ときどき、秋葉原に行く。だいたい、昼にパンチョでナポリタンを食べる。まいかい、俺は「宇宙をかける少女」を思い出す。律儀だ。
知ってる人には説明不要だが、圧倒的大多数がその集団から外れるだろうから説明すると、2クールにわたって放送された古いアニメで舞台の1つに喫茶店があり、そこの看板メニューがナポリタンだったのだ。これだけの記憶で俺はパンチョに行くたびにこのアニメを思い出す。もういまとなってはウィキペディアでは伝わらない。ニコニコ大辞典でも感じられない。放送当時のあの熱狂、まさに狂ったとしかいいようのない最後は。いまならこのアニメに触れるパスも多いだろうから見てほしい。アニメをみれば少しは当時の狂瀾も再生されるのかもしれない。
もし可能なら何が起こったのか、関係者全員に聞いて回りたいくらい、俺の中ではいまだに興味は尽きない。最終話放送直後の2ちゃんねるのスレッドはそれはそれはもうサイコーだった。メイプルタウンのころからネットとアニメを楽しんだ俺は、21世紀にこの狂気が現れたことに身を震わせて楽しんだ。何人が参加したのかわからない。50人もいなかったのかもしれないし、1200人くらいいたのかもしれない。とにかく何か言わないとおさまりがつかない。
現在においてもサンライズからはなにもない。パッケージにもなにもない。とにかくこのアニメについてはなにも情報がでてこない。ただただ想像するしかないのだ。
これは単純に知らないから聞いているのだけど,「JRの列車内で写真を撮影するのにJRの許可が必要」ってのはなにか根拠がある話なの?(他人を写していないとして)
感謝はしている。しかし、嫌味を言ってしまう気がしてならない。
もう別の家庭を持ちました。もう自由に生きていいですよね?といった類いの事を。
社会人になるまで長かった。しかし、学校を出て、生計を別にしてからの時間の方がまだ少ない。
それでもあまり遠くに住むななどと言ってくるのだ。
例えばゲーム廃人してる時とか、全てにやる気をなくして横になってスマホ眺めてる時とか、
会社の愚痴を言うだけ言って何もしない時とか、そんな時だけ穏やかに仲良しでいられる彼氏に違和感を感じている。
逆に転職に向けて頑張ってる時とか、仕事もプライベートも充実させてる時とかはギクシャクした感じになる。
私の話すことが暑苦しいのかな?とか、あんまり興味ないかな?とか色々考えたんだけど、
どうも楽しんでる私や頑張っている私は好きではないのかもしれない。
彼氏はゲーム廃人で、仕事はお給料さえもらえればいいって感じで、本当は小説家になりたかった人。
やっぱり自分よりも収入が上になってほしくないとか思ってるのかな。
自分が夢を叶えられなかったから私にも叶えてほしくないって思ってるのかな。
直接聞いても「そんなことない。転職は応援してる」としか言わない。
頑張ってる自分を褒めて欲しいってところも少しはあるけど、
先日、初対面で意気投合し、飲んだ勢いで彼女の部屋に行ってえっちした。
また来てねって言ってたのに、それから3日たたずしてLINEの返信がない、既読無視ってやつだ。
見た目は女優の木村文乃やアイドル?の村上友梨に似てた。仕事中でも15分おきにLINEをチェックしている
彼女は見た目以外の自己評価が低い様子。(本人は自覚していないかもしれない。)
つまり、彼女は、時間間隔が開いていくだけ、過去の経験に対する評価を下げる。
なおかつ、自分をマイナス評価しない方向へと事実を変容させるには?
それは、俺とのことは無かったことにするってことが簡単な解決策。
俺とのことはただの間違いだと思うことにしておしまい。
そんな予感、たぶん間違ってない気がする。
これまでを振り返ると、願った事が結構な頻度で叶っていて少々の怖さを感じる。
例えば、あの会社と仕事をしてみたいと思うと、1年内くらいで叶うことが結構あった。
会いたいと思っていた人と交流を持つことになったり、
願わない状態と比べると、願う状態は少なくとも頭の中には
たいしてオカルトでもないのかもしれない。
風が吹けば桶屋が儲かる的に、ささやかなことから状況は変わるように感じる。
詳しくはないが、引き寄せの法則と近いのかもしれない。
偶然にしては頻度が高いので、イメージの影響力を感じざるを得ない。
「あなたには、他の誰にも言えない、自分でもよくわからない、一つの悩みがあるからです。当ててみせましょうか?」
「……あなたは、少女が好きなんでしょう。あなたは少女が好きなんですよね?
http://omocoro.jp/kiji/13843/3/
これも許可とってるんですか?
写ってる人全員とか警察にも?
http://omocoro.jp/kiji/15321/2/
これも?
http://omocoro.jp/kiji/15257/3/
これも?
脳がその精神的満足を補完しようとしているのだろうな。
この件で撮影許可が必要かな?ドラマでの使用許可がおりないのとスナップショットの商業媒体への使用許可の問題を混同してるんじゃないの。
謝れ。「SFとはスペキュレイティブ(思弁的)フィクションである」と語ったハインライン先生に謝れ。
SFというのは何も、科学的なガジェットや設定を垂れ流すだけの娯楽ではない。
「人間とは何か」「生きる理由とは何か」「感情とは何か」というような、日常では答の出ない問題を考えるために、
非現実的ではない程度に現実を超えた設定を導入する、思考実験のような側面も持っている。
例えば「アルジャーノンに花束を」は文句なしの名作SFであるし、同時に「幸福とは何か」を問う物語でもある。
漫画で言うなら、名作SF漫画と名高い「寄生獣」は、「人間とは何か」「生きるとはどういうことか」を考えさせる。
同様に、プラネテスも近未来宇宙SF漫画としてよくできているし、多くの「惑い人(プラネテス)」達を描くことで
何度も「人生とは」について考えさせられる。まさに名作SF漫画と言えよう。
ちなみに、プラネテスの作中で主人公ハチマキが得た答えは、あくまでその時点でのハチマキのもの。
横だし,本筋からも外れるが。
物に肖像権は成立しない。
多分,意匠権と混同しているのだろうが,意匠権のあるものについて写真をとって画像として利用しても,それは意匠権の「実施」にあたらないので,意匠権の侵害にもなりえない。
プラネテスの登場で、星雲賞ノミネート候補だった「おまかせ!ピース電器店」が日の目をみることが無くなったほうが
大きい損失だと思うがね。
当時の星雲賞は「完結作品に限る」だったので、ようやくピース電器店がマンガとしてノミネートされる時だったのに
プラネテスの登場により、星雲賞のルールをねじまげて賞を与えてしまった。
こっちのほうがよっぽどだよ。
私はロリコンである。子供が好きだ。発達途中のあの体躯がたまらない。私は男で異性愛者だが、男の子も女の子も好きだ。
さて、足立区に「ギャラクシティ」と呼ばれる公民館があるのをご存じだろうか。
足立区こども未来創造館と西新井文化ホールとの複合施設で、近年、博物館設計の雄「丹青社」のプロデュースによりリニューアルされた。
ここの企画がすごかった。
子どもの描いたデザインが施設の壁を彩ったり、子どもたちが作った文字フォントが今でもパンフレットなどで使用されている。
施設が出来る前から、内部の遊具などを出張設置して子どもの目をひいたりなどもしていた。
つまり、子ども目線で、子どもも実質的に施設をつくる大人も一緒に成長していける施設設計を果たしたのだ。
現在でも「つくる」「あじわう」「しる・まなぶ」「かなでる」「からだをうごかす」など様々なイベントが行なわれている。
先日娘とこの施設を訪れた。
周りにいる子どもたちには目もくれない。そういう次元はロリコンとしてすでに通過後だ。
先ほど言った通り、施設のたくさんの場所に子どもたちが作ったもの、作り上げたものが在る。
その「モノ」が、私に、たくさんの子供たちの姿を想像させるのだ。
子どもたちの手技から非実在子どもを想像させ、それが私をたまらなく興奮させるのだ。
この施設が完成するまでに、一体何人の子どもが参加し、体験し、何かを感じ、成長できたのだろうか。
子どもたちはこの21世紀をどう生きて行くのだろうか? そんなことを考えさせられ、ついドキドキしてしまう。
ご存知の通り、足立区というのは治安が悪い、教育水準が低い、などのイメージがある。
足立区ではこのイメージを何とか払しょくしようと懸命な努力が続いている。
そして今回話してきた「ギャラクシティ」も大きく言えばこの一環なのだろう。