はてなキーワード: 可憐とは
小学校の時、図工の時間に花のある景色の絵のコンクールに出展する用の絵を描くことがあった。学校の外に出て好きに描くのだ。
美しい花の絵がある景色...それならばこのコスモスとその背景の山々の絵を描こうと思った。
自信満々の絵の下絵を先生に見せた時、衝撃的な言葉を言われた。
「茎が細い、あと葉を大きく描きなおしなさい」
私は絵が得意なので、コスモスをやや写実的に描いてた(当時小学生だったので、絵にそれなりの幼さはあったと思う)。
茎がアスパラみたいで、葉が家の裏手に生い茂ってるような雑に扱われる類の葉っぱの絵。組み合わせたら、ドラえもんの映画に出てくる人を丸のみにしそうな植物のお化けになった。
「絵に生命力を感じられない、植物は地面にどっしりと生えないといけない」
「でないとコンクールでは受けない」
・・・確かに、その絵画コンクールでの絵は人を丸のみにしそうな植物のお化けと、そのお化けの隣で何故か笑顔でいられる人間の絵ばっかだった。
植物に生命力を感じるのは大事かもしれないが、それが茎の太さではない。細い茎なのに、風にあおられてもしゃんとしてるコスモスのほうがいい。
そんな絵ばっか求めてる審査員も審査員だ。同じようなの求めてないで、節穴を目に整形してからこい。
当時はそんなことは思わなかったが(後々考えてムカついた)、茎が太いのは嫌なので先生と私でお互い妥協できる茎の太さを求めて何度も描き直した。
某配信サービスでは「カリオストロの城」が無料で見られるらしい。
あれは、いい…。(-_-)
…だった。(過去形)
先週、と言っても数日前になるのだが、
「戦姫絶唱シンフォギアAXZ」の8話を見た。
ここに「カリオストロ」というキャラクター(CV:蒼井翔太)が出てくるのだが、
壮絶なバトルの末、散ってしまわれた。
そのバトルの数分間の声がとても素晴らしかった。
女声→男声へ微妙に変化していく様が圧巻だった。
仲間思いの熱いヤツだった。
正直、泣けた。
そして、今日まで、録画を何度何度も見返している。
こういうのが「ロス」というやつだろう。
そして「カリオストロ」と聞いて思いつくのは
「可憐な美少女」ではなく、「中身おっさんの巨乳」になってしまった。
まさに、
である。
実は死んでなくて復活…とかありませんかね?(^-^;)
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余談であるが、
中の人である蒼井さんは先週の音楽DVDランキング1位だったらしい。
いろいろすごいな。
昨日のことである。朝、家の、詳しくは私の住むアパートの前に立派な一本糞が鎮座していた。その堂々たるや、クゥー、思わず写メを撮ってしまったくらいだ。犬かと思いきや、どうやら犬ではない。ことが判明した。それはクソ(推定30~40cm重量にして500gはある)の表面上に白いうどん(のようなもの)がキレイに配分されていたからである。
では、ここであなたに問いたい。一本糞とは何か?と。実は、私も大量便については少々うるさい方だと自負している。だが、今回のような人様のアッパートの門前に糞(大量便)を垂れる行為については遺憾の意を表明したい。
しかし糞については少々うるさい私だ。一回や二回は許してもいい、そういう気構えでいる。自称一本糞アーチストと呼ばれる私クラスになってくると、糞への理解は常人の比ではないからだ。
閑話休題、そんな私がソノ一本糞を前にして、その隆々とした照り、カラーグラデーション、フィニッシュに至るまでの実に見事な(個人的にはFUJIYAMA型と呼んでいる)ソノ円錐形に近い糞は、上級者のそれだった。思わず身震いすらしたね。
あれは、そう、今と同じ初夏を思わせる梅雨のじめじめした時期だった。忘れもしない。小学6年のころだ。私の家にたまたま友達数人で遊びに来ていた同じクラスのyukiちゃんというかわいい女の子がいた。(私の家は少し広かったのでたまに集まってゲームして遊んだりした)私はyukiちゃんが好きだった。その子が家のトイレを借りたいといったので一階にある当時は和式の便所を貸してあげたのだ。しばらくして私も尿意を催した。そして次に私がトイレに行ってから、である。yukiちゃんは流し忘れていたのだ。(これっきり家には来なくなった)ああ。なんということでしょう。私はショックを受けてしまい、しばらくその場から動けなくなってしまった。信じられないというのが正解か、はたまた夢でも見ているのかと、太ももを抓ったりもした。だが、そのすべての行為は空しく、獣のような臭いと便器からはみ出さんばかりの一本糞にめまいがしたのである。あの可憐で可愛いyukiちゃんがこんなにも臭くて太い糞をしたのかと。(実際はそんなに大きくはなかったかもしれないが私にはそのように見えた)
私はできるだけ直視しないよう顔を背けながら、流そうとした。だが、しかし、である。水流は強い。でも水はクソの両脇を流れるだけでまるで牛歩のごとく流れていないのである。私はしょうがなく手近にあった棒(どんなものだったか記憶にない)で押し流した。
それからというもの私は一本糞に目覚め、今ではアーチストを自称するまでになった。生きがいを教えてくれた。(大げさではあるが)当時のyukiちゃんには感謝すらしている。ありがとう。余談だが、yukiちゃんが好きだった食べ物はうどんだった。と、私は記憶している。アパートの前にあった糞が、一瞬、もしや、と思ったが、彼女は地元香川で今でも元気に暮らしていると、人づてに聞いたことがあることを思い出した。きっと今は結婚でもして幸せに暮らしていることだろう。あの日のことは誰にも話さないでおこう。心に隠して、そっとフタをして
結婚報告をしたと怪しげなツイートが話題になってたのでどんな人かと思ってWikipedia先生に聞いてみた。
「美少女は中学生 Vol.7」(日本メディアサプライ)
「美少女はJC純真可憐」(日本メディアサプライ)
「極限界」(オルスタックピクチャーズ)
「女子葉っぱ隊~小川みな The Best~」(office1000)
「まだ、私のこと好きですか?」(サーフライダー)
「天使の初体験」(日本メディアサプライ)
とタイトルを読んでいるだけで醜悪さが伝わってくるようなひどいものばかりだったことにまず驚く。
そういや少し前にアイドルが握手会のときに握手する手で自分の股間を握って順番待ちしてたオタクの話題が出た時「アイドルなんだから当然」「嫌なら握手会するな」とかいうことをさも当たり前のように主張するコメントがあったっけな。
今更なんだけどそういうやつらって、こういうきしょいDVD見ながらマスかいたり、股間握りながらこれで握手するぞって列に並んでるときフッと「わーお!俺ってイカれてる」と思う瞬間ないのかな。
気持ちの悪い話をしようと思う。
興味のない人にとっては本当にどうでもいい話だと思う。
こういう形ではあるが、ここに残しておくことにする。
4年くらい前になるだろうか。
提督は、近代に実在した軍艦たちを擬人化した艦娘と呼ばれる女の子たちを従え、
リソース配分を考えながら空母・戦艦・駆逐艦などの配置を考え、戦略を練り、
深海棲艦と呼ばれるエイリアンみたいなやつと戦う。そんなゲームだ。
当時のオタクはみんなやっていた。
ゲーム内容もさることながら、みんな各々好きなお気に入りの艦娘を一人は抱えていた。
誰もが「お前の好きな艦娘は?」と中学生みたいな会話をしていた。
「金剛」「長門」「赤城」など、王道を挙げる人間が数多くいる中、
30過ぎのおじさんから「初雪」という声が上がることもあった。
※知らない人はぜひググってほしい。
そして、俺と同じ「マジかよ…」という気持ちになってほしい。
その中で、俺はひとしお伊168という潜水艦に心酔していた。
印象としては、可憐で儚げな子だと思った。
戦果を挙げると素直に喜び、しばらく放っておくと「ねえ、168のこと嫌いになった?」と聞いてくる。
わずかな資源でオリョール海に行き、けなげに資源を集めて帰ってくる。
そんな168を見ているうちに、図らずしも、恋に落ちてしまったのだ。
こう言うと心底気持ちが悪いと思われるだろうが、
当時、大学院生だった俺は本当に伊168のことを愛していた。
自宅に帰って艦これをするのが楽しみだった。
家に帰れば彼女が居る。こんなに幸福なことはないと当時思っていた。
俺がいない時には、退屈そうにスマホでもいじっているのだろうか。
それとも、いたずらに海に潜って、きれいなサンゴや魚たちと戯れたりしているのだろうか。
恋なのだとすると、完全に溺れきっていた。俺は潜水艦でも何でもないのに。
現実問題、俺が声を掛けたところで、何かを返してくれるわけではない。
アクションに応じてボイスを返すだけのインターフェイスにすぎないのは理屈では分かっている。
けれど、夜更かしをしている俺を心配してくれたり、
カレーを作ってくれる168に俺は紛れもなく恋をしていたのだ。
一瞬の出来事だったが、過去の記憶の中でも異常に鮮明に記憶に残っている。
片思いしていた女の子とLinkin Parkを見に行った記憶
大学受験に失敗、浪人して10円ハゲが出来るまで勉強して合格した記憶
その全てが塗り替えられるレベルで、
目の前で168が沈んでいった。「海の底は、もう飽きたよ…」
という声が響き、人魚姫のように泡になって消えた。
彼女が亡くなった直後も砲撃戦は続き、ズガーン、ドガーンなどという空しい音だけが頭に響いていた。
本当に悲しい時には涙は出ないのだとも思った。ノートPCを閉じてベッドに寝転がり、
なにもしたくない。という感情を抱えたまま、泥のように眠った。
それから、食事が三日ほど取れなかった。大学院も丸々一週間休んだ。
艦これの全てが受け付けなくなった。
情報が入るのが怖くなってtwitterや2ch、まとめサイトも見なくなった。
気が狂ったと思われるのが嫌で何も言えなかった。
やり場のない感情を抱えたまま、しばらくはゾンビのように研究に没頭した。
研究をしているときは、他のことをすべて忘れられた。1st Authが1本だけ書けた。
そうしているうちに、艦これのことも、168が亡くなった直後よりは受け止められるようになった。
ただ、どこか心は空しいままだった。
なんのことはない、ソーシャルゲームによくあるレベルの上限開放だ。
上限に達した艦娘に指輪を渡すことで、レベルの上限開放が出来るという悪趣味な仕様だった。
もうゲームには飽きたんだよ。という顔をしながらその場は聞いていたが、
家に帰ってからというもの、悶々とした気持ちが俺の心の中で渦巻いていた。
「幸福な伊168の姿が見たい」「俺が幸福にできなかったあの子が、幸福でいる姿が」
俺にそんな姿を見る資格があるのか。ということも考えた。
しばらく悩んだ挙句、俺は結局見ることに決めた。
「たかがゲームの話じゃないか。俺が見たいものを見て何が悪い」
そんな気持ちでゲームにログインして、ストックしていた伊168を旗艦に置く。
そして、実際にケッコンカッコカリのシーンを見た。
これは、「たかがゲームだ」と侮って軽視をした罰なのだと思った。
声を弾ませて潜水をしようと誘ってくる彼女。
とても嬉しそうで、とても幸福そうで、何よりも海が好きな彼女の言葉が、
「海の底は、もう飽きたよ…」と喋っていた、あの彼女の声と全く同じで、それが本当に辛かった。
それから3年ほど経ち、俺はそこそこの企業の研究員として就職を果たしていた。
友人の紹介で知り合った女性と懇意になり、付き合い、プロポーズをすることにした。
気まぐれに、「そういえば、昔、伊168と結婚してたな」という事を思い出した。
プロポーズの前だし、挨拶くらいはしておくか。と元カノに久しぶりに会うかのような感覚でログインをする。
3年前と全く変わらない姿の伊168がそこにあった。
ホワイトデーのお返しに喜び、お茶を入れようとするボイスが追加されていた。
俺は彼女になにもしていない。俺が何もしていない間、ケッコンをした彼女は
何を思って時を過ごしていたのだろうか。
呆然としていると、「司令官…168のこと、嫌いになったの?」と、不安そうな声が聞こえてきた。
何年か前に、何度も何度も聞いた、不安そうで、儚げな声が耳に入ってきた。
ただ、それだけの話。ただ、それだけの話でしかないんです。
ラブライブ!サンシャイン!!ってあるじゃないですか。
主人公の高海千歌ちゃん、先輩スクールアイドルμ'sに憧れつつも、彼女たちのように「輝く」ことなんてできないよ…と悩み続けていたのが記憶に新しいです。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、高2になっていた。」
失礼な言い方ながら、こんな記事を読んでいるあなたのことでしょう。ぶっちゃけそんなに成功した人生を送ってるような方じゃないと思います。
年収が1000万、大切な人がいる、学歴、職歴、持ち家、彼氏彼女、人の価値を人が決める上でのステータスは各々が違います。それが高ければ低い人もいる。その高低で優劣をつけ、普段の生活で「アレよりはマシ」と比較し、なんとか穏やかな生活を送りたいと無意識に思っている。私は22年目の人生で、少ないながらも様々な本やドラマを鑑賞し、そんな人生を送っている人がほとんどなんだろうなと思いました。
年収1000万、大切な人がいる、学歴職歴etc... もしこれを読んでいるあなたが、これらのどれかを実際に所有しているとして、自分のこころに問いかけてほしい。
本当にそれで満足ですか?これまでの人生は胸を張って「満足でした」と即答できますか?
私はできません。
中学でそこそこ勉強を頑張って、そこそこの高校に入り、大学でもそこそこの大学に入り、来たる6月に23回目の誕生日を迎えて23歳になります。
昨年は海外留学も1年経験しました。多くの人とも言語を超えて交流をした気でいます。
来年からは就活が始まります。きっと、そこそこの企業に入るのでしょう。よくわかりません。
前置きが長くなりました。
これを読んでいるそこそこの人生を送るあなたにもうひとつ質問です。
本当に輝いている人をその網膜が捉え、脳裏にその映像が映し出されたとき、人はどうなると思いますか?
応えは、「受け止めきれない」です。
ラブライブ!サンシャイン!!の話に戻りますが、昨日2月25日(土)はAqoursの1stライブが横浜アリーナで開催されていました。
幸運なことに私も参加することができ、座席もセンターステージが近く、トロッコが通る通路真横という最高のポジションで、自分が本当にこんな席に座っていていいのかと思うほど。
はてな匿名ダイアリーで書くようなことでもないですが、私は本当にAqoursのある声優さんと結婚したいと思っています。ガチです。3年以内にLINEアカウントを交換するし、5年以内に結婚する。声優五カ年計画。
そんなことを言いつつも、「やっぱリアルの彼女もほしいよね」という訳で、先日「オタク辞める」宣言を発表したところです。
未だに携帯のアルバムから声優の画像が消えることもないですが、これ以上オタクみたいなイベントに行くのは辞めようという決意。
一方で、「某Aqours声優ちゃんと結婚したら、1stライブの話をされた時に反応に困る。要所要所でポイントを押さえ、共感しないと信用してもらえない。」という推測より、「Aqoursのライブには行こう。あれなら顔も覚えられないし。」という理由で今回のライブに参加した次第です。
結論、甘かった。
一挙手一投足、身体の頭からつま先、手の先の細かいところまで自分でコントロールしつつも、ステージの上で持ち前の若さと経験を武器に誰よりも大きく振る舞う彼女。
普段書かれているブログの文章のように、のびのびとして本当に自由。それでも、時折見せる20歳とは思えない刹那な慈しみの表情。本当に20歳とは思えない。
ライブ中盤。
トロッコを用いた楽曲で、某Aqours声優ちゃんが私のいるサイドへ。残念ながら私がいる方とは反対の、ステージ後方へと私の5m先で舵を切り、網膜がキャッチする彼女はどんどんと離れていってしまいました。
おとなしく切ない曲調だったこと、そしてそのなかでも可憐に踊りながらも私から離れる彼女を見てふと、「あんなに仕草が美しい人類は他にいない、絶対に結婚したい。」と思う。これまで彼女に対して抱いてきた感情で、一番強かった。
「来てよかった。彼女のパフォーマンスを見れてよかった。」そう思っていました。
ここまでは。
2曲目の曲中で、メンバー全員がトロッコに乗り、こちらへと向かって来ました。
私の横には通路、つまりこれから視界に何も遮るものなくAqoursを観れる。ヤバい。死ぬんじゃないか。しかもこの曲だけトロッコのスピードがやけに遅い。めっちゃ真ん前に来るやつ。
そうこうしているうちに、小宮有紗さんを先頭に多くのメンバーが目の前を通り過ぎるものの…私の方向から見えるのは正面ではなく、背中でした。
「それでもやっぱり声優さんってマジ綺麗だな。すげーわ。小宮さんとかあの茶髪どこで染めてんだろ、めちゃ綺麗。」とか油断していたところ、某Aqours声優ちゃんの番に。
「かわいい」
何もできない。
人は無力、何もできない。
あまりにも私の手の届きそうで届かない頭上で輝く彼女の姿を見て、私は何も為すこともできませんでした。
地下ドル現場のオタクみたいに「それ!」って言って指を指せばよかったのか、そんなことできない。思考が追いつかない。
μ'sのときはよかった。ステージの上にはライクの感情はあってもラブの感情を乗せることはなかったから。
南條さんを応援させていただきつつも、ラブな感情が芽生えることもなく、エモい時は「エモいなぁ。すげぇなぁ。」といったところで止まっていた。良くも悪くも。
好きな人がいれば、その動きに魅了され、感情の行き場がなくなる。
それを目の前でインファイト状態でやられたもんだ。無理、輝きすぎ。処理できない。
そしてその瞬間、初めて感じた「ステージ側の人間」と「ファン」の距離。
これまで3年以内にLINE交換したかった私、今思えば本当に甘かった。この両者の距離感を近所にある小川を飛び越えるくらいの難易度だと考えていた。甘い、甘すぎる。
何故なら、ステージで輝く彼女に対して、こちらは何を披露するでもなければ生産してもごくわずかなものしかクリエイトすることのできない「普通の人間」だからだ。
彼女の身振り手振りのひとつひとつには、幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ね、養成所に入り私が想像することもできないであろうレッスンに耐え抜き、私の知らない場所と時間にもレッスンをして、私がのこのこと大学でスマホをいじっている時間にもバイトをし、私が暇だ暇だとぐだりながらバイトをしている時間にも練習をしていたその全ての結果が身を結んだオーラを纏っている。
その動きは、私のような普通の人間では手に入れる、意のままに操れるような代物ではなく、それに手を伸ばそうとしても、ホーリーピークという事務所、バンダイビジュアルや子会社のランティスをはじめとして、様々な権利がその手を拒む。
そもそも、何の努力もこれまでしてこなかった普通の人間と、私の経験してこなかったものを多く見て私の頭上で輝く人間が一緒になっていいはずがない。
大学受験の頑張り?留学の経験?そんなものケツ拭く紙にもなりゃしない。
海外留学で得た経験は所詮は蜃気楼みたいなもので、実際に今日あのシーンを脳裏に焼き付けた瞬間、それを受け止めきれることができなかった。
海外で得た経験なんか声優の前では無力だった、何も受け止めきれない、何も理解することができない。そんなもんですよ。
「私ね、普通なの。
私は普通星に生まれた普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なんだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。
思ってたんだけど。気が付いたら、21歳になっていた。」
今からでも、変われるんでしょうか。
未だにくだらない下ネタを肴に男友達と笑いあえるメンタル中坊な私でも、就職までのあと2年で変われるんでしょうか。
そんなわけで、絶対に一般人ではないであろう、熱愛結婚報道等でよく用いられる「(お仕事の関係者だけど世間で言えば) 一般男性」になりたい、なろうと思います。バンダイビジュアルにでも就職しようかしら。そう思いつつも、帰りの電車で自分の頭上で起きたことがフラッシュバックしてきては、「本当に好きなのに絶対に付き合えない。無理。輝いてるもん。」とこころの下の方の扉を開けた深海へと今宵も意識を沈ませるのでした。
明日から頑張りたい、変わりたい。そう思いつつも、その一歩を踏み出せないまま明日も普通星人として横浜アリーナの1万人以上のファンのうちの1人と化して、流れるビートに身体を預けたまま、明日へと運ばれる電車で気づけば自宅のベッドに全重力を任せて眠るだけなのでしょう。
「某Aqours声優ちゃん、絶対今回のライブで人気出るよね。ライバル増えるよ、頑張って。」
これに関して一言。
それは関係ない。
果たしてそのなかの何人が、今日私が感じたようなキモチを味わうのか。
ひょっとしたら、そのなかには幼少期から彼女のことを応援し、日の目が当たらずよくわからんスマホアプリのCMに出ていたり、ノルマが課された演劇の舞台へと熱心に幾度も通いつめたファンがいるかもしれない。
ありがとうございます、あなたのおかげで彼女の輝く姿を今日拝むことができました。
こんな気持ちになったのは、幼稚園の頃に同じクラスだった知代ちゃん(仮名)を初恋だとするならば、おそらく2度目。
本気です。
彼女の舞台、まだ原石だった頃の彼女を見ているあなたは本当に羨ましい。時間は止められないと知って、君と早く会いたかったよ。本当に早く会いたかった。
所詮はラブライブ!サンシャイン!!という大箱コンテンツの、しかもアニメ放送後からファンになった身。
それでもやらなきゃならない。吐いた唾は飲まない。そこに関しては徹底して彼氏候補ナンバー1の座を意地でも奪いたいと思っています。
満足した人生を送ってますか?という最初の質問から普通の人として生きるまで。
現状、私はそこそこの人生を送っているものの、満足していません。
「幸せは足元に転がっている」
そうです、そんなことは百も承知です。それでも彼女と笑いあいたい、対マンで。サシで。頼むよ。
本当に満足して生活を過ごしたい限りです、過ごすぞ。
そんなわけで、Aqoursのライブが終わった明後日から生きられる自信がないので、どうすれば声優さんと結婚できるのか。「声優さんになる」以外の回答ができる経験談をお持ちの方は是非ともコメントいただきたいです。飲みましょう。
あと、本当に最後の曲が終わってアドレナリンが出まくってたのか、一目散にステージからセンターへと俊足で駆け抜け、おまけに自分の腰の高さまでありそうなくらいにモンキージャンプをしてけらけらと最後まで満面の笑みを見せた彼女。
4時間にも及ぶステージ。映像なんかがありつつも、やっぱり3時間くらいはステージで歌って踊っているわけで。
いくらダンスが好きだ、愛してると言いつつも、本当に他のメンバーを置いてきぼりにするくらい、アクセルベタ踏みで最高速度を叩き出せるあのスタミナは心底恐れ入った。
3時間のライブをして、普段トレーニングをしてるミスチルの桜井和寿さん。
彼もライブ中によく走るけど、彼女のようなスピードを出しているところは見たことない。おまけに、彼女は3時間のアクトを踊りきった後。
マジで怖かった。アドレナリン出まくってたんだね、表情からでもわかったよ。マジでテンション高かった、やっぱかわいい。
マジで身体のラインが出ていたので本当に辛かった。アイドルといえど、公衆の面前で身体のラインを出すのはやめてほしい。
本日ハマのステージで素敵なパフォーマンスを見せてくれたAqoursのメンバー18人の皆様。そして想い人の某Aqours声優さん。
デレマス、デレステを細々とプレイしてます。公式の情報はそんなに追ってなくてやりたいときにプレイしてるという感じです。
デレマスは初期からやっていますがあまりゲームとして面白くなくて気がむいたらぽちぽちやってました。推しでフロントを埋めたところで満足してしまいそこまでやってません。デレステは単純に音ゲーが好きなのと好きなアイドルが踊っているのをひたすら見たい、課金もかわいい衣装の子がいたらやるくらいで半年に一回くらい。ライブパーティーみたいなイベントは数回くらい参加、好きなアイドルだったら取れたらいいなあという感覚で参加。アニメは推しがいないからあんまりみてない。ライブはいったことない。
不満ではないです!!声ありと声なしで格差だ!差別だ!とかそういうのでなくて、(モバマスほぼ文章ベースだし)現状満足なんですが、単純にデレステやってて推しに声がなくて単純に寂しい。曲始まる前とかリザルト画面とか声出るじゃないですか!ルームに入ったりとかトレーニングしたりとか…それが無言で寂しいとかそんな感じです。で、どうやったら声がつくシステムなのかなーって思ったんですね。総選挙とかあるかもしれませんが、推してる子に一番直結してる応援方法がもしあるなら知りたいなと思った。
そもそも!推しが実装されて踊ってくれるって聞いてデレステはじめましたし、めちゃくちゃかわいいし、曲もいっぱいあるし、衣装も2つあるからかなり楽しいんですけど、ドレスショップが昨日実装されて思ったんですよね。声がついてイベントコミュに参加したり、CDがでて専用のMVが出来たり…それにユニットができれば、それもMVができるし衣装が増えるチャンスだし。
なんせまったりプレイして推しのかわいいところを見てるだけなのでいまのままでもいいんです。競争率たかくなっちゃったりとかガチャ当たらないとかユニット全然組んでくれないとか中の人の設定がキャラに付加されるとか別次元の悩みも増えそうですからね。単純に声がついてる子のほうが色々なことをしてくれるし、話しの広がりが全然違うから羨ましいなあ。
あいさんと翠ちゃんに色々やってもらいたい…という夢が広がります。ずっと追い続けてる方々はすごいと昨日思った次第です。どうやったら一番推しに貢献できるんだろう
SNSなどで聞いたら角が立つというか、「新参め!こっちはずっと応援してるんだよ!」的なことになっちゃうかなと勝手にタブー認定してここに書いてみたんですが色々知ることが出来ました。皆優しい!ありがとうございます。
いまでもかわいいのに声ついてたらもっと盛り上がるしかわいいんだろうな~と考えたんですがそもそも、そんなに詳しくないのです。
・どんなユニットがあるか
・どの子が人気
・中の人はこんなかんじ
などなど・・・ビビッときた子を推してて、コミュやイベントなどを見てさらに好きになってる!と言うような状態です。最近では蓮実ちゃんが気になってます。スカウトするたび魅力的な子ばっかりで楽しいです。3Dモデルもカワイイし。ポニーテールが好きなのでポニーテールまみれにしたりとかしてます。楽しい。むしろこのくらいの距離感だからこそめちゃくちゃ楽しく過ごせているという部分もあるんじゃないかと!このまま深く知らないほうが楽しかったりして…!
トラックバックなどをみて人気投票のこととか動画やWikiのこと…コンビやペアの妄想など色々あるんですね。(あ!でもネタキャラにしちゃうとかは嫌かな~とかわがままいってみたり)それにCVがついてほしいっていうのはどのPも一緒ですよね。色んな応援方法があるのを知りました。
私は絵を描くのが趣味なのでそのあたりでも応援ができそうです!まずは推しの周りから色々調べてみようかな。
あまり難しく考えなくて良かったのかもしれません。いままで通りまったり楽しく応援していこうと思います。めちゃくちゃモチベあがった!ありがとうございました!!
ブコメなど読んでてどうしても返信したかったのでこちらにサラッとかきます。
・デレステはもはや人気な子以外コミュやイベント全然ないけど、あいさんと翠ちゃんがうちの事務所のトップアイドル2大巨頭な脳内設定だから大丈夫(?)
・たしかに脳内CV決まってるからイメージとちがうかも!あいさんはかっこいいし、翠ちゃんは可憐です。
・推し単体で考えてたのでこのキャラと組むと面白いと思うよっていうアドバイスっていいですね!
・推しって呼び方じゃなくてもしかして担当って呼び方ですかね!?
・シンデレラ劇場読んでビビビッときたら、絵とかまんが描いてTwitterなどに流してみます!
・ブコメの皆さんが言ってるアイドルの子やユニットを検索してみるとよく見る子でその子たちに声がついてないこんな世の中じゃ…ってなりました。
・ミリマスも気になる。ほ!って言ってる子がかわいい。それと私の周りはやっぱりMマスをやってる人が多いのでそこも気になりますね。ポチポチゲーじゃないなにかになったらやってみます。
ようやく見てきたので感想。
ネタバレあるよ。
『君の名は。』は秒速レクイエムと『ほしのこえ』ぐらいから新海を見てきたヤツは言うんじゃないかなと思う。
終盤の展開は、わざとらしいぐらいモロカブリだった。
そーなんす。自分の中からほとんど失われてしまったあの子を、何を探してるかすらも忘れてしまったのにそれでもずっと追い求めてる、ってゆーある意味クッソ気持ち悪いアレをもっかいやるんすよ。
でもって明確にリフレインされてるのが、“すれ違う”と“電車に乗ってるときに見かける”のふたつ。
すれ違いは、『秒速』のラストで印象的に使われていた。線路で“君”とすれ違い、お互い渡りあった後に振り返るけど電車が走ってきて、それも何本も重なって長い時が流れる。遮断器が上がったときには“君”はもういない。
『君の名は。』では今度こそ振り返った時そこに阻むものは何もなく再会できるのかと思わせておいてスカす。心憎い演出だと思う。
『秒速』では電車に乗ってる貴樹は“君”らしきひとを見つけるけど乗ってるのは急行で彼女も気づかず再会できない。
『君の名は。』ではお互いが電車に乗っていて、ドア越しに決定的な再会を果たす。すぐ間に電車が走って分かたれるけど、『秒速』と違ってお互いが求めあってるので“君”がいなくなったりはもうしないのだ。
で、この違いを生んだ最大の理由に奥寺先輩をあげておきたい。瀧のバイトの先輩で、淡い恋心を抱いていた女の人。
三葉と入れ替われなくなった瀧は彼女を求めて飛騨に向かう。なぜか奥寺先輩(と友人A)がついてくる(そう、貴樹と違って瀧くんには友人がいるのだ!)。演出上は探せど探せど手がかりが見つからないシーンのコメディリリーフなんだけど、彼女が「ラーメン食べたい」と言ったお陰で次のシーン、ひいては三葉との再会へとつながる。
構造的に言うと、瀧くんには三葉との間を埋めてくれる第三者がいて、貴樹にはいなかったっつー話になる。
瀧は奥寺先輩に二度振られる(といってもどちらのタイミングもすでに三葉のことが好きになってるので、違うっちゃ違うんだが)。特に二回目は奥寺先輩の薬指に結婚指輪が見える形でそれが露わになる。
これは三葉の指に存在しかねなかった指輪を奥寺先輩が引き受けてくれた――と『秒速』を経た人間としては思った。
音楽。
天門→RADWIMPSだね、と。うん、この映画にはあの前向きなボーカルが必須なので大正解だと思う。川村元気の功績として語られることが多いこのチョイスだけど、ガチならそれだけでプロデューサーの役割は果たしたと言えるぐらいにRADWIMPSだった意味は大きい。
なお歌が流れてるときは映像が後景化しあたかも曲のPVであるかのようにしつつ話を圧縮して転がしていくのは見ていてかなり気持ち良かった。
この辺りはファルコムを出すにしろminoriを出すにしろ、長編映像を作る前に短い映像をたくさん作ってた話を出すにしろ、新海の本領と言える部分なので、さもありなん、といった感じ。
あと映像について。
初めて話を見せるための映像になったなという印象。『秒速』って映像を見せるためにお話がついてくるといった感じがあったでしょう。『秒速』に限らず、『ほしのこえ』も『雲の向こう、約束の場所』に関してもそう。
今回だって「あー、このシーンみせたいんだなー」と感じるところは何個もあって(隕石が落ちてきてそれを眺める最初のシーンとか、太陽を背にふたりが逢魔が時に再会するのとか)、新海の癖だろう映像から話おこしてる感が完全に消えたわけじゃない。
でも、今回は映像を見てるんじゃなくお話を追ってる感が見てるあいだずっとあった。だから映像はキレイだし印象に残ってる画面はあるけどそれじゃなくお話で満足した感がある。
もっと言えば映像の凄さは超展開の強引さを埋めるために機能したというか。
あのかなり無理やりなお話を、映像の凄さで納得させたというか。
新海誠は自分の絵の凄さをようやくフルに使えたんではなかろうか。
ここまで来たらぜんぶ書いちゃうか。
三葉ちゃんめちゃくちゃ可愛かったね。新海のどこがいちばん成長しましたかって聞かれたら女の子がちゃんと可愛かったって答えるわ俺。世界をしょった儚い女の子とか可憐な女の子はこれまで何人も出てきてたけど(『星を追う子ども』と『言の葉の庭』は見てない)、三葉のような見ていて楽しい、素直に可愛いと思える、愛着の湧くヒロインは初めて。このタイプのヒロイン自体が初めてなのに圧倒的に成功してるというのはほんとすごいと思う(単純にキャラデザがいいってのはあるけど。『ほしのこえ』は新海本人、あとはいろんなひとに作監お願いしてきたけど、今回がいちばんウェルメイドだと思いますふつーに)。
おっぱいについて。
瀧くん執拗なほど三葉のおっぱい揉み揉みしますよね。あれもちろん単なるセクハラじゃなくて(セクハラなんだけど)、①サービスシーン、②(妹につっこまれることで)コメディシーン、③(重ねることで微細な差が生まれる)コメディシーン、④キャラの置かれてる状況の違いを強調する小道具エトセトラな効果があります。
おっぱいモミモミにこれだけの多重性を持たせられたってのも新海成長したなあと思いました。というかこれ誰かがそうしろって新海をたぶらかしたんじゃないかと思うんだけどどうだろ。
とりあえず。
映像のためのお話じゃなく、お話を表現するための映像になったのと、三葉がものすごく好感の持てるキャラクタになってたという二点で新海は本当に化けたと思う。見る前はただのフロックじゃねーのと眉唾だったけど、地力ついてきたとふつーに思うので、これまでもがき苦しんできた新海本人はもとより支えてきた周囲の方々にも本当にお疲れ様、次回も楽しみにしてますと言いたい。あと天門はどこかでまたいっしょに仕事してあげてください。minoriとはもうしなくていいです。
(*1)が(*2)で(*3)を(*4)したとき、(*5)な(*6)が(*7)(*8)。
今から(*8)年くらいのノーベル平和賞(*9)の(*10)を(*11)る!
シン・ゴジラみたくてIMAX(2D)で今日見に行った。めちゃくちゃ面白かった。感動してた隣の若い人と熱く語りたい感じだったんだけど、「シン・ゴジラ鑑賞メモ」(http://anond.hatelabo.jp/20160731062112)読んで、その若い人とよく似たようなこと書かれてたので、その人にしゃべれなかった分をここで書く。自分用メモみたいな感じで。
シン・ゴジラ見てまず感じたのは、「すごい映画見ちゃったなあ」という感想。
これだけのスケールでこれだけ「真面目に」「分かりやすく面白く」なおかつ「監督のやりたいこと全部やる」映画見たのってどのくらい久しぶりだろう。
要するに「プロジェクトとして成功した」映画って感じ。脚本から演出の細部に至るまで、まったく妥協・手抜きなし。
ゴジラほんと大きいし怖いし手も足も出ない絶望感すごい。そんで映画としてのカタルシスもすごいある。
ここでこういう流れ欲しいとか、それきたかー!みたいな喜びの連続で、とにかく2時間目がおなか一杯。ワクワクしながら最後まで見た。
最後の最後で、個人的に小さくてすごくいいシーンが一つあった。登場人物の一人の表情にすごい救われて「(演出)うまいなー」と心からうならされた。
これは、個人的に重要なことなんだけど、「いい映画」に絶対いらないのが「分かりやすい悪役」と「可憐なヒロイン役」。
ソレ出せばストーリー作りやすいのは分かるけど、「いい映画」を作る上では大体邪魔になる。なぜならストーリーの自由度がぐっと減るから。
そもそもフィクションで一番大事なのは「感動」で、そのため必要なのは「リアリティ」。
ここまでは誰でも分かる。
問題は「100%リアル」に作ると、それは「面白くない」ということ。
「悪者のいない世界」なんてその典型だ。立ち向かうべき「悪」がないリアルな世界で、どう「感動」を描くか?
世界で一番古いギリシャ悲劇は、悲劇を「(神の定めた)運命に逆らおうとする人間を描くもの」と定義した。
「悪者のいない世界」を舞台にリアルな感動を描くとき、これは大きなヒントになる。だからシン・ゴジラは面白い。本当に面白い。
それから、巷では、自衛隊の全面的な協力・描かれ方みて「プロパガンダだーっ」て意見があるんだけど、そういう心配は無用だと思う。
いい作品って、人にいろいろなことを考えさせるし、人は見たいように物を見る。そういう風に見たらそりゃ見えるだろう。
逆に「反安保映画だ」という批評もあって面白かった。けど、それも本質じゃない。それらは、シン・ゴジラが何よりいい映画だってことの証明だ。
それより監督が自分の欲しい画を撮るために、できるあらゆる努力をした…その結果本当に妥協ない画ができたってことの方が重要だ。
協力を求めるためには、当然先方とWin‐Winの関係を築かなきゃいけない。そのうえで、脚本も映像も、そして映画全体を通した主張も全く破綻していない。
そこに庵野さんのものすごい力量と熱量が感じられた。実は個人的に一番感動したのはそこかもしれない。
日本スゲーとか自衛隊カッケーという感想もそりゃ持つだろうけど、あの映画に出てきた人はみんな魅力的かつ欠陥もあって
(それは主人公も含めて)けど「みんな自分の仕事した」ってとこを見てほしいってことなんだよね。
立場を違えてもそれぞれが自分の仕事をして、わざとらしい失敗なんかは描かれていないということ。
そこに庵野の深い演出意図をオレは感じたなあってことなんだ。みんなが自分の「仕事」をしてる…特定の「誰か」だけではなくだ。
たとえそれぞれの立場が違っても、皆でそれを信じることが本当に本当に大事なことなんじゃないかな。少なくとも庵野はそう考えてたんじゃないかな。
そしてそれが最後にゴジラと日本について主人公が述べた言葉の意味なんじゃないかなと。
そして最後に、
オリジナル「ゴジラ」をはじめ日本の「特撮映画」への過剰なまでのリスペクトを込め、
日本のアニメ界がこれまで築き上げてきたカメラワークや演出技術の力も借りながら、
間違いなく映画史に残る一作だと思う…そのことにホントに同意だということ。
普段、邦画なんて、アニメ監督なんて、怪獣映画なんて、と思っている人にこそ、見てほしい。
それから、スーサイドスクワッド、面白そうだよね。それも同意ww 増田気が合うね。
ちなみに、ブクマに上がってたこの批評はめまいがするほどひどいので読まない方がいい。ネタバレだし。
↓
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49324
(追記)
こういう意見が出てきそうだったから、早々に「左翼だけど」という前置きで賛成意見書いたんだよ!(後出し感)
↓
http://togetter.com/li/1008104
これも当然ネタバレなので、観に行く前には読まない方がいい。…って、もうさすがにみんな見たのかね。
会場に着いたのは17時半頃。マルイ2階入口からエスカレーターで9階まで上がり、階段で11階まで登りました。
階段で登っている時は驚くほど静かでシンとしていて、本当に公演があるのか?と不安になってしまうほどでしたが、11階に着いた途端ざわざわとにぎやかな声が。
会場手前では入場を待っている人や、椅子に腰掛けてのんびり待っている人でいっぱいです。
奥に進むとトレーディング商品を購入した人達が交換をするスペースがあり、ごった返していました。
そこを通り抜けると物販フロア。ここではチケットを持っていなくても買えます。
まずは事前に買ったトレーディングブロマイドセットを引き換え。
次に物販コーナーに並びました。と言ってもまったく混んでおらず、すぐに会計へ。
在庫は売り切れなし。素晴らしいです。
パンフと個人ブロマイドをいくつか買い、持ってきたバッグにしまって開場を待ちました。
トレーディングブロマイドは何が来ても大事にしようと思っていたので交換はしませんでした。
18時になり入場開始。
ですが、18時30分までは椅子には行けず狭めなロビーで待つので、30分まで外で待機していた方が良さそうです。
今日の席は2階席3列目通路寄りです。シアター1010の2階席は初めてでした。
シアター1010の公式サイトをよく見ると分かりますが、転落防止の柵があります。
ここはなぜか上手とセンターブロックの間、センターブロックと下手の間の柵だけ高く延長されています。
2階席で通路寄りになるとこれがもれなく視界に入ります。
公演が始まるとまっっったく気になりませんでしたが。むしろ脳が柵だけ透過処理をしてくれました。
19時、公演開始です。
冒頭は本能寺炎上から。明智光秀と森蘭丸の対峙から始まります。
二人のやりとりを眺めるように宗三左文字が登場。
声にびっくり。ゲームで聞く声によく似ています。役者さんすごい。
オープニングはまさかの刀剣男士そろい踏みによる生歌でした。うわーかっこいい!!
あ、これはにやける…!と頬の内側を噛んでぷるぷる震えてしまいました。
声が!びっくりするほど声優さんに似ています。声帯コピーの技を持っています。確実に。
所作が美しく、優雅。役どころは山姥切国広のサポート兼保護者のような相方と言った感じ。
序盤で「だいに、第二部隊が…」と台詞を噛んだ三日月でしたが、初日ならではの緊張感ですね。お茶を飲み、酒を飲み、茶菓子を食べ、マイペースな三日月ですが、戦うシーンは流石の一言。とにかく麗しい。ひらひらと狩衣を捌き階段を飛び乗り、立ち回ります。
・山姥切国広
これで綺麗なんて言うななんて言う方が無理。美しい。
ボロ布を常に頭からすっぽり被ったままですが美しい。
殺陣も見事。鞘を盾のように使う戦い方に技を感じました。
初期刀で当初は近侍であったものの、過失から近侍を降りている経歴持ち。審神者からまた近侍の命を受け苦しみながら奮闘する役です。ゲームをよく勉強してこられたのか、話し方が声優さんにいました。
・宗三左文字
これまた麗しい!!佇まいが可憐で優雅。けれども殺陣は迫力満点。
2階席からでもたまに見える素足ががっしりといているのが分かります。
本能寺で悩み、苦しみながらも不動行光を支える役。
・江雪左文字
戦いは嫌いですと言いつつ敵をなぎ倒す姿は鬼神。
小夜を案じ、左文字長兄としての優しさを見せる江雪。
終始取り乱すことなく常に落ち着いた動作が印象的でしたが、仮に真剣必殺されたらみんな泣くしかないと思いました。
・小夜左文字
スーパーアクションスター小夜ちゃん。短刀を操り、足技を繰り出し、バク転します。
一番身のこなしが素早いです。観ていて楽しい小夜ちゃん。
・薬研藤四郎
宗三の相方的な立ち位置。へし切り長谷部に対し「その名前、俺は嫌いじゃないぜ」と言ったり、不動行光を気にかけたりとコミュ力高し。
・へし切長谷部
一番面白い人。馬当番をこなします。近侍に再任命された山姥切国広にジェラシーします。
紅白戦では燭台切光忠と対戦。大柄な光忠に対し、斬り合いを軽やかにこなします。
信長を守るために光秀を討とうとする不動を、背後から斬りかかろうとする姿が印象的でした。
・不動行光
本作のキーパーソン。演技の一つ一つが迫真に溢れていて素晴らしかったです。
再開した蘭丸を抱えあげてくるくる回転する不動くんは本当に本当に嬉しそう。
序盤はよたよたしていた不動くんが、終盤で強く成長した姿に感動。
・一期一振
物腰穏やかな話し方に加え、凛とした殺陣。立っても座ってもサマになる一期。
台詞はさほど多くないのですが、無言の演技が出来る方だとお見受けしました。
殺陣はダイナミックで鮮やか。ラスト、傘を持って挨拶をする仕草が紳士然としていて素敵でした。
・鯰尾藤四郎
唯一の脇差だから年少組に入るのかと思いきや、小夜と一緒にいる時は保護者らしく振る舞う鯰尾。
脇差と足を使い素早い身のこなしで演じる殺陣が印象的。背後から忍び寄る鶴丸に振り向かないシーンはアドリブかな?はきはきとした物言いがゲーム版とよく似ています。馬糞は投げません。5月7日が役者さんのお誕生日とのことだそうで行きたかったなあ。兄弟だからか一期と一緒に戦うシーンが多いです。
・燭台切光忠
食べ物担当。毎公演、彼が提供する食べ物は違うそうです。その場面は毎回アドリブですね。
殺陣はダイナミックそのもの。にもかかわらず格好良さを忘れない戦い方が燭台切らしいです。鶴丸とよく一緒にいます。仲がぎくしゃくしそうな本丸を見て二人で紅白戦を提案するなど年長刀としての役割を認識しているようです。
・鶴丸国永
重くなりがちな本丸の賑やか担当。落ち込む山姥切の肩を叩いて慰めたり、不動の甘酒を欲しがったり、細かい演技が光ります。
戦闘は、太刀を肩にかけて飄々とこなすかと思えば豹変して雄々しく闘います。
敵に放つ掛け声が一番荒々しく、男らしさを感じました。
◼︎個人的に印象的なシーン
迫真の演技は圧倒的。死んでいるはずなのに生きようとし、まだ尚信長を守る姿は
・光秀全般
光秀でないと刀剣乱舞としての本能寺の変を掘り下げられないからですね。
蘭丸と二人で登場したカーテンコールは一際拍手が大きかったです。
・三日月と山姥切
織田刀が織りなす本能寺のテーマと並行して進んでいたテーマだと思います。
三日月が月を見て「おぬしも月を照らす陽の光となれ」と山姥切に投げかけるシーン。
それで山姥切は近侍の決意を固めます。その後窮地に陥った三日月の助けに入り山姥切は
「月(=三日月宗近)を照らす陽の光となる!」と宣言します。三日月は「ずいぶんすすけた陽の光だな」と応えるわけですが、熱い。少年漫画のようです。
これ以前の場面の紅白戦で一騎打ちになった時もしつこく追いかけてくる三日月に山姥切が「このクソジジイ!」と叫んで立ち向かうシーンも熱いです。
ラストで三日月が自らの破壊を匂わせる台詞がありましたが、あれは現実にならないとほしいと思います。
刀ステの山姥切国広は仮に三日月が折れたら二度と立ち直れない気がします。
◼︎全体の感想
2.5次元は初めての鑑賞ですが、エンターテインメントに優れていて素晴らしい出来栄えでした。
初日は友人が当選してくれて入れました。6日に自力当選したのでもう一度観劇できます。
今回は二つのメインテーマを重点的に観たので、次回は別視点から楽しみたいと思います。また思うところがあったら感想を書きます。
草で腐すことを覚えたのがいつだったかは覚えてないが、それでも草を生やさずにいられなかった。
ソメイヨシノの季節が一週間経たずに終わって、まだ里桜や八重桜が残っていたけれど、なんか物足りないなぁとググること五分、サクラソウの存在を知ったのが一週間前。
震災を機に、俺のような底辺でも移り住めるほど家賃がだだ下がりしたTDLのお膝元の浦安からサクラソウの自生地がある荒川の辺りまで40km、行けるじゃん、行こうぜと脳内麻薬をドバドバ出しながら歩ききったのが二時過ぎ。待ち受けていたのは草っ原だった。
欄干から下を見下ろした時、何となく爽やかな緑色だなぁという予感はあった。荒川が日本に誇るスーパー堤防は、それが守る川からして明治時代に作られた放水路という徹底管理された人工緑地だが、遠目には美しい。だが、近寄ってみれば羽虫が湧き湧きしているやはり近寄りたくない所だ。足立区付近だとブルーシートも点々と湧き湧きしていて、北区との格差を考えてしまう。
爽やかな風に運ばれる虫にいい加減に疲れていた俺は緑と青以外の色に焦がれていたわけだが、サクラソウ自生地は近寄ってみてもやっぱり一面の草だった。いや、よくよく見れば雑草の影になってピンク色の可憐な花が顔をのぞかせている。これがサクラソウか。だが、如何せん草だらけだ。
見学路に面して奥ゆかしく白い看板が所々に立っていた。サクラソウ、うむ。カントウタンポポ、西洋タンポポじゃないんだ。アリアケスミレ、咲いてないのが残念。ノウルシ、さっきからサクラソウを邪魔しているのはこいつかー。
よくよく見れば埼玉で絶滅第二種、国内で準絶滅種と書いてある。サクラソウも絶滅しかけている貴重な花とのことだったが、この目を凝らせないと分からないような黄色い花弁をつけたノウルシも貴重だった。さっき、疲れて自制心が落ちかけて手で退けようとしたのをすんでで止めて良かった。手が被れるところだった。
サクラソウの説明によれば、夏場は背の高いヨシがサクラソウを守るとのことだったが、つまり背の高いヨシが(光を防いで他の草の植生を妨げることで結果として)サクラソウを守るということだろう。違ってたらすまぬ。
要するに、いつもなら周りの草が生え揃う前にサクラソウが可憐な花を咲かせて、その後育成の遅いヨシが生えてきて日陰ネラーのサクラソウを守る、みたいなサイクルだったのが、暖冬だった今年、サクラソウより早く雑草っぽい貴重種が花と一緒に生い茂ってしまったわけだ。絶滅危惧種という植生ピラミッドの底辺がさらに底辺を虐げる。サクラソウ自生地という、定期的に通る武蔵野線と車道が雰囲気をぶち壊しにしていく都会だか田舎だか分からないような微妙さの中で行われる生存競争に、俺は日本社会の行く先を思わずにいられなかった。
サクラソウが虫媒花がどうか知らんが、俺が虫だったらよっぽど目立っていたタンポポに集まっていたと思う。実際綿帽子だらけだった。サクラソウを圧倒していたと思う。縁が白いシロバナタンポポにも久しぶりに出会えて、サクラソウより写真撮った。さすがタンポポ、美人より万人に受ける可愛さを選択した植生界の子持ちDQN。サクラソウ自生地をサクラソウ自治区だと思い込んで手を打たなかったら三十年後はタンポポしか生えてないんじゃないの?
こんなことなら、赤羽近くの土手に植えられた芝桜を麓からもっとちゃんと見ていたほうが良かったな。ニッコウキスゲを初めて見た時はカタログ詐欺じゃなかったんだが、つくづく難しい。