言わないで、ただ英霊をたたえるのみ、のような気がする。
今年は腋汗を抑えるいろいろな製品のCMを見かけた。昨年なんかより多くなっていると思う。先駆的製品である腋汗パットを筆頭にいろんな方法で腋汗が服ににじむのを抑えたり、汗のにおいを低減する製品がテレビCMに踊った。でもこれでいいのだろうか。トリンドルが腋になんか塗ってるCMがあった。トリンドルが塗ったあれで発刊を抑えられるのだろう。あんなトリンドルみたいな可憐なお嬢さんが、腋の汗を強制的に蓋をして良いのかと思う。これって怖いことだ。人間の摂理にある種反している。汗、かいたって良いじゃん。仕方ないじゃん。でも21世紀とはいえそうはならない。ある民族が成人の儀礼で身体を傷つけるのが当然と同様に、現代日本では腋汗がにおったり服ににじんだりするのは当然恥たるものなのだ。トリンドルのような可愛らしい女性が自然の摂理に反して腋汗を科学的な製品で強引に蓋をして、それがさも当然であるかのように可憐にCMに登場する。石狩川はかつて蛇行し北海道を流れていたが、相次ぐ洪水は開拓の妨げになった。そこで国家は石狩川の流路を強引に変えた。石狩川は100キロくらい短くなったんじゃないだろうか。利根川もひどい。強引に水の流れを変えたのが現代で、これは腋にも言えることだ。トリンドルのようなほんとうにふんわりとした3か国後に堪能な可愛らしいお嬢さんのような人物がCMにでて腋に腋から出る汗を抑える科学的製品を塗る。これは現代の暗渠だし、不自然であるものの何故か日本人はもうそれを当然と思っている。成人の儀礼に刺繍をする異民族に違和感を持つにもかかわらず、腋の汗を抑えるために何かを腋に塗りたくるのには違和感のないのが日本人なのだ。
例の紐でわだいになってた『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』の第1巻を読んでみたんだが、日本語の誤用がひどくてつらかった。
狭窄するのは視野。
静謐って「シーン」ということばが似合うくらい静かなことを言うのだけど、鳥の声がするの?
枚挙に暇がないって、(例を挙げようとすれば)数え切れないくらい多いという意味で、単純にたくさんって意味で使うことはないと思う
汗でプールでも作った?
頭痛が痛いってやつですね
他にも、序盤も序盤で、ミノタウロスに牛頭人体って漢字を当てておきながら、いきなり蹄が出てきたり。
ちょっと読んでいて辛かった。
こういうのって本を出す前に編集者から指摘が入ったりしないのだろうか?
辞書ではこんなかんじ。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/
あることをなすために仲間が団結する。「―・んで謀反を起こす」
極めて詳しく細かいこと。たいへん綿密なこと。また、そのさま。「―を極めた細工」「―な観察」<<
すぼまって狭いこと。また、そのさま。「海峡の―な部分」「視野―」
1 静かで落ち着いていること。また、そのさま。「深夜、書斎に過ごす―なひととき」
2 世の中が穏やかに治まっていること。また、そのさま。「―な世情」
清らかで美しいさま。可憐 (かれん) で美しいさま。多く若い女性についていう。「―とした人」「―たる風情」
たくさんありすぎて、いちいち数えきれない。「同種の事例は―・い」
1 液体などをいっぱいに満たす。「池に水を―・える」「目に涙を―・える」
2 ある表情を浮かべる。感情を顔に表す。「満面に笑みを―・える」「愁いを―・える」
1 多くの人が垣のように立ち並ぶこと。「沿道に歓迎の―ができる」「―をかきわけて前へ出る」
「はあ、またゲームばかり」
ウイニングイレブンをプレイしながら合間に携帯でツイッターを覗いた僕の手は止まった。またこれか。
彼女は言いたいことを直接言わない。なぜか遠まわしにツイッターを経由して言うのだ。
ゲームばかりで私に構ってくれない、どうして?そう言いたいのだろう。けれども、直接は言ってこない。
こういった発言の一番卑怯なところは、どうにも返答しようがないという点だ。
「返事が遅くてごめんね。やっぱ会議中とか携帯見れないからね」
と返答すれば済む話だが、それも変な話なのだ。彼女のツイッターの発言に返信したり、あるいは直接返答をしてはいけないのだ。
この種の彼女の発言は、あくまで僕が見ていない、見れていない、という前提で成り立っているのだ。見ているのは知っている。けれどもその建前なのだ。僕に言ってるんじゃない、中空に言ってる体裁に近い。それに返答するのはおかしい話、そんな暗黙の了解が成り立っている。
別に返答したところで彼女が拒否するわけではないだろう。ただ、自分の満足する返答でなかった場合、「そういうつもりではなかった」という逃げ道を準備しているのだ。
そう言えば、彼女は
とでも理解ある彼女を演出するだろう。「いつも返事が遅いのは私のことなんてどうでもいいから?」なんて発言は、別に構って欲しがりの面倒な彼女みたいな発言ではない、別のものに向けた発言だという顔をするだろう。
ありえないが、烈火の如く怒ったらだどうだろう。決定的に破綻するまで怒ったとしたら、彼女も開き直って。
というだろう。大道芸を見るときに自然と形成される人垣。その少し離れた場所にできる人垣的な距離感の立ち位置でいくつもの逃げ道を用意しているのだ。なんにせよ彼女の発言は卑怯だ。
それに、矛盾しているかもしれないが、本質的にはこれらの発言は僕に向けているわけではないのだ。
「はあ、今日もドタキャンです。仕事だから仕方ないけどね。夜景が見えるレストランはおあずけ」
あのときは本当に申し訳ないことをした。でも、この彼女のツイッターからは様々な物が見え隠れしている。
まず、彼女はツイッターで「彼氏がいる」とは宣言していない。どうやらわざわざそんな宣言をするのは恥ずかしいようだ。けれども、周囲にはそうアピールしたいようで、こういった思わせぶりな発言が多い。
この発言だって、まず彼氏の存在を彼女の231人いるフォロワーに仄めかす意図が介在している。
そしてその彼氏は仕事が忙しいほどのエリートである可能性を匂わせ、夜景が見えるレストランでデートする充実っぷりを香り立たせ、それでも仕方ないと納得する理解ある慎ましい一途な彼女としての立場もアピールするのだ。
僕はこういった彼女のツイートを「露出狂ツイート」と呼んでいる。とにかくアピールしたくて仕方がないのだ。とにかく231人に勘ぐって欲しいのだ。彼女のことは好きだが、これら露出狂ツイートにはイライラして仕方がない。
一度そう思ってしまうと、彼女のツイート全てが露出狂ツイートに思えてくる。
文学的で可憐な少女であるとアピールしている。実際には何も借りてない、本も読まない。村上春樹だって1/3くらいよんで本棚に投げっぱなしだ。
小さなものが好きなカワイイ女アピール。そんな小物の癒しがマッチするオシャレな部屋アピール。実際には散らかっていることが多い。鏡の後ろに落としたツケマが見つからないくらい乱雑なことも。
仲の良い女友達もいるアピール。同性にもちゃんと好かれているアピール。実際には別の友達にはハナちゃんの悪口を言っている。
「今日はママから手紙着てた。懐かしくて涙出ちゃったよ。実家にもずいぶん帰ってないなあ」
親思いアピール。そんな郵便物は届いてない。親との仲もそんなに良くない。
「最近ストーカーに狙われて困ってます。怖いよ。警察とかに相談したほうがいいのかな」
「怖いよう、どうしよう」
か弱き女アピール。怪しいやつはブロックすれば済む話、そう言ってるのにアピールは止まらない。
「うん、マサトに相談したら変な人はブロックしたほうがいいっていわれた。怖いもんね。マサトありがとー」
頼れる彼氏、的確なアドバイス、こんなにも周りに恵まれてるんです、私。
ネット上の理想の自分と現実とのギャップを無視し、極度に理想の部分をアピールする。それは普段はトレンチコートを着てて、すれ違いざまにババッとやる露出狂とそんなに変わらない。
けれども彼女の気持ちも分かるんだ。インターネットやSNSをやる目的なんて、アピールでしかない。アピールしてなんぼだろ。偽りの理想の自分をアピールするだけだ。直接的にやると下品だから遠まわしにやる。それだけだよ。
「大丈夫かなあ。心配だな。ストーカーとかまじ心配。仕事が忙しくてなかなか会えないけど、なんとか時間作って会えるようにしないとね」
そうツイートする。彼女に向けて、僕のフォロワーに向けて。僕だって露出狂だ。
でもきっと、彼女には届かないんだろうな。仕方ないからツイッターのアカウントをログアウトして、また今日も彼女のツイートを見に行くんだ。今日はどんな露出をしてるのだろうかと。
とてもおとなしくて可愛らしい人。興味がある事が自分と似ていて
二人きりではないが、今でも研究会的な集まりで顔を会わせる事がある。
この前、帰り道が二人きりになったので、大学卒業して以来久々にたわいもない話をしたのだが
恋愛対象として好きとは違う、人間として気になる人なのだが、相手の可憐な容姿に照れて
ちなみに自分は彼女はいて、向こうもそれを知っていてそれがよそよそしさを加速させる。
お互い、大勢の中で積極的に意見を言うタイプではないので落ち着いた場所でゆっくり話しあってみたいと
思っている。しかし誤解を生まずに誘える気がしない。彼女にも申し訳ないし。
『さんかれあ』という漫画がある。とても面白かった。面白い物を読んだら、その面白さについて語り合いたい。だけど俺にはそんな気の利いた友達は居ないから、いつもはネットで他の人の感想文を読んで満足することにしている。だけど、『さんかれあ』については、ちょっと検索した程度では語っている人が見つからない。だから俺が書くことにした。増田に。この感想文を読んで、一人でも多くの人が、この作品を手に取ってくれたらいいな。
では早速『さんかれあ』の魅力を語って行きたいのだが、ネタバレなしで語ることはできないので、そういうのが気になる人は先に『さんかれあ』を読み終わってから続きを読んで欲しい。
などと言うだけで本当に本が売れるなら苦労はないので、まずは立ち読み感覚でこの物語を紹介をしようと思う。
主人公はゾンビが大好きな男子高校生。死んだ飼い猫を生き返らせようと、廃墟で夜な夜な怪しい書物を元に蘇生薬を調合していた。その夜も薬の調合に精を出していると、同じく人に言えない秘密を抱えたヒロインと出くわす。ヒロインは良家のお嬢様なのだが、父親の偏狭的な愛から来る過度な束縛と、性的虐待ともとれる行為に打ちひしがれ、しかし誰にも相談できずに、ただ古井戸に向かって内心を叫ぶことで心のバランスを保っていた。彼女も主人公の作っている蘇生薬に惹かれ、二人は薬を作るため深夜に密会するようになる。それを知ったヒロインの父は二人の仲を引き裂こうとするが、逆に不慮の事故から彼女を死なせてしまう。だがなんと、主人公の作った蘇生薬を飲んでいたおかげで、彼女はゾンビとして生き返ったのだった。これは人の道を外れ、やがて腐り果てる体となりながらも、ゾンビとして刹那の人生を楽しもうとするヒロインと、その期望を叶えながらも、彼女を救う道を模索する主人公が織りなす、ボーイ・ミーツ・ガールな、ちょっとラブコメで、だいたい妖艶にエロくて、けどちょっと物悲しい、そんな青春物語──
さあ、続きが気になるなら即Amazonでポチろう! アニメにもなってるからDVDもいいぞ!
では、以降は『さんかれあ』を読み終わったことを前提にして語っていこうか。この物語は難病系の一種である。サナトリウム文学って奴である。俺は『世界の中心で、愛をさけぶ』とか『イリヤの空、UFOの夏』とかも好きだ。我ながら分かりやすい消費傾向である。パターン一緒じゃん。けど好きなのだから仕方がない。
しかしその二つと違って、『さんかれあ』は読んで号泣してしまうような物語ではなかった。端的な表現をするならば、読めば自然に目に涙が滲んで、でも流れない。そんな物語だった。思うに、これは登場人物に感情移入できないことが理由ではないか。だって俺はゾンビっ娘に萌えないし、好きな人を食いたくなって葛藤することもないし、千紘にも礼弥にも感情移入は難しい。だから、自分事ではなく他人事として物語を眺めることになるし、きっとどこか遠い世界でこんな美しい物語があったのだろうかと思うと、憧れや寂しさが複雑に混ざり合って、心臓の裏側と背骨の間にシンシンとした冷たい痛みを感じるのである。ああ、たまらない。
ひとまずは物語の全体の流れを振り返ってみることにする。『さんかれあ』は全11巻の物語で、展開はわりとはっきりしている。序盤はヒロインの家庭関係における悩みが原動力になって物語が進み、一応の決着を得る。中盤はいよいよ難病物の顔が現れてきて、主人公たちの奔走も虚しく終盤に悲劇が訪れる。
各巻ごとにもうちょっと詳しく展開を追うと、1巻目は起承転結の起で、千紘と礼弥の出会い、礼弥のゾンビ化という物語の中核を担う事件が起こり、暗に陽に物語の今後の方向性が示される。2巻目ではこの作品におけるゾンビの設定を読者に紹介しつつ、ヒロインの父親と対決し、勝利する。3巻目ではダリンからゾンビの運命が告知される。4巻目で礼弥に症状が発症し、5巻目で奇跡的な回復から小康状態を楽しみ、呑気にラブコメなんてやって、ずっとこのままでいられるかと思わせておきながら、6巻目ではばーぶを使って、千紘に生な体験としてゾンビの宿命と礼弥の未来の姿を見せつける。7巻目から8巻目でZoMAに出向いて謎の巨大な組織との戦いを経験しつつ、新たな希望を提示して、9巻目から10巻目で残っていた謎に説明を着け、その間にも礼弥の病状は深刻化し、ついに日常は崩壊し、11巻目でバッド・エンドかと思わせながら、どんでん返しでハッピー過ぎないハッピーエンド、となっている。
俺は何かと戦う姿を書いた物語が好きである。戦うとは、今の自分の境遇を少しでも良くしようともがき苦しむことである。結果として自分も人も傷つくかもしれない。だが止めるわけにはいかない。そういう、どうしようもない衝動の事である。
『さんかれあ』には主に二種類の戦いを描いた物語である。一つは自分を取り巻く周囲の人間関係との戦い、そしてもう一つは死別という生命にとって避けられない運命との戦いである。物語の始めから終わりまで、一貫して千紘は死別と戦っている。普通の難病物では、死にゆく人を死なせないために戦うのであるが、この物語では既に死んだ人を取り戻すために戦うのが、オリジナリティであり哀愁を誘う仕掛けである。一度死んだ者に仮初の生を与え、やがて失う事の決まっている仮初を、どうにか逃すまいともがくのである。生きる者は全て死ぬ。その絶対的な運命を一度回避してしまった代償に、二度目の死別はより悲劇的で凄惨な物として描かれている。
この戦いの周囲を彩るように登場人物の様々な戦いが描かれる。礼弥は父の強すぎる愛情と戦い、わんこは恋敵と戦い、ダリンは父の気を引くために戦い、じーちゃんはあらゆる死別と戦い、戦い、戦い疲れて引退している。
面白いのはこの物語に描かれたぞれぞれの戦いは、全部バラバラに並列に起こっている戦いであり、基本的に全員が自分の戦いは自分でケリを着けているところである。千紘は他の登場人物の戦いに巻き込まれはするものの、せいぜい手を貸すといった程度で、最終的な幕引きは必ず本人が行っている。例えば序盤に大きなウェイトを占める礼弥とその父との戦いだが、千紘は父側に拉致されたために巻き込まれる形になったが、本人が積極的に散華邸に乗り込むようなことは無かった上に、父の妄執を断ち切ったのは礼弥自身である。千紘が能動的に行動するのは、自分がゾンビにしてしまったばーぶや礼弥に関してのみである。これらの戦いがその時々で出たり引っ込んだりして、作品全体の緊張感を一定に保ちながら物語は進行する。
分析してみると、俺はこういう、死別と戦う話が好きなんだなぁと改めて思った。
さて、物語の骨格を分析してみたけれど、ちょっと理屈っぽくて退屈な感じになってしまったから、今度は物語の肉にあたる部分を見ていこう。いくらご大層なテーマがあっても、作品に魅力が無ければ読まれやしない。この物語を読者に読み進めさせる魅力は、やはりヒロイン、散華礼弥がとびっきりかわいいからだ。壮絶に色気を醸している。まじやべえ。
彼女は死のメタファーである。第1話の1ページ目からして腹から腸はみ出させている。まじやべえ。次の登校中の登場シーンではありきたりな、つまらない美少女キャラかな? と思うが、千紘が蘇生薬の調合なんつー怪しい作業をしている雰囲気の中で再び現れ、傘から死んだような顔をのぞかせて、何をするのかと思えば井戸に向かって大声で愚痴を叫びだす。この落差にくらくらする。静から動の変化。死から生への変化でもある。しかも、実の父親に裸の写真を撮られているらしい。アブノーマルで背徳的で、ひたすらエロい。エロいが見た目は清純キャラだ。というか彼女はエロくない、ただの被害者だ。同情すべきだ。だがしかし、劣情をかきたてられるのは、いたしかたない。
そんで、胸チラしながら千紘と一緒に蘇生薬を作りたいとか言い出す。死体をゾンビとして生き返らせる薬なんて、イケナイ物を作る作業を、一緒にやりたいとか言うわけだ。背徳的だ。こんなの絶対に二人だけの秘密だ。美少女と誰にも言えない秘密を共有? たまらんがな。優越感と自己肯定感をかきたてられる。羨ましいな!
そしてこの短いやり取りの中に「死んで別の人間に生まれ変わりたい」「実験台になってくれよ」「私がゾンビになったら」などと不穏なセリフが散りばめられている。第1話の最後のページも、可憐な笑顔と不吉なモノローグが対比して、どえらい色気なのである。なぜだろう。スイカに塩をかけると甘くなるのと似た原理かもしれない。うん、やっぱ影のある美少女っていいよね!
もーこれだけでもノックアウトなのに、第2話もエロかわいい姿を見せてくれる。特に千紘にゾンビとして生き返らせてくれと頼む時の表情はたまらない。何かを思いつめているわけだが、一度死んでゾンビとして生き返る、なんて眉唾であまり気分の良い話じゃないものを真剣に頼む様子に、やはり死のイメージを感じる。紫陽花で作った蘇生薬をばーぶに飲ませるが、生き返らなかった。そこには静かな、ただただ静かな死が表現されている。そして夜出歩いていたのを父に見つかり、自宅での軟禁生活が決まった彼女は、その夜、涙を流しながら紫陽花の毒で自殺を試みるのだ。なんともいじらしい。
そしてついに事は起こり、彼女は崖から転落死する。そのシーンがまた凄い。彼女は落下の途中に腹部を木の枝に引き裂かれ、血まみれになりながらも立ち上がり「責任取って…下さいね…」と来るのである。言うまでもなくこれはセックスを暗示する。しかも処女喪失である。暗示されているのはセックスなのに、しかし実際に描写されているのは腸のはみ出た死体である。ここで脳の認識野が多少の混乱をきたす。この混乱の結果生まれるのが、ゾクゾクするような壮絶な色気である。今まで丁寧に積み上げられてきた描写が、この血まみれの満面の笑みに集約して、散華礼弥というキャラクターを固定する。読者は完全に恋に落ち、もはや彼女から目が離せなくなる。
こうして『さんかれあ』という作品の最大の魅力が作られたというわけである。ゾンビになった彼女はむしろ生き生きとして、短くてもいいからささやかな幸せを楽しみたいと言う。いい娘すぎる。いじらしい。かわいい。それでいて、意識の混濁したゾンビとして、欲求に素直な妖艶な姿を見せたりする。たまらない。また、この表現は楽しい時間が限られている事を否応なく読者に思い知らせ、切なさを一層かきたてる。この思いは彼女の体に、癒えることのない傷が増えていくに従って強くなる。彼女は必ず失われるのだ。ああ、悲しい。切ない。彼女と一緒にいる、今この時が尊い。
もちろん魅力的なキャラクターは彼女だけではない。千紘の幼なじみにして姉さん女房役のわんこは、生のメタファーである。ゾンビとなった礼弥とは対称的な存在である。生きた生身の女なのだから当然である。それだけでなく彼女は千紘や礼弥が落ち込んでいたり、物語の分岐点で、彼らを引っ張り上げる役割をする。死の世界から救い出してくれるのである。
ダリンは患者に病状をつきつける医者の役割をする。甘い事を一切言わない恨まれ役でもある。だが間違った事も言わない筋の通った人間である。
じーちゃんもまた、いい味を出すキャラクターである。最初に蘇生丸を調合し、全ての物語の元凶となった人物。一番最初に礼弥を見た時、彼女を貞と呼び、「わしが悪かった」と謝っているが、後になってこのような細かな伏線がきちんと回収されるのが心地よい。普段はボケているのに時折見せる鋭い視線にも魅せられる。いくつもの死別を乗り越え、傷つかなくなっているのではなく、傷を飲み込み共に生きる事を覚えた成熟した男を思わせる。最期に元妻のゾンビと一緒に逝くシーンは思わず涙ぐむ。
書ききれないが他にも魅力的なキャラクターが満載である。このキャラクター達が魅力的な物語を作っているのである。
さて、長々と語ってかなり満足した。『さんかれあ』面白いからみんな読むといいよ! ああきっと、紫陽花を見る度にこの物語思い出すんだろうなぁ。
私ももクロが好きな女だけど、友達に誘われてこないだのラブライブ!のコンサートを映画館で見た。
違いが面白かったので思ったことを書いておく。
アニメは見たことなくて、一夜漬けでキャラ9人の顔と名前だけ覚えて行った。
ほぼ全部まっすぐだったのでももクロ会場と違って見えた。
キャラそれぞれにテーマ色が決まっているのはももクロと同じだけど、
ライトの色が変えられるので、ソロ曲では客席が1色、デュエット曲では2色になって、
さらに「ある曲ではこの色」「このタイミングで全員がこの色に変える」というお決まりがあって
会場に統一感があってすごくよかった。愛に溢れていた。
ももクロの曲では歌っている子の名前をみんなで揃って叫ぶけれどそれはなかった。
(「しーおりん!しーおりん!」みたいな)
映画館会場の盛り上がり(=コール言ってる人率?)はももクロのほうが高い気がする。
踊ってる人はあんまり見なかった。
ももクロがアイドルらしくない、って言われる理由が少しわかった。
最初は「人数がももクロの2倍だーーわからねーー」って思ってたけど、
だんだん顔や声の違いも分かるようになった。
5人も9人もみんな可愛い。
どの子を見てても可愛くて楽しくて愛しくて幸せな気持ちになった。
以上。
終わってからずっと曲が頭から離れないので今度友達にCDとDVD借りるつもり。
次にもし行けたら私もコールしたい。
正義。力。
正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。
力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。
正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。
そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。
正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。
そのために、人は正義に 力を与えることができなかった。
なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったからである。
調べてみて貰えばすぐに分かるが、あれは正義ではない
以前、自分はVictimGirls3という作品に触れる機会があった
朝凪氏の描いたもので、ROのキャラクターが触手モンスターに媚薬を打たれて快楽墜ちをし、同胞を巻き込んでいくと言う話だ
作中、女の子がおぞましい触手を恍惚の表情で見つめ、キスをし、舌先から針を打ち込まれてしまうシーンがある
そこには尊厳はなく、正義はなく、倫理はなく、道徳も信仰もなかった
それを良く覚えている
朝凪氏はそれから、その世界観を崩さずに現在まで活動を続けている
緑のルーペ氏はどうだったのだろうか
商業的に氏が有名になった作品は、初単行本の表題作である「イマコさんシリーズ」だろうか
氏の作品にも、人が普段は忌避するような倫理観の冒涜が綴られている
作品内での出来事だと分かってはいても、読むことによって何らかの"汚染"が始まってしまうような感覚
それが、氏の作品には匂っていた
ただ、それは今になって思うことなのかもしれない
なにしろ、「イマコシステム」ではその冒涜にも「すべてはイチナの妄想であった」という解放感や救済感があったからだ
まあ、初単行本と言うことで氏本人が自重したか、編集に止められたのかもしれないが
また、次の単行本である「ガーデン」でも基本の傾向は変わらなかった
人の持つ倫理観を侮辱し、柔かく大切に思うものを徹底的に凌辱し、その背徳感で快楽を貪る
前述の朝凪氏の作品もそうだが、赤卵氏の作品にも通ずるものがある
そこが氏のバランスのとれた所だと思うし、作品の巧さに繋がっているのだと思う
どこまで意識しているのかまでは個人の人格の話になってしまうが、"それだけではない"というのが分かっているのだと思うし、センスが良い
きれいはきたない、きたないはきれい。闇と汚れの中を飛ぼう。
ウィリアム・シェイクスピア著「マクベス」より魔女のセリフ
まさに、この言葉の通りだったのだと思う
何も知らない可愛らしい性欲を掻き立てられるような 女の子が
快楽に負け、自分の倫理観や尊厳や未来を無慈悲かつ理不尽に奪われ穢される
その背徳感を描き切っている
怒りや悲しみ、時として性欲を
冒頭の引用を読み返してほしい
人はきっと、綺麗さを信じ込むことはできない
だから人は他人の善行にケチをつけるし、美徳には汚点を加えたくなる
しかし逆に、それは人が完全には堕ち切らない事をも意味するのだ
それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
今回の作品「宇宙人の冬」では、主人公の青沙マコと地球人には救いがないだろう
朝凪氏がVictimGirlsで描くような救いのなさだ
おそらく、だからこそ、氏はこの作品を全力で描かざるを得なかっただろうし、今まで描けなかったのだと思われる
「それを 打ち倒さねば 己になれない」
そのために何もかもを引っくり返して叩き売りだ
そうだ 500年前の俺も! 今のお前も! アンデルセンも!! あの少佐も!!
私と闘いたかったんだろう?
でなけりゃ一歩も前に歩めなくなったんだろう?
進む術も知らんのだろう?
無用者になるのが怖いか!! 老いが怖いか!!
忘れ去られるのが怖いか!!
ジョンブル? ふざけるな!! ふざけているのはお前だ!!
この作品は、間違いなく氏にとっての闘争だったのだ、打ち倒すべき何かだったのだと思われる
そして、氏がこれを描くにあたっては、あるいは年月以外の何が介入していたのだろうか
それが気になる所である
取り消し線の付け方の訂正
引用元の明記
改行の追加
別エントリにて追記
ふと思ったのだが「イマコシステム」におけるイマコが時折"黒以外の装飾"を着けているのは意図的なのだろうか
「クロミツイマコ」には「常に真っ黒の服しか着る事が出来ない」というキャラクター的ペナルティを持つ。
その観点で言えば、商業において「クロイミツイマコ」は登場していない
ぱんつも装飾品に含まれるのだろうか?クロミツイマコの下着絵を確認できないので分からないが、黒ぱんつということなのだろうか、背伸び感が出ていて素晴らしい
「イマコはクロミツイチナと出会わない限り幸福になれない」というキャラクター的ペナルティを持つが
このシステムと、イマコとイチナのキャラクターを流用したのが"イマコシステム"だったのだと思われる
荒巻「さっきから聞いていたが、外部記憶装置無しにはさっぱり付いて行けない会話だな。
ここのエロ本は全て読んだのかね?」
「そこまでは」
「ベイマックス」の原題はBig Hero 6で、日本の感動主導のPRには問題がある!という意見を見る。
しかし、マーベル・コミックスに馴染みのないナイーブな日本人には限界のPR方法なのだ。
ディズニーの施したローカライズは実に巧妙で、とても良く考えられている。
大量の批判があるのを承知のうえであえて単純に言えば、マーベルヒーローは近親者の死がヒーローを生む構造が多い。
その為、Big Hero 6というヒーローモノを観に行って近親者が死んでも、米国ではそういうものとして受け止められる。
スーパー戦隊シリーズ好きやプリキュア好きの親子で観に行こう!とヒーローを全面に押し出して、
映画館に親子でやってきて、仲の良い兄弟のアニキがハッキリと死ぬシーンを描かれて、後半ついていけるだろうか。
未だに、鳥人戦隊ジェットマンの衝撃が語られるように、基本的に日本では人の死はとてもナイーブに受け止められる。
……まあ、世界に冠たるディズニーが、となりのトトロを観に来た母娘が火垂るの墓を観て茫然自失となったエピソードを知らないはずも無かろう。
映画全体として、兄タダシの死を乗り越え成長する弟ヒロの姿が描かれているので、
CMを観て感動モノかなと思って観に行った人は十分満足して帰宅できるレベルにある。
が、それだけでは無い。
主人公である14歳の天才少年ヒロは、兄タダシの友人達と共に、兄の死に関係がある犯人を捕まえようとヒーローにバージョンアップする。
勢いのあるカーチェイス、迫力のある戦闘シーン、そして過激な女性も可憐な女性も、それぞれの長所を活かして活躍する。
だから、戦隊好きは勿論、プリキュアが好きな女の子にもオススメできる映画なので映画館に行こう!
軽くネタバレすると、ヒロとタダシという兄弟の両親は、ヒロが3歳の時に亡くなっている。
今は、キャスおばさん(叔母か伯母かは不明)に引き取られて生活している。
当然、兄のタダシが死んでしまって、弟のヒロは、ショックを受ける。
劇中、キャスおばさんは、ヒロの前では一度も悲しい顔を見せない。
他の人物もそうだ。
人のつながりがそこには間違いなくある。
アナと雪の女王で有名になったが、ディズニーは単純な和訳を行って吹き替え版を作成したりしない。
劇中に出てくるパーソナル・ヘルスケア・コンパニオンであるベイマックスというロボットは、
米国版では、「I cannot deactivate until you say, You are satisfied with your care.」と言う。
日本版では、「『もう大丈夫だよ』と言ってくれないと離れられません」と言う。
他にも細かいセリフのニュアンスが違っているが日本版は「タダシの死を乗り越える」部分に焦点が当てられている。
「I'm satisfied with my care.」というセリフと
その為、ロボット工学者についてのみ、字幕版での鑑賞をオススメする。
ベイマックスは、「I cannot be sick. I am a robot.」という様に、徹頭徹尾ロボットとして描かれる。
ロボットが自分のことを人間だと考えたり、自らの存在意義に悩んだりはしない。
ベイマックスは、最初から最期まで、ヒロのパーソナル・ヘルスケア・コンパニオンとしての使命を全うしようとする。
ロボットをロボットとして描き、人間とは異なる存在として描きながらも尚、人間との触れ合いを描く。
心の痛みへの対処法すら学んでみせたロボットの「Your health is my only concern.」というセリフや
「Are you satisfied with your care?」と言うセリフには、限りないロボットへの愛情が込められている。
治療法の詰まったディスケットにTadashi Hamadaと書かれている事の意味を、重く受け止められるだろう。
自分の研究室をWelcome to the nerd lab.と言えるロボット工学者は、映画館に行こう!
全方位隙無く万人にオススメできる映画ベイマックスは、是非映画館で観よう!
字幕版を観た人は吹き替え版を、吹き替え版を観た人は字幕版も観に行こう!
一応お伝えしておくと、現在ペットロスで療養中の人にはオススメできない。
http://anond.hatelabo.jp/20141125174816
●容姿の特徴 デブス
●誰に似てると言われる? ヒスブルtama プリンセステンコー
●2ちゃんねる歴 1年ちょい
●良く行く板 行く板行く板煽られるのれ彷徨い中
●今までに参加したOFF回数 5回以上10回未満
●思い出に残ってるOFF 12月31日
●好きな場所 お布団の中
●好きな事 煽られる事
●好きな音楽 探し中
●好きな有名人 尾崎小百合(>w<)ボヨヨーン♪ 照英 竹内力 なかやまきんに君
●好き(何でも) ドラム 金
●好きなタイプ ヒゲマッチョ
●嫌い(何でも) えみちん
●仲良ししてネ(>w<)
もしも正しい恋愛リテラシーがあるとすれば、それは相手の尊厳を傷付けないことだったり、法律に違反しないことだけだよ。
例えば、日本においては公共の場では必要以上のボディタッチをしない、とかね。
非モテの男性向けに書くけどさ、女性は○○が好きとか、○○を求められたいとか、普通に考えたら判るだろ。
女性はどんな男性が好きか。イケメンが好き、ガタイの良いのが好き、カッコイイのが好き。全部そうだね。
それは、男性が、美女が好き、可愛い子が好き、可憐なコが好き、そう言うのと同じレベルだ。
じゃあ、グラビアアイドルとしては貧相な体つきだと思う娘が、オマエに笑いかけてきたとしたらどうだ?
そりゃ、身近にいりゃ惚れるだろ。
例えば、すんごいヤリたい盛りの大学生だったとしてさ、相手が誰でもOKするか?ヤれれば誰とでも付き合うか?
んでさ、結婚とか自分の人生を考えたときに、凄い体の相性が良い60歳と大学生の時に付き合って、じゃあ結婚するか?
極端か?じゃあ35歳の美人とだったらどうだ?そんなに美人じゃない42歳の二人の子持ちのご婦人だったら?
だから、男も何かを躊躇するように、女も結婚とか社会的なナニカは、恋愛とは別に考えたりする。
(考えない女性も多いけどな)
じゃあ、女性の気持ちになって考えたときにさ、まあ色んな女性がいるだろう。
判りやすいので言うと、胸毛とかな。あのギャランのドゥが駄目な女性と、アレが好きな女性がいる。
匂いなんかも結構端的に好き嫌い分かれるな。DNA的なアレらしいが詳しくはググれ。
だから、だ。
人によって違うことにリテラシー、つまり、正しい読み解き方なんか無いよ。
それは「統計的に見て大多数の女性が当てはまりそうな最大公約数」って事だよ。
「さすが〜、知らなかった〜、すご〜い、センスいい〜、そ〜なんだ〜」を言う女が全員モテるかって言うとそうじゃない。
そう言うのが嫌いな男性(オマエのことだよオマエ)も居るだろ。
だから、「正しい」なんてのは、ボムあたりにまかせとけよ。唇をなめたらHしたいサイン、みたいなな。
ただな、男なら誰でも良いみたいなガツガツした38歳OLに「結納即結婚」のスタンドが見えそうな勢いで迫られて楽しいか?
多少ツラがマズくても、「博多風もつ鍋ってお店に行ってみたいんだけど、一人だと行きづらいから、一緒に行かない?」って誘われたら嬉しいだろ?
その子が、小汚くなくて、コッチの日程の都合も気にしてくれて、別に重たい雰囲気でもなかったら。
つまりだな、「恋愛」リテラシーからは、「恋愛」には繋がらないんだよ。
恋愛リテラシーとか言う「前の段階」のステップを飛ばすから非モテなんだよ。
非モテがこじらせてるのは、デートに誘う即恋人への秒読みベッドインへの坂道ローンまで続くラブセッションとか考えるからだよ。
穴なら何でも良いみたいなガツガツした態度で迫られて気持ち良い女性は超レアだよ。
隣を歩いて恥ずかしい男性は嫌だ。
生理的に受け付けない汚さは嫌だ。
そういうのは、ある程度共通項でくくれるだろ。
美味しいご飯食べて、楽しくおしゃべりできて、疲れたときに「ちょっと疲れた?」って気遣ってくれる「女性」なら、ポイントが上がらないか?
それが「男性」でも同じだよ。
ただ、それは「恋愛」じゃない。男友達として株が上がったり、コイツ良い娘だなって思うような、ポイントの上がり方だよ。
そして、そういう前段階を自然に出来るようになれば、「恋人としてはナイって思ったけど、楽しい食事だった」と女性が思ってくれるようになる。
そのうち、「また、ご飯なら行っても良いかな?」とか「映画の趣味は結構合うから、映画には行きたいかも」と思ってくれるようになる。
オマエが、「今日は凄く楽しかった」とか「今日はなんかイマイチな雰囲気だったな」とか思うのと同じようにだ。
「知り合い」になって、「親しく」なって、「友達」になって、それからやっと「恋人未満」になって、「恋人」になるんだよ。
そのステップを高速で出来る女性を見分けて、高速でステップをこなすと、合コンでお持ち帰りするような達人になるんだよ。
だったら、非モテ側も、ちゃんと段階を踏んでまずは「知り合い」になるところから始めろよ。
頭が悪くて年収もイマイチで、不細工でチビで意外にビビリでパチンコが趣味な旦那が、結構良いパパになってたりするんだよ。
それは、(勘違いだと思うし聞いてて恥ずかしいが)誰でもなく奥さんのことが一番好きだと臆面もなく言えるからだよ。
そう言うのは、少しずつ相手のことを知っていくうちにすり込まれていくんだよ。
で、「知り合い」止まりだったり、「友達」止まりだったりする。
それで良いんだよ。その時始めて、失恋したなあと思って次に行けばいい。
そう言うのを繰り返してると、
「ガチャガチャしたお店が嫌だなって言われたときのために、2,3店舗調べておこうかな」とか、
「もしちょっと良い雰囲気になった時のために、2件目もあたりをつけとこうかな」とか、
「なんか体調悪そうだから、今日は映画の後はお茶だけにして解散が良いかな」とか、
「女の子を誘うお店なら、下調べして一人で行って雰囲気見ておこうかな」とか、
お互いが楽しくご飯を食べるためにする下調べとか準備ってのが、自然に出来るようになってくるんだよ。
キャッチに引っかかって飲み放題でぼったくられた上に冷凍で堅いままの刺身が出てくる、みたいな店に行くのは大学生までだろ。
そこまでしないといけないのかって?
「あなたみたいな人と、こういうお店来てみたかったから、ちょっと嬉しい」とか
「バーって入りづらいから、一緒に来てくれて良かった。楽しいね」とか
「良かったら、次は辛いとこ行きたいけど、そういうの平気?」みたいに聞いてきてくれる娘に嫌悪感を持つのは難しいぜ?
オマエがどうしても我慢できないブスだったとしても、良い娘だな、とは思うだろ。
強引に押さず、かといって放置せず、マメに誘って駄目そうなら「タイミングが合えばまたね」って素直に引ける男は、
やっぱり面相関係無く(恋人にはならなくても)女性の評判は悪くないよ。そして、そのうち彼女が出来るよ。
んで、緊張するならまずは誘いやすいところから行っとけ。それが同性の友人とかでも同じだよ。
「ちっと美味しそうな鍋みつけたから行こうぜ」って男友達誘って、女性を誘う下調べに使うと、友人関係も意外にスムーズに長続きするぞ。
まあ、バレてその手の話題になるところまでコミで親交を深めるおまけ付きだ。健闘を祈る。
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たとえば君が上司に怒鳴られ営業になじられ同期にさげすまれ残業して組んだコードすら思い通りに動かず打ちひしがれて家路につくとする。この時間の東横線は相変わらず酒臭い。やっとの思いで最寄の駅につき重い足を引きずってエスカレーターを上る。駅ナカの東急ストアは24時まで営業していて、カゴを手にした君はいつものルートをたどる。野菜売り場、海鮮類、乳製品売り場をやりすごし足をとめる。惣菜売り場。割引ラベルが何枚も重ねられそれでも売れ残っているふにゃふにゃの餃子やどぎつい色のエビチリが目につく。適当に選んだ惣菜を2個、ポテチ、麦とホップをカゴに入れた君はレジに向かいスマホから顔をあげてビックリする。
まるで天使だった。化粧っけもなく、素朴な感じにも関わらず明らかに美少女の部類。どう見ても女子高生。でもこんな時間にレジ打ちしているなんて家庭の事情か何かだろうか?名札の下の丸いバッジには『研修中』の文字。値段を読み上げる声は花のように可憐で、おつりを受け取るときちょっとだけ指が触れた。温かい。彼女はすぐに手を引っ込めてお腹のあたりで手を組み、ふかぶかと君にお辞儀をする。「ありがとうございました」
それは間違いなく恋だった。君は毎日同じ時間にスーパーに寄るようになる。見栄をはっていいビールを買ってみたり、健康そうなサラダをカゴに入れては彼女の反応をうかがったりする。家に帰って彼女を思い浮かべながらビールを飲み、いい気分のまま床に就く。夢にまで彼女を見る。東急ストアの制服の彼女。君に手を振る。君に微笑む。ふむ。間違いなく恋だ。
だが変化は訪れる。彼女の後ろのレジにチャラチャラした男子高校生が入るようになった。昨日はそいつが商品をいい加減に並べているのを見た。彼女と楽しそうに話しているのも見た。様子を見てやろうとそいつのレジに並んでみる。愛想笑いもできないのか、クソやろうが。こっちの気持ちを読んだのか小銭の渡し方がひどくぞんざいでバラバラと小銭がちらばる。クソやろうは、あーすんませんと言っただけでレジから出てこようともしない。
カチンと来たおれがそいつをにらもうとするとあの彼女が小銭を拾って俺に渡してくれる。すこし困った顔をしてでも笑顔で「大変もうしわけございません」
いた。天使はいた。東京に天使がいる。東横線沿線に天使がいる。
そしてまた君は通い続ける。そして気がつく。彼女が化粧をするようになった。かわいさが一段と増した。ピアスをあけた。似合ってる。ネイルもしている。まだ早いな、でもかわいいから許す。やわらかそうな色のリップで君に微笑む。うわっ、とろける。と、彼女の視線が君を通り越していることに気づく。その視線の先にいるのはあのクソやろうだ。あのクソやろういつの間に! 君のほうが先に彼女と出会っていたのに!
土曜日。冷蔵庫のビールが空になった君は昼から東急ストアに向かう。道すがら、高校の制服姿の彼女がラフなブレザー姿のクソやろうと自転車を二人乗りしているところとすれ違う。完全に終わった。恋の終わり。始まってもいないけれども、君の恋は終わる。レジ打ち女子高生のEOL。エンド・オブ・ライフ。
休みがあけまたクソみたいな月曜日が始まる。クソみたいな依頼が来て、クソみたいな上司に頭を下げ、クソみたいなスペックのPCにクソみたいなコードを打ち込む。クソみたいな動作しかしないクソみたいなシステムがうんともすんともいわなくなりモニタがブラックアウトする。真っ黒なモニタにはクソみたいな顔をした男の顔が映っている。
クソみたいな君の顔が映っている。
君は奇声を発して同僚をビックリさせる。上司が憐れみの顔で君を見て今日はもう帰れと言う。素直に荷物をまとめた君は家路につき、駅ナカの東急ストアを避けて駅から遠く離れたダイエーに向かう。イライラしたまま店内をうろつく。慣れない並びの商品棚をめぐり大量のつまみとビールを6缶カゴにいれ乱暴にレジに置く。きゃっ。
そして彼女を見て君は目を疑う。
女神がいる。
北海道帯広市の野江呉服店の娘として生まれたふみ子は、左乳房の切除手術を受けたが、
がんは転移しており放射線治療を受けるも1954年になくなった。
中城ふみ子が育った野江呉服店は、開拓地の都市のなかでではあるがかなり裕福で、
ふみ子を帯広高等女学校から東京家政学園に学ばせる余裕があった。
ふみ子の写真は多く残されているが、どこか気取っていて、
しなを作ったりポーズをとったりするものがほとんどだ。若いころは特にそうだ。
彼女は「プチブル」なのだ。「私はあなたたちとは違うのよ」とでも言いたげな、言い方が悪いが、
いかにも「成金」的な姿勢が写真からにじみ出ているようで、私はひどく嫌だった。
彼女の容姿はかなり整っている方で、それが彼女の「気取り」に拍車をかけているようにも感じた。
ほどなくして彼女は結婚し母となる。結婚は恵まれたものではなかった。
写真で「気取り」を見せることは少なくなったが、
「罪と罰」と捉える論者も多いが今回の話では割とどうでもいい。
この一緒に写っている女性は顔も体もでかくて(お笑い芸人のバービーに似ている)、
ふみ子と一緒に写ると自分のボリュームが強調されてしまうから少し下がって写りたい!と訴え出たそうだ。
今に残る写真では、この女性とふみ子の顔の大きさは同じくらいで、
病に侵され余命いくばくもないふみ子も、
この写真を取る際のやりとりには僅かにだが笑顔を見せたという。
この、弱ってボロボロになってたたずんでいるふみ子が一番好きだ。
彼女の可憐な学生時代も性の奔放さも、実は「プチブル」に担保された性質のように思う。
病は「プチブル」的なものをごっそりそぎ落とし、何かが残り写真に写っている。
歌人としての才はギリギリそぎ落とされずふみ子の手元に残った。
ブルジョアジーというものを、革命でも何でもなく、がんというこの時代の不治の病が打破したのだ、と私は思う。
一つの身体においての事例だが、近代の克服を自分の身体を削ることで成し遂げたのだ、と本当に勝手だけど思う。
冬の皺(しわ) 寄せゐる海よ 今少し 生きて己の 無残を見むか
「博士、歴史を塗り替える画期的なアイデアがあるのです。私はそれを現実のものにしたいと考えています。」
彼女の師である米国H大学のV教授が、彼女に教えてくれたという。
そのアイデアが現実のものであれば細胞生物学においては歴史的な大発見である。
ES細胞を用いて網膜を形成するなど驚異的な偉業を成し遂げてきたS博士であるが、iPS細胞の出現により最近は影が薄くなってしまった。
研究の意義をよく理解しないお上の人々の独善的な判断により研究費も削られ、窮地に立たされていた。
そんなときに彼女はやってきた。STAP細胞という、従来の常識では考えられない方法で生成された万能細胞というアイデアとともに。
しかし、当初S博士は懐疑的であった。酸浴だけで多態性を獲得するだって?そんな現象はありえないね。
秋の朝のことである。木々の葉はすっかり落ちてしまい、冬の到来を予感させる。
普段は硬派で通っている自分が、今回だけは折れてしまった。彼女にはそれだけの魅力があるのだろう。
やさしく寝顔にキスをする。心も体も軽くなって、S博士はふたたび眠りについた。
「できたぁ!」
数カ月後、O博士はついに偉業を成し遂げた。STAP現象の確認に成功したのである。
S博士はその頃別のプロジェクトで多忙を極めていたが、彼女の成功を耳にして大変うれしく、そして誇りに思った。
「共著者になっていただけないでしょうか。博士のご支援がなければ成功には至らなかったのです。」
その夜は二人で厳かに、愛の術を行った。
しかし、それは一瞬の夢であった。
「一体どういうことだ!説明してくれ!」
「どう逃げるつもりなんだ!明らかに捏造じゃないか!」
「ちょっとくらい画像が変だからって何よ!これくらい誰でもやることじゃない。記者会見ではあるって言ってよね!じゃないと私達の関係をバラすわよ!」
S博士は満たされた気持ちから一転、ふたたび窮地に立たされた。
彼女を立てれば、科学の良心への反逆である。私は科学の中に生きているのに。
科学を守れば、家族を失う。妻も子も、裏切りと汚辱の中に深い悲しみを受けることだろう。
彼女はありえない選択を迫ってきた。
会見の日の夜、彼の横にはいつものように彼女が寝ていた。S博士はO博士を取った。
科学なんて糞食らえ。彼女も家族も失うくらいなら、こうするしかなかったんだ。
「それでいいの。さすが、あなたは賢いわ。」
複雑な気持ちで愛撫を受ける。このままではいけないことは分かっていた。
それからというもの、彼女は豹変した。なぜ私はこの女に顎で使われているんだろう。
「ちょっと!早く飯用意しなさいよ!殺すわよ!」
「はやく動けクソジジイ!ほら!」
ひどい。
いつまでこんな生活が続くのだろうか。
愛すべき天使だと思っていた彼女はいつしか、悪魔に変わっていた。
私はすべてを失った。
私も風鈴になれたら。
人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。
戦争は終った。
特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。
人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。
だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。